はやし浩司

最前線の育児論(601〜700)
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はやし浩司
最前線の育児論(600〜650)

最前線の子育て論byはやし浩司(600)

●「xxxx」を読んで……

 どういうわけか、ポロッと、古い本が、出てきた。「アレッ」と思って表紙を見ると、20年ほど前
に買った、単行本(新書版)だった。タイトルは、「xxxx」。

 そのときは、1ページごとに、頭をハンマーでたたかれるような衝撃を受けた。著者は、ST。
今まで気づかなかったが、M大学の元学長だったそうだ。奥付を読みながら、ふと、「今でも生
きているのだろうか?」と思った。

 ほぼ20年ぶりに、その本を読みなおす。「感動よ、再び……」と思って、読みなおす。が、読
めば読むほど、「そうかなあ?」と思ってみたり、「私なら、こう書くのに……」と思ってみたりす
る。

 奥付から計算すると、ST氏が、60歳くらいのときに、書いた本ということになる。当時は、週
刊誌にも連載記事を書くなど、よく知られた評論家だった。そのST氏の書いたことに、「?」を
もつようになったのは、それだけ私に、「私」ができたためか。それとも、私に、「クセ」ができた
ためか。

 本の内容より、そうした自分自身の変化のほうを知ることが楽しい。その本は、いわば、私の
心のカガミのようなもの。20年ほど前の私の心を、その中に、映(うつ)し出してくれる。

 このところ、ヒマさえあれば、その本ばかり、読んでいる。

(追記)ST氏のことを、ヤフーで検索してみたが、同姓同名が多くて、消息を知ることができな
かった。多分、もうなくなってしまったのかもしれない。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●目的

 目的のない人生は、地図の上で、右往左往するようなもの。へたをすれば、同じ場所を、ぐる
ぐると回るだけ、ということになりかねない。
 
 そこで、目的ということになる。この目的が、その人を、前にひっぱっていく。進むべき、方向
を決める。が、ここで注意しなければ、ならないことがある。つまり「だからそれがどうしたの?」
という部分がないまま、我欲を追求する。それは、ここでいう「目的」ではない。

 たとえば、おいしい料理を食べる。
 たとえば、すばらしい高級車に乗る。
 たとえば、きれいな服を着る。

 そのとき、ほんの一言でよいから、自分に問うてみる。「だから、それがどうしたの?」と。

 ほとんどの人は、その時点で、がく然とするはず。それもそのはず、ほとんどの人は、ほとん
どの時間を、目的など考えないで、過ごしている。「ただそうしたいから、そうしているだけ」「た
だ、そうできるから、そうしているだけ」と。

 それが悪いというわけではない。「生きる」ということは、そうした日常生活の積み重ねの上
に、成りたっている。が、それでは、満足できない。そこで私たちは、その中から、自分の目的
をさがし始める。もう少し、順を追って、説明してみよう。

 たとえばA氏は、車に、関心があった。そしていつか、ドイツのBxx車を買いたいと願ってい
た。

 そこでA氏は、いつもより懸命に働き、そしてお金をためた。ためて、念願のBxx車を手に入
れた。

 つまりA氏は、Bxxを買うことを目的とした。それで働いて、その車を手に入れた。A氏にすれ
ば、A氏の目的を達成したことになる。その車は、A氏のものになった。

 が、この段階で、もしA氏が、自分に、「だからどうしたの?」と、問うてみたとしたら、どうなる
だろうか。

 毎日、ワックスをかけて、ピカピカにみがくのが楽しい。
 毎日、近くの行楽地を走ってみるのが、楽しい。
 毎日、知人や友人を助手席に座らせて、ドライブするのが、楽しい。

 それはわかる。しかし、それがどうしたの?

 昨日、子ども(生徒、小3)たちと、こんな会話をした。

私「おとなになったら、何になりたい?」
A「野球の選手」
私「野球の選手になって、どうする?」
A「有名になって、お金を稼ぐ」

私「お金を稼いで、どうする?」
A[ほしいものを買う]
私「ほしいものを買って、どうする?」
A「(ほしいものが、手に入れば)、うれしい」と。

 しかしそれで心の満足は得られるのだろうか。……と考えたが、それは言わなかった。

私「がんばって、野球の選手になれよ。応援するよ」と。

 つまり、こうした我欲の追求は、「目的」ではない。たとえば織田信長。今でも、織田信長を信
奉する政治家や、実業家は多い。それはわかる。信長自身は、毛利遠征の途上に逗留した本
能寺(京都市)で、家臣の明智光秀に襲われ、自害した。そのため彼がめざした、天下統一
が、何であったのかは、今では、知ることができない。

 私の印象では、ただがむしゃらに、殺戮(さつりく)、平定を繰りかえしただけの人物ではなか
ったかと思う。信長が、商工業者に、楽市、楽座の朱印状を与え、経済を活性化させたとか、
関所を廃止して、流通を自由にしたとかいうのは、あくまでも、自分の野望を完成させるために
した、その結果論でしかない。

 信長が、日本人全体の、安寧(あんねい)と、幸福を考えて、天下統一をめざしたかというと、
そういうことは、ありえない。いくら歴史書を読んでも、そういう意図が、浮かびあがってこない。

 つまり信長も、結局は、明智光秀に自害を迫られるまで、「だからそれがどうなの?」という部
分のないまま、生きたことになる。

 そこで再び、目的論ということになる。

 つまり私たちが「目的」としていることは、実は、目的ではなく、手段にすぎないということ。そ
こに気づけば、これらの問題は、解決する。

 「Bxxの車を買う」「野球の選手になる」「天下を自分のものにする」というのは、実は、目的に
たどりつくための手段にすぎない。

 では、目的は何かということになる。

 たとえばあのアンネ・フランクは、当時、ただの少女でありながら、こう、看破(かんぱ)してい
る。

 We all live with the objective of being happy; our lives are all different and yet the same.
 (私たちは、みな、幸福になるという目的をもって、生きるのよ。みんなの生活は、みな、ちが
うけど、目的は、同じよ、と。

 つまり、「幸福になるのが、目的」と。

 今朝は、ここまでしか書けないが、ギリシャの劇作家のソフォクレスは、こう書き残している。

 知恵のみが、幸福の最高の部分である。(Wisdom is the supreme part of happiness. )と。 

 モノや金ではない。知恵である、と。

 私は、このソフォクレスの言葉を、信じたい。この原稿のしめくくりとして、そしてあえて(?)、
自分をなぐさめるために。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●真・善・美

 教育に目標があるとするなら、未来に向かって、真・善・美を後退させないこと。その基盤と
方向性を、子どもたちの世界に、残しておくこと。

 今すぐは、無理である。無理であることは、自分の過去を知れば、わかる。若い人たちは、
真・善・美を、そこらにころがる小石か、さもなければ、空気のように思っている。その価値がわ
からないどころか、その価値すら、否定する。

 しかしやがて、その、真・善・美に、気がつくときが、かならずやってくる。そしてその価値にひ
れ伏し、それまでの自分の過去にわびるときがやってくる。

 そのとき、その子ども(子どもというよりは、人)が、その基盤と方向性をもっていればよし。そ
うでなければ、その子どもは、まさに路頭に迷うことになる。

 「私は何のために生きてきたのか?」と。

 そしてやがて、その人は、真・善・美を、自ら、追求し始める。そのときを予想しながら、子ど
もの中に、その基盤と方向性を残しておくこと。それが教育の目標。

+++++++++++++++++++++++++++

【補記】

 真・善・美の追求について、私は、それに気づくのが、あまりにも遅すぎた。ものを書き始め
たのが、40歳前後。それまでは実用的な本ばかりを書いてきたが、「私」を書くようになったの
は、そのあとである。

 現在、私は57歳だが、本当に、遅すぎた。どうしてもっと早く、自分の愚かさに気づかなかっ
たのか。どうしてもっと早く、真・善・美の追求を始めなかったのか。

 今となっては、ただただ悔やまれる。本当に悔やまれる。もっと早くスタートしていれば、頭の
働きだって、まだよかったはず。どこかボケかけたような状態で、そしてこれから先、ますます
ボケていくような状態で、私に何が発見できるというのか。

 これは決して、おおげさに言っているのではない。本心から、そう思っている。

 だからもし、この文章を読んでいる人の中で、若い人がいるなら、どうかどうか、真・善・美の
追求を、今から始めてほしい。30代でも、20代でも、早すぎるということはない。

 今となっては、出てくるのは、ため息ばかり。どんな本に目を通しても、出てくるのは、ため息
ばかり。「こんなにも、私の知らないことがあったのか」とである。と、同時に、「後悔」のもつ恐
ろしさを、私は、今、いやと言うほど、思い知らされている。

★読者のみなさんへ、

 つまらないことや、くだらないことで、時間をムダにしてはいけませんよ。時間や健康、それに
脳ミソの働きには、かぎりがあります。余計なお節介かもしれませんが……。


++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●幼児教育

 ロボットが、二足歩行で歩き、踊る時代になった。しかし驚くなかれ、私が、幼児教育に接し
た、わずか、35年前には、ほとんどの人は、幼児が何であるかさえ、知らなかった。

 幼児は、幼稚。よくて、おとなの卵。未完成で未熟な人間……そんな考え方が、支配的だっ
た。

 幼児教育の教材すら、ほとんど、なかった。35年前には、自閉症にしても、診断基準すらな
かったし、ADHD児にしても、騒がれ始めたのは、ここ10年である。(日本で、厚生省が研究
機関に依頼して、診断基準づくりを始めたのは、ほんの4年前。)

 私が「幼児教育をしています」と言ったら、「そんなのだれにでも、できるでしょう」と返答した
男がいた。(基本的には、こうした誤解は、変わっていないが……。)

 今でも、若い母親の大半は、そう考えている。それは会話などしなくても、雰囲気でわかる。
だから私は、何も言わない。どうせ言っても、理解してもらえない。

 もし戦後の日本人が、モノづくりにかけるエネルギーの1000分の1でもよいから、幼児、な
かんずく、人間の研究に向けていたら、日本は、幼児教育の先進国になっていただろう。が、
実情は、どうか。いろいろな問題をもった子どもが現れるたびに、その診断基準すら、外国の
文献に頼っている。日本人が自らつくりあげたものは、ほとんど、ない。(まったく、ないのでは
……?)

 もう30年前になるが、ある雑誌で、文部省の技官と対談したとき、その技官は、こう言った。

 「なぜ、幼稚園で、文字教育を解禁しないのですか」と聞いたときのこと。「ハネがあるでしょ
う。ハネは、幼児には無理です」と。つまりトメ、ハネ、ハライを、幼児に教えるには、無理だか
ら、と。

 そこで私が「毛筆時代は、もう終わりに近づいています。どうしてハネを無視しないのですか」
と聞くと、「日本語には、日本語の美しさがありますから」と。

 世界広しといえども、就学前の子どもで、文字教育を受けないのは、日本人くらいなものだっ
た。(ついでに、発音教育も!)

 いまでも幼児教育というと、遊戯やお絵かき、年間行事を追いかけることだと思っている人は
多い。小学校へ入るための準備教育と考えている人もいる。しかしそれは誤解というより、まち
がい。幼児教育の奥深さは、パソコンにたとえるなら、OS(オペレーティング・システム)のプロ
グラミングほどの深さがある。

 それを理解してもらえない歯がゆさは、キーボードもまだ叩けないような人に、C++言語の
話をするときに感ずる、それに似ている。そこで私のすべきことは、親を飛びこし、子どもの中
に、微妙な問題点をみつけ出し、臨機応変に、それに対処していくこと。

 が、だからといって、親を責めているのではない。どんな親も、幼児教育には、まったく無知な
まま、子育てを始める。私もそうだったし、私のワイフも、そうだった。

 親が、自分を知り、さらに、自分の子どもを知るのは、子育ての最中ではない。そのときは、
ただ忙しくて、毎日が夢中のまま、過ぎていく。親が、自分を知り、さらに、自分の子どもを知る
のは、子どもが親離れし、親が子離れし、ほっと、息をつくころ。

 少し前だが、こんな手紙をくれた母親がいた。

 「息子が高校受験に合格した夜、はじめて、息子の原点は、はやし先生が作ってくれたのだ
と気づきました。ありがとうございました」と。

 私はその手紙を読んだとき、涙を流した。幼児教育というのは、そういうものである。
(050303)

+++++著作権BYはやし浩司++++++copy right by Hiroshi Hayashi+++++

【末那識(まなしき)】

●偽善

 他人のために、善行をほどこすことは、気持ちがよい。楽しい。そう感ずる人は、多い。俗に
いう、「世話好きな人」というのは、そういう人をいう。しかしそういう人が、本当に他人のことを
思いやって、そうしているかと言えば、それはどうか?

実は、自分のためにしているだけ……というケースも、少なくない。

このタイプの人は、いつも、心のどこかで、たいていは無意識のまま、計算しながら行動する。
「こうすれば、他人から、いい人に思われるだろう」「こうすれば、他人に感謝されるだろう」と。
さらには、「やってあげるのだから、いつか、そのお返しをしてもらえるだろう」と。

心理学の世界でも、こういう心理的動作を、愛他的自己愛という。自分をよく見せるために、他
人を愛しているフリをしてみせることをいう。しかしフリは、フリ。中身がない。仏教の世界にも、
末那識(まなしき)という言葉がある。無意識下のエゴイズムをいう。わかりやすく言えば、偽
善。

 人間には、表に現われたエゴイズム(自分勝手)と、自分では意識しない、隠されたエゴイズ
ムがある。表に現れたエゴイズムは、わかりやすい。自分でも、それを意識することができる。

 しかし、この自分では意識しない、隠されたエゴイズムは、そうでない。その人の心を、裏から
操る。そういう隠されたエゴイズムを、末那識というが、仏教の世界では、この末那識を、強く
戒める。

 で、日本では、「自己愛」というと、どこか「自分を大切にする人」と考えられがちである。しか
しそれは誤解。自己愛は、軽蔑すべきものであって、決して、ほめたたえるべきものではない。

 わかりやすく言えば、自己中心性が、極端なまでに肥大化した状態を、「自己愛」という。どこ
までも自分勝手でわがまま。「この世界は、私を中心にして回っている」と錯覚する。「大切なの
は、私だけ。あとは、野となれ、山となれ」と。

 その自己愛が基本にあって、自己愛者は、自分を飾るため、善人ぶることがある。繰りかえ
しになるが、それが愛他的自己愛。つまり、偽善。

 こんな例がある。

●恩着せ

 そのときその男性は、24歳。その日の食費にも、ことかくような貧しい生活をしていた。

 その男性から、相談を受けたXさん(女性、40歳くらい)がいた。その男性と、たまたま知りあ
いだった、そこでXさんは、その男性を、ある陶芸家に紹介した。町の中で、クラブ制の窯(か
ま)をもっていた。教室を開いていた。その男性は、その陶芸家の助手として働くようになった。

 が、それがその男性の登竜門になった。その男性は、思わぬ才能を発揮して、あれよ、あれ
よと思う間に、賞という賞を総なめにするようになった。20年後には、陶芸家として、全国に、
名を知られるようになった。

 その男性について、Xさんは、会う人ごとに、こう言っている。

 「あの陶芸家は、私が育ててやった」「私が口をきいてやっていなければ、今でも、貧乏なまま
のはず」「私が才能をみつけてやった」と。そして私にも、こう言った。

 「恩知らずとは、ああいう人のことを言うのね。あれだけの金持ちになっても、私には1円もく
れない。あいさつにもこない。盆暮れのつけ届けさえくれない」と。

 わかるだろうか?

 このXさんは、親切な人だった。そこでその男性を、知りあいの陶芸家に紹介した。が、その
親切は、ある意味で、計算されたものだった。本当に親切であったから、Xさんは、その男性
を、陶芸家に紹介したわけではなかった。それに一言、つけ加えるなら、その男性が、著名な
陶芸家になったのは、あくまでもその男性自身の才能と努力によるものだった。

 ここに末那識(まなしき)がある。

●愛他的自己愛

 この末那識は、ちょっとしたことで、嫉妬、ねたみ、ひがみに変化しやすい。Xさんが、「恩知ら
ず」とその男性を、非難する背景には、それがある。そこで仏教の世界では、末那識つまり、
自分の心の奥底に潜んで、人間を裏から操(あやつ)るエゴイズムを、問題にする。

 心理学の世界では、愛他的自己愛というが、いろいろな特徴がある。ここに書いたのは、偽
善者の特徴と言いかえてもよい。

(1)行動がどこか不自然で、ぎこちない。
(2)行動がおおげさで、演技ぽい。
(3)行動が、全体に、恩着せがましい。
(4)自分をよく見せようと、ことさら強調する。
(5)他人の目を、強く意識し、世間体を気にする。
(6)行動が、計算づく。損得計算をいつもしている。
(7)裏切られるとわかると(?)、逆襲しやすい。
(8)他人をねたみやすく、嫉妬しやすい。
(9)他人の不幸をことさら笑い、話の種にする。

 こんな例もある。同じ介護指導員をしている、私の姉から聞いた話である。

●Yさんの仮面

 Yさん(60歳、女性)は、老人介護の指導員として、近所の老人家庭を回っていた。介護士の
資格はもっていなかったから、そのため、無料のボランティア活動である。

 とくにひとり住まいの老人の家庭は、数日ごとに、見舞って、あれこれ世話を焼いていた。も
ともと世話好きな人ということもあった。

 やがてYさんは、町役場の担当の職員とも対等に話ができるほどまでの立場を、自分のもの
にした。そして市から、介護指導員として、表彰状を受けるまでになった。

 だからといって、Yさんが、偽善者というわけではない。またYさんを、非難しているわけでもな
い。仮に偽善者であっても、そのYさんに助けられ、励まされた人は、多い。またYさんのような
親切は、心のかわいたこの社会では、一輪の花のように、美しく見える。

 が、Yさんは、実は、そうした老人のために、指導員をしているのではなかった。またそれを
生きがいにしていたわけでもない。Yさんは、「自分が、いい人間に思われることだけ」を考えな
がら、介護の指導員として活動していた。

 みなから、「Yさんは、いい人だ」と言われるために、だ。Yさんにしてみれば、それほど、心地
よい世界は、なかった。

 しかしやがて、そのYさんの仮面が、はがれる日がやってきた。

 Yさんのところへ、ある日、夫が、夫の兄を連れてきた。Yさんの義兄ということになる。この義
兄は、身寄りがなく、それに脳梗塞(こうそく)による軽い障害もあった。トイレや風呂くらいは、
何とか自分で行けたが、それ以外は、寝たきりに近い状態だった。年齢は、73歳。

 最初は、Yさんは、このときとばかり、介護を始めたが、それが1か月もたたないうちに、今度
は、義兄を虐待するようになった。風呂の中で、義兄が、大便をもらしたのがきっかけだった。

 Yさんは、激怒して、義兄に、バスタブを自分で洗わせた。義兄に対する、執拗な虐待が始ま
ったのは、それからのことだった。

 食事を与えない。与えても、少量にする。同じものしか与えない。初夏の汗ばむような日にな
りかけていたが、窓を、開けさせない。風呂に入らせない。義兄が腹痛や、頭痛を訴えても、病
院へ連れていかない、など。

 こうした事実から、介護指導員として活動していたときの、Yさんは、いわば仮面をかぶってい
たことがわかったという。姉は、こう言った。

 「他人の世話をするのは、遊びでもできるけど、身内の世話となるいと、そうはいかないから
ね」と。

●子育ての世界でも

 親子の間でも、偽善がはびこることがある。無条件の愛とか、無償の愛とかはいうが、しかし
そこに打算が入ることは、少なくない。

 よい例が、「産んでやった」「育ててやった」「言葉を教えてやった」という、あの言葉である。昔
風の、親意識の強い人ほど、この言葉をよく使う。

 中には、子どもに、そのつど、恩を着せながら、その返礼を求めていく親がいる。子どもを1
人の人間としてみるのではなく、「モノ」あるいは、「財産」、さらには、「ペット」としてみる。またさ
らには、「奴隷」のように考えている親さえいる。

 息子(当時29歳)が、新築の家を購入したとき、その息子に向って、「親よりいい生活をする
のは、許せない」「親の家を、建てなおすのが先だろ」と、怒った母親さえいた。

 あるいは結婚して家を離れた娘(27歳)に、こう言った母親もいた。

 「親を捨てて、好きな男と結婚して、それでもお前は幸せになれると思うのか」「死んでも墓の
中から、お前を、のろい殺してやる」と。

 そうでない親には、信じがたい話かもしれないが、事実である。私たちは、ともすれば、「親だ
から、まさかそこまではしないだろう」という幻想をもちやすい。しかしこうした(ダカラ論)ほど、
あてにならないものはない。

 親にもいろいろある。

 もっとも、こうしたケースは、稀(まれ)。しかしそれに近い、代償的過保護となると、「あの人も
……」「この人も……」というほど、多い。

●代償的過保護

 代償的過保護……。ふつう「過保護」というときは、その奥に、親の深い愛情がある。愛情が
基盤にあって、親は、子どもを過保護にする。

しかし代償的過保護というときは、その愛情が希薄。あるいはそれがない。「子どもを自分の
支配下において、自分の思いどおりにしたい」という過保護を、代償的過保護という。

 見た目には、過保護も、代償的過保護も、よく似ている。しかし大きくちがう点は、代償的過
保護では、親が子どもを、自分の不安や心配を解消する道具として、利用すること。子どもが、
自分の支配圏の外に出るのを、許さない。よくある例は、子どもの受験勉強に狂奔する母親た
ちである。

 「子どものため」を口にしながら、その実、子どものことなど、ほとんど考えていない。人格さえ
認めていないことが多い。自分の果たせなかった夢や希望を、子どもに強要することもある。
世間的な見得、メンツにこだわることもある。

 代償的過保護では、親が子どもの前に立つことはあっても、そのうしろにいるはずの、子ども
の姿が見えてこない。

 つまりこれも、広い意味での、末那識(まなしき)ということになる。子どもに対する偽善といっ
てもよい。勉強をいやがる息子に、こう言った母親がいた。

 「今は、わからないかもしれないけど、いつか、あなたは私に感謝する日がやってくるわよ。S
S中学に合格すれば、いいのよ。お母さんは、あなたのために、勉強を強いているのよ。わか
っているの?」と。

●教育の世界でも

 教育の世界には、偽善が多い。偽善だらけといってもよい。教育システムそのものが、そうな
っている。

 その元凶は「受験競争」ということになるが、それはさておき、子どもの教育を、教育という原
点から考えている親は、いったい、何%いるだろうか。教師は、いったい、何%いるだろうか。

 教育そのものが、受験によって得る欲得の、その追求の場になっている。教育イコール、進
学。進学イコール、教育というわけである。

さらに私立中学や高校などにいたっては、「進学率」こそが、その学校の実績となっている。今
でも夏目漱石の「坊ちゃん」の世界が、そのまま生きている。数年前も、関東地方を中心にし
た、私立中高校の入学案内書を見たが、どれも例外なく、その進学率を誇っていた。

 SS大学……5人
 SA大学……12人
 AA大学……24人、と。

 中には、付録として、どこか遠慮がちに別紙に刷りこんでいる案内書もあったが、良心的であ
るから、そうしているのではない。毎年、その別紙だけは、案内書とは分けて印刷しているため
に、そうなっている。

 この傾向は、私が住む、地方都市のH市でも、同じ。どの私立中高校も、進学のための特別
クラスを編成して、親のニーズに答えようとしている。

 で、さらにその元凶はいえば、日本にはびこる、職業による身分差別意識と、それに不公平
感である。それらについては、すでにたびたび書いてきたのでここでは省略するが、ともかく
も、偽善だらけ。

 つまりこうした教育のあり方も、仏教でいう、末那識(まなしき)のなせるわざと考えてよい。

●結論

 私たちには、たしかに表の顔と、裏の顔がある。文明という、つまりそれまでの人間が経験し
なかった、社会的変化が、人間をして、そうさせたとも考えられる。

 このことは、庭で遊ぶスズメたちを見ていると、わかる。スズメたちの世界は、実に単純、わ
かりやすい。礼節も文化もない。スズメたちは、「生命」まるだしの世界で、生きている。

 それがよいとか、はたまた、私たちが営む文明生活が悪いとか、そういうことを言っているの
ではない。

 私たち人間は、いつしか、自分の心の奥底に潜む本性を覆(おお)い隠しながら、他方で、
(人間らしさ)を追求してきた。偽善にせよ、愛他的自己愛にせよ、そして末那識にせよ、人間
がそれをもつようになったのは、その結果とも言える。

 そこで大切なことは、まず、そういう私たち人間に、気づくこと。「私は私であるか」と問うてみ
るのもよい。「私は本当に善人であるか」と問うてみるのもよい。あなたという親について言うな
ら、「本当に、子どものことを考え、子どものために教育を考えているか」と問うてみるのもよ
い。

 こうした作業は、結局は、あなた自身のためでもある。あなたが、本当のあなたを知り、つい
で、あなたが「私」を取りもどすためでもある。

 さらにつけたせば、文明は、いつも善ばかりとはかぎらない。悪もある。その悪が、ゴミのよう
に、文明にまとわりついている。それを払いのけて生きるのも、文明人の心構えの一つというこ
とになる。
(はやし浩司 末那識 自己愛 偽善 愛他的自己愛 愛他的自己像 私論)
(050304)

【補記】

●みんなで偽善者を排斥しよう。偽善者は、そこらの犯罪者やペテン師より、さらに始末が悪
い。

+++++著作権BYはやし浩司++++++copy right by Hiroshi Hayashi+++++

最前線の子育て論byはやし浩司(601)

●Independent Thinker

 恩師のT先生が、「Independent Thinker」という言葉を教えてくれた。「子どもの教育の柱
の一つである」と。

 訳すと、「独立した思想家」ということか。「思想家」というより、「自分でものを考える人」という
意味に近い(?)。

 それについて書いた原稿(中日新聞掲載済み)が、つぎの原稿。私は、この中で、「考えるこ
と」の重要性について、書いた。

+++++++++++++++++

思考と情報を混同するとき 

●人間は考えるアシである

パスカルは、『人間は考えるアシである』(パンセ)と言った。『思考が人間の偉大さをなす』と
も。よく誤解されるが、「考える」ということと、頭の中の情報を加工して、外に出すというのは、
別のことである。たとえばこんな会話。

A「昼に何を食べる?」
B「スパゲティはどう?」
A「いいね。どこの店にする?」
B「今度できた、角の店はどう?」
A「ああ、あそこか。そう言えば、誰かもあの店のスパゲティはおいしいと話していたな」と。

 この中でAとBは、一見考えてものをしゃべっているようにみえるが、その実、この二人は何も
考えていない。脳の表層部分に蓄えられた情報を、条件に合わせて、会話として外に取り出し
ているにすぎない。もう少しわかりやすい例で考えてみよう。

たとえば一人の園児が掛け算の九九を、ペラペラと言ったとする。しかしだからといって、その
園児は頭がよいということにはならない。算数ができるということにはならない。

●考えることには苦痛がともなう

 考えるということには、ある種の苦痛がともなう。そのためたいていの人は、無意識のうちに
も、考えることを避けようとする。できるなら考えないですまそうとする。中には考えることを他
人に任せてしまう人がいる。

あるカルト教団に属する信者と、こんな会話をしたことがある。私が「あなたは指導者の話を、
少しは疑ってみてはどうですか」と言ったときのこと。その人はこう言った。「C先生は、何万冊
もの本を読んでおられる。まちがいは、ない」と。

●人間は思考するから人間

 人間は、考えるから人間である。懸命に考えること自体に意味がある。デカルトも、『われ思
う、ゆえにわれあり』(方法序説)という有名な言葉を残している。正しいとか、まちがっていると
かいう判断は、それをすること自体、まちがっている。こんなことがあった。

ある朝幼稚園へ行くと、一人の園児が、わき目もふらずに穴を掘っていた。「何をしている
の?」と声をかけると、「石の赤ちゃんをさがしている」と。その子どもは、石は土の中から生ま
れるものだと思っていた。おとなから見れば、幼稚な行為かもしれないが、その子どもは子ども
なりに、懸命に考えて、そうしていた。つまりそれこそが、パスカルのいう「人間の偉大さ」なの
である。

●知識と思考は別のもの

 多くの親たちは、知識と思考を混同している。混同したまま、子どもに知識を身につけさせる
ことが教育だと誤解している。「ほら算数教室」「ほら英語教室」と。それがムダだとは思わない
が、しかしこういう教育観は、一方でもっと大切なものを犠牲にしてしまう。かえって子どもから
考えるという習慣を奪ってしまう。もっと言えば、賢い子どもというのは、自分で考える力のある
子どもをいう。

いくら知識があっても、自分で考える力のない子どもは、賢い子どもとは言わない。頭のよし悪
しも関係ない。

映画『フォレスト・ガンプ』の中でも、フォレストの母はこう言っている。「バカなことをする人のこ
とを、バカというのよ。(頭じゃないのよ)」と。ここをまちがえると、教育の柱そのものがゆがん
でくる。私はそれを心配する。

(付記)

●日本の教育の最大の欠陥は、子どもたちに考えさせないこと。明治の昔から、「詰め込み教
育」が基本になっている。さらにそのルーツと言えば、寺子屋教育であり、各宗派の本山教育
である。つまり日本の教育は、徹底した上意下達方式のもと、知識を一方的に詰め込み、画
一的な子どもをつくるのが基本になっている。

もっと言えば「従順でもの言わぬ民」づくりが基本になっている。戦後、日本の教育は大きく変
わったとされるが、その流れは今もそれほど変わっていない。日本人の多くは、そういうのが教
育であると思い込まされているが、それこそ世界の非常識。

ロンドン大学の故森嶋通夫名誉教授も、「日本の教育は世界で一番教え過ぎの教育である。
自分で考え、自分で判断する訓練がもっとも欠如している。自分で考え、横並びでない自己判
断のできる人間を育てなければ、2050年の日本は本当にダメになる」(「コウとうけん」・98
年。T先生、指摘)と警告しているという。

●低俗化する夜の番組

 夜のバラエティ番組を見ていると、司会者たちがペラペラと調子のよいことをしゃべっている
のがわかる。しかし彼らもまた、脳の表層部分に蓄えられた情報を、条件に合わせて、会話と
して外に取り出しているにすぎない。

一見考えているように見えるが、やはりその実、何も考えていない。思考というのは、本文にも
書いたように、それ自体、ある種の苦痛がともなう。人によっては本当に頭が痛くなることもあ
る。また考えたからといって、結論や答が出るとは限らない。そのため考えるだけでイライラし
たり、不快になったりする人もいる。だから大半の人は、考えること自体を避けようとする。

 ただ考えるといっても、浅い深いはある。さらに同じことを繰り返して考えるということもある。
私のばあいは、文を書くという方法で、できるだけ深く考えるようにしている。また文にして残す
という方法で、できるだけ同じことを繰り返し考えないようにしている。

私にとって生きるということは、考えること。考えるということは、書くこと。モンテーニュ(フラン
スの哲学者、1533〜92)も、「『考える』という言葉を聞くが、私は何か書いているときのほ
か、考えたことはない」(随想録)と書いている。ものを書くということには、そういう意味も含ま
れる。

+++++++++++++++++

 日本人ほど、依存性の強い国民は、少ないと言われている。裏をかえすと、日本人ほど、ind
ependentでない国民は、ないということになる。

 たとえばここ数日間、S武鉄道のX社長の話題が、巷(ちまた)をにぎわしている。X氏が、株
価の操作疑惑で、今日、東京地検に逮捕された(3・4)。

 それについて、テレビの報道陣が、埼玉県T市にあるS武鉄道の本社前に殺到した。そして
会社にやってくる社員たちに、つぎつぎとマイクを向けた。しかしだれひとりとて、自分の意見を
言う社員はいなかった。

 みな、「わかりません」「ノーコメント」「答えたくありません」と。

 地位や立場もあるのだろう。それはわかる。しかし大のおとなが、だれひとりとて、何も意見
を言わないというのは、いったい、どういうことなのだろうか。私はその光景を、見ながら、T先
生が指摘する、「independent thinker」の問題は、こんなところにもあると実感した。

 私たち日本人は、子どものときから、自分で考えて、自分で発言するという習慣そのものをも
っていない? 静かで、従順で、先生の言うことを、ハイハイとすなおに聞く子どもほど、よい子
どもとされてきた?

 つまりT先生の指摘する、「independent thinker」には、日本の教育の根幹にかかわる問
題を含んでいるということになる。言いかえると、いかにすれば日本の子どもたちを、「indepe
ndent thinker」にするかということを考えることが、日本の教育を変えていく大きな原動力に
なる。

 この「independent thinker」については、T先生の意見を、もっと詳しく聞いたうえで、これ
からも深く考えてみたい。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

以下は、「子どもの世界」最終回のために書いた原稿です。

++++++++++++++++++++++

●「生きる」とは「考える」こと

 毎週土曜日は、朝四時ごろ目がさめる。そうしてしばらく待っていると、配達の人が新聞を届
けてくれる。聞き慣れたバイクの音だ。が、すぐには取りに行かない。いや、時々、こんな意地
悪なことを考える。配達の人がポストへ入れたとたん、その新聞を中から引っ張ったらどうなる
か、と。きっと配達の人は驚くに違いない。

 今日で「子どもの世界」は終わる。連載109回。この間、2年半余り。「混迷の時代の子育て
論」「世にも不思議な留学記」も含めると、丸4年になる。しかし新聞にものを書くというのは、
丘の上から天に向かってものをしゃべるようなもの。読者の顔が見えない。反応も分からな
い。だから正直いって、いつも不安だった。中には「こんなことを書いて!」と怒っている人だっ
ているに違いない。

私はいつしか、コラムを書きながら、未踏の荒野を歩いているような気分になった。果てのない
荒野だ。孤独といえば孤独な世界だが、それは私にとってはスリリングな世界でもあった。書く
たびに新しい荒野がその前にあった。

 よく私は「忙しいですか」と聞かれる。が、私はそういうとき、こう答える。「忙しくはないです
が、時間がないです」と。つまらないことで時間をムダにしたりすると「しまった!」と思うことが
多い。

女房は「あなたは貧乏性ね」と笑うが、私は笑えない。私にとって「生きる」ということは「考え
る」こと。「考える」ということは「書く」ことなのだ。わたしはその荒野をどこまでも歩いてみた
い。そしてその先に何があるか、知りたい。ひょっとしたら、ゴールには行き着けないかもしれ
ない。しかしそれでも私は歩いてみたい。そのために私に残された時間は、あまりにも少ない。

 私のコラムが載っているかどうかは、その日の朝にならないと分からない。大きな記事があ
ると、私の記事は外される。バイクの音が遠ざかるのを確かめたあと、ゆっくりと私は起きあが
る。そして新聞をポストから取りだし、県内版を開く。私のコラムが出ている朝は、そのまま読
み、出ていない朝は、そのまま、また床にもぐる。たいていそのころになると横の女房も目をさ
ます。そしていつも決まってこう言う。

「載ってる?」と。

その会話も、今日でおしまい。みなさん、長い間、私のコラムをお読みくださり、ありがとうござ
いました。
 
+++++著作権BYはやし浩司++++++copy right by Hiroshi Hayashi+++++
++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


最前線の子育て論byはやし浩司(602)

【雑感・あれこれ】

●花粉症

 朝、起きると、連続して、はげしいくしゃみ。花粉症がなおったとはいえ、まだ、完全になおっ
たわけではない。

 そのくしゃみが一巡すると、目がかゆくなり、体がだるくなる。たまたま今朝は、ポットからお
茶をそそいでいるときに、くしゃみが始まった。それで、すべてお茶をこぼしてしまった。


●女・痔

 この地方の子どもたちは、「同じ」を、「おんなじ」という。「女・痔」と聞こえる。

 そこで昨日、年中児のクラスで、「男でも、痔(じ)になるよ」とからかってやった。「おんなじ」
「おんなじ」と、子どもたちが、言ったからだ。しかしだれも笑わなかった。(母親たちは、笑って
いたが……。)

 朝食のとき、ワイフとその話になった。

ワイフ「おんなじと言うのは、この地方だけかしら?」
私「G県では、言わないよ」
ワイフ「東京では、どうかしら?」
私「東京でも、言わないだろうね。よく知らないけど……」と。


●日本の映画

 韓国の映画の躍進がめざましい。それもそのはず。今、韓国では、国をあげて、映画制作の
振興をはかっている。多くの大学の多くには、ちゃんとした演劇学部がある。俳優になるため
の基本を、その基礎からたたきこんでいる。

私が知るかぎりでも、35年前でさえ、オーストラリアの小学校には、ドラマ(演劇)という科目が
あった。もとろんアメリカにも、あった。

 それに引きかえ、日本は……?

 俳優の演技が、どれも演技、演技している? 喜怒哀楽の表現も、まさに、そのまま。「怒っ
ているときは、こういう表情をするものです」「悲しいときは、こういう表情をするものです」という
ような演技をする。この演技ぽさが、日本の映画を、つまらないものにしている。

 それにおかしな権威主義が、はびこっている。「昔からの俳優」「歌舞伎俳優」というだけで、
主演になることが多い。

 日本の映画ファンも、多いことと思う。そして私のこうした意見に、腹を立てる人も多いことと
思う。もちろん、中には、すばらしい俳優もいる。「ラスト・サムライ」を主演した、WKの演技
は、よかった。

 が、やはり全体としてみると、日本の映画は、つまらない。たとえば、日本の映画では、いか
にも知的レベルの低そうな男優が、学者や研究者の役をしたりする。「あんな学者は見たこと
ないけどなあ」と思ったとたん、興がさめてしまう。あるいは顔中、化粧で塗りたくったような女
優が、生活で疲れた女性を演じてみせたりする。

 どこか、無理がある。この無理が、ますます日本の映画を、おもしろくないものにする。

 で、ときどき、前評判などを聞いて、「今度こそ……」と思って、日本映画のビデオを借りてく
る。しかしそのほとんどに、失望。たいてい途中で、見るのをやめてしまう。

 自然な演技。ごく自然な演技。カメラや観客を意識しない、自然な演技。そういう演技ができ
る俳優を名優という。が、これがむずかしい?

 私の好きな映画に、木下恵介監督の、『喜びも悲しみをも幾歳月』がある。あの中で灯台守
の有沢四郎を演じた、佐田啓二、妻のきよ子を演じた、高峰秀子らは、名優中の名優。俳優
自身の誠実さというか、人間性が、そのまま画面に出ていた。

 言いかえると、俳優は、俳優自身が、その心の持ち主でなければならない。にごった心の俳
優が、いくら誠実な人間を演じても、ピンとこない。ピンとこないところから、矛盾が生まれる。
事実、そのあと作られた、リメイク版の『新・喜びも悲しみ幾歳月』は、「これが誠実な人間で
す」という演技ぽさばかりが目立ち(失礼!)、まったくおもしろくなかった。

 話は変わるが、昼のワイドショーを見ていたときのこと。一人のキャスターが、あるタレントの
ハレンチ行為をあれこれと非難していた。しかしそれを非難しているキャスター自身が、見るか
らにスケベそう。彼自身も、いかにも、そういうことをしそうな雰囲気を漂わせていた。私はワイ
ドショーを見ながら、こう思った。

 「自分だって、同じことしているんじゃないの?」と。

 つまりは人間性の問題ということになる。その人間性を磨かないで、うわべだけで演技して
も、演技は演技のまま。それを観客が見ぬいたとき、観客は、その映画から、一歩、退いてし
まう。俳優に、自分を注入できなくなってしまう。

 映画は、きわめて重要な文化である。芸術である。一本の映画の中に、その国の文化すべ
てが集約されることも珍しくない。が、この日本では、俳優にしても、どこかのプロダクションが
養成するのが、ひとつの流れになっている。

 ただ名声を求めるだけの俳優を並べて、映画をつくるのが、映画ではない。ある意味で、映
画ほど、恐ろしい芸術はない。文学にせよ、美術にせよ、それらは間に、本や絵を間に置くこと
で、自分の表情を隠すことができる。

 しかし映画は、ちがう。その人の人間性が、表情を通して、そのままモロに出てくる。演技と
はいいながら、観客は、演技の向こうに、その人自身を見る。

 そういう意味では、アメリカ映画は、日本映画よりはるかに先を行っている。あるインタビュー
番組の中で、ハリソン・フォードはこう言っていた。「外科医の役をすることになったときには、
病院へ行き、何日もかけて外科医の雰囲気を、研究(study)した」と。

 こうした姿勢のちがいが、アメリカ映画を、おもしろいものにしている。何でもアメリカの映画
産業が稼ぐ外貨は、日本が電子産業で稼ぐ外貨と同じだそうだ。映画は、立派な産業にもなり
える。

それだけではない。100人の外交官が、100年かかってするような仕事を、1本の映画がする
ことだって、ありえる。

 教育の分野について言うなら、その人を演ずることによって、別の人生を生きることができ
る。他人の立場でものを考える力を身につけることができる。その効果と意義については、こ
れからの課題ということになるが、たとえばいじめられて苦しむ子どもの役を演ずるだけでも、
その子どもの、いじめについてのものの見方が変わるかもしれない。

 ところで私が子どものころには、「役者」という職業には、大きな偏見があった。職業による差
別意識が、まだ根強く残っていた。どう偏見があったかについては、ここには書けないが、私自
身も、こうまで役者に対する見方が変わるとは、思ってもいなかった。

 「おとなになったら、タレントになりたい」と言う子どもは、今では、珍しくない。が、私が子ども
のころには、まず、いなかった。「俳優になる」ことを考える子どもさえいなかったのでは……。
そうした偏見が、日本の映画を、ここまで遅らせたとも言える。

 がんばれ、日本の映画人!!!

(補記)私の教室では、年に一度、「演技」というテーマでレッスンしている。表情や、感情を、子
どもたちに、表現させる。「うれしかったら、うれしそうな顔をしなさい!」と。

 心の状態と、表情が、一致している子どもを、幼児教育の世界では、「すなおな子ども」とい
う。

++++++++++++++++++

喜びも悲しみも幾歳月

俺ら岬の 燈台守は
妻と二人で 沖行く船の
無事を祈って
灯をかざす 灯をかざす

冬が来たぞと 海鳥なけば
北は雪国 吹雪の夜の
沖に霧笛が
呼びかける 呼びかける

離れ小島に 南の風が
吹けば春来る 花の香便り
遠い故里
思い出す 思い出す

朝に夕に 入船出船
妻よがんばれ 涙をぬぐえ
もえてきらめく
夏の海 夏の海

星を数えて 波の音きいて
共に過した 幾歳月の
よろこび悲しみ
目に浮かぶ 目に浮かぶ
(木下忠司・作詞、作曲)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●教科書改革

 恩師のT先生が寄せてくれた論文の中に、こんな一節があった。

 『一般、欧米の教科書は写真もきれいだし、化学独自の考え方を手をつくしてきちんとわかり
やすく説明されている。各種の考えさせる例題(問題)も備えている。教科書によっては、化学
の立場からの地球のできる火成岩の話しなど、いろいろな興味ある、身近な話も入っていたり
している。素人でも化学に興味を抱くよう、化学の好きな子はますます好きになるし、個性を伸
ばせるようになっている。

欧米では教科書は学校の備品であることが多いし、5年に1度教科書を変えるとするとしても、
その実質的な費用は5分の1になる。欧米で広くやっていることが、どうして日本ではできない
のか』と。

 欧米では、アメリカでも、ヨーロッパでも、子どもたちが学校で使う教科書(テキストブック)は、
「学校の備品」ということになっている。

 中学校で使う数学の教科書(テキストブック)は、そこらの百科事典ほどの分量と重さがあ
る。カラーで、説明も、親切で、ていねい。そのため、わかりやすい。

 だから、生徒たちは、日本の子どもたちのように、重い教科書(テキストブック)を、カバンに
つめて、学校と家の間を、もち運ぶということをしない。

 ここであえて「教科書」に、(テキストブック)という言葉をつけた理由は、アメリカや欧米には、
日本でいう、「教科書検定制度」がないことをいう。現場の教師、あるいは学校ごとのPTAの自
由裁量によって、その学校で使うテキストブックが、採用されている。

 日本も、そうしたらどうか?

 何も、生徒一人ひとりに、教科書を無料で配布したり、買わせたりする必要はない。学校に
備品として置いておけば、みんなで使える、仲間意識も、そこから生まれる。もちろん費用(税
金)も安くすむ。仮に5年に1度改定するとしても、費用は、5分の1。その分だけ、教科書を、
分厚くすることもできる。

 こう書くと、「家での学習は、どうするのか?」という質問が出てきそうである。「教科書なしで、
どうやって、勉強するのか」と。

 しっかりと調査したわけではないが、今どき、家で、教科書を開いて勉強する子どもなど、ほ
とんど、いない。算数の問題や、国語の漢字の書き取りなどで、教科書を開く子どもはいるが、
それとて、宿題になっているから、そうしているだけ。

 宿題の部分だけは、プリントですますことができる。どうしても家庭で、勉強ということになれ
ば、の話だが……。

 進学塾でも、学習塾でも、学校で使う教科書をテキストに使っているところは、まず、ない。つ
まり学校で使う教科書は、それほどまでに、中身が、ない! 使いものにならない! ……とい
う事実に、まず、親の私たちが気づくべきである。

 T先生は、こうも書いている。

 『日本のように、これ以上は教えなくていいなど、文部科学省の余計な規制がなぜ必要なの
だろうか。今はもう横並びの時代ではない。

現場の先生は厚い教科書の全部を教えることはもちろんない。ばあいによっては、ここを読ん
でおけ、でもいいのではないか。生徒のレベルに応じて、先生が好きなように教えればいいの
である』と。

 まったく、同感である。つまり日本の教科書は、まさに官僚意識、まるだし。「やるべきことは
します。しかしそれ以上のことはしません」と。それが、「必要最小限のことは、教える。しかし
余計なことは教えない」となった。

それをT先生は、「日本のように、これ以上は教えなくていいなど、文部科学省の余計な規制が
なぜ必要なのだろうか」と、疑問を呈している。これについても、まったく同感である。

 ここでの結論。

(1)教科書検定制度の廃止。全体主義国家的教育観からの脱却。
(2)教科書は、テキストと呼び、学校の備品とする。テキストの多様化。
(3)図書室を拡充し、自学、自習の学習態度を、もっと養う。
(4)教師が現場の教育に専念できるよう、余計な負担を減らす。
(5)現場の教師の自由裁量を、さらに推進する。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●介護疲れ、施設も深刻

 特別養護老人ホームの職員たちが、悲鳴をあげ始めている。職員の3割が、入所者に、憎し
みさえ覚えているという。

 このほど、連合のした調査結果によると、「3割の職員が、入所者に憎しみを感じ、過去1年
間に1割が、虐待、6割が入所者を縛りつけるなどの身体的拘束を経験していることがわかっ
た」という(04年、2〜4月、計300か所の特別養護老人ホームなどで調査)。

 入所者に憎しみを感じたことがある……29・5%!

 疲労度が強いほど、憎しみがまし、虐待や身体拘束をするケースが、高まる傾向がみられた
とも。4段階別でみると、もっとも疲労しているグループは、41・3%にあがったという。

 入所者を、ひもでベッドや車イスにしばりつける、睡眠薬で眠らせるなどの身体的拘束につい
ては、原則として禁止されているにもかかわらず、全体の58・2%が、「拘束をしたことがある」
と答えている。もっとも疲労度の高いグループでは、67・7%と、答えている。(約7割だぞオ
〜。)

 「虐待」というと、一方的に、職員に責任があるように思われがちである。(だからといって、虐
待を肯定しているのではない。誤解のないように!)

 ただ、その一方で、わがままで、自分勝手な老人が多いのも事実。中には「手に負えない」老
人もいるとか(特養でヘルパーをしている友人談)。職員に向って、怒鳴り散らすだけの老人も
少なくないそうだ。

 さらにそこへボケが加わると、ものの考え方が、極端にジコチューになる。私と同居している
兄にしても、自分のことしか考えていない。食事の時間が少しでも遅くなると、パニック状態に
なる。

 数日前も、たった15〜20分、(たった15分だぞ)、夕食の時間が遅れただけなのだが、時
計の針を、すべて回してしまった。「時計が、狂った」「時計のハリが、合っていない」と。つまり
そういう形で、食事の時間が遅れたことに、抗議する。

 もちろん料理の手伝いなど、何もしない。また食事が終わると、ソファの上に座って、テレビを
見ているだけ。私たちがニュースを見ていても、勝手にチャンネルを回してしまう。まさに、「手
に負えない」。

 そこで頭のボケた老人には、やさしい言い方は、通用しない。単語だけの、命令口調になる。
またそういう言い方をしないと、動いてくれない。「自分の部屋に行く!」「ふとんを敷く!」「寝
る!」と。

 そして昼間コタツの中で寝ていることもあって、夜中、ゴソゴソと動き回っている。もちろん電
気は、明々とつけっぱなし。

 そういう私の介護について、「林さんは、人間愛にあふれた人ですね」(掲示板)とほめてくれ
た人がいた。しかし、それはとんでもない誤解。私は、何も、好きこのんで、兄のめんどうをみ
ているのではない。しかたなしに、つまり見るにみかねて、しているだけ。

 で、こうした介護をするには、コツがある。

 第一のコツは、介護するときは、する。しかしそれ以外の時間のときは、完全に、兄のことを
忘れる。「完全に」というところが、なかなかむずかしいが、しばらくしていると、それができるよ
うになる。

 第二のコツは、温情は禁物。心を鬼にして、対処する。

 最初のころは、兄のほしがるものを、食事に与えていた。が、そのうち、エスカレートしてき
た。牛乳から始まって、カルxxや、ヤクxxなどの乳酸飲料。で、それを与え始めたら、とたん
に、腸がゆるくなったらしい。

 廊下で、下痢をするようになった。トイレへ行くまで、がまんできなかったのだろう。つまり自己
管理能力、ゼロ。だから献立は、こちらで考えるしかない。そうなる。

 風呂についても同じ。寒い夜は、「頭が痛い」「風邪をひいた」とウソを言う。で、兄の言うまま
にしていたら、病臭というか、悪臭がプンプン。やっと風呂に入っても、体を洗わない。そのた
め、頭は、フケだらけ。

 だから私がヒマなときに、強引に、風呂へ連れていき、私が、体を洗ってやる。本人の意思な
ど、いちいち確かめていたら、何もできない。

 特別養護老人ホームの職員の人たちは、それを仕事としている。虐待はいけない。それはそ
のとおりだが、かなりの、つまり人並みはずれた包容力がないと、この仕事は、勤まらないので
は? 加えて、介護する相手は、他人である。

 できることと、できないことがある。そのできることにも、限界がある。

 そこで話を一歩進めて、では、やがて老人になり、いつかは特別養護老人ホームの世話にな
るかもしれない私たちは、どうしたらよいかということ。職員の方に嫌われて、温風機器で、焼
きころされたら、たまらない!

 つまりは、好かれる老人になるということか。すべては、ここへ行きつく。

 頭がボケるのは、しかたないとしても、老人は老人として、それなりに尊敬されねばならない。
バカな老人になってはいけない。アホな老人になってはいけない。介護士の人たちが、自分た
ちより若いなら、それなりに、何かを教えることができる老人にならなければならない。知恵や
経験を話せる老人にならなければならない。

 さらに、介護士の人たちの人生相談にのったり、その世話をするくらいでなければならない。
またそういう老人を、自ら、めざす。

 「3割」という数字は、ショッキングな数字だが、しかし中身がよくわからない。入所している老
人の3割に憎しみを感じているともとれるし、10人の介護士のうち、3人が、「憎しみを感じたこ
とがある」ともとれる。よいほうに解釈すれば、後者なのだろうが、まあ、人間だから、いろいろ
なときがある。

 前にも書いたが、老人介護をしていると、寛容と忍耐、同情と憎しみ、あわれみと怒り、こうし
た感情が、混然一体となって、介護している人を襲う。廊下に落ちている大便を始末していると
きもそうだ。兄に、「もう、するなよ!」と言っても、兄には、その意味さえわからない。

 「ぼくじゃない」「犬かもしれん」「覚えていない」などと言って、逃げてしまう。そういうとき、瞬間
だが、その大便の包んだ紙を、兄に投げつけたくなる。それを「憎しみ」と言うなら、まさに、そ
れは「憎しみ」ということになる。

 これから10年、20年をかけて、ますます老人の数は、多くなる。状況は、ますます悪くなる。
この問題は、私たちの年代の者にとっては、決して他人ごとではすまされない。

+++++著作権BYはやし浩司++++++copy right by Hiroshi Hayashi+++++

最前線の子育て論byはやし浩司(603)

●私の老後

 若いころ、50歳のくらいの人たちが、みな、老人に見えた。しかし私自身が、その50歳にな
ったとき、私は、自分のことを、老人とは、とても思えなかった。この状態は、57歳になった今
も、同じである。

 が、それだけではない。若いときは、いつもまわりに友だちがいて、ワイワイと騒いでいた。
が、歳をとるにつれて、友だちは減り、かわって、孤独が身を包むようになった。

 こういうときというのは、どうも、心がセンチメンタルになる。以前、書いた原稿を、読みなお
す。

++++++++++++++++++

●マダム・バタフライ(再録)

 久しぶりに、「マダム・バタフライ」を聞いた。ジャコモ・プッチーニのオペラである。私はあの
曲が好きで、聞き出すと何度も、繰り返し聞く。

「♪ある晴れた日に、
  遠い海の向こうに一筋の煙が見え、
  やがて白い船が港に着く……
  あの人は私をさがすわ、
  でも、私は迎えに行かない
  こんなに私を待たせたから……」

 この曲を聞くと、何とも切ない気持ちになるのは、なぜか。遠い昔、長崎からきた女性に恋を
したことがあるからか。色の白い、美しい人だった。本当に美しい人だった。その人が笑うと、
一斉に太陽が輝き、一面に花が咲くようだった。その人はいつも、春の陽光をあびて、まばゆ
いばかりに輝いていた。

 マダム・バタフライ、つまり蝶々夫人は、もともとは武士の娘だったが、幕末から明治にかけ
ての混乱期に、芸者として長崎へやってくる。そこで海軍士官のピンカートンと知り合い、結
婚。そして男児を出産。が、ピンカートンは、アメリカへ帰る。先の歌は、そのピンカートンを待
つマダム・バタフライが歌うもの。今さら説明など必要ないかもしれない。

 同じような悲恋物語だが、ウィリアム・シェークスピアの「ロメオとジュリエット」もすばらしい。
少しだが、若いころ、セリフを一生懸命暗記したこともある。ロメオとジュリエットがはじめてベッ
ドで朝を迎えるとき、どちらかだったかは忘れたが、こう言う。

 「A jocund day stands tip-toe on a misty mountain-top」と。「喜びの日が、モヤのかかった
山の頂上で、つま先で立っている」と。

本来なら喜びの朝となるはずだが、その朝、見ると山の頂上にモヤにかかっている。モヤがそ
のあとの二人の運命を象徴しているわけだが、私はやはりそのシーンになると、たまらないほ
どの切なさを覚える。

そう、オリビア・ハッセーとレナード・ホワイティングが演ずる「ロメオとジュリエット」はすばらし
い。私はあの映画を何度も見た。ビデオももっている。サウンドトラック版のCDももっている。
その映画の中で、若い男が、こう歌う。ロメオとジュリエットがはじめて顔をあわせたパーティで
歌う歌だ。

 「♪若さって何?
   衝動的な炎。
乙女とは何? 
氷と欲望。
世界がその上でゆり動く……」
 
 この「ロメオとシュリエット」については、以前、「息子が恋をするとき」というエッセーを書いた
ので、このあとに添付しておく。

 最後にもう一つ映画の話になるが、「マジソン郡の橋」もすばらしい。短い曲だが、映画の最
後のシーンに流れる、「Do Live」(生きて)は、何度聞いてもあきない。

いつか電撃に打たれるような恋をして、身を焼き尽くすような恋をしてみたいと思う。かなわぬ
夢だが、しかしそういうロマンスだけは忘れたくない。いつか……。
(02−10−5)※

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●息子が恋をするとき(中日新聞投稿済み)

息子が恋をするとき

 栗の木の葉が、黄色く色づくころ、息子にガールフレンドができた。メールで、「今までの人生
の中で、一番楽しい」と書いてきた。それを女房に見せると、女房は「へええ、あの子がねえ」と
笑った。その顔を見て、私もつられて笑った。

 私もちょうど同じころ、恋をした。しかし長くは続かなかった。しばらく交際していると、相手の
女性の母親から私の母に電話があった。そしてこう言った。

「うちの娘は、お宅のような家の息子とつきあうような娘ではない。娘の結婚にキズがつくから、
交際をやめさせほしい」と。

相手の女性の家は、従業員30名ほどの製紙工場を経営していた。一方私の家は、自転車
屋。「格が違う」というのだ。この電話に母は激怒したが、私も相手の女性も気にしなかった。
が、二人には、立ちふさがる障害を乗り越える力はなかった。ちょっとしたつまずきが、そのま
ま別れになってしまった。

 「♪若さって何? 衝動的な炎。乙女とは何? 氷と欲望。世界がその上でゆり動く……」と。

オリビア・ハッセーとレナード・ホワイティングが演ずる「ロメオとジュリエット」の中で、若い男が
そう歌う。たわいもない恋の物語と言えばそれまでだが、なぜその戯曲が私たちの心を打つか
と言えば、そこに二人の若者の「純粋さ」を感ずるからではないのか。

私たちおとなの世界は、あまりにも偽善と虚偽にあふれている。年俸が一億円も二億円もある
ようなニュースキャスターが、「不況で生活がたいへんです」と顔をしかめてみせる。一着数百
万円もするような着物で身を飾ったタレントが、どこかの国の難民の募金を涙ながらに訴える。
暴力映画に出演し、暴言ばかり吐いているタレントが、東京都やF国政府から、日本を代表す
る文化人として表彰される。

もし人がもっとも人間らしくなるときがあるとすれば、電撃に打たれるような衝撃を受け、身も心
も焼き尽くすような恋をするときでしかない。それは人が人生の中で唯一つかむことができる、
「真実」なのかもしれない。

そのときはじめて人は、もっとも人間らしくなれる。もしそれがまちがっているというのなら、生き
ていることがまちがっていることになる。しかしそんなことはありえない。

ロメオとジュリエットは、自らの生命力に、ただただ打ちのめされる。そしてそれを見る観客は、
その二人に心を合わせ、身を焦がす。涙をこぼす。しかしそれは決して、他人の恋をいとおし
む涙ではない。過ぎ去りし私たちの、その若さへの涙だ。あの無限に広く見えた青春時代も、
過ぎ去ってみると、まるでうたかたの瞬間でしかない。歌はこうつづく。

「♪バラは咲き、そして色あせる。若さも同じ。美しき乙女も、また同じ……」と。

 相手の女性が結婚する日。私は一日中、自分の部屋で天井を見つめ、体をこわばらせて寝
ていた。六月のむし暑い日だった。ほんの少しでも動けば、そのまま体が爆発して、こなごなに
なってしまいそうだった。ジリジリと時間が過ぎていくのを感じながら、無力感と切なさで、何度
も何度も私は歯をくいしばった。

しかし今から思うと、あのときほど自分が純粋で、美しかったことはない。そしてそれが今、たま
らなくなつかしい。私は女房にこう言った。「相手がどんな女性でも温かく迎えてやろうね」と。そ
れに答えて女房は、「当然でしょ」というような顔をして笑った。私も、また笑った。

++++++++++++++++++++

 「人生は葉巻のようなもの」と言った人がいた。人生は、葉巻と同じで、吸い始めのときだけ
が、うまい、と。

 しかし本当にそうだろうか?

 もし今、ここで神様か何かが、私に、「もう一度、お前を、青春時代に戻してやる」と言っても、
たぶん、私は、それを断るだろうと思う。それはウナ丼を二度、つづけて食べる気分に似てい
る。一度でたくさん。こりごり。

 ただ悔やまれるのは、私は、20代、30代のころ、愚にもつかない仕事を仕事と思いこみ、
時間をムダにしたこと。教材制作が、それである。

 私はある時期、毎週のように、ある出版社に顔を出し、教材制作の手伝いをしていた。結
構、お金にはなったが、結局は、何も残らなかった。利用されただけ。そんな感じさえする。

 それはそれとして、では青春時代が、今よりまさっているかと言えば、そうとは言えない。老齢
期を迎え、そしてその先に「死」を感ずるようになった今のほうが、若いときより、ずっと、時間
を大切にしている。生きる、密度そのものが、ちがう。

 ヒントを得るために、梶山健氏編集の「世界名言辞典」(明治書院)に目を通す。

★「若い時代に数千の帆柱を押し立てて船出したその港へ、老いさらばえて、救いのボートに
助けられ、ひと知れず帰ってくる」(シラー「実現と期待」)

★「老人になって耐えがたいのは、肉体や精神の衰えではなく、記憶の重さに耐えかねること
である」(モーム「人間の絆」)

★「しわとともに、品位が備わると、敬愛される。幸せな老年には、言い知れない黎明(れいめ
い)がさす」(ユー・ゴー「レ・ミゼラブル」)

 大切なことは、最後の最後の、そのときまで、前向きに生きるということか。人は、歳をとって
はじめて入ることができる世界に入る。いわば、老齢は、その世界への入場資格ということに
なる。

 たとえば若いときというのは、がむしゃらに生きることはできても、その生きることか生まれる
「美しさ」までは、わからない。さらに「生きることのすばらしさ」までは、わからない。

 しかし老齢というチケットを手にして、その世界に入ると、あたかも劇場で映画を見るかのよう
に、自分の過去を見る。そしてその生きることの美しさや、すばらしさを知ることができる。

 先の「人生は葉巻のようなもの」という言葉に、一言、つけ加えるなら、葉巻のうまさが、本当
に理解できるようになるのは、老齢になってからということになる。

 刻々と過ぎゆく人生。たまたま今は、たそがれどき。冬の冷たい曇天が、窓の外を暗くおおい
始めている。こういう時の流れの中に身を置くからこそ、生きることの尊さや価値がわかってく
る。

 わかりやすく言えば、人生を味わうのは、これからということ。これからが、人生の本番という
こと。それにくらべると、今までの人生というのは、まるでカスカスのフ菓子のようなもの。

 まあ、一つだけ願いがかなうとしたら、老齢は老齢として、できるだけ長く、今の状態がつづ
いてほしいということ。今のところ、頭も、それほどボケていないようだし、(自分でそう思ってい
るだけかもしれないが……)、そこそこに健康である。成人病とも無縁。

 もう少しだけ長く、真理の追求をしてみたい。追求させてほしい。

 で、もし、それでもボケてしまったり、大病にかかってしまったとしたら……。昨夜も、寝ると
き、ワイフにこう言った。

 「ぼくは、そのときがきたら、いさぎよく、死ぬよ。ジタバタしない。みんなに迷惑をかけたくな
い。だから今、悔いが残らないように、懸命に生きるよ」と。

 本当にそのときがきたら、さみしいと思うが、少しずつだが、その覚悟はできつつあるように
思う。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●さみしさ

 ある女性に、幼児の心理について、少し意見を書いたら、こう返事が届いた。

 「そういうことが書いてある本を紹介していただけますか?」と。

 何かのことで、子どもの教育にかかわっている女性である。

 私は、そのメールをもらって、何とも言えないさみしさに包まれた。「私の意見では、だめなの
か?」と。

 で、そのさみしい気持ちをこらえながら、「こうした知識は、私が、自分の35年という幼児教
育の経験の中からつかんだものです」と、返事を書いた。

 もちろんその人に、悪気があったわけではない。文面やHPから察するに、善良な女性らし
い。それに教育熱心というか、知識欲が旺盛というか……。

 本来なら、つまりもう少しアカデミックな生き方をするなら、公的な場所で論文を発表しなが
ら、自分の主張を通すのがよい。それがこの世界では、正当な道ということになっている。今で
は、数多くの、幼児教育学会がある。

 しかし私は、そういう世界には、若いときから、ほとんど関心がなかった。「幼児教育は母親
教育」と、自分に言って聞かせて活動したこともある。目が上ばかり向いている人もいるにはい
るが、しかし私の目は、いつも下ばかりを向いていた。

 それで、35年になった。

 で、あるときから、私は心に、こう決めた。「これからは、私を理解してくれる人のために原稿
を書こう」と。名誉や地位などというものには、ハナから興味はなかったし、いわんや権威など
というものは、私がもっとも嫌いなもの。

 しかし私ほど、最前線で、しかも下っ端で、幼児と接した教育者もいないだろうということ。今
でもときどき、自分のしていることに自信をなくすことがある。そういうときでも、私は自分にこう
言って聞かせて、自分を励ます。

 「経験の数では、私の右に出るものはいない」と。

 それが私の意見になった。

 だからその女性には、「いい本があったら、また紹介しますよ」と返事は書いたものの、実の
とこと、そんな本は知らない。読んだこともない。ずいぶんといいかげんな返事だなと思いつ
つ、その女性のことは忘れることにした。(ごめんなさい!)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

2年ほど前に書いた原稿を、
もう一度、ここに載せておきます。

+++++++++++++++++

『朝(あした)に道を聞かば、夕べに死すとも可なり』

●密度の濃い人生

 時間はみな、平等に与えられる。しかしその時間をどう、使うかは、個人の問題。使い方によ
っては、濃い人生にも、薄い人生にもなる。

 濃い人生とは、前向きに、いつも新しい分野に挑戦し、ほどよい緊張感のある人生をいう。薄
い人生というのは、毎日無難に、同じことを繰り返しながら、ただその日を生きているだけとい
う人生をいう。人生が濃ければ濃いほど、記憶に残り、そしてその人に充実感を与える。

 そういう意味で、懸命に、無我夢中で生きている人は、それだけで美しい。しかし生きる目的
も希望もなく、自分のささいな過去にぶらさがり、なくすことだけを恐れて悶々と生きている人
は、それだけで見苦しい。こんな人がいる。

 先日、30年ぶりに会ったのだが、しばらく話してみると、私は「?」と思ってしまった。同じよう
に30年間を生きてきたはずなのに、私の心を打つものが何もない。話を聞くと、仕事から帰っ
てくると、毎日見るのは、テレビの野球中継だけ。休みはたいてい魚釣りかランニング。

「雨の日は?」と聞くと、「パチンコ屋で一日過ごす」と。「静かに考えることはあるの?」と聞く
と、「何、それ?」と。そういう人生からは、何も生まれない。

 一方、80歳を過ぎても、乳幼児の医療費の無料化運動をすすめている女性がいる。「あな
たをそこまで動かしているものは何ですか」と聞くと、その女性は恥ずかしそうに笑いながら、こ
う言った。「ずっと、保育士をしていましたから。乳幼児を守るのは、私の役目です」と。そういう
女性は美しい。輝いている。

 前向きに挑戦するということは、いつも新しい分野を開拓するということ。同じことを同じよう
に繰り返し、心のどこかでマンネリを感じたら、そのときは自分を変えるとき。あのマーク・トー
ウェン(「トム・ソーヤ」の著者、1835〜1910)も、こう書いている。「人と同じことをしていると
感じたら、自分が変わるとき」と。

 ここまでの話なら、ひょっとしたら、今では常識のようなもの。そこでここではもう一歩、話を進
める。

●どうすればよいのか

 ここで「前向きに挑戦していく」と書いた。問題は、何に向かって挑戦していくか、だ。私は「無
我夢中で」と書いたが、大切なのは、その中味。

私もある時期、無我夢中で、お金儲けに没頭したときがある。しかしそういう時代というのは、
今、思い返しても、何も残っていない。私はたしかに新しい分野に挑戦しながら、朝から夜ま
で、仕事をした。しかし何も残っていない。

 それとは対照的に、私は学生時代、奨学金を得て、オーストラリアへ渡った。あの人口300
万人のメルボルン市ですら、日本人の留学生は私一人だけという時代だった。そんなある日、
だれにだったかは忘れたが、私はこんな手紙を書いたことがある。

「ここでの一日は、金沢で学生だったときの一年のように長く感ずる」と。決してオーバーなこと
を書いたのではない。私は本当にそう感じたから、そう書いた。そういう時期というのは、今、
振り返っても、私にとっては、たいへん密度の濃い時代だったということになる。

 となると、密度の濃さを決めるのは、何かということになる。これについては、私はまだ結論
出せないが、あくまでもひとつの仮説として、こんなことを考えてみた。

(1)懸命に、目標に向かって生きる。無我夢中で没頭する。これは必要条件。
(2)いかに自分らしく生きるかということ。自分をしっかりとつかみながら生きる。
(3)「考える」こと。自分を離れたところに、価値を見出しても意味がない。自分の中に、広い世
界を求め、自分の中の未開拓の分野に挑戦していく。

 とくに(3)の部分が重要。派手な活動や、パフォーマンスをするからといって、密度が濃いと
いうことにはならない。密度の濃い、薄いはあくまでも「心の中」という内面世界の問題。他人が
認めるとか、認めないとかいうことは、関係ない。認められないからといって、落胆することもな
いし、認められたからといって、ヌカ喜びをしてはいけない。あくまでも「私は私」。そういう生き
方を前向きに貫くことこそ、自分の人生を濃くすることになる。

 ここに書いたように、これはまだ仮説。この問題はテーマとして心の中に残し、これから先、
ゆっくりと考え、自分なりの結論を出してみたい。
(02−10−5)

(追記)

 もしあなたが今の人生の密度を、2倍にすれば、あなたはほかの人より、2倍の人生を生き
ることができる。10倍にすれば、10倍の人生を生きることができる。仮にあと1年の人生と宣
告されても、その密度を100倍にすれば、ほかのひとの100年分を生きることができる。

極端な例だが、論語の中にも、こんな言葉がある。『朝(あした)に道を聞かば、夕べに死すと
も可なり』と。朝に、人生の真髄を把握したならば、その日の夕方に死んでも、悔いはないとい
うこと。私がここに書いた、「人生の密度」という言葉には、そういう意味も含まれる。

+++++++++++++++++ 

●密度の濃い人生(2)

 私の家の近くに、小さな空き地があって、そこは近くの老人たちの、かっこうの集会場になっ
ている。風のないうららかな日には、どこからやってくるのかは知らないが、いつも七〜八人の
老人がいる。

 が、こうした老人を観察してみると、おもしろいことに気づく。その空き地の一角には、小さな
畑があるが、その畑の世話や、ゴミを集めたりしているのは、女性たちのみ。男性たちはいつ
も、イスに座って、何やら話し込んでいるだけ。

私はいつもその前を通って仕事に行くが、いまだかって、男性たちが何かの仕事をしている姿
をみかけたことがない。悪しき文化的性差(ジェンダー)が、こんなところにも生きている!

 その老人たちを見ると、つまりはそれは私の近未来の姿でもあるわけだが、「のどかだな」と
思う部分と、「これでいいのかな」と思う部分が、複雑に交錯する。「のどかだな」と思う部分は、
「私もそうしていたい」と思う部分だ。しかし「これでいいのかな」と思う部分は、「私は老人にな
っても、ああはなりたくない」と思う部分だ。私はこう考える。

 人生の密度ということを考えるなら、毎日、のんびりと、同じことを繰り返しているだけなら、そ
れは「薄い人生」ということになる。言葉は悪いが、ただ死を待つだけの人生。そういう人生だ
ったら、10年生きても、20年生きても、へたをすれば、たった1日を生きたくらいの価値にしか
ならない。

しかし「濃い人生」を送れば、1日を、ほかの人の何倍も長く生きることができる。仮に密度を1
0倍にすれば、たった1年を、10年分にして生きることができる。人生の長さというのは、「時
間の長さ」では決まらない。

 そういう視点で、あの老人たちのことを考えると、あの老人たちは、何と自分の時間をムダに
していることか、ということになる。

私は今、満55歳になるところだが、そんな私でも、つまらないことで時間をムダにしたりする
と、「しまった!」と思うことがある。いわんや、70歳や80歳の老人たちをや! 私にはまだ知
りたいことが山のようにある。いや、本当のところ、その「山」があるのかないのかということも
わからない。が、あるらしいということだけはわかる。

いつも一つの山を越えると、その向こうにまた別の山があった。今もある。だからこれからもそ
れが繰り返されるだろう。で、死ぬまでにゴールへたどりつけるという自信はないが、できるだ
け先へ進んでみたい。そのために私に残された時間は、あまりにも少ない。

 そう、今、私にとって一番こわいのは、自分の頭がボケること。頭がボケたら、自分で考えら
れなくなる。無責任な人は、ボケれば、気が楽になってよいと言うが、私はそうは思わない。ボ
ケるということは、思想的には「死」を意味する。そうなればなったで、私はもう真理に近づくこと
はできない。つまり私の人生は、そこで終わる。

 実際、自分が老人になってみないとわからないが、今の私は、こう思う。あくまでも今の私が
こう思うだけだが、つまり「私は年をとっても、最後の最後まで、今の道を歩みつづけたい。だ
から空き地に集まって、一日を何かをするでもなし、しないでもなしというふうにして過ごす人生
だけは、絶対に、送りたくない」と。
(02−10−5)

+++++著作権BYはやし浩司++++++copy right by Hiroshi Hayashi+++++
++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


●子どもの中の「私」

++++++++++++++++++

母親というには、子どもの中に、自分のいやな面を
見たりすると、はげしく、子どもを叱るもの。

子どもは、母親の心を、そっくりそのまま受けついで
いるだけなのだが……。

たとえばいつも、「グズグズしないで!」と言って、
子どもを叱っていた、母親がいた。

その母親自身は、シャキシャキした人だったが、
本当は、グズグズした人だったかもしれない。

そういう自分がいやで、その母親は、シャキシャキした
人を演じていただけかもしれない。

だから、自分の子どもがグズグズしたりすると、
子どもをはげしく叱ったりした。

++++++++++++++++++

それについて書いたのがつぎの原稿ですが、
どうもうまくまとめることができませんでした。

いつか改めて、書きなおしてみたいと思います。
今日は、このままで、失礼します。

まとまりがなく、読みづらいかもしれませんが、
どうか、お許しください。

++++++++++++++++++

乳幼児期の子どもにとっては、母親がすべて。が、それだけではない。子どもは、この時期、母
親の心まで、自分の心にする。ものの考え方、習慣、感じ方はもちろんのこと、「心」そのもの
までも、だ。

 そんなわけで、母親自身が、自分の子どもの中に、自分の姿を見ることがある。意識して、そ
れを感ずることもあるが、そうでないときのほうが、多い。無意識の知覚と言ってもよい。この
無意識の知覚が、母親を狂わすことがある。

 母親は、無意識であるにせよ、子どもの中に、自分のよい面を発見したときは、それを喜
ぶ。「この子は、私に似て、おもしろい子ね」と。しかし子どもの中に、自分のいやな面を発見し
たときは、そうではない。子どもをはげしく叱る。

 自己嫌悪(けんお)という言葉がある。この自己嫌悪が肥大化すると、最終的には、自己否
定にまで進んでしまう。それを避けるため、母親は、子どもに攻撃的な態度で出ることがある。
具体的には、子どもをはげしく叱る。

「どうして、あなたは、こんなことができないの!」「どうして、あなたは、こんなことをするの!」
と。

 母親は、本当は自分の中のいやな面を叱っているのだが、それに気づいていない。気づいて
いないまま、子どもを叱る。

 わかりやすい例で考えてみよう。

 こんな相談をもらったことがある。このケースでは、母親は、自分のいやな面を、意識してい
た。

 「私は優柔不断な人間でした。いやなときも、いやとはっきりと言うことができませんでした。
今の夫と結婚するときも、そうでした。私は、流れに乗せられるまま、何となくという感じで、い
やいや結婚しました。

 そういう自分を、心のどこかで嫌っていたのだと思います。今の結婚生活には不満はありま
せんが、しかし心の中には、ポッカリと穴があいたままでした。

 で、私の10歳になる娘が、そういういやな面を見せるたびに、私は、必要以上に、娘をはげ
しく叱ってしまいます。グズグズしたり、はっきりとものを言わないときは、とくにそうです。その
場になると、つい、カーッとしてしまいます」と。

 母親教室で子育て相談を受けていたときに、聞いた話である。その10歳になる娘は、優柔
不断な子どもではない。母親のマネをしていただけである。

 こんな例もある。これは母親と子の間で起きた問題ではないが、同じように考えてよい。

 ある女性には、やや知恵遅れの妹がいた。3歳年下の妹だった。その女性は、その妹のこと
を、「恥ずかしいと思っていた」(母親の言葉)。

 ある日のこと。その女性は、母親に、妹を、めがねを買いにつれて行くよう頼まれた。その女
性は、しぶしぶながら、その妹をバスに乗せ、町にある、めがね屋に向かった。が、偶然にも、
そのバスに、学校の友人が何人か乗りこんできた。

 その女性は、妹とは席を離れた。が、それを見て、妹が、「お姉ちゃん」と言って、その女性の
あとを追いかけた。そのとき、その女性は、中学生だったという。

「私は、バスから飛び降りたいほど、恥ずかしかった」と言った。

 が、それから10数年。気がついてみると、その女性は、小学校の教員になっていた。私につ
ぎの話をしてくれたのは、そのころのことだった。

 「実は、私は、LD(学習障害児)の子どもを教えるのが苦手です。ふだんは、そんなに短気で
はないのですが、そういう子どもを相手にすると、『どうしてこんなことがわからないの!』と、つ
い、語気が荒くなってしまいます。

 理由が長い間、わかりませんでしたが、先生(私)の話を聞いて、はじめて、それがわかりま
した。そういう子どもを見ると、心のどこかで、自分の妹をダブらせてしまうのですね。実は、今
でも、私は、妹が大嫌いです。うらんでいます。結婚式のときも、妹さえ来なければと、心の中
で、どれだけ願ったかしれません」と。

 これらの例は、本人自身が、自分に気がついているケースである。だからまだ対処しやす
い。しかし意識していないばあいも、ある。ほとんどが、そうであるといっても、過言ではない。

 そこでたとえば、

(1)いつも、同じパターンで、子どもを叱ったり、嫌ったりする。
(2)いつも、同じパターンで、理由もなく早とちりして、子どもを叱ったりする。
(3)いつも子どもを叱るとき、言いようのないむなしさを覚える。

 ……というようなことがあれば、あなたの心の中に潜む、(こだわり)をさぐってみるとよい。何
か、あるはずである。

 あなたは、子どものいやな面を、嫌ったり、叱ったりしているのではない。実は、あなた自身
のいやな面を、子どもの中に見て、それを嫌ったり、叱ったりしている。

 こう考えていくと、「私」という存在は、本当に、やっかいな存在ということになる。私の中に
は、(私であって私である)部分というのは、ほとんど、ない。そのほとんどが、(私であって、私
でない部分)ということになる。

 私たちは、その(私であって私でない部分)に、いつも操(あやつら)られてしまう。

 いつか私は、「私」というのは、私たちの中にあって、ウリの白い種のように小さなものかもし
れないと書いたが、「これが私」と言える部分は、それくらい小さいものかもしれない。もっと言
えば、みな、(私であって私でないもの)を、「私」と信じこんでいるだけ。

 それがわからなければ、庭に遊ぶ、スズメたちを見ればよい。北海道に住むスズメも、沖縄
に住むスズメも、スズメはスズメ。まったく別々の行動をしながら、「スズメである」という範囲
を、超えることができない。

 言いかえると、人間も、「人間である」という範囲を超えることができない。そのひとつとして、
ここで、母親と子の関係について、書いてみた。私やあなたの中の、何割という部分は、実は、
あなた自身というよりは、あなたの親から受けついだものということ。

 それがまちがっているとか、おかしいとか、言っているのではない。それがあるからこそ、私
やあなたは、今、こうして子育てをすることができる。そしてそれが、うまく機能しているときに
は、問題は、ない。

 問題が起きるのは、ここにも書いたように、母親から子へと、本来なら、伝えてはいけないも
のまでが、伝わってしまったばあいである。

 それを知るのも、子育てをじょうずにするコツということになる。

【自己否定】

 自己嫌悪が極端なまでに肥大化すると、やがて、その人は、自分の存在すら否定するように
なる。最悪のケースとしては、自殺がある。

 その前の段階として、やる気をなくしたり、反対に粗放化したりする。何もかもいやになる。生
きていることさえ、いやになる。……そういった状態になる。死にたいから死ぬのではない。生
きることにまつわる苦しみから逃れるために、子どもは、(おとなも)、死を選ぶ。

 子どもに自己嫌悪的な様子が見られたら、要注意。たとえば「私は、ダメな人間だ」「つまらな
い人間だ」「生きていてもしかたない」「何も、おもしろくない」とか、言い出したら、注意する。

 さらに進むと、子どもは無力感、虚脱感に襲われるようになり、独特のなげやりな態度、緩慢
動作(妙にノロノロするなど)を見せるようになる。無責任で無目的な行動、無感動、無反応、
思考力の停止などが見られることもある。X君(中2)のばあいは、親や教師が何を話しかけて
も、ニタニタするようになった。(ニタニタというのは、心の状態が、変調したときに子どもがよく
見せる表情である。)

こうした様子が見られるようになったら、心を休ませることを、何よりも大切にする。ばあいによ
っては、勉強そのものも、あきらめたほうがよいということもある。

 子どもが見せる自己嫌悪を大げさに考える必要もないが、(というのも、思春期の子どもは、
よく自己嫌悪におちいるので……)、しかし軽くみるのも、よくない。


+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++


●自己否定

 ある母親から、こんなメールが届いた。「中学二年生になる娘が、いつも自分をいやだとか、
嫌いだとか言います。母親として、どう接したらよいでしょうか」と。神奈川県に住む、Dさんから
のものだった。

 自我意識の否定を、自己否定という。自己矛盾、劣等感、自己嫌悪、自信喪失、挫折感、絶
望感、不安心理など。そういうものが、複雑にからみ、総合されて、自己否定につながる。青春
期には、よく見られる現象である。

 しかしこういった現象が、一過性のものであり、また現れては消えるというような、反復性があ
るものであれば、(それはだれにでもある現象という意味で)、それほど、心配しなくてもよい。

が、その程度を超えて、心身症もしくは気うつ症としての症状を見せるときは、かなり警戒した
ほうがよい。はげしい自己嫌悪が自己否定につながるケースも、ないとは言えない。さらにそ
の状態に、虚脱感、空疎感、無力感が加わると、自殺ということにもなりかねない。とくに、それ
が原因で、子どもがうつ状態になったら、「うつ症」に応じた対処をする。

 一般には、自己嫌悪におちいると、人は、その状態から抜けでようと、さまざまな心理的葛藤
を繰りかえすようになる。ふつうは(「ふつう」という言い方は適切ではないかもしれないが…
…)、自己鍛錬や努力によって、そういう自分を克服しようとする。これを心理学では、「昇華」
という。つまりは自分を高め、その結果として、不愉快な状態を克服しようとする。

 が、それもままならないことがある。そういうとき子どもは、ものごとから逃避的になったり、あ
るいは回避したり、さらには、自分自身を別の世界に隔離したりするようになる。そして結果と
して、自分にとって居心地のよい世界を、自らつくろうとする。よくあるのは、暴力的、攻撃的に
なること。自分の周囲に、物理的に優位な立場をつくるケース。たとえば暴走族の集団非行な
どがある。

 だからたとえば暴走行為を繰りかえす子どもに向かって、「みんなの迷惑になる」「嫌われる」
などと説得しても、意味がない。彼らにしてみれば、「嫌われること」が、自分自身を守るため
の、ステータスになっている。また嫌われることから生まれる不快感など、自己嫌悪(否定)か
ら受ける苦痛とくらべれば、何でもない。

 問題は、自己嫌悪におちいった子どもに、どう対処するかだが、それは程度による。「私は自
分がいや」と、軽口程度に言うケースもあれば、落ちこみがひどく、うつ病的になるケースもあ
る。印象に残っている中学生に、Bさん(中三女子)がいた。

 Bさんは、もともとがんばり屋の子どもだった。それで夏休みに入るころから、一日、五、六時
間の勉強をするようになった。が、ここで家庭問題。父親に愛人がいたのがわかり、別居、離
婚の騒動になってしまった。

Bさんは、進学塾の夏期講習に通ったが、これも裏目に出てしまった。それまで自分がつくって
きた学習リズムが、大きく乱れてしまった。が、何とか、Bさんは、それなりに勉強したが、結果
は、よくなかった。夏休み明けの模擬テストでは、それまでのテストの中でも、最悪の結果とな
ってしまった。

 Bさんに無気力症状が現れたのは、その直後からだった。話しかければそのときは、柔和な
表情をしてみせたが、まったくの上の空。教室にきても、ただぼんやりと空をみつめているだ
け。あとはため息ばかり。

このタイプの子どもには、「がんばれ」式の励ましや、「こんなことでは○○高校に入れない」式
の、脅しは禁物。それは常識だが、Bさんの母親には、その常識がなかった。くる日もくる日
も、Bさんを、あれこれ責めた。そしてそれがますますBさんを、絶壁へと追いこんだ。

 やがて冬がくるころになると、Bさんは、何も言わなくなってしまった。それまでは、「私は、ダ
メだ」とか、「勉強がおもしろくない」とか言っていたが、それも口にしなくなってしまった。「高校
へ入って、何かしたいことがないのか。高校では、自分のしたいことをしればいい」と、私が言
っても、「何もない」「何もしたくない」と。そしてそのころ、両親は、離婚した。

 このBさんのケースでは、自己嫌悪は、気うつ症による症状の一つということになる。言いか
えると、自己嫌悪にはじまる、自己矛盾、劣等感、自己否定、自信喪失、挫折感、絶望感、不
安心理などの一連の心理状態は、気うつ症の初期症状、もしくは気うつ症による症状そのもの
ということになる。あるいは、気うつ症に準じて考える。

 軽いばあいなら、休息と息抜き。家庭の中で、だれにも干渉されない時間と場所を用意す
る。しかし重いばあいなら、それなりの覚悟をする。「覚悟」というのは、安易になおそうと考え
ないことをいう。

心の問題は、外から見えないだけに、親は安易に考える傾向がある。が、そんな簡単な問題
ではない。症状も、一進一退を繰りかえしながら、一年単位の時間的スパンで、推移する。ふ
つうは(これも適切ではないかもしれないが……)、こうした心の問題については、

(1)今の状態を、今より悪くしないことだけを考えて対処する。
(2)今の状態が最悪ではなく、さらに二番底、三番底があることを警戒する。そしてここにも書
いたように、
(3)一年単位で様子をみる。「去年の今ごろと比べて……」というような考え方をするとよい。つ
まりそのときどきの症状に応じて、親は一喜一憂してはいけない。

 また自己嫌悪のはげしい子どもは、自我の発達が未熟な分だけ、依存性が強いとみる。満
たされない自己意識が、自分を嫌悪するという方向に向けられる。たとえば鉄棒にせよ、みな
はスイスイとできるのに、自分は、いくら練習してもできないというようなときである。本来なら、
さらに練習を重ねて、失敗を克服するが、そこへ身体的限界、精神的限界が加わり、それも思
うようにできない。さらにみなに、笑われた。バカにされたという「嫌子(けんし)」(自分をマイナ
ス方向にひっぱる要素)が、その子どもをして、自己嫌悪におとしいれる。

 以上のように自己嫌悪の中身は、複雑で、またその程度によっても、対処法は決して一様で
はない。原因をさぐりながら、その原因に応じた対処法をする。

一般論からすれば、「子どもを前向きにほめる(プラスのストロークをかける)」という方法が好
ましいが、中学二年生という年齢は、第二反抗期に入っていて、かつ自己意識が完成する時
期でもある。見えすいた励ましなどは、かえって逆効果となりやすい。たとえば学習面でつまず
いている子どもに向かって、「勉強なんて大切ではないよ。好きなことをすればいいのよ」と言っ
ても、本人はそれに納得しない。

 こうしたケースで、親がせいぜいできることと言えば、子どもに、絶対的な安心を得られる家
庭環境を用意することでしかない。そして何があっても、あとは、「許して忘れる」。その度量の
深さの追求でしかない。

こういうタイプの子どもには、一芸論(何か得意な一芸をもたせる)、環境の変化(思い切って
転校を考える)などが有効である。で、これは最悪のケースで、めったにないことだが、はげし
い自己嫌悪から、自暴自棄的な行動を繰りかえすようになり、「死」を口にするようになったら、
かなり警戒したほうがよい。とくに身辺や近辺で、自殺者が出たようなときには、警戒する。

 しかし本当の原因は、母親自身の育児姿勢にあったとみる。母親が、子どもが乳幼児のこ
ろ、どこかで心配先行型、不安先行型の子育てをし、子どもに対して押しつけがましく接したこ
となど。否定的な態度、拒否的な態度もあったかもしれない。

子どもの成長を喜ぶというよりは、「こんなことでは!」式のおどしも、日常化していたのかもし
れない。神奈川県のDさんがそうであるとは断言できないが、一方で、そういうことをも考える。
えてしてほとんどの親は、子どもに何か問題があると、自分の問題は棚にあげて、「子どもをな
おそう」とする。しかしこういう姿勢がつづく限り、子どもは、心を開かない。親がいくらプラスの
ストロークをかけても、それがムダになってしまう。

 ずいぶんときびしいことを書いたが、一つの参考意見として、考えてみてほしい。なお、繰り
かえすが、全体としては、自己嫌悪は、多かれ少なかれ、思春期のこの時期の子どもに、広く
見られる症状であって、決して珍しいものではない。ひょっとしたらあなた自身も、どこかで経験
しているはずである。もしどうしても子どもの心がつかめなかったら、子どもには、こう言ってみ
るとよい。

「実はね、お母さんも、あなたの年齢のときにね……」と。

こうした、やさしい語りかけ(自己開示)が、子どもの心を開く。
 
++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●好子(こうし)と嫌子(けんし)

 何か新しいことをしてみる。そのとき、その新しいことが、自分にとってつごうのよいことや、
気分のよいものであったりすると、人は、そのつぎにも、同じようなことを繰りかえすようにな
る。こうして人間は、自らを進化させる。その進化させる要素を、「好子(こうし)」という。

 反対に、何か新しいことをしてみる。そのとき、その新しいことが、自分にとってつごうの悪い
ことや、気分の悪いものであったりすると、人は、そのつぎのとき、同じようなことをするのを避
けようとする。こうして人間は、自らを進化させる。その進化させる要素を、「嫌子(けんし)」とい
う。

 もともと好子にせよ、嫌子にせよ、こういった言葉は、進化論を説明するために使われた。た
とえば人間は太古の昔には、四足歩行をしていた。が、ある日、何らかのきっかけで、二足歩
行をするようになった。そのとき、人間を二足歩行にしたのは、そこに何らかの好子があった
からである。

たとえば(多分)、二足に歩行にすると、高いところにある食べ物が、とりやすかったとか、走る
のに、便利だったとか、など。あるいはもっとほかの理由があったのかもしれない。

 これは人間というより、人類全体についての話だが、個人についても、同じことが言える。私
たちの日常生活の中には、この好子と嫌子が、無数に存在し、それらが複雑にからみあって
いる。子どもの世界とて、例外ではない。が、問題は、その中身である。

 たとえば喫煙を考えてみよう。たいていの子どもは、最初は、軽い好奇心で、喫煙を始める。
この日本では、喫煙は、おとなのシンボルと考える子どもは多い。(そういうまちがった、かっこ
よさを印象づけた、JTの責任は重い!)が、そのうち、喫煙が、どこか気持ちのよいものであ
ることを知る。そしてそのまま喫煙が、習慣化する。

 このとき喫煙は、好子なのか。それとも嫌子なのか。たとえば出産予定がある若い女性がい
る。そういう女性が喫煙しているとするなら、その女性は、本物のバカである。大バカという言
葉を使っても、さしつかえない。昔、日本を代表する京都大学のN教授が、私に、こっそりとこう
教えてくれた。「奇形出産の原因の多くに、喫煙がからんでいることには、疑いようがない」と。

 体が気持ちよく感ずるなら、好子ということになる。しかし遺伝子や胎児に影響を与えること
を考えるなら、嫌子ということになる。……と、今まで、私はそう考えてきたが、この考え方はま
ちがっている。

 そもそも好子にせよ、嫌子にせよ、それは「心」の問題であって、「モノに対する反応」の問題
ではない。この二つの言葉は、よく心理学の本などに出てくるが、どうもすっきりしない。そのす
っきりしない理由が、実は、この混同にあるのではないか?

 たとえば人に親切にしてみよう。仲よくしたり、やさしくするのもよい。すると、心の中がポーツ
と暖かくなるのがわかる。実は、これが好子である。

 反対に、人に意地悪をしてみよう。ウソをついたり、ごまかしたりするのもよい。すると、心の
中が、どこか重くなり、憂うつになる。これが嫌子である。
 
 こうして人間は、体型や体の機能ばかりではなく、心も進化させてきた。そのことは、昔、オー
ストラリアのアボリジニーの生活をかいま見たとき知った。彼らの生活は、まさに平和と友愛に
あふれていた。つまりそういう「心」があるから、彼らは何万年もの間、あの過酷な大地の中で
生き延びることができた。

 言いかえると、現代人の生活が、どこか邪悪になっているのは、それは人間がもつ本来の姿
というよりは、欲得の追求という文明生活がもたらした結果ともいえる。そのことは、子どもの
世界を総じてみればわかる。

 私は今でも、数は少ないが、年中児から高校三年生まで、教えている。そういう流れの中で
みると、子どもたちが小学三、四年生くらいまでは、和気あいあいとした人間関係を結ぶことが
できる。

しかしこの時期を境に、先生との関係だけではなく、友だちどうしの人間関係は、急速に悪化
する。ちょうどこの時期は、親たちが子どもの受験勉強に関心をもち、私の教室を去っていく年
齢でもある。子どもどうしの世界ですら、どこかトゲトゲしく、殺伐としたものになる。

 ひょっとしたら、親自身もそういう世界を経験しているためか、子どもがそのように変化しても
気づかないし、またそうあるべきと考えている親も少なくない。一方で、「友だちと仲よくしなさい
よ」と教えながら、「勉強していい中学校に入りなさい」と教える。親自身が、その矛盾に気づい
ていない。

 結果、この日本がどうなったか? 平和でのどかで、心暖かい国になったか。実はそうではな
く、みながみな、毎日、何かに追いたてられるように生きている。立ち止まって、休むことすら許
されない。さらにこの日本には、コースのようなものがあって、このコースからはずれたら、あと
は負け犬。親たちもそれを知っているから、自分の子どもが、そのコースからはずれないよう
にするだけで精一杯。

が、そうした意識が、一方で、またそのコースを補強してしまうことになる。恐らく世界広しとい
えども、日本ほど、弱者に冷たい国はないのではないか。それもそのはず。受験勉強をバリバ
リやりこなし、無数の他人を蹴落としてきたような人でないと、この日本では、リーダーになれな
い?

 ……と、また大きく話が脱線してしまったが、私たちの心も、この好子と嫌子によって、進化し
てきた。だからこそ、この地球上で、何十万年もの間、生き延びることができた。そしてその片
鱗(へんりん)は、今も、私たちの心の中に残っている。

 ためしに、今日一日だけ、自分にすなおに、他人に正直に、そして誠実に生きてみよう。他人
に親切に、やさしく、家族を暖かく包んでみよう。そしてそのあと、たとえば眠る前に、あなたの
心がどんなふうに変化しているか、静かに観察してみよう。それが「好子」である。

その好子を大切にすれば、人間は、これから先、いつまでも、みな、仲よく生きられる。
(はやし浩司 好子 嫌子 自己嫌悪 自己否定)


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【おごれる心】

●昇竜しだれ梅

浜松市の北部に、I町がある。そのI町のある、民家の農地に、「昇竜しだれ梅」が、咲いている
という。ワイフは、それを見たいと言った。

私「降竜しだれチンというのだったら、いつでも見せてあげるよ」
ワイフ「そういうのは、見たくないわ」
私「バイアグラを、半分だけ飲めば、昇竜しだれチンになるかもよ」
ワイフ「よけいに見たくないわ」と。

 このところ、こういう話題が多くなった。それをさして、ワイフが、「あなたの会話、このところ、
品が落ちてきたわね」と。

 そう言われては、(はやし浩司)の名前が泣く。すかさず「慢」の話をする。

●北伝仏教

 この話をする前に、書いておきたいことがある。

 私たちが今、仏教と称するものは、インドから、ガンダーラ(今のアフガニスタン)を経由して、
ヒマラヤ山脈の北部をとおって、中国へ入ってきたものをいう。「北伝仏教」とも言われる。その
間で、つまり日本まで伝わってくる間で、仏教は、無数の加工がほどこされてしまった。

 たとえば観音様が、インドでは男性だった観音様が、日本では女性に変身したり、日本の仏
像が、古代インドの衣服ではなく、ヘレニズム文化の影響を強く受けた、古代ギリシャの衣服を
着ているなど。日本でも、仏教最大の行事になっている、「盆」にしても、もともとはアフガニスタ
ン(ガンダーラ地方)の「ウラ・バン」から来ている。それが中国で、「盂蘭盆」となり、日本へ入
った。

 またほとんどの経典は、釈迦滅後、500〜800年を経てから、書き表されたものだという。
たとえば経典の中にも、よく、貨幣の話が出てくるが、釈迦の時代にはまだ貨幣はなかったと
いうのが定説である。

 だからこれから書く、「慢」にしても、こうした教条的な表現そのものが、どこか中国語的。本
当に釈迦がそう言ったかどかということは、疑わしい。

●慢心

 で、それはさておき、仏教の『倶舎論(ぐしゃろん)』では、「慢」を、つぎの7つに分類してい
る。

(1)慢
(2)過慢
(3)慢過慢
(4)我慢
(5)増上慢
(6)卑下慢
(7)邪慢、と。

 「慢」は、「慢心」の「慢」。つまりうぬぼれのこと。人間のうぬぼれ方にも、いろいろあるという
こと。

 たとえば「私は、あいつよりすぐれている」と思うのが、「慢」ということになるが、自分より劣っ
ている人に対して、おごり高ぶることを、「慢」、同等のものに対して、おごり高ぶることを、「過
慢」、自分よりすぐれている人に対して、おごり高ぶることを、「慢過慢」という。

 わかりにくいのが、「我慢」。

 「我慢」というのは、自分だけが絶対と思い、自分だけが絶対正しいと思うことをいう。日本語
でいう「我慢」というときは、「忍耐力」を意味する。「我慢しなさい」というときは、「耐えなさい」と
意味になる。

 ちなみに「広辞苑」では、つぎのようになっている。

 「自分を偉く思い、他を軽んじること。我慢強し…忍耐力が強い。我慢者…我意をはる人」と。

 さらに仏教的な悟りの境地にも達していないのに、悟りを開いたかのようにして、おごり高ぶ
ることを、「増上慢」、すぐれた人に対して、ほんの少しだけ卑下してみせることを、「卑下慢」、
まちがった徳を、あたかも正しい徳であるかのように思いこみ、その徳をもって、おごり高ぶる
ことを、「邪慢」という。

 こうした教条的な分類法は、東洋医学(漢方)の世界でも、よく見られる。どこか言葉の遊び
のようにも思える。だからこの話は、釈迦が説いたというよりは、後の中国の学者たちが、つけ
加えたものと考えてよい。

 が、だからとって、意味がないとか、まちがっているというのではない。「慢心」こそ、私たち
が、もっとも避けなければならない感情のひとつである。それは正しい。

私たちは、何ごとについても、おごり高ぶったとたん、がけからころげ落ちるように、自分の姿
を見失ってしまう。

●慢心

 ところでこの『倶舎論』には、致命的な欠陥がある。「自分よりすぐれた人」「自分より劣ってい
る人」という、考え方が、それである。人間にすぐれた人も、そうでない人もいない。「すぐれた
人とは、どういう人を言うのか。法学的に定義づけろ」といわれたら、困ってしまう。

 あえて言うなら、より賢い人を、よりすぐれた人ということになる。そして賢い人と愚かな人が
いるとするなら、それを分けるカベは、その謙虚さにある。

つねにものごと謙虚に考える人のことを、賢い人という。しかし愚かな人には、それがわからな
い。昔から「利口な人からは、バカな人がわかるが、バカな人からは、利口な人がわからない」
という。

 賢い人からは、愚かな人がよくわかる。しかし愚かな人からは、賢い人がわからない。

 が、ここでも、また別の問題にぶつかる。賢い人、愚かな人といっても、それは、どこまでも相
対的な評価でしかない。上には上がいる。下には下がいる。それに分野がちがえば、さらにそ
の評価は、分かれる。しかし人間には、すぐれた人もいなければ、そうでない人もいない。

 恐らく仏教では、「悟りを開いた人」を、すぐれた人というのだろうが、この日本だけでも、「私
は悟った」と豪語している人は、ゴマンといる。大は巨大な宗教団体の長から、はては、田舎の
僧侶まで。しかしそういう人ほど、どこかおかしいのも、事実。常識はずれで、変人の人が多
い。そんな感じがする。

●悟りの境地など、ない

 人間そのものが、未完成な生物であるという前提に立つなら、「悟りの境地」という境地など、
ありえないことがわかる。「悟り」というのは、究極の精神状態をいう。しかしいくら「究極」といっ
ても、人間であるという範囲を超えることはできない。サルはどこまでいっても、サル。鳥はどこ
までいっても、鳥。人間も、どこまでいっても、人間。その限界を、人間は、超えることはできな
い。

 仮に悟りの境地に達したとしても、その時点で、人間のもつ精神状態が完成するわけではな
い。そこには、さらに先がある。

 それはたとえていうなら健康法に似ている。いくら究極の健康法を手にしたとしても、その人
の健康がそこで完成されるわけではない。その翌日からでも、だらしない生活をすれば、その
時点から、急速に、健康は、崩れ始める。

 それに加えて、老齢化の問題もある。肉体も衰えるが、知力も衰える。脳みその活動も、衰
える。

 歳のとり方をまちがえると、どんどんバカになっていくことさえ、ありえる。老人イコール、人格
者などという考え方は、幻想以外の、何ものでもない。

 さて話をもとにもどす。

●倶舎論(ぐしゃろん)

 こうした論法は、無知(?)、無学(?)な、信者を、僧侶の前に、ひれ伏させるには、まことに
もって、つごうのよい論法ということになる。もっとわかりやすく言えば、宗教的優越感をもって
いる人には、便利な論法ということになる。

 たとえばどこか生意気な信者(小僧や若僧でもよい)をつかまえて、「何を、増上慢なことをぬ
かすか!」と一喝すれば、それで相手をだまらすことができる。どこか権威主義的? どこか封
建主義的? たとえば僧侶の世界には、「縁無き衆生(しゅじょう)」という言葉がある。これは
仏法に縁のない、取るに足りない、あわれな連中という意味である。僧侶たちが、凡夫(一般
庶民)との間に、一線を引くときに、よくこの言葉を使う。

 そこで本当に、釈迦が、こんなことを説いたのだろうかというところまで、また舞いもどってし
まう。こうした分類をしたその背景に、その分類をした人の鼻もちならない傲慢さを、私は感じ
てしまう。言外で、「素人は口を出すな!」と言われているような気分になる。

 つまり私の印象では、この倶舎論は、後の中国の学者たちによる作文ではないかと思う。結
論は、そこへたどりつく。

 生意気、おおいに結構。増上慢、おおいに結構。幼児教育の世界では、子どもたちが、生意
気なのは、当たり前。いちいちそんなことを気にしていたら、教育そのものが成りたたない。む
しろ、この時期、生意気にさせながら、子どもを前に伸ばすという手法をよく使う。おとなの優位
性を押しつけ、子どもの伸びる芽をたたいていはいけない。

 相手が自分より劣っていると思ったら、それをのんでしまえばよい。その「のむ」という姿勢の
中に、その人の優越性がある。それこそがまさに、賢者のあるべき姿ということになる。幼児教
育について言えば、どうせ相手は、子どもなのである。

私「どうだ、品が落ちたか?」
ワイフ「あなたは、簡単なことを、むずかしく言っているだけよ」
私「負け惜しみか?」
ワイフ「あなたこそ、私に、おごり高ぶっているわよ」
私「そうかもしれないね」と。

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以前、こんな原稿を書きました。

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●臥薪嘗胆(がしんしょうたん)

 「臥薪嘗胆」というよく知られた言葉がある。

この言葉は「父のカタキを忘れないために、呉王の子の夫差(ふさ)が薪(まき)の上に寝、一
方、それで敗れた越王の勾践(こうせん)が、やはりその悔しさを忘れないために熊のキモをな
めた」という故事から生まれた。

「目的を遂げるために長期にわたって苦労を重ねること」という意味に、広く使われている。し
かし私はこの言葉を別の意味に使っている。

 私は若いころからずっと、下積みの生活をしてきた。自分では下積みとは思っていなくても、
世間は私をそういう目で見ていた。私の教育論は、そういう下積みの中から生まれた。

言いかえると、そのときの生活を忘れて、私の教育論はありえない。で、いつも私はそのころ
の自分を基準にして、自分の教育論を組み立てている。つまりいつもそのころを思い出しなが
ら、自分の教育論を書くようにしている。それを思いださせてくれるのが、自転車通勤。

 この自転車という乗り物は、道路では、最下層(?)の乗り物である。たとえ私はそう思ってい
なくても、自動車に乗っている人から見ればジャマモノであり、一方、車と接触すれば、それで
万事休す。「命がけ」というのは大げさだが、しかしそれだけに道路では小さくなっていなけれ
ばならない。

その上、私が通勤しているY街道は、歩道と言っても、道路のスミにかかれた白線の外側。側
溝のフタの上。電柱や標識と民家の塀の間を、スルリスルリと抜けながら走らなければならな
い。

 しかしこれが私の原点である。たとえばどこか大きな会場で講演に行ったりすると、たいてい
はグリーン車を用意してくれ、駅には車が待っていてくれたりする。

VIPに扱ってもらうのは、それなりに楽しいものだが、しかしそんな生活をときどきでもしている
と、いつか自分が自分でなくなってしまう。

が、モノを書く人間にとっては、これほど恐ろしいものはない。私が知っている人の中でも、有
名になり、金持ちになり、それに合わせて傲慢になり、自分を見失ってしまった人はいくらでも
いる。

そういう人たちの見苦しさを私は知っているから、そういう人間だけにはなりたくないといつも思
っている。仮に私がそういう人間になれば、それは私の否定ということになる。もっと言えば、
人生の敗北を認めるようなもの。だからそれだけは何としても避けなければならない。

そういう自分に戻してくれるのが、自転車通勤ということになる。

私は道路のスミを小さくなりながら走ることで、あの下積みの時代の自分を思い出すことがで
きる。つまりそれが私にとっての、「臥薪嘗胆」ということになる。

私はときどきタクシーの運転手たちに、「バカヤロー」と怒鳴られることがある。しかしそのたび
に、「ああ、これが私の原点だ」と思いなおすようにしている。
(はやし浩司 倶舎論 慢心 慢 おごり)

【付記】

 「老人は青年をアホだと思うが、老人も青年をアホだと思う」と書いたのは、チャップマン(「す
べての阿呆」)だが、私は、老人でも、青年でもない。やじろべい(=つり合い人形)で言うなら、
その中心点あたりにいるような気がする。

 「私は青年の目から見てもアホだし、老人の目から見ても、アホだ」と。自分でもそれがよくわ
かっている。

 わかりやすく言えば、青年との間にも、老人との間にも、大きな隔(へだ)たりを感じてしまう。
つまりは、どっちつかず(?)。

 だから「青年がアホ」だとは思わないが、「青年時代の私はアホだった」とは、思う。そして「老
人がアホ」だとは思わないが、「これからの私はアホになるだろうな」とは、思う。


(参考)

 中元や歳暮の贈りものの縁起について、小学館の「国語大辞典」はつぎのように書いてい
る。

もともとは「中元」というのは、「三元の一つ。陰暦七月一五日の称。元来、中国の道教の説に
よる習俗であったが、仏教の盂蘭盆会(うらぼんえ)と混同され、この日、半年生存の無事を祝
うとともに、仏に物を供え、死者の霊の冥幅を祈る。その時期の贈り物(を、中元という)」と。 

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●パソコン

 昨日、新型パソコンの注文を、MCJ社に出した。「BTO」、つまり、「客からの注文(ORDE
R)に応じて、組みたてる(BUILD)」というパソコン。

 PEN4(640)の、3・2GHz搭載で、メモリーは、DDSR2の1024MB! ハードディスク
は、160GBx2基。グラフィックは、Geforce 6600GT! どうだ! 近い将来の64ビットソ
フトにも、対応している。

 17インチのモニターが、ついて、しめて16万5000円(税込み)。春休みは、このパソコンを
相手に、遊べそう。

 ……これからは、パソコンも、こういう購入のし方が、主流になるのでは? パソコンショップ
の店頭に並ぶパソコンは、どれも、美しいが、ムダが多すぎる。そんな感じがする。値段は高
い割に、性能は2ランクほど、落ちる。

 先日、新聞折り込みに入ってきた、チラシの中のパソコンと、くらべてみる。同じ価格帯のパ
ソコンさがしてみた。

 よくて2・4GHz、メモリーは、256MB。ハードディスクは、80GB前後。グラフィックボード
は、なし。私のパソコンとくらべたら、おもちゃみたい! (私のパソコンと同じくらいの性能のも
のを、店頭で買おうとすると、30万円前後になる。)

 それでということもあるまいが、あのSONYの会社の社長が、今度、アメリカ人になった。「な
るほど」と思ってみたり、「これも時代の流れかな」と思ってみたりする。

 ちなみに、今回のパソコン代金は、そのMCJ社の株でもうけた。20万円(1株)だった株が、
数日後には、30万円を超えた。私はあいにくと、あわてて途中で売ってしまったが、うまく売り
ぬけていたら、x百万円のもうけになっていたはず。おしかった!

(なかなかそうは、うまくいかないのが、株だが……。)

 配達されてくるのは、来週。これでHPを、どんどん更新してみる。どうか、お楽しみに!

【付記】

「株の売買」という煩悩(ぼんのう)に毒されているようでは、真理の探究など、夢のまた夢。我
欲にとりつかれている人間には、安穏(あんのん)たる日は、やってこない。『無我は大我』とも
いう。無我になった人間だけが、真の安穏を手に入れることができる、と。

 だからというわけではないが、私にとっての株の売買は、ヒマつぶしの遊びのようなもの。そ
の節度だけは、これからも守りたい。

 ……と思っていたら、昨日ワイフが、どこかで新型のB車(T社)を見てきたらしい。そしてこう
言った。「あなた、株で儲けて、新型のB車を買ってくれない?」と。

 釈迦も、女性は弟子にしなかったという。その気持ち、ヨ〜ク、わかる。あるとき女性が大挙、
仏教教団に弟子入りを申し入れてきたとき、釈迦はこう言ったという。

 「女性がこの教団に加わらなければ、正法(しょぷほう)は、1000年つづくだろう。しかし女性
がこの教団に加わり、尼僧となれば、正法は、500年つづかないだろう」と。

 そう言いながら、釈迦は、女性には、(慳(おし)みの心)、(嫉(ねた)みの心)、(欲情の心)が
あると説いたという。

 この説話なども、どこか中国的(?)。釈迦がそんなこと言うはずはないと思うのだが……。

 まあ、ワイフの申し出ということなら、もう少し、株で儲けてやるか。しかたない。(損するかも
しれないが……。)

+++++著作権BYはやし浩司++++++copy right by Hiroshi Hayashi+++++
++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


最前線の子育て論byはやし浩司(604)

●緊迫する、朝鮮半島

 金XXも、いつまでがんばるつもりなのか?
 食料も燃料もなく、今年はもはや、国家予算すら、立てられない状態。
 アメリカにおどされ、頼みの綱の中国にも、おどされ……。

 残るのは、核実験かミサイルの試射。
 しかしそんなことをすればするほど、世界から、つまはじき!

 自分のことが、わかっていない。まったく、わかっていない。現実検証能力、ゼロ!

 人間、負けを認めるときは、いさぎよく認める。認めて、引きさがる。「ああでもない」「こうでも
ない」と、ごねればごねるほど、見苦しくなるだけ。

 残された道は、二つ。破滅か、それとも戦争か。

 おとなしく6か国協議に出てきて、「すみませんでした」「よろしくお願いします」と、頭をさげれ
ば、それですむものを! 金XXは、いったい、何にこだわっているのか?

 今日、強硬派のP・ボルトン氏が、国連大使になった(3・8)。アメリカは、着々と、K国の核問
題を国連安保理に付託する準備を始めた。すでに、そのあたりの話しあいは、中国との間でつ
いているのだろう。

アメリカ「どうにもなりませんなあ」
中国「ホント。やっかいな国ですなあ」
アメリカ「安保理に付託しましょうよ」
中国「ここまでくれば、やむをえんでしょうな」と。

 その動きに韓国も、同調し始めた。それもそうだろう。あれだけ裏切られれば、だれだって頭
にくるはず。韓国も、やっと現実が、少しは理解できるようになったということか。

 が、その一方で、日本は、中国や韓国と、どこかギクシャクしてきた。台湾問題。竹島問題。
それに首相の靖国神社参拝問題などなど。

 こういう情勢であるにもかかわらず、金XXは、手も足も出せない。核兵器を放棄すれば、金X
Xには、何も残らない。暴走族から、バイクを取りあげるようなもの。

 では、どうなるか?

 カギを握るのが、中国。その中国が、原油の供給を止めただけで、K国は、万事休す。終わ
り。自滅。が、中朝国境は、大混乱!

 しかし中国は、それを望んでいない。すでに中国は、金XXなきあとの、朝鮮半島を考えてい
る。おめでたい韓国は、これで南北が統一できると期待しているが、そうはならない。

 K国も含めて、朝鮮半島の北部は、中国の領土になる。ついで、韓国も、中国の経済圏の中
に組みいれられる。

 韓国のみなさん、K国のみなさん、中国は、そんな甘い国じゃ、ありませんぞ。台湾や、チベ
ットを見れば、それくらいのことは、わかるでしょう。

 そこで中国は、ジワジワと、K国のクビをしめあげる。生かさず、殺さず、ジワジワと、だ。そし
て金XX体制が静かに崩壊し、親中国政権が生まれるのを、待つ。

 言っておくが、金XX政権が崩壊しても、K国には、親韓国政権、親アメリカ政権は、ぜったい
に生まれない。K国の人たちというのは、骨のズイまで、反米精神でかたまっている。それに韓
国の人たちのように、韓国に対して、同胞意識など、ない。

 日本は、どうなるか。

 中国のかいらい政権であるにせよ、中国は、新K国と日本の間に割ってはいってくる。そして
戦後補償問題を、もちだしてくる。中国のねらいは、ズバリ、日本のマネー。多額の補償金を
日本に払わせることで、日本経済を、極東アジアから太平洋の底へと、つき落すことができる。

 「アジアは、オレのもの」と、最後に笑うのは、中国、ということになる。

 ……というのが、将棋で言えば、定石。

 そこでアメリカと日本は、どうするか。

 核問題で、中国を追いつめるだけ、追いつめる。K国にではない。中国を、だ。
 
 方法は簡単。「お前の仲間だろ。お前が責任をとって、K国を何とかしろ!」と。

 つまりこうして中国を追いつめておきなら、K国の核問題を、国連の安保理に付託する。目的
は言うまでもなく、K国の経済封鎖。今、アメリカが一番恐れるのは、そのときになって、中国と
ロシアが、拒否権を行使すること。

 その拒否権を行使できない状態にする。そのために、中国を、今、追いつめておく。

 そうなったとき、K国は、どうするか? 実は、ここが最大の問題である。

 袋小路に追いつめられたK国は、もはや自滅するか、戦争に打ってでるしか、その二つに一
つしか、道はない。

 が、K国には、戦争遂行能力は、ない。船もない。飛行機もない。それを動かす燃料もない。
38度線上にある、10万とも20万とも言われる大砲にしても、旧式のものばかり。

 が、戦争を始める。

 韓国に対して、だ。何らかの口実を見つけて、開戦の火ぶたを切る。が、とたんに、K国は、
米韓の猛反撃。もちろん日本も、後方支援という形で、アメリカを助ける。

 ここから先のことは、ここに書いてよいのか、どうか、わからない。しかし先の朝鮮動乱のとき
の例を見るまでもなく、……。(やはり、書けない。他国の戦争が、日本の利益につながるなど
と、どうして私が書くことができるだろうか。あとは、読者のみなさんの想像と判断に任せる。)

 ……ということを、実は、韓国は、逆に読んでいる。「今、ここで(韓国が)K国が戦争をすれ
ば、日本の利益になるだけ」と。「だから、そんなヘマはしない」と。

 反対の仮定をしてみよう。

 もし仮に、韓国とK国が、平和裏に統一したら、日本にとっては、たいへんなことになる。巨大
な軍事力をもった、強烈な反日国家が、そこに誕生することになる。陸軍だけで、200万人以
上。しかも男性はすべて、2年から3年の徴兵制で鍛えあげられている。

 そんな国の軍隊が、たとえば竹島問題にかこつけて、日本へ進軍してきたら、日本は、どうな
るか? しかもそのバックには、これからの超巨大国家、中国がひかえている!

 これからの東アジア情勢を考えるとき、日本だけが、無傷なまま、つぎの時代を迎えるという
ことは、もう、ありえない。どういう形であれ、つまり、莫大な戦後補償を払うにせよ、極東有事
であるにせよ、日本は、日本なりの、ツケを払わねばならない。火の粉をかぶらねばならない。

 その覚悟だけは、しておかねばならない。しっかりとしておかねばならない。
(05年3月8日記・この原稿がみなさんのところに届くころには、情勢が大きく変わっている可
能性があります。)

(追記)

 一片でも地位や肩書きがあったら、こういう意見は、ぜったいに書けません。学校の教師でも
書けません。こういう意見が、自由に書けるのも、私が、まったくのフリーの立場にいるからで
す。これは私の大特権ということになります。よろしくご評価ください。 
++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●イギリスの育児事情

 楽天でHPを開いている「H」さんという女性の日記に、こんな記事がありました。Hさんは、現
在、イギリス在住。イギリスの子育て事情がわかって、おもしろい。Hさんの許可をいただけま
したので、ここに紹介します。

+++++++++++++++++

最近、2歳の息子は、友達をとても意識しだし、
また、今まで楽しみにしていた市の育児教室も
(私が)大好きだった先生がやめ、
他の人に代わってしまったということもあったので、
近所の、いろいろなトドラーグループや、プレイグループを
見学して回っている。

トドラーグループというのは、2時間ほど、
保護者がついて遊ぶところをいう。
プレイグループというのは午前、午後2時間程度、
子供を置いてあずけていけるところをいう。

3歳と4歳の子供は、市からお金が出るので、
5セッション(2時間で1セッション)までは、フリーなのだそうだ。

でも息子はそれまで、あと1年待たなければいけない。

プレイグループは、2歳から始められるところも多く、
トイレトレーニングができてなくてもかまわないという
ことなので、今日はその一つを訪問してみた。

ちなみにだいたい料金は、1セッションで5ポンド(1000円弱)ちょっと。
うちの前にある私立の学校のラグビーグランドのクラブハウスを、
平日だけ使っている。

++++++++++++++++++

 Hさんの話によれば、3、4歳児についていえば、週なのか、月なのかはわからないが、5回
分までは、市のほうで、子どもを無料で預かってくれるということになる。

 親がいっしょについて遊ぶ、トドラーグループ。子どもを預かってくれる、プレイグループがあ
るそうだ。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

(追記)

 「H」さんから、追伸が届きました。一部、内容がダブりますが、そのまま紹介します。

++++++++++++++++

プレイグループは、トイレトレーニング済みの、3歳以上の子供だけしか
あずからないところもあるのだが、2歳から始められるところも多くあるので
今日はその一つを訪問してみた。

ちなみに、だいたい料金は、1セッションで5ポンド(1000円弱)ちょっと。
私立学校の運動場にあるクラブハウスを、平日だけ使っている。

内容は自由な遊び、絵本の読み聞かせ、おやつタイム、色の名前を教えたりなど
小さな保育園といった感じ。

なお、プレイグループは9時半から3時までで、春休み、夏休み、冬休みは
閉じている

トドラーグループ(toddler……「よちよち歩きの幼児」の意)というのは、
就学前の幼児が、保護者と一緒に来て遊ぶところで、
保護者同士は子供たちの様子を見ながら、紅茶とビスケットを片手に情報交換をしたり、
世間話をしている。

こういったグループはたいていお母さん同士が主催したり、教会のボランティアが
催していることが多く、教会のホールやコミニティーセンターで行われる。

50ペンス(100円弱)から1ポンド(200円弱)ぐらいのお金を払って参加し、
予約などせずに、毎週決まった時間に行けばよいことになっている。

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イギリス在住の「H」さん、情報、ありがとうございました!!

キリスト教国(アメリカ、イギリス、オーストラリアなど)は、教会を中心とするボランティア活動
が、さかんですね。一種の社会保障制度として機能しているようなところさえあります。

少し前、アメリカに住む息子に、「失業したら、どうするんだ?」と聞きましたら、「教会のみんな
が助けてくれる」「そのために、今、ぼくらは、仕事のない人を助けている」と話していました。

私が子どものころには、その地域の牧歌的な暖かさが、まだ残っていたように思います。それ
がこの高度成長期を経て、ほとんどが、消えてしまった。そんな印象をもっています。

私は、田舎ですが、町の商店街で生まれ育ちました。あの商店街というところにも、独特の文
化があるのですよ。毎日のように、町内の人たちが、町おこしのために、あれこれ策をねる。
そんなところから、独特の文化が、生まれ、育ちました。

春祭り、夏祭り、秋祭りなどなど。そういうものをとおして、客を商店街へ呼びこもうというわけ
ですが、それが長い時間をかけて、文化になったのです。

しかし、今は、近くに大型のショッピングセンターができて、すべて、(ほとんど)、破壊されてし
まったように思います。

残念ですが、これも時代に流れでしょうか。「H」さんのメールを読んでいて、そんなことを感じま
した。ありがとうございました。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●縄文人(タヌキ顔)と弥生人(キツネ顔)

 何かの本で、縄文人と弥生人の顔の復元図を見た。それを見ると、縄文人は、現在の中国
人風。四角ぽい顔で、目が大きい。

 一方、弥生人は、現在の朝鮮系の人風。やや細面で、独特の切れあがった目をしている。

 これだけの事実で、こう断言するのは危険なことだが、縄文人は、中国大陸から、黒潮か何
かにのって、日本へ移り住んだ人たちではないかということになる。

 また弥生人は、朝鮮半島へ経て、日本へやってきた人たちではないかということになる。こう
した民族が、まざって、今の日本人になった(?)。

 日本語という言葉は、モンゴル系に属し、モンゴル語、朝鮮語と、文法が、ほとんど、同じ。そ
ういうことを考えあわせると、日本人の基礎は、弥生人たちが作ったということになるのではな
いか(?)。

 そういえば、少し前、九州の佐賀県へ行ったときのこと。言葉は日本語だが、話し方のアクセ
ントというか、抑揚というか、言い方が、韓国語とそっくりなのには、驚いた。案内してくれた佐
賀県の教育委員会の人にそれを話すと、その人は、こう言った。

 「天気のいい日には、山の上から、朝鮮半島が見えるようなところですから……」と。

 日本人には、ほかに、アイヌ民族の血や、南方の東南アジア系の人たちの血も流れていると
いう。

 しかし、私は知らなかった。

 私は子どものころ、縄文人が進化して、弥生人になったものとばかり、信じていた。たしか社
会科の教科書にも、そう書いてあったのではないか? (いいかげんな情報で、ごめん。)

 さらに最近の研究では、戦乱の中国をのがれて、そのつど、多くの中国人たちが、日本へ渡
ってきたということもわかってきた。日本へ、青銅器や鉄器の作り方を教えた人たちは、そうい
う人たちだというのだ。

 これから先、こうした研究は、さらに進むのだろう。今では、いちいち発掘調査などしなくて
も、DNAを、たんねんに分析していけば、それがわかるという。

 フ〜ンと思ってみたり、ナルホドと思ってみたり……。

 ところで私の顔は、縄文人風。俗にいう、タヌキ顔。(弥生人風の顔を、俗に、キツネ顔という
らしい。)ワイフの顔も、タヌキ顔。生まれてきた息子たちも、みな、タヌキ顔。我が家は、タヌキ
家族(?)。ハハハ。

この原稿を読んでいる、あなたは、いかがですか?

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●男の更年期

 男性も、男性ホルモンの不足により、女性のそれによく似た、更年期症候群を示すことがあ
るそうだ。一種の、機能失調状態ということになる。

 ……といっても、そのときは、気づかない。私のばあいは、去年(04年)の春から夏にかけて
ごろが、そうではなかったかと、今にして、思う。

 症状としては、(1)体がだるい、(2)やる気がおきない、(3)女性に興味をなくした、(4)情緒
が不安定になった(怒りっぽく、イライラする)、(5)慢性的な頭重感など。

 去年は、とくに暑かった。夏風邪もひいた。何かにつけ、クーラーに身を寄せるようになった。
体重も、気がついたときには、69キロ近くまでになっていた。(私の適性体重は、63キロ前
後。)

 「このまま私は、どうなってしまうのだろう」とさえ、思った。

 小山蒿夫という人が、更年期症候群を列挙している(94年・心理学用語辞典)。それによる
と、

(1)顔がほてる
(2)汗をかきやすい
(3)腰や手足が冷えやすい
(4)息切れ、動悸がする
(5)寝つきが悪い、眠りが浅い
(6)怒りやすく、イライラしやすい
(7)クヨクヨしたり、憂うつになる
(8)頭痛、めまい、吐き気がよくある
(9)疲れやい
(10)肩こり、腰痛、手足の痛みがある

 これらの症状は、男性というよりも、女性のものということになる。これらの症状を、強く感ず
るようであれば、更年期ということになる(?)。

 男性のばあいは、顔がほてるとか、冷え性になるとか、そういうことはないのでは(?)。むし
ろ、たまたま仕事的にきびしい時期にも重なるということで、ささいなことにこだわったり、悩ん
だりしやすくなるのではないかと思う。身体的な変化というより、精神的な変化のほうが多いの
では……? この時期、初老性のうつ病になる人は、多い。

 私もあぶなかった……というより、悶々としたうつ状態は、私の持病のようなものだから、そう
いう状態とは、うまく、つきあっている。方法としては、(1)ゆっくりとした、自分の時間を、じゅう
ぶんにとる。(2)運動をして、1日1、2回は、汗をかく。(3)好きなときに寝て、好きなときに起
きる、ということに心がけている。

 あとは教室で、思う存分、子どもたちと、ワイワイ騒ぐ。これはストレス解消法にもなる。

 が、それでもおかしくなる。そういうときは、ワイフに相談する。

 「今のぼくは、正常か?」と。

 するとワイフは、「正常よ」とか、「おかしいわ」とか、言ってくれる。その言葉を聞いて、自己修
正する。

 このところ、やっとその更年期らしきもの(?)を、抜け出たような気がする。女性にも興味を
もち始めたし、やる気も、少しずつ、起きてきた。気分も、3月だというのに、割とほがらか。(毎
年、3月というのは、私のような仕事をしているものにとっては、ゆううつな月!)

 私の知人のM氏(78歳、男性、大手の販売会社の元会計監査)は、こう言った。

 「林さん、男が一番、バリバリと仕事ができるのは、60歳から65歳にかけてですよ。まだま
だあなたは若いよ」と。

 今は、その言葉を、私は、信じている。(信じたい。あるいは懸命に、自分に信じようと言って
聞かせているのかもしれない。)

♪もうすぐ春ですね
 恋をしませんか?
(はやし浩司 更年期 更年期症候群)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●フランスの高校生

 フランス全土で、政府の教育改革に反対する全国の高校生が、 デモ行進を行ったという(T
BSニューズ)。参加者は16万人以上というから、すごい。

 フランス政府が進める教育改革に対して、高校生たちが、立ちあがったというわけだが、そ
の背景には、「フランスでは、中学進学時に、生徒の15パーセントで読み書きが十分できな
い」という事実があるようだ。
 
 デモの内容はともかくも、高校生たちが、デモをするということ自体、もう、この日本では、考
えられなくなった。なぜか?

 以前、書いた原稿を、ここに載せる。この文を読んでもらえば、管理教育の(すごさ)という
か、それをわかってもらえると思う。

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●無関心な人たち

 英語国では、「無関心層(Indifferent people)」というのは、それだけで軽蔑の対象にな
る。非難されることも多い。だから「あなたは無関心な人だ」と言われたりすると、その人はそ
れをたいへん不名誉なことに感じたり、ばあいによっては、それに猛烈に反発したりする。

 一方、この日本では、政治については、無関心であればあるほど、よい子ども(?)ということ
になっている。だから政治については、まったくといってよいほど、興味を示さない。関心もな
い。感覚そのものが、私たちの世代と、違う。

ためしに、今の高校生や大学生に、政治の話をしてみるとよい。ほとんどの子どもは、「セイジ
……」と言いかけただけで、「ダサ〜イ」とはねのけてしまう。(実際、どの部分がどのようにダ
サイのか、私にはよく理解できないが……。「ダサイ」という意味すら、よく理解できない。)

●政治に無関心であることを、もっと恥じよう!
●社会に無関心であることを、もっと恥じよう!
●あなたが無関心であればあるほど、そのツケは、つぎの世代にたまる。今のこの日本が、そ
の結果であるといってもよい。これでは子どもたちに、明るい未来はやってこない。

では、なぜ、日本の子どもたちが、こうまで政治的に無関心になってしまったか、である。

●文部省からの三通の通達

日本の教育の流れを変えたのが、3通の文部省通達である(たった3通!)。文部省が1960
年に出した「文部次官通達」(6月21日)、「高校指導要領改定」(10月15日)、それに「初等
中等局長通達」(12月24日)。

 この3通の通達で、中学、高校での生徒による政治活動は、事実上禁止され、生徒会活動
から、政治色は一掃された。

さらに生徒会どうしの交流も、官製の交流会をのぞいて、禁止された。当時は、安保闘争のま
っ最中。こうした通達がなされた背景には、それなりの理由があったが、それから45年。日本
の学生たちは、完全に、「従順でもの言わぬ民」に改造された。その結果が、「ダサ〜イ」という
ことになる。

 しかし政治的活力は、若い人から生まれる。どんな生活であるにせよ、一度その生活に入る
と、どんな人でも保守層に回る。そしてそのまま社会を硬直させる。今の日本が、それである。
構造改革(官僚政治の是正)が叫ばれて、もう15年以上になるが、結局は、ほとんど何も改革
されていない。

このままズルズルと先へ行けばいくほど、問題は大きくなる。いや、すでに、日本は、現在、に
っちもさっちも立ち行かない状態に追い込まれている。あとはいつ爆発し、崩壊するかという状
態である。

 それはさておき、ここでもわかるように、たった3通の、次官、局長クラスの通達で、日本の教
育の流れが変わってしまったことに注目してほしい。そしてその恐ろしさを、どうか理解してほし
い。日本の教育は、こういう形で、中央官僚の思うがままに、あやつられている。

(付記)

 どうしてこうまで、子どもたちは、政治に関心をもたなくなってしまったのか? 数日前も、中
学生たちに、「K国が、日本にミサイルを打ちこんでくるかもしれないよ」と話すと、こう言った。

 「どうして?」
 「アメリカがいるから、だいじょうぶだよ」と。

 議論そのものが、かみあわないというより、議論そのものが、できない。まったく、話にならな
い。

 こうした愚民化政策というのは、為政者にとってはつごうがよいかもしれないが、日本の将来
を考えるときには、マイナスにこそなれ、プラスになることは何もない。

 子どもたちでさえ、目先の利益や話題ばかりを、追いかけている。しかも、ここが重要な点だ
が、親も、ときどき、「子どもに政治の話はやめてほしい」と、クギを刺してくる。

 私は共産主義者でも社会主義者でもない。民主主義者である。まちがいなく、民主主義者で
ある。それに、子どもたちを指導して、政治活動をしようなどという意図は、もとからない。

 だから私も、政治の話はしない。子どもたちのほうから質問があったときは、「おうちの人に
聞いてごらん」と言って逃げる。

つまりそういう日本全体の風潮が、政治的に無関心な子どもたちを作ったといえる。フランスの
高校生のデモのニュースを聞いたとき、内容はともかくも、その行動力のちがいに、私は、大き
なショックを受けた。
(はやし浩司 「文部次官通達」(6月21日)、「高校指導要領改定」(10月15日)、それに「初
等中等局長通達」)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●K国のミサイル

 アメリカのラポート在韓米軍司令官は、上院軍事委員会の席で、K国には、現在、500発以
上のスカッド型ミサイルがあると証言した。日本も射程に収める中距離ミサイル・ノドンの生
産、配備もつづけているという(05・3・8)。

 しかもそれに搭載する化学兵器は完成し、現在は、生物細菌兵器も開発しているという。こ
れらのミサイルは、地下施設に格納した移動式発射台を使い、数時間以内に発射することが
可能という。

 ミサイル1発で、それが都市部に打ちこまれたばあい、約20万人の人が死ぬという。化学兵
器も生物細菌兵器も、効果は、ほとんど同じだという。

 戦争になれば、こうしたミサイルが、日本中に落ちてくることになる。が、その前に、誤って発
射される可能性も、ないとは言えない。また命中精度もそれほどよくないということなので、どこ
へ落ちてくるかも、わからない。

 それは相当な恐怖である。第二次対戦中、ドイツは、V1型、V2型のミサイルをイギリスのロ
ンドンに向けて発射したが、ロンドンの人たちは、それだけで、恐怖のどん底に叩き落とされて
しまったという。

 しかしそれにしても、500発とは!

 反撃されるまえに、K国は、いっせいにミサイルを発射するだろう。ノドン型ミサイルは、射程
距離が1300キロで、日本全土を攻撃することができる。

仮にスカッドミサイルと同じ、500基も配備されたとすると、東京、大阪、名古屋などの大都市
に、100発ずつ。残りの200発が、自衛隊やアメリカ軍の基地、さらに県庁所在地などの大都
市に、バラまかれることになる。

 言われているように、1発で、20万人が死ぬとすると、500発で、1億人ということになる。日
本の人口のほとんどが、それで死滅することになる。かろうじて生き残った人も、無傷というわ
けにはいかないだろう。

 もし、こういう状態になったら、私たちは、どうやって生きのびたら、よいのか。

 鉄則は、一つ。そのとき、その外気に、絶対に触れないようにする。その外気をやりすごす。
その一語に尽きる。

 K国のミサイル攻撃は、いっせいに始まるはずだから、その気配を感じたら、もっとも密閉性
のよい部屋を選び、その部屋をさらに密閉して、その中に閉じこもる。すきまというすきまを、ガ
ムテープのようなものでふさぐことは、重要なことである。核兵器は別として、化学兵器や生物
細菌兵器なら、すぐに電気やガスが止まるということはないだろう。

 狭い部屋なら、小さな穴をあけ、そこに手製のフィルターをつけ、扇風機のようなファンを利
用して、空気を必要な量だけ、取り入れる。

 一度、熱帯魚の水槽に酸素を送る要領で、水の中をゴボゴボと通すと、化学兵器や生物細
菌兵器に有効である。熱湯の中を、一度、空気が通るようにすると、さらによい。化学兵器も、
生物細菌兵器も、水に、弱い。

 あとは、ただひたすら、時間が過ぎるのを待つ。安全が、確認されるまで、待つ。雨が降り、
大地が湿り、人々の声が通りで聞こえるようになるまで、待つ。

 ……こんなことは、想像するだけでも、不愉快なことだが、しかし一度は、頭のどこかでシミュ
レーションをしておく必要はある。

 ついでに、水道水は、初期の段階で、バスタブなどに飲料水として、たくわえておく。場所にも
よるが、最初の1、2時間以内であれば、安全である。それ以後は、水道水も危険になるの
で、水道の水は使わない。

 トイレは、そのつど、小量の水で、流しながら使う。食料は、できるだけ確保しておく。しかしみ
なが、あわててからでは、遅い。食料の調達はままならくなる。その時期を、見逃さない。

 ……ということで、K国にからのミサイル攻撃から身を守るためには、幅広のガムテープが、
必需品ということになる。

 また、これは立ち読み情報で恐縮なのだが、どこかの大学の教授(放射線科)も、こう書いて
いた。「核兵器で攻撃されたら、放射能を含んだ原子雲をやりすごすのが、いちばん重要であ
る」と。そのために、やはり部屋を密閉し、外気に触れるのをさけろ、と。(もちろん直撃を受け
たら、おしまいだが……。)

 このところ、金XXの言動が、常軌を逸し始めている。そんな感じがする。私たち日本人は、そ
の備えだけは、忘れてはいけない。金XXも、ウソや冗談で、ミサイルを作っているわけではな
いだろうから……。

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


●万引き

 中高校生の、約20%が、「万引きは、それほど悪いことではない」と考えているという。昨夜
のテレビの報道番組を見ていたら、そんな数字が、画面に出てきた。

 が、こうした問題を、子どもの側から論じても、あまり意味はない。子どもは、おとなのマネを
しているだけ。もっと言えば、親のマネをしているだけ。

 こう書くと、「私は万引きなど、したことがないからだいじょうぶ」とか、「子どもの前では、万引
きをしたことがないから、だいじょうぶ」と思う親がいるかもしれない。しかしそれは、誤解。

 子どもというのは、乳幼児期に、とくに母親から、(すべてのもの)を、受けつぐ。(すべてのも
の)、だ。

 そのとき、母親のもつ、習性まで、受けついでしまう。これが、こわい。

 その習性が、好ましいものであれば、問題はない。しかしそうでないときに、困る。

 たとえばあなたという母親が、信号が赤になっても、交差点を、突っ切って走るようなタイプの
女性だとしよう。あるいは、窓の外へ、平気で、タバコの吸い殻を捨てるような女性であったとし
よう。あるいは、駐車場でないところでも、平気で車を止めるような女性であったとしよう。

 少しでもスキがあれば、平気で小ズルイことが平気でできる。そんな女性であったとしよう。

 それがここでいう(習性)に含まれる。

 子どもは、母親のそういう習性を、そっくりそのまま、受けついでしまう。万引きをする、しない
は、あくまでも、その結果でしかない。

 だから、今日からでも遅くない。どんなささいなことでもよいから、社会のルールや規則を守ろ
う。子どもが見ているとか、見ていないとか、そういうことは関係ない。あなた自身の習性を、ま
ず作りなおす。

 そうした日ごろの努力が、やがてあなたの習性となり、それが子どもに伝わっていく。

 もっとわかりやすく言えば、日ごろから、あなたが社会のルールを平気で破りながら、子ども
に向かって、「万引きをしてはいけません」と教えても意味はない。こうした習性は、言葉や、説
教で、子どもに伝わるものではない。肌から肌へと、感性として、伝わる。

 ムードだ。雰囲気だ。

 いつか、私は「一事が万事論」を書いた。

 日々の生活が月となり、月々の生活が、年となり、それが積み重なって、あなたという人間が
できる。子どもがあなたから引き継ぐのは、その(あなた)である。

 だから今の今から、あなたは、自分にこう意って聞かせる。

 私は、ルールを守る。規則を守る。子どもが見ていても、見ていなくても、そういうこととは関
係なく、だ。

 そういう姿勢を、つまり習性として子どもが受けついだとき、その子どもは、こう言うようにな
る。「万引きをすることは、悪いことだ」と。

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●日々の積み重ねが人格

 人も50歳を過ぎると、それまでごまかしてきた持病がどっと表に出てくる。60歳を過ぎると、
その人の人格がどっと表に出てくる。

若いころは気力で、自分の人格をごまかすことができる。しかし歳をとると、その気力そのもの
が弱くなる。

私の知人にこんな女性(80歳)がいる。その女性は近所では「仏様」と呼ばれていた。温厚な
顔立ちと、ていねいな人当たりで、そう呼ばれていた。が、このところ、どうも様子がおかしい。
近所を散歩しながら、他人の植木バチを勝手に持ちかえってくる。あるいは近所の人の悪口を
言いふらす。しかしその女性は昔から、そういう人だった。が、年齢とともに、そういう自分を隠
すできなくなった。  

で、その人格。むずかしいことではない。日々の積み重ねが月となり、月々の積み重ねが年と
なり、その人の人格となる。ウソをつかない。ルールを守る。ものを捨てない。そんな簡単なこ
とで、その人の人格は決まる。たとえば…。

信号待ちで車が止まったときのこと。突然その車の右ドアがあいた。何ごとかと思って見ている
と、一人の男がごっそりとタバコの吸殻を道路へ捨てた。高級車だったが、顔を見ると、いかに
もそういうことをしそうな人だった。

また別の日。近くの書店へ入ろうとしたら、入り口をふさぐ形で、4WD車が駐車してあった。横
には駐車場があるにもかかわらず、だ。私はそういうことが平気でできる人が、どんな人か見
たくなった。見たくなってしばらく待っていると、それは女性だった。

しかしその女性も、いかにもそういうことをしそうな人だった。こういう人たちは、自分の身勝手
さと引き換えに、もっと大切なものをなくす。小さなわき道に入ることで、人生の真理から大きく
遠ざかる。

 さてこの私のこと。私は若いころ、結構小ズルイ男だった。空き缶を道路に平気で捨てるよう
なタイプの男だった。どこかの塀の上に、捨てたこともある。そういう自分に気がつくのが遅か
った。だから今、歳をとるごとに、自分がこわくてならない。「今にボロが出る……」と。

 ついでに……。こんな悲しい話もある。アルピニストの野口健氏がこう言った。

「登山家の中でも、アジア隊の評判は悪い。その中でも日本隊は最悪。ヒマラヤをゴミに山にし
ている。ヨーロッパの登山家は、タバコの吸殻さえもって帰るのに」(F誌〇〇年六月)と。

写真には酸素ボンベが写っていた。それには「二〇〇〇年H大学」とあった。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●しつけは普遍

 日々の積み重ねが月となり、月々の積み重ねが歳となり、やがてその人の人格となる。むず
かしいことではない。ゴミを捨てないとか、ウソをつかないとか、約束は守るとか、そういうことで
決まる。

しかもそれはその人が、幼児期からの心構えで決まる。子どもが中学生になるころには、すで
にその人の人格の方向性は決まる。あとはその方向性に沿っておとなになるだけ。途中で変
わるとか、変えるとか、そういうこと自体、ありえない。

たとえばゴミを捨てる子どもがいる。子どもが幼稚園児ならていねいに指導すれば、一度でゴ
ミを捨てなくなる。しかし中学生ともなると、そうはいかない。強く叱っても、その場だけの効果し
かない。あるいは小ずるくなって、人前ではしないが、人の見ていないところでは捨てたりす
る。

 さて本題。子どものしつけがよく話題になる。しかし「しつけ」と大上段に構えるから、話がお
かしくなる。小中学校で学ぶ道徳にしてもそうだ。人間がもつしつけなどというのは、もっと常識
的なもの。むずかしい本など読まなくても、静かに自分の心に問いかけてみれば、それでわか
る。

してよいことをしたときには、心は穏やかなままである。しかししてはいけないことをしたときに
は、どこか心が不安定になる。不快感が心に充満する。そういう常識に従って生きることを教
えればよい。そしてそれを教えるのが、「しつけ」ということになる。

そういう意味ではしつけというのは、国や時代を超える。そしてそういう意味で私は、「しつけは
普遍」という。
(はやし浩司 しつけ 人格 人格論)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●子どもの補償作用

 子どもは、(おとなもそうだが)、自分に何か欠点や、コンプレックスがあったりすると、それを
解消するために、さまざまな行動を、代償的にとることが知られている。その一つが、「補償」と
いう作用である。

 たとえば容姿があまりよくない女の子が、ピアノの練習に没頭したり、あまり目だたない男の
子が、暴力的な行動によって、目立ってみせるなど。

 運動が苦手な子どもが、勉強でがんばるのも、そのひとつ。あるいは内気な子どもが、兵隊
の服を着て、おもちゃの銃をもって遊ぶのも、その一つ。強くなったつもりで、自分の中の(弱
さ)を、補償しようとする。

 こうした補償作用は、意識的にすることもあるし、無意識的にすることもある(「心理学小事
典・岩波」)。

 つまり子どもは何らかの形で、他人の目の中で、自分を反映させようとする。自分の存在感
をつくり、最終的には、自分にとって、居心地のよい世界をつくろうとする。

 が、こんなケースもある。こうした補償が、子どもの中でうまく作用する子どもは、まだ幸せな
ほう。が、その補償が、ことごとく、裏目に出る子どもだ。子どもの心を考える、一つのヒントに
は、なると思う。
(はやし浩司 補償)
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【二重苦、三重苦】

●K塾へ入った、M君

 あのね、学校でさんざんいやな思いをしている子どもを、また塾へ入れて、いやな思いをさせ
たら、どうなりますか? ものごとは、子どもの立場で考えましょう。

 よくあるのは、学校での成績がおもわしくないという理由で、塾へ入れるケース。子どもがそ
の(必要性)を感じていれば話は別だが、そうでないときは、かえって子どもを苦しめることにな
る。もう少し、具体的に例をあげて考えてみよう。

 M君(小五)は、学校では、「悲しい道化師※」だった。勉強が苦手ということを、ごまかすた
めに、皆の前で、いつもふざけてばかりいた。一見、明るい子どもに見えたが、それはまさに
彼、独特の、演技だった。

 たとえば先生にさされて、黒板の前に立つときも、わざとちょろけたり、ほかの子どもにちょっ
かいを出したりした。冗談を言ったり、ギャグを口にすることもあった。M君は、みなにバカにさ
れるよりは、おもしろい男、楽しい男と思われることで、その場を逃れようとした。それは意識
的な行動というよりは、無意識に近い、行動だった。

 そんなM君を、親は、指導がきびしいことで有名な、K塾に入れた。K塾では、毎月テストをし
て、その成績順に生徒をイスに座らせた。M君は、その塾でも、悲しい道化師を演じようとし
た。しかし、K塾では勝手が、ちがった。

 M君は、いつもそのクラスの、左側の一番うしろに座った。そのクラスでも、成績がビリの子
どもが座る席である。ふざけたくても、ふざけられるような雰囲気すら、なかった。M君は、ただ
小さくなっているだけだった。

 M君が、どんな気持ちでいたか。それがわからなければ、あなた自身のことで考えてみれば
よい。

 学校でさんざん、いやな思いをしている。そういうあなたが、また塾で、いやな思いをさせられ
たら、あなたはどうなる? こういうのを二重苦という。が、それだけではすまなかった。M君
は、今度は、家に帰ると、母親に叱られた。「こんな成績で、どうするの!」「いい学校に入れな
いわよ!」と。二重苦ではなく、三重苦が彼を襲った。

●できない子どもほど、暖かく

 簡単なことだが、勉強が苦手な子どもほど、家庭や、塾では、暖かく迎える。「学校」を大切に
考えるなら、そうする。

 だいたいにおいて、生徒に点数をつけ、順位を出して、さらにその成績順に席を決めるという
のは、人間のすることではない。この日本では、そういうのを教育と思っている人は多い。その
ため疑問に思う人は少ない。しかしこんなアホなことを「教育」と思いこんでいるのは、日本人
だけ。家畜の訓練でさえ、そんなアホなことはしない。

 が、ここで大きな問題にぶつかる。親自身が、こうした暖かさを否定してしまうことがある。中
には、きびしければきびしいほどよいと考える親がいる。このタイプの親にとって、「きびしい」と
いうのは、「子どもをより苦しめる」ことを意味する。「苦しめば、それをバネとして、より勉強す
るはず」と。

 しかしこうした(きびしさ)は、成功する例よりも、失敗する例のほうが、多い。最初に書いたよ
うに、子ども自身が、それだけの(必要性)を感じていれば、話は別だが、そういうケースは、少
ない。

 M君は、やがて塾へ行くのをしぶり始めた。当然だ。あるいはあなたがM君なら、そういう塾
へ行くだろうか。が、親は、塾からもらってくる成績を見ながら、ますますK君を責めたてた。こ
うなると、行きつく先は、明白。気がついたときには、M君から、あの明るい笑顔は消えてい
た。

 今、M君は、小学六年生になったが、学校でも、先生にさされても、うつろな目で、ボーッとし
ているだけ。ふざけて、みなを、笑わす気力もない。

 もちろん中には、精神的にタフというより、どこか鈍感に見える子どももいる。しかしそういう
子どもでも、深くキズついている。心のキズというのは、そういうもので、外からは見えない。見
えないだけに、安易に考えやすい。だから教訓は、ただひとつ。

 できない子どもほど、暖かく。
 できない子どもほど、二重苦、三重苦に追いこんではいけない。

 最後に、「ではどうすればいいのか?」という親に一言。そういうときは、「あきらめる」。あな
たがごくふつうの人であるように、あなたの子どもも、ふつうの人間として、それを認める、受け
入れる。その割り切りのよさが、子どもの心に風穴をあける。

 こういうM君のようなケースでは、親が、「まだ何とかなる」「そんなはずはない」「うちの子は、
やればできるはず」と思えば思うほど、かえって子どもの成績はさがる。親子の関係もおかしく
なる。さらに子どもの心もゆがむ。まさに百害あって一利なし、という状態になる。

●「悲しき道化師」というのは、私が考えた言葉。

勉強ができない子どもは、さまざまな形で、それをみなに知られるのを、防ごうとする。その一
つが、「道化師」を演ずること。

まわりを茶化すことで、自分ができないことをみなに、知られないようにする。ひょうきんな顔を
して見せたり、ふざけたりする。バタバタと暴れてみせたり、先生をからかったりする。

このタイプの子どもは、「勉強ができない仲間」と思われるより、「おもしろい仲間」と思われるこ
とを望む。つまりそうすることによって、自分の自尊心(プライド)がキズつくのを防ぐ。一見、楽
しそうに見えるが、心の中は、悲しい。だから「悲しき道化師」と、私は呼んでいる。
(はやし浩司 補償 悲しき道化師 自分を茶化す子ども 茶化す子供)

+++++著作権BYはやし浩司++++++copy right by Hiroshi Hayashi++++++
+++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司※

最前線の子育て論byはやし浩司(605)

●いつか……

いつか、私は、南海の孤島で、のんびり、昼寝をしてみたい。
さわやかな風、澄んだ海と空、白い砂浜、そして明るい陽光。
静かに揺れるやしの木は、やさしく私の体を日陰で包む。

遠くで、舟に乗る子どもたちの声、そして空を舞うカモメの姿。
何もかも忘れて、何もかもクサリをはずして、何もかも捨てて、
いつか、私は、南海の孤島で、のんびり、昼寝をしてみたい。

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生きるということは、どうしてこうも、わずらわしいのか?
つぎからつぎへと、容赦なく、問題ばかりが、起きてくる。
病気だ、ボケた、老人だと、穴の中に引きこもってしまえる人は、
まだ幸福な人だ。

そういう(わがまま)も許されず、精一杯、虚勢だけを張りながら、
歯をくしばりながら、そこにじっと立つ。立って足をふんばる。

みんなズルいよ。ほんの少しでもスキがあると、そのスキをかいくぐって、
逃げてしまう。私は関係ない、これはあなたの問題、と。

だからそこにいるのは、私だけ。ポツンと取り残されて、そこにいる。
「お前だけだよなあ」とワイフに声をかけると、意味がわかっているのか、
それともわかっていないのか、ワイフは、「そうね」と、うれしそうに笑う。

+++++++++++++++++

そんなに気負うこともないのよ。荷物を背負うこともないのよ。
気楽に生きればいい。無責任に生きればいい。大切なのは、ニヒリズム。
やるだけのことはやって、あとのことは、知ったことか。私には、関係ない。

わかっているが、それができない。そのもどかしさ。その歯がゆさ。
私はもともと、まじめな人間ではない。無責任で、自分勝手。それにわがまま。
言うなれば、自己愛者。偽善者。そんな私が、無理をして仮面をかぶっている。

いやだなあ、そんな自分。きれいに着飾って。うわべだけ、とりつくろって。
皇室の人たちの、あのかわいそうなまでのつくり笑いを見ながら、
ふと、私だって変わらないではないかと、思ってしまう。

私の中の、何が、本当の私なのか。本当の私は、どこにいるのか。
子どものときから、化粧に、化粧を重ね、その上に、仮面をかぶって生きてきた。
「バカヤロー」「クソ食らえ」と、本当の私は、そう叫んでいる。

そうだ、本当の私は、こう叫びたい。

バカヤロー! クソ食らえ! 

ハハハ、だいぶ、気分が、楽になった。

++++++++++++++++++++

●みんな、がんばっていますね!

 いやなこと、つらいこと、わずらわしいこと……。
 打ち寄せる波のようにやってきては、そのつど、心をザワつかせる。

 思い過ごしに、取りこし苦労。それもある。
 本当は、何でもない問題ばかりなのかもしれない。

 ええい、ままよ、どうにでもなれ!、と、そう叫べば、
 すべてが解決する。

 へたにがんばるから、疲れる。へたに我をとおすから、角が立つ。
 生きているという事実の前では、すべてが、何でもない問題。

 そう、私は生きている。あなたも生きている。
 それ以上のことを望むから、話が、おかしくなる。

 「私」にこだわるから、疲れる。
 私は……、私の……、私に……、私のもの、と。

 さあ、あなたも、心のクサリを解き放ってみよう。
 心を開いて、大空の舞いあがってみよう。

 「私」のことなんか、忘れてね。何もかも、忘れてね。

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●スランプ

 英語で、デプレッションというと、「うつ状態」をいう。私の友人のB君(オーストラリア人)も、長
い間、そのデプレッションで苦しんだ。「暗いトンネルの中にいたようだった」と、当時を振り返っ
て、彼はそう言う。

 私もときどき、そのうつ状態になる。いくつかトラブルが重なると、そのあと、そうなる。ホッとし
たときに、そうなる。何をするのもおっくうになる。ひどいときは、テレビを見たり、新聞を読んだ
りするのも、いやになる。どこか精神状態がフワフワしたような気分になり、つかみどころがなく
なる。

 もっともそういう状態は、今に始まったことではない。若いときからあった。だからなれたという
か、その状態とうまくつきあう方法を、自分なりに身につけた。

その方法、第一、そういう状態になったら、さからわず、そのままの状態で、よく眠る。第二、カ
ルシウム剤をたくさんとる。第三、……。いろいろあるが、その中でも、もっとも効果的なのは、
買い物。ほしいものを、バカッと買ってしまう。

もっともあまり高価なものだと、かえって落ち込みがひどくなるので、そこそこの値段のもの。買
い物依存症になる人がいるというが、そんなわけで、私はそういう人の気持ちが、よく理解でき
る。私も、その仲間?

 結局は、人間は、何も考えないほうが、生きやすい? 先ほどもテレビを見ていたら、どこか
の鉄道の車掌が、原稿を読みながら、客にあたりの様子を説明しているシーンが出てきた。の
どかな光景だった。今ごろは、紅葉の見ごろ。

私はその車掌の、どこかヌボーッとした表情を見ながら、「この複雑な社会を生きるためには、
かえってこのほうがいいのかなあ」と、思わず考えてしまった。言われたことだけを、まあまあ、
そこそこにやって、あとはのんびりとその日、その日を、無難に暮らす……。

 私は私だが、では、その私は、私の息子たちには、どんな人生を歩んでほしいかというと、ひ
ょっとしたら、その車掌のような人生かもしれない。あまり高望みはしない。(しても無理だが…
…。)そこそこの人生を、のんびりと送ってくれれば、それでよい。本人がそれだけの力があ
り、野心もあり、そしてそれを望むなら話は別だが、そうでなければ、健康を大切にしながら、
自分の力の範囲内のことをしてくれれば、それでよい。

 そうそう少し前だが、私はこんなことを思った。インドのマザーテレサが、大きく話題になって
いたころのこと。私はもし私の息子が、インドへ行って、マザーテレサのようなことをしたいと言
い出したら、それに賛成するだろうか、と。

世界中の人は、マザーテレサを賞賛していたが、では、それが人間として、あるべき人間の姿
かというと、そうは思わない。……思えなかった。そこで当時当、私は何人かの父母にこう聞い
てみた。「あなたは、あなたの息子(娘)に、マザーテレサと同じようなことをしてほしいです
か?」と。すると、全員、「ノー」と答えた。

 話がそれたが、そう考えると、「生きる」ということが、どういうことなのか、またまたわからなく
なってしまう。まあ、あえて言うなら、自分の力の範囲で、自分の力の限界をわきまえ、無理せ
ず、生きていくということか。

そういう意味では、私など、恵まれた環境にある。ときどき、自分の仕事がこんなに楽でよいも
のかと思うときがある。あるいは私のばあい、職場そのものが、ストレス発散の場所になってい
る。自由な時間はたっぷりあるし、私に命令する人は、だれもいない。(ワイフは別だが……。)

もっともこういう環境をつくったのは、無意識のうちにも、私自身の弱点を避けるためだったか
もしれない。もし私が、大きなオフィスビルのどこかで、パソコン相手に、数字とにらめっこして
いるような仕事をしていたとしたら、とっくの昔に発狂していたか、自殺していたかもしれない。
自殺はしなくても、心筋梗塞か脳内出血で死んでいたかもしれない。

 そういうこともあって、いつしか私は、落ち込みそうになると、いつも、こんな歌を口ずさむよう
になった。

♪……のんびり行こうよ、俺たちは……あせってみたって 同じこと……

 この歌は、小林亜星氏作曲によるもの。日本の高度成長期に、ある石油会社のコマーシャ
ルソングとして、歌われたものである。あなたも気分が滅入ったら、この歌を口ずさんでみた
ら、どうだろうか。少しは気が楽になるかも? そう、私たちはのんびり行こう。あせってみて
も、どうせ同じこと。

+++++++++++++++++++++

同じ、小林亜星氏の「♪のんびり……」を歌いながら書いたのが、つぎの
原稿です。

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【親が過去を再現するとき】

●親は子育てをしながら過去を再現する 

 親は、子どもを育てながら、自分の過去を再現する。

そのよい例が、受験時代。それまではそうでなくても、子どもが、受験期にさしかかると、たいて
いの親は言いようのない不安に襲われる。受験勉強で苦しんだ親ほどそうだが、原因は、「受
験勉強」ではない。受験にまつわる、「将来への不安」「選別されるという恐怖」が、その根底に
ある。

それらが、たとえば子どもが受験期にさしかかったとき、親の心の中で再現される。つい先日
も、中学一年生をもつ父母が、二人、私の自宅にやってきた。そしてこう言った。「一学期の期
末試験で、数学が二一点だった。英語は二五点だった。クラスでも四〇人中、二〇番前後だと
思う。こんなことでは、とてもS高校へは入れない。何とかしてほしい」と。二人とも、表面的には
穏やかな笑みを浮かべていたが、口元は緊張で小刻みに震えていた。

●「自由」の二つの意味

 このS県では、高校入試が人間選別の重要な関門になっている。その中でもS高校は、最難
関の進学高校ということになっている。私はその父母がS高校という名前を出したのに驚い
た。「私は受験指導はしません……」と言いながら、心の奥で、「この父母が自分に気がつくの
は、一体、いつのことだろう」と思った。

 ところで「自由」には、二つの意味がある。行動の自由と魂の自由である。行動の自由はとも
かくも、問題は魂の自由である。実はこの私も受験期の悪夢に、長い間、悩まされた。たいて
いはこんな夢だ。

……どこかの試験会場に出向く。が、自分の教室がわからない。やっと教室に入ったと思った
ら、もう時間がほとんどない。問題を見ても、できないものばかり。鉛筆が動かない。頭が働か
ない。時間だけが刻々と過ぎていく……。

●親と子の意識のズレ

親が不安になるのは、親の勝手だが、中にはその不安を子どもにぶつけてしまう親がいる。
「こんなことでどうするの!」と。そういう親に向かって、「今はそういう時代ではない」と言っても
ムダ。脳のCPU(中央処理装置)そのものが、ズレている。

親は親で、「すべては子どものため」と、確信している。こうしたズレは、内閣府の調査でもわか
る。内閣府の調査(二〇〇一年)によれば、中学生で、いやなことがあったとき、「家族に話す」
と答えた子どもは、三九・一%しかいなかった。

これに対して、「(子どもはいやなことがあったとき)家族に話すはず」と答えた親が、七八・
四%。子どもの意識と親の意識が、ここで逆転しているのがわかる。つまり「親が思うほど、子
どもは親をアテにしていない」(毎日新聞)ということ。が、それではすまない。

「勉強」という言葉が、人間関係そのものを破壊することもある。同じ調査だが、「先生に話す」
はもっと少なく、たったの六・八%! 本来なら子どものそばにいて、よき相談相手でなければ
ならない先生が、たったの六・八%とは! 先生が「テストだ、成績だ、進学だ」と追えば追うほ
ど、子どもの心は離れていく。親子関係も、同じ。親が「勉強しろ、勉強しろ」と追えば追うほ
ど、子どもの心は離れていく……。

 さて、私がその悪夢から解放されたのは、夢の中で、その悪夢と戦うようになってからだ。試
験会場で、「こんなのできなくてもいいや」と居なおるようになった。あるいは皆と、違った方向
に歩くようになった。どこかのコマーシャルソングではないが、「♪のんびり行こうよ、オレたち
は。あせってみたとて、同じこと」と。夢の中でも歌えるようになった。……とたん、少しおおげさ
な言い方だが、私の魂は解放された!

●一度、自分を冷静に見つめてみる

 たいていの親は、自分の過去を再現しながら、「再現している」という事実に気づかない。気
づかないまま、その過去に振り回される。子どもに勉強を強いる。先の父母もそうだ。それまで
の二人を私はよく知っているが、実におだやかな人たちだった。が、子どもが中学生になった
とたん、雰囲気が変わった。そこで……。

あなた自身はどうだろうか。あなた自身は自分の過去を再現するようなことをしていないだろう
か。今、受験生をもっているなら、あなた自身に静かに問いかけてみてほしい。あなたは今、冷
静か、と。そしてそうでないなら、あなたは一度、自分の過去を振り返ってみるとよい。これはあ
なたのためでもあるし、あなたの子どものためでもある。あなたと子どもの親子関係を破壊しな
いためでもある。

受験時代に、いやな思いをした人ほど、一度自分を、冷静に見つめてみるとよい。

【補記】

 「♪のんびり行こうよ、俺たちは……。焦ってみたとて、同じこと……」は、どこか、負け惜しみ
的(?)。本当は、急いで、まっすぐ、自分の道を走りたいのに、力が出し切れない。その環境
がない。だから、自分をなぐさめるために、「♪のんびり行こうよ……」と歌う(?)。

 そんな面もないわけではない。つまりこの歌は、自分の中のフラストレーション(欲求不満)
を、なだめるための歌かもしれない。

 しかし人生において大切なことは、立ち止まる勇気をもつことではないのか。立ち止まって、
自分を見つめなおす勇気をもつことではないのか。

 私がM物産という商社をやめた、そのきっかけの一つになったエピソードに、こんなのがあ
る。

+++++++++++++++++

●私の過去(心の実験)

 私はときどき心の実験をする。わざと、ふつうでないことをして、自分の心がどう変化するの
を、観察する。若いときは、そんなことばかりしていた。私の趣味のようなものだった。

たとえば東京の山手線に乗ったとき、東京から新橋へ行くのに、わざと反対回りに乗るなど。
あるいは渋谷へいくとき、山手線を三周くらい回ってから行ったこともある。

一周回るごとに、自分の心がどう変化するかを知りたかった。しかし私の考え方を大きく変えた
のは、つぎのような実験をしたときのことだ。

 私はそのとき大阪の商社に勤めていた。帰るときは、いつも阪急電車を利用していた。その
ときのこと。あの阪急電車の梅田駅は、長い通路になっていた。その通路を歩いていると、た
いていいつも、電車の発車ベルが鳴った。するとみな、一斉に走り出した。私も最初のころは
みなと一緒に走り、長い階段をかけのぼって、電車に飛び乗った。

しかしある夜のこと、ふと「急いで帰って、それがどうなのか」と思った。寮は伊丹(いたみ)にあ
ったが、私を待つ人はだれもいなかった。そこで私は心の実験をした。

 ベルが鳴っても、わざとゆっくりと歩いた。それだけではない。プラットホームについてからも、
横のほうに並べてあるイスに座って、一電車、二電車と、乗り過ごしてみた。

それはおもしろい実験だった。しばらくその実験をしていると、走って電車に飛び乗る人が、ど
の人もバカ(失礼!)に見えてきた。当時はまだコンピュータはなかったが、乗車率が、130〜
150%くらいになると電車を発車させるようにダイヤが組んであった。そのため急いで飛び乗
ったようなときには、イスにすわれないしくみになっていた。

 英語に、『休息を求めて疲れる』という格言がある。「早く楽になろうと思ってがんばっているう
ちに、疲れてしまって、何もできなくなる」という意味だが、愚かな生き方の代名詞にもなってい
る格言である。

その電車に飛び乗る人がそうだった。みなは、早く楽になりたいと思って電車に飛び乗る。が、
しかし、そのためにかえって、よけいに疲れてしまう。

 ……それから35年あまり。私たちの世代は企業戦士とか何とかおだてられて、あの高度成
長期をがむしゃらに生きてきた。人生そのものが、毎日、発車ベルに追いたてられるような人
生だった。どの人も、いつか楽になろうと思ってがんばってきた。

しかし今、多くの仲間や知人は、リストラの嵐の中で、つぎつぎと会社を追われている。やっとヒ
マになったと思ったら、人生そのものが終わっていた……。そんな状態になっている。

私とて、そういう部分がないわけではない。こう書きながらも、休息を求めて疲れるようなこと
は、しばしばしてきた。しかしあのとき、あの心の実験をしなかったら、今ごろはもっと後悔して
いるかもしれない。

そのあと間もなく、私は商社をやめた。今から思うと、あのときの心の実験が、商社をやめるき
っかけのひとつになったことは、まちがいない。

【補記2】

 やはり、「♪のんびり行こうよ……」は、いい歌です。私は何度も、この歌と歌詞に救われまし
た。小林亜星さん、そしてそのコマーシャルを流してくれたM石油さん、ありがとう。

 そうそうそのM石油。一度、入社試験を受けたことがあるんですよ。学生時代の話ですが…
…。そのあとM物産に入社が内定したので、そのままになってしまいましたが……。ごめん!

 
++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(606)

●我欲をなくす

 我欲をなくすということは、たいへんなことだと、今夜、自転車のペダルをこぎながら、そう思
った。

 どうせ死ねば、私はこの世から消える。そしてこの世を認識する私が消えるわけだから、私
にとっては、この世も消えることになる。

 だからこの私が、我欲に執着するとしても、それは、私が死ぬまでのこと。だったら、執着し
て、不愉快な思いをするくらいなら、我欲を捨て、残り少ない「時」を、楽しく過ごしたほうがよ
い。

 わかりきったことだが、人間の意識というのは、そうは簡単にできていない。映画の世界を、
現実と錯覚することがあるように、ときに、現実の世界に空想をからませてしまう。あるはずも
ない、(あの世)を、あると信じてしまうのも、そのひとつ。

 たとえば今、私は、こうして原稿を書いているが、これはたしかに、私の文章である。が、そ
の私が死んだら、どうなるか? だれがどのように盗用したり、盗作したりしても、それを不愉
快に思う、「私」そのものが、いない。

 そこでこうした文章は、私が書いたというより、人間の1人が書いたと考えたらどうだろうか。
私の知的財産は、みなのもの、と。たとえば、今、こうして書いている文章にしても、中国人や
日本人が、何千年もかけて開発した、漢字やひらがなを使って書いている。「私の文章」と意っ
ても、私はその漢字やひらがなを、並びかえているにすぎない。

 が、「だから、ご自由に!」と言いたいが、そうはいかないところに、私の我欲がある。私が死
んだあとも、私の文章は、私のもの。そういう願いは、ある。つまり、そういう願いを、ふっ切る
ところまで、我欲を捨てるのは、たいへんなことだ。

 『無我は、大我』という。最近知った言葉だが、ものすごい言葉だと思う。無我になった人は、
世界どころか、宇宙まで、自分のものにすることができるという。このことは、反対に、70歳や
80歳を過ぎても、我欲にとりつかれている人を見れば、わかる。

 世間体を気にして、玄関先で倒れても、救急車を呼ぶなと、隣人に告げた老人がいる。私の
近所の人だが、今年83歳になる。「近所の人たちに、恥ずかしいから」と。

 見苦しいなどというものではない。浅はか。醜悪。軽蔑しようにも、その軽蔑すら、できない。
つまり相手にしたくない。

 しかし私は、あと何年、生きられるだろうか。10年か、20年か、それとも30年か。どちらに
せよ、あっという間だ。

 そこで私は、最近、こんなことに心がけている。

 「私のもの(mine)」という考え方を、できるだけ避けるということ。「もの」には、名誉や地位な
ども含まれるが、とくに、物体的な「モノ」については、できるだけ考えないようにしている。

 そういう意味では、気前がよくなったのかもしれない。若いころから寛大だったが、このとこ
ろ、さらに寛大になってきたように思う。だれに対しても、「ほしければ、もっていけ」と、言うこと
が多くなった。

 もちろん私が必要としているものは、大切にしているが、そうでないものについては、平気に
なってきた。

 が、それでも、そこには、限界がある。その限界を感ずるたびに、「むずかしいな」と思う。高
徳な聖職者や信仰者なら、それができるかもしれない。またそのために、日々、心の鍛錬をし
ている。

 が、私は、まだ、「私」にこだわっている。そしてそれが、そのつど、我欲となって、表に出てく
る。

 さあ、どうしようか? どうしたらよいものか? この人間社会で生きていくためには、ある程
度の我欲がなければならない。すべてを無(無料)にしたら、生きていくことすら、できない。翌
日には、餓死することになる。

 その入り口のドアは、すぐそこにある。見えている。見えているのに、そこへ入る勇気が、私
には、まだない。

●ドアの向こう

 みなさんは、新しい世界を、心のどこかに感じたとき、同時に、そこへ入るためのドアを感じ
たことはありませんか。

 そのドアをくぐって、その向こうの世界に入れば、まったく別の経験ができるかもしれない。し
かしそのドアをくぐることの勇気というか、度胸が、ない。だから「現状のままでいい」と考えて、
その前で、立ちすくんでしまう。

 そういう経験です。

 私のばあい、今までに、何度も、そういう場面があったように思いますが、結局は、勇気がな
かった。そう思います。

 20代の終わりごろ、本気で、オーストラリアへの移住を考えたこともあります。ビジネスの世
界で、大成功した友人がいて、誘ってくれたこともあります。しかし最後の最後で、ふんぎりが
つかなかった。

 ドアがそこにあり、そこに見えているのに、くぐることができなかった……。

 実は、今も、そのドアを感じています。「心のドア」と言えるようなものかもしれません。そのド
アをくぐってしまえば、どんなにか気が楽になるかもしれない。それはわかっているのですが、
その一歩手前で、しりごみしてしまいます。

 今の生活が、ほどほどに、まあまあであるため、あえて冒険などしなくても……という気分に
なるのかもしれません。結局は、おくびょうで、日和見(ひよりみ)主義者なのかもしれません。

 しかし実感としては、そのドアをくぐらなければならない日は、そんな遠くではないような気がし
ます。時間は永遠にあるわけではないし……。どうせくぐらなければならないものなら、早けれ
ば早いほど、よい。

 そう思っています。またドアをくぐるときには、みなさんに報告します。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●ボケた兄から、学ぶもの

 兄を反面教師として、学ぶべき点は、少なくない。

 その第一。

ボケ(認知症)といっても、全体に知能低下が見られるというよりは、部分的なものであること。
それに、一日のうちにも、症状が、あれこれ変化するということ。うつ病特有の日内変動にも似
ているが、そういった周期性や、規則性はない。万事、気まぐれ。

 で、よく観察してみると、常に思考がループ状態に入っていることがわかる。同じことを考え、
同じことを言い、また同じ状態に戻っていく。

 思考の拡散ができない。あるいは、新しい思考方法でものを考えることできない。

 こうした(思考のループ性)は、早い人で、20〜30代で始まるのでは? そして一度、それが
始まると、それから抜け出るのは、容易なことではない。老人について言えば、思考内容その
ものが、青年期のままの人は、多い。「日本を立てなおすためには、武士道しかない」とか、何
とか。80歳になっても、20歳ごろ学んだ知識のままという老人も、少なくない。

 「この人は、その間の、50〜60年間、何を考えてきたのだろう?」とさえ、思ってしまう。

 実は、兄もそうで、ワイフに言わせると、「時計が、16、7歳のときに、止まったままみたい」と
いうことになる。兄は、そのころまでの話しか、しない。つまり思考が、その時期までの範囲で、
完全なループ状態に入っている。

 この思考のループ性は、そういう意味で、たいへん危険なものでもある。

 それはたとえて言うなら、単調な生活環境の中で、単調な日常生活を、何も考えず、繰りかえ
しているのに似ている。それなりに、その範囲では、ふつうの生活ができるが、それ以外のこと
ができなくなる。

 つまり、同じようなことを、同じように、毎日、繰りかえして考えるようになったら、人間も、おし
まいということ。

 このことは、たとえば人と会ってみるとわかる。5年ぶりとか、10ぶりでよい。

 思考のループ性の強い人は、5年たっても、10年たっても、同じような話をする。「あれ、この
人、20年前も、同じ話をしていたぞ」と思ったら、その人の思考能力は、ループ状態に入って
いるとみてよい。そうでない人は、いつも話題が豊富で、まったく、ちがった話をする。

 兄の自己中心性、それにつづく人格の崩壊については、すでに書いた。またボケるから、死
の恐怖から遠ざかるとか、「生」への執着心が薄まるということもない。それについても、すでに
書いた。むしろ、ボケればボケるほど、死をこわがるようになり、「生」への執着心をますのでは
ないか?

 そこでさらに話を一歩進めて、では、兄にとって、生きるというのは、どういうことなのかという
問題について、考えてみたい。

 同居して、この3月で、3か月になるが、この間、症状は、大きく変わっていない。変わってい
ないのはよいが、ただ毎日、起きて、3度の食事をして、寝るだけ。

 ときどき、あちこちへ連れていくが、そういうものを、楽しんだり、理解したりする能力は、ほと
んど、ない。ワイフは「ムダではないわよ」というが、私には、まったくの、ムダに見える。

 これも思考がループ状態に入っているためではないか。そのループの外にあることについて
は、まったく理解できない。理解しようともしない。たとえば幼児の絵本を読ませようとしたことも
あるし、絵も描かせようとしたこともある。しかしまったくと言ってよいほど、興味すら、示さな
い。

 思考の融通性そのものが、ゼロ。好奇心も、ゼロ。幼児でこういう症状が見られたら、かなり
深刻な問題と考える。が、相手が、老人では、深刻に考える前に、「もうダメだな」とあきらめて
しまう。

 で、最近、ボケというのは、あくまでも相対的なものということがわかってきた。

 私から見るから兄は、ボケてみえるが、その私とて、もっと、知的水準の高い人から見れば、
ボケて見えるにちがいないということ。前にも書いたが、CDプレーヤーで四苦八苦している兄
の姿を見ていたとき、パソコンで四苦八苦している私の姿、そっくりなのには、驚いた。

 自分のことしか考えない自己中心性にしても、現実検証能力にしても、程度の差こそあれ、こ
の私にもある。繰りかえしになるが、ボケというのは、あくまでも、相対的なものでしかないとい
うこと。

 最後に、人というのは、たがいに心を開きあうから、そこから(つながり)が生まれる。心の閉
ざした人とは、そういう(つながり)が生まれない。

 で、いくら兄でも、同じように、ボケた人とは、その(つながり)が生まれないことがわかった。
兄にとっては、私やワイフは、利用すべき、存在らしい。自分のことしか考えていないから、兄
のために苦労しているワイフや私の努力を、兄は、理解することができない。

 今でも、食事の時間が、10分でも遅れると、パニック状態になる。自分で、時計のハリをクル
クルと回してしまい、「時間がわからい」と騒ぐ。つまり「時間になったのに、なぜ、食事の用意
をしないのか」と。

 超自分勝手で、超わがまま。そういう人間と、どうやって、(つながり)をつくることができるの
か。つくったら、よいのか。

 人というのは、相互の愛と、相互の慈悲で、その(つながり)をつくる。心理学でいえば、たが
いの共鳴性ということになる。俗な言い方をすれば、たがいの思いやりということになる。一方
的な関係では、それをつくることができない。

 兄にすれば、私たちが兄を世話をするのが、当然と考えている。ときどき気が向いたとき、
「ありがとう」とは言うが、こちらの胸に響かない。それもそのはず、食事にしても、手伝いはい
っさい、しない。あと片づけもしない。何か、仕事を頼むと、それだけで、パニック状態になる。

 少し前も、自分の水筒にお茶を注がせてみたのだが、お茶の入ったポットを、わざとテーブル
から、落としてしまった。「こんなこと、オレにさせるな」と兄が、言外に言ったような気がした。

 で、そういう兄は、孤独なはずなのだが、その孤独感は、兄について言えば、さほど、ないよ
うだ。もともと回避性障害のようなところがあった。人とのつきあいが、苦手だった。音楽を聞い
たり、文字を書いたり、好き勝手なことをして、一日を過ごしている。

 最初、廊下で、大便や小便をこぼされたときには、ワイフも私も、かなりショックを受けたが、
今は、もう考えないようにしている。「子どもの便と同じと思えばいい」と。

 こういうボケ老人を介護するときは、静かに、温かく、無視するのが、何よりもよいようだ。相
手が、何かを求めてきたら、それにはていねいに応じてやる。しかしそれまで、静かに、温か
く、無視する。こちらから、あれこれ気をつかう必要はない。いわんや、教育してやろうなどと、
気負うこともない。

 兄は兄。私たちは私たち。

 そうでないと、介護する私たちの側まで、気がヘンになってしまう。ホント! +ハハハ。(ここ
も、笑ってごまかす。)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司
 

●「計画」と「実行」の間のハバ 

 このS県で、S大の大学生(夜間)が、殺人事件の容疑で、逮捕された。被疑者の大学生は、
事件については、黙秘しているという。だからこの段階では、「推定、無罪」という前提で、話を
進めるしかない。

 新聞報道によれば、その前日、被疑者は、偽名を使って、同ビルの一階にある医院を、訪問
している。またこの事件では、2人の女性が殺害されているが、その殺害事件が起きた前後
に、近所の人が、男が自転車に乗って、逃走したのを目撃している。

 その自転車のタイヤの跡と、被疑者のもっている自転車のタイヤの跡が一致している。しか
もその大学生には、当日のアリバイがない。

 つまり、状況証拠からすると、その大学生は、かなりクロに近いということになる。それで昨
日、その大学生は、容疑否認のまま、逮捕された。警察署長も談話で発表しているように、「こ
の事件は、かなりむずかしい事件になりそうだ」。

 ……私はこの事件を、新聞で読みながら、これからは、この種の凶悪事件は、増えるだろう
なと思った。凶悪事件というのは、ふつう、殺人、強盗、放火、強姦の4つをさす。

 この中でもここ10年、とくにふえているのが、強盗。

 平成6年に、2684件だったのが、平成15年には、7664件にまで、増加している(警察庁
統計)。(全体の犯罪件数では、約178万件から、290万件へと、ふえている。)

 しかし検挙数は、2100件(強盗、平成6年)から3855件(平成15年)と、検挙率でみるかぎ
り、さがっている。

 78%から、50%への低下である。わかりやすく言えば、10年前には、強盗事件は、ほとん
どが解決していたが、今は、半分ということ。

 これにくらべて、殺人事件について言えば、検挙率は、95%から94%に低下したにすぎな
い。アメリカでは、62%(01年)というから、まだまだ日本の警察も、がんばっているということ
になる。

 で、今では、だれが凶悪事件を起こしてもおかしくない時代になった。職種や学歴には関係な
い。名声や評判も、関係ない。大学の教授が、手鏡で女子高校生のスカートの下をのぞいた
り、衆議院議員が、女性に抱きついたりする。その延長線上に、今回の事件がある。

 同じ県の中で起きた事件ということで、このあたりでも、親たちは、その話題ばかり。「あのS
大学の学生がネエ……」と。

 ところで、こうした犯罪には、段階がある。これは私が考えた、『段階説』だが、こういうこと。

(第一段階)空想したり、夢想したりする。
(第二段階)具体的に計画したり、構想をねったりする。
(第三段階)行動に向けて、準備する。
(第四段階)具体的な行動を始める。
(第五段階)実行する。

 このうち、第一段階と第二段階は、どんな人でも、ある程度は、いろいろな場面で考える。私
も銀行の窓口の前に座って、時間を待つときは、いつでも、銀行強盗の方法を考える。それが
趣味になってしまった。

 しかしそれは考えるだけ。もしそれが悪いというなら、世にいる、推理小説家は、すべて職を
失うことになる。松本清張は、悪人ということになる。

 しかし(考える)ことと、(行動する)ことの間には、大きな距離がある。この距離感の広さが、
その人の理性のハバということになる。行動に移す前に、無数の倫理観や道徳観が、その間
に介入してくる。

 が、このところ、若い人を中心に、このハバが狭くなってきたように思う。つまりそれが、若い
人たちの凶悪事件がふえた、本当の理由ではないかと思う。もっとわかりやすく言えば、犯罪
そのものが、ゲーム化し、「思考」というブレーキがきかなくなっている(?)。

 たとえば私が子どものころは、万引きというのは、大罪だった。しかし今では、約20%の若
者たちは、何とも思っていないという(テレビ報道)。同じように、人の死についても、感覚が変
わってきているのかもしれない。

 もちろんだからといって、その大学生が犯人とはかぎらない。ひょっとしたら、事件の真相は、
こうかもしれない。

 たまたまその大学生は、知りあいになった女性に会いに行った。デートに誘うつもりだった。
しかし行ってみると、そのとき、すでにその女性と、もう1人の女性は殺されていた。そこでその
大学生は、あわてて現場から逃げた。自分は決定的に、不利な立場にいる。それでその大学
生は、事件について、黙秘している、と。

 新聞報道によると、すべてが状況証拠だけで、直接的な証拠はないという。これからの操作
がどう進展するか、注視したい。

【補記】

 この「思考と実行の間のハバ」について書いているとき、これは何も、悪行のことについてだ
けではないと、私は気がついた。

 たとえば近所の空き地に、ゴミが散乱していたとする。すると心の中で、「ゴミ拾いをしよう」と
考える。

 しかしそれを実際、行動に移して、実行するためには、かなりのふんぎりが必要である。「よう
し、やってやるぞ!」という、ふんぎりである、

 そのために大きなポリ袋を用意し、カニばさみを用意する。外は寒いので、それなりの覚悟も
必要である。

 考えてみれば、これも(ハバ)である。

 となると、このハバに作用する力は、二つあることになる。

 一つは、悪行に、ブレーキをかける、理性や道徳観や倫理観など。

 もう一つは、善行をふるいたたせる、理性や道徳観や倫理観など。

 前者を、(悪行をおさえるブレーキ)とするなら、後者は、(善行を推進するアクセル)というこ
とになる。

 これは大発見だ!

 私たちは、ともすれば、理性や道徳観や倫理観を、まとめて一つのものにして考える傾向が
ある。またそのように考えるのが、一般的である。

 しかしその中身はちがう。そしてここが重要だが、これらの二つの(ブレーキ)と(アクセル)
は、別々に人間の心に作用する。

 わかりやすく言えば、(ブレーキ)の強い人が、それだけ、一方で、善行を行うかというと、そう
いうことはない。悪いことはしないが、いいこともしないという人は、いくらでもいる。

 また(アクセル)に強い人が、それだけ、悪行をしないかというと、そういうこともない。いいこと
もするが、悪いことも同じようにするという人も、少なくない。

 そこでここでの大発見をまとめると、こうなる。

 理性にせよ、道徳観や倫理観にせよ、悪に対するブレーキとして働く理性や道徳観や倫理観
がある。

 一方、善に対するアクセルとして働く理性や道徳観や倫理観もある。

 これら二つは、これから先、子どもの理性、道徳観、倫理観を考えていくとき、分けて考える
必要がある。(新しい思想、ゲット!)
(はやし浩司 倫理 道徳 理性 ブレーキ論 アクセル論)


++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●国際情勢

 国際情勢が、混沌(こんとん)としてきた(3・11)。

 日韓関係は、竹島問題をはさんで、急速に悪化。朝日新聞社の軽飛行機が近づいただけ
で、韓国側は、ジェット戦闘機を派遣。韓国外相の訪日を中止。

 アメリカはイラン問題がこじれて、このところ中国との関係を、これまた急速に見なおし始め
ている。

 そしてその中国は、K国の核問題が、国連安保理に付託されても、拒否権は使わないと言い
だした。韓国も、一線を引くと言いだした。ことK国ついて言えば、K国は、万事休す! 

 K国問題もさることながら、へたをすれば、台湾をはさんで、米中関係が、かなりこじれる心
配が出てきた。そうなれば、K国の核兵器問題など、どこかへ吹き飛んでしまう。おまけに今朝
(3・11)のニュースによれば、その中国は、イランのみならず、K国にまで、ミサイル技術など
を提供していたという!

 K国もK国なら、中国も、中国だ。それともK国は、中国を見習っているだけ?

 その間に立たされて、さあ、日本よ、どうする?

 私が外務大臣なら、日本→フィリッピン→マレーシア→インドネシア→オーストラリア→インド
という、どちらかというと親日、反中国の国々との連携を深め、中国包囲網を構築する。そうい
った国々と、ゆるい自由貿易協定を結ぶのもよい。

 韓国にせよ、K国にせよ、中国にせよ、ああいう国の人たちの心が溶けるのを待っていたら、
まだこの先、半世紀はかかってしまう。その間に、日本は、沈没してしまう。

 K国の核問題は、ほんの少しだが、先が見えてきた。が、それとは反比例する形で、日本を
含む東アジアが、急速に悪化し始めている。ここはしばらく、日本は、アメリカのご威光にすが
りながら、様子を見るしかないようだ。
(3月11日記、国際情勢は、どんどん変化しています。この記事は、3月11日に書いたもので
す。)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

+++++著作権BYはやし浩司++++++copy right by Hiroshi Hayashi+++++

最前線の子育て論byはやし浩司(607)

●小学校の高学年のみなさんへ

(高学年のみなさんへ)

BWでは、高学年になるにつれて、指導方法を変えていきます。教えるのではなく、自分で勉強
するよう、子どもたちをしむけていきます。手取り、足取り指導は、一見、親切な指導法に見え
ますが、子どもに依存心をもたせてしまい、長い目で見ると、子どものためには、よくありませ
ん。

たとえばよくある例は、何とか、高校までは入れたが、そのあと子どもが、勉強しなくなってしま
うケースです。燃え尽き症候群を示したり、荷おろし症候群を示すこともあります。

小学1〜3年のときは、いわゆるスクーリング方式で教えさせていただきますが、4〜5年にか
けて、1クラス、5〜6人前後の混合クラスに編成しなおしていきます。

上級生(中学生)といっしょに、学習することもあります。これは、(教える)という指導方針か
ら、(子ども自身が、自ら学ぶ)という方向へ、子どもを誘導していくためです。

子どもたちは、上級生の間にすわり、そこで上級生がもつ勉強グセをもらうようにします。最
初、2、3か月はいろいろ、とまどうようですが、それも一巡すると、子どもは、自分から進んで
勉強するようになります。

つまり、(1)子ども自身が、教科書やワークブックを自分で開き、自分で勉強するという姿勢を
養います。

教える側は、(2)「わからないところがあったら、もってきなさい」という教え方をします。もちろ
ん、ある程度の方向性をつけるときや、そのつど、重要なところでは、ふつうのスクーリングの
ような教え方をします。

大切なのは、(3)いかにして、勉強グセを、子どもにもたせるか、です。そして子どもが、ひとり
で、自学、自習できるように、指導していきます。

これが伝統的なBWの教え方です。

+++++++++++++++++++++++++

【この方式の利点】

この方式のすぐれている点は、子ども自身が、自ら学んでいくという力を身につけることです。
この時期、依存心をつけさせてしまうと、だれかに指導してもらわないと、何もできない……、そ
んな子どもになってしまいます。

また自学・自習の姿勢が身につくと、あとは、子ども自身の力で、どんどんと、先へ進むように
なります。こうなれば、しめたもので、子どもによっては、1、2年先の学習までするようになりま
す。

ここ数年の実績を、紹介します。ここに書くことは、誇張された嘘では、ありません。

N君……小学5年のときには、中3の学習を終えていました。
D君……小学6年のときには、中3の学習を終えていました。

N君、D君は、現在、東京の麻布中学と高校に通っています。

O君……小学6年のときには、高校1年レベルまで進みました。O君は、現在、函館ラサール
中学にいます。

O君(小5)は、現在、中3の数学を学習しています。
Oさん(小4)は、現在、中1の数学を学習しています。

ほかにも、1、2年飛び級している子どもは、全体の2〜3割はいます。さらに、小5クラスのみ
なさんは、ほとんどが、今、中1のレベルまで飛び級しています。

ほかにもいろいろな例がありますが、これがBW教室の指導法です。安心してお任せください。

こうした指導法ができるのも、幼児期から私の教室へ来てくださり、子どもたちが、(勉強が好
き)という意識を、しっかりともっているからです。それに私と、父母のみなさんとの、信頼関係
がしっかりとできているからです。

●4月からの予定

 新4〜5年生の人たちは、それぞれ、クラスを分散していきます。一度に、分散はできないた
め、みなさんのご都合をお聞きしながら、1か月に1〜2人という割合で、移動していただくよう
にします。よろしくご協力ください。

 曜日、クラス編成は、どうか、私にお任せください。よろしくお願いします。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●T女史のこと

 T女史という、あまり有名ではないが、1人の女性コラムニストが、10数年前に、なくなった。
静かな死に方だった。

 その前の年の秋に、T女史の家に遊びに行くと、T女史は、玄関から長い通路を経て、一番
奥の部屋に案内してくれた。廊下の途中の部屋には、痴呆症の母親がいたということだった
が、私は、会わなかった。

 T女史は、私の本を出版したいと言ってくれた。私は、すなおに「お願いします」とだけ言った。
T女史とのつきあいは、そのとき、すでに15年近くになろうとしていた。

 が、これはあとでわかったことだが、そのとき、すでにT女史は、大腸がんをわずらっていた。
一度手術をして、よくなった状態だったという。もちろん私は、知らなかった。

 が、それから1か月ほどあとのこと。T女史から電話がかかってきた。元気な声だったが、こう
言った。

 「林さん、林さんから頼まれていた原稿の件だけど、出版の手伝いはできなくなりました。ごめ
んね」と。

 私は、それに従った。この世界ではよくあることである。本の世界では、売れる、売れないと
いう視点で、出版するかどうかを、決める。内容は、つぎのつぎ。私は勝手に、「T女史が、売
れない本と判断したためだろう」と、自分をなぐさめた。

 が、それからわずか、3か月後、訃報が届いた。T女史の体中に、がんは、転移していた。私
は、それを聞いて、神奈川県のF市に向かった。

 「元気だったのに……」と思ったが、電話で知らせてくれた、T女史の元同僚のN氏は、こう言
った。

 「林さんに最後の電話をしたのは、病院の中からだったはずですよ。すでにそのとき、末期で
ね。会話をすることも、できなかったはずですよ」と。

 それに答えて、「いえ、元気そうな声でした」と言うと、N氏は、さかんに「そうでしたかア」「そん
なはずはないのですがねエ」と、元気のない返事を繰りかえした。

 で、T女史の葬儀は、簡単なものだった。痴呆症の母親は、葬儀には来ていなかった。別の
県に住む、T女史の弟氏が、喪主を努めていた。私は、長い間の礼を、何度も弟氏に告げた。
そして頼まれるまま、火葬場まで、同行した。

 場所は忘れたが、火葬場の上を、アメリカ軍の飛行機が、ものすごい爆音を落としながら、
何度も行き来していた。今から思うと横田基地の近くでではなかったか。あるいは立川基地だ
ったかもしれない。

 私は、そのあまりにも静かな葬儀に、驚いた。T女史は、マスコミの世界では、それなりに活
躍した人物である。本も、エッセー集だが、十冊近くも書いていた。晩年は、いくつかの出版社
と契約して、人生相談にも応じていた。私が、はじめてT女史の家に遊びに行ったときも、その
間に、2、3度、その電話がかかってきた。T女史は、都会の女性、独得の言い方で、「そうした
ら、いいでしょう」「そうしなさいよ」と言っていた。

 そのT女史のことを今、ふと思い出しながら、こう考える。

 T女史にとって、ものを書くという仕事は、何だったのか、と。T女史も、ヒマさえあれば、いつ
も文を書いていた。「書くことは、本当に楽しいわ」と言っていた。しかし今、インターネットで検
索しても、T女史の名前は、どこにも出てこない。生涯、独身で通した人で、著者名も、本名を
使っていた。だから、どこかに痕跡があるはずだと思ってさがしたが、やはりなかった。

 そのあと、痴呆症の母親は、どうなったのだろう。弟氏と会ったのは、それが最初で最後だっ
た。その後、連絡はない。「T」という名字は、たいへん珍しい名字で、少し変わった字を使って
いた。だから、下の名前がわかれば、弟氏をさがしだすことができるかもしれない。

 しかしさがしだしたところで、どうしようもない。

 で、今でも気になるのは、最後の電話が、病院の中からだったということ。しかもN氏の話に
よれば、そのころは、口もきけないほど、末期だったということ。私には、きっと最後の声をふり
しぼって、電話をしてきたにちがいない。もともと気丈夫な人だったが、最後の最後まで、弱音
を吐くこともなかった。

 そう言えば、T女史がなくなったのは、正月も終わり、ほっと一息ついた、3月のはじめころで
はなかったか。ちょうど、季節でいえば、今ごろのことだった。
(05年3月11日記)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


●人生の損得

 若いころ、親の莫大な財産を引き継いだ人の話を聞くたびに、私は、こう思った。「うらやまし
いな」と。

 ほかにも、宝くじを当てたとか、土地を転がしてもうけたとか、さらには、ビジネスで成功したと
か、など。そのつど、「うらやましいな」と思った。

 しかし私は、自分の人生を振りかえってみたとき、そういう(ラッキーなこと)は、何もなかった
ような気がする。遺産など、もらうどころか、23、4歳のときから、収入の半分を、実家へ送っ
ていた。

 ワイフの父親が死んだときは、通帳に残っていた現金を、みなで分けた。それも10万円だけ
だった。

 だから私は、よくワイフにこう言う。「ぼくらは、だまされたことはあるけど、何もいいことはなか
ったね」と。

 信頼していた親戚の男に、お金をだまし取られたこともある。世の中、そういうもの。

 が、ワイフは、こう言った。

 「私たちの財産は、健康よ。それに仕事もそうよ」と。

 これといった病気をしなかっただけでも、ラッキーだというわけである。それに57歳になった
現在でも、今までどおりの仕事ができるということだけでも、すばらしい。

 そう考えると、「何もいいことはなかった」ではなく、私たちは、すばらしい財産をもっているこ
とになる。もっとも仕事のほうは、年々、しりすぼみになってきた。もう、若いころのような元気
はない。ない分だけ、先細り。

 それはしかたのないことのように思う。あとは、何かのために、毎日、心の準備を整えつつあ
る。何かわからない。しかし「何か」だ。

 ワイフは、こう言う。

 それらをまとめてみると、こうなる。

(1)息子たちが、外の世界で、安心して羽をのばせるよう、あと押しする。
(2)いつ息子たちが戻ってきてもよいように、暖かい家庭を用意しておく。
(3)息子たちに、いらぬ心配をかけないように、こころがける。
(4)息子たちが、何かを相談してきたら、人生のアドバイスをしてあげる。

 「自分のことはいいのか?」と聞くと、「私のことはいい」と。ワイフは、昔から、そういう女性で
ある。慈悲深いというか、「相手にいいようにしてあげるのが、慈悲よ」を、口ぎせにしている。

私「赤いミニスカートをはいて、ぼくを挑発していたころのお前とくらべると、お前も、人間的に
深みができたね」
ワイフ「あなたに苦労をさせられたからよ」
私「そうだろうね。ふつうの女性なら、ぼくのそばに、3日もいないよ」
ワイフ「そうかもね」と。

 つづいて、夫婦げんかの話になった。

私「ぼくらは、夫婦げんかばかりしていたよ」
ワイフ「でもね、今にしてみれば、おたがいに言いたいことを言いあったというのが、よかったか
もしれないわよ。今、離婚問題をかかえている人は、ほとんどけんかもしないってことよ……」
私「おたがいに口をきかなくなったら、夫婦もおしまいだね」
ワイフ「けんかをしないというのは、危険信号みたいね」と。

 けんかをするのがよいわけではないが、けんかをするのも疲れたというくらい、けんかをして
おけばいいのかもしれない。それも若いうちに……。

 とくに、この私は、若いころは、だれにも、心を開くことができなかった。上辺では愛想よくつき
あったりしたが、それは仮面。「どうすれば、私はいい人間に見られるだろうか」「どうすれば、
私は得をするだろうか」と、そんなことばかりを考えていたように思う。

 ワイフに対しても、そうだった。心のどこかで、いつも、「この女性も、いつか、ぼくから去って
いくだろうな」と、そんなふうに考えていた。心を開かないから、そこにあるのは、不信感だけ。
そんな私に、ワイフのほうだって、心を開けるわけがない。

 さみしい思いをしたのは、私だけではなかった。いつしか、ワイフはワイフで、「いったん、こと
あれば、離婚」と構えるようになった。今から思えば、それは当然のことだった。

 原因は、私が生まれ育った貧弱な家庭環境にあった。そしてさらにその背景には、戦前から
戦後への価値観の変動期、戦後の混乱期があった。私の母などは、子どものころは、「お姫
様」と呼ばれていたという。

 そのせいか、自転車屋の夫(私の父親)と結婚してからも、60年以上の長きに渡って、一度
とて、ドライバーを握ったことがない。土間の掃除すら、したことがない。店先のガラス戸をふい
たことすら、ない。油で汚れる仕事は、大嫌いだったようだ。そういった仕事は、すべて、兄や
父、姉や私の仕事だった。

 一方、父は、酒を飲んでは、暴れた。私にとっては、つらい毎日だった。今になって、当時の
私を知る、親戚の人たちは、「浩司は、明るくて朗らかだった」とよく言う。

 しかし本当の私は、そうではなかった。ちょうど捨て犬が、だれにでもシッポを振るように、私
は、みなに、シッポを振っていただけである。

 そんな悲しい思い出を書いたのが、つぎの原稿。今でも、この原稿を読むと、涙で目がうる
む。

++++++++++++++++++

●父のうしろ姿

 私の実家は、昔からの自転車屋とはいえ、私が中学生になるころには、斜陽の一途。私の
父は、ふだんは静かな人だったが、酒を飲むと人が変わった。二、三日おきに近所の酒屋で
酒を飲み、そして暴れた。大声をあげて、ものを投げつけた。

そんなわけで私には、つらい毎日だった。プライドはズタズタにされた。友人と一緒に学校から
帰ってくるときも、家が近づくと、あれこれと口実を作っては、その友人と別れた。父はよく酒を
飲んでフラフラと通りを歩いていた。それを友人に見せることは、私にはできなかった。

 その私も五二歳。一人、二人と息子を送り出し、今は三男が、高校三年生になった。

のんきな子どもだ。受験も押し迫っているというのに、友だちを二〇人も呼んで、パーティを開く
という。「がんばろう会だ」という。土曜日の午後で、私と女房は、三男のために台所を片づけ
た。片づけながら、ふと三男にこう聞いた。

「お前は、このうちに友だちを呼んでも、恥ずかしくないか」と。

すると三男は、「どうして?」と聞いた。

理由など言っても、三男には理解できないだろう。私には私なりのわだかまりがある。私は高
校生のとき、そういうことをしたくても、できなかった。友だちの家に行っても、いつも肩身の狭
い思いをしていた。「今度、はやしの家で集まろう」と言われたら、私は何と答えればよいのだ。
父が壊した障子のさんや、ふすまの戸を、どうやって隠せばよいのだ。

 私は父をうらんだ。父は私が三〇歳になる少し前に死んだが、涙は出なかった。母ですら、
どこか生き生きとして見えた。ただ姉だけは、さめざめと泣いていた。私にはそれが奇異な感じ
がした。が、その思いは、私の年齢とともに変わってきた。

四〇歳を過ぎるころになると、その当時の父の悲しみや苦しみが、理解できるようになった。商
売べたの父。いや、父だって必死だった。近くに大型スーパーができたときも、父は「Jストアよ
りも安いものもあります」と、どこかしら的はずれな広告を、店先のガラス戸に張りつけていた。

「よそで買った自転車でも、パンクの修理をさせていただきます」という広告を張りつけたことも
ある。

しかもそのJストアに自転車を並べていたのが、父の元親友、つまり近所の男だった。その男
は父とは違って、商売がうまかった。父は口にこそ出さなかったが、よほどくやしかったのだろ
う。戦争の後遺症もあった。父はますます酒に溺れていった。

 同じ親でありながら、父親は孤独な存在だ。前を向いて走ることだけを求められる。だからう
しろが見えない。見えないから、子どもたちの心がわからない。ある日気がついてみたら、うし
ろには誰もいない。そんなことも多い。

ただ私のばあい、孤独の耐え方を知っている。父がそれを教えてくれた。客がいない日は、い
つも父は丸い火鉢に身をかがめて、暖をとっていた。あるいは油で汚れた作業台に向かって、
黙々と何かを書いていた。そのときの父の気持ちを思いやると、今、私が感じている孤独な
ど、何でもない。

 私と女房は、その夜は家を離れることにした。私たちがいないほうが、三男も気が楽だろう。
いそいそと身じたくを整えていると、三男がうしろから、ふとこう言った。

「パパ、ありがとう」と。そのとき私はどこかで、死んだ父が、ニコッと笑ったような気がした。

+++++++++++++++++++

●母性愛と、父性愛

 最近の研究によれば、母性愛にも、父性愛にも、ほとんど差がないことがわかってきた。そし
てそれが定説になってきている。

 以前は、母親には、父親にはない、母性愛があると考えられてきた。しかし実際には、母性
愛にせよ、父性愛にせよ、その人自身が、乳幼児期に受けた子育てによって、その人自身が
学習して身につけるものである。

 母性愛にせよ、父性愛にせよ、本能ではなく、学習によって身につくというわけである。とくに
最近は、ラ・マーズ法などの普及によって、夫(父親)の立会い分娩が一般化し、父親も、母親
と同じ母性愛をもつようになってきている。

 さらにこうした育児概念が浸透してくれば、母性愛と父性愛を分けて考えること自体、無意味
になってくるものと考えられる。

 男児も、人形遊びをしても、おかしくないし、またそれがゆがんだ「男像」をつくるということも
ない。ちなみに私の調査でも、男女の区別なく、約80%の子ども(年長児、年中児)が、日常
的に人形を手元においていることがわかっている。

 「親像」を形成を考えるときは、男女を区別してはならないし、またその必要はない。

 なお、ここに書いた、「子育ては本能ではない。学習によるもの」という意見は、子育ての根幹
にかかわる重要な問題である。すでにたびたび書いてきたので、以前、書いた原稿を、3作、
そのまま添付する。一部内容的に重複するが、許してほしい。
(はやし浩司 親像)

++++++++++++++++++

●ぬいぐるみで育つ母性

 子どもに父性や母性が育っているかどうかは、ぬいぐるみの人形を抱かせてみればわかる。
しかもそれが、3〜5歳のときにわかる。

父性や母性が育っている子どもは、ぬいぐるみを見せると、うれしそうな顔をする。さもいとおし
いといった表情で、ぬいぐるみを見る。抱き方もうまい。そうでない子どもは、無関心、無感動。
抱き方もぎこちない。

中にはぬいぐるみを見せたとたん、足でキックしてくる子どももいる。ちなみに小三児の約8
0%の子どもが、ぬいぐるみを持っている。そのうちの約半数が「大好き」と答えている。

 オーストラリアでは、子どもの本といえば、動物の本をいう。写真集が多い。またオーストラリ
アに限らず、欧米では、子どもの誕生日にペットを与えることが多い。

つまり子どものときから、動物との関(かか)わりを深くもたせる。一義的には、子どもは動物を
通して、心のやりとりを学ぶ。しかしそれだけではない。子どもはペットを育てることによって、
父性や母性を学ぶ。そんなわけで、機会と余裕があれば、子どもにはペットを飼わせることを
勧める。

犬やネコが代表的なものだが、心が通いあうペットがよい。が、それが無理なら、ぬいぐるみを
与える。やわらかい素材でできた、ぬくもりのあるものがよい。日本では、「男の子はぬいぐる
みでは遊ばないもの」と考えている人がいる。しかしこれは偏見。

こと幼児についていうなら、男女の差別はない。あってはならない。つまり男の子がぬいぐるみ
で遊ぶからといって、それを「おかしい」と思うほうが、おかしい。男児も幼児のときから、たとえ
ばペットや人形を通して、父性を育てたらよい。ただしここでいう人形というのは、その目的に
かなった人形をいう。ウルトラマンとかガンダムとかいうのはここでいう人形ではない。

 なお日本では、古来より戦闘的な遊びをするのが、「男」ということになっている。が、これも
偏見。悪しき出世主義から生まれた偏見と言ってもよい。そのあらわれが、五月人形。弓矢を
もった武士が、力強い男の象徴になっている。

三百年後の子どもたちが、銃をもった軍人や兵隊の人形を飾って遊ぶようなものだ。どこかお
かしいが、そのおかしさがわからないほど、日本人はこの出世主義に、こりかたまっている。
「男は仕事(出世)、女は家庭」という、あの日本独特の男女差別意識も、この出世主義から生
まれた。

 話を戻す。愛情豊かな家庭で育った子どもは、どこかほっとするようなぬくもりを感ずる。静
かな落ち着きがある。おだやかで、ものの考え方が常識的。それもぬいぐるみを抱かせてみ
ればわかる。両親の愛情をたっぷりと受けて育った子どもは、ぬいぐるみを見せただけで、ス
ーッと頬(ほお)を寄せてくる。こういう子どもは、親になっても、虐待パパや虐待ママにはならな
い。言い換えると、この時期すでに、親としての「心」が決まる。

 ついでに一言。子育ては本能ではない。子どもは親に育てられたという経験があってはじめ
て、自分が親になったとき、子育てができる。もしあなたが、「うちの子は、どうも心配だ」と思っ
ているなら、ぬいぐるみを身近に置いてあげるとよい。ぬいぐるみと遊びながら、子どもは親に
なるための練習をする。父性や母性も、そこから引き出される。

【追記】

 最近では、母性と父性を分けて考えるのではなく、まとめて「養護性」という言葉を使う人がふ
えてきた。母性も、父性も、同種のものであり、分けて考える必要はないというのが、その基本
にある。
(はやし浩司 養護性 子育て 育児 ぬいぐるみ 母性 父性)


+++++++++++++++++++++

あなたは気負いママ?

●気負いが強いと子育てで失敗しやすい

 「いい親子関係をつくらねばならない」「いい家庭をつくらねばならない」と、不幸にして不幸な
家庭に育った人ほど、その気負いが強い。しかしその気負いが強ければ強いほど、親も疲れ
るが子どもも疲れる。そのため結局は、子育てで失敗しやすい……。

●子育ては本能ではなく学習

 子育ては本能ではなく、学習によってできるようになる。たとえば一般論として、人工飼育され
た動物は、自分では子育てができない。「子育ての情報」、つまり「親像」が、脳にインプットさ
れていないからである。人間とて例外ではない。「親に育てられた」という経験があってはじめ
て、自分も親になったとき子育てができる。こんな例がある。

●娘をどの程度抱けばいいのか?

一人の父親がこんな相談をしてきた。娘を抱いても、どの程度、どのように抱けばよいのか、
それがわからない、と。その人は「抱きグセがつくのでは……」と心配していたが、彼は、彼の
父親を戦争でなくし、母親の手だけで育てられていた。つまりその人は父親というものがどうい
うものなのか、それがわかっていなかった。しかし問題はこのことではない。

●だれしも心にキズをもっている

 だれしも、と言うより、愛情豊かな家庭で、何不自由なく育った人のほうが少ない。そんなわ
けで多かれ少なかれ、だれしも、何らかのキズをもっている。問題は、そういうキズがあること
ではなく、そのキズに気づかないまま、それに振りまわされることである。よく知られた例として
は、子どもを虐待する親がいる。

このタイプの親というのは、その親自身も子どものころ、親に虐待されたという経験をもつこと
が多い。いや、かく言う私も団塊の世代で、貧困と混乱の中で幼児期を過ごしている。親たちも
食べていくだけで精一杯。いつもどこかで家庭的な温もりに飢えていた。そのためか今でも、
「家庭」への思いは人一倍強い。

が、悲しいことに、頭の中で想像するだけで、温かい家庭というのがどういうものか、本当のと
ころはわかっていない。だから自分の息子たちを育てながらも、いつもどこかでとまどってい
た。たとえば子どもたちに何かをしてやるたびに、よく心のどこかで、「しすぎたのではないか」
と後悔したり、「してやった」と恩着せがましく思ったりするなど、どこかチグハグなところがあっ
た。

 ただ人間のばあいは、たとえ不幸な家庭で育ったとしても、近くの人たちの子育てを見たり、
あるいは本や映画の中で擬似体験をすることで、自分の中に親像をつくることができる。だか
ら不幸な家庭に育ったからといって、必ずしも不幸になるというわけではない。

●つぎの世代に不幸を伝えない

 子どもに子どもの育て方を教えるのが子育て。「あなたが親になったら、こういうふうに子ども
を育てるのですよ」「こういうふうに子どもを叱るのですよ」と。これは子育ての基本だが、しかし
気負うことはない。あなたはあなただし、あなたの子どももいつかあなたを理解するようにな
る。そこで大切なことは、たとえあなたの過去が不幸なものであったとしても、それはそれとして
あなたの代で切り離し、つぎの世代にそれを伝えてはいけないということ。その努力だけは忘
れてはならない。

●肩の力を抜く

このテストで高得点だった人は、一度自分の過去を冷静に見つめてみるとよい。そして心のど
こかに何かわだかまりがあるなら、それが何であるかを知る。親とけんかばかりしていたとか、
家が貧しかったとか、そういうことでもわだかまりになることがある。この問題だけはそのわだ
かまりが何であるかがわかるだけでも、半分は解決したとみる。そのあと少し時間がかかるか
もしれないが、それで解決する。
(はやし浩司 親の気負い 気負い先行 気負いママ)

++++++++++++++++++++++

●親像のない親たち

 「娘を抱いていても、どの程度抱けばいいのか、不安でならない」と訴えた、父親がいた。「子
どもがそこにいても、どうやってかわいがればいいのかわからない」と訴えた、父親もいた。

あるいは子どもにまったく無関心な母親。まだ二歳の孫に、平気でものを投げつける祖父な
ど。このタイプの人は、不幸にして不幸な家庭に育って、いわゆる「親像」のない親とみる。

 ところで愛知県の犬山市にあるモンキーセンターには、頭のよいチンパンジーがいるそうだ。
人間と会話もできるという。もっとも会話といっても、スイッチを押しながら、会話をするわけだ
が、そのチンパンジーが、98年の夏、妊娠した。

が、飼育係の人が心配したのは、そのことではない。「はたしてそのチンパンジーに、子育てが
できるかどうか」だった(中日新聞)。人工飼育された動物は、ふつう自分では子育てができな
い。チンパンジーのような、頭のよい動物はなおさらで、中には自分の子どもを見て、逃げ回る
のもいるという。いわんや、人間をや。

 子育ては、本能ではなく、学習によってできるようになる。つまり「育てられた」という体験があ
ってはじめて、自分でも子育てができるようになる。しかしその「体験」が、何らかの理由で不完
全だと、ここでいう「親像のない親」になる危険性がある。

……と言っても、今、これ以上のことを書くのは、この日本ではタブー。いろいろな団体から、
猛烈な抗議が殺到する。先日もある雑誌で、「離婚家庭の子どもは……」と書いたら、その翌
日から、10本以上の電話が届いた。

たいへんデリケートな問題であることは認めるが、しかし事実は事実として、冷静に見なければ
ならない。というのも、この問題は、自分の中に潜む「原因」に気づくだけでも、その半分以上
は解決したとみるからである。

つまり「私にはそういう欠陥がある」と気づくだけでも、問題の半分は解決したとみる。それに人
間は、チンパンジーともちがう。たとえ自分の家庭が不完全であっても、隣や親類の家族を見
ながら、自分の中に「親像」をつくることもできる。ある人は早くに父親をなくしたが、叔父を自
分の父親にみたてて、父親像を自分の中につくることができた。また別の人は、ある作家に傾
倒して、その作家の作品を通して、やはり自分の父親像をつくることができた。

 ……と書いたところで、この問題を、子どもの側から考えてみよう。するとこうなる。

もしあなたが、あなたの子どもに将来、心豊かで温かい家庭を築いてほしいと願っているなら、
あなたは今、あなたの子どもに、そういう家庭がどういうものであるかを、見せておかねばなら
ない。いや、見せるだけではたりない。しっかりと体にしみこませておかねばならない。

そういう体験があってはじめて、あなたの子どもは、自分が親になったとき、自然な子育てがで
きるようになる。と言っても、これは口で言うほど、簡単なことではない。頭の中ではわかってい
ても、なかなかできない。だからこれはあくまでも、子育ての「努力目標」の一つと考えてほし
い。
(はやし浩司 母性愛 父性愛 子育て本能 学習)

++++++++++++++++++++++

 子育ては本能ではなく、学習によるものだという意見を、理解してもらえただろうか。

+++++著作権BYはやし浩司++++++copy right by Hiroshi Hayashi+++++

最前線の子育て論byはやし浩司(608)

【近ごろ、あれこれ】

●マガジン550号

 マガジンが、やっと550号を超えた。残りは、450号。それで1000号。まだまだ道は遠い。

 とんでもない無駄をしているのか? それとも、その先に、何かあるのか? 私は、ときどき、
こういうバカなことをする。

 先もわからず、そのとき決めた自分に忠実に、つき進んでしまう。あともどりできない。あとも
どりすることそのものを、敗北のように感じてしまう。これは私のどういう性格によるものなの
か。

 しかし今日まで、楽しかった。毎朝起きると、まっすぐ書斎へ。そしてそこでパソコンに電源を
入れる。メールやニュースにひととおり目を通したあと、パソコンに向かって文を打ち始める。

 朝起きて、やることが決まっているのは、よいことだ。そのあと、一日のリズムが、そのままで
きる。そのリズムでその日が、流れていく。が、それだけではない。毎日が、新しいことの発
見。

 今日も、こんなことを発見した。

 倫理や道徳には、2種類ある、と。

 善を進める倫理と道徳。もうひとつは、悪を食い止める倫理と道徳。そして人には、(思い)と
(行動)の間には、距離(ハバ)がある。その距離のある人を、善人といい、そうでない人を、そ
うでないという。

 たとえば、映画で俳優の中に、自分を注入するように、ときには、人は、銀行強盗を夢想する
ことがある。しかしそれは夢想。空想。

 実際に、その夢想を、実行する人は少ない。つまり(思い)と(行動)の間には、遠い距離があ
る。この距離をつくるのが、その人の倫理観や道徳観ということになる。倫理観や道徳観が軟
弱な人は、その距離が短い。短いから、悪いことでも、思いたったら、すぐ実行ということにな
る。ブレーキが働かない。

 一方、何かよいことをしようと思ったとする。ボランティア活動をしてみたいとか、人助けをして
みたいとか。そういう思いは、だれにでもある。しかしいざ実行となると、それなりの覚悟が必
要である。

 その(思い)を、(行動)に変えていくのも、やはり、その人の倫理観や道徳観ということにな
る。今度は、反対に、倫理観や道徳観の強固な人は、その距離が短い。倫理観や道徳観が軟
弱な人は、その距離が遠い。遠いから、思うだけで、なかなか実行しない。アクセルそのもの
が、機能しない。

 そこでもう少し話をわかりやすくするために、倫理や、道徳を、二つに分ける。

 ひとつは、(悪い思い)と(行動)の間に入って、ブレーキとして働く倫理や道徳、これを、「ブレ
ーキ倫理」という。

 もうひとつは、(よい思い)と(行動)の間に入って、アクセルとして働く倫理や道徳、これを、
「アクセル倫理」という。

 これら(ブレーキ倫理)と(アクセル倫理)は、本来別々のものであって、大別すると、つぎの4
つのパターンに、分類できる。

(1)(ブレーキ倫理)も、(アクセル倫理)も、しっかりしている人……自己管理能力にすぐれ、そ
れだけ人格の完成度の高い人ということになる。
(2)(ブレーキ倫理)がしっかりしていて、(アクセル倫理)が、弱い人……悪いことはしないが、
よいこともしないという人。生き方が、小市民的。
(3)(ブレーキ倫理)が弱くて、(アクセル倫理)が、しっかりしている人……悪いことも平気です
るが、同時に、よいこともする。
(4)(ブレーキ倫理)も、(アクセル倫理)も、弱い人……自己管理能力が弱く、それだけ人格の
完成度の低い人ということになる。

 私は以前、何かの原稿でこう書いた。

 「よいことをするから、善人というわけではない。悪いことをしないから、善人というわけでもな
い。人は、悪と戦ってはじめて、善人になる」と。

 これを書いたときは、かなり感覚的に書いた。(思いつきというほどのものではないが、論理
的に積みあげて書いたわけではない。)しかしこの内容を、もう一歩進めると、こうなる。

 (ブレーキ倫理)だけでも、また(アクセル倫理)だけでも、人は、善人になれない。その双方
を兼ね備えてこそ、人は、善人になれる、と。さらにわかりやすく言うと、(悪を止める力)と、
(善を行う力)の双方が、うまくかね備わってこそ、その人は、善人になるということになる。

 ……ということを、発見するのが、楽しい。本当に楽しい。それを発見したところで、どうという
ことはないのだ、これを基礎に、ほかのだれも考えたことのない、善悪論を自分なりに、展開で
きる。
 
 その楽しさを知る。それが私にとっての、1000号ということになる。その先に、何があるの
か? それとも、何もないのか? 今となっては、もうあと戻りはできない。ただひたすら、前に
進むだけ。

 私は、とんでもないバカなのかもしれない……。
(はやし浩司 道徳 倫理 アクセル ブレーキ アクセル倫理 善と悪)


++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●佐賀県のMさんよりのメール

約1年半程前からマガジンを購読しておりました。
きっかけは、息子のかん黙及び登園拒否の事で 必死で調べていたところ 先生のペー
ジに出会え 相談メールを送ったところ 解答頂き おかげさまで 今は1年生です。

が この1年間 1日も休むことなく 楽しく登校しています。
たまに 「学校休む?」 と聞くと 「いや!」 なんて会話もするほどです。
お友達も出来 子供どうしの会話もはずんでいます。

今年1月に家を新築し ついでに接続先を変えたり 色々しているうち
マガジンが届かなくなってしまいました。

以前のアドレスを使えなくしてしまっていたのです・・・
先生のマガジンが読めないと 私のパソコンは半分意味の無いものです。
ガッカリ! 引越しの忙しさで やっと今 再度 購読申し込みできました。

うれしくてメールさせてもらいました。
楽しみにしているので 益々がんばってください。

+++++++++++++++++++++++++++++

(Mさんへ)

メール、ありがとうございました。
3月11日は、ほかにも、静岡市のSさん、日野市のWさんからも、メールをいただきました。う
れしかったです。重ねてお礼申しあげます。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●適応(流動性知能)と完成(結晶性知能)

 30代、40代になると、知的好奇心が、急速に減退する。チャレンジ精神も、弱くなる。知的
能力の分野でも、加齢とともに、その適応能力が低下すると言われている。

 たとえば30代、40代をすぎると、新しいことを覚えても、頭に入らない。残らない。すぐ忘れ
てしまうという現象が起きる。

 新しい分野で、知的能力を高めていくことを、「流動性知能」という。

 一方、加齢とともに完成されていく能力がある。経験と苦労が、その人の知的能力を、さらに
高める。深める。ときに完成させる。こういう知的能力を、「結晶性知能」という。

 この結晶性知能については、年齢とは関係なく、ほどよい訓練と刺激で、老後になっても、進
歩しつづけると言われている。画家などの芸術家の中には、晩年になればなるほど、すばらし
い作品をしあげる人がいる。それがその一例といえる。

 で、私自身を振りかえってみたとき、たしかに流動性知能は、衰えてきたように感ずる。わか
りやすい例でいえば、MUSICに対する感覚である。同じ音楽のはずなのだが、最近の若い人
たちが聞くような音楽については、どうもついていけない。

 歌手の名前を聞いても、すぐ忘れる。もちろんメロディーも頭に残らない。好んで聞く音楽とい
えば、クラシック音楽であったり、70年代前後のポップであったりする。ビートルズは、何度聞
いてもあきないし、当時の映画音楽は、どれも、大好きである。

 その一方で、結晶性知能というのもある。若いときからみがいてきた能力が、晩年になって
光りだすというのが、それ。

 くだらないことだが、私は中学2年生のときに、ドイツ製のタイプライターを買ってもらった。当
時のお金で、1万6000円ほどした。(当時の大卒の初任給は、2万円前後だった。)小型のも
のだった。

 私はそれを毎日、たたいて、遊んだ。

 その結果、高校生になるころには、英語の教師よりも、速く、正確に、キーを叩くことができる
ようになった。一度、競争して、教師たちを負かしたことがある。

 そのこともあって、今でも、パソコンのキーボードを見たりすると、ゾクゾクとするような快感を
覚える。もちろんパソコンのキーボードをたたくのも、速い。言葉で話すよりも速く、キーボード
を使って文字を打つことができる。(もちろん文章の内容にも、よるが……。)

 その力が、今でも生きている。

 が、同世代の人の中には、若いころ、キーボード(タイプライター)に触れたことがない人も多
い。そういう人たちには、そうではないようだ。「キーボードを見ただけで、拒絶反応が起きる」と
言っている知人だっている。

 こうして考えてみると、若いときに、いろいろな経験をしておくことは、大切なことのようだ。何
が、どこで役にたつようになるかわからない。

 で、ここで二つの考え方が生まれる。

 30代、40代を過ぎたら、流動性知能のことはあまり気にしないで、結晶性知能のほうを伸
ばしたほうがよいという考え方。

 もう一つは、年齢に関係なく、流動性知能も、大切に伸ばしたほうがよいという考え方。

 私の印象では、40歳や50歳を過ぎると、とたんに時間が短くなるので、できれば結晶性知
能をより完成させたほうがよいのではないかと思う。今さら、若い人たちの聞くような音楽を聞
いて、同じように感動したところで、あまり意味はない。

 それよりも、今、歩いている道を、より先まで進んでみたい。「結晶」と言えるようなものになる
かどうかは別として、できるだけ、核心に近づいてみたい。残された時間は、それほど、長くな
い。

 が、一方で、ヒマなときには、やはり流動性知能を刺激していく必要もある。俗にいう、「専門
バカ」にならないためである。

 いつも新しい分野に興味をもち、チャレンジしていく。どうせ身につかないとはわかっていて
も、だ。「ほほう」「なるほど、そうか」という程度だけでもよいのでは(?)。無理をすることはな
い。

 その「専門バカ」で注意したいのは、その分野には、精通しているのだが、それ以外のこと
は、ほとんど知らない人というのは、多い。全体としてみると、どこか痴呆(ボケ)的(?)。

 子どもの世界でも、昼も夜も、野球なら野球しかしない子どもというのがいる。頭の中は、野
球一色。ゲームならゲームでもよい。その子どもだけを見ているとよくわからないが、全体の中
でくらべて見ると、どこかヘンという印象をもつ。

 で、かつてアメリカ人の友人がこう言った。彼は日本へ来る前に、アメリカの高校で、30年間
ほど、教師をしていた。いわく、

 「ヒロシ、どうして日本の中学校では、野球部の部員は、野球しかしないのか? 朝も夕方も
練習している。これではダメだ」と。

 そこで私が、「じゃあ、アメリカではどうなのか?」と聞くと、こう教えてくれた。

 「アメリカでは、野球もするが、週に1、2度は、音楽会へ行ったり、ピクニックに行ったりす
る。みんなで絵を描くこともある」と。

 つまりはバランスのとれた人間をつくるということか。そのバランスが、その子ども(人)の人
間味を味わい深いものにする。

 さてさて、今日のテーマ。何か、新しいことにチャレンジしてみよう。どうもこのところ、生活の
パターンが、単調になってきた。書いている文章も、マンネリ化してきたような気がする。

 真理の探究(=結晶化)もよいが、それだけでは、私は、偏屈(へんくつ)人間になってしまう。

【補記】

 私のばあいは、周期的に趣味が変化するのが、よいようだ。(だからといって、流動性知能が
すぐれていると言っているのではない。誤解のないように!)

 30〜40代のころは、数か月周期で変化した。そのため、まあ、ふつうの人がするようなこと
なら、ほぼ、すべてのことを経験してきた。

 園芸、畑作、ハーブ栽培、木工、大工、土木、作曲、焼き物、宝石、料理、絵画、釣り、ボー
ト、旅行、テニスなどなど。ひと通りマスターすると、急速に興味をなくして、つぎへと移動してい
く。

 著作の分野でも、東洋医学→学習教材→宗教論→教育→幼児教育へと、書くテーマが、5
〜8年単位で変化している。(今は、電子マガジン。)

 今は、もっぱらパソコンだが、これは流動性知能というより、結晶性知能によるもの。必要も
ないのに、いつもより高性能のパソコンを求めて、それで遊んでいる。この1か月だけでも、BL
OGや、アフィリエイトなどに挑戦した。(画廊も開いたぞ。今のところ、一枚も絵は売れていな
いが……。)

 もともと好奇心が旺盛だったということもある。いつも何かの刺激を求めている。それが結果
的にみると、よかったのではないか(?)。この成果は、もう少し先になってみないとわからない
が……。(肝心の脳ミソのほうが、少しボケ始めているような感じがするが……。ゾーッ!)
(はやし浩司 流動性知能 結晶性知能 完成 刺激)


++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


最前線の子育て論byはやし浩司(609)

●Nさんへ

 私たちの存在そのものが、不可思議な奇跡の上に成りたっています。そんな感じです。

 見て、聞いて、感じて……。すべてが、幻想なのかもしれません。幻想を幻想とも知らず、そ
れを現実と思いこみ、生きている。

 死んで行く人は、静かですね。本当に、静かですね。「誰の死なれど、人の死に、わが胸痛
む」です。

 いろいろな人の言葉を集めてみました。
I live now on borrowed time, waiting in the anteroom for the summons that will inevitably 
come. And then - I go on to the next thing, whatever it is. One doesn't luckily have to 
bother about that. 
- Agatha Christie, "An Autobiography"

 アガサ・クリスティは、「私は、今、やがて呼び出しがかかる控え間の中で、借りきたりし時の
上に生きる。私はそれが何であれ、つぎの世界へと進む。だれも、幸運なことに、それに心を
煩わされることはない」と。

I shall tell you a great secret my friend. Do not wait for the last judgement, it takes place 
every day. 
- Albert Camus
 カミュは、「友よ、あなたにすごい秘密を話してやろう。最後の審判を待ってはっだめだ。毎日
が、その審判の日だ」

To the well-organized mind, death is but the next great adventure. 
- Albus Dumbledore
「よく統制された心には、死は、つぎの偉大な冒険にすぎない」

Even in the desolate wilderness, stars can still shine. 
- Aoi Jiyuu Shiroi Nozomi 
「荒れ果てた荒野でも、星は、まだ光っている」

This existence of ours is as transient as autumn clouds. To watch the birth and death of 
beings is like looking at the movements of a dance. A lifetime is a flash of lightning in the sky. 
Rushing by,like a torrent down a steep mountain. 
―Buddah
ブッダは、「私たちの存在は、秋の雲のように、つかの間のもの。生きるものの誕生と死を見る
のは、ダンスの動きを見るようなもの。人生は、空の稲妻の光のようなもの。急な山を下る、流
れのように、過ぎていく」と。

+++++++++++++++++++++

 老後に向けての思考性には、2種類ありますよね。活動性と、離脱性です。「いつまでも元気
で生きよう。最後の最後まで」というのが、活動性。

 もう一つは、「老後に向けて、現世から引退し、死の準備もこめて、別の世界へと入ろう」とい
うのが、離脱性です。

 どちらをとるかは、それぞれの人の自由ですが、実存主義者や現実主義者は、前者をとりま
す。宗教に身を寄せる人は、多くは、好んで後者をとります。

 Nさんも、年齢的に(失礼!)、その選択期にさしかかっているのではないですか。他人や身
内の死をきっかけに、自分の内面世界を見ようとしている。もともと繊細な感覚をもっておられ
るようですから、それがさらに、ある意味で、研ぎすまされた形で、心に響くのかもしれません。

 私は、Nさんには、いつまでも活動的に生きてほしいと願っています。いえね、私にとって、本
当にさみしいのは、その人の「死」ではなく、その人の「美しさ」です。

 Nさんは、本当に美しかった。(今でも、そうですが……)、太陽の陽光をたっぷりと浴びなが
ら、幅広の白い帽子をゆるやかに風になびかせて、歩いておられましたね。

 あのころのNさんは、どこへ行ってしまったのかなあって、不謹慎かもしれませんが、そんなこ
とを先に考えてしまいます。私にとってのNさんは、あのときのNさんですから、あのまま、いつ
までもいつまでも、前に向って生きてほしいです。

 知っている人が死ぬと、それまでのその人の人生が、稲妻のように瞬間に過ぎ去ってしまっ
たかのように見えるかもしれません。が、実は、私たちの人生も、また、その稲妻そのものなの
ですね。

 だからもし、万が一、万が一ですよ、Nさんが、なくなってしまったとしても、私の心の中には、
Nさんが、いつまでも残ると思います。死の直前、病気で苦しんだNさんではなく、白い帽子を
かぶって、恥ずかしそうに、振りかえりながら笑っているNさんです。

 ブッダが言う、「空の稲妻の光」の中では、過去や現在を区別するほうが、おかしいのです。
みんな、つぎの瞬間には、「つぎの世界」(アガサ・クリスティ)へ行くのです。

 ね、生きるって、だから楽しいのです。すばらしいのです。その瞬間に、無数のドラマを経験
することができる。虚しいと感ずるのは、離脱性の強い人です。しかし私は、そうは思いませ
ん。

 瞬間なら瞬間でよいのです。その最後の最後まで、生きて生きて、生き抜いてやろうと考えれ
ばよいのです。だから、あまり人の死を深刻にとらえることはないですよ。

 だから冒頭に書いた詩は、こうつながります。

 「……我もまた、人の子なれば、それ故に問うことなかれ。誰がために、(あの弔いの)鐘は
鳴るなりと。鐘は、汝がために、鳴るなり」

 さあ、そんなわけで、元気を出して! 死んだ人のことは忘れて! その人の分まで、元気を
出して生きましょう!!

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●「?」の韓国、N大統領

 とうとうアメリカが怒った(?)。

 ヘンリー・ハイド米下院国際関係委員長は3月10日、「韓国は誰が敵なのかを、明確に言う
べきである」(東亜日報)と促した。

 それもそのはず。韓国は、自国の国防白書から、「K国は主敵」という文言を削ってしまった。
削った上で、「韓国で紛争が発生すれば、米国が69万人の米軍を派遣するだろう」と書いてい
る。

 一方で反米を唱え、同時に親北を唱えながら、K国が韓国を攻めてきたときには、「69万人
のアメリカ軍が、韓国を守ってくれる」と。そのアメリカ軍の大半は、在日米軍である。

 こういう「?」な国防白書を読めば、だれだって「?」と思うはず。ハイド委員長は、それを言葉
にした。そしてこれまた当然のことながら、韓国に、K国への援助を自制するよう、うながした。

「韓国と中国は北朝鮮に降り注いでいる支援の程度を、見なおさなければならない」と。

 要するに、ウィリアム・ペリー元国防長官(クリントン政権の対北朝鮮政策調整官・現スタンフ
ォード大学教授)も言っているように、「韓国、中国、日本は北朝鮮の核に対して米国と同じ憂
慮を持っていない」ということになる。

 K国の核兵器は、それほどまでに深刻な問題である。その深刻さが、まったくわかっていな
い。韓国も、そして日本も!

 竹島について、地方の小さな一議会が、「竹島の日」を議決したくらいで、外務大臣の訪日を
とりやめたり、たかがA新聞社の軽飛行機が竹島の上空を飛んだくらいのことで、韓国は、2
度にわたって、ジェット戦闘機を発進させたり。

 これではまるで日本が、韓国の主敵みたいではないか。

 私には、韓国のN大統領の考えていることが、さっぱりわからない。

 今のままの状況がつづけば、K国は、核兵器をどんどんと増産するだけ。結局はこういう状
況をつくりだしてしまったのも、金大中であり、N大統領ではないのか。韓国に亡命した、元K国
の大物諜報部員のA氏でさえ、こう言っている。「N大統領は、金XXにだまされている」と。

 米韓関係は、崩壊寸前。国連安保理に、K国の核問題を付託する前に、アメリカ軍は、韓国
から全面撤退するかもしれない。そういう雰囲気さえ出てきた。今度のハイド米下院国際関係
委員長は、こう言いたかったのだ。

 「バカめ! どうして69万人ものアメリカ兵で、韓国など、守らなければならないのだ。勝手な
ことを言うな!」と。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●「地球でxxの男」

 ビデオ、「地球でxxの男」を見る。星は、★一個の半分。残念ながら、私には、こうした芸術作
品(?)を理解する能力はない。

 まったく意味のわからない映画。最初から最後まで、一貫性のない思いつき。どこかの古い
ビルを利用してつくった、安映画。まあ、ヒマなひとは見たらよい。俳優も、ただひたすら力んで
いるだけ。

 自称、映画監督が、自称、芸術作品を、自己満足のために作ったような映画。もう少しまとも
(?)なら、評価もできるが、それもできない。わけのわからない、とってつけたようなセリフ。聖
書の引用。

 翻訳もでたらめ。主人公の名前は、「Gave」らしい。「ゲイブ」と発音する。しかし字幕は、「ガ
ブ」となっている。つまり翻訳家は、映画すら見ないで、翻訳をつけたとしか思いようがない。

 しかし、どういうわけか、最後まで見てしまった。どういうオチで終わるのか、それを確かめた
かった。

 「この映画を作った人は、まともかねえ?」と聞くと、ワイフは、「フフフ」と、顔を横に振った。

 あえて言うなら、妻と子をなくし、精神に異常をきたした人の世界を、その異常をきたした人
の視点から描いた映画ということになる。娯楽性は、ゼロ。思わせぶりなセリフばかりがつづく
が、何を言わんとしているか、さっぱりわからない。

 監督の独善ばかりが、目立つ。観客に対する謙虚さが、みじんも、ない。ひとりよがりな宗教
観を押しつけられたようで、見終わったあとも、あと味が悪かった。

 で、結末は、教会の中の天国の門で、仮面をかぶった天使と悪魔の戦い。悪魔が勝つが、
その悪魔を、ガブ(主人公)が倒す。天国の門の向こうには、死んだはずのガブの妻が……。

 最後の5分間だけが、まともなシーン。ガブは警官からピストルを奪って自殺。その瞬間を描
いた映画だったということが、そこでわかる。

 同時に、もう1本、ビデオを借りた。「砂と霧の家」。このビデオは、★3つ。見ごたえのある良
作だった。よかったというか、「いろいろ考えさせられた」という感じ。

 アメリカが土着的にもつ、かわいた空気を映画の中に感じた。主人公は、イランの元大佐。
アメリカへ亡命。その主人公の心に私の心を移しながら、「私ならできるだろうか?」と、あちこ
ちで考えた。

(「地球でXXの男」というタイトルも、めちゃめちゃ。まったく映画の内容にあっていない!)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(610)

●愛・地球博(EXPO・Japan・05)

 今日は、寒かった。本当に寒かった。空は晴れていたが、式典はコートを着たまま。

 会場は起伏の多い、変化に富んだ場所。会場はガラガラだったせいか、歩いて散策する
には、よい場所だった。

 しかし浜名湖で去年(04年)にあった、花博とくらべると、ただ広くて、スケールが
大きいだけ。主催者の(心)が伝わってこなかった。

 はっきり言えば、お金の使い道に困って、「さあ、作りました」という感じの万博。東京
のディズニーランドや、大阪のユニバーサルスタジオに入ったときのような、あのワクワ
クした感動は、まったく覚えなかった。

 「万博と、ディズニーランドの、どちらへ行く?」と聞かれたら、多分、ディズニーラ
ンドにするかも。あちらのほうが、今年はすいているだろうし……。

 で、何よりも驚いたのは、地下鉄東山線で、藤が丘駅でおりたときのこと。となりがリ
ニモの駅になっていたが、東京の本郷や、四谷の地下鉄の駅ほどの大きさと、広さしかな
い。

 今日(3・13)は、開会式12日前ということだったが、すでに、ラッシュアワー並
みの混雑ぶり。ゾロゾロ、ノロノロと、群集が、かたまって歩いていた。

 いくら会場のゲートを広くしても、その入り口でこれでは、先が心配。どこかの広場に
人を集めて、シャトルバスでも走らせないと、入場者をさばくのは、無理。絶対に、無理。

 このままでは、この駅を周辺に大混乱。まちがいなし! どうするのだろう!!

 会場を、あちこち回ってみた。会場内の道路がせまい。憩いの場所が、少ない。弁当、
飲み物は、持参できないので、レストランへ入るしかない。しかしどれも、どこかの社員
食堂のよう。オープンすれば、もっと多彩になるのかもしれないが、3月13日に見たと
ころでは、そんな感じがした。

 悪口ばかり書いたが、日本人の目も、肥えてきた。ユニバーサルスタジオもある。ディ
ズニータンドもある。70年の大阪万博の時代とは、ちがう。

 もちろん興味のある会場もある。前評判のよい会場もある。そういうところは見たいが、
私もワイフも、人ごみの中を、ゾロゾロと押されるように歩いて、楽しむ年齢でもない。

 会場を去るとき、「よほどのことがないかぎり、2度目は来ないだろうな」と、自覚した。
「よほど」というのは、すでにオーストラリアの友人や、アメリカの友人を、案内するこ
とになっている。気が重い!

 私の印象では、名古屋駅から、地下鉄東山線のルートではなく、別の、東側からバスで
入るルートのほうが、よいのではないかと思う。問題は、藤が丘の駅だ。

 今日は、名古屋市長の松原氏につづいて、トヨタ自動車の豊田章一郎氏も、あいさつに
きていた。間近で、豊田氏を見ることができたのは、ラッキーだった。「この人が、あのト
ヨタのトップだ」と、感慨もひとしお。

 まあ、それだけでも、よかった。行った甲斐があった。

 興味のある人は、写真をたくさんとってきたので、私のHPのトップページからどうぞ!

****************************

今日(3・13)にとってきた写真は、ここで……

http://bwhayashi.fc2web.com/page008.html

悪口ばかり書いてごめんなさい。楽しみに
している人も多いと思いますが……。

まあ、私も、そんなに若くないということです。

若いお父さんやお母さんには、楽しい場所の
はずですから、ぜひ、お子さんづれで行って
みてください。

「あの林のいったことは、全然、当たっていなかった」
と思っておただければ、うれしいです。

******************************

では、また、マガジンの購読も、よろしくお願いします。


はやし浩司

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●パンクしない自転車

 おととい、近くのショッピングセンターへ行ったら、(パンクしない自転車)というのを売ってい
た。タイヤの中には、ふつう、チューブと呼ばれる、風船のようなものが入っているが、そのチ
ューブが、全体として、ゴムのかたまりのようになっていた。

 それを見たとき、私は驚いた。ショックを受けた。「とうとう、そうなったか!」と。

 弱小の自転車屋が、かろうじて今、自転車業界を生き抜いているのは、パンク修理を中心と
したサービス業をしているからである。現に今、私の近所の自転車屋は、店先に、こんな張り
紙を出している。

 「よそで買った自転車については、パンクの修理はいたしません」と。

 かなり意地悪な張り紙だが、そうでもしないと、自転車屋は生き残っていくことができない。大
型店では、その自転車を、1万円とか、1万4000円とかいう値段で売っている。8000円とい
う自転車もある。

 今では、道路もよくなった。だから考えようによっては、今までのように、チューブ入りの自転
車は、必要ないのかもしれない。(でこぼこ道では、チューブ入りの自転車は、振動を吸収する
という点で、すぐれている。)

 私がその自転車の輪(リム部)に、じっと見とれていると、ワイフが、「タイヤがすり減ったとき
はどうするの?」と声をかけてきた。

「今ではね、タイヤがすり減るまで、自転車に乗る人はいないよ。少しこわれると、すぐ新しい
自転車に乗りかえるから」と。

 これで弱小の自転車屋も、万事休す。外国から大量に仕入れて、安く売るという販売方式で
は、大型店にかなわない。それに自転車には、賞味期限というのがある。(多分、この世界の
外にいる人は、それを知らないだろうが……。)

 仕入れても、1年も売れないで放っておくと、タイヤなどは、どんどんと劣化していく。こまかい
サビが出ることもある。2年も放っておくと、もう売り物にならない。自転車だから、腐らないと思
っている人もいるかもしれない。しかし、自転車でも、腐る。

 で、自転車屋は、少しでも自転車が古くなると、値段をさげて、はやく手放す。そして新しい自
転車を仕入れる。

 しかしパンクしない自転車とは!

 自転車屋が自転車屋として、今でも生き残っていられるのは、パンク修理があるからである。
「パンクした」という電話が入ると、夜中でも、自転車屋は、自転車を受け取りにいく。そして修
理する。パンク修理だけは、素人には、むずかしい。(やろうと思えば、できなくはないが…
…。)

 そのサービスがあるから、買うほうの客も、「やっぱり、自転車は、自転車屋で買ったほうが
よい」ということになる。

 が、……。パンクしない自転車とは!

 私は自転車屋で、生まれ育った。そんなこともあって、私も、かなり若いころから、同じような
自転車を考えていた。実際、一度、タイヤ全体が、ゴムのかたまりのようになった自転車が売
りに出されたこともある。

 しかし当時は、まだ劣悪品で、タイヤそのものが、ヒビ割れしたりした。それに重かった。まだ
道路事情も悪かったので、乗り心地も、よくなかった。

 しかし今回、大型店で見たパンクしない自転車は、見るからに良品だった。値段は、2万40
00円。少し高価だったが、私はワイフにこう言った。「今度、買うとしたら、この自転車にする
よ」と。

 と、同時に、これからは、ますます自転車屋もたいへんだろうな、と思った。いわば自転車屋
としての、大特権を手放すことになる。死活問題といってもよい。

 繰りかえしになるが、少し前までは、1〜2万円の自転車は、粗悪品ということになっていた。
が、今は、ちがう。驚くほど、品質もよくなった。

 小さな店先で、20台とか30台の自転車を並べて売る時代は、もう終わりに近づいてきたよう
だ。そう言えば、昔、私の祖父は、私にこう言ったことがある。

 「浩司、時計屋では、時計を売っているが、あの陳列に並んでいる時計、1箱分だけで、うち
の自転車すべての値段と同じだ。自転車は、場所をとるだけで、もうからない」と。

 だからますます大型店が有利になる。その大型店でも、新車を、70〜100台も並べている。
そこらの自転車屋では、とても、かなわない。

 その店を出るとき、何とも言われないさみしさを感じた。心のどこかで親父のさみしさを感じた
からかもしれない。近くに大型店ができたとき、親父は、かなりショックを受けた。そのときの親
父を、思い出していた。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●心のぬくもり

 概して言えば、都会の子どもたちは、心が冷たい。田舎の子どもほど、心が暖かい。理由
が、ある。そういう意見は、よく聞く。

 1人と1人の人間は、1本の人間関係をつくる。2人では、それは1本。3人では、3本だが、4
人になると、突然、6本になる。(4辺+対角線の2本で、6本。私はこれを「対角線理論」と呼
んでいる。)

 5人になると、5x2÷2+5=10本、6人になると、6x3÷2+6=15本となる。

 つまり人間の数がふえればふえるほど、一対一の人間関係は、飛躍的にふえる。が、1人の
人間には、処理できる能力に、限界がある。

 この限界を超えた状態を、「過剰負荷環境」という。わかりやすく言えば、オーバーヒートとい
うことになる。

 この過剰負荷環境に置かれると、人は、その環境を整理しようとする。つきあう人と、そうで
ない人を分けるのも、それ。そしてそれが、ときとして、相手に(冷たい人)という印象を与える
ようになる。

 都会の子どもほど、どこか冷たい感じがするのは、そのため。

 実は、こうした問題は、加齢とともに、深刻さをます。元気がなくなり、処理できる人間関係
が、しぼんでくる。30代のころは、100人くらいとつきあえた人でも、50代になると、50人くら
いに減ってくる。そしてその50人でも、過剰負荷環境となる。

 本当は、冷たくなるのではなく、疎遠になるのだが、他人には、冷たくなったと誤解される。私
のばあいで考えてみよう。

 毎年、暮れになると、年賀状で悩む。出すべきか、出さざるべきか、と。30歳のころまでは、
何百枚という年賀状を、1か月近くかけて、手書きで書いていたこともある。輪転機で印刷する
にしても、それにやはり手書きで、彩色をほどこしたりしていた。もちろん宛て名は、手書き。

 が、それも疲れてきた。プリントxxxという、はやりの簡易印刷機を使ったこともある。で、今
は、もっぱら、パソコン。

 便利だが、便利すぎて、かえって、年賀状を出す意味が薄れてしまった。宛て名も、簡単に書
けてしまう。文面も、簡単に書けてしまう。(「書く」というより「印刷」だが……。)とたん、年賀状
に対する興味をなくしてしまった。

 これと同じ現象が、生活のあちこちで起き始めている。

 若いころは、1人ひとりの相手の顔を想像しながら、その相手に向って何かをした。が、今
は、その相手が、(かたまり)になり、どこか大量生産型になってしまった。

 先日も、少し、話がそれるが、こんなメールによる相談があった。

 内容はともかくも、宛て先に、こうあった。

「はやし浩司のHP,子育て相談係御中」と。

 多分その相談してきた人は、同じ文面の相談内容を、あちこちの育児サイトに送ったのだろ
う。この世界では、コピーは、簡単にできる。だから、宛て先が、ありもしない「相談係御中」とな
っていた。

 しかし相談に答えるというのも、結構、たいへんなこと。私としては、そのメールは、削除する
しかなかったが、私がここでいう(冷たさ)というのは、そういう(冷たさ)をいう。

 その(限界)を感じたとき、人は、結局は、自分の巣に舞いもどる。そしてもう一度、自分の周
囲を見なおす。「これでいいのか?」と。

 話がどんどんと脱線してしまったようだが、大量の人間にかこまれて、ドドーッ、ドドーッと、生
活するからといって、それで、その人の人間性が豊かになるとはかぎらない。むしろ事実は逆
で、1人かとか2人とか、多くても数人とかの範囲で、濃密に交際することのほうが、その人にと
っては、重要なことではないかと思う。

 教育についていうなら、たしかな根拠があるわけではないが、1学年は、せいぜい、20〜25
人。1クラスは、12〜3人くらいが、適切ではないのか。本当に、ぬくもりのある教育をしようと
考えるなら、である。

 この原稿のしめくくりとして……。

 私はまだ、対角線もつ幻想にしがみついているような気がする。対角線は、多ければ多いほ
ど、よい、と。

しかしそれ以上に重要なことは、数は少なくても、1本、1本の対角線をより太くしていくことでは
ないか。これは心の温もりを求めるというよりも、「私」自身をとりもどすためにも、重要なことで
はないかと思う。

 「都会に住む子どもは冷たい」という意見を聞いて、私は、そんなことを考えた。
(はやし浩司 人間関係 過剰負荷環境 対角線理論)


++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●生きていくしかない

 ひしひしと迫りくる孤独感。
 この孤独感は、どこかくるのか?

 何をしても、充実感がともなわない。
 心だけが、やたらと空回りする。

「いや、ちがう」「そうではない」と。
 袋小路に入ったような閉塞感。

 すぐそこまで来ているはずなのに、
 その先が見えない。わからない。

+++++++++++++++++++++++

 こういうのを不安神経症という。ワイフは、そう言う。軽いのか、重いのか、私にはわからな
い。しかしときどき、私は、そうなる。

 ゆいいつのなぐさみは、こうした孤独感は、だれにでもあるらしいということ。しかもまじめに
生きる人ほど、そうなる。無責任に、いいかげんに生きるほうが、ずっと気が楽。自分でも、そ
れがわかっている。

 ……ということで、これは私だけの問題ではない。あなただけの問題でもない。そう思うこと
で、自分の荷を軽くする。

 とりあえずの楽しみは、今度の水曜日に、新型のパソコンが届くこと。毎日、カタログを見な
がら、どう使おうかと、そればかりを考える。

 つぎの楽しみは、x月に、二男が、孫の誠司をつれて、日本へやってくること。さらに何年か先
に、三男が、パイロットになる。よい仕事だとは思わないが、しかしパイロットになるのは、私の
夢だった。親が親なら、子も子だ。どうして反対など、できようか。

 親としては、精一杯、知らぬ顔をして、つまりとぼけて、笑顔を見せることでしかない。

 まあ、そういうふうに考えて、順に心を軽くしていく。何はともあれ、私は健康だ。今のところ、
頭も、ボケていない。それに毎朝、起きるのが楽しみだ。朝起きて、一番に、パソコンの前にす
わって、原稿を書き始める。たったそれだけのことかもしれないが、それが私にとっては、生き
がいになっている。

 その生きがいがあるだけでも、私は感謝しなければならない。

++++++++++++++++++

 孤独は、私の友だち。仲間。私の一部。
 心配になるのも、不安になるのも、
 それは、私が私であるから。

 さあ、明日も元気にがんばって生きていこう。
 歯をくいしばって。背筋をピンと伸ばして。
 
 明日も、何かいいことがあるかもしれない。
 そう思って、未来に希望をつないで生きていく。
 それがよいとか悪いとか、そんなことを
 考えても意味はない。考えている余裕もない。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●愛知万博(その2)

 昨日、EXPO'05、「愛知万博」の会場へ行ってきた。まだあちこちで、工事が進行中という状
態だった。

 その印象記を、私は書いた。HPに載せた。それを読んでワイフが、「あなた、あんな過激なこ
とを書いていいの?」と。

 ワイフは、私が、「よほどのことがないかぎり、(万博へは)、2度と行かない」と書いたことに
ついて、「過激すぎる」と言った。ワイフは、「愛知県の人が読んだら、怒るわよ」と。

 たしかに過激な意見だ。

 一瞬、ワイフがそう言うのだから、訂正しようと思った。しかし昨日、私がそう感じたのは事実
だし、またそう書いた記事を、今日になって訂正するというのも、いやなことだ。

 ただやはり、問題は、アクセス方法(行き方)だと思う。

 昨年、浜名湖で花博が開かれた。こちらは、たいへんな好評だった。私も、最初は、それほ
ど期待していなかったが、行ってみてびっくり。ここかしこ、随所に、主催者の(温もり)を感じ
た。

 ほんの小さなすき間にすら、ボランティアの人たちが手をほどこしたのだろう、きれいな花
が、ていねいに植えられていた。そういうこまかな心配りが、うれしかった。

 その花博へのアクセス方法は、いくつかあった。メインは、マイカーによる方法だが、周辺数
箇所に、広大な駐車場が用意されていた。そしてそこからは、シャトルバスが、数珠(じゅず)の
ように連なっていた。それがひっきりなしに、客を運んでいた。

 それでも、バス乗り場には人が並び、混雑した。

 が、昨日見たところ、地下鉄東山線は、そうでなくても、ふつうの通勤路線。そこへ毎日、10
万人もの人が、さらに押し寄せたら、どうなるのか? 私は、それを心配した。リニモのチケット
売り場にしても、一か所しかなかったのでは? 確かめていないので、よくわからないが、その
チケットブースも、10個くらいしかなかったような気がする。

 それぞれの客が、290円の料金(公園西駅)までの切符を買うのに、15秒ずつかかるとする
と、1分間に処理できるのは、4x10台の40人。1時間で、2400人。こうした計算をするだけ
でも。ゾーッとする。

 現に昨日ですら、名古屋駅の地下道程度には、すでに混雑していた。開会式前、12日という
のに、だ。

 ほかにも、アクセス方法は、いろいろ用意されているという。地下鉄で行くのだけが、ゆいい
つの方法ではないらしい。だから私のようなものが心配しても、はじまらない。

 私はその混雑ぶりを頭の中で想像しながら、「二度と……」と書いた。

 で、もし行くなら、各地方にある、バス会社が主催する、パッケージ・ツアーが、よいのではな
いかと思う。マイカーや、電車はできるだけ避けたほうがよいのではないかと思う。

 今は、その程度しか、書けない。開会すれば、いろいろな催し物もにぎやかになると思う。ぐ
んと楽しくなると思う。今は。それに期待するしかない。

 そうそうオーストラリアやアメリカの友人たちが来たら、私は、バス会社のツアーで行くつも
り。そのほうが便利だし、気をつかわなくて、すむ。今朝、そのチラシを見たら、一人7300円
〜7600円(日帰り、浜松から、入場券つき)とあった。

 プラス、飲食代。(浜名湖花博のときは、会場内での飲食代が、メチャメチャ、高額だった。
飲食代は、かなり覚悟して行ったほうが、よさそう!)

【補記】

 どうも私、懐疑的なんですねえ。(だんだん、そうなってきました。)

 「必要だから、やる」と言うのではなく、今回のEXPO'05には、最初に、万博ありき……という
姿勢を感じてしまうんですねえ。

 官僚と政治家、それにゼネコンが一体となった万博(?)。「どうやって、マネーをもうけよう
か」と、そんなことばかりを、どこかでだれかが、考えている(?)。そんな印象を感じてしまった
んですねえ。

 全国津々浦々の、小さな村にでさえ、場違いなほど立派な、「箱物」が並んでいる。一日に、
車が数台も通らないような山道ですら、完全舗装の道路が走っている。

 そういう事実を、私たちはいやというほど、日常の生活の中で、見せつけられている。だから
どうしても、懐疑的になってしまうんですねえ。政府に対する不信感というか、そういうもので
す。

 何も考えなければ、お祭り騒ぎですむのですが……。

 今回も、「愛・地球博」というくらいなら、全国の、無数の自然保護団体が集まって、そういう人
たちが主催するような博覧会だったら、よかったと思うんですがねえ。しかし私が見たところ、
そういう会場は、どこにも、なかったような気がしますよ。

 たとえば「長良川、河口堰(ぜき)反対運動は、こうして戦いました」「四万十川の清流は、こう
して守りました」「名古屋湾の湿原は、こうして守りました」というような、主張です。

 が、目につくのは、ビール会社の建物とか、自動車会社の建物とか、電気会社の建物とか、
そんなものばかり……。

 無数の自然保護団体があって、それら一つひとつが、成長し、熟成し、その結果として、「自
然を愛しましょう」、そのための「愛・地球博」というのなら、私にも、話がわかるのですが……。

 小さくてもいい。貧弱でもいい。「私たちは、こうして日本の自然を守っています」という、主張
がほしいのです。「日本人も、おとなになったなあ」という雰囲気です。

 マンモスの骨もいい。ロボットの踊りもいい。リニアモーターカーもいい。しかしそれらが、どう
して、「愛・地球」につながるのかな?

 この原稿は、愛知万博が終わる、6か月後に、また読みなおしてみたいと思っています。つま
りね、いつも、私が言っていることなんですが、「だから、それがどうしたの?」という部分がない
まま行動しても、空回りに終わってしまうということなんです。万博が終わったとき、私たちがど
うつくりあげていくかということなのです。

 ただ見ただけ。ただおもしろかっただけ。それではすまされないということです。巨額の税金
を使い、同じように巨額の国民のお金を使うのですからね。

 手段ばかりで目的が、どうも見えてこない。そんな感じがしてしまうのです。「万博をした。だ
からどうなの?」と。

 かなりきびしい意見で、ごめん! 


++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●官製「愛・地球博」のおかしさ

 どうして今まで気がつかなかったのだろう? ホント! この分野については、あまり考えたこ
とがないせいかもしれない。

 今度、愛知県で、EXPO(愛知万博)が開かれる。閣議了承を経た、国家的プロジェクトだ
が、考えてみれば、官製の「愛・地球博」というのは、どう考えてもおかしい(?)。「日本政府
は、国民を代表して、地球を愛しています」「大切にしています」「地球環境を守っています」と。

 こういうのを、官製プロパガンダという。

 あのK国が、「K国はすばらしい」と、言っているのに、どこか似ている。

 で、この日本でも、さまざまな環境問題が起きている。それに対して、さまざまな団体が、そう
した問題と戦っている。

 私が一番関心があるのは、『長良川河口堰(ぜき)の問題』。長良川の出口に河口堰を作っ
たため、アユの遡上が90%近くも減ったという。ほかにも、いろいろある。当初は、「河口堰の
影響は、微小で、取るにたりないもの」というのが、行政側の説明だった。が、実際には、微小
どころか、たいへんな影響が出始めている。

 で、河口堰に反対している団体が、どこかにブースをもち、「愛・地球博」というのなら、話が
わかる。しかし一方で、自然をさんざん破壊しておきながら、その行政側が、「自然のすばらし
さ?」を訴えるというのも、どうか?

 土建国家日本が、その土建業の行き先を求めて、愛知万博(?)。いろいろ考えていくと、お
かしなことだらけ……。今回も、開幕前だったが、愛知万博をのぞかせてもらった。そしてあち
こちを歩いてみたが、肝心の「庶民」の姿が、どこにも見えてこない。

 まさに官製万博。私は歩きながら、やがて、「こうした万博で利益をあげるのは、だれだろう」
と考え始めた。

 だれだろう?

 だいたいにおいて、目的が、よくわからない。「だからどうなの?」という部分が、どうしても見
えてこない。たとえば今度の万博の目玉の一つに、ロシアが出品するマンモス象がある。

 たいへん珍しく、貴重なものらしい。しかしそれを見た私たちは、それを見て、どうするのか?
 ひょっとしたら、大半の人は、「ほほう」「そうか」で終わってしまうのではないのか。

 だからといって、それがムダとは思わないが、しかしそれが「愛・地球」とどこで、どう結びつく
のかということになる。環境保護問題と、どこでどうつながるのかということになる。「娯楽と考え
ればいい」という人もいるが、娯楽にしては、ぜいたくな話ということになる。

 当初から、今回の万博には、反対者が多かったと聞く。開催地のある地元でも、約50%の
人が反対しているという話を聞いたこともある。名古屋市の人にいたっては、もっと多い(?)。

 このあたりで、日本人も、ものの考え方を、少し変えたほうがよいのかもしれない。たとえば、
こうだ。

 地球がかかえる問題にしても、草の根レベルで懸命に活動している人は、いくらでもいる。そ
ういう人たちが、無数のブース(部屋)を並べて、自分たちの活動を報告するとか、賛同者を求
めるとか。

 いや、それ以前の問題として、そういう活動を、もっと広げていく。もっと多くの人が、日常的
に関心をもち、活動できるようにする。その結果としての、「愛・地球博」であったら、すばらし
い。また、本来は、そうでなければならない。

 次回、何かの機会に、同じような企画が立てられ、意見を求められたら、そのときは、そう発
言したい。(多分、もうそういう機会は、ないだろうが……。)

+++++著作権BYはやし浩司++++++copy right by Hiroshi Hayashi+++++

【子どもと笑い】

●笑うと健康」裏づけ(組織刺激され血行増進)

 笑うと、血液の流れがよくなるそうだ。それだけではないと思うが、「笑うこと」には、不思議な
力がある。それは私自身が、幼児教育の場で、日常的に実感していることでもある。

今度、アメリカ・メリーランドのマイケル・ミラー医師らが、こんな発表をした。

いわく、「血管の内側にある組織が刺激を受けて、血液の流れがよくなることが、調査で明らか
になった。『笑いは健康にいい』との説が医学的にも裏づけられた形だ。なぜ笑うとこの組織が
活性化されるのかまでは突きとめられなかったが、同医師は『ストレスからくる血行障害のリス
ク、減らすことができる』と、笑いの効用を力説している」と。  
(時事通信・05年3月15日 )

+++++++++++++++++++++

教室での笑いについては、たびたび、書いてきた。

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【今週の幼児教室から】

●笑えば、伸びる

 言いたいことを、言う。したいことを、する。これが幼児教室の基本である。おさえるのは、簡
単。その時期がきたら、少しずつ、しめていけばよい。

 今週は、(数)をテーマにした(月曜日クラス)。

 この時期は、(教えよう)(教えてやろう)という気持ちは、控えめに。大切なことは、子ども自
身が、数を好きになること。数を、楽しいと思うようになること。が、それ以上に、大切なことは、
子どもが、自信をもつこと。決して、おとなの優位性をおしつけてはいけない。

 7個のリンゴを、わざとまちがえて数えてみせる。すると子どもたちは、「ちがう、7個だ!」と
叫ぶ。そこで改めて、数えてみせる。そして「ああ、7個だったのかあ?」と、とぼけてみせる。

 が、その日は、それですんだわけではない。さらに、私を責めた子どもがいた。「あんた、先
生でしょ!」と。そこで私は、こう言ってやった。

 「君、まだ幼稚園児だろ。だったら、そんなにしっかりと勉強しなくていい。もっと、ぼんやりと
勉強しなさい。あのね、幼稚園児というのは、指をしゃぶって、おしりからプリプリと、出しながら
勉強するものだよ。わかっている?」と。

 すると子どもたちが、ワイワイと反発した。しかしその反発こそが、私のねらいでもある。

 「あのね、わかっていないな。勉強なんてものはね、適当にやればいいの。そんなにしっかり
やると、頭がへんになるよ!」と。

 すると子どもたちは、「ちがう、ちがう」と叫ぶ。つまりそうやって、子どもを、こちらのペースに
のせながら、指導していく。あとは、子ども自身がもつ、伸びる力に任せればよい。

 だいたいにおいて、子どもというのは、伸ばそうと思っても伸びるものではない。大切なこと
は、子ども自身がもつエネルギーを、うまく利用すること。それをうまく利用すれば、子どもは、
伸びる。

 さて、子どもを明るい子どもにするには、方法は、一つしかない。つまり、笑わせる。大声で、
笑わせる。それにまさる方法はない。だから私の教室では、子どもを笑わせることを、何よりも
大切にしている。1時間なら1時間、笑わせぱなしにすることも、珍しくない。

 笑うことにより、子どもの心は、開放される。前向きな、学習態度も、そこから生まれる。『笑
えば、伸びる』、それが私の、この35年間でつかんだ、幼児教育の真髄である。
(031029)

【追記】

 最近の研究では、ストレスと免疫系の関係などが指摘されているが、それと反対に、「笑い」
には、不思議な力が隠されている。これから先、大脳生理学の分野で、少しずつ、その「力」が
解明されていくだろうと思う。

+++++++++++++++++++++++

●私の実験教室「BW教室」

 幼児を教えるようになって、35年になる。この間、私は4つのことを、守った。(1)すべて授業
は公開し、親の参観をいつでも自由にした。(2)教材はすべて手作り。市販の教材は、いっさ
い使わなかった。(3)同じ授業をしなかった。(4)新聞広告、チラシ広告など、宣伝をしなかっ
た。

 まず(1)授業の公開は、口で言うほど、楽なことではない。公開することによって、教える側
は、手が抜けなくなる。教育というのは、手をかけようと思えばいくらでもかけられる。しかし手
を抜こうと思えば、いくらでも抜ける。それこそプリントを配って、それだけですますこともでき
る。そこが教育のこわいところだが、楽でない理由は、それだけではない。

 授業を公開すれば、同時に子どもの問題点や能力が、そのまま他人にわかってしまう。とく
にこのころの時期というのは、親たちが神経質になっている時期でもあり、子どもどうしのささ
いなトラブルが大きな問題に発展することも珍しくない。教える側の私は、そういうとき、トコトン
神経をすり減らす。

 (2)の教材についてだが、私は一方で、無数の市販教材の制作にかかわってきた。しかしそ
ういう市販教材を、親たちに買わせたことは一度もない。授業で使ったこともない。出版社から
割引価格で仕入れて、親たちに買わせれば、それなりの利益もあったのだろうが、結果として
振り返ってみても、私はそういうことはしなかった。本もたくさん出版したが、売るにしても、希望
者の親のみ。しかも仕入れ値より安い値段で売ってきた。

(3)の「同じ授業をしない」については、二つの意味がある。年間を通して同じ授業をしないと
いう意味と、もう一つは、毎年、同じ授業をしないという意味である。

この10年は、何かと忙しく、時間がないため、年度ごとに同じ授業をするようになった部分もあ
るが、それでもできるだけ内容を変えるようにしている。ただその年の授業の中では、年間をと
おして同じ授業をしない。これには、さらに二つの意味がある。

 そういう形で子どもの心をひきつけておくということ。同じ授業をすれば、子どもはすぐあき
る。もう一つは、そうすることによって、子どもの知能を、あらゆる方向から刺激することができ
る。

 最後に(4)の宣伝については、こうしてインターネットで紹介すること自体、宣伝ということに
なるので、偉そうなことは言えない。それに毎年、親どうしの口コミ宣伝だけというのも、実のと
ころ限界がある。

ある年などは、1年間、生徒(年中児)はたったの3人のままだった。例年だと、親がほかの親
を誘ってくれたりして、生徒が少しずつふえるのだが、その年はどういうわけだかふえなかっ
た。

 私の実験教室の名前は、「BW(ビーダブル)教室」という。「ブレイン・ワーク(知能ワーク)」
の頭文字をとって、「BW」とした。「実験」という名前をつけたのは、ある時期、大きな問題のあ
る子どもだけを、私の方から頼んで、(そのため当然無料だったが)、来てもらったことによる。

私の教室は、いつも子どもたちの笑い声であふれている。「笑えば伸びる」が、私の教育モット
ーになっている。その中でも得意なのは、満四・五歳から満五・五歳までの、年中児である。興
味のある人は、一度訪れてみてほしい。ほかではまねできない、独自の教育を実践している。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●子どもへの禁止命令 
 
 「〜〜をしてはダメ」「〜〜はやめなさい」というのを、禁止命令という。この禁止命令が多け
れば多いほど、「育て方」がヘタということになる。イギリスの格言にも、『無能な教師ほど、規
則を好む』というのがある。家庭でいうなら、「無能な親ほど、命令が多い」(失礼!)ということ
になる。

 私も子どもたちを教えながら、この禁止命令は、できるだけ使わないようにしている。

たとえば「立っていてはダメ」というときは、「パンツにウンチがついているなら、立っていてい
い」。「騒ぐな」というときは、「ママのオッパイを飲んでいるなら、しゃべっていい」と言うなど。ま
た指しゃぶりをしている子どもには、「おいしそうだね。先生にも、その指をしゃぶらせてくれな
いか?」と声をかける。禁止命令が多いと、どうしても会話がトゲトゲしくなる。そしてそのトゲト
ゲしくなった分だけ、子どもは心を閉ざす。

 一方、ユーモアは、子どもの心を開く。「笑えば伸びる」というのが私の持論だが、それだけで
はない。心を開いた子どもは、前向きに伸びる。イギリスにも、『楽しく学ぶ子どもは、もっとも
学ぶ』(Happy Learners Learn Best)というのがある。

心が緊張すると、それだけ大脳の活動が制限されるということか。私は勝手にそう解釈してい
るが、そういう意味でも、「緊張」は避けたほうがよい。禁止命令は、どうしてもその緊張感を生
み出す。

 一方、これは予断だが、ユーモアの通ずる子どもは、概して伸びる。それだけ思考の融通性
があるということになる。俗にいう、「頭のやわらかい子ども」は、そのユーモアが通ずる。以
前、年長児のクラスで、こんなジョークを言ったことがある。

 「アルゼンチンの(サッカーの)サポーターには、女の人はいないんだって」と私が言うと、子ど
もたちが「どうして?」と聞いた。そこで私は、「だってアル・ゼン・チン!、でしょう」と言ったのだ
が、言ったあと、「このジュークはまだ無理だったかな」と思った。

で、子どもたちを見ると、しかし一人だけ、ニヤニヤと笑っている子どもがいた。それからもう四
年になるが、(というのも、この話は前回のワールドカップのとき、日本対アルゼンチンの試合
のときに考えたジョーク)、その子どもは、今、飛び級で二年上の子どもと一緒に勉強してい
る。反対に、頭のかたい子どもは、どうしても伸び悩む。
 もしあなたに禁止命令が多いなら、一度、あなたの会話術をみがいたほうがよい。
 
+++++++++++++++++++++

●信頼関係

 知人や友人の中には、愛人のいる人がいる。ほとんどは遊びで交際しているが、しかし私
は、そういう知人や友人は、その時点から信用しないことにしている。妻を平気で裏切るような
人は、仲間を裏切ることなど、何でもない。が、問題は、それだけではすまない。

 ある女性(四六歳)はこう言った。「私の夫は、10年ほど前、同じ会社の女性と不倫をしたこ
とがあります。その事件は一応、解決したのですが、以後、女性から電話がかかってくるたび
に、夫を疑うようになってしまいました」と。「夫がだれかと小声でヒソヒソと話しているのを見た
だけで、心臓がドキドキします」とも。

 一方、夫は夫で、妻を信用しなくなる。昔から、『泥棒の家は、戸締りが厳重』という。自分に
負い目がある分だけ、「もしや妻も……」と思ってしまうらしい。そしてそうしたたがいへの不信
感が、結局は夫婦の関係をぎくしゃくさせる。

 子どもの教育についても、同じことが言える。よく「教育は信頼関係で成りたつ」という。事実、
その通りで、この信頼関係が崩壊すると、教育そのものが成りたたなくなる。いろいろな例があ
る。
 
 たとえば子どもがしたワークブックに丸をつけて返したとする。そのとき、私のほうは、多少ま
ちがっていても、大きな丸をつけて返すときがある。こまごまとした指導になじまない子どもは
多い。むしろそれより大切なことは、子どもが学習することを楽しんだこと。やり終えたという達
成感を覚えること。そして「これくらいできればいいよ」というおおらかさが、子どもを伸ばす。
が、それがわからない親が多い。

「わからない」というより、そういう指導を、「いいかげん」と評価してしまう。今でもときどき、電
話でこう言ってくる人がいる。「うちの息子(小一)の書いた漢字の、トメ、ハネ、ハライがめちゃ
めちゃだ。どうしてなおしてくれないのか」と。そういうことを指導するのが、教育と思い込んでい
る!

 が、こうした私の指導は、誤解を招きやすい。ほかにたとえば私は、子どもが「わからない」と
言ってきても、簡単には教えない。その子どもの能力からして、少し考えればわかるだろうと思
うようなときは、「自分で考えなさい」と突っぱねる。それについても、「あの林先生は、きちんと
教えていない」と。

 信頼関係があれば、こうした誤解は、生まれない。私が同じことをしても、私がしたことを、よ
い方向から見てくれる。が、この信頼関係は、ちょっとしたことでこわれる。ただこわれかたはさ
まざまだし、簡単にこわれる人もいるし、そうでない人もいる。そういう違いはあるが、こわれる
ときは、簡単にこわれる。こんなことがあった。事実を正確に、そのまま書く。

 日曜日の朝のことだった。K子(年中児)の父親から、突然、電話がかかってきた。そしても
のすごい剣幕で、こう怒鳴った。「お前は、うちの娘を萎縮させてしまったというではないか。ど
うしてくれる!」と。寝耳に水とは、まさにこのこと。驚いて事情を聞くと、父親はこう言った。「う
ちの娘は、明るくて元気な子だ。しかしお前の教室へ行くようになったからというもの、どんどん
元気がなくなってしまった。どうしてだ!」と。

 そのK子は、いつも祖母にあたる女性につれられて、私の教室にやってきていた。が、回を
重ねるごとに、表情が暗くなっていった。理由はすぐわかった。その祖母の女性がたいへん神
経質な人で、授業が終わるたびに、教室を出たところで、ああでもない、こうでもないと、K子を
叱っていたのだ。

私が聞いたときも、こう言っていた。「どうして、あのとき手をあげなかったの! あんた、あん
な問題、わからないわけではないでしょ! おばあちゃん、恥ずかしくてたまらないわ。どうして
くれるの!」と。ふつうの言い方ではない。かなりきつい言い方だった。

 私は怒りをおさえることができなかった。当時、私はまだ30歳そこそこ。今ならもう少しじょう
ずに話せるかもしれないが、そのときはそうではなかった。その女性にこう言った。「あなたが
そんなことを言ったら、K子さんは、かえって自信をなくしてしまうでしょう。どうしてそんなバカな
ことを言うのですか。そんなに気になるなら、来週からは参観は結構です。私に任せて、あなた
は外で待っていてください」と。

 そのときその女性が、なぜそう言ったのか、いまだにその理由はわからないが、その女性は
それに答えて、私にこう叫んだ。「わたしゃね、こう見えても、息子を、東京のR大学を出してい
るんだよオ!」と。

 父親から電話があったのは、それから数日後のことだった。しかし「萎縮させた」と言われて
は、私も黙っておられない。そこで私は、その父親にこう言った。「私の教え方に疑問をもって
いるなら、あなたが一度、自分の目で参観なさったらよいでしょう」と。父親はそれに応じた。

 私の教室は、教室といっても、一クラス、5〜8人の小さな教室である。実験教室と私は呼ん
でいる。ある時期は、何か問題のある子どもだけを教えていた。そのため教室はすべて公開し
ている。一度だって、非公開でしたことはない。

だから、「手を抜く」ということができない。たいていいつも、二〜四人の親たちが、うしろで見て
いる。しかしその父親が参観にくるという日は、さすがの私も緊張した。それはちょうど、宮本
武蔵と佐々木小次郎の決闘のようなものだった。少しおおげさな言い方だが、私はそのときは
そう感じた。

 で、父親は表情をかたくして、私の教室にやってきた。そして腕を組んだまま、微動だにしな
かった。が、私の教室は「笑い」を売り物にしている。「笑えば伸びる」が、私の持論である。幼
児クラスでは、子どもたちは、五〇分の授業中、ほとんど笑いぱなしに笑っている。そのときは
しかし、さらに私は子どもたちを笑わせた。その女の子をのぞいて、ほかの子どもたちは、いつ
もの何倍もの大声で笑いつづけた。

 私にはひとつの覚悟があった。その授業のあと、その女の子には退会してもらうつもりでい
た。信頼関係をなくしたら、もう教育などできない。とくに私の教室ではそうだ。一クラス5〜8人
といっても、合計しても、学生の家庭教師代よりも安い。営利を考えたら、とてもできない仕事
だった。

 が、授業が終わったとき、父親は私のところにきて、こう言った。「よくわかりました。私がまち
がっていました。許してください。これからもうちの娘をよろしくお願いします」と。

 結局その女の子は、小学校へ入学するまで、私の教室に通ってくれた。

 信頼するということは、疑わないこと。よく若い人が、恋人に向かって、「あなたを信じている
わ」と言うことがある。あれなどは、まさに詭弁(きべん)。本当に信じていたら、そういう言葉は
出てこない。疑っているから、「信じているわ」という。

このことは、夫婦でも、また親子でも同じ。絶対的な信頼関係が、人間関係を深く、豊かなもの
にする。繰り返すが、「絶対的」というのは、「疑いをいだかない」という意味。ことよい教育を願
うなら、この信頼関係を大切にする。親も、教師も、だ。

++++++++++++++++

●萎縮する教師たち

 つい先ごろ、「わいろ」をテーマにした授業をして、新聞沙汰(ざた)になった事件があった(0
3年8月・北海道のA小学校)。カードゲームのようなもので、役人をわいろで買収して、無事、
関門を通過するというゲームであったらしい。

 しかしここで問題となるのは、そのゲームのことではなく、たかがそれだけのことが、全国ニュ
ースになるという、その異常性である。

仮に問題があるとしても、一教室で、一教師が起こした、ささいな事件に過ぎない。全国のマス
コミが騒がなければならないような問題ではない。まさに、「たかがそんなこと」で、ある。

 教師だって、たまには、ハメをはずすことがある。あって当然。私などは、ハメをはずすこと
で、子どもの心に風穴をあける。それをひとつの技術にしている。たとえば私のばあい、「笑え
ば伸びる」が、私の教育モットーでもある。

私とワイフは、このニュースを新聞で読みながら、「こんなことで!」と驚くと同時に、「もしそれ
が悪いなら、ぼくなどは、年がら年中、新聞沙汰になる」と笑った。たとえば……。

 私は教室で子どもどうしが喧嘩(けんか)をしたようなときは、両方の子どもの頬(ほお)に、キ
スをする。これは男児のみに対する罰則だが、そうする。ほとんど毎回親たちが参観している
ので、親たちの前で堂々とそれをする。

が、いまだかって、それに抗議してきた親は、一人もいない。要はやり方の問題ということにな
るが、それ以上に大切なのは、私と親の信頼関係である。

先日も、ワーワーと騒いでいた小学生(4年男児)がいたので、「静かにしないと、チューする
ぞ」と、おどした。するとその小学生は、机の間を走り回りながら、「できるもんなら、やってみ
ろ!」と私にけしかけた。私は何度も警告したが、それでも騒いだ。そこで最後に、その子ども
をつかまえて、思いっきり、ブチューと、手にキスをしてやった。

 その子どもは、「本当にやるなんて……、やるとは思っていなかった……、どうしてチューした
よ!」とベソをかいていたが、私は「これで、わかったか!」と言って、その場を離れた。

 こういう事件で、なぜ私の行為が問題にならないかといえば、理由は二つある。ひとつは、私
は公的な立場にはいないということ。もうひとつは、それを問題にする親がいないということ。

 公的な立場ということは、いわば、それ以外に抜け道のない、絶壁(ぜっぺき)のような立場
をいう。いわゆるミスの許されない世界と言ってもよい。たとえばおけいこ塾であれば、生徒は
いつでも自由にやめられる。やめたところで、どうということはない。

教える側にしても、教師はいつでも自由に生徒にやめてもらうことができる。生徒をやめさせた
ところで、これまたどうということはない。しかし学校の先生は違う。生徒はやめることもできな
いし、先生はやめさせることもできない。いわば絶壁の上に立つような立場ということになる。
そう、先生がバツで与えるキスが気に入らなければ、親はそのおけいこ塾をやめればよい。

 もうひとつは、「それを問題とする親がいない」ということ。正直に告白するが、神経質な親と
いうのは、実際にはいる。教師のささいな失敗やミスをとらえては、ことさらそれをおおげさに問
題にする。このタイプの親にからまれると、教師歴20年という教師ですら、心底、神経をすりへ
らす。

さらに脳の病気にアルツハイマー病というのがある。このアルツハイマー病には、初期の、そ
のまた初期症状というのがある。繊細さが消える(ズケズケとものを言う)、がんこになる(自説
をまげない)、自己中心的になる(人の話を聞かない)など。四〇歳くらいの人で、約五%の人
にその傾向が見られるという。で、このタイプの親にからまれると、教育そのものが成り立たな
くなることも珍しくない。こんなことがあった。

 私がある幼稚園で特別教室をもっていたときのこと。月4回という約束で、幼児を教えてい
た。が、そのクラスだけは、5月の連休もあって、月3回になってしまった。それについて、私
に、「サギだ。補講をしろ。しなければ、訴える」とからんできた父親がいた。

 あるいはたまたまその日、その子どもの父親が参観にきていた。そこで私の授業を手伝って
もらった。それについて、その夜母親から、「よくもうちの主人に恥をかかせたわね」と、電話が
かかってきた。ふつうの電話ではない。1週間にわたって、毎晩、しかもネチネチと、そのつど1
時間程度もつづいた!

 さらにある日、突然、1人の女性(45歳くらい)が、私の事務所にやってきて、「戦争をどう思
うか」「先祖をどう思うか」「中国の意見をどう思うか」と、ああでもない、こうでもないと議論をふ
っかけてきた。

で、そのつど私が意見を述べていると、「あんたのような人が、あちこちで講演しているなんて、
おかしい」「日本の歴史を否定するような親からは、いい子どもは生まれない」と。(私は何も、
日本の歴史を否定しているわけではない。また私には3人の息子がいるが、どの息子も、自慢
の息子である。念のため!)

 もちろん授業中に、先生がワイロの話をするのは、まずい。それはわかる。しかしそれは決し
て全国のニュースになるような大事件ではない。また大事件にしてはならない。

 今、どこの学校で講演をさせてもらっても、校長先生以下、どの先生も、異口同音にこう言
う。「先生たちが萎縮してしまって、授業ができなくなっています」と。少し子どもを叩いただけ
で、親たちは、「そら、体罰だ!」と騒ぐ。少し授業中にふざけただけで、親たちは、「そら、不適
格教師だ!」と騒ぐ。もともと信頼関係がないからそういうことになるが、一方で、親たちの過剰
反応も、問題とされなくてはならない。

 まさに現代は、教師受難の時代といってもよい。教育そのものが、たいへんやりにくい時代に
なった。その原因のひとつは、親にもあるということ。それがわかってほしかった。
(02−8−22)※

+++++++++++++++++++++

【BW教室】、

●新年中児、新年長児のみなさんへ、

 「BW教室」の「BW」は、「ブレイン・ワーク」という意味。「知能ワーク」という意味である。昔、
「主婦と生活」という雑誌社に、井上K氏という編集長がいた。その編集長が、私の教室を紹介
してくれるとき、「林教室ではおもしろくないなあ」と言ったので、その場で「BW教室」とした。今
では、この名前が、たいへん気にいっている。

 私の教室では、年間を44レッスンに分け、毎回、まったくちがった授業をしている。四月から
順に並べてみる。(「まなぶくん・幼児教室」(学研)では、四八のテーマに分け、商品化したこと
もある。)

 あいさつ……大きな声を出せるように指導する。
 ちえあそび……考える楽しさを教える。
 もじ……文字のもつおもしろさをわからせる。
 かず……数の基本について。
 ことば……言葉を音に分解したりして、言葉の遊び。
 おおきい、ちいさい……大小の判断、数の大小。
 かぞく……家族の関係と、役割について。
 とおい・ちかい……遠近感覚から、距離を数値で表すところまで。
 おえかき……絵の話。絵の描き方など。
 かたち……形の基本、形遊びなど。
 いろ……色の世界、色づかい、ぬり絵あそび。
 えいご……英語だけで、授業を展開。
 きのう、きょう……時間の世界と、きのう、今日の感覚。
 おはなし……紙しばいづくりと、発表。
 ながい、みじかい……長い、短いの判断。
 いいこと、わるいこと……善悪の判断と、その感覚。
 おんかん……音遊び、音感遊び。
 さぎょう……こまかい手作業をとおした、遊び。
 しごと……家庭における役割と、手伝いについて。
 しつけ……基本的なマナーほか。
 きせつ……四季と、一二か月の話など。
 えんぎ……体や手足をつかった表現力。
 ほんよみ……読書指導。
 どうぶつ……虫、魚、けもの、鳥の特徴と分類。
 はな、き……植物の基本。
 こうさく……工作の楽しさと、箱づくり。
 うた……歌唱指導とみなの前での表現力、ほか。

 こう書くと、つまらない内容に思う人もいるかもしれないが、実際には、子どもたちを笑わせな
がら、授業を進める。「笑えば伸びる」が、BW教室の持論でもある。

もしあなたが興味をもってくれるなら、授業はすべて公開しているので、見学にきてほしい。あ
なたは子どもたちの伸びやかな様子に、必ず驚くだろう。これはウソでも、誇張でもない。この
教室の授業には、私の35年(05年)のキャリアがこめられている。ここまでカリキュラムを作り
あげるのに、それだけで10年以上かかった。もちろん教材類は、すべて手作り。毎回100枚
以上の教材を使っている。自信がある。

++++++++++++++++++++

●障害のある子ども

 障害児をもつ親から相談があった。それで何冊か、それに関する本を買ってきた。読んだ。
調べた。しかしつまらない。役にたたない。

 たとえば……。

 障害児には、(1)精神遅滞、(2)学習障害、(3)運動能力障害、(4)コミュニケーション障
害、(5)広汎性発達障害、(6)行動障害がある……、と。

 学者の先生たちは、やたらとこういうことを分類したがる。そしてそれでもって、「自分は専門
家」と、胸を張りたがる。悪いクセだ。恐らく、現場で、親身になって、子どもを指導したことなど
ないのだろう。

 さらに別の本には、「障害の段階」と称して、(1)生理学的障害、(2)能力的障害、(3)適応
行動的障害があると説いている。もっともこの分類法は、国際連合で承認されたもので、私の
ようなものが異議を唱えても、まったく意味がない。しかしこんな分類法を押しつけられたほう
だって、困る。

 同じようなことを、以前も感じたことがある。不登校について、調べていたときのことである。
それには、こうあった。

 「不登校の態様は、一般に教育現場では、(1)学校生活起因型、(2)遊び非行型、(3)無気
力型、(4)不安など情緒混乱型、(5)意図的拒否型、(6)複合型に区分して考えられている。

 またその原因については、(1)学校生活起因型(友人や教師との関係、学業不振、部活動な
ど不適応、学校の決まりなどの問題、進級・転入問題など)、(2)家庭生活起因型(生活環境
の変化、親子関係、家庭内不和)、(3)本人起因型(病気など)に区分して考えられている」
(「日本K新聞社」まとめ)と。

 しかしこんな分類をして、いったい、何の役にたつというのだろうか。「テーブルには、丸型、
四角型、楕円型がある。脚の数は、四本型、三本型、二本型がある。材質によって、金属型、
樹脂型、木造型がある」と分類するのと同じ。あるいはそれ以下。まさか親に向かって、「お宅
の子どもは、学校生活起因型の不登校児です」とでも、言うつもりなのだろうか。

 私たちがすべきことは、いわゆる障害児と呼ばれる子どもをもつ親の、不安や心配を軽減す
ることである。またそのためにどうしたらよいかを、考えることである。

だいたいにおいて、「障害児」という言葉がおかしい。英語では、「disorder」「disability」とかい
う。日本語に訳せば、「乱れ」「できない」を意味する。言葉のニュアンスが、ぐんとやさしい。
「障害」というのは、どこかに「ふつうの健常児」を念頭に置いた言葉である。だから「障害児」と
いう言葉を聞くと、「のけ者」という印象をもってしまう。だいたいにおいて、人間をさして、「害」と
は、何ごとか! バカヤロー!

 この世の中に、障害児などいない。ふつうの子どもがいないように、そうでない子どももいな
い。問題のある子どもは、五万といるが、反対に、問題のない子どもはいない。大切なことは、
どんな子どもにも問題がある。あって当たり前という前提で、教育を組みたてること。問題のあ
る子どもを、そうでない子どもと、区別してはいけない。

 たとえば最近、気になっているのに、「高次脳障害」という言葉がある。「高次脳」というのは、
つまりは、大脳新皮質部の脳のことをいう。高度な知的能力をつかさどる部分に障害があるか
ら、「高次脳障害」という。

 いろいろな指導者が現れて、懸命に、その脳の回復を試みている。テレビでも、よく紹介され
る。しかし全体としてみると、「子どもは、そうであってはいけない」という発想ばかりが目だつ。
それにおもしろくない。私が見た番組では、指導者が、カードを一〇枚前後並べ、一枚ずつそ
れをめくりながら、そのカードが何であるかを、子どもに暗記させていた。

 しかしこんなつまらない指導を、毎日、毎日受けさせられたら、子どもは、どうなる? 子ども
は、どう感ずる? その指導者は、「先月までは、五枚しか暗記できませんでしたが、この訓練
で、七、八枚までできるようになりました」と喜んでいた。あああ。

 私は立場上、「治す」とか、「直す」とかいう言葉は使えない。しかし簡単な情緒障害や精神障
害なら、子どもは、笑わすことで「なおす」ことができる。だから私は、幼児を教えるとき、その
「笑い」を、何よりも大切にしている。「笑えば伸びる」が、私の持論でもある。

どうして今の教育には、そういう発想がないのか。中には、「勉強とは、黙々とするもの」、また
それをしつけるのが幼児教育と思いこんでいる人がいる。とんでもない誤解である。

 これから先、「障害児」をテーマにして、いろいろ考えてみたい。その第一歩として、最近読ん
だ本を、評論してみた。

【追記】

 へたに「障害」という言葉をつけられてしまうから、親はあわてる。不安になる。心配になる。
そしてしなくてもよいことをして、結局は、むしろ症状を悪化させてしまう。さらに子ども自身も、
心の緊張感から解放されない。不幸な幼児期、少年少女期を送ることになる。

 学者の先生たちは、「原因をさがせ」「早期に診断せよ」「適切な指導をしろ」と教える(F教授
「子どもの心理学」)。それはそうかもしれないが、そう言われた親は、いったい、何をどうしたら
よいのか。

 私はやはり、教育の世界でも、子どものあるがままを認め、それぞれの子どもに合った学習
を組みたてるのが、一番よいと思う。

たとえば多動児(ADHD児)にしても、小学3、4年生になり、自意識が育ってくると、その症状
は、急速にわからなくなってくる。子ども自身が自分で自分をコントロールするようになるからで
ある。

 私は、そういう子ども自身の「力」を認め、それを育てるのも、教育ではないかと思っている。
ここでは「思っている」としか書けないが、今はそう思う。このつづきは、また考えてみる。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●学習性無気力

 いくつかいやなことが重なると、やる気をなくすことがある。子どもにかぎらない。おとなの私
たちだって、そうである。「親と口論した」「お金を落とした」「信号であやうく自動車にはねられ
そうになった」など。

そういうことがいくつか重なると、「もう、どうにでもなれ」という気分になる。このように、抵抗す
る気力すらなくした状態を、学習性無気力という。繰りかえし学習するうちに、無気力症状が出
てくることをいう。

 このところ街を歩いていると、日本全体が、学習性無気力にひたっているような感じがする。
とくに飲食店が、悲惨である。土日の午後だというのに、どこも閑古鳥(かんこどり)が鳴いてい
る。

しかしその割に、入ってみると、「この値段で、よくこんな料理ができるものだ」と感心するほど
の、料理が並ぶ。採算度外視? 投げやり? デフレというより、自暴自棄?

 実のところ、私にも、その学習性無力感が漂うようになった。どこか「なるようになれ」という気
分が強くなった。地球温暖化? ……なるようになれ。北朝鮮の核問題? ……なるようにな
れ。日本の経済? ……なるようになれ、と。それではいけないと思うが、私のような人間が叫
んだところで、いったい、何が、どうなるというのか。

 家庭でも、そうだ。このところあれこれと、一〇万円単位の出費がかさんだ。家計も健全なう
ちは、毎月のバランスシートを考えながら、支出をおさえたりする。が、一度崩れると、「何とか
なる」という甘い考えばかりが先行するようになる。そして気がついたときには、メチャメチャ。
今は何とか貯金を切り崩して、体勢を立てなおしてはいるが、こんなことが何回も重なると、私
の家の家計は、やがてパンクする。

 こうした学習性無力感とは、どう戦えばよいのか。子どもの無気力症に準じて考えると、つぎ
のようになる。

(1)休養と趣味……心と体を休める。何か無心になってできる趣味をもつとよい。
(2)生活のコンパクト化……自分の住む世界を、スリムにし、思い切って縮小する。

 やはり休養が大切。のんびりと、何もしないで、時の流れに身を任す。さらに具体的には、私
のばあい、こうしている。

★土日は、たっぷりと休む。以前は、山荘に人を呼んだりしていたが、今は、本当に会いたい
人だけを呼ぶ。生徒や、その父母とは、土日には、会わない。相談にものらない。電話も受け
つけない。

★しかし実際には「休む」という意識はあまりない。私のばあいは、「好き勝手なことを、気が向
くままする」のが、何よりも、よいようだ。計画は、たてない。計画に、しばられない。エンジンつ
きの草刈り機で、バリバリ草を刈っていると、自分を忘れる。気分が爽快(そうかい)になる。

★つぎにやはり、年齢に応じて、生活をコンパクト化する。若いころは、どんどんと手を広げて
いくものだが、ある年齢になると、かえってそれが重荷になる。だから先手を取って、不必要な
ものを削り、コンパクト化する。

たとえば、テレビでも、買いかえるたびに、二〇インチ、二四インチ、二八インチ……と、より大
型のものにしたが、今度は、再び、二〇インチ程度のものにしようかと考えている。自宅の土
地も、三分の一ほどにして、あとは売却しようかと考えている。

 つまりコンパクト化することで、自分の意識を変える。もっとわかりやすく言えば、無理をせ
ず、ほどほどのところで、あきらめ、納得する。学習性無力感が起きる前に、先手を取って、自
分を小さくする。そうすれば精神的な負担を軽くすることができる。軽くなれば、その分、ダメー
ジも小さくなる。子どもでいうなら、たとえば志望校をさげるとか、そういうことになる。

【追記】

 実のところ、この数日間、私は、何をしてもすぐ疲れてしまい、気力がつづかなかった。国際
情勢も大きく動いているのに、新聞を読む気さえ起きなかった。「とうとう私も、学習性無力にお
ちいってしまった」と心配したが、昨夜、ワイフが風邪をひいた。その症状をみて、私の症状だ
ったことを知った。私は風邪をひいていた? 

今度の風邪は、軽い頭痛と、気分の悪さが特徴か。熱は出ない。体はだるかったが、ほかに
大きな症状もない。で、ワイフといっしょに、あわてて私も風邪薬をのんだら、気分がぐんと楽に
なった。みなさんも、どうかお体を大切に! 風邪をひいて、無気力になることもあるようだ。

++++著作権BYはやし浩司++++++copy right by Hiroshi Hayashi+++++※

【有名人論】

●有名人コンプレックス

 だれにも、有名人コンプレックスというのがある(?)。若い女の子たちが、アイドルの歌手な
どを見かけたりすると、キャーキャーと騒ぐ。意味もなく興奮する。あれが、そのひとつ。私も若
いころ、そんなような気分になったことがあるので、「だれにも」と書いた。

 なぜか?

 実は、自分も、そう扱われたいからである。みなに、チヤホヤされたい。そういう思いが、カガ
ミに反射するように、今度は、それが有名人コンプレックスに変身する。

 よくある例は、そのアイドルのまねをする。たとえばそのアイドルが着ている服と同じ服を着
て、心を満たすなど。心理学でも、これを「同一視」という。自分をそのアイドルと同一視するこ
とで、自分の中の不満を、満足させる。

 そこでこの有名人コンプレックスを、分析してみる。

(1)有名になりたい……自分の存在感や優越性を、高めたいという意識が、「有名になりた
い」という意識の基盤になる。

(2)有名になることにまつわる幻想……有名になれば、それだけ金銭的にも恵まれ、幸福感
の充実度も変わってくるという幻想に包まれる。

 その意識構造は、いわゆる「出世欲」と似ている。概して言えば、男性は、「出世」にあこが
れ、女性は、「有名」にあこがれる(?)。つまりこうして「自分は、他人より、すぐれた人間であ
る」ということを、自ら証明する。

 もう少しわかりやすく分析するために、私自身のことについて、書いてみる。

●私の経験から

 この日本では、(とくに男性の社会ではそうだが……)、地位と肩書きで、その人の「価値
(?)」が、判断される。封建時代からつづいた、権威主義が、その背景にある。何かにつけ、
日本人は、その権威に弱い。水戸黄門の、あの葵の紋章が、そのよい例である。

 葵の紋章を見せつけられただけで、人々は、みな、地面に頭をこすりつける。ただ単なる儀
式というよりは、当時は、そういう時代だった。権威そのものが、カルト化していたためと考えて
よい。

 そうした「権威」を、私がはっきりと意識したのは、ある出版社で、ある雑誌の編集の仕事を
手伝っていたときのことだった。

 編集部員たちの態度が、相手の肩書きに応じて、おかしいほどに変化するのだ。どこからの
大学の教授からの電話というだけで、ペコペコ、ヘコヘコとした言い方になる。それが小学校の
教師となると、どこか、ぞんざい。さらに幼稚園の教師となると、まるで友だちどうしのような話
し方になる。

 私など、まさに番外。「ねえ、林さん……」という調子であった。

 一片の地位もない、肩書きもない、外の世界から見れば、私とどこも違わないヒラの社員が、
そうするから、おかしい。(「自分だって、ヒラくせに……」と、私は、何度も、心の中で、そう思っ
た。)

 つぎにその出版社で感じたのは、何かにつけて、有名人を起用したがるということ。表紙のモ
デルにしても、エッセーにしても、アイドルにしても、すべて、だ。少しでも有名で、(そして料金
の安い)、少しでも話題になっていれば、だれでもよい。そんな雰囲気だった。

 中身は、つぎのつぎ。

 驚いたのは、小学生用のワークブックを見たときのことだった。巻末には、大学の教授名と、
大学名が、20〜30人ほど、並んでいた。

 大学の教授が、いちいち、そんなワークブックの編集の仕事など、しない。しないことは、私
が一番、よく知っている。

 たいていは、ワークブックができあがった段階で、おうかがいを立て、肩書きと名前をいただ
く。そういうシステムが、当時、すでにできあがっていた。(今も、基本的には、ほとんど変わっ
ていない。)

 要するに権威に弱い、親だましのようなもの。当時は、「大学の教授」というだけで、親たち
も、ハハーと頭をさげた。

 私は、「おもしろい世界だな」と、いつも、そう思っていた。

●「有名」という魔力

 地位や肩書きはともかくとして、「有名」には、恐ろしいほどの魔力がある。そしてその魔力に
は、二つの方向性がある。

 一つは、ここにも書いたように、「有名になりたい」という魔力。もう一つは、「有名人に卑屈に
なる」という魔力。

 前者は、有名人を遠くに感じたときに、その魔力を覚える。後者は、有名人を近くに感じたと
きに、その魔力を覚える。

 こうした魔力を打ち破るには、二つの方法しかない。

 ひとつは、自分人が有名になる。しかしこれには、際限がない。どこまでいっても、上には上
がいる。有名であるかないかは、あくまでも、相対的なものでしかない。

 先日も、私は幼稚園児たちにこう言った。「ぼくは、有名人だよ」と。すると子どもたちが、「ウ
ソだア!」と叫んだ。

 そこで私が、「じゃあ、BWの林先生を知っている人は、手をあげてごらん」と言った。それに
つられて、全員、手をあげた。「だろ、みんな、林先生のことを知っているだろ。だからぼくは有
名人だよ」と。

 もうひとつは、自分の中に、実力を養う。相手を、簡単に打ち負かすだけの、実力を養う。そ
の実力を、自分の中にしっかりと感じたとき、先に書いた、「卑屈性」がなくなる。

 有名になるかならないかは、あくまでも結果。結果だけを追い求めても、意味はないし、それ
はいわば、化けの皮。そんな化けの皮をかぶっていても、かえって、自分が不安になるだけ。

●あとはトップに会う

 こうした有名人病と闘うためには、機会があれば、トップと言われている人に会うとよい。

 私は幸運にも、オーストラリアの大学へ留学しているときに、そのトップの人たちと、毎日のよ
うに会話をすることができた。

 学者はもちろん、研究者や政治家の人たちとも会った。今から思うと、夢のような毎日だっ
た。「本当に現実だったのだろうか?」と思うこともある。

 で、今から思うと、幸だったのか、不幸だったのか、よくわからない。言うなれば、人生の入り
口で、生意気を通りこして、有頂天になってしまった。山登りでいえば、世界最高峰の山を、最
初に、ヘリコプターか何かで、降り立ってしまったような状態である。

 だからそのあと、山登りの楽しさを、身につけることなく、この世界を、山の頂上から見る目だ
けをもってしまった。

 だから日本へ帰ってきた当時は、有名人と言われる人には、まったくといってよいほど、興味
はなかった。どんな地位や、肩書きのある人でも、平気で会って、話をすることができた。

 しかし私のほうが、おかしかった。私は、あまりにも、世俗的な常識とは、かけ離れすぎてしま
った。有名人といっても、タレントのように、マスコミの世界で作りあげられた有名人は別とし
て、実力ではいあがった有名人もいる。

 そして今、私も57歳にして、はじめて、その(有名人)と、決別することができた。心の中か
ら、消すことができた。「有名人になりたい」という、そういう願望は、遠い昔に消えたが、有名
人に弱いという卑屈性について、である。

 その卑屈性が、ある日を境に、ちょうど、山が崩れるように、心の中で崩れていった。それ
は、はっきりと自覚できるような変化だった。なぜそうなったかについては、また別の機会に書
くことにして、それは私にとっても、特異な経験だった。

 やはり重要なのは、実力だ。中身だ。自信だ。そういうものが、その卑屈性を、打ち破る。有
名になるかどうかは、あくまでもその結果だが、もう、それとて、どうでもよくなる。

 ハハハ。こんなチッポケな地球の、こんなチッポケな日本で、ドングリの背くらべのようなこと
をして、何になる? ……つまりは、そういう心境になる。ハハハ。


++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●約束・規則・目標

 約束、規則、目標は、日常生活の中では、別々のものとして、考えられている。しかし、共通
点がある。

 これら3つを守る人は、どれも守る。守らない人は、そのどれも守らない。約束は守るが、規
則は守らないとか、規則は守らないが、目標は守るという人は、いない。

 この3つは、その基底部で、密接につながっている。

 子どもをみていると、それがよくわかる。約束や規則をしっかりと守る子どもは、目標を定め
て、それに向かって、前に進む。

 しかし約束や規則が守れない子どもに、目標を定めて、それに向かって進めと教えても、た
いていは、ムダ。

 以前、N君という中学生がいた。そのN君。約束など、あってないようなものだった。守れない
というより、約束という言葉の意味さえわからないといったふうだった。

 たとえば教室の中にある戸だなを開けてはだめと指示したとする。そのときは、「うん、開けな
い」「約束する」と言う。

 しかし私がたとえばトイレへ行っている、ほんの少しの時間の間に、私の目を盗んで、戸だな
を開ける。「どうして約束を破ったの?」と聞くと、すかさず、「ごめん」という。そこでさらに「ごめ
んと言うのは簡単なことだよ。どうして開けたの?」と聞くと、「……ちょっと見てみたかっただ
け」と、ポツリという。

 自己管理能力がないという点で、人格の完成度のかなり低い子どもといる。しかし原因は、ど
うもそれではないようだった。

 実は、N君の母親も、約束を守らない人だった。そういう母親の影響を受けたとも考えられる
が、根はもっと、深い(?)。

 発達心理学の世界には、「基本的信頼関係」という言葉がある。その子ども(人)の、基本的
信頼関係は、生まれてすぐから、乳幼児期にかけて、母子の間で、構築される。

 何をしても許されるという(絶対的安心感)と、私は愛されているという(絶対的な満足感)が、
基本にあって、子どもは、母親に対して、絶対的な信頼関係を結ぶことができる。

 「絶対的」というのは、「疑いすらいだかない」という意味である。

 この基本的信頼関係が、その子ども(人)の、精神力の「骨」をつくる。この「骨」があってはじ
めて、その子どもは、約束、規則、目標を守ることができるようになる。少し飛躍した意見に聞
こえるかもしれないが、私は、二匹の犬を飼ってみて、それを知った。

 それについて書いた原稿を、添付する。

++++++++++++++++++++++

【教育を通して自分を発見するとき】
 
●教育を通して自分を知る

 教育のおもしろさ。それは子どもを通して、自分自身を知るところにある。たとえば、私の家
には二匹の犬がいる。一匹は捨て犬で、保健所で処分される寸前のものをもらってきた。これ
をA犬とする。もう一匹は愛犬家のもとで、ていねいに育てられた。生後二か月くらいしてからも
らってきた。これをB犬とする。

 まずA犬。静かでおとなしい。いつも人の顔色ばかりうかがっている。私の家に来て、12年に
もなろうというのに、いまだに私たちの見ているところでは、餌を食べない。愛想はいいが、決
して心を許さない。その上、ずる賢く、庭の門をあけておこうものなら、すぐ遊びに行ってしま
う。そして腹が減るまで、戻ってこない。もちろん番犬にはならない。見知らぬ人が庭の中に入
ってきても、シッポを振ってそれを喜ぶ。

 一方B犬は、態度が大きい。寝そべっているところに近づいても、知らぬフリをして、そのまま
寝そべっている。庭で放し飼いにしているのだが、一日中、悪さばかりしている。おかげで植木
鉢は全滅。小さな木はことごとく、根こそぎ抜かれてしまった。しかしその割には、人間には忠
実で、門をあけておいても、外へは出ていかない。見知らぬ人が入ってこようものなら、けたた
ましく吠える。

●人間も犬も同じ

 ……と書いて、実は人間も犬と同じと言ったらよいのか、あるいは犬も人間と同じと言ったら
よいのか、どちらにせよ同じようなことが、人間の子どもにも言える。いろいろ誤解を生ずるの
で、ここでは詳しく書けないが、性格というのは、一度できあがると、それ以後、なかなか変わ
らないということ。

A犬は、人間にたとえるなら、育児拒否、無視、親の冷淡を経験した犬。心に大きなキズを負っ
ている。一方B犬は、愛情豊かな家庭で、ふつうに育った犬。一見、愛想は悪いが、人間に心
を許すことを知っている。だから人間に甘えるときは、心底うれしそうな様子でそうする。つまり
人間を信頼している。幸福か不幸かということになれば、A犬は不幸な犬だし、B犬は幸福な犬
だ。人間の子どもにも同じようなことが言える。

●施設で育てられた子ども

 たとえば施設児と呼ばれる子どもがいる。生後まもなくから施設などに預けられた子どもをい
う。このタイプの子どもは愛情不足が原因で、独特の症状を示すことが知られている。

感情の動きが平坦になる、心が冷たい、知育の発達が遅れがちになる、貧乏ゆすりなどのク
セがつきやすい(長畑正道氏)など。が、何といっても最大の特徴は、愛想がよくなるというこ
と。相手にへつらう、相手に合わせて自分の心を偽る、相手の顔色をうかがって行動する、な
ど。

一見、表情は明るく快活だが、そのくせ相手に心を許さない。許さない分だけ、心はさみしい。
あるいは「いい人」という仮面をかぶり、無理をする。そのため精神的に疲れやすい。

●施設児的な私

実はこの私も、結構、人に愛想がよい。「あなたは商人の子どもだから」とよく言われるが、どう
もそれだけではなさそうだ。相手の心に取り入るのがうまい。相手が喜ぶように、自分をごまか
す。茶化す。そのくせ誰かに裏切られそうになると、先に自分のほうから離れてしまう。

つまり私は、かなり不幸な幼児期を過ごしている。当時は戦後の混乱期で、皆、そうだったと言
えばそうだった。親は親で、食べていくだけで精一杯。教育の「キ」の字もない時代だった。…
…と書いて、ここに教育のおもしろさがある。他人の子どもを分析していくと、自分の姿が見え
てくる。

「私」という人間が、いつどうして今のような私になったか、それがわかってくる。私が私であっ
て、私でない部分だ。私は施設児の問題を考えているとき、それはそのまま私自身の問題で
あることに気づいた。

●まず自分に気づく

 読者の皆さんの中には、不幸にして不幸な家庭に育った人も多いはずだ。家庭崩壊、家庭
不和、育児拒否、親の暴力に虐待、冷淡に無視、放任、親との離別など。しかしそれが問題で
はない。問題はそういう不幸な家庭で育ちながら、自分自身の心のキズに気づかないことだ。

たいていの人はそれに気づかないまま、自分の中の自分でない部分に振り回されてしまう。そ
して同じ失敗を繰り返す。それだけではない。同じキズを今度はあなたから、あなたの子どもへ
と伝えてしまう。心のキズというのはそういうもので、世代から世代へと伝播しやすい。

が、しかしこの問題だけは、それに気づくだけでも、大半は解決する。私のばあいも、ゆがんだ
自分自身を、別の目で客観的に見ることによって、自分をコントロールすることができるように
なった。

「ああ、これは本当の自分ではないぞ」「私は今、無理をしているぞ」「仮面をかぶっているぞ」
「もっと相手に心を許そう」と。そのつどいろいろ考える。つまり子どもを指導しながら、結局は
自分を指導する。そこに教育の本当のおもしろさがある。あなたも一度自分の心の中を旅して
みるとよい。

++++++++++++++++++++++

 で、問題は、実は、子どもではない。私や、あなたは自身は、どうかということ。

 たとえばこの文章を読んでいるあなたは、約束や規則、それに目標を守れるかということ。ま
たそういう人であるかということ。あるいは反対に、どこかチャランポランで、いいかげんな人か
もしれない。約束や規則など、あってないようなもの。目標などは、シャツに書かれた文字のよ
うなもの。飾りにもならない。

 実は、子どものころの私は、かなりチャランポランの人間だったような気がする。すべてを戦
後のドサクサのせいにすることはできないが、当時は、そういう時代だった。(だから私の年代
の人間には、いいかげんな人間が多いのでは……?)

 そういう自分に気づき、そういう自分をなおそうと考えたのは、大学生活も終わり、オーストラ
リアへ渡ったときのことだった。あの白人の世界では、ウソは、絶対、通用しない。嫌われると
いうより、一度、ウソをつくと、そのままのけ者にされてしまう。いわゆる日本式のいいかげんな
言い方や、あいまいな言い方すら通用しない。

 YESか、NOか……。そんな世界である。

 一方私は、生まれながらにして、どこかいいかげんな言い方をしながら、その場を逃れるとい
うようなことを平気でしていた。またそれが、私が生まれ育った地域では、ごくふつうのことだっ
た。

A「どこへ行くのかね?」
B「ちょっと、そこまで」
A「寄って、お茶でも飲んでいかないかね?」
B「結構です。今、飲んできたところですから」と。

 Aは、「どこへ行く?」と聞く。本当に知りたいから、そう聞いたのではない。これは会話を始め
るための、儀式のようなもの。ついで、Aは、Bをお茶に誘ってはいるが、これも本気ではない。
誘われたBも、それをよく知っている。またBは、「今、飲んできたところです」と答えているが、
これはウソ。Aも、それを知っている。知っていて、納得したフリをする。

 どうして日本人が、こうまでウソつきになったかについては、また別のところで考えるとして、
私は、そういう環境の中で、生まれ育った。加えて、関西商人の流れをくむ、その商人の家に
生まれ育った。

 ウソが当たり前の世界だった。またウソをつくことで、仕事をし、生活をしていた。

 が、それだけでもなかった。私の両親は、明けても暮れても、いがみあってばかりいた。はっ
きり言えば、「家庭」というものが、きわめて稀薄な環境だった。家庭の中に、私の居場所す
ら、なかった。かろうじて私の心を家庭につなぎとめたのは、祖父母が同居していたからにほ
かならない。

 酒を飲んで暴れる父にかわって、祖父が、私の父親がわりをしてくれた。つまりここでいう「基
本的信頼関係」というものを、私は、ほとんど築かないまま、少年期を迎え、おとなになった。

 で、その私は、今、自分でもおかしいと思えるほど、約束や規則、それに目標を守っている。
それはいわば、自分に対する、反動のようなものかもしれない。自分の中のいやな部分を消す
ために、そうしている。(実際、心理学の世界でも、こういうのを、「反動形成」と呼ぶ。本来の自
分とはちがった自分を、自分の中に、その反動として形成していくことをいう。)

そして、約束や規則を守らない人を見かけたりすると、言いようのない不快感を覚える。はっき
り言えば、嫌い。

 しかし本当の私は、チャランポランな人間である。自分でも、それがよくわかっている。乳幼
児期に一度形成された自分は、そんなに簡単には、変わらない。自分でそれに気づいたとして
も、変えるのは、容易なことではない。

 もう1人の自分がどこかにいて、そういう自分を、別の心の中に押しこめているだけ。しかしふ
と油断したようなときには、平気で顔を出す。そういう点では、忠誠心も弱い。一見、まじめな人
間に見えるかもしれないが、私は、決して、まじめな人間ではない。若いころは、ヤクザの世界
にあこがれたこともある。(ホント)

 そこでもう一歩、話を進めて、あなたの子どもを、約束や規則、それに目標を守れる子どもに
するのは、どうしたらよいかということを考えてみたい。

 考えるというより、もう結論は出ているようなものだが、ここに書いたように、生まれてからす
ぐ、子どもがまだ乳幼児のときに、母子の間で、基本的信頼関係を、しっかりと築いておくとい
うこと。

 子ども自身が絶対的な安心感のもてる家庭環境で、子どもを育てるということ。それが基本
にあって、子どもは、約束や規則、それに目標を守れる子どもになる。

 よく言われるが、子どもの基本的な性格は、生後直後から、1、2年の間に形成される。その
中でもとくに重要なのが、最初の、半年から1年である。

 この時期は、とくに、ていねいな子育てをする。親の濃密な愛情をたっぷりとかけ、子どもの
側からみて、自然な形でやすらげる、落ちつきのある家庭環境を大切にする。

 叱ったり、大声を出したりして、子どもに恐怖感を与えるようなことは、タブー中のタブー。「許
して忘れる」、何があっても、「許して忘れる」。その度量の深さが、その子どもを、好ましい子ど
もにする。

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


●多重人格障害(解離性同一障害)

 数か月前、ある会合で、あるドクター(研究者)に会った。その席で、「多重人格障害」の話に
なった。

 そのドクターから、電話があり、「一度、来てみなさい」ということで、私は、1人の男性と会うこ
とができた。その男性は、そのドクターの患者の1人だった。年齢は、36歳。

 診断名は、そのドクターとの約束で、ここには、書けない。「あなたが、どう判断するかは、あ
なたの勝手ですが……」ということだった。

 私は、八畳ほどの広さのある部屋に案内された。そこにそのドクターと、その男性が対峙し
て、すでにすわっていた。そして、会話をしていた。私はその横で、その話を聞いた。

ド「ゴミ箱に、ごみは入れるよね」
男「ぼくじゃ、ない」
ド「でも、あのゴミには、あなたの名前が書いてあったよ」
男「犬が、捨てたかも」
ド「犬は、どこにもいないよ」と。

 その男性が、自分のもっていたゴミを、どこか捨ててはいけない場所に、捨てたらしい。が、
突然、男性の様子が変わる。

男「ぼくは、算数の問題ができない。ママが、怒る」
ド「今、ごみの話をしているんだよ」
男「90点取ったら、ママが、怒った」
ド「どうして、ゴミを、あんなところに捨てたのかな?」
男「ママが、ぼくをたたいた」と。

 その男性は、自分への追及をかわすためというよりは、別人格の人間になることで、その場
をのがれようとしていた。別人格になると、それ以外の人格のときにした行動を、忘れてしまう
らしい。

 あとでドクターに聞いた話によると、その男性には、4〜5種類の人格が同居していて、それ
がそのつど、スルスルと、境目なく変化していくということだった。興奮したときは、顔つきや、動
作のし方まで変わってしまうということだった。テストの点数の話をしていたときの男性は、10
歳前後の子どもだった。

 そして再び、ゴミの話。人格が、先の人格にもどったようだ。

ド「ゴミをあんなところに捨てたから、うちの看護婦たちも、困っていたよ」
男、突然、やさしい顔つきになって、「ごめんなさい」
ド「もう、してはいけないよ」
男「もう、しない」と。

 しかしこの男性にとっては、約束など、まったく意味がない。別人格になったときには、その約
束をしたという事実すら、忘れてしまう。ゴミを捨てるときの男性は、また別の男性である。

 ただ記憶が相互にまったく途絶えるかというと、どうも、そうではないようだ。部分的には、た
がいに記憶が重なるところもあるという。だから「解離性同一障害」ともいう。「ごめん」とあやま
ったとき、ゴミを捨てた自分とは別人格になりながらも、記憶のどこかで、「ゴミを捨てた」という
意識が残っていたことになる。

 その男性がそうなった原因は、母親の虐待ということだった。その男性の母親は、かなり性
格のはげしい人のようだった。怒りだすと、とことん、その男性を追いつめた。そういう育児姿
勢が、その男性を、そういう男性にした。

私「その母親に、そういう自覚はあるのですか?」
ド「それが、まったくないみたいですね。自分では、子ども思いの、いい母親だと思いこんでいる
みたいです」
私「いい母親?」
ド「その自覚のなさが、問題をこじらせているようです」と。

 ほんの30分ほどの経験だったが、私には、貴重な経験だった。本で読むのと、実際に、患
者に会ってみるのとでは、その衝撃度がちがう。私は、そのドクターに感謝しながら、部屋を出
た。

 (以上、この話は、かなりデフォルメして、記録する。)
(はやし浩司 多重人格 人格障害 解離性同一障害 二重人格)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●子どものウソ、一考

 子どものウソは、いわば、心の風穴のようなもの。子どもはウソをつくことで、教師や親の束
縛から、自分を解放させることができる。

 反対に、あまりにも厳格な家で育ちすぎてしまったため、自我の発育が遅れてしまったという
ケースは、少なくない。自立心がなくなり、ものの考え方が依存的になったりする。

 もっとも、ウソにもいろいろある。病的なウソとしてよく知られているのが、空想的虚言があ
る。コルサコフ症候群の患者や、統合失調症の患者も、独特のウソをつくことが知られてい
る。ほかに多重人格者は、それぞれの人格に移動したとき、別の人格のときの行動について、
「知らない」「私ではない」とウソをつく。

 しかしこれは何も、子どもの世界だけの話ではない。

 こんな話を聞いた。

 X氏は、まれに見る恐妻家。もともと静かで、おとなしい性格の人だったということもある。そ
のX氏は、20年近く、その恐妻のもとで、従順で、やさしく、まじめな夫を演じてきた。

 が、それが、限界にきた。限界というより、ある日、職場の若い女性に、ラブレターを書いた。
以前から、好意をいだいていた。

 ところが、である。予想に反して、その女性から、その男性に、返事が届いた。そこには、「私
も、あなたのことがずっと、好きでした」とあった。X氏は、その女性と妻の目を盗んでは、密会
を重ねていた。

 そのX氏、いわく。「妻に対して、秘密をもったことではじめて、私は、妻の束縛から開放され
たように感じました」と。

 不倫がよいわけではないが、そういう例もある。

 子どもにしても、親に適当にウソを言いながら、自立の道を模索する。一説によると、子ども
は、すでに満1歳前後からウソをつくようになるという。「ウソは絶対ダメ」式の育児姿勢は、決
して好ましいものではない。

 まあ、それが子どもらしいウソ(自己正当化のためのウソ、相手を喜ばすためのウソ、自分を
飾るためのウソ)などは、大目に見てやる。適当に説教はしても、問いつめたり、追いこんだり
は、しない。ウソを信じたフリをしながら、その場をやりすごすのも、子育てのコツということにな
る。
(はやし浩司 子どものウソ 嘘 虚言 子供の嘘 子どもの虚言 対処 対処方法)


●環境

 子どもを包む環境が、その子どもの才能の発育に、大きな影響を与えることがある。(そうで
ないばあいも、あるが……)。

 そこで、環境によって大きく受ける才能と、そうでない才能を、私なりに分類してみた。

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(環境によって、大きく影響を受ける才能)

 音楽、絵画、文学(言語の発達)などの、美的、知的才能。

(環境によって、あまり影響を受けない才能)

 運動的、肉体的動作に関する才能。

(年齢によって、大きく影響を受ける才能)

 音感、楽器演奏、言葉の取得、美的感覚

++++++++++++++++

 この中で、「学習」に関するものは、読書習慣や研究姿勢などは、環境によって大きな影響を
受けると思われるが、学校教育という場が完備されているので、その輪郭(りんかく)は、明確
ではない。

 さらにその人の社会性は、(これを才能と呼んでよいかどうかは、わからないが……)、環境
によって、大きな影響を受けると思われる。よく知られた例に、フルグラム※の『すべては幼稚
園から始まった』がある。

 それについて書いた原稿を、掲載する。

+++++++++++++++++++++

●遊びが子どもの仕事

 「すべては幼稚園から始まった」という本の中で、「人生で必要な知識はすべて砂場で学ん
だ」と書いたのはロバート・フルグラムだが、それは当たらずとも、はずれてもいない。「当たら
ず」というのは、向こうでいう砂場というのは、日本でいう街中の公園ほどの大きさがある。オー
ストラリアではその砂場にしても、木のクズを敷き詰めているところもある。日本でいう砂場、つ
まりネコのウンチと小便の入りまざった砂場を想像しないほうがよい。また「はずれていない」と
いうのは、子どもというのは、必要な知識を、たいていは学校の教室の外で身につける。実は
この私がそうだった。

 私は子どものころ毎日、真っ暗になるまで近くの寺の境内で遊んでいた。今でいう帰宅拒否
の症状もあったのかもしれない。それはそれとして、私はその寺で多くのことを学んだ。けんか
のし方はもちろん、ほとんどの遊びもそうだ。性教育もそこで学んだ。……もっとも、それがわ
かるようになったのは、こういう教育論を書き始めてからだ。それまでは私の過去はただの過
去。自分という人間がどういう人間であるかもよくわからなかった。いわんや、自分という人間
が、あの寺の境内でできたなどとは思ってもみなかった。しかしやはり私という人間は、あの寺
の境内でできた。

 ざっと思い出しても、いじめもあったし、意地悪もあった。縄張りもあったし、いがみあいもあ
った。おもしろいと思うのは、その寺の境内を中心とした社会が、ほかの社会と完全に隔離さ
れていたということ。たとえば私たちは山をはさんで隣り村の子どもたちと戦争状態にあった。
山ででくわしたら最後。石を投げ合ったり、とっくみあいのけんかをした。相手をつかまえればリ
ンチもしたし、つかまればリンチもされた。

しかし学校で会うと、まったくふつうの仲間。あいさつをして笑いあうような相手ではないが、し
かし互いに知らぬ相手ではない。目と目であいさつぐらいはした。つまり寺の境内とそれを包
む山は、スポーツでいう競技場のようなものではなかったか。競技場の外で争っても意味がな
い。つまり私たちは「遊び」(?)を通して、知らず知らずのうちに社会で必要なルールを学んで
いた。が、それだけにはとどまらない。

 寺の境内にはひとつの秩序があった。子どもどうしの上下関係があった。けんかの強い子ど
もや、遊びのうまい子どもが当然尊敬された。そして私たちはそれに従った。親分、子分の関
係もできたし、私たちはいくら乱暴はしても、女の子や年下の子どもには手を出さなかった。仲
間意識もあった。仲間がリンチを受けたら、すかさず山へ入り、報復合戦をしたりした。

しかしそれは日本というより、そのまま人間社会そのものの縮図でもあった。だから今、世界で
起きている紛争や事件をみても、私のばあい心のどこかで私の子ども時代とそれを結びつけ
て、簡単に理解することができる。もし私が学校だけで知識を学んでいたとしたら、こうまです
んなりとは理解できなかっただろう。だから私の立場で言えば、こういうことになる。「私は人生
で必要な知識と経験はすべて寺の境内で学んだ」と。

●ギャング集団

 子どもは、集団をとおして、社会のルール、秩序を学ぶ。人間関係の、基本もそこで学ぶ。そ
ういう意味では、集団を組むというのは、悪いことではない。が、この日本では、「集団教育」と
いう言葉が、まちがって使われている。

 よくある例としては、子どもが園や学校へ行くのをいやがったりすると、先生が、「集団教育に
遅れます」と言うこと。このばあい、先生が言う「集団教育」というのは、子どもを集団の中にお
いて、従順な子どもにすることをいう。日本の教育は伝統的に、「もの言わぬ従順な民づくり」
が基本になっている。その「民づくり」をすること、つまり管理しやすい子どもにすることが、集団
教育であると、先生も、そして親も誤解している。

 しかし本来、集団教育というのは、もっと自発的なものである。また自発的なものでなければ
ならない。たとえば自分が、友だちとの約束破ったとき。ルールを破って、だれかが、ずるいこ
とをしたとき。友だちどうしがけんかをしたとき。何かものを取りあったとき。友だちが、がんば
って、何かのことでほめられたとき。あるいは大きな仕事を、みなで力をあわせてするとき、な
ど。

そういう自発的な活動をとおして、社会の一員としての、基本的なマナーや常識を学んでいくの
が、集団教育である。極端な言い方をすれば、園や学校など行かなくても、集団教育は可能な
のである。それが、ロバート・フルグラムがいう、「砂場」なのである。もともと「遅れる」とか、「遅
れない」とかいう言葉で表現される問題ではない。

 だから言いかえると、園や学校へ行っているから、集団教育ができるということにはならな
い。行っていても、集団教育されない子どもは、いくらでもいる。集団から孤立し、自分勝手で、
わがまま。他人とのつながりを、ほとんど、もたない。こうした傾向は、子どもたちの遊び方に
も、現れている。

 たとえば砂場を見ても、どこかおかしい? たとえば砂場で遊んでいる子どもを見ても、みな
が、黙々と、勝手に自分のものをつくっている。私たちが子どものときには、考えられなかった
光景である。

 私たちが子どものときには、すぐその場で、ボス、子分の関係ができ、そのボスの命令で、バ
ケツで水を運んだり、力をあわせてスコップで穴を掘ったりした。そして砂場で何かをするにし
ても、今よりはスケールの大きなものを作った。が、今の子どもたちには、それがない。

 こうした問題について書いたのが、つぎの原稿である。なおこの原稿は、P社の雑誌に発表
する予定でいたが、P社のほうから、ほかの原稿にしてほしいと言われたので、ボツになった経
緯がある。理由はよくわからないが……。今までここに書いたことと、内容的に少しダブルとこ
ろもあるが、許してほしい。

++++++++++++++++

●養殖される子どもたち

 岐阜県の長良川。その長良川のアユに異変が起きて、久しい。そのアユを見続けてきた一
人の老人は、こう言った。「アユが縄張り争いをしない」と。武儀郡板取村に住むN氏である。
「最近のアユは水のたまり場で、ウロウロと集団で住んでいる」と。

原因というより理由は、養殖。この二〇年間、長良川を泳ぐアユの大半は、稚魚の時代に、琵
琶湖周辺の養魚場で育てられたアユだ。体長が数センチになったところで、毎年三〜四月に、
長良川に放流される。人工飼育という不自然な飼育環境が、こういうアユを生んだ。しかしこれ
はアユという魚の話。実はこれと同じ現象が、子どもの世界にも起きている!

 スコップを横取りされても、抗議できない。ブランコの上から砂をかけられても、文句も言えな
い。ドッジボールをしても、ただ逃げ回るだけ。先生がプリントや給食を配り忘れても、「私の分
がない」と言えない。これらは幼稚園児の話だが、中学生とて例外ではない。キャンプ場で、た
き火がメラメラと急に燃えあがったとき、「こわい!」と、その場から逃げてきた子どもがいた。
小さな虫が机の上をはっただけで、「キャーッ」と声をあげる子どもとなると、今では大半がそう
だ。

 子どもというのは、幼いときから、取っ組みあいの喧嘩をしながら、たくましくなる。そういう形
で、人間はここまで進化してきた。もしそういうたくましさがなかったら、とっくの昔に人間は絶滅
していたはずである。が、そんな基本的なことすら、今、できなくなってきている。核家族化に不
自然な非暴力主義。それに家族のカプセル化。

カプセル化というのは、自分の家族を厚いカラでおおい、思想的に社会から孤立することをい
う。このタイプの家族は、他人の価値観を認めない。あるいは他人に心を許さない。カルト教団
の信者のように、その内部だけで、独自の価値観を先鋭化させてしまう。そのためものの考え
方が、かたよったり、極端になる。……なりやすい。

 また「いじめ」が問題視される反面、本来人間がもっている闘争心まで否定してしまう。子ども
同士の悪ふざけすら、「そら、いじめ!」と、頭からおさえつけてしまう。

 こういう環境の中で、子どもは養殖化される。ウソだと思うなら、一度、子どもたちの遊ぶ風
景を観察してみればよい。最近の子どもはみんな、仲がよい。仲がよ過ぎる。砂場でも、それ
ぞれが勝手なことをして遊んでいる。私たちが子どものころには、どんな砂場にもボスがいて、
そのボスの許可なしでは、砂場に入れなかった。私自身がボスになることもあった。そしてほか
の子どもたちは、そのボスの命令に従って山を作ったり、水を運んでダムを作ったりした。仮に
そういう縄張りを荒らすような者が現われたりすれば、私たちは力を合わせて、その者を追い
出した。

 平和で、のどかに泳ぎ回るアユ。見方によっては、縄張りを争うアユより、ずっとよい。理想的
な社会だ。すばらしい。すべてのアユがそうなれば、「友釣り」という釣り方もなくなる。人間たち
の残虐な楽しみの一つを減らすことができる。しかし本当にそれでよいのか。それがアユの本
来の姿なのか。その答は、みなさんで考えてみてほしい。

++++++++++++++++++++

 総じて言えば、今の子どもたちは、管理されすぎ。たとえば少し前、『砂場の守護霊』という言
葉があった。今でも、ときどき使われる。子どもたちが砂場で遊んでいるとき、その背後で、守
護霊よろしく、子どもたちを見守る親の姿をもじったものだ。

 もちろん幼い子どもは、親の保護が必要である。しかし親は、守護霊になってはいけない。た
とえば……。

 子どもどうしが何かトラブルを起こすと、サーッとやってきて、それを制したり、仲裁したりする
など。こういう姿勢が日常化すると、子どもは自立できない子どもになってしまう。せっかく「砂
場」という恵まれた環境(?)の中にありながら、その場をつぶしてしまう。

 が、問題は、それで終わるわけではない。それについては、別の機会に考えてみる。

+++++++++++++++++++++

 しかし子どもの才能は、つくってつくれるものではない。無理をしてつくろうとしても、たいてい
失敗する。つまり『才能はつくるものではなく、見つけるもの』。それについて書いた原稿(中日
新聞掲載済み)が、つぎの原稿である。

+++++++++++++++++++++

●才能は見つけるもの

 子どもの才能は、見つけるもの。作るものではない。作って作れるものではないし、無理に作
ろうとすれば、たいてい失敗する。

 子どもの方向性をみるためには、子どもを図書館へつれていき、そこでしばらく遊ばせてみ
るとよい。一、二時間もすると、子どもがどんな本を好んで読んでいるかがわかる。それがその
子どもの方向性である。

 つぎに、子どもが、どんなことに興味をもち、関心をもっているかを知る。特技でもよい。ある
女の子は、二歳くらいのときから、風呂の中でも、平気でもぐって遊んでいた。そこで母親が、
その子どもを水泳教室へいれてみると、その子どもは、まさに水を得た魚のように泳ぎ始め
た。

 こうした才能を見つけたら、あるいは才能の芽を感じたら、そこにお金と時間をたっぷりとか
ける。その思いっきりのよさが、子どもの才能を伸ばす。

 ただしここでいう才能というのは、子ども自身が、努力と練習で伸ばせるものをいう。カード集
めをするとか、ゲームがうまいというのは、才能ではない。また才能は、集団の中で光るもので
なければならない。

この才能は、たとえば子どもが何かのことでつまずいたようなとき、その子どもを側面から支え
る。勉強だけ……という子どももいるが、このタイプの子どもは、一度、勉強でつまずくと、その
ままズルズルと、落ちるところまで落ちてしまう。そんなわけで、才能を見つけ、その才能を用
意してあげるのは、親の大切な役目ということになる。

+++++++++++++++++++++

 子どもの才能の発達については、(1)遺伝的要因説と、(2)環境的要因説がある。シュテル
ンという学者は、これら二つのものが、相互にからみあいながら、子どもの才能は決定づけら
れると説いた。

 これを「輻輳(ふくそう)説」という。「説」というほど、大げさなものではない。いわば常識。

 遺伝的なものもあれば、そうでないものもあり、かりに遺伝的にすぐれていても、環境が整わ
なければ、才能がしぼんでしまうということは、よくある。もちろんその反対もある。

 しかしシュテルンの説によれば、そこには、「限界(閾値)」というものがあるという。いくら遺伝
的要因による才能がすぐれていても、それを伸ばす環境が、ある程度備わっていなければ、そ
の才能を伸ばすのは、無理ということらしい。

 そういえば、私などは、小学3年生のときに、バイオリン教室に通わされた。音楽など、見た
ことも聞いたこともないない環境に生まれ育った、私が、である。聞くものといえば、祖父母が
好きだった浪曲が、歌舞伎とか、そんな類のものばかりだった。

 そんな私が、いきないバイオリン! 今から思えば、笑い話だが、では、その私に音楽の才
能がなかったかといえば、あったように思う。事実、私の3人の息子たちは、音楽とは無縁の
世界で仕事をしているが、その感性は、超一級である。(これはホント!)

 要するに、そのワクがあれば、よいということになる。それを用意するのは、親の役目という
ことになる。それを基盤にして、伸びるか伸びないかは、あくまでも、子どもの問題ということに
なる。
(はやし浩司 子どもの才能 子供の才能 環境的要因 遺伝的要因 環境 シュテルン)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


●日韓関係

 1968年、まだ日本と韓国の間に、国交がない時代に、私は、UNESCOの交換学生として、
韓国にわたった。-

 歓迎されたのは、プサン港へ着いたときだけ。ブラスバンドが、私たちを迎えてくれた。その
あとは、どこへ行っても、日本攻撃の矢面に立たされた。韓国の人たちが日本人に対してもっ
ている憎悪感というのは、尋常(じんじょう)のものではなかった。

 で、私は、まもなくすぐ、こう思った。「今度、日本が戦争をするとしたら、この韓国だろうな」
と。

 当時は、K国は、日本の外というか、日本にとっては、番外だった。朝鮮動乱が落ちついて、
まだそれほど年月がたっていなかった。

 が、それでも、私は、帰国後、大の韓国びいきになった。何があっても、韓国を擁護したし、
韓国そのものが、大好きだった。

 しかし金大中の拉致事件などをきっかけに、私の韓国に対する思いは、急速に冷えこんでい
った。

 そして今。それから37年になるが、私は、韓国が、嫌いになってしまった。いくら日本人の私
が好きになろうとしても、それ以上の、猛烈なパワーで、反日感情が、海を越えて伝わってく
る。

 理由は、いろいろある。

 直接の理由は、日本の植民地政策だが、が、それだけではない。韓国はたしかに日本から
独立したが、それは韓国の人たちの力によってではなかった。アメリカが日本を敗北させた。
その結果として、韓国は、日本から、独立できた。

 その屈辱感は、相当なものである。日本が韓国を植民地にする前はというと、韓国の人たち
は、日本人をとことん、軽蔑していた。蛮族の国、海賊の国、というようなとらえ方をしていた。

 秀吉の朝鮮征伐の時代からの怨念も残っている。

 その(歴史があり、伝統がある大韓民国)が、日本ごときの、島国に、蹂躙(じゅうりん)され
た! しかも植民地にされた! その上、日本を追い出したのは、自分たちではなく、アメリカ
だった! 

 韓国の人たちのプライドは、ズタズタにされた。しかも不完全燃焼感は、残ったまま。

 しかし私が韓国へ行った当時には、まだ日本に対する、卑屈感もあったと思う。日本の植民
地政策の中で、韓国そのものに対するプライドをなくした人もいたということだ。口では、反日
感情をあらわにしながら、日本に強いあこがれをもっている学生も、少なからず、いた。

 現在の韓国の人たちのもつ、日本への憎悪感というのは、そういうものである。「けだものの
ような男に、強姦されたような憎悪感」(当時、韓国の知識人から聞いた言葉)という言葉を使
った人もいた。

 とても残念なことだが、こうした憎悪感は、すぐには消えない。こんなことがあった。

 1960年の終わりごろ、日本政府がお金を出して、韓国の北部に、巨大な水力発電所を建
設した。当然、その開所式典には、日本の関係者が、多数、招待された。しかし、だ。その水
力発電所のどこにも、「日本の援助で建てられました」という文言がなかった。

 それを見て、日本の関係者は、みな怒った。政府として、抗議までしたという話も聞いた。し
かし韓国政府は、最後の最後まで、その文言を、表記しなかった。

 私が、「今度、日本が戦争をするとしたら、この韓国だろうな」と直感した背景には、そんなこ
ともあった。

 で、ここ数日、竹島問題にからんで、日韓関係が、急速に悪化している。しかし実のところ、
急速に悪化しているわけではない。もともと、その下地は、できていた。たまたま今回、それに
火がついただけというに、ふさわしい。何か、どんなささいなことでもよいが、その何かが起きた
ら、韓国では、反日感情の炎(ほのお)が、燃えあがる!

 私は、自分の原稿の中でも、何度も書いてきたが、「韓国にせよ、K国にせよ、向こうが頼ん
でもこないのに、援助などしてはいけない」と、主張してきた。

 8年前に、韓国が国家破綻(デフォルト)したときもそうだ。日本の100億ドルを筆頭に、日本
は、世界中から550億ドルというお金をかき集めて、韓国を助けた。

 あるいは同じころ、日本のK外務大臣は、100〜120万トンという、米を、K国に無償援助し
た。

 その結果、韓国の人たちや、K国の人たちが、日本に感謝したという話は、聞いていない。対
日感情がよくなったという話も、聞いていない。つまり、こうした日本人独得の、「これだけのこ
とをしてあげたのだから、感謝されているはず」という、あの(お人よし外交)は、韓国の人や、
K国の人には、通用しない。まったく、通用しない。つまりそれほどまでに、彼らの日本人に対
する憎悪感は、はげしい。

 戦後、日本が、かろうじて平和を保つことができたのは、日本人が、それだけ平和を愛する
国民だったからではない。また平和を守ったからでもない。

 たまたまアメリカという、軍事強国の庇護下にあったからにほかならない。もし日本にアメリカ
がいなければ、スターリン・ソ連、毛沢東・中国、李承晩・韓国、さらには金日成・K国に、日本
は、繰りかえし、そのつど攻撃されていただろう。

 悲しいかな、日本は、そういうことをされても、文句を言えないようなことを、戦前の歴史の中
でしてしまった。

 別に仲よくなることについて、異論はない。ないが、「ヨン様」「ヨン様」と、そこらのオバチャン
たちが、浮かれ騒いでいるのを見たとき、私は、「これでいいのか?」と何度も思った。

 そういう日本人が、韓国の人や、K国の人には、どんなにか、バカに見えることだろう。しかし
そういう思いは、反日感情になることはあっても、親日感情につながることは決して、ない。た
いていの韓国の人なら、こう思うだろう。

 「オレたちは、あんなアホな日本人どもに、植民地にされたのか」「やっとオレたちの優越性に
気がついたのか」と。

 これは、K国の金XX体制がつづけばの話だが、その金XXは、最終的には、日本に戦争をし
かけてくる。それはまちがいない。南北統一は、口実にすぎない。またそれが目的ではない。
彼らの目的は、自分たちの心の奥底に潜む、怨念の解消である。

 そのためにも、今は、日本は、アメリカにすがるしかない。恥も外聞も捨てて、アメリカにすが
るしかない。

 韓国とK国がひとかたまりになって、日本を攻めてきたら、日本は、あっという間に、彼らの植
民地になってしまう。日本が今、置かれている立場は、そういう立場である。

【補記】

 私の意見に対して、「おくびょうだ」「戦うべきときは、戦う」などと、いさましいことを言う人がい
るかもしれない。

 しかし戦争など、してはいけない。くだらない戦争など、してはいけない。もちろん向こうが攻
めてくれば、戦う。しかし「おくびょうだ」「卑怯だ」と言われても、今の韓国やK国とは、戦争をし
てはいけない。

 私たちはともすれば、兵器の数や装備だけで、軍事力を比較しやすいが、中身は、人間。サ
ラリーマン化した日本の自衛官(失礼。しかし事実は事実)に、何ができるというのか。

 りりしく日焼けし、筋肉がひきしまり、目つきそのものが野獣のようになった、韓国の兵隊と見
比べると、日本の自衛官は、あまりにも、やさしすぎる。

 タイや、ベトナムの軍人とくらべても、一目瞭然。内側から光る、きびしさそのものが、ちがう。

 だから戦争をしてはいけない。ひとたび戦争となれば、彼らは、燃えるような怨念を、戦意に
変えて、日本に襲いかかってくる。

私はまだ当時、一学生にすぎなかったが、そうした怨念を、肌で、直接感じることができた。

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


●とうとう、手に入れた、新型パソコン!

 すごいパソコンを手に入れた! ハハハ。気分がよい。いまは、まだ、ビニールの袋をかぶっ
て、私の左側に眠っている。

 ゆっくり、大切に、じょうずに使うつもり。

 どれだけ性能がすごいかは、これから、わかるはず。CPUは、PEN4の、640、(3・2GH)
だぞ! メモリーは、1024MB! ハードディスクは、2基搭載。グラフィックボードも、Geforc
e 6600GTだあ!

 どんなゲームも、スイスイとできるはず。今度の春休みには、FS・2004を、飛ばしてみる。
それとメインのHPを、そのパソコンに移植するつもり。今まで、読み出し、編集、保存に、合計
7時間ほどかかっていた。これからは、もっと、早くできるようになるだろう。

 しかし初期不良の期間は、一週間だけ。できるだけ早く使ってみて、初期不良があれば、新
品と交換してもらわねばならない。もったいない感じがしないでもないが、さっそく、これからあ
れこれセットしてみる。では、ごめん!

++++++++++++++++++++

●幻惑作用

 おかしな親をもち、その幻惑(心理学でも、同じ言葉を使う)に苦しんでいる人は多い。

 息子や娘という立場で、見るに見かねて、やむにやまれず、親のめんどうをみているのに、
肝心の親は、「親孝行の息子をもって幸せだ」「親孝行の娘をもって幸せだ」と喜んで見せる。

 息子や娘の苦労や悲しみなど、みじんも理解でききない。理解しようともしない。

 一方、息子や娘のほうは、親であるという密着性(これを「家族自我群」という)に束縛され
て、身動きがとれない。もがく。苦しむ。こうした「親である」という幻想から生まれる、重圧感
を、「幻惑作用」という。

 そこである女性(55歳くらい。娘)は、自分の母親を、養護施設に入れようとした。負担があ
まりにも、大きかった。

 が、それに激怒したのが、ほかならぬ、母親。「この親不孝者め」「そんなところへ入れるな
ら、ワシを殺してからにしろ」と。

 滋賀県に住んでいるMさんから、そんな内容のメールをもらった。

 私は返事に、「人間にも、鳥と同じような刷り込み(インプリンティング)がありますから、それ
から自分を解放するのは、容易なことではありませんよ」と書いた。

 乳幼児期に、「親である」という逆意識が、徹底的に、つまり本能に近い状態で、子どもの脳
にきざまれてしまう。

 冷静に考えれば、親といっても、自分という人間を、この世に生み出した、一人の人間にすぎ
ないのだが、それ以上の意味を、「親」に付加してしまう。そしてそれがいつか、幻惑作用となっ
て、今度は、子どもを苦しめる。

 もっとも、親子関係が良好なら、まだ救われる。こうした問題は、発生しない。

 しかし世の中には、息子を奴隷のように使いながら、あるいは、息子の財産を、平気でまき
あげながら、平然としている親は、いくらでもいる。親にも、いろいろある。

 こうした相談を受けるたびに、私は、「日本もまだまだ、発展途上国だなあ」と思ってしまう。
親自身が、そうした自我群に甘え、その幻惑作用に気づくこともなく、子どもを縛りつける道具
として、利用している。

 もちろん大半の親子は、よい親子である。良好な人間関係を結んでいる。しかしそうであるか
らといって、問題が解決されているわけではない。地価にもぐっているだけである。

 あなたの代では、かろうじてだいじょうぶでも、つぎの代で顔を出すかもしれない。あなたの息
子や娘の結婚先の家族で、顔を出すかもしれない。

【Mさんへ】

 親の束縛から、身を解放するのは、容易なことではありません。親が死んで、何十年もたって
いるのに、「親だ」「親だ」と、がんばっている人は、いくらでもいます。私たちの心の中につくら
れた、親意識(これを私は「逆親意識」と呼んでいますが)、それを消すのは、容易なことではあ
りません。

 長く、暗い、悶々とした日々がつづきます。

 Mさんの母さんも、かなり親意識の強い方ですね。昔の言葉を使うなら、「親風を吹かす親」
ということになります。ものの考え方が、権威主義的で、「親のためなら、子は、犠牲になって当
然」と考えている(?)。息子や娘が、苦しんでいても、「親孝行な子どもだ」と喜ぶのです。

 いただいた文面から、そんな感じがしました。

 さらに悪いことに、Mさんを包む親戚の人たちが、みな、同じように考えているということで
す。「娘なら、親のめんどうをみるのが当たりまえ」「親を養護施設に入れるとは、何ごとか」と。

 これは容易な問題ではないようですね。あなたが戦うべき「敵」は、あなたの母親だけではな
いということです。

 では、どうするか?

 あなたの母親が要求することについては、その範囲で、やってやる。しかしそれ以上のことは
しないという姿勢に徹するしかないということです。

 朝、行ってみたら、母は、ふとんの中で死んでいましたという状態になっても、それはしかた
のないことです。だれも、Mさんの責任だと思わないだろうし、Mさんを責めることもないでしょ
う。

 あなた自身も、「私は親不孝者」と、自分を責めないこと。苦しまないこと。そういうふうに子ど
もを苦しめる親のほうが、実は、「子・不幸者」なのです。

 私も23歳の時から、実家に、収入の約半額を、送金しつづけてきました。それから受ける経
済的重圧感というよりは、社会的重圧感は、相当なものでした。そういう私のお金を使いなが
ら、私の母は、先祖からの財産がさもあるように見せかけて、生活していました。見栄っ張りの
人でした。(本当は、家計は火の車でしたが……。)

 まあ、今から思うと、かわいそうな人だったと思います。Mさんの母親と同じように、「私は、い
い孝行息子をもって幸せだ」が、口ぐせでした。

 大切なことは、こうした悪習に気づいたら、それは、私たちの代で止めることです。つぎの世
代の人たちには、同じような苦しみや悲しみを、与えないことです。この問題は、社会制度とも
結びついていますから、簡単には解決しないかもしれません。

 しかし私たちは私たちで、前向きに生きていく。今は、それしかないように思います。そのた
めに、私も戦います。どうか、また力を貸してください。いっしょに、この日本を変えていきましょ
う!
(はやし浩司 家族自我群 幻惑作用 親意識)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●ボケ老人(認知症)

ボケ老人をどう、家族の中に受けいれていくか……。家庭の事情もさまざまで、かつボケといっ
ても、その様子は、老人ごとに、みなちがう。だから、ボケ老人(認知症)といっても、全体として
論ずることは、たいへんむずかしい。

 しかし最大公約数的な意見なら、私にも書くことができる。

(1)暖かい無視

 同居をどういう形で始めるかによっても、ちがう。結婚当初から同居しているケースもあるし、
途中から同居というケースもある。また血のつながりというか、実の肉親なのか、義理の肉親
なのかによっても、ちがう。

 しかし同居するときの鉄則は、暖かい無視。介護をするときは、する。しかししないときは、ま
ったく、無視。その老人のことは忘れる。

 この切りかえがうまくできないと、介護する家族の負担は、倍増する。いつもいつもその老人
のことばかり考えていると、ノイローゼになってしまう。さらに先のことを心配しても、意味はな
い。なるようになる、なるようになれ、という姿勢が大切。

 しかし実際には、しばらく同居していると、自然と、こうした対処方法が身につく。またそうでも
しないと、心がもたない。

 当初、廊下などで大便をもらされたりすると、ショックを受ける。しかしそれが2回、3回と重な
ると、「どうぞ、ご勝手に」という心境になる。ジタバタしても、どうにもならない。

 そこで廊下にダンボール紙を敷いたり、トイレに新聞紙を敷いたりする。そのつど、対処方法
を考えて、あとは無視する。

(2)温情は禁物

 ボケには、人格崩壊がともなう。「ボケた老人でも、人権はある」「人格はある」と説く人がい
る。人権はともかくも、人格は、ない。また人格を期待してはいけない。

 ちょっとした温情が、アダになることは、よくある。

 水道の水が出しっぱなしとか、ガスの火がつけっぱなしというのは、まだよいほうだ。風呂の
湯が出しっぱなしとか、さらには、ガスだけが出しっぱなしというのもある。放火や家出(徘徊)
もある。

 「今日は天気がいいから、外へ出たいだろう」などと考えて、何かをしてやっても、ボケ老人の
ばあいは、すべて、裏目に出る。小さな温情が、大きな事故につながることも珍しくない。

 約束を守るなどということは、ボケ老人にはできな。だから、約束など、最初からしないこと。
「できない」「守らない」という前提で、つきあうしかない。

 そこで、水道は、元栓で閉める。ガスも、元栓でしめる。玄関から抜け出さないように、カギを
つける。(私たちのばあいは、3つもつけた!)

 マッチ、ライター、ドライバーなどは、すべて、手の届かないところに置く。つまりそういう形で、
先手、先手で対処する。

(3)公的な介護機関を利用する

 養護老人施設には、デイサービスや、泊まりサービスなどがある。そういうものをおおいに利
用して、介護者の負担を減らす。これはとても重要なことだ。

 ボケ老人について、ゆいいつありがたいことは、暴力性や凶暴性をもった老人が、意外と少
ないということ。たいていは、おとなしい。いろいろトラブルを起こすが、最近では、そういったト
ラブルに対しての理解も深まってきた。

(4)試される心

 ボケ老人の介護をしていると、さまざまな感情が、同時に起きてくる。憎しみと同情、嫌悪とあ
われみ、など。

 自分勝手でわがままな姿を見たりすると、カッとなることもある。それは親が自分の子どもに
対してカッとなるのに、似ている。だから自分の子どもにカッとなりやすい人は、老人介護には
向かない……ということになる。

 実際、ボケ老人と対峙すると、自分の忍耐力が試される。鼻水が出たから、ティッシュボック
スからティッシュを取り出して、さっと鼻をかんだあと、ぞっとすることもある。そのティッシュは、
すでに使い済み。よく見ると、大便をふいたあとがある。

 そういうとき思わず、「バカヤロー」と叫びたくなる。(実際に、そう叫ぶが……。)

 毎日が、この繰りかえし。

(5)改善

 ボケ老人の治療法といのもあるそうだが、しかし「治る」ということは、ないのでは……? 症
状を、より悪くしないという状態で、長引かせることはできる。しかし長引けば、長引くほど、そ
の重くて、ゆううつな負担は、家族にのしかかってくる。

 ここで試されるのが、実は、介護者の人間性である。

 本音を言えば、「お前なんか、生きていてもムダだ。早く死んだほうがいい」ということになる。
しかしそれを口に出したら、おしまい。(実際に、口に出しても、信頼関係があるときは、相手も
気にしないだろうが……。そういう意味では、ボケ老人の認知力は、弱い。かなり弱い。)

 しかしその人間性にも限界がある。高徳な宗教者とか、信仰者なら、そういった限界を感ず
ることもないだろう。しかしさらに本音を言えば、「いやな仕事」であることには、ちがいない。

 が、このとき、被介護者と介護者の間に、濃密な人間関係や思い出などがあれば、介護に対
する考え方も変わってくる。しかしそれが希薄なときに困る。

 たとえば妻が、義理の父母の介護をするとか、夫が、義理の兄、姉の介護をするとかいうば
あいである。結婚当初から同居していたというのであれば、まだ介護もしやすい。しかしある
日、突然、それがはじまったというときは、そうでない。

 私の印象では、ボケ老人の介護は、「やるべきことはします」「しかしあとは自然のなりゆきに
まかせます」というほうが、正しいのではないかと思う。

(6)心のケア

 介護者の心のケアこそ、重要である。一番よいのは、グチを言うこと。グチを言う相手を見つ
けること。グチを言いあうのもよい。

 言うなれば悪口だが、その悪口を言いあうことで、かなりのストレスが解消される。何かの信
仰者であれば、「神様……」「仏様……」というふうにして、心の救済も可能であろうが、なかな
かその心境に達するのも、むずかしい。

 が、ここで注意しなければならないことがある。

 こうしたストレス解消法は、相手をよく選んですること。家族や兄弟ならよいが、そのワクは越
えないほうがよい。いくら親戚でも、親戚の不幸を、酒のサカナにする人はいくらでもいる。

(7)あとは笑い飛ばす

 ここが重要だが、あとは笑い飛ばす。「オレは、兄貴のクソで、顔をふいたよ」とか何とか言っ
て、笑い飛ばす。

 それができるかどうかで、介護のし方も変わってくる。

 まずいのは、ものごとを悲観的に考えて、自分の中の被害妄想を肥大化させること。先のこ
とは、心配しない。クヨクヨしない。その日は、その日でやりすごして、あとは忘れる。

 ただし言いたいことは言えばよい。私は、ボケ兄が、何か、苦情を言うたびに、「なあ、お前、
ぜいたく言うなよ。お前なんか、どうせ生きていてもムダな人間なんだからさ。そう思われたくな
かったら、何か、仕事を手伝えよ」と言ってやる。

 きれいごとを言う必要もない。飾る必要もない。自分をごまかす必要もない。言いたいことを
言う。

 かえってそのほうが、被介護者も、気にしない。ボケ兄のばあいは、私がそう言うと、ヘラヘラ
と笑っている。そうやって、その場を、やりすごす。

(8)つぎはわが身

 つぎはわが身……それがボケ老人である。人は赤子からおとなになり、そのあと、また赤子
になって死ぬ。

 そういう流れは、いつもしっかりと理解しておく。それがわかるだけでも、いろいろ教えられ
る。そうボケ老人は、ボケ老人で、私たちに何かを教えるためにそこにいる。

 たとえば私も、ボケ兄とつきあうようになってから、心の中が広くなったように感ずる。寛大に
なったように感ずる。人生についても、あれこれ考えるようになった。

 悪いことばかりではない。それはちょうど、子育てで苦労した人が、人間味をますのに似てい
る。私たち夫婦は幸運にも、子育てではそれほど、苦労しなかった。で、その分、こうした別の
苦労をすることによって、何かを学んでいるということになる。
(はやし浩司 認知症 ボケ ぼけ 老人 対処法 ぼけ老人)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司
 
●若者の意識

財団法人日本青少年研究所(東京・新宿)が、高校生の意識調査をした。昨年(04)9月から1
2月にかけて、3か国35の高校で行い、3649人が回答した。

★国歌・国旗について

 「自分の国に誇りを持っているか」との設問に、「強く持っている」「やや持っている」と答えた
日本の高校生は、あわせて51%と、米中両国に比べ目立って低かった。

国旗、国歌を「誇らしい」と思う割合も、米中両国の半分以下。「国歌を歌えるか」との質問に
は、「歌える」と答えた日本の高校生は、66%にとどまり、三人に一人は、「少し歌える」「ほと
んど歌えない」と答えるなど、国旗国歌に抵抗感を植えつける自虐的教育(報告書の言葉)の
影響を懸念させる結果となった。

 こうした意識は国旗国歌への敬意などに表れ、「学校の式典で国歌吹奏や国旗掲揚されると
き、起立して威儀を正すか」との質問に、「起立して威儀を正す」と答えた日本人高校生は、米
中の半分以下の30%。

38%は「どちらでもよいことで、特別な態度はとらない」と答え、国際的な儀典の場で、日本の
若者の非礼が、批判を受ける下地となっていることをうかがわせた。

★将来、意欲について

 将来への希望を問う設問では、「将来は輝いている」「まあよいほうだが最高ではない」と答え
た割合は中国が80%と最も高く、日本は54%で最も悲観的であることがわかった。

さらに、勉強については「平日、学校以外でほとんど勉強しない」が45%(米15%、中8%)、
「授業中、よく寝たり、ぼうっとしたりする」も73%(米49%、中29%)と、学習意欲も米中に比
べて明らかに低いことが裏づけられた。

 生活面では「若いときはその時を楽しむべきだ」と答えた高校生の割合も、三カ国で最も高
かった。

★恋愛、家族について

 恋愛観では「純粋な恋愛をしたい」と考える割合は、九割と日本が最も高かった。しかし、結
婚後「家族のために犠牲になりたくない」も日本がトップ。将来「どんなことをしても親の面倒を
みたい」は三カ国で最も低く、逆に「経済的な支援をするが、介護は他人に頼みたい」が18%
と、米国9%、中国12%を大きく上回った。

(以上、報告書のまま)

++++++++++++++++++++

 いろいろ反論したいことはあるが、日本の高校生の実像を表していることは、事実。で、こう
した事実を並べて、財団法人日本青少年研究所(東京・新宿)は、つぎのように結論づけてい
る。

 日本の高校生たちについて、「純愛で結婚したいが、家族の犠牲にはなりたくない。親の面
倒は、金で他人に見てもらいたいという自己中心的な恋愛観・家族観が浮かんでいる」と。
(はやし浩司 日本 青少年 青少年意識 高校生 意識 意識調査 国旗 国歌)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●国旗、国歌について

 国旗はともかくも、国歌について言えば、それを歌うから愛国心があり、歌わないから愛国心
がないというふうに、決めつけてほしくない。

 私は、(あなたもそうだろうが……)、外国で、日本を思うときは、別の歌を歌う。「ふるさと」で
あり、「赤とんぼ」である。

●自虐的教育について

 この日本では、自国の歴史を冷静に反省することを、「自虐的教育」という。右翼的思想の人
が、左翼的傾向のある教育を批判するとき、好んで使う言葉である。

 「どうして?」と思うだけで、あとがつづかない。

●親のめんどう

 それだけ日本人の親子は、関係が、希薄ということ。親自身が、無意識のうちにも、親子の
関係を破壊している。そういう事実に気づいていない。

 子どもの夢、希望、目的をいっしょに、考え育てるというよりは、「勉強しなさい」「いい高校に
入りなさい」という、短絡的な教育観が、親子の関係を破壊していることに、いまだに、ほとんど
の親は気づいていない。

 「子どもが自己中心的だから」という結論は、どうかと思う。こういうところで、自己中心的とい
う言葉を、安易に使ってほしくない。家族の形態そのものも、ここ半世紀で大きく変わった。

ここに表れた「経済的な支援をするが、介護は他人に頼みたいが、18%」という数字は、数年
前の調査結果と、ほとんどちがっていない。

 よりよい親子関係を育てるためには、(ほどよい親)(暖かい無視)に心がける。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(605)

●BRIC's レポート

 最近経済界で話題になっているキーワードに、「BRIC's レポート」というのがある。

 ゴールドマン・サックス証券会社が発表した、経済レポートをいう(03年10月)。

B……Brazil(ブラジル)
R……Russsia(ロシア)
I……India(インド)
C……China(中国)を、まとめて、「BRIC's」という。

 同レポートによれば、2050年ごろには、これらBRIC'sの4か国だけで、現在の日本、アメリ
カ、ドイツ、フランス、イギリス、イタリアの総合計を、経済規模で、上回るようになるという。

 そしてその結果、世界のGDPは、上から順に、

(1)中国
(2)アメリカ
(3)インド
(4)日本
(5)ブラジル
(6)ロシアの順になるという。つまり日本は、4位に転落するという。

 こうした国々をながめてみると、これからの日本が相手にすべき国は、どこか、すぐわかるは
ず。

 アメリカ、インド、ブラジルの3か国である。とくに注目したいのが、インドとブラジルである。こ
れら2国は、日本との関係も深く、親日的である。最近ある公的機関を定年退職したが、ニュ
ーデリーに住んでいる、友人のマヘシュワリ君は、大の日本びいき。メールをくれるたびに、「ど
うしてインドへ来ないのか?」と聞いてくる。

 日本よ、日本人よ、どうしてもっと、インドやブラジルに目を向けないのか?

 中国や韓国など、もう相手にしてはいけない。必要なことはするが、限度を、しっかりとわきま
える。仲よくはするが、反日感情については、無視。そして余裕があるなら、インドやブラジル
に目を向けるべきである。

 そのインドも、昔は借金国。しかし世界銀行やアジア開発銀行などからの借金の30億ドル
を、2002年度までに完済している。(韓国などは、先のデフォルトのとき、550億ドルも、日本
が中心になって援助したが、感謝の「カ」の字もない! 中国などは、いまだに日本の無償援
助をよこせと、がんばっている!)

 私が日本のK首相なら、イの一番に、インド、つづいてブラジルを回る。もう一か国つけ加え
るなら、オーストラリアも回る。オーストラリア人の親日性は、日本のK首相が、イラク派兵を頼
んだときに、証明された。

 オーストラリアは、日本の自衛隊を守るために、オーストラリア兵を、イラクへ派遣してくれた
(05・3月)。どうして、そういう国を、もっと大切にしないのか!

 あえてけんかをすることはないが、日本を嫌い、日本人を軽蔑している国々と、頭をさげてま
で、仲よくすることはない。それよりも今、重要なことは、50年先を見越して、日本の立場を、
より強固にしていくことである。

 ちなみに、「インドの人口は10億人。国土は日本の9倍。南アジア最大の軍事大国だが、同
時にアジア有数の親日国家でもある。そのインドが資本市場を急速に自由化させ、中国にか
わって、世界の工場となるシナリオが、日々高まってきた。

  インドの昨年第四・四半期(10月ー12月)のGDP成長率は、中国を抜いて、堂々の10・4%
だった」(宮崎正弘レポート)。

 そのインドに、中国が目を向けないはずがない。少し前まで、仲が悪いと思われていたが、こ
こ1、2年で、中印貿易高は、日印貿易高を、とうとう追いこしてしまった。が、それだけでは、な
い。それを猛烈に追いあげているのが、実は、韓国である。

 この分野でも、日本は、完全に出遅れている。さらに最近の、中国や韓国の合言葉はただ一
つ。「日本を、極東の島国から、太平洋の奈落の底にたたき落せ」である。うわべはともかく
も、K国が、核ミサイルを、東京にうちこんだとき、それを一番喜ぶのは、中国であり、韓国な
のである。

 現実の国際政治というのは、そういうものだし、現実的でない国際政治というのは、意味をも
たない。

 もちろんそんなことを、K国にさせてはならない。(させてたまるものか!)

 そこで日本としては、6か国協議に見切りをつけて、K国の核問題を、国連安保理に付託す
るしかない。(中国や韓国は、それを警戒している。そしてそういう動きを見越して、韓国は、日
韓関係の整理をし始めている。)

 話がそれたが、S県の県議会が、「竹島の日」を、こういう微妙なときに定める真意が、私に
は理解できない。国際性のなさというか、まあ、何というか。S県の「S」は、「島」という漢字をあ
てる。こうした島国根性こそが、日本の将来の足かせになっている。

 2050年という、45年後には、私は、もう生きていない。しかしそのとき、世界はどうなってい
るか。それを示しているのが、ここにあげたBRIC's レポートということになる。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●愛国心について

 日本が民主主義国家だと思っているのは、日本人だけ。欧米で見る「民主主義」とは、まった
く異質のものである。

 まさに官僚のトップは、やりたい放題。どうやりたい放題かということについては、今さらここ
に書くまでもない。マスコミでは、周期的にそうした話題を取りあげ、騒ぐが、いっこうに、そうし
た傾向が改まる様子はない。ますますその横暴さが、ひどくなるだけ!

 国民や私たちは、そういう「日本」を、日常的に見ている。もちろん、若者たちも、だ。なのに、
それらをいっしょくたにして、どうして、「日本の若者たちには、愛国心がない」と言えるのか。

 ときどき、世界の人たちの愛国心が、アンケート調査される。しかし日本で、「愛国心」というと
きは、そこに「国」という文字を入れる。が、たとえば英語で、「愛国心」というのは、「ペイトリア
ズム」という。

 ペイトリアティズムというのは、もともとはギリシア語、さらにはラテン語で、「父なる大地を愛
する」という意味である。愛国心という日本語とは、意味がちがう。そういうちがいを、無視し
て、世界の若者のたちの意識を調査しても、意味はない。

++++++++++++++++++++

少し前に、愛国心について、書いた。

++++++++++++++++++++

●愛国心について考える
……ジョン・レノンの「イマジン」を聴きながら……。

 毎年8月15日になると、日本中から、「愛国心」という言葉が聞こえてくる。今朝の読売新聞
(02年・8月12日)を見ると、こんな記事があった。

「新しい歴史教科書をつくる会」(会長・TK・東北大教授)のメンバーが執筆した「中学歴史教
科書」が、愛媛県で公立中学校でも採択されることになったという。採択(全会一致)を決めた
愛媛県教育委員会の井関和彦委員長は、つぎのように語っている。

 「国を愛する心を育て、多面的、多角的に歴史をとらえるという学習が可能だと判断した。戦
争賛美との指摘は言い過ぎで、きちんと読めば戦争を否定していることがわかる」(読売新聞)
と。

 日本では、「国を愛する」ことが、世界の常識のように思っている人が多い。しかし、たとえば
中国や北朝鮮などの一部の全体主義国家をのぞいて、これはウソ。

日本では、「愛国心」と、そこに「国」という文字を入れる。しかし欧米人は、アメリカ人も、オー
ストラリア人も、「国」など、考えていない。たとえば英語で、愛国心は、「patriotism」という。こ
の単語は、ラテン語の「patriota(英語のpatriot)、さらにギリシャ語の「patrio」に由来する。

 「patris」というのは、「父なる大地」という意味である。つまり、「patriotism」というのは、日
本では、まさに日本流に、「愛国主義」と訳すが、もともとは「父なる大地を愛する主義」という
意味である。念のため、いくつかの派生語を並べておくので、参考にしてほしい。

●patriot……父なる大地を愛する人(日本では愛国者と訳す)
●patriotic……父なる大地を愛すること(日本では愛国的と訳す)
●Patriots' Day……一七七五年、四月一九日、Lexingtonでの戦いを記念した記念日。こ
の戦いを境に、アメリカは英国との独立戦争に勝つ。日本では、「愛国記念日」と訳す。

欧米で、「愛国心」というときは、日本でいう「愛国心」というよりは、「愛郷心」に近い。あるいは
愛郷心そのものをいう。少なくとも、彼らは、体制を意味する「国」など、考えていない。

ここに日本人と欧米人の、大きなズレがある。(ごまかしがある。)つまり体制あっての国と考え
る日本、民あっての体制と考える欧米との、基本的なズレといってもよい。が、こうしたズレを
知ってか知らずか、あるいはそのズレを巧みにすりかえて、日本の保守的な人たちは、「愛国
心は世界の常識だ」などと言ったりする。

たとえば私が「織田信長は暴君だった」と書いたことについて、「君は、日本の偉人を否定する
のか。あなたはそれでも日本人か。私は信長を尊敬している」と抗議してきた男性(四〇歳くら
い)がいた。

このタイプの人にしてみれば、国あっての民と考えるから、織田信長どころか、乃木希典(のぎ
まれすけ、明治時代の軍人)や、東条英機(とうじょうひでき・戦前の陸軍大将)さえも、「国を支
えてきた英雄」ということになる。

もちろん歴史は歴史だから、冷静にみなければならない。しかしそれと同時に、歴史を不必要
に美化したり、歪曲してはいけない。

先の大戦にしても、300万人もの日本人が死んだが、日本人は、同じく300万人もの外国人
を殺している。日本に、ただ一発もの爆弾が落とされたわけでもない。日本人が日本国内で、
ただ一人殺されたわけでもない。

しかし日本人は、進駐でも侵略でもよいが、ともかくも、外国へでかけていき300万人の外国
人を殺した。日本の政府は、「国のために戦った英霊」という言葉をよく使うが、では、その英
霊たちによって殺された外国人は、何かということになる。

こういう言葉は好きではないが、加害者とか被害者とかいうことになれば、日本は加害者であ
り、民を殺された朝鮮や中国、東南アジアは、被害者なのだ。そういう被害者の心を考えること
もなく、一方的に加害者の立場を美化するのは許されない。それがわからなければ、反対の
立場で考えてみればよい。

 ある日突然、K国の強大な軍隊が、日本へやってきた。日本の政府を解体し、かわって自分
たちの政府を置いた。つづいて日本語を禁止し、彼らのK国語を国語として義務づけた。日本
人が三人集まって、日本語を話せば、即、投獄、処刑。しかもK国軍は、彼らのいうところの首
領、金元首崇拝を強制し、その宗教施設への参拝を義務づけた。そればかりではない。

数10万人の日本人をK国へ強制連行し、K国の工場で働かせた。無論、それに抵抗するもの
は、容赦なく投獄、処刑。こうして闇から闇へと葬られた日本人は数知れない……。

 そういうK国の横暴さに耐えかねた一部の日本人が立ちあがった。そして戦いをしかけた。し
かしいかんせん、力が違いすぎる。戦えば戦うほど、犠牲者がふえた。が、そこへ強力な助っ
人が現れた。アメリカという助っ人である。アメリカは前々からK国を、「悪の枢軸(すうじく)」と
呼んでいた。そこでアメリカは、さらに強大な軍事力を使って、K国を、こなごなに粉砕した。日
本はそのときやっと、K国から解放された。

 が、ここで話が終わるわけではない。それから50年。いまだにK国は日本にわびることもな
く、「自分たちは正しいことをしただけ」「あの戦争はやむをえなかったもの」とうそぶいている。
そればかりか、日本を侵略した張本人たちを、「英霊」、つまり「国の英雄」として祭っている。
そういう事実を見せつけられたら、あなたはいったい、どう感ずるだろうか。

 私は繰り返すが、何も、日本を否定しているのではない。このままでは日本は、世界の孤児
どころか、アジアの孤児になってしまうと言っているのだ。つまりどこの国からも相手にされなく
なってしまう。今は、その経済力にものを言わせて、つまりお金をバラまくことで、何とか地位を
保っているが、お金では心買えない。お金ではキズついた心をいやすことはできない。日本の
経済力に陰(かげ)りが出てきた今なら、なおさらだ。

また仮に否定したところで、国が滅ぶわけではない。あのドイツは、戦後、徹底的にナチスドイ
ツを解体した。痕跡(こんせき)さえも残さなかった。そして世界に向かって反省し、自分たちの
非を謝罪した。

(これに対して、日本は実におかしなことだが、公式にはただの一度も自分たちの非を認め、
謝罪したことはない。)その結果、ドイツはドイツとして、今の今、ヨーロッパの中でさえ、EU(ヨ
ーロッパ連合)の宰主として、その地位を確保している。

 もうやめよう。こんな愚劣な議論は。私たち日本人は、まちがいを犯した。これは動かしがた
い事実であり、いくら正当化しようとしても、正当化できるものではない。また正当化すればす
るほど、日本は世界から孤立する。相手にされなくなる。それだけのことだ。

 最後に一言、つけ加えるなら、これからは「愛国心」というのではなく、「愛郷心」と言いかえた
らどうだろうか。「愛国心」とそこに「国」という文字を入れるから、話がおかしくなる。が、愛郷心
といえば、それに反対する人はいない。

私たちが住む国土を愛する。私たちが生活をする郷土を愛する。日本人が育ててきた、私た
ちの伝統と文化を愛する。それが愛郷心ということになる。「愛郷心」と言えば、私たちも子ども
に向かって、堂々と胸を張って言うことができる。「さあ、みなさん、私たちの郷土を愛しましょ
う! 私たちの伝統や文化を愛しましょう!」と。
(02−8−16)※

(注)こうしたものの見方を、自虐的史観というらしい。しかし私は何も、日本を否定しているの
ではない。日本を嫌っているのではない。日本の未来を心配しているから、そう書く。

 私たちおとなが、正義となる見本を見せないでおいて、どうして、子どもたちに向かって、「国
を愛せよ」と言うことができるだろうか。

 このところ連日のように、公務員や公職関係者の人事異動の記事が、新聞に載っている。今
は、そういう季節らしい。

 しかしよく見てほしい。みながみな、公職をたらい回しにしているだけ。わかりやすく言えば、
無数の天下り先を、転々としているだけ。日本は、まさに官僚王国。官僚天国。わかりやすく言
えば、日本人が愛国心というときは、「愛・官僚主義国家心」ということになる。

 ここに書いたことが、過激な意見だとは、自分でもわかっている。しかし、少しはショックを感
じてほしかったから、あえて、愛国心について書いた。

 ただ忘れないでほしいのは、私は、人一倍、日本の将来を心配している。日本に、もっとすば
らしい国になってほしいと、願っている。左翼でも、右翼でもない。そうした活動とは、そのどち
らとも、無縁である。集会に出たこともない。

 で、そういう思いを、何と言ったらよいのか。それを「愛郷心」というなら、その心だけは、だれ
にも負けない。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(606)

●崩壊家庭

 事情はいろいろある。原因もいろいろある。それまでのいきさつも、いろいろある。しかし家
庭教育というか、「秩序」そのものが、崩壊している家庭は、少なくない。たいていは、極度の貧
困をともなう。

 が、ふつうの貧困とちがう点は、貧困特有の、質素さが見られないこと。生活そのものが、ア
ンバランスで、統一性がない。ゴミの山の中に、中古だが、外車が置いてあったりする。もちろ
ん車検は切れている。生活のリズムそのものがつかめない、いわば底なしの貧困状態をいう。

 こうした家庭では、「ふつうなら……」という考え方は、いっさい、通用しない。玄関から廊下に
かけては、雑貨の山。悪臭。足の踏み場さえない。家財が散乱し、万年床やバスタブには、べ
っとりと、カビがはえている。

 どうして、そうなったかという理由など、ない。無数のリズムが乱れ、そのリズムが、クモの巣
のようにからんで、そうなる。子どもはいるが、しかし家族の形さえ、ない。たまたま私の息子の
一人が、そういう家庭をのぞいてしまった。そして私に、こう言った。

 「あのね、A君たちね、新聞紙の中で寝てるんだって……」と。その息子が、小学3年生か4
年生のときのことではなかったか。

 しかし破壊されているのは、家庭だけではない。子どもの心も、破壊されていた。

 虐待に近い、母親の異常なまでの過干渉。盲目的なでき愛。命令的な育児姿勢。A君は、私
が会ったとき、小学6年生だったが、成長そのものが、小学1、2年生あたりで止まってしまって
いた。口にして話すことといえば、そのころのことばかりだった。

 一見、おとなしく従順で、柔和な表情をしているが、ズル賢く、わがまま。その上、怠け者。友
だちの家に遊びに行っても、そこにあるものを平気で盗んでいってしまうという。が、罪の意識
はない。証拠をつきつけられ、「正直に言いなさい」と言われても、ノラリクラリと、ウソを言う。と
ぼける。ごまかす。

 あるいはときには、パッと身をひるがえして、土下座してみせることもあったという。担任の教
師は、私にこう言った。

 「A君だけは、ぜったいに、信用できません。必要最低限の誠実さすらない子どもといった感
じです」と。

 こんなことがあったという。

 ある日、理科室の実験器具が、だれかにいじられて割れてしまった。が、現場を、たまたま見
ていた子どもがいた。「A君が、こわした」と。

 そこで先生が、A君を、呼び出した。が、その途中で、A君は、階段から飛びおり、足をぶっ
て、けがをしてしまった。「先生に会うのがいやだったから、わざとけがをしたのでしょう」という
話だった。A君は、そういうことが平気でできる子どもだった。

 そのあとのA君のことは知らない。父親に連れられて、どこかほかの町に行ったということだ
った。

 ……という話は、そうでない家庭の人には、信じられないような話かもしれない。しかい現実
には、そういう家庭もあるし、今、決して少なくない。

 まただれしも、自分では、そうはなりたくないと願っている。しかしこればかりは、どうしようも
ない。リズムそのものが、乱れる。そしてがんばればがんばるほど、ものごとが裏目、裏目に
出る。そして気がついてみたら、にっちもさっちもいかなくなってしまっている。

 そういう意味で、不幸とは無縁の人など、この世の中には、ぜったいに、いない。今、幸福の
絶頂期にいる人だって、そのリズムがほんの少しだけ乱れれば、ここに書いたような崩壊家庭
を経験することになる。

 もちろん、その人に責任があるわけではない。その人が悪人だから、そうなるわけでもない。
運命だ。無数の運命という「糸」がからんで、その人はそうなる。

 ただ一つ、ほかの人たちとちがう点は、そうした運命に対して、足をふんばらないこと。ふん
ばって、そこで運命と戦わないこと。運命に身を任せてしまうこと。

 仏教でも、キリスト教でも、「怠(なま)け」を、大罪のひとつに置いている理由は、そこにある。

+++++著作権BYはやし浩司++++++copy right by Hiroshi Hayashi+++++
++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


●新型パソコン

ハハハ、高性能のパソコンを手に入れた。さっそく、使ってみる。具合は、よさそう。が、ワープ
ロとして使う分には、今までのパソコンと、あまり変わらない。どこがちがうのだろう?

 モニターを安価なものにケチったため、画像は、イマイチ。まあ、しかたないか。

 キーボードが、まだ、指になれていない。打ちミスが目立つ。そのうち、なれるだろう。
 
 少しずつ、データを移植している。ソフトも組みこんでいる。最初に、WINDOWのUPDATE
をした。これは常識。

 つぎにアンチ・ウィルスソフトを、組みこむ。これはパソコンの付録としてついていた。90日間
は無料で、試用できる。まずは、使ってみるか。

 春休みは近い。インターネット関連は、その春休みに、引っ越すつもり。それまでは、まずは
ワープロとして使ってみる。


●万博の効果

 今日(3・19)、愛知万博の内覧会に行ってきた。

 その帰り道、ワイフが、「万博をして、どういう意味があるの?」と、かなり懐疑的な質問を私
にぶつけてきた。

 私は、「国の経済政策としては、あるだろうね」と答えた。

 私は経済については、ほとんど知らない。門外漢。しかし常識的なことは知っている。それを
ワイフに説明した。

 こういうこと。

 仮に今、あなたが10万円の現金をもっていたとする。

 その現金を、タンス預金として、タンスの中に眠らせてしまえば、そのお金は、死んだお金と
いうことになる。

 そこであなたは、そのお金で、テレビを買ったとする。値段は、ちょうど、10万円。

 するとその時点で、10万円は、(あなた)から(電気屋)へ移動することになる。

 つぎにその10万円のうち、9万円は、商品の仕入れ代金として、問屋へ移動する。つまりこ
の時点で、計10+9=19万円が、移動することになる。

 さらにその問屋は、テレビのメーカーに、やはり商品の仕入れ代金として、8万円を支払うこ
とになる。この時点で、計10+9+8=27万円が、移動することになる。

 そのテレビのメーカーは、下請けの製造会社や、社員に、合計7万円を支払うことになる。こ
の時点で、10+9+8+7=34万円が、移動することになる。

 さらにそれぞれの下請けメーカーから、部品会社などへお金が流れ、社員へ入ったお金は、
社員の生活費などとなって流れる。

 こうしてあなたが10万円のテレビを買うことで、そのお金は、実際には、50〜100万円とな
って、国内中を走り回る。こうしたお金の流れが、日本の経済を活性化させる。

 タンス預金したお金を、死んだお金とするなら、テレビを買ったお金は、生きているお金という
ことになる。

 実は、国が、万博を開く意味は、ここにある。わかりやすく言えば、みなさんの家で、タンス預
金となっているお金を、一度、外に吐きださせ、それを(生きたお金)にするためである。

 あなたが万博に行くとき、旅費で、1万円使ったとする。さらに入場料として、5000円使った
とする。飲食代やみやげ代として、1万円使ったとする。

 そういうお金が、ぐるぐるとそのあと、日本中を回ることになる。あなたが使うお金が、計2万
5000円だとしても、そのお金は、その何倍もの流れとなって、日本の経済に活力を与える。

私「わかるかな?」
ワイフ「じゃあ、お金は使わなければいけないわね」
私「そう、余分なお金があれば、の話だけどね」と。

 国や県が、こうした博覧会をすることで、国は、国民がタンスの中にもっているお金を、(別に
タンス預金にかぎることではないが……)、日本の経済を活性化させることができる。とくに今
のように、金利が安い時代には、国民は、お金をタンス預金という形で、預金をたくわえやす
い。

私「万博というのは、そういう意味では、たいへん効果的なお祭りなんだよ」
ワイフ「でも、肝心の愛・地球博というのは、どうなるの?」
私「口実にすぎないよ。口実にすぎないことは、お前にもわかっただろう」
ワイフ「そうね。どの外国パビリオンも、観光の宣伝といった感じ」
私「だから、あまり意味など考えないで、楽しめばいいのさ」と。

 今回の愛知万博も、「だからどうなの?」という部分が、よくわからない。光と音楽の芸術? 
外国の特産品の紹介? 企業の宣伝? 「地球を愛する」と言いながら、そうした高邁(こうま
い)な、哲学は、ほとんどどこにもない。

 つまりは、お祭り。どこまでも、お祭り。ワッショ、ワッショのお祭り。

 以上が、私の万博、印象記ということになる。


+++++著作権BYはやし浩司++++++copy right by Hiroshi Hayashi+++++

【愛知万博(EXPO '05)・愛・地球博】

●混雑

 朝は快晴だった。長男に、近くのJRの高塚駅まで送ってもらうと、私たちは、岡崎にむかっ
た。途中、豊橋駅で、電車をのりかえた。3月19日、土曜日。

 (高塚駅)→35分→(豊橋駅)→30分→(岡崎駅)

 岡崎駅から、同じくJRの愛環線(愛知環状線)に乗りかえ、万博八草(やくさ)駅へ。八草は、
「やくさ」と読むそうだ。岡崎から万博八草駅までは、快速で、47分ということだった(ガイドブッ
ク)。

 そこまでは、座席にすわることもでき、ゆったりとした気分で行くことができた。時刻は、午前
9時少し前。万博八草駅からは、会場まで、リニモで、約2分。

 私たちは、9時少し前には、万博会場に着く予定だった。が、八草駅で、仰天! 内覧会で、
入場者は限られているはずなのに、構内がぎっしりと埋まるほどの人の数。八草駅で、リニモ
の切符を買わねばならないのだが、発売所が、10か所程度しかない!

 そこへ、見た感じでも、数千人の人が押し寄せている。私の予想通りだった。

 前回、3月13日の開会式の式に招待されたときは、名古屋駅のほうから、地下鉄東山線に
乗って、会場に向った。日曜日だったが、それでも、ふつうの都会の地下鉄並みには混雑して
いた。「万博が開幕したら、どうなるのだろう?」と、そんなことばかり、心配していた。

 が、今日は内覧会。招待日。「それほど多くの人は招待されていないだろう」と思って向った
が、あとで聞いたら、招待客は、5〜6万人だったという。私たちはゾロゾロと歩く行列に巻きこ
まれ、そこで30分間ほど、時間をムダにしてしまった。

 やっとリニモに乗れたが、会場の正面玄関を見て、二度目に、これまたびっくり。人また人
で、ぎっしりと、そこは埋めつくされていた。

●入場
 
 テロを警戒するということで、金属探知機と係員による、手荷物検査がなされていた。これを1
人ずつするのだから、たまらない。ゾロゾロが、ソロソロになり、さらにノロノロになった。ときど
き、動きが、まったく止まってしまった。

 事情を知らなかった、中年のおじさんや、おばさんが、怒っている声も聞こえた。「お茶くらい
は、いいでしょう!」「せっかく買ってきた弁当なんだから!」と。

 飲食物は、すべてゲートで没収、廃棄処分。これは食中毒を警戒するためということだった
が、ウソ。会場内のレストランをもうけさせるためである。

 その証拠にというか、1か所だけ、コンビニが、開店している。しかしそこでは、1日、1000
食と、弁当の販売数が限定されている。それ以上、売られたら、レストランの経営に影響が出
るから?

 これはあとでわかったことだが、そのため、会場内の飲食物の高額なことといったら、なかっ
た。

 小さな、プラスチック容器に入ったどんぶりものが、1200円程度。私は、牛タン丼を食べた
が、市中の牛丼の、値段は、4倍。その上、まずかった!

 「わざと牛タン丼にしたのは、牛丼と差別するためだよ」と私。切手のように薄い牛タンが、数
枚、白いご飯の上にのっているだけ。あとのメニューも、どれも似たようなもの。

 万博が、何を目的として開かれたものかは、レストランの運営のし方を見ればわかる。わか
りやすく言えば、金もうけ! (食い物のウラミは、大きいぞ!)

 否定的なことばかり書いていたのではしかたない。それはわかっている。しかし、そんなわけ
で、私の第二印象も、すこぶる、悪いものだった。(第一印象は、3月13日に書いた。)

●各国パビリオン

 全体で、20か所ほどのパビリオンを回った。それでも全体から見れば、5〜10分の1程度
か。とこどころで、時間をムダにした。

 次世代交通システムというバスに乗ったのも、まちがいだった。動き出すまでに、30分以上
待たされた。また動き出してからも、ノロノロ運転。歩いたほうが、ずっとはやいくらいだった。

 切符を買ったあとだったので、私たちは、おとなしく乗って待っているしかなかったが……。あ
んなところで、わざわざバスに乗ってみるのも、どこかバカげている。

 もちろんパビリオンへ入る前の行列で、そのつど、30分〜60分ほど程度、待たされた。途
中から、そういう行列のないパビリオンを中心に回った。

 外国館のほとんどは、待ち時間なしで、入ることができた。が、たいしたものは、なかった。ほ
とんどが、映像と音楽。光と色。そういったもので、国を紹介していた。要するにその国の観光
案内。

 私はそれを見ながら、「50年前だったら、みんな珍しそうに見ただろう」と思った。しかし今
は、連休ごとに、50〜100万人の人が海外旅行を楽しむ時代である。とくに感動したというも
のは、なかった。

 「わかりやすく言えば、観光客の誘致だね」と言うと、ワイフも、「そうよね」と笑った。

 たとえばI国では、ソリの実演をしてみせていた。ゆるい木の坂を、1人乗りのソリで、すべると
いうもの。

 大のおとなが、「こんな経験、はじめてです」というような、神妙な顔をして、ソリに乗っていた。
乗せられていた。(バカバカしい……。万博にやってきて、子どもだましのソリに乗る……?)

●楽しめばよい(?)

 娯楽なのか、教育なのか。それとも国策による啓蒙活動なのか。「お前ら、バカな国民ども
よ、もっと利口になれ!」と。

 しかしこうした万博で、そんなことを考えても、意味はない。楽しめばよい。子どもの心にもど
って、楽しめばよい。それでじゅうぶん。

 ただ、この年齢になると、無責任な楽しみ方はできない。当然、入場料金や税金のことを考
えたりする。その上、今回の万博には、私は、いろいろな面で、かかわりをもってしまった。そう
いう思いが、心をふさぐ。

 数年前だが、地元の人たちでさえ、約50%が、万博開催に反対していたという。自然保護団
体の人たちも、活発に反対運動を繰りかえしていた。

 加えて、この大不況。「どうして今、万博なのか?」という疑問も、そのつど心の中から、わき
でた。

 こうした疑問をはねかえすためには、今回の万博は、成功以上に、成功を収めなければなけ
ればならない。「まあまあ、よかった」だけでは、反対してきた人を、納得させることはできない。

 今回の万博には、その力はあるのか。それとも、ないのか?

 一つ気になったのは、たいていのパビリオンの入り口には、「プレスの方専用窓口」というの
が、用意してあったこと。どこでも、マスコミ関係者は、特別あつかいだった。その気持ちは、よ
くわかるが、しかし一般の私たちには、あまり気持ちのよいものではない。

 大きなカメラを片手に、大きな態度で、これ見よがしに歩き回るマスコミ関係者。待ち時間な
しの特別あつかい。ペコペコと、応対する、パビリオン関係者。彼らを横目に、じっと列の中で、
順番を待つ私たち……。

 いつからこうまで、カメラをもった人間がいばるようになってしまったのだろう? ……私は、
ふと、そんなことを考えた。マスコミ関係者も、庶民の気持ちを知りたかったら、30分でもよい
から、列の中で、カメラをもって、立ってみることだ。

●オーストラリア館

 「ぜったい行く」と決めていたのが、オーストラリア館。地図をみながら、そのオーストラリアへ
行ってみた。

 ほかのパビリオン以上に、どこといって、変哲のないパビリオンだったが、入ったとたん、そ
のなつかしさに、心を打たれた。

 私の帽子に縫いつけたオーストラリアの国旗を、めざとく見つけて、若いオーストラリア人の
男が、声をかけてきた。とたん、私の心は、あの留学時代に、タイムスリップ。思わず、「G'
day」と答えてしまった。オーストラリア人独特のあいさつである。

 が、たいしたものはなかった。無数の画面に、オーストラリアの様子が、映像で映しだされて
いた。「私なら、真っ赤な砂漠を再現してみせるのに」と思った。どこまでも、どこまでもつづく、1
本の道でもよい。

 ガイドの女性に話しかけると、「アデレードから来ました」と答えた。「息子が、F大学に通って
いました」と教えると、とたんに目を輝かせた。「F大学は、オーストラリアでも、ナンバーワンの
大学です。私もその大学に通っています」と。

 ついで、みやげのオパールの話になった。オパールについては、私も詳しい。友人の1人は、
そのオパールのチェーン店を経営している。説明を聞きながら、「知っている」「知っている」と
心の中で、思った。しかしそれは言わなかった。

 結局、そのパビリオンの中には、一番、長くいた。みやげものも買った。パビリオンを出ると
き、ワイフに、「オーストラリアへ行こうね」と声をかけると、ワイフはうれしそうだった。

●印象記

 「愛・地球博」と歌うくらいなら、どうして、産業展示館のようなものを、併設しなかったのか。
環境保護グッズや、製品を紹介したり、並べたりする展示館である。

 たとえば太陽電池にしても、今、この分野では、日本が世界をリードしているという。風力発
電でもよい。そういうものを製作している会社が、ブースを並べて、自分の会社やその製品を
宣伝する。紹介する。

 あるいは、日本各地の、自然保護団体が、それぞれの活動を、紹介する展示館でもよい。外
国からやってきた客は、そういうものを見たいはず。知りたいはず。観光客目当ての展示館な
ど、見たくもないのではないか……。

 いわゆるポリシーが感じられない。たとえば私たちは見なかったが、どこかの館では、シベリ
アで発掘されたマンモスが、展示されているという。

 それはわかる。たいへん珍しいものだ。しかしそれを見たからといって、それがどうなのか。
それがどうして、「愛・地球」と結びつくのか。たいていの人は、「ほほう、あれがマンモスか」と
感心するだけで、終わってしまうはず。

 国際博覧会というくらいなら、国際的に、みなが力をあわせて、地球温暖化を防止するため
の方法を、考えるというのもよい。そういったヒントを与えてくれるような博覧会でもよい。

 ……とまあ、好き勝手なことを書いた。主催者の人は、こういう意見を聞くと、きっと、不愉快
に思うにちがいない。「言うだけなら、だれにでも言えるよ」と。

 だから結論は、またまた同じになってしまう。

 「これはお祭り。浜松の凧(たこ)祭りと同じ、お祭り」と。

 深い意味を考えたところで、その答はかえってこない。もともと意味のある万博ではない。み
なが、そのときを、それなりに楽しめば、それでよい。つまるところ、そういうことになる。

 で、今日は、その2日目。もう少し日をおいて、万博について、再び、書いてみたい。ところで
今日、ワイフに「また、行ってみたいか?」と聞くと、ワイフは、こう言った。「行くわ。ぜんぶ見た
いから……」と。

 ワイフの行動力には、本当に、頭がさがる。いつでも好奇心満々といったところ。「若い妻を
もつと、夫も苦労するよ」と言うと、さらにうれしそうに笑った。本当はx歳しか、年は離れていな
いのに……。

 さらに昼飯が終わると、ワイフはこう言った。「あなた、今日ね、浜松市内で、がんこ祭りをや
ってるんだってエ」と。どこか行きたそうな様子だった。「ああ、そう」と言って、私は自分の部屋
に逃げ帰った。まだ足の筋肉のあちこちが、痛かった。

昨日は、よく歩いた。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●ボケ兄行上記・その後

 兄が、昨夜、洗面所で、顔を洗っているとき、メガネをなくしたらしい。朝、起きてきて、「目が
見えない」と、さかんに言いだした。

 で、私が洗面所に行くと、案の定、メガネはそこにあった。「おい、ここにあるじゃないか」と。

 が、兄は、私が隠したと思ったらしい。兄は、「よかった、よかった」と言いながら、そのメガネ
を自分の顔にかけた。

 しかし昼前ごろ、またメガネがないと言いだした。ワイフが、「きっとそのへんにあるはずだか
ら、さがしてみたら」と言った。

 兄は、他人に無視されると、カッとなる性格らしい。少し前、姉がそう言っていた。で、夕方近
くになって、部屋へ食事を運ぶと、メガネが、半分、割れていた。「どうした?」と言うと、「時計
にぶつけて、こわれた」と。

 (ワイフに無視されたと思ったから、その腹いせに割ってしまったらしい。)

 メガネは、チタン製である。そう簡単にはこわれない。そこでメガネをよく見ると、かなりの力
で、引きちぎったあとが残っていた。「お前、どうして、こんなことをするんだ?」と言うと、「メガ
ネはもう使わないからいい」と言った。

 翌日の昼、みんなで食事に行くことにした。近くにできたラーメン屋で、ラーメンを食べること
にした。兄も連れていった。が、いつもの悪いくせ。人目を感じたとたん、バタンとその場でころ
んでみせた。

私「おいおい、こんなところで、ウソころびするなよ」
兄「目が見えない」
私「だから、メガネを割ってはだめだと言っただろ」と。

 とりあえず、レンズだけは無事だったようなので、新しいフレームにかえることにした。そう思
って、食事から帰ると、こわれたメガネをさがした。が、どこをさがしても、ない。ワイフを呼ん
で、2人でさがす。

 しかし肝心の兄は、さがそうともせず、シクシクと泣きマネをするだけ。「よせよせ、ウソ泣きし
ても、涙は出ないぞ」と。

 ワイフが、こわれたメガネを、ストーブのふたの中からさがしだしてきた。「あなた、こんなとこ
ろにあったわ」と。

 メガネは、さらに手でひねったあとがあった。

 そういう兄を見ていると、正直に告白するが、あわれみと怒りの二つの感情が、同時に心の
中に充満する。「このヤロー」と、なぐりつけてやりたい気持ち。「かわいそうに」と抱きあげてや
りたい気持ち。

 いつもは、そういうときは、私はだまる。口を閉じる。どちらの自分が本当の自分か、わから
なくなるからだ。それがこわい。

 しかしそのときは、ちがった。私は、あえて兄の横にすわった。そして頭をなでながら、「お前
なあ、メガネがないと困るだろ。心配しなくてもいいよ。明日、メガネをなおしてきてやるからな」
と。

 頭をなんどもさすってやった。その間中、兄は、「子どものころ、Kちゃん(叔母)に、いじめら
れた」「Kちゃんに、たたかれた」「Kちゃんに、バカにされた」と、あれこれ言った。Kちゃんとい
う人は、見た目には穏かな人だが、どこか心のつかめない人だ。

 私は、「あんなKちゃんのことは忘れなよ。ただのババアだからな」と。

 10分たち、20分たった。兄は、「眠い」と言った。「そうか、早く寝ろよ」と、私は言った。

 怒りとあわれみ。どちらが本来の心なのか、いまさら言うまでもない。どちらが正しい心なの
か、いまさら言うまでもない。

 私が居間にもどると、しばらくして兄が、私を追いかけてきた。いつもになく、おだやかな顔を
していた。

 「メガネはだいじにする」と兄が言った。「そうだな。メガネがないと困るからな」と私。

 そしてそのあと、トンチンカンな会話がつづいた。あえて、私もボケたフリをした。

兄「おじいちゃんが、体を洗ってくれた」
私「おじいちゃんって、どこのおじいちゃんだ?」
兄「おじいちゃんだ」
私「ああ、三波春夫さんね」

兄「三波春夫じゃない」
私「美空ひばりか?」
兄「ひばりは、歌手だ」
私「ああ? ひばりは、鳥だよ。鳥」と。

 ボケには、ボケたフリをして対処するのがよい。そのほうが、相手も安心するらしい。こちらが
優越性をもって、ガンガンと説教すればするほど、相手を追いつめることになる。それが、相手
の心をますます閉ざしてしまう。

兄は、「これはダメだ」というような顔をして、笑った。笑ったまま、自分の部屋に帰っていった。

 人にやさしくするのは、相手がだれであるにせよ、勇気のいることだ。勇気だ。簡単そうで、な
かなかできない。しかし一度、勇気を出してそれをすると、すがすがしさが、その何十倍の力と
なって、はねかえってくる。

 さらに自分の中の怒りをしずめるのは、勇気のいることだ。そのときは、息ができないほど、
苦しくなる。しかしそれを通りすぎると、心の中をさわやかな風が吹きぬけるようになる。心が
軽くなる。

 ワイフがそこにいたので、私はこう言った。

 「心の修行というのは、何も、山の中にこもってするだけのものではないんだよな。現実の世
界で、現実の人を相手にして、することもできる。むしろ、そういう修行のほうが、本物の修行
のような気がする」と。

 この意見に、ワイフは同意してくれた。そしてこう言った。「あなたも、よくやるわね」と。


●自暴自棄

 ここ1、2年、私の心の中に、おかしな感覚が生まれ始めている。「いつ、死んでもいいや」と
いう思いである。それまでには、なかった感覚である。

 本当にそういう情況になれば、気が動転して、混乱状態になるかもしれない。しかしふと、何
かのことで、油断したりすると、「いつ、死んでもいいや」と。

 3人の息子もいるが、もう、何も、期待していない。あれこれ気をつかうのも、疲れた。相手が
私を必要としないというのなら、それはそれでよい。私の知ったことではない。子どもたちは子
どもたちで、勝手に生きていけばよい。

 仕事も、そうだ。「どうせ、なるようにしかならないし、あせってみたところで、同じ」と。夢や希
望、それに目的もないわけではないが、それらは年齢とともに、どんどんとしぼんでいく。ゆい
いつの目的は、このマガジンを1000号まで出すこと。

 しかしそれがいったい、何になるのか? つまりは、先の見えない目標。地図さえない。目的
地の見えない荒野を、1000歩、歩いたからといって、それがどうだというのか。ひょっとした
ら、同じところを、ぐるぐると回っているだけ? 私はとんでもない無駄なことをしているのかもし
れない。

 若いころは、私は「運命」などというものは、認めなかった。とくに観念的な運命論について
は、そうだった。しかしやがて、「私」という人間には、無数の「糸」がからんでいるのを知った。

 家族、地域、社会、国、そして人間。が、その糸の中でも、もっとも私に深くからんでいるの
は、「私自身」ということを知った。

 そういった糸が、無数にからんで、私という人間の進むべき方向が決まる。いや、本当のとこ
ろは、自分で進んでいるつもりなのだが、いつの間にか、糸にからまれ、自分の意思とは無関
係に、別の場所にいることを知る。

 それを、私は「運命」という。頭のおかしな占い師たちが口にする、運命とは、異質のもので
ある。数学的に言えば、無数の可能性と無数の確率が、無数の要素(ファクター)を組み合わ
せながら、その人の今、あるべき立場を決める。それを運命という。

 そこで大切なことは、そういった運命があるにせよ、最後の最後のところで、ふんばること。こ
のふんばるところに、人間の生きる価値がある。尊さがある。人間が織りなす、ドラマの美しさ
も、そこから生まれる。

 しかしその(ふんばり)が弱くなってきた(?)。どうも、そんな感じがする。ときどき、「なるよう
になれ」と思う。「どうにでもしてくれ」と思う。それがたまりにたまって、「いつ死んでもいいや」と
なる。

 生きようとする気力が弱くなったのか?

 このところ、何かにつけて失望することが多くなった。限界を感ずることが多くなった。無力感
を覚えることが多くなった。仕事の面でも、からまわりをすることが、多くなった。自分に向って、
「がんばろう」とムチを打つことはある。が、しかし、いったい、何に、どうがんばればよいの
か?

 運命という糸は、つぎからつぎへと、向こうからからんでくる。いちいちほぐしているヒマなど、
ない。そしてそのつど、足元をすくわれたり、身動きがとれなくなったりする。

 昨日も、車が交差点で止まったとき、目の前を行きかう車の中をのぞいた。見知らぬ人たち
ばかりだった。そういう人たちを見ながら、「あの人たちにも、無数の運命という糸がからんで
いるのだろうか?」と思った。

 何ごともなく、そ知らぬ顔をして通りすぎる人たち。どこまでも無機質で、表情がない。しかし
相手の人たちから見れば、私だって、そう見えるはず。そう思った瞬間、おかしなことだが、生
きるむなしさまで、感じてしまった。

 「私ひとりががんばったところで、どうにもなるものではない」「生きていて、何になるのか」と。

 あえて言うなら、死ぬこともできないから、生きているだけ? 私がめんどうをみなければなら
ない、扶養家族が何人もいるから、生きているだけ?

 これから先、こんな感覚は、大きくなるのだろうか? それとも一時的なもので終わるのだろ
うか? どこか投げやりになってきた。自暴自棄になってきた。

 しかし……しかし、だ。はやし浩司は、まだ負けないぞ。負けてたまるか! 気力がつづくか
ぎり、ふんばってやる。戦ってやる。私の中の、「私」と戦ってやる!

 と、力んだところで、みなさん、おやすみなさい。今日は、少し、疲れました。

【補記】

 こういうときは、シェークスピアの翻訳をしてみるにかぎる。あの(クソむずかしい)英語に、
だ。どうかその道のプロは、私の貧訳を笑わないでほしい。

++++++++++++++++
Shakespeare
●My words fly up, my thoughts remain below: Words without thoughts never to heaven go. 
(私の言葉は、舞い上がり、思想は、下に沈む。思想のない言葉は、天国に昇ることはない。)

●It is a heretic which builds a fire, not she who burns it. 
(火をおこすのは、異教徒ではない。それを燃やす彼女でもない。)

●And all our yesterdays have lighted fools The way to dusty death. Out, out, brief candle! 
Life's but a walking shadow; a poor player, That struts and frets his hour upon the stage, 
And then is heard no more: it is a tale Told by an idiot, full of sound and fury, Signifying 
nothing. 
(かくして昨日までのすべては、愚か者どもを照らすだけ。そこに待つのは、埃に満ちた死ある
のみ。燃えろ、燃えろ、短いろうそくよ。人生というのは、歩き回る影、あわれな俳優。彼は、舞
台の上で、いばり、そしていらつく。そしていつか観客はいなくなり、それは、何も意味のない音
と怒りに満ちた、愚か者によって語られる物語でしかない。)
●Who chants a doleful hymn to his own death? 
(だれが、自分の死のために、悲しみに満ちた賛美歌を唱えるだろうか?)


++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(607)

●口のうまさ

 口がうまい人は、それだけ、不幸にして、不幸な家庭に生まれ育った人とみてよい。慢性的
な欲求不満が、心をゆがめる。そうしたゆがみが、たとえば(へつらう)(機嫌をとる)(こびる)な
どといった、独得のしぐさとなって、外に現れる。

 子どもでも、両親の愛情に恵まれ、静かで落ちついた家庭環境で生まれ育った子どもは、ど
こか、どっしりとした印象を与える。態度も大きい。そうでない子どもは、コセコセとし、他人の
顔色ばかりうかがっている。

 「どうすれば、自分がいい子に思われるか?」「どうすれば、みなに好かれるか?」と、そんな
ことばかりを考えている。考えているというより、長い習慣の中で、無意識のまま、それに合わ
せた行動をとるようになる。

 その特徴の一つが、口のうまさということになる。

 この(口のうまさ)は、大きく、つぎの2つに分類される。

(1)相手の心に取り入るための、口のうまさ
(2)自分をねじまげるための、口のうまさ

 たとえば相手の服装を見ながら、「いい服を着ていますね」と言うのが、ここでいう(1)にあた
る。

 自分は本当は、別のものを食べたいのだが、相手の人が寿司が好きだと知っているため、
「今日は寿司を食べましょう。大好物です」と言うのが、ここでいう(2)にあたる。

 もっとも、おとなの世界では、(口のうまさ)は、いわば商売の道具のようなもの。相手をおだ
てたりしながら、いい気分にさせて、それを金儲けにつなげる。

商人「ダンナさん、今日は、いつもとちがいますね。何かいいことでも?」
客「いや、別に……」
商人「しかし、いつもと違いますよ。若がえったというか、今日のダンナさんは、かっこいい…
…!」と。

 実は、私も、子どものころ、その口のうまい子どもだった。(……ようだ。)そのころの私をよく
知る人は、「浩司は、愛想のよい、明るい子どもだった」と言う。しかし本当の私は、そうでなか
ったと思う。

 いつも、無理をしていた。自分をごまかしていた。その場で、本当に楽しいから明るく振るまっ
たというよりは、そうすることで、自分の立場を、とりつくろっていた。相手を不愉快にしないた
めだったかもしれない。よく覚えていないが、私は決して、愛想のよい、明るい子どもではなか
った。

 私が楽しそうにしていれば、みなは、ますます、私に手をかけてくれた。注目してくれた。私の
したいように、させてくれた。つまり私は、他人の心を誘導するために、無理をしながら、そうし
ていた。(……と思う。)

 そうしたクセは、今でも、残っている。ふと気がつくと、相手にお世辞を言ったり、おべっかを
たれたりする。(「おべっか」というのは、私の生まれ育った地方の言葉で、相手にへつらうこと
をいう。)

 もちろん、自分の意見をねじまげることも多い。(……多かった。)

 しかしそういう自分は、疲れる。本当に疲れる。そういう(つきあい)をして家に帰ってきたりす
ると、疲れが、ドッと出る。

 そこでいつだったかは、よく覚えていないが、私は、ありのままの自分を、外にさらけ出すよう
に心がけるようにした。思ったことを言い、したいことをする。ウソはつかない。自分をごまかさ
ない。

 と、同時に、子どもの世界を見ながら、子どものころの私によく似た子どもを見つけたりする
と、すかさず、説教を始める。「自分をごまかしてはだめだ」「自分にウソをついてはだめだ」「い
やだったら、いやだと言え」「できなかったら、できないと言え」と。

 それは子どもを教える私の一つの「柱」にもなっている。そしてとくに、口のうまい子どもに出
会ったりすると、言いようのない自己嫌悪におちいってしまう。本当は、自分がいやなのに、そ
の子どもを嫌ってしまったりする。

 自分が、相手に取り入るのがうまかった分だけ、そういった子どもの心が、手に取るようによ
くわかる。だから私は、こう言う。「もっと、自分に正直になれ!」と。

 少し前も、「道路でお金を拾ったら、どうするか?」と質問したら、シャーシャーと、「交番へ届
けます」と答えた、小学6年生がいた。

 私は思わずこう叫んでしまった。「本気で、そう思っているのか?」「君は、そう言えば、みなが
ほめてくれると思っているから、そう言っているだけではないのか?」と。

 私がそうだった。子どものころ、「お金を拾ったら、どうするか?」と聞かれたときは、迷わず、
「警察に届けます」などと答えていた。(本当の私は、そうでなかった。道路にお金が落ちていた
とすると、『もらった!』と言って、自分のものにしていた。大金を拾ったことはないが、子どもの
小づかい程度の金額なら、迷わず、自分のものにしていた。)

 だからあるとき、ある人から、「林さんは、口がうまいから……」と、揶揄(やゆ)されたとき、私
は、ふつうでない衝撃を受けた。その相手の人を尊敬していただけに、ショックは大きかった。
いつの間にか、私は、その人に、そういう印象を与えてしまっていた。私が、50歳になる少し前
のことではなかったか。

 以来、努めて、私は、自分に正直に生きようとしている。努めて、だ。

 しかし心についたシミは、そう簡単には消えない。今でも、ふと油断をすると、自分をごまかし
たり、飾ったりする。茶化したり、偽ったりする。この問題だけは、私にとっては、現在進行中の
問題ということになる。

(補記)

 自転車で道路を走っていると、よくサイフらしきものが落ちているのを知ることがある。しかし
私は、あえて拾わない。見て見ぬフリをして、その場を通りすぎる。

 拾ったあとの自分が、どう反応するか、それを知るのがいやだからだ。サイフの中のお金を
自分のものにするのも、いやだし、さりとて、交番へ届けたりするのもめんどうなこと。

 最後にサイフを拾ったのは、5年くらい前のことだったと思う。コンビニの前の駐車場でのこと
だった。何かしらずっしりと重い感じがしたが、私はそのサイフを、コンビニの店員に渡して、そ
のまま、その場を逃げた。もちろんそのあと、そのサイフがどうなったか、私は知らない。

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩
司 

●自己愛性人格障害(B群)
Narcissistic personality

DSMーIV(第4版)「精神障害診断基準」によれば、「自己愛性人格障害」の診断基準は、つぎ
のようになっている。DSM−IVより、そのまま引用する。

++++++++++++++++++

誇大性(空想または行動における)、賞賛されたいという欲求、共感の欠如の広範な様式で、
成人期早期に始まり、種々の状況で明らかになる。

以下のうち5つ(またはそれ以上)で示される。

(1)自己の重要性に関する誇大な感覚(例、業績やオ能を誇張する、十分な業績がないにも
かかわらず、優れていると認められることを期待する)。

(2)限りない成功、権力、才気、美しき、あるいは理想的な愛の空想にとらわれている。

(3)自分が特別であり、独特であり、他の特別なまたは地位の高い人たちに(または施設で)し
か理解されない、または関係があるべきだ、と信じている。

(4)過剰な賞賛を求める。

(5)特権意識、つまり、特別有利な取り計らい、または自分の期待に自動的に従うことを理由
なく期待する。

(6)対人関係で相手を不当に利用する、つまり、自分自身の目的を達成するために他人を利
用する。

(7)共感の欠如…他人の気持ちおよび欲求を認識しようとしない、またはそれに気づこうとしな
い。

(8)しばしば他人に嫉妬する、または他人が自分に嫉妬していると思いこむ。

(9)尊大で傲慢な行勤、または態度。

+++++++++++++++++

 自己中心性が極端なまでに肥大化した状態を、「自己愛」といい、さらに人格に障害と言える
ほどの変化をもたらした状態を、「自己愛性人格障害」という。

 私がテーマとして考えることができるのは、「自己愛」までで、そこから先は、精神医学の世界
の分野ということになる。

 しかしこのDSMーIV(第4版)「精神障害診断基準」を読んでいると、何かにつけて、参考に
なる。「なるほど」と思ったり、「そうだったのか」と思ったりする。ここに書かれたような傾向は、
だれにでもあるものであり、またそれが多くのばあい、その人の生活力の原点になっている。

 ただこうした診断基準を読むとき、何よりも注意しなければならないのは、「素人判断は禁
物」ということ。その判断は、あくまでも専門医に任せるべきである。「私に当てはまる……」と
思いこんで、悩んだりする必要はない。

 だれだって、(1)自分は重要だと思う。(2)理想の愛を求める。(3)自分は特別だと思う。
(4)みんなに賞賛されたい。(5)特権意識はもちたい。(6)他人を利用することは、しばしばあ
る。(7)無関心になって、わずらわしさから、逃れようとする。(8)嫉妬する。(9)傲慢になるこ
とはある、など。

 しかしこうした状態が過剰になり、良好な人間関係が結べなくなることがある。それを「障害」
という。

 だから、こうした傾向が自分の中に見られるようになったら、「要注意」と考えて、自分をコント
ロールすることは、重要なことである。なりゆきに任せて、どんどんと深みにはまるということ
は、さけたい。

 ついでながら、こうした人格障害の基礎は、乳幼児期から少年少女期までにかけて形成され
るという。そしてほとんどのばあい、薬物、入院などの処置によっても、ほとんど改善の効果は
みられないという。この時期の育児姿勢がいかに重要かが、これによっても、わかる。

 ほかにも、DSMーIV(第4版)「精神障害診断基準」は、つぎのような規定をしている。いくつ
かを拾ってみる。

++++++++++++++++++++++

●依存性人格障害 C群
Dependent personality

面倒をみてもらいたいという広範で過剰な欲求があり、そのために従属的で、しがみつく行動
をとり、分離に対する不安を感じる。成人期早期までに始まり、種々の状況で明らかになる。

以下の5つ(またはそれ以上)によって示される。

(1)日常のことを決めるにも、他の人たちからありあまるほどの助言と保証がなければできな
い。

(2)自分の生活のほとんどの主要な領域で、他人に責任をとってもらうことを必要とする。

(3)支持または是認を失うことを恐れるために、他人の意見に反対を表明することが困難であ
る。
(注…懲罰に対する現実的な恐怖は含めない。)

(4)自分の考えで計画を始めたり、または物ごとを行うことが困難である。(動機または気力が
欠如しているというより、むしろ判断または能力に自信がないためである。)

(5)他人からの愛育および支持を得るためにやりすぎて、不快なことまで自分から進んでする
ほどである。

(6)自分で自分の面倒を見ることができないという誇張された恐怖のために、1人になると不
安、または無気力を感じる。

(7)綿密な関係が終わったときに、自分を世話し支えてくれる基になる別の関係を必死に求め
る。

(8)自分で自分の面倒を見ることになってしまうという恐怖に、非現実的なまでにとらわれてい
る。

++++++++++++++++++++

●演技性人格障害 B群
 Histronic personality

過度の情緒性と人の注意を引こうとする広範な様式で、成人期早期までに始まり、種々の状
況で明らかになる。以下の5つ(またはそれ以上)によって示される。

(1)自分が注目の的になっていない状況では楽しくない。

(2)他人との交流は、しばしば不適切なほどに性的に誘惑的な、または挑発的な行動によって
特徴づけられる。

(3)浅薄で、すばやく変化する感情表出を示す。

(4)自分への関心を示すために、絶えず身体的外見を用いる。

(5)過度に印象派的な、内容の詳細がない話し方をする。

(6)自己演劇化、芝居がかった態度、誇張した情緒表現を示す。

(7)被暗示的、つまり他人または環境の影響を受けやすい。

(8)対人関係を実際以上に親密なものとみなす。

++++++++++++++++++++++

●強迫性人格障害 C群
Odsessive Compulsive personality

秩序、完璧主義、精神面および対人関係の統制にとらわれ、柔軟性、開放性、効率性が犠牲
にされる広範な様式で、成人期早期までに始まり、種々の状況で明らかになる以下の4つ(ま
たはそれ以上)によって示される。

(1)活動の主要点が見失われるまでに、細目、規則、一覧表、順序、構成、または予定表にと
らわれる。

(2)課題の達成を妨げるような完全主義を示す。(例…自分自身の過度に厳密な基準が満た
されないという理由で、1つの計画を完成させることが出来ない。)

(3)娯楽や友人関係を犠牲にしてまで、仕事と生産性に過剰にのめり込む。(明白な経済的必
要性では説明されない。)

(4)道徳、倫理、または価値観についての事柄に、過度に誠実で良心的かつ融通がきかな
い。(道徳的又は宗教的同一化では説明されない。)

(5)感傷的な意味のない物の場合でも、使い古した、または価値のない物を捨てることができ
ない。

(6)他人が自分のやるやり方どおりに従わない限り、仕事を任せることが出来ない、または一
緒に仕事をすることができない。

(7)自分のためにも他人のためにもけちな、お金の使い方をする。お金は将来の破局に備え
て蓄えておくべきものと思っている。

(8)堅苦しさと頑固さを示す。

++++++++++++++++++

 じっくりと読んで、自分を反省するための資料としたい。ホント!
(はやし浩司 人格障害 自己愛性人格障害 依存性人格障害 演技性人格障害 強迫性人
格障害)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


【男の鼻くそ】

●鼻くそ

中には、いつも、鼻くそをほじっている子どもがいる。親は、それを気にして、「やめなさい!」
と、そのつど注意する。が、ほとんど効果がない。

 しかし、これは、効果があるとかないとかいう問題ではない。子どもは、鼻がかゆいから、鼻く
そをほじる。その原因として、慢性鼻炎や、副鼻腔炎がある。子どもの鼻くそが気になったら、
そちらの治療を先に考える。

 その鼻くそ。だれでも、毎日、何度かはほじるものだが、しかし人前ではしない。鼻くそほど、
他人に、不快感を与えるものはない。ほじるとしても、人の目の届かないところで。しかもティッ
シュとか、ハンカチを使ってそれをする。

 この鼻くそには、いろいろな思い出がある。

●下品

 少し前まで、行きつけのレストランがあった。値段も安いし、味もよかった。が、ある日のこ
と、その店に入ろうとして、ガラス戸越しに中を見たとき、何と、あろうことか、その店のおやじ
が、あんぐりと、鼻くそをほじっていた。

 手のひらを上にして、大きく、ほじっていた。

 その瞬間、私は、ゾーッとした。で、そのままUターン。以来、そのレストランには、一度も足を
踏み入れていない。

 その鼻くそ。英語では、sxxxという。かなり、下品な言葉ということになっている。ふつうの辞
書には出ていない。かなり大きな辞書にも出ていない。上下2巻もあるような、小学館の「ラン
ダムハウス辞書」に、やっとそれが出ている。

 しかし「鼻くそ」とは書いてない。「鼻水」「鼻汁」となっている。かっこして、(卑)とある。「卑猥
語(ひわいご)」という意味である。

 英語では、鼻くそを、鼻汁と考えているのか? 汁というより、もう少しかたい感じがするが…
…。

 もちろん、英語国では、人前で鼻くそをほじるのは、タブー中のタブー。欧米人で、鼻くそをほ
じっている人を、私は、見かけたことがない。ふつうはタオルで鼻をかむようにして、そのついで
に、鼻の穴の周辺を強くふく。もっとも欧米人の鼻の穴は、日本人の鼻の穴ように大きくない。
だいたいにおいて、指が入らない。

●男の鼻くそ

 しかし先日、愛知万博の内覧会から帰ってくるときのこと。私たちは、夕方近く、やや早め
に、会場をあとにした。帰りの混雑を避けるためである。

 で、万博八草(やくさ)という駅から電車に乗ったときのこと。真向かいの席に、1人の男が座
った。その男が、座るやいなや、その鼻くそをほじり始めた。

 年齢は45歳くらいか。スーツ姿の男だった。腕の中には、大きな買い物袋をかかえていた。
同じく万博に行ってきたのだろう。そのみやげらしきものが、上から少し見えた。

 私は、その瞬間、目をそらした。見てはいけないものを見てしまった感じがした。相手も、そ
れをいやがるだろう。

 が、すぐ終わると思ったが、その男は、私の視線など、まったく気にするふうでもなく、鼻くそ
をほじりつづけた。親指を使ったり、小指を使ったり、そしてときどき、親指と人差し指をよりあ
わせて、鼻くそを、下へ落としていた。

 私は右に座っているワイフに、顔をしかめて見せた。が、ワイフは、まだそれに気づいていな
いようだった。私は、目のやり場に困った。そういう光景は、一度気にし始めると、脳ミソに張り
ついたように、気になる。

●不快感

 指先をよじるとき、こまかい鼻くそが、パラパラと下に落ちる。いや、落ちるところまでは見て
いないが、それは容易に想像ができた。男は、買い物バッグのうしろでそれをしていた。

 「いやな男だ」と思った。思って、私は、じっとその男の顔をのぞきこんだ。私の視線を感ずれ
ば、やめるだろうと思った。しかし男は、私の視線など、どこにも感じていないといったふうだっ
た。相変わらず、鼻くそをほじっていた。

 駅を一つ過ぎ、二つ過ぎても、まだほじっていた。

 どこか気持ちよさそうな雰囲気だった。私は、その男に、注意してやろうと思った。そして頭の
中で、セリフまで考えた。

 「あのう、たいへん失礼かと思いますが、しかし人前で、鼻くそをほじるのは、いかがなことか
と思います。それを見ている人に、不快感を覚えさせるものです。どうか、遠慮していただけま
せんか」と。

 しかしそんなことを注意するほうも、おかしい。鼻くそをほじったからといって、だれに迷惑を
かけるというものでもない。鼻くそは鼻くそだが、人間の表皮は、そのつど、無数にはがれて、
風に舞って飛んでいく。鼻くそも、その一部にすぎない。

●鼻くそ文化論

 しかし鼻くそは、気になる。どうしてか?

 私は、頭の中で、鼻くそ文化論を考え始めていた。鼻くそは、文化か否(いな)か、と。

 ほかに不快感を与えるものに、立小便や腸内ガスなどがある。頭のフケや体臭も、不快感を
他人に与える。人によって、その受ける不快感の大きさは、ちがう。

 総じて言えば、文化とは、そうした不快感からの解放を意味する。より高い人間性を求めるこ
とによって、自ら動物的な野卑性を、自分から切り離していく。たとえばその電車でも、私たち
が乗りこむとき、横から強引に割りこんできた、女性の一群がいた。年齢は60歳前後だったと
思う。

 それを見たときも、やはり不快というより、不愉快だった。そこに野卑性を感じたためではな
かったか。

 が、その反対もある。私が住む浜松市には、一万人を超える南米からの人たちが、住んでい
る。そういう人たちは、あたりかまわず、男女が抱きあい、キスをする。野卑と言えば野卑だ
が、しかし、それは本当に野卑といえるのかという問題もある。

 今から30〜50年前には、想像もつかなかった光景である。つまり、キスはよいが、鼻くそを
ほじるのは悪い? つきつめて考えていくと、では文化とは何かという問題にまで発展してしま
う。

●ワイフ

 男はまだ、鼻くそをほじりつづけていた。スーツは、高級ではないにしても、それなりに立派な
ものだった。どこかの大手の自動車会社に勤めるサラリーマンといった感じがした。

 時間にすれば、30分以上。あと少しで、終点の岡崎駅へ着く。そんなとき、その男は、一つ
の駅で、大きな買い物袋をもちなおすと、あわてて電車から飛び出していった。とたん、私の体
から、緊張感が抜けた。

私「なあ、お前、見てたか?」
ワイフ「何を?」
私「今の男ね、30分も、鼻くそをほじっていたよ」
ワイフ「気づかなかったわ」
私「気づかなかったってエ?」と。

 私は何度も、目で合図した。「見ろ、見ろ」と。それにワイフは、気づかなかったというのだ。

私「だから、合図しただろ?」
ワイフ「何を?」
私「だからさ、前の男が、鼻くそをほじっていると、合図をしただろ?」
ワイフ「何だ、その合図だったの。私、意味がわからなかった……」
私「だからお前は、バカだ」と。

 ワイフの頭の中は、どういう構造になっているのだろう。のんきというか、鈍感というか。しか
し気にならない人には、気にならないようだ。ワイフも、その1人。昔から私のワイフは、そうい
う女性である。

 ……ということで、岡崎の駅で、私は電車からおりると、思いっきり、自分のジャンパーをはた
いた。どこかに男の鼻くそが、ついているような気がしたからである。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●BWのみなさんへ

 裏切られても、裏切られても、最後まで、信ずる。これが子どもをもつ親と交際するときの、
最終的に残された、大鉄則である。

 要するに、はじめから、「無」の状態でつきあう。「これだけのことをしてやったのだから……」
式の期待は、しない。相手は、親。子育てのことで、頭がいっぱい。時間的にも体力的にも、余
裕はない。いわんや、教師の心情を察するだけのゆとりなど、ない。

 子育ては、まさに戦争なのだ。

 だから、「最後まで、信ずる」。一見、裏切られたかのように見えるのは、それだけ、こちら側
の思いが伝わっていなかっただけと、みる。

 はっきり言おう。どんな親でも、自分の子どもには、善人でいようとする。だから自分の子ども
に関係する世界で、悪人になる親は、いない。仮に外の世界で、悪人(?)であっても、子ども
の世界では、みな、善人になる。

 昔、こんなことがあった。

 その子ども(年中児)の父親は、この地方でも、最大級と言われる、ある暴力団の親分だっ
た。そそしてその地域で、その地域の住民たちが、その親が組織する組事務所に対して、追
放運動を繰りかえしていた。

 学校側は、「危険だから」という理由で、父母同伴の集団登校、下校を指導するようになっ
た。それについて、たまたまその子どもの祖母が、私の家に来て、こう言った。

 「私らも、子どもの親です。いくらなんでも、人様の子どもに手を出すようなことなんか、するは
ずはないでしょ」「父親のしていることと、子どもたちとは、関係、ありません」と。

 その祖母は、私やワイフの前で、そう言いながら、涙をポロポロと流していた。

 ただ、正直言って、「裏切られた」と感ずることはある。ないわけではない。しかし、そのほとん
どは、親側の不注意か、無知によるものである。きちんと説明すれば、ほとんどのばあい、誤
解は解ける。

 その誤解を解かないまま、「裏切られた」と騒ぐのは、それこそ、今度は、教師側の誤解とい
うことになる。

 しかし若いころには、私は、それがわからなかった。そのため、よく、心は、ボロボロになっ
た。ズタズタにされたと感じたこともある。が、あるときから、こう考えた。「どうせ同じことを毎
年、繰りかえすなら、少しは利口になろう」と。

 そんなとき、ある教師が、何かの席で、こう教えてくれた。「10%のニヒリズム」と。

 つまり、「教師たるものは、最後の10%は、自分のためにとっておけ」と。わかりやすく言え
ば、いくら教育に全力投球しても、100%、投球してはいけない。最後の10%は、残しておけ
と。

 裏切られることもあるから、覚悟しておけということか。私は、そう解釈した。

 たしかにそれは事実で、かつ、この「10%のニヒリズム」は、何も、「教育」の世界だけにかぎ
った話ではない。サラリーマンにせよ、自営業にせよ、(給料というお金)をもらって仕事をする
人は、そうした(割り切り)は、つきもの。心のどこかでしなければ、仕事など、できない。

 が、やはり、少なくとも子どもの世界では、「裏切られても、裏切られても、最後まで、信ず
る」。もともとそうするしかない世界だから、そうするしかない。悩んだり、不愉快に思う分だけ、
時間のムダ。

 ……ということで、もう35年になる。

 「今年度で、教室(BW)も、おしまいだなあ」と、毎年、年度末になると思う。しかしその年度
末になると、「あの人が……?」「この人が……?」と思うような人が、生徒をつれてきてくれる。
そうして、また新しい年を迎える。

 そのとき私は、こう確信する。「信じていて、よかった」と。(本当のところは、「信ずる」というよ
り、「はじめから、疑っていない」ということかもしれない。)

 詳しくは書けないが、昨日も、そういうことがあった。うれしかった。本当にうれしかった。

 さっそくワイフに電話をして報告すると、ワイフは、すなおにそれを喜んでくれた。

 こうして私の3月は終わり、やがて4月を迎える。BWのみなさん、これからもよろしくお願いし
ます。+ありがとうございます!!

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●子どもの希望

 今度(05年)、浜松市の男女共同参画推進協会が、子どもたちの意識調査をした。それによ
ると、結果は、つぎのようであった(協会の広報「あい」より)。

○男子のなりたい職業(小学生)

 サッカー選手
 プロ野球選手 
 パン屋
 お笑い芸人
 医者

○男子のなりたい職業(中学生)

 コンピュータ関係
 医療関係
 建築関係
 プロスポーツ選手
 カメラマン
 公務員
 漫画家

++++++++++++++++++

○女子のなりたい職業(小学生)

 パティシエ
 保育士
 美容師
 教師
 トリマー
 ネイルアート

○女子のなりたい職業(中学生)

 デザイナー
 保育士
 薬剤師
 教師
 歯科衛生士
 パティシエ
 トリマー
 美容師
 アニメ関係

++++++++++++++++++

 この中に出てくる、「パティシエ」というのは、フランス語で、「菓子職人」をいう。ふつう「ケーキ
屋さん」をいう。

 もっとも、こうした将来に対する希望をもっている子どもは、小学生で、82〜85%。中学生
で、78〜77%だそうだ(同、調査)。残りの子どもたちは、「将来、どんな仕事をしたいか考え
たことがない」そうだ。

 そういう子どもたちは、ただ漠然(ばくぜん)と、学校へ通っているだけ?

 ……ということでは、いろいろな問題が起きてくる。昔とちがって、いい高校、いい大学へ入る
ことは、今では、ステータスでも何でもない。ただ「勉強しなさい」と追いまくられた子どもほど、
高校や大学へ入ったとたん、目標を見失う。わかりやすく言えば、宙ぶらりんになる。

 燃え尽き症候群や、荷おろし症候群に、おちいる子どもも出てくる。

 が、それだけではない。こうした子どもは、夢や目標がないから、誘惑にも弱くなる。ちょっと
したきっかけで、悪の道に入ったりする。もともと勉強する目的をもっていないから、当然といえ
ば、当然。大学へ入ったあとは、ただひたすら、遊ぶ。

 (これについては、役割形成論、役割混乱論で詳しく書いた。)

 で、順に、子どもの希望について、考えてみよう。

 「お笑い芸人」「公務員」「トリマー」というのが、ユニークなところ。そう言えば、ワイフの友人
で、50歳をすぎてから、そのトリマーを始めて、大成功している人がいる。最初は、自宅で、近
所の犬やネコのトリマーをしていたのだそうだ。

 が、今では……! 「たった4、5年で、そうなったのよ」とワイフは言っているが、私もトリマー
をすればよかった……というのは、ねたみかも?

 これからの日本では、どんな職業が、よい職業で、またどんな職業が、そうでないか、それ
が、ますますわかりにくくなってくるだろう。「お金を稼ぐ」というのは、あくまでも手段。大切なこ
とは、そのお金で、いかに自分の人生を充実させるか、だ。

 職業についての上下意識、つまりは身分制度は、さらに崩壊する。だいたいにおいて、職業
に、上下意識があるということ自体、バカげている。今でも、50歳以上の人には、そういうバカ
げた意識が残っていて、ときどき、「○○(職業名)のくせに」とか、「ロクな仕事もしていないくせ
に」という言葉を、聞く。

 ただ、「お笑い芸人」について、一言。もともと、そのレベルの人が、そのレベルの「芸」をして
も、おかしくも何ともない。人を笑わすというのは、最高に知的な「芸」である。その「知力」をみ
がくのは、たいへんなこと。もともとアホな人(失礼!)が、アホなことをしても、人は笑わない。
ときに、見ているだけで、「同じ人間か?」と、さみしくなることさえ、ある。

 パティシエや、ネイルアートをめざすくらいなら、どうして、彫刻家や画家をめざさないのか…
…と考えるのは、ヤボなことかも。日本には、そういう人を生かし、育てていく土壌そのものが
ない。

 子どもたちの意識調査を読んで、そんなことを考えた。
(050323)
(はやし浩司 子供の夢 希望 希望職業 子どもの夢 意識調査 職業 希望する職業)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●「基礎学力」という亡霊

 教育界の伝家の宝刀、それが「基礎学力」という名前の亡霊。この一言を提示されると、この
日本では、まさに泣く子も黙る。

 しかし基礎学力とは何か。まだ文字を読めない民や、まじないや、占いに人生を託していた
明治のはじめならいざ知らず、今は、そういう時代でもない。

 読み、書き、ある程度の算術を、昔は、「基礎学力」といった。それはわかる。しかし一次方
程式や二次方程式が、どうして基礎学力なのか。いまだに、私は、それがわからない。

 もちろん、それを理解し、将来、数学者や科学者になるという目的をもっている子どもは、
別。理科系の大学へ入って、そこで何かの計算に使うというのであれば、別。

 しかしその能力に不足し、四苦八苦しながら、悩んだり苦しんだりしている子どもを見ている
と、私は、ふと、こう思ってしまう。「なぜ、こんな勉強で、子どもを苦しめなければならないの
か」「こういう子どもは、時間を、もっと別のことに使ったほうがいいのにな」と。

 オーストラリアのグラマースクール(全寮制の小・中・高一貫校)などでは、子ども、1人ひとり
に合わせて、カリキュラムを組んでくれる。水泳が得意な子どもは、毎日水泳のレッスンが受け
られるように、木工が好きな子どもは、毎日、木工ができるように、と。

 それが世界の常識で、日本のように、北海道から沖縄まで、まるで金太郎飴のアメのよう
に、一律一斉授業をするほうが、おかしい。おかしいものは、おかしいのであって、それ以外
に、何とも言いようがない。

 子どもの多様性にあわせて、教育も、多様化すべきときにきているし。いわゆる基礎学力に
こだわる理由は、もうない。

 大切なことは、何度も書くが、自分で考えて、自分で道を切り開いていく力である。その力さえ
あれば、子どもは、おとなになってからも、自分の力で、自分で伸びていく。概して言えば、日本
人は、学校を卒業すると同時に、大学であれ、高校であれ、「これで勉強は終わった」と考えや
すい。

 つまりそういうふうに、「終わった」と思わせてしまうところに、日本の教育の最大の欠陥があ
る。

 今でもこの「基礎学力」という言葉を使って、子どもの学力を問題にする人は多い。もしこの
言葉を言いかえるとしたら、たとえば基礎常識、基礎思考力、基礎共鳴力、基礎人間関係、基
礎判断力などと言えばよい。

 で、最近は、「子どもの学力が低下している」と、よく話題になる。たしかにそのとおりである。

 たとえば今では、掛け算の九九が使いこなせない中学生や、分数の計算ができない大学生
など、珍しくも、何ともない。しかしそれが子どもの問題ではなく、教育システムの問題である。
もっと言えば、子どもを教える教師の情熱の問題である。

 では、どうすれば教師の情熱を絶やさず、燃やしつづけることができるのか。わかりやすく言
えば、どうすれば教師のやる気を引きだすことができるかということになる。

 私は方法としては、つぎの3つを考える。

(1)教育の自由化(教師の自由裁量範囲の増大)
(2)教育以外の雑務からの解放
(3)絶壁化(職場環境のきびしさ)

 ここでいう「絶壁化」というのは、極端なケースとしては、5年ごと、あるいは3年ごとの、雇用
契約の更新性などがある。(これは極端な話に聞こえるかもしれないが、欧米では、常識。)

 誤解してはいけないのは、「基礎学力の低下」は、あくまでも、「結果」であるということ。「原
因」を正さないでおいて、「結果」ばかり問題にしても、意味はない。いわんや、あたかも子ども
自身に問題があるような言い方には、私は、どうしても、納得できない。

 なお、もう一言、つけ加えるなら、親たちは、子どもの学力の低下など、心配していない。親た
ちが心配しているのは、自分の子どもが、この受験競争社会で、より不利になることを、心配し
ている。それを誤解してはいけない。
(はやし浩司 基礎学力)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司
+++++著作権BYはやし浩司++++++copy right by Hiroshi Hayashi+++++

小説【万華寺】

●田舎の駅 

 列車は、山あいのトンネルをいくつか抜けて、丘の上の小さな駅に着いた。どこにでもあるよ
うな、小さな山の駅である。灰色の小さな木造の無人駅。すすけた色のタイルの瓦。改札口
は、だらしなく開いたままだった。

 私とワイフは、その駅でおりた。春の薄曇の日で、どこか肌寒い風が、山の上から、やさしく
吹きおろしていた。電車が遠ざかるのを感じながら、私たちは駅の外に出た。

 角に小さな食堂らしきものはあったが、汚れたカーテンが、内側からたれさがったまま。陳列
ケースはからのままだった。小屋根の上の看板には、「山広食堂」とあった。

 「どっちへ行く?」と、ワイフが聞いた。

 駅前からは、線路に沿って左右にのびる2本の自動車道と、まっすぐ前にのびる1本の道が
あった。細い路地だった。食堂の反対側の角地は、空き地になっていて、何台かさびた自転車
が放置してあった。私は、まっすぐ前に向って歩き出した。

 「こんなところに、万華寺なんてあるんだろうか?」と私。ふと、心細くなった。「とにかく、だれ
かに聞いてみなければ……」と。

 路地へ入ると、何軒かの民家にはさまれた。人の気配はない。私たちは1軒1軒を確かめる
ようにして、前に進んだ。と、そのとき、ワイフがこう言った。

 「あら、駅がないわ?」と。

 振りかえると、そこに見えるはずの駅がない。かわりに、今まで前に見えていた景色が、そこ
に広がっていた。

 よく見ると、ちょうど私たちが立っているところを境に、鏡で映すように、うしろに前の景色が、
そこにあった。私はどうしてそうしたかはわからないが、両手を前にさしだすと、そのあたりの
空気を手でたたいてみた。

 鏡がそこにあるのではと思った。しかし、何もなかった。

私「駅は、どこへ消えたのだろう?」
ワイフ「前も、うしろも、同じ景色よ」
私「わかっている……」と。

 私は数歩、前に進んでみた。本当のところは、どちらが前なのか、もうわからなくなっていた。
しかし立ち止まっていることもできなかった。

 景色は変わらなかった。で、さらに歩いてみた。ワイフは、「おかしいわね」という表情をしたま
ま、私の腕に、自分の手をからませてきた。

●万華寺

 私たちはあとずさりするかのように、そのまま歩きつづけた。いつか読んだ案内書によれば、
万華寺は、駅の前から歩いて5分ほどのところにあるということだった。「小さな山寺」ということ
だったが、その町全体が、山にすっぽりと包まれていた。

 かわいた風が、また頬をなでた。私たちは歩きながら、何度か、うしろを見た。しかし、歩けば
歩くほど、うしろの景色が、私たちに近づいてきた。

 「どうなっているの?」と私が聞くと、ワイフが楽しそうな声で、「私たち、鏡のガラスの中にい
るみたい」と言った。

 私は、万華寺は、手前の山の中にあると直感した。両側の家々は、その寺につづく、門前町
のような感じがした。昔は、多くの人出でにぎわったのだろう。旅館らしき建物もいくつか、通り
すぎた。

 が、最後の横丁を渡り、枯れ木のまざる林を抜けたとき、私は二度目に驚いた。やや開けた
盆地の中に、場ちがいなほど大きな寺がそこにあった。

 「あれが万華寺だよ、きっと……」と。ワイフも目ざとく山門を見つけ、「そうよ」と言った。そこ
には、「黎明山・万華寺」とあった。

●出迎え

 何人かの人がいた。いや、もっと多かった。10人、20人、いや、50人!

 1人が私のところにやってきて、こう言った。「林さんですね。お待ちしていました」と。が、私に
は、そんな約束をした覚えはない。ないばかりか、その男は、境内にたむろする何人かの男た
ちに向ってこう言った。

 「設計士の林さんが、おいでになったぞオ」と。

 私は、その場の雰囲気にのまれて、そのまま、境内の中へ、足を踏み入れた。

男「やあ、お疲れ様です。遠いところをすみません」

 私は、その男の顔をよく知っていた。中学時代の同級生の宮本だった。「宮本じゃないか?」
と私が言うと、その男は軽く笑って、「よく覚えていてくれましたね、林さん……いや、林君。久し
ぶりだなあ」と。

 しかし宮本は、中学生のままだった。それに見ると、どの男たちも、みな、どこかで会ったよう
な人たちばかり。

 子どものころ、いつも行った駄菓子屋の男もいる。バスの運転手もいる。それに直接、教わ
ったことはなかったが、大学の教授もいる。

 「設計図どおり、できましたか?」と、私。そう言いながら、いつの間にか、自分が設計士にな
っているのを知った。たしかに見覚えのある寺である。

 中央に大屋根があり、左右に、服のそでのように、小屋根がつづく。それらがバランスよく調
和して、鳥が羽を広げているようにも見える。

 柱は、どれも丸みをおびた朱色をしていた。

●バザー 

 1人、赤ら顔の大きな男がいた。その男だけが、袈裟をまとっていた。寺の住職である。近づ
くと、住職が、パソコンを片手にもっていた。

 「安物ですが、ワープロとして使うには問題ありません」と、住職は言った。
 「いくらですか?」と私。
 「いや、5500円なんですよ」
 「5500円? それは安い」と。

 本堂の前では、何人かの女性たちが、バザーを開いていた。その中に、そのパソコンが、山
積みになっていた。ほかにも、いろいろな機種があった。

 私は住職がもっていたのと同じパソコンを見つけた。メモリーカードのスロットも、ちゃんとつ
いている。「こんなら使える」と私は思った。

 住職は、うれしそうな顔をして、そのパソコンのキーをたたいていた。

 気がつくと、私とワイフは、いつの間にか、本堂の中に立っていた。

●本堂の中

 そのとき、バッグのなかの携帯電話が揺れた。取り出して耳にあてると、ワイフの声だった。

私「もしもし……?」
ワイフ「あなた、どこにいるの?」
私「どこにって、万華寺だよ」
ワイフ「どこへ行ってしまったかと、心配してたのよ」
私「どこって、お前といっしょに来たじゃないか」
ワイフ「何、言ってるのよ。私はここよ」
私「どこ?」
ワイフ「駅の中よ」と。

 横を見ると、そこにワイフが立っていた。何食わぬ顔をして、高い天井を見あげている。

私「どうして駅にいるの?」
ワイフ「あなただけ、どこかへ行ってしまったからよ」
私「お前と来たじゃない?」
ワイフ「どこへ?」
私「万華寺だよ。お前もここにいるよ」と。

 私は電話を切った。いたずらだと思った。それにワイフは、携帯電話など、もっていない。

私「いま、お前から、電話があった」
ワイフ「あら、そう。私はしないわ」
私「だろ? おかしな電話だ」
ワイフ「ねえ、それより、天井を見て。あそこに、大きな穴があいているわ」
私「ああ、あの穴ね。最後の仕上げに、大黒柱を通す穴だよ」と。

 穴からは、まばゆいばかりの光が、本堂の中に流れていた。

 私もワイフといっしょに、天井を見あげていた。多くの男たちが祭りのように騒ぎながら、その
大黒柱をロープでもちあげるところだった。

●大黒柱

 宮本が、またやってきた。小柄な男で、度の強いメガネをかけていた。作業服の上に、ラッパ
をかついでいた。大きなラッパだった。そのラッパの音を合図にして、みなが、いっせいに大黒
柱を立てるということだった。

 しかし大きな柱だった。その柱も朱色に塗ってあった。と、そのときだった。その大黒柱が、
床をつきぬけて、下へ、ドスンと落ちた。とんでもない、ドジである。私は笑った。みなも、笑っ
た。見ると、ワイフが、あろうことか、その大黒柱のてっぺんに立って、扇(おうぎ)を振って、踊
っているではないか。

 「おりてこい、あぶないから」と私は叫んだ。しかしワイフは、楽しそうだった。

 私は大黒柱を、両手でかかえた。かかえて、あるべきところに、ヨイショと置いた。それを見
て、みなが、「さずが、設計士さん!」と言って、手をたたいた。悪い気はしなかった。

 住職は、相変わらずパソコンをいじっていた。ノートよりは少し大きいが、開くと、キーの大き
さが、2倍以上に拡大する機能をそなえていた。「これなら、キーを打ちやすい」と、住職は言っ
た。

 私もいつの間にか、そのパソコンを買っていた。

●万華鏡 

 万華寺の壁は、すべて鏡でできていた。そこへ大黒柱の朱色が、きれいに映っていた。そし
て天井から差しこんだ無数の光が、一度大黒柱で反射したあと、鏡の上でキラキラと、これま
た無数の模様を作りだしていた。

 「ここは万華寺でね」と住職。
 「そうですね」と私。

 鏡の壁には、その人の過去や未来が、すべて映し出されるという。もちろんそれを見る人の
角度によって、すべて模様がちがう。

 気がつくと、本堂の中には、もうだれもいなかった。静かだった。ガラーンとした空間だけが、
そこにあった。

 白い光、青い光、黄色い光……それが、ぼんやりとしたシルエットをつくり、その中に、見覚え
のある顔や景色が、浮かんできた。

 黒い影の中には、ゴム靴もある。傘もある。子どものころかぶった野球帽もある。ジャイアン
ツの「G」のマークが、光っている。

 川の中で見た魚。小石。泳ぐときに吐き出す、息の泡。青い空、白い雲。そして仲間たちの
歓声。

 旅行先で見た、ダム。そこに立つ先輩。道端でみたコスモスの花、そして下宿のおばさん。お
じさん。ヒッチハイクで乗ったトラックなどなど。

 キラキラと輝きながら、白い光に吸いこまれたり、現われたりする。

 息子たちと、神津島へ行った日々や、バス旅行をした日々など。ワイフとアメリカを旅行した
日々や、それに自転車のかごにおもちゃを乗せて走る私。家に帰ると、息子たちが、「パパ、
お帰り〜」と、私の胸に飛びついてきた。

 私はいつしか目を閉じたまま、壁に映し出される万華の世界に、心をなぐさめていた。美しく
も、もの悲しく、それでいて、心温まる世界だった。

 私の未来……?

 それは見なかった。そこにあったような気がしたが、わざと見なかった。住職は、「未来も見え
る」と言ったが、見なかった。

●現実

 ゴトンと、電車が揺れた。前の席に座っていた女の子も、いつの間にか、眠っていた。が、私
は、目をさました。

 再びゴトンと、電車が動き出したとき、私は、夢を見ていたことに気づいた。ワイフも横にい
て、眠っていた。

 私は再び、目を閉じた。閉じながら、電車が少しずつ速度をあげていくのを感じた。と、そのと
き、ワイフが、私から体を離した。目をさましたらしい。

 「今、止まった駅を知っている」と私。
 「どこだったの?」とワイフ。

 私は、遠くに見える山々の間を見ながら、「万華寺という名前の駅だったよ」と答えた。

 ワイフは、それを聞いて、「フ〜ン」と言って、また目を閉じた。春のうららかな、暖かい日差し
が、窓からときどき私やワイフの顔を照らした。

 私も、再び、そのまま眠ってしまった。

 それからまた、私は夢を見たようだったが、今度は別の夢だった。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(608)

●新型パソコン

 超高性能のパソコンを購入して、もう1週間。調子はよい。それまではHPの(読み出しと保
存)に、6〜7時間もかかっていたが、3時間程度ですむようになった。

 少し期待はずれだったが、(私は、もっと早くできるようになるかと思っていたが)、まあ、納得
のいく範囲。メモリーを、1024MBもつけたので、いくつかの作業を同時にしても、スイスイと
いった感じ。

 それにマイクロソフト社の、フライトシムュレーターも、快調に動く。よかった。うれしかった。こ
れで私も、一人前。

 ついでに、HPのデザインを変えてみた。これは楽しかった。

 これなら、これから先、2〜3年は、使えそう。そのころには、パソコンも、もっと高性能になっ
ているはず。そのころには、64ビットマシンが、主流になっていることだろう。しかしそれにして
も、すごい進歩だ。


●息子が宮崎に

 息子が近く、宮崎のK大に行く。今、その準備で忙しそう。こうして子どもたちは、親から遠ざ
かり、巣立っていく。親は、それを見送るしかない。

 それは淡くもさみしく、切ない瞬間でもある。子育てが終わったとき、どっと、肩にのしかかっ
てくるのは、老後の重み。

 昨日、その息子とドライブをしながら、こう言った。

 「お前は、夢を果たして、パイロットになる。事故で死んだとしても、パパは、お前のために
は、涙を流さないよ。親として、その覚悟はできている。いっしょに死ぬ、客のために涙を流す
よ。お前が死ぬのは、それお前の勝手だからね。でもね、お願いだから、気をつけて、死ぬな
よ」と。


●春休み

 もうすぐ春休み。今年も、いろいろあって、たいしたことはできない。本当は、ワイフとオースト
ラリアへ行くつもりだったが、ボケ兄の介護で、流れてしまった。

 育児サイトが、いつの間にか、介護サイトになってしまった。多くの方から、ご意見や励ましを
もらった。うれしかったと同時に、その反響の大きさに驚いた。

 みなさん、同じ問題をかかえ、同じようにがんばっていることを知り、本当になぐさめられた。

 これから先、日本はますます老齢社会を迎える。今度は、私たちが、若い人たちに迷惑をか
けることになる。体はともかくも、頭と精神は、いつまでも若々しく保ちたい。そのためにも、どう
かどうか、私のマガジンを役立ててほしい。

 みなさんも、いつまでも、いつまでも、お元気で! マガジンのご購読に心から感謝してしま
す。ありがとうございます!!!!

+++++著作権BYはやし浩司+++++copy right by Hiroshi Hayashi+++++※
++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●知力と人格

 「自分が絶対、正しい」「自分の考えこそが、世界一である」「世の中のみなは、愚か者であ
る」「自分こそ、大切にされるべき人間である」「私は、それにふさわしい人としか、交際しない」
と。

 そうした思いが強すぎるあまり、他人と、良好な人間関係を結べなくなる。心を開くことができ
ないため、友人は少ない。いても、1人か2人。あるいはゼロ。

 こうした症状がみられたら、自己愛性人格障害者の特徴と考えてよい(参考、DSM−IV)。

 DSM−IVの診断基準によれば、つぎのような症状が見られたら、自己愛性人格障害の疑い
があるという(簡略版)。

(1)自己の重要性に対する誇大な感覚
(2)限りない成功、権力、才気などへの空想にとらわれている。
(3)自分が特別であり、特別であるという感覚が強い。
(4)過剰な賞賛を求める。
(5)特権意識が強く、自分の期待に自動的に従うよう求める。
(6)対人関係で、人を不当に利用する。
(7)共感の欠如。他人の気持ちを理解しようとしない。
(8)しばしば嫉妬する。嫉妬深い。
(9)尊大で傲慢な行動。または態度。

 全体に虚栄心が強く、世間体を異常に気にして、自分を飾る。そして自分を批判したり、否定
したりする人に対しては、徹底した攻撃性をみせる(=自己愛型人間の特徴)。わかりやすく言
えば、心に余裕がない。

 そういう自分の欠点をカバーするため、このタイプの人は、人前では、人一倍、いい人ぶった
り、豪放にふるまったりする。大物ぶったり、寛大な様子を示すこともある。しかしそれらは計
算され、演技されたものである。

 しかし内面世界は、孤独。「頼れるのは自分だけ」「渡る世間は、鬼ばかり」「どうせ生きるの
も死ぬのも、ひとり」というような考え方をする。つまり猜疑心(さいぎしん)が強く、他人を信じな
い。……信じられない。それが冒頭にあげたような症状となって、外に現れる。

 こうした自己愛性人格障害は、加齢とともに、つまり頭のボケとともに、だれにでも、現れるも
のなのか。少なくとも、人は、年をとればとるほど、人格的に後退することはあっても、前進する
ことはない。

 そういう意味では、人間の知的能力と、精神的完成度は、密接に関連している? もちろん
知的能力がすぐれているから、精神の完成度も高いということではない。が、知的能力が低下
すると、それにあわせて精神の完成度も低くなるというのは、どうやら事実のようである。

 このことは、老人を観察していると、よくわかる。

 ある女性(60歳くらい)は、このところ、ますますがんこになってきた。融通がきかなくなってき
た。我が強くなってきた。だれかが何かのことでアドバイスをしても、その相手の話をじゅうぶん
聞く前に、即座に、それを否定してしまう。

A氏「お宅の角に、自動販売機を置いてみたらいかかでしょうか」
女性「だめです。近所に動販売機が、たくさんあります」
A氏「何か特徴のある商品なら、売れると思うのですが……」
女性「そんなものは、ありません」と。

 ふつうなら、「そうですねエ……」「どんなものが売れるでしょうかねエ……」という会話になる
ようなところで、そうなる。で、一度、そうなると、会話そのものが、途切れてしまう。

 このことをワイフに話すと、ワイフも、こう言った。

 「年をとると、住む世界が小さくなるということかしら……」と。

 そこで私なりに、加齢にともなう、知的能力と人格の低下の関係について、まとめてみた。

(1)理解力、洞察力の低下(相手の心が理解できない。)
(2)同調性、協調性の低下(相手の心に自分を合わせることができない。)
(3)融通性、柔軟性の低下(臨機応変に頭を切りかえることができない。)
(4)判断力、決断力の低下(どう結論を出したらよいのか、わからなくなる。)

 こうした能力の低下が、(がんこさ)や、(わがまま)となって、外に現れてくる。が、問題は、そ
して私たちにとって切実な問題は、ではどうすれば、それを防ぐことができるか、ということにな
る。

 恩師のT教授は、50歳を過ぎてから中国語の勉強を始め、60歳くらいのときに、中国のペ
キンで行われた学会で、中国語で、講演をしている。そういうまねは、私たちには、なかなかで
きないが、しかしそれに近いことなら、できる。

 そういう点では、何度も繰りかえすが、人格論は、健康論に似ている。毎日の運動をやめた
とたん、健康は、その時点から後退する。

 その人の人格も、毎日の鍛錬をやめたとたん。その時点から後退する。そのカギを握るの
が、知力の鍛錬ということになる。

 要するに、年をとればとるほど、頭を使うということか。覚えてもすぐ忘れてしまったりして、一
見、ムダなように見えるかもしれないが、それでも頭は使う。そういう姿勢が基本にあって、そ
の人の人格も、維持される。

 もう私のような年齢になると、たとえばテニスクラブに通っても、「いつか、大会で優勝して…
…」などという気持ちは、起きてこない。そういう野心は消える。

 同じように知力を使っても、「文芸賞をとって……」などという気持ちは、起きてこない。そうい
う野心も消える。

 ただ、少なくとも、息子たちには、迷惑をかけたくない。簡単に「ボケ老人の介護」とは言う
が、それがいかに心労をともなった、重労働であるか。それを知るからこそ、息子たちには、そ
ういう迷惑をかけたくない。

 だからこそ、ギリギリの、そのギリギリまで、自分の人格を維持したい。そのためにも、何の
役にたつということはないにしても、知力をみがいていきたい。

 ……と自分に言って聞かせて、この話は、ここでおしまい。これ以上のことを書く自信は、今
の私にはない。

(補記)

 ところで今、気がついたが、こんなことは言える。

 よく別のことで有名になった人たちが、何かの救済運動に借りだされて、その種の活動をして
みせることがある。

 貧しい国の難民の人たちを救う運動とか、戦争孤児の子どもたちを救うためのボランティア
活動とか、など。

 あれなどは、まさに偽善中の偽善。「中には、そうでない人もいるが……」と書きたいが、私
は、そのほとんどが、そうでないかと思っている。で、ああした有名人たちが、さも善人であるか
のような顔をして、自分の活動を誇示したり、あるいは、月刊誌や週刊誌を飾ったりするのを、
私は、どうしても許せない。

 若いときや、有名になる前から、そういう活動を始め、その実績があり、その結果として、そう
いう活動が紹介されるなら、話は別。そういった実績もないまま、ある日突然から、善人を演ず
るのは、本当に苦しんでいる人たちに対する冒涜(ぼうとく)であると同時に、まじめな気持ち
で、活動に取り組んでいる人たちに対しても、失敬というもの。

 心理学の世界にも、「愛他的自己愛」という言葉がある。「他人を愛するフリをして、自分がす
ぐれた人間であると、見せかけること」をいう。

 そうした団体としても、そういった有名人を起用して、自分たちの活動を誇示したいのだろう
が、もしそうなら、その団体そのものが、偽善団体と断言してよい。本当に苦しんでいる人を、
自分たちの名誉や利権のために、利用しているだけ。

 草の根で、親身になって活動している人もいるはず。人知れず、陰に隠れて、活動している
人もいるはず。またそういう人たちほど、目立たない。静か。ドロまるけ。そういう人たちからす
ると、こうした偽善ほど、腹立たしいものはない。どうして、そんなことがわからないのか。

 日本よ、日本人よ、もっと、みんなで力をあわせて、おとなになろう。偽善を見抜く力を養お
う!

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(609)

【最近・あれこれ】

●「飛び級学習」の進め方

 「最高」という言葉は、軽々しくは、使えない。しかし私の35年の経験から、今のところ、つぎ
のような指導法が、最高にすぐれていると思う。

 子どもにある程度の方向性が見え、体力と知力がついてきたら、つまり精神的なタフさが身
についてきたら、上級生の間にすわらせて、自習させる。子どもは、こうして上級生の勉強ぶり
を見ながら、(勉強グセ)を、上級生から受けつぐ。

 この方法は、イギリスのカレッジ制度の中で、伝統的に取り入れられている方法である。教授
や助教授、講師が学生に教えるのではなく、2、3年、年長の上級生が、下級生にものを教え
る。

 たいていは、夕食前の午後、あるいは夕食後の夜ということになるが、カレッジの中には、そ
のための講義室も、ちゃんと用意してある。

 ここで「体力と知力」と書いたが、それには、理由がある。

 上級生と学習するというのは、それだけでも、かなりの精神的な緊張感と負担をともなう。そ
の緊張感に耐えられるような体力は、必要である。たとえば小学1〜3年生では、無理。へたを
すれば、アカデミックな雰囲気がこわれてしまう。子どもも自信をなくしてしまうこともある。

 決して無理をしてはいけない。慎重に、子どもの様子を見ながら、判断する。

 つぎに「知力」。もともと勉強から逃げ腰の子どもには、この方法は、かえって、子どもにとっ
て、大きな負担になってしまう。

 そこで私のばあいは、そういう学習方法を想定しながら、その数か月〜1年前から、その準
備にかかる。プラスの暗示をかけながら、子どもを前向きに引っ張っていく。そして最終的に
は、「君は、一度、大きい人たちと、いっしょに勉強してみないか」と、誘ってみる。

 子どもはその時点で、大喜びをする。が、そういう様子を見せたら、しめたもの。あとは励まし
ながら、そのクラスになじませていく。

 具体的には、最初の数週間は、好きな勉強をさせる。学校の宿題でも何でもよい。「好きな
勉強をしなさい」「わからないところがあったら、もってきなさい」とだけ、指示する。

 あとは、子ども自身がもつ、伸びる力に任せる。

 この方法がきわめてすぐれている点は、子どもは、自分で、自分の学習進度を決め、自分で
学んでいくということ。結果的に、算数の教科書くらいだったら、1、2か月で学んでしまう。つま
り1年分を、数か月で終えてしまう。

 あとはワークブックで補充したりしながら、つぎの学年へと導いていく。

 こうした方法で、現在(05)、たとえば小学4、5年生でも、中学3年生レベルの学習をしてい
る子どもがいる。小学3年生で、中学1年生レベルの学習をしている子どもがいる。

 そのため、私の教室では、小学校の高学年では、それぞれの子どもをバラバラに編成しなお
してしまう。

 たとえば小学3年生で、8人いたとする。そういう子どもを、その子どもの特性に合わせて、そ
れぞれ別々のクラスに入れてしまう。

 同学年の子どもを一つの教室に集めて、いっせいレッスンをするのは、教える側としては、効
率もよく、楽かもしれないが、そういった教育法では、すぐ限界にぶつかってしまう。

 とくによくできる子や、とくにそうでない子どもにとっては、かえってマイナスになることが多い。

 少人数だからこそできる教育法ということになる。


●春休み

 あと数日で、春休みになる。

 やりたいことは山のようにあるのだが、しかし実際、春休みになると、いつの間にか、そのま
ま終わってしまう。多分、今回も、そうなるだろう。

 運動不足には、気をつけよう。

 で、今年の春休みの目標。ワイフが、旅行をしたいと言ってがんばっているので、つきあうつ
もり。どこか静かなところが、私はいい。紀伊半島の先とか、伊豆半島の先とか。

 何か、新しいことにも、挑戦してみたい。

 何があるのだろう? まず、それをさがすところから、始めよう。そうそう、10年ほど前だった
ら、「ようし、一冊、本を出すぞ」などと意気込んだりしたもの。しかし今は、電子マガジンがあ
る。

 こちらのほうで、がんばってみる。とにかく、1000号、だ! 1000号まで、がんばる! 今
の私には、それしか、ない。

『生きる技術とは、一つの攻撃目標を選び、そこに力を集中させることである』(モロア・1885
〜1967、フランスの作家)


●この世で一番、見苦しいもの

 仏教でも、キリスト教でも、「怠惰」を、大罪の一つにあげている。実際、(怠け)ほど、見苦し
いものはない。

 何をするでもなし、しないでもなし。そんな状態で、一日を過ごす。一日だけなら、ともかくも、
毎日、毎日、そうして過ごす。

 逆に言うと、勤勉は、それ自体が美徳である。心と体の健康のためにも、よい。何かに向っ
て、コツコツと努力していく。そこに生きる人間の、美しさがある。尊さがある。

 昨夜。たまたま街中のハンバーガー・ショップで、ハンバーガーを食べた。男は、私を含め
て、二人だけ。ほかに20人ほどの客がいたが、みな、若い、高校生前後と思われる女性(女
子)ばかりだった。

 私は、その異様な光景に驚いた。

 そのだらしなさというか、不潔さというか。どの女性も、厚い化粧をしていた。イスに座ったま
ま、夢中で化粧している女性も何人か、いた。

 好色そうな目。男にむさぼりつくような、あやしげな表情。ひわいな会話に、意味のない話
題。ふつう、「若い女性は美しい」という前提で、ものを考えるが、そうした美しさは、どこにもな
かった。

 アテネで活躍した、快楽主義の哲学者は、こう書いている。

『無教養なものであるよりも、乞食のほうがまし。乞食に足らないのは金だが、無教養なものに
足らないのは、人間性だからだ』(説話)と。

 もう一歩進めると、こうなる。

『無教養なサルより、乞食のほうが、まし』と。

 私には、そこにいた若い女性たちが、そのサルに見えた。化粧と携帯電話にしか、興味がな
い。そんなふうだった。が、やはり、私には、何といっても、その退廃さが気になった。

 「どこから、その退廃さがくるのだろう?」と思った瞬間、それが「怠惰」だと気がついた。

 人生に失敗する人というのは、決まっている。

 その第一に、怠け者。夢も目標も希望もない。ただその日を、だらしなく過ごす。そういう人
は、確実に失敗する。

 「若いのになあ……」と思った。

 もっとも、そういう一部の姿だけを見て、すべてを判断してはいけない。

 たまたまその店に来ていただけかもしれない。ふだんは、勤勉で、息抜きに来ていただけか
もしれない。さらに、本当は彼女たちも何かをしたいのかもしれない。しかしその「何か」が、何
であるかわからず、苦しんでいるのかもしれない。

 そういう彼女たちでも、何か、生きがいのある仕事や課題を与えれば、水を得た魚のように、
生き生きと泳ぎだすかもしれない。

 しかし私が見たところ、正直言って、ぞっとするほど、退廃的な感じがした。ぞっとするほど、
だ。

 「どうしてああなってしまったのだろう?」と思いながら、その店を出た。


++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(610)

●歩く

 今日は、家から教室までの、約7キロを歩いた。若いころは、60分で歩いた。今日は、80
分。途中で、コンビニと本屋とパソコンショップに寄った。DVDの編集用ソフトを買った

 春休みには、DVD編集に挑戦してみよう。

 で、教室に着くころ、雪がパラつき始めた。もう3月も終わりというのに……。たまたま今日
は、EXPO'05の開会日。3月25日。寒い初日となった。

 教室に着くと、まずパソコンを開く。そしてメールを読んだあと、ワードを開いて、文を書き始
める。これがその文。近くで、また何か工事が始まったようだ。建設機械のきしむ音と、エンジ
ン音が聞こえる。(うるさい!)

 こういう町の中に住む人は、たいへんだなと、思う。静かに考える時間があるのだろうか?

(ここでウーロン茶がわいたので、飲む。一服して、今度は、ボケ兄の話。)

 来週、ボケた兄を、一度、姉のところに戻す予定。しかし姉は、生まれつき、まじめすぎるほ
ど、まじめな女性。はたして兄のめんどうをみることができるかどうか?

 私のばあい、廊下に兄の大便がころがっていても、それを笑ってすますことができる。一応
は、叱るが、「バカヤロー」で終わる。ワイフも、似たような性格。

 ボケには、知恵で戦うしかない。ボケた兄と戦うために、パソコンとカメラを連動させて、常時
監視システムも作った。水道やガスには、安全装置をつけた。ガス感知機もつけた。ドアや窓
には、目では見えないカギをつけた。電灯には、タイマーをとりつけた。トイレは、いつも、汚す
だけ汚すので、ダンボール紙で、ガードをつくった。

 何か兄が、問題を起こすたびに、そうやって対処してきた。しかし姉には、そういう能力はな
い。兄の行動の一つ一つに、大騒動を繰りかえすにちがいない。

 どうしたものか? どうしようか?

 あんなボケた兄でも、どこかで私と情がつながっている。まあ、一応、約束だから、来週、兄
を連れて帰る。

 今朝、ワイフに、「お前もいっしょに来るか?」と声をかけると、「どうしょうか……」と。ポツリ。
ワイフには、かなりの重労働だったようだ。重労働というより、神経戦(?)。

 数日前、健康診断を受けに行ったら、最高血圧が、xxもあがっていた。私は、昨年とほぼ同
じ、上が106、下が55。つまり低血圧。ワイフの健康のことを考えると、無理もできない。

 まあ、よい経験になった。よい勉強になった。が、これで戦いが終わったわけではない。まだ
まだつづく。

 運命とは、最後の最後で、ふんばるもの。決して、運命に身をゆだねてはいけない。「負ける
もんか」と笑い飛ばしたとき、運命は、向こうから退散する。その心だけは、忘れないでおこう。

(付記)

 数日前、風呂の中で兄の体を洗っているとき、兄が、こんな話をした。

 いつだったかということはわからないが、兄が、客のブレーキをなおしたことがあったという。

 しかし兄は、そのブレーキをなおすことができなかった。それを見て、その客が、あからさま
に、兄にこう言ったという。

 「お前は、たわけ(=バカ)だ。ブレーキもなおせないのか。ほかの店へ行くからいい」と。

 そのとき、あろうことか、その客が、兄の頭を、平手で殴ったというのだ。

 ポソポソと話す兄の話をつなげると、そういう話になる。兄には、そういうつらい経験があった
らしい。

 「どこのどいつだ、その男は?」と私。
 「忘れた……」と兄。
 「いいから、思い出せ。オレが復讐してやる。カタキをとってきてやるから、思い出せ」
 「忘れた」
「名前は? どこに住んでいるヤツだ?」と。

 子どものころ、兄がいじめられるたびに、私は、その復讐に出かけた。10歳年上の男でも、
容赦しなかった。そんな思い出が、記憶のどこかに残っている。

 私はそういう意味では、けんかに強かった。乱暴者だった。いつも山の中を、子分を連れて
歩いていた。多いときは、15〜20人ほど、いた。子分といっても、下は5、6歳から、上は10
歳前後まで。おかしなもので、そのときの経験が、今、幼児教育に役立っている。

 そうそうあのころは、「林の浩ちゃんとだけは、けんかをするな」が、子どもたちの合言葉にな
っていた。

 私は相手を追いつめるとき、その相手の家の中の、一番奥まで追いつめて、なぐったり、け
ったりしていた。私ににらまれたら、逃げ場がない。それでそういう合言葉が生まれたのだと思
う。

 それで今、思うのだが、最近の男の子は、ヤワだと思う。本当にヤワだと思う。私が異常だっ
たのか。それとも、今の子どもたちのほうが、おかしいのか。よくわからないが、ときどき、自分
でも、どちらがどうなのか、わからないときがある。

(しかし私も、おとなしくなったものだ。紳士的になったというか……。キバを抜かれたというか
……。ホント!)


●ショック

 中学3年生のTさん(女子)が、何を思ったか、私の顔をしげしげと見て、こう言った。「先生の
奥さん、かわいそう」と。

 「どうして?」と聞くと、「私なら、ぜったい、先生とは結婚しないわ」と。

 簡単な会話だったが、私に与えたショックは、大きかった。……と思う。それを聞いて、しばら
く、つぎの言葉が出てこなかった。

 子どもというのは、そういう意味では、正直だ。ウソや体裁を言わない。感じたままを、そのま
ま口にする。そういう言葉に対して、「失礼なことを言うな!」と、怒るほうが、まちがっている。

 「……そうだよな。そうだよ。実は、ぼくもそう思う。ぼくのワイフは、ぼくと結婚して、不幸だっ
たと思うよ。ぼくがワイフなら、ぜったいに、ぼくのような男とは結婚しないよ。自分でも、それが
わかっている……」

 「だからね、ときどき、ワイフに申しわけないと思うことがあるよ。本当だよ。ぼくのような男
が、強引に結婚させて悪かったって、ね。ぼくが、ワイフの人生を、メチャメチャにしたようなも
のだし……。ワイフはワイフで、もっと別の人生を生きたかったのかもしれないよ」と。

 するとTさんが、こう言った。

 「で、先生の奥さんは、先生に、何て言っているの?」
 「そうだね、結婚なんて、一度でこりごりって、よく言うよ」
 「わかる、わかる、その気持ち……」
 「わかるか?」
 「わかるわよ」と。

 私の欠点というか、欠陥は、たくさんある。人間的な欠陥である。性格もよくないし、精神状態
も不安定。強引で、わがまま。自分勝手。ときどき、ワイフに、直接、こう聞くことがある。

 「お前は、ぼくと結婚して、幸福だったか?」と。

 するとワイフは、いつもこう言う。「わからない」「私はみんなが幸福なら、それでいい」と。どこ
か虚無的。つまりそれだけ私との結婚生活が、不幸だったということか?

 Tさんの言葉には、いろいろ考えさせられた。ホント! 家に帰ってから、ワイフにTさんの言
ったことを伝えると、ワイフは、こう言って笑った。

 「今の子って、何でもズケズケ言うのね。うらやましいわ」と。

 それを聞いて、私は笑った。ワイフも笑った。たがいに笑って、ごまかした。

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


●思考力低下

 昨夜(3・25)、ワールドカップ予選、対イラン戦を見た。途中まで見た。が、そこで、ダウン。
眠ってしまった。

 朝起きて、ワイフに、「どうだった?」と聞くと、「負けたみたい」と。さっそくインターネットで調
べる。結果は、1対2で、日本の負け。

 とたん、どんよりした冬の曇り空が、どんと重くなる。どうも、さえない土曜日。HPの編集を始
めようと思って、からんだマウスのコードをいじっていたら、画面が消えてしまった。ますます、
暗〜イ、気持ち。

 今の私は、思考力ゼロ。あくびばかりが、繰りかえし、出る。昨日は、片道7キロを歩き、帰り
は、肌で冬の冷気を切りながら、自転車で運動。何となく、1週間分の運動をした感じ。

 あとでワイフにそれを言うと、「運動だめをしても、ムダよ」と。つまり一時的に運動をたくさん
しても、ムダ、と。

私「コエ・ダメというのを知っているか?」
ワイフ「それくらい、知っているわよ」
私「へえ、お前が、か?」
ワイフ「昔は、浜松にもあったから……」
私「浜松に、ねえ……。ぼくが言うコエ・ダメというのは、『声だめ』のことだよ」
ワイフ「何よ、それ?」
私「だからさ、お前は、少し、おしゃべりだから、静かにしろってこと」と。

 それにしても、こんな駄文しか書けないとは……。

 少し、頭の回転をよくするために、あちこちの本を、パラパラとめくる。これといって、話題は
ない。

 そう言えば、昨夜、寝る前に、ぼんやりと、こんなことを考えた。

 仏教には、「慈悲」という言葉がある。「大慈大悲」ともいう。この「慈悲」を、英語で、「AS Y
OU LIKE」、つまり「あなたのよいように」と訳した学者がいた。すばらしい訳だと思う。

 一方、キリスト教にも、「愛」という言葉がある。その意味するところは、「あなたが相手にして
もらいたいように、相手にしてやれ」ということらしい。これら二つの言葉は、一見、正反対のこ
とを言っているようにも見えるが、言わんとしていることは、同じ。

 で、そのことに思いをめぐらせていたとき、「では、私のように仏教徒でも、キリスト教徒でもな
い私は、どこへ身を寄せたらいいのだ」と、思ってしまった。

 へたをすれば、ただのバカのお人好しで終わってしまう。あの人たちは、極楽へ行けるとか、
天国へ入れるとかいうことで、それができる。が、私には、そうした保証がない。

 何かを見返りを求めているわけではないが、しかしその一方で、私は私で、生きていかなけ
ればならない。

 しかしこれだけは言える。

 慈悲にせよ、愛にせよ、それがまねごとであるにせよ、それらしきしたときというのは、本当に
気持がよい。心の中がポッと暖かくなる。詳しくは書けないが、昨日(25)、私は、2つもすばら
しい経験をした。

 で、最後に目を閉じる前に、(いや、一度だけ、どうしても気になったので、サッカーの試合を
のぞきに行った。後半が始まって、10分くらいのところだった。まだ日本は、1対0で負けてい
たが……)、こう思った。

 「今日は、すばらしい一日だった」と。


●混沌とする、国際情勢

 「わけがわからなくなってしまった!」というのが、私の実感。ついでに、「もう、どうでもよくなっ
てしまった!」とも。

 K国の核問題を論ずる、6か国協議が、このままでは霧散する情勢になってきた。

 アメリカと中国の間に、大きなミゾが入り始めた。日本と韓国の間にも、だ。加えて、アメリカ
とロシアの関係もおかしくなってきた。さらにアメリカと韓国の間も、ギクシャクしてきた。

 それにしても、わけがわからないのが、韓国。

 少し前、私はこう書いた。

 「韓国などは、先のデフォルト(国家破綻)のとき、550億ドルも、日本が中心になって援助し
たが、感謝のカの字もない!」と。

 この私の意見に対して、ある韓国人から、こんな反論のメールが届いた。

 「もともと、あのデフォルトは、日本の銀行団が引き起こしたもの。日本の銀行団が、その数
年前から、毎年、10億ドル規模で、外資を引きあげた。それが引き金となって、韓国はデフォ
ルトにおちいってしまった。日本政府が責任を取るのは、当然ではないか」と。

 しかし日本に住んで、日本で生活をしているとわかるが、日本の銀行団に、そうした国際戦
略など、ない。韓国をわざわざデフォルトさせるために、戦略的に行動するなどということは、あ
りえない。日本の銀行は、マネーのためなら、何だってする。正義だって、大義だって売り飛ば
す。そういう意味では、単純。自ら損をするようなことは、しない。

 韓国経済の雲行きがおかしくなってきたから、つまりそれを感じ取り始めたから、日本の銀行
団は、韓国から外資を引きあげた。

 つまり韓国の人たちにせよ、K国の人たちにせよ、何でも、しかも最初に、「日本、悪し」という
論法で、食ってかかってくる。こういうのを、私たちの世界では、被害妄想という。

 今回の「竹島(独島)問題」にしても、日本政府は、国際裁判所で話しあおうと言っているのだ
から、そういうところで話しあえばよい。それを「その必要はない」と言って、デモを繰りかえした
り、日本の国旗を燃やしたりしている。日韓の友好関係も、停止すると騒いでいる。

 もっともあの島は、昔から無人島で、両国の漁民たちが、仲よく使っていた。「どちらのもの」
というよりは、「どちらのものでもない」。反対に、日韓友好の証(あかし)として、双方で、仲よく
使うという方法だってないわけではない。

 もちろん国際裁判所で、裁判ということになれば、証拠主義に基づけば、竹島は、日本のも
のと審判されるはず。それを知っているからこそ、韓国は、裁判に応じてこない。

 とにかく、日本にせよ、韓国にせよ、今は、そんな問題で、争っているばあいではない。こうし
たキレツを、一番、ほくそ笑んで見ているのが、K国の金XXである。

 ああ、私は、もう考えたくない。

 韓国も、中国も、そしてロシアも、せっこらせっこらと、K国を助けている。それを見て、アメリ
カも、「もう知ったことか」と言い出した。あえて一言、つけ加えるなら、こういうことになる。

 韓国も、K国も、もう少し、現実を正確に認識したらよい。竹島問題にからんで、韓国のN大
統領は、アメリカのライス国務長官に向って、あろうことか、「日本をとるか、韓国をとるか」と、
択一を迫ったようだ。

 それに答えて、ライス国務長官は、無言。かわりにアメリカのある高官は、こう答えたという。
「韓国は、数に入っていない」と。つまり、「日本の重要度とくらべたら、韓国は、比較にならない
ほど、小さい」と。

 米韓条約の破棄は、もう時間の問題※。そうなれば、危険を察知した日本の銀行団は、外資
を引きあげ始める。再び、韓国は、デフォルトに。

 それを見て、K国は、韓国に総攻撃をしかける。……今のままでは、近い将来、そうなる可能
性は、きわめて高い。

 そこで日本は、K国のみならず、韓国も、相手にせず。淡々と事務的に、かつ冷静に、ことを
進めるしかない。事務的に、かつ冷静に、だ。韓国にせよ、K国にせよ、日本が本気で相手に
しなければならないような国ではない。

が、あえて言うなら、韓国のN大統領よ、いつまでも回顧性の被害妄想にとらわれるのではな
く、現実をベースにした、未来志向型の展望性を、もっと、もってほしい。

 時代も変わったし、人間も変わった。いつまでも、思い出の中にある日本人のイメージだけ
で、私たちを見てほしくない。

 ……「もう、どうでもよくなってしまった!」と思いつつ、またまた、あれこれ書いてしまった。し
かし本当のところ、この問題には、もううんざり。どれもこれも、問題の根源は、あの独裁者に
ある。彼1人が、独裁の座にしがみつくから、みんなが迷惑している。簡単に言えば、そういう
ことになる。

(注※)……朝鮮日報は、「韓米は決別を準備すべきという米国」と題した記事で、つぎのよう
に伝えている。

 「3月25日に主催した国際学術会議で、ダグ・ベンド米カント研究所研究員は、「米国におい
て、韓国は莫大な費用と犠牲を注ぐほどの死活的な利益の対象ではない」とし、「韓米両国は
友好的な決別を準備しなければならない」と述べた。 

 先日、「韓国は敵が誰なのかハッキリさせるべき」と要求した、米下院外交委員長の特別補
佐官は、「米議会で米日修交150周年記念決議案は、圧倒的多数で可決されたが、韓米同
盟50周年の決議案は、推進する議員が存在せず、廃棄された」と話した。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●地震雲

 地下のプレートどうしが、たがいにぶつかりあうと、そこでものすごいエネルギーが発生し、つ
いで電磁波を発生するという。

 その強力な電磁波が、いわゆる地震雲をつくるという。特徴は、大地(水面)からまっすぐ上
に、ちょうど、細い竜巻の柱のように、上にのびるという。テレビで、そういう地震雲のいくつか
を、紹介していた(3・25)。

 で、実は、今日、ハナを中田島へ散歩に連れていく途中、それらしき雲を見た。方角は、中田
島砂丘から見て、南東。ちょうど駿河湾の中心部あたりである。

 二本の不気味な雲が、ちょうど鬼のツノのように、空にのびていた。瞬間、「まさか?」と思っ
た。ただ下のほうは、それよりも白い厚い雲におおわれて、よく見えなかった。

 駿河湾の地震は、近い?

 私はハナを砂浜で遊ばせながら、できるだけ松林に近いところに腰をおろして、海を見てい
た。「地震が来たら、まっさきに逃げるぞ」と。

 砂浜で地震に襲われたら、砂浜は、どうなるか? 地球的規模で考えるなら、水も砂も、同じ
ようなもの。体は水にのまれるように、砂の中に沈んでいくにちがいない。液状化現象ともい
う。助かる手だては、まず、ない。

 しかしそうした私の心配をよそに、海は、静かな波を、砂浜に打ち寄せていた。春らしい、生
暖かい風も感ずる。ハナは、右から左、左から右、そしてまた右から左へと、楽しそうに走り回
っていた。

 私は、しばしの静寂を楽しむ。太陽の白光がギラギラと海面に映えて、美しい。その向こう
を、黒いシルエットとなって、貨物船が通る。

 今日は、いつもより長く、海にいた。このところ寒くて、ハナを、海へ連れてこなかったこともあ
る。が、本当は、この前のマレーシア沖大地震の記憶もあり、海がこわくなった。ホント。今日
も、正直、告白するが、こわかった。

 帰ってくるとき、どこか、ほっとした気持ちになったのは、どうやらそのためらしい。少し大げさ
な言い方になるが、無事、帰ってきた。よかった!


●ボケ症状

 ボケ症状の一つと言い切ってよいのかどうか、わからない。ボケ(痴呆症や認知症)ではな
く、ひょっとしたら、老人期のうつ病の症状の一つかもしれない。それはともかくも、ボケ方に
も、いろいろあるらしい。多くの方から、メールが届くようになった。そんなわけで、私の「育児サ
イト」が、「ボケサイト」に、目下変身中? (いやだなあ……。)

 その中でも、とくに注意をひいたのは、つまり、私の兄の症状とよく似た症状として、注意をひ
いたのは、(こだわり)。おかしなこだわりをもつ、ボケ老人が、意外と多いということを知った。

 私の兄は、どういうわけか、時刻に、異常にこだわる。とくに食事の時刻にこだわる。

 そんなことを何かの記事で書いたら、「実は、私の父がそうです」というメールをもらった。N県
に住む、1人の女性からのものだった。

 いわく、「毎朝、午前5時30分きっかりに、起きます。そして35分きっかりに、雨戸を開けま
す。夕方は、午後6時30分きっかりに、雨戸をしめます。運動の時刻も、決まっていて、一日
に2回、自宅の階段の、のぼりおりをします。午前10時と午後3時。運動時間は、時計を見な
がら、きっかりと30分間。

 腕時計の針が狂っていたりすると、それだけでパニック状態になります。そこでほかに2、3
個、目覚まし時計を与えているのですが、毎日、その目覚まし時計のほうを、自分の腕時計
に、合わせています。ですから自分の腕時計が狂うと、目覚まし時計のほうも、狂うというわけ
です。が、ラジオの時報だけは、毎日聞いているため、時計の針があっていないとわかると、さ
あ、たいへん。……という状態です」と。

 その女性の父親(69歳)は、どうやら(まだらボケ)という症状らしい。ときどき、ボケ、そして、
ときどき、まともになる。

 そこでインターネットで調べてみたが、ボケ(痴呆症や認知症)と、こうした(こだわり)は、どう
やら関係がないことがわかってきた。(ボケ症状には、こだわりは、含まれていないというこ
と。)

 ……となると、兄のこだわりは、どこからくるのか。やはり、初老期のうつ病? しかし考えよ
うによっては、かえって扱いやすいのかも。昼、夜なく、随時に、起きたり寝たりされたら、かえ
って困ってしまう。食事の時間だって、そうだ。

 だからここは、おおらかに。きちんと食事だけを用意してやれば、あとは、機嫌がよい。穏か
な顔をして、ニコニコ笑っている。

 まあ、ものごとは、前向きにとらえよう。そう考えて、認めてやろう。

 ついでながら、私やワイフは、ほとんど時刻にこだわらない性分。毎日、起きる時刻と寝る時
刻は、だいたい決まっているが、それ以外は、昔からメチャメチャ。週単位、月単位の決まった
習慣も、ほとんどない。(まったく、ない。)

 そういう点では、自由きままに生きている。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【詩篇と自己分析】

●戦争

あなたは、あなたの息子の死に、耐える自信はあるか。ないか。
あなたは、あなたの愛する息子の死に、耐える自信はあるか。ないか。

あなたは、もし自分の息子を戦争でなくしたら、こう思うだろう。
私のすべてと交換してでもよい。だから私の息子を返して、と。

だから、ぜったいに、どんなことがあっても、戦争などしてはいけない。
戦争をして、あなたの愛する息子を、失ってはいけない。

戦争は、ある日突然、やってくるわけではない。少しずつ、悪魔が、
夜の窓辺に忍び寄るようにして、あなたのそばにやってくる。

そのときあなたは、悪魔のささやきを聞く。が、一度、聞いたら最後、
あなたはこう叫ぶ。「復讐だ!」「やっつけろ!」「報復しろ!」「戦え!」と。

しかしそういう勇ましい声に操られてはいけない。負けてはいけない。
悪魔のささやきに、だまされてはいけない。どんなことがあっても……。

私たちがなすべきことは、どこまでも冷静に。沈着に。そして事務的に。
決して感情的になってはいけない。感情に負けて、行動に走ってはいけない。

大切なことは、国際社会の「善なる心」を信ずること。仮に死者が出ても、
負傷者が出ても、私たちは正義を信じて、冷静に、かつ事務的に対処する。

どこまでも、どこまでも、事務的に処理する。たとえそれで効果がなくても、
大切なことは、そういう前例を積み重ね、つぎの世代に、それを受け渡すこと。

つまらない戦争は、もうやめよう。それがいかに愚劣なものであるかは、
あのヨーロッパを見ればわかるはず。EUとなった、フランスやドイツを、である。

たった60年前には、隣の国どうしが戦い、人々は、殺しあった。
しかし今、一つのEUとなって、ヨーロッパは、一つの国にまとまった。

私たちがめざすべきは、そういう世界である。またいつか、そういう世界が、
必ずやってくることを信じよう。信じて、前に進もう。ひるまず、進もう。

もしあなたが、私の言っていることに疑問を感じたり、迷いを感じたら、
そこにあなたの息子を置いてみよう。あなたの心の中に、だ。

あなたは、あなたの息子の死に、耐える自信はあるか、と。
あなたは、あなたの愛する息子の死に、耐える自信はあるか、と。


●さみしさ

ふと、思う。「このさみしさは、いったい、どこからくるのか?」と。
満たされない心、風が通りぬける心、つかみどころのない、自分。
何かをしているようで、その実感がともなわない。いつも空回り?

「こんなことをしていていいんだろうか?」という思い。
「今まで、何をしてきたのだろう?」という思い。
そういうものが、複雑に心の中をいきかい、私の心をさみしくする。

とにかく、今夜は、やるしかない。マガジンの4月号、HTML版の編集。
中には、読んでくれる人もいるだろう。こうした私のさみしさが、
何かの参考になる人もいるだろう。それを信じて、前に進むしかない。

先ほど、ワイフにこう言った。「今夜は、先に寝てよ。やることがあるから」と。
ワイフは、すぐ、それをわかってくれた。だから心配をかけないように、
「明日は、ゆっくり寝てるから」と、つけ加えた。

このさみしさがあるかぎり、私は、私は戦う。戦って、戦って、戦い抜く。
その先に何があるのか、あるいはないのか、それは私にもわからない。
わからないが、今の私は、そのさみしさと戦うしかない。それしかない。


【自己分析】

 ここで私は「戦争」と、「さみしさ」について、二つの詩篇を書いた。

 この二つの詩篇を読んで、自己分析してみたい。

 内容は、ともに、うつ的。悲観的。平和を唱えながら、どこか逃避的。とくに「さみしさ」のほう
では、自己像のふらつきが見られる。どこか自信喪失的。こうした状態が、さらに進むと、自己
否定へと、発展してしまう。つまり自殺の可能性が生まれる。

 気をつけよう!

 つぎに見られるのが、「境界性人格障害」。これらの詩篇の中には、自分が見捨てられてい
るかのような強迫観念を感ずる。また一方で理想論を唱えながら、その理想論にも自信をもて
ず、どこか主張がフラフラしている。

 ほかに自傷行為とまではいかないが、自分を悲劇の主人公にしたてているところも、気にな
る。慢性的な空虚感、情緒の不安定感も見られる。

 声を出して怒ればよいのだが、その怒りを自ら、しずめてしまう。「戦争が起きるかも」という
妄想性もある。

 つまり私は、DSM−IVの診断基準によれば、「境界性人格障害者」の疑いがあるということ
になる。ゾーッ。

 この症状が進めば、私は、対人関係で、やがて孤立し、正常な人間関係が結べなくなる可能
性がある。(すでに、そうかもしれないが……。)

 今夜も、いろいろあった。それで少し疲れているのだろう。マガジンのHTML版のFTP送信
がもうすぐすむので、それがすんだら、寝よう。

 時刻は、3月27日、午前0時をほんの少し回ったところ。日曜日になったところ。今日は、思
う存分、遊ぶぞ! ハハハ。私の特権だ!
(はやし浩司 境界性人格障害)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(611)

●母親を嫌う子ども

 A君(小2男児)は、いつも母親の悪口を言う。「ぼくのママは、すぐ怒る」「100点でないと、す
ぐたたく」「鬼ババ」と。このところ、ずっと、それが気になっていた。

 それをひとり言のように、ずっと繰りかえす。

 が、私の知っているA君の母親は、おだやかで、やさしい人だ。決して、仮面をかぶっている
ようなタイプの人ではない。

 私はA君の様子を見ながら、欲求不満がその背景にあることを知った。私にも経験がある。

 私は小学5年生くらいのときに、好きな女の子ができた。静かで、やさしい女の子だった。し
かしいくら私がモーションをかけても、私には、振り向きもしてくれなかった。で、ある日行動に
出た。

 その女の子が何かのことで、席をはずしたとき、私はその女の子の机からノートを引き出し、
ぐいぐいと、鉛筆で、落書きをしてしまった。その女の子は、いつもノートの使い方がじょうずだ
と、先生にほめられていた。

 そのあとのことは、よく覚えている。その女の子は、そのノートを見ながら、シクシクと泣いて
いた。

 子どもというのは、ときとして、自分の思っていることと正反対の行動に出ることがある。概し
て言えば、それだけ短気でわがままということになる。

 で、A君の母親がA君を迎えにきたとき、私はA君をぐいともちあげて、A君の母親に抱かせ
た。

 最初、A君は、「ママなんか、嫌い」「鬼ババ」「クソ野郎」と、罵声をあびせかけて、それに抵
抗した。が、私はA君を背中からおさえつけて、そのままにした。

 するとA君は、そのまま、大粒の涙をポロポロとこびしながら、泣き始めた。母親の涙を見た
からではなかったか。

私「A君、好きだったら、好きと言え。『ママ、大好き』と言え」
A「嫌いだよ、こんなヤツ」 
私「ウソつくな。お前は、ママが好きなんだ。どうしてウソをつく」
A「……」
私「好きだったら、そう言え。はっきり、そう言え」と。

 しばらくおかしな押し問答がつづいた。が、突然、堰(せき)を切って水が流れ出すように、A
君が、大泣きをしながら、「ママ、好きだよオ」と言いだした。母親は、母親で、「わかっているの
よ」「わかっているのよ」と、A君を抱きしめた。

 何かの大きなわだかまりが、A君にあったのだろう。そのわだかまりが、A君の心をふさいで
いた。が、こうして自分の心を、すなおに表現することによって、そのわだかまりを取りのぞくこ
とができる。カタルシス効果というのである。

 A君は、もうそのころになると、私が背中を押さえていなくても、そのまま母親に抱かれてい
た。

A「ママ、いっしょに、お風呂に入ろうね」
母「いつも、いっしょに、入っているでしょう」と。

 A君は、いつものやさしいA君にもどっていた。もちろん私には、その(わだかまり)が何であっ
たかはわからない。子どもの心は、私たちが想像する以上に複雑だ。それにこの時期の子ど
もは、こうした変化を、毎日のように見せる。

 A君と母親を教室の外に見送ったあと、心の中が暖まっているのを感じた。そして私はどうい
うわけか、あのノートに落書きをしてしまった女の子のことを思い出していた。

 名前を、アイミヤさんと言った。聞くところによると、G県のS市で、今でも元気に暮らしている
ということだ。ごめんなさい!

++++++++++++++++

自己開示(2)

 自分をさらけ出すことを、自己開示という。そしてそれが極限にまで達したのを、「カタルシス
(除反応)」※という。心を最大限、開放させることにより、心理的、精神的負担を軽減させるこ
とをいう。

 他人との信頼関係をうまく結べない人は、まず自己開示をしてみるとよい、あなたが妻であれ
ば、夫や子どもに対して。あなたが夫であれば、妻や子どもに対して。家族には、そういう機能
がある……というより、これは家族の重要な機能の一つと考えてよい。

 方法としては、自分の過去を、あらいざらい、すべて告白するというのがある。悲しかった思
い出、つらかった思い出、恥ずかしかった思い出など。心の中に秘めている思い出を、すべて
吐き出してみる。

 これはたいへん勇気のいることだが、しかし自己開示することによって、あなたは自分の心を
開放することができる。が、それだけではない。自己開示することによって、(1)相手もあなた
に自己開示する。(2)あなたもそれまで気づかなかった自分に気づくことができるようになる。

 私はときどき、中学生に、こんな作文を書かせる。

【つぎの文につなげて、作文を書いてください。】

●私にとって、今まで、一番楽しかったことは、
●私にとって、今まで、一番悲しかったことは、
●私にとって、今まで、一番うれしかったことは、
●私にとって、今まで、一番つらかったことは、
●私には、人に話せないような思い出が、

ほかにもいろいろあるが、子どもが書く内容は、それほど重要ではない。(また、内容について
は、一切、不問にすること。)その子どもがどこまで、具体的に自己開示するかで、たがいの信
頼関係の深さを知ることできる。

つぎに、子ども自身が、仮面をかぶっているかどうか、どこまで自分と向き合っているかどう
か、心の問題をもっているかどうかなどを、知ることができる。「のぞく」という言葉は、あまり好
きではないが、しかし、この方法で、子どもの心の中を、のぞくことができる。家庭では、たとえ
ば、子どもに向かって、「あなたにとって、今まで、一番うれしかったことは、どんなこと?」という
ように聞いてみるとよい。

……と、書いたが、あなた自身はどうかということを、自問してみてほしい。

 あなたが妻なら、夫に話せない話もあるはず。結婚前の男性関係とか、身体的なコンプレッ
クスとか、など。子どものころの家庭環境も、それに含まれるかもしれない。もしそういうのがあ
れば、思い切って、夫に話してみる。

 あなたはそれで、人間関係が壊れると思っているかもしれないが、多少の混乱を経て、あな
たと夫の心の絆(きずな)は、それで太くなるはず。とくに、他人との人間関係がうまく結べない
人、他人と接すると、すぐ神経疲労を起こす人などは、まず、身近な人に対して自己開示して
みるとよい。つまりこうして、自分の心を作り変えていく。

 もっとも注意しなければならないのは、他人への自己開示である。信頼基盤そのものがない
人に、自己開示するのは、危険なことでもある。そういうときは、相手をより深く理解するという
方法に切りかえる。たとえば……。

 日ごろ、相手が、言いたいと思っていること、知りたいと思っていることを、相手の立場になっ
て聞く。「この前、あなたはこう言ったけど、その意味がよくわからないから、もう一度、話してく
れない」「あなたの言うことはよくわかるけど、もし私だったら、どうするか、いろいろ考えてみた
わ」とか。相手をより深く理解しようとしよう姿勢を見せることで、同時に、自分もまた相手に対
して、自己開示することができる。

 前にも書いたが、自己開示をすることは、違いの信頼関係を築く、基盤となる。たがいにわけ
のわからない状態で、信頼関係を結ぶことはできない。さあ、あなたも勇気を出して、自己開示
してみよう。心を解き放ってみよう!
(030707)

※……自己開示することで、心理的、精神的負担を軽減することができる。ばあいによって
は、症状が焼失することもあるという。これをカタルシス効果という。自己開示には、そういう作
用もある。

++++++++++++++++++

【追記】
 
 四人の子どもに、ためしに作文を書いてもらった。

●Kさん(中二女子)

*私にとって、今まで、一番楽しかったことは、この前あった、学校の野外活動です。ナイトウ
ォークや、カレーづくり。一日中、ずっと友だちと過ごしているということが、なかなかないので、
とても楽しかったです。
*私にとって、今まで、一番悲しかったことは、(無回答)。
*私にとって、今まで、一番うれしかったことは、野外活動の先生が、私たちをたいへんほめて
くれたことです。ふだん「今の二年生は悪い」と言うだけの、いやな先生たちばかりなので、先
生たちを見返してやった気分でした。
*私にとって、今まで、一番つらかったことは、もうずいぶん前になるけど、かっていた犬が死
んでしまったことです。

●U君(中三男子)

*私にとって、今まで、一番楽しかったことは、友だちといっしょにいることが楽しいです。人と
笑うのが楽しいです。
*私にとって、今まで、一番悲しかったことは、とくにありません。あっても忘れてしまいます。
*私にとって、今まで、一番うれしかったことは、三年目にして、部活の県大会で優勝したこと
です。
*私にとって、今まで、一番つらかったことは、勉強。部活の練習も楽じゃないです。二つともと
てもつらいですが、楽しいです。

●R君(中三男子)

*私にとって、今まで、一番楽しかったことは、友だちと遊んでいたとき。友だちといっしょにい
たとき。
*私にとって、今まで、一番悲しかったことは、おじいちゃんが死んだとき。
*私にとって、今まで、一番うれしかったことは、(無回答)。
*私にとって、今まで、一番つらかったことは、勉強しているとき。部活。

●D君(小六男子)

*私にとって、今まで、一番楽しかったことは、サッカーです。
*私にとって、今まで、一番悲しかったことは、(無回答)。
*私にとって、今まで、一番うれしかったことは、サッカーでキャプテンになれたことです。
*私にとって、今まで、一番つらかったことは、サッカーで、何周もグランドを走ったことです。

 子どものばあい、身近な経験から、楽しかったことや、悲しかったことをさがしだそうとする。
つまり自分自身を、客観的に見る目が、まだじゅうぶん育っていない。しかし年齢が大きくなる
と、より自分を高い視点から、判断できるようになる。そして自分自身をより深く、見ることがで
きるようになる。「私を知る」というのは、そういう意味で、一見簡単そうで、むずかしい。
(はやし浩司 カタルシス カタルシス効果 自己開示 除反応 除効果)

++++著作権BYはやし浩司++++++copy right by Hiroshi Hayashi+++++※

最前線の子育て論byはやし浩司(612)

●利口とバカ

 利口とバカと言っても、それは相対的な「差」にすぎない。より利口な人から見れば、利口な
人でもバカに見える。よりバカな人から見れば、バカな人でも、利口に見える。

 たとえば1万年前の人間は、どうだっただろうか。1万年後の人間は、どうだろうか。

 しかしここで重要なことは、利口とバカを分けるカベは、知能ではない。映画『フォレスト・ガン
プ』の中で、フォレストの母は、こう言っている。「バカなことをする人を、バカというのよ。(頭じ
ゃ、ないのよ)」と。

 つまり1万年前にも、利口な人はいた。1万年後にも、バカな人はいるだろう。

 で、何が、その利口とバカを、分けるか。それは何度も書いてきたように、知的能力ではな
い。それを分けるのは、「常識」である。その常識が、利口とバカを分ける。

 常識が豊かな人を、利口という。常識のない人を、バカという。

 そこで重要なことは、その常識をみがくこと。過去数十万年の間、人間は、その常識を頼りに
生きてきた。もしその常識がなければ、人間は、とっくの昔に、滅んでいたことになる。

 以前、「鳥は水にもぐらない。魚は陸にあがらない」という散文詩を書いた。私がここでいう常
識というのは、そういう常識をいう。

 で、その常識をみがくためには、ごくふつうの人間として、ふつうの生活を送る。そういう生活
の中で、常識をみがく。そのことは、野に遊ぶ、鳥や獣(けもの)を見ればわかる。奇をてらった
ような、おかしな行動はしない。ムダな行動もしない。彼らは彼らの常識に従って生きている。

 人間も、基本的には、同じである。

 さらに、利口と賢いは、ちがう。

 賢い人というのは、よく考える人をいう。ただ単なる物知りを、賢い人とは言わない。その賢
い人になるためには、考える。考えることが、ますます、その人を賢くする。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●これからの国家主義

 その国のグローバル化とナショナリズムは、たがいに対立関係にある。その国がグローバル
化を進めようとすればするほど、ナショナリズムが台頭し、グローバル化に抵抗する。

 これからは、多種多様な異民族が、自由に移動し、混合し、そしてその中で一つの世界をつ
くりあげていく。そういう時代に、今、世界は、向いつつある。またそのための努力を怠っては
いけない。

たとえば、カントがすでに200年以上も前に予想した、「コスモポリス(世界国家)」という考え方
は、ヨーロッパで、すでに実現された。ここに書いていることは、決して、夢物語ではない。

 が、この極東アジアでは、そうした流れに逆行するようなことばかりが、起きている。「誇張さ
れたナショナリズム」(アインシュタイン)が、アジアのグローバル化に、ブレーキをかけている。
とくに、この日本では、それが顕著である。

 たとえば教育の世界でも、日本は、いまだに、(世界史)と(日本史)というジャンル分けにこだ
わっている。日本を世界と分けることで、日本の独自性(彼らがいうところの「アイデンティテ
ィ」)を、明確にしようとしている。

 しかしそもそも、日本史などというものは、存在しない。日本史というのは、あくまでも東洋史
の一部であり、その東洋史は、世界史の一部でしかない。「自分たちだけは、特別の民族であ
る」と思いたい気持ちはよくわかるが、それを支持している外国の歴史家は、ほとんど、いな
い。

 とくにフランスを中心としたヨーロッパでは、日本語学科は、朝鮮語学部の一つにすぎない。
さらにその朝鮮語学部は、東洋学部の一部でしかない。

 ふつう「東洋」といえば、「中国」をさす。大学でも「東洋学部(オリエンタル・スタディズ)」といえ
ば、まず中国をいう。

 これが世界の常識であり、現実である。

 ……と書くと、「林は、日本人としてのアイデンティティは、どう考えるのか」と質問されそうであ
る。もう5、6年前のことだが、このテーマについて議論しているとき、「君は、それでも日本人
か!」と、私に向って罵声を浴びせかけた男(45歳くらい)がいた。

 しかしもともと日本のナショナリズムなどというものは、島国根性が生み出した、幻想でしかな
い。そうでないというなら、では、「日本人とは何か」と聞かれたとき、あなたなら、何と答えるだ
ろうか。……答えられるであろうか。

 生活様式は、すっかり、「国際化」されてしまった。(あえて、「欧米化」という言葉を使わない
でおこう。)ものの考え方も、行動パターンも、文化も音楽も、芸術も、国際化されてしまった。

 こうした傾向は、どこの国でも、同じである。急速に進んだ情報ネットワークと、交通網。世界
は今、いやおうなしに、その国際化、つまりグローバリゼーションの荒波の中で、もまれてい
る。今どき、ナショナリズムを声高かに唱えるほうが、おかしいのである。

 このことは、人種のルツボと言われるアメリカを見ればわかる。いや、そんな遠くへ行かなく
ても、近くの大型ショッピングセンターをのぞいてみればわかる。この浜松には、万人単位の外
国人労働者たちが住んでいる。

 日本というより、まさに外国。私たちは、そういう世界を、受けいれるとか、入れないとかいう
レベルを通りこして、今、私たちは、そういう現実の中にいるのである。

 そこで愛国心の問題。愛郷心でもよい。

 私たちがまず愛すべきは、家族である。郷土でも、国でもない。その家族どうしが、大きなま
とまりをつくって、共同体となる。最終的には、「国」と呼ばれる組織体になる。だから国を愛す
る心ということは、あくまでも、家族を愛することの結果として生まれる。

 最初に国があって、家族があるのではない。最初に家族があって、国がある。

 たとえばどこかの理不尽な国が、この日本を攻めてきたとしよう。そのとき私たちが、武器を
もって立ちあがることがあるとすれば、それは国を守るためではない。家族を守るためである。
そのために、みなが、力をあわせる。戦う。

 私は決して、この日本という国がどうなってもよいと考えているわけではない。ただ、「国を守
るために、戦え」と言われても、それには、ついていけないということ。いわんや、天皇やその
家族を守るために死ねと言われても、私には、できない。

 もうおわかりかと思うが、世界がグローバル化している今、ナショナリズムというと、どこかの
独裁国家よろしく、為政者のつごうのよい世界を守る方便として、その言葉は利用されやすい
ということ。とくにこの日本では、「官」と「民」の差が、あまりにも目立つようになってしまった。

 日本が民主主義国家と思っているのは、恐らく日本人だけ。日本は、奈良時代の昔から、官
僚主義国家。官僚の、官僚のための、官僚による国家。そういう「国」を守るのが、愛国心とい
うなら、はっきり言おう。

 クソ食らえ!

 恐らく戦争ともなれば、官僚の連中たちは、自分たちだけは、イの一番に、逃げ出すのでは
ないか。自分たちだけは、権利の王国にあぐらをかき、民間の2倍近い給料を手にしながら、
みじんも、恥じない人たちである。暴露するようでつらいが、知人(官僚)の1人は、はからず
も、こう言った。

 「公僕意識? 林さん、役人の中で、公僕意識のある人なんて、今、絶対にいませんよ」と。

 話がそれたが、そのナショナリズムという言葉は、好んで、こうした官僚たちの間から聞こえ
てくる。つまりは、自分たちの特権と恩恵を守るため?

 もちろん日本人が、日本人として、過去1500年以上にわたって作りあげてきたものについ
ては、大切にしなければならない。それは当然のことではないか。それらは今でも、地方の田
舎へ行くと、日本人独特の温もりとなって残っている。

それらの多くは、伝統や文化というものに姿を変えて、残っている。そういうものは大切にしな
ければならない。歌舞伎や相撲ではない。「心」だ。「日本人の心」だ。

 これはあくまでも私自身のことだが、私は外国へ出ると、自分のことを、あまり日本人とは、
言わない。「アジア人」と言うようにしている。そのきっかけをつくってくれたのが、今は亡き、友
人のT君である。

このエッセーのしめくくりとして、そのT君について書いた原稿を添付する。

+++++++++++++++++++++

【処刑されたT君】

●日本人にまちがえられたT君

 私の一番仲のよかった友人に、T君というのがいた。マレ−シアン中国人で、経済学部に籍
をおいていた。

最初、彼は私とはまったく口をきこうとしなかった。ずっとあとになって理由を聞くと、「ぼくの祖
父は、日本兵に殺されたからだ」と教えてくれた。

そのT君。ある日私にこう言った。「日本は中国の属国だ」と。そこで私が猛烈に反発すると、
「じゃ、お前の名前を、日本語で書いてみろ」と。私が「林浩司」と漢字で書くと、「それ見ろ、中
国語じゃないか」と笑った。

そう、彼はマレーシア国籍をもっていたが、自分では決してマレーシア人とは言わなかった。
「ぼくは中国人だ」といつも言っていた。マレー語もほとんど話さなかった。話さないばかりか、
マレー人そのものを、どこかで軽蔑していた。

 日本人が中国人にまちがえられると、たいていの日本人は怒る。しかし中国人が日本人にま
ちがえられると、もっと怒る。T君は、自分が日本人にまちがえられるのを、何よりも嫌った。街
を歩いているときもそうだった。「お前も日本人か」と聞かれたとき、T君は、地面を足で蹴飛ば
しながら、「ノー(違う)!」と叫んでいた。

 そのT君には一人のガ−ルフレンドがいた。しかし彼は決して、彼女を私に紹介しようとしな
かった。一度ベッドの中で一緒にいるところを見かけたが、すぐ毛布で顔を隠してしまった。

が、やがて卒業式が近づいてきた。T君は成績上位者に与えられる、名誉学士号(オナー・ディ
グリー)を取得していた。そのT君が、ある日、中華街のレストランで、こう話してくれた。「ヒロ
シ、ぼくのジェシーは……」と。喉の奥から絞り出すような声だった。

「ジェシ−は四二歳だ。人妻だ。しかも子どもがいる。今、夫から訴えられている」と。そう言い
終わったとき、彼は緊張のあまり、手をブルブルと震わした。

●赤軍に、そして処刑

 そのT君と私は、たまたま東大から来ていたT教授の部屋で、よく徹夜した。教授の部屋は広
く、それにいつも食べ物が豊富にあった。T教授は、『東大闘争』で疲れたとかで、休暇をもらっ
てメルボルン大学へ来ていた。

教授はその後、東大の総長特別補佐、つまり副総長になられたが、T君がマレ−シアで処刑さ
れたと聞いたときには、ユネスコの国内委員会の委員もしていた。

この話は確認がとれていないので、もし世界のどこかでT君が生きているとしたら、それはそれ
ですばらしいことだと思う。しかし私に届いた情報にまちがいがなければ、T君は、マレ−シア
で、1980年ごろ処刑されている。

T君は大学を卒業すると同時に、ジェシ−とクアラルンプ−ルへ駆け落ちし、そこで兄を手伝っ
てビジネスを始めた。しばらくは音信があったが、あるときからプツリと途絶えてしまった。

何度か電話をしてみたが、いつも別の人が出て、英語そのものが通じなかった。で、これから
先は、偶然、見つけた新聞記事によるものだ。その後、T君は、マレ−シアでは非合法組織で
ある赤軍に身を投じ、逮捕、投獄され、そして処刑されてしまった。

遺骨は今、兄の手でシンガポ−ルの墓地に埋葬されているという。T教授にその話をすると、
教授は、「私なら(ユネスコを通して)何とかできたのに……」と、さかんにくやしがっておられ
た。

そうそう私は彼に出会ってからというもの、「私は日本人だ」と言うのをやめた。「私はアジア人
だ」と言うようになった。その心は今も私の心の中で生きている。

+++++++++++++++++++++

●プロローグ

かつてジョン・レノンは、「イマジン」の中で、こう歌った。

♪「天国はない。国はない。宗教はない。
  貪欲さや飢えもない。殺しあうことも
  死ぬこともない……
  そんな世界を想像してみよう……」と。

少し前まで、この日本でも、薩摩だの長州だのと言っていた。
皇族だの、貴族だの、士族だのとも言っていた。

しかし今、そんなことを言う人は、だれもいない。
それと同じように、やがて、ジョン・レノンが夢見たような
世界が、やってくるだろう。今すぐには無理だとしても、
必ず、やってくるだろう。

みんなと一緒に、力をあわせて、そういう世界をめざそう。
あきらめてはいけない。立ち止まっているわけにもいかない。
大切なことは、その目標に向かって進むこと。
決して後退しないこと。

ただひたすら、その目標に向かって進むこと。

+++++++++++++++++

イマジン(訳1)

♪天国はないこと想像してみよう
その気になれば簡単なこと
ぼくたちの下には地獄はなく
頭の上にあるのは空だけ
みんなが今日のために生きていると想像してみよう。

♪国なんかないと思ってみよう
むずかしいことではない
殺しあうこともなければ、そのために死ぬこともなくない。
宗教もない
平和な人生を想像してみよう

♪財産がないことを想像してみよう
君にできるかどうかわからないけど
貪欲さや飢えの必要もなく
すべての人たちが兄弟で
みんなが全世界を分けもっていると想像してみよう

♪人はぼくを、夢見る人と言うかもしれない
けれどもぼくはひとりではない。
いつの日か、君たちもぼくに加わるだろう。
そして世界はひとつになるだろう。
(ジョン・レノン、「イマジン」より)

(注:「Imagine」を、多くの翻訳家にならって、「想像する」と訳したが、本当は「if」の意味に近い
のでは……? そういうふうに訳すと、つぎのようになる。同じ歌詞でも、訳し方によって、その
ニュアンスが、微妙に違ってくる。

イマジン(訳2)

♪もし天国がないと仮定してみよう、
そう仮定することは簡単だけどね、
足元には、地獄はないよ。
ぼくたちの上にあるのは、空だけ。
すべての人々が、「今」のために生きていると
仮定してみよう……。

♪もし国というものがないと仮定してみよう。
そう仮定することはむずかしいことではないけどね。
そうすれば、殺しあうことも、そのために死ぬこともない。
宗教もない。もし平和な生活があれば……。

♪もし所有するものがないことを仮定してみよう。
君にできるかどうかはわからないけど、
貪欲になることも、空腹になることもないよ。
人々はみんな兄弟さ、
もし世界中の人たちが、この世界を共有したらね。

♪君はぼくを、夢見る人と言うかもしれない。
しかしぼくはひとりではないよ。
いつか君たちもぼくに加わるだろうと思うよ・
そしてそのとき、世界はひとつになるだろう。

ついでながら、ジョン・レノンの「Imagine」の原詩を
ここに載せておく。あなたはこの詩をどのように訳すだろうか。

Imagine

Imagine there's no heaven
It's easy if you try
No hell below us
Above us only sky
Imagine all the people
Living for today…

Imagine there's no countries
It isn't hard to do
Nothing to kill or die for
No religion too
Imagine life in peace…

Imagine no possessions
I wonder if you can
No need for greed or hunger
A brotherhood of man
Imagine all the people
Sharing all the world…

You may say I'm a dreamer
But I'm not the only one
I hope someday you'll join us
And the world will be as one.

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司
 
●空回り

 何をするでもなし。何をしないでもなし。
 学校へは行く。部活もしてくる。しかしそれで、一日は、終わる。

 目的はない。夢も希望もない。ただその日が、何となく、あいまいなまま過ぎていく。
 もちろん勉強はしている。夕食を食べると、そそくさと、進学塾へ向う。
 
 子どもは、一度、こういう空回りを始めると、そのまま、1年、2年という時間を、あっという間
にムダにしてしまう。

 親から見ると、何となく、勉強しているようでもあり、ことさら、問題のある子どもには思えな
い。成績も、そこそこ。よくはないが、悪くもない。「あなたはがんばれば、もっといい成績が取
れるのに」とは言ってみるものの、返ってくるのは、「ウ〜ン」という、わけのわからない返事だ
け。

 今、小学校の高学年児で、このタイプは、20〜30%はいるのではないか。中学生で、30〜
40%はいる。

 称して、『空回り児』。毎日が、その子どものまわりで、空転しているだけ。

 原因は、目的がないこと。「なぜ、勉強するのか」「しなければならないのか」、それがわかっ
ていない。夢や希望もない。さらにその原因はといえば、「勉強第一主義」の家庭環境にある。
たいてい、親は、「勉強さえできればいい」と考えている。

 「学校というところは、勉強をするところ」
 「勉強さえ、できればいい」
 「その成果は、成績で示される」と。

 子どもの能力を、成績でしか、判断しない。また、それがすべて。100点であれば、親は喜
び、少しでもまちがえたところがあったりすると、ガンガンと子どもを叱る。

 そういう家庭環境の中で、子どもは、夢と希望を、まずなくす。が、もちろん目標はないわけで
はない。「SS中学校へ、入ること」である。

 しかしそれは目標ではない。ただのニンジン。子どもの前につりさげられた、ただのニンジ
ン。やっとSS中学へ入ったと思ったら、今度は、SS高校が待っている。つぎにSS大学が待っ
ている。

 大学へ入って、何を勉強するかさえ、決まっていない。何をしたいかも、わかっていない。「た
だ入ること」。それだけが目標。

 だから、ニンジン。いつまでたっても、手に届かないニンジン。

 こういう状態を、心理学の世界でも、役割混乱という。本来子どもは、成長する過程で、(自
分らしさ)を身につけていく。これを「役割形成」という。しかしその形成そのものができない。親
が、破壊していく。

 「勉強しなさい」「進学銃へ行きなさい」「成績はどう?」「こんな成績では、SS遊学どころか、
AA中学さえ無理よ。それでいいの?」と。

 子どもは言われるまま、親に従う。そして今度は、目標さえ、見失う。

 現実に今、ほとんどの高校生たちは、大学への進学に向けて、(入れる大学の、入れる学
部)という視点で、大学を選ぶ。目的をもって、目的の大学や学部を選ぶ子どもなど、10%も
いない。きびしくみて、5%。しかも、ブランドで選ぶ。もちろん、ほんの少しでも、有名であれば
あるほどよい。

 そこで重要なことは、子どもは、空回りをさせないこと。

 子どもが楽しく学んでいるなら、その状態を、キープすること。親は、少しでも成績が伸びだし
たりすると、「もっと……」と考えて無理をする。子どもの心や意思など、お構いなし。こうして子
どもは、空回りをし始める。

 それはたとえて言うなら、つまらない仕事を毎日、繰りかえすのに似ている。給料がもらえる
から、がまんする。ただ、それだけ。

 さらに役割混乱を起こすと、精神状態そのものが、緊張状態に置かれ、情緒も、きわめて不
安定になる。それはたとえて言うなら、大嫌いな男と、いやいや結婚した女性の心理と似てい
る。いくら財産があると言われても、いやなものは、いや。

 毎日がゆううつ。つまらない。おもしろくない。

 つまり、こういう状態で、子どもは伸びるはずはない。

 「うちの子どものことは私が一番、よく知っている」と、いつも、子どもの心や意思を無視して
いる親ほど、要注意。あなたの子どもが、ここでいう空回り児になるのは、時間の問題と考えて
よい。

問、あなたは、いつも、子ども心を確かめながら、生活をしていますか?
問、あなたは、いつも、子どもの心がどこにあるか、それを知ってしますか?
問、あなたは、いつも、子どもの進路や、方向性を、子どもに押しつけていませんか?

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●親のうしろ姿

 若いころ、帰省するたびに、父や母が、ガクンガクンと、年老いていくのを見て、ショックを受
けたことがある。

 今、私たち夫婦は、その反対の立場になった。それで数日前、ワイフと、こんな話しあいをし
た。

 「ぼくたちは、いつまでも、息子たちには、うしろ姿を見せないでおこうね」「心配をかけないよ
うにしようね」と。

 とても残念なことだが、私の父や母は、ちがった。私に、その(うしろ姿)を見せつけながら、
いつも、「息子なんだから、何とかしてほしい」と迫った。具体的には、金をせびった。

 私の実家は、私が高校生のころには、すでに火の車。姉の結婚式の費用さえなくて、持ち家
を、近所の人に売った。祖父が死に、父が死ぬと、火の車には、さらに拍車がかかった。

 それでいつしか、実家の家計を援助するのは、私の役目になってしまった。

 が、だからといって、それを私が負担に思っていたわけではない。それは当然のことと、私は
思っていた。私の義務と考えていた。疑いもしなかった。だから経済的な負担感は、ほとんどな
かった。

 むしろ逆で、母に、お金を取られるたびに、「チクショウ」と言って、その数倍は、働いた。それ
をバネとした。だから結果として、私は、いつも、たくましく生きることができた。

 しかしときどき息子たちが帰省してくるたびに、「自分たちはどう見えるのだろう」と思うことが
ある。そして息子の目を通して、ワイフの顔を見る。

 自分では若いつもりかもしれないが、ワイフも、年をとった。すっかりおばあちゃん顔になって
きた。しかたないこととは思うが、多分、息子たちはそういうワイフを見て、心のどこかでさみし
く思うにちがいない。

 昔から、日本では、『子どもは、親のうしろ姿を見て育つ』という。しかし私は、うしろ姿など、
見せたくないし、また見せるものではないと思っている。

 少なくとも息子たちの前では、いつも、堂々と生きていきたい。元気な姿のまま、生きていき
たい。これからの私たちの役目は、ただ一つ。息子たちには、心配をかけないこと。そして息
子たちが、生きることに疲れを感じるようなことがあったら、いつでも、もどってきて、羽を休め
るようにしておいてあげること。

 そのあとのことは考えていない。いないが、ワイフがいつも言うように、「ある朝、起きてみた
ら、死んでいた」というような死に方をしたい。

 それまでは、ただひたすら、前向きに生きる。ただただひたすら、前向きに生きる。

【一言】

 私は、親たちから、耳にタコができるほど、「産んでやった」「育ててやった」「大学まで出して
やった」と、そのつど、いわゆる(恩着せがましい)子育てを受けてきた。学生時代も、そのお金
で管理されていたように思う。

 「お金がほしかったら、親を大切に思え」と。

 (その割には、出してもらったのは、下宿代の1万円だけ。ほかの生活費は、すべてアルバイ
トで稼がねばならなかった。ハハハ。それにこう書いたからといって、親を責めているわけでは
ない。当時は、どこの親も、似たようなものだった。)

 だから私は、自分の息子たちを育てるとき、最初から、そういう(恩着せ)はしないと心に決め
た。

 しかしその反動というか、息子たちは、まさに自分たちのしたい放題。そう言う息子たちを見
ていると、つい言いたくなる。「育ててやったではないか」と。

 しかしそれを口にしたら、おしまい。私の負け。だからそれだけは、口が裂けても言わないと
心に決めている。読者のみなさんは、どうか?

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●歩く(2)

 今日も、片道、7キロを歩いた。雨の中だった。途中、郵便局とビデオショップに寄った。手紙
を出して、ビデオを返した。

 ひどい雨だった。気がつくと、うしろに背負ったバッグが、びしょ濡れだった。「小さなカサだ
な」と、そのとき、気がついた。

 歩いていると、やがて呼吸が小刻みに速くなる。と、同時に、あちこちの筋肉が、サワサワと
動き出す。ここちよい感覚だ。そのここちよさを味わいながら、さらに大またで歩く。

 こうして元気に歩ける喜び。……と書くと、少し大げさに聞こえるかもしれないが、私はそう思
った。昨年(04)の夏は、最悪だった。猛暑に加えて、精神的疲労や肉体的疲労、それに、夏
風邪がつづいた。毎朝、目をさましてから、体を起こすだけでも、たいへん。「いったい、ぼくの
体はどうなってしまったのか?」と思った。

 幸い、体調はもどった。68〜9キロから63キロ前後に減量したのも、よかった。体がスイス
イと動くようになった。うれしかった。その喜びが、一歩一歩と、歩くたびに、全身を包む。

 「あと2年だ」と思った。息子のEが、パイロットになったら、私は、Eが操縦する飛行機に乗せ
てもらう。今朝、宮崎のK大に向かうとき、Eはそれを約束してくれた。

 そのとき、「あと2年は、ぜったいにがんばるぞ」と思った。パイロットになるのは、私の夢だっ
た。子どものころの夢だった。その夢を、Eが、かなえてくれる。

 しかしこうして雨の中を歩く決意をさせたのは、そのことではない。Eは、このしばらくの休み
の間、ずっと、近くのスイミングクラブへ通った。体力をつけるためだそうだ。そういうEの姿を
見て、私も刺激された。「息子なんかに、負けてたまるか」と。

 で、数日前、二人で並んで、記念撮影をした。Eにしてみれば、二度目の大学の入学式であ
る。が、できた写真を見て、びっくり。

 私は166センチ。Eは、180センチ。身長差は、14センチである。それは知っていたが、写
真で見ると、まるでおとなと子どもほど、ちがう。私は、いつの間にか、縮んでしまったようだ。
ショックだった。それにEの横の私は、ジジ臭い顔をしていた。

 しかしこれが現実。まぎれもない現実。私は、それを受け入れるしかない。今さら、Eと張りあ
っても、勝ち目はない。わかっている。

 そんなことを思い出しながら、歩いた。今日は、少し速足で歩いたので、70分くらいで着い
た。7000メートルを70分だから、分速、100メートルということになる。

 案の定、教室へ着くと、ずぼんと靴下は、びしょびしょ。バッグを棚にかけておいたら、その下
に、やがてすぐ、水たまりができた。熱いお茶を飲んでいると、やがて子どもたちの声が階下
から聞こえてきた。

 さあ、今日も、がんばるぞ! ハハハ。(何となく、風邪をひきそうな雰囲気になってきた…
…。)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


●自分の時間

 仕事から帰ってきたのが、夜8時ごろ。それから寝室を掃除して、兄を、風呂に入れた。ワイ
フが、「もう3日も入ってないのよ」と言った。

 今、時刻は、午後の10時、少し前。やっと自分の時間ができた。昨夜はたっぷりと睡眠時間
をとった。それに明日からは、春休み。今夜は、徹夜で原稿を書けそう。(ああ、幸せ!)

 で、今日もいろいろあった。

 最初に思い出したのが、「信頼関係」。

 以前、一匹の犬を飼っていた。かわいそうな犬で、動物園の動物たちのエサに回される寸前
の犬だった。そのため、心に大きなキズを負っていた。

 その犬のこと。まるで忠誠心がなかった。裏の門戸が少しでもあいていると、そのまま、どこ
かへ逃げていってしまった。いくら説教しても、ムダだった。番犬にもならなかった。だれに対し
ても愛想がよく、シッポを振った。人間を信じていたから、そうしたのではない。人間を、基本的
な部分で信じていなかったから、そうした。

 そのときもそうだった。あわてて道路に出てみると、その犬は、道路の向こうのほうを、スタス
タと歩いているところだった。私はその犬の名前を呼んだ。当然、私のところへ走りよってくるも
のとばかり思っていた。

 が、その犬は、私の姿を見ると、一目散に、逃げ始めた。私は、そのありえない光景に、あ然
としてしまった。「何という犬!」と思いながら、あとをおいかけた。

 人間も、また同じ。

 母子の間に、基本的な信頼関係を結ぶことができなかった子どもは、同じような症状を見せ
る。人間というか、おとなを、基本的な部分で信じていない。だから何か仕事をさせたり、指示
したりしても、それを一度は、疑ってかかってくる。

 あとは、お決まりの、言い訳、とぼけ、言いのがれ、そして、はぐらかし。

 H君(中2男子)がそうだった。柔和な表情で、おとなしい子どもだった。従順だが、ハキもな
かった。いつもノソノソと行動するタイプの子どもだった。

 ところがある日、教室へ行ってみると、ゲームの機器が床の上に落ち、カバーが割れてい
た。ほかにもう1人、子どもがいて、「H君がこわした」と言った。私はH君に向って、「君がした
のか?」と聞いた。

 が、突然、H君は、自分のかけていたメガネを床にたたきつけ、それを足で踏んだ。突発的と
いうか、瞬間のできごとだった。

 H君は、下を見ながら、こう言った。「メガネが割れた」と。

 とても意識的な行為には見えなかった。つまりH君は、自分が叱られる前に、先手を打った。
先手を打って、自分のメガネを割り、その場を逃げようとした。私には、そう見えた。

 これはずっとあとになってからわかったことだが、H君も、不幸な乳幼児期を過ごしていた。
私が飼っていた犬に近いような境遇だった。

 基本的な信頼関係は、絶対的な安心感のある家庭で、はぐくまれる。「絶対的」というのは、
「疑いすらいだかない」という意味である。

 ところで、これらの話とは対照的に、こんな話もある。

 私はもう一匹の犬を飼っている。この犬は、愛犬家の家で生まれ、生後3か月まで、母親の
犬のところで育った。私がもらいうけてからも、私は、毎晩、その犬を抱いて寝た。

 その犬を、よく中田島の砂丘へ連れていく。そこでヒモをはずしてやる。とたん、その犬は、縦
横無尽に走り出す。そのとき、私は、ふと、こんなことを思う。思うだけで、実行したことはない
が、こう思う。

 その犬が、私の視界から消えたとき、もし私が裏手の松林かどこかに隠れたら、その犬は、
どのような反応を示すか、と。

 しかしその犬は、そんな私の思いなど、まったく知らぬといったふうに、相変わらず、走り回っ
ている。

 もちろん私が隠れれば、その犬は私をさがすだろう。しかしそのとき、同時に、私とその犬の
信頼関係は、崩れる。崩れないにしても、つぎからこの中田島砂丘へくるたびに、私のことを心
配するだろう。安心して、砂浜を走れなくなるだろう。

 だから私は、そんなことはしない。そういう誤解を招くこともしない。私は、いるべき場所に座
って、じっと待っている。その犬が、満足して、帰ってくるまで、じっと待っている。たとえ相手が
犬でも、そういう信頼関係は、大切にしなければならない。

 だからというわけでもないが、その犬は、先に書いた犬とは、性格がまったくちがう。裏の門
戸があいていても、ぜったいに外には出て行かない。忠誠心も旺盛で、見知らぬ人が無断で
入ってきたりすると、けたたましくほえる。番犬になる。

 そういう形で、その犬は、私たち人間との信頼関係にこたえようとしているのかもしれない。

 つぎに考えたこと。

 さきほど、私のHPのデザインを少し変えた。新しいパソコンにしてから、スイスイと作業がは
かどる。気持ちがよい。

 パソコンというのは、そういう意味で、たいへんデリケートな電気製品である。余計なことをす
ると、すぐ調子が狂う。だから調子よく働くときは、余計なことはしない。

 が、人間というのは、横着なもの。つい、何かをしたくなる。アンチ・ウィルス・ソフトを交換して
みたくなったり、ワープロソフトを更新してみたくなったりする。おとといは、古いパソコンだった
が、それをして、そのまま調子を悪くしてしまった。

 しかたないので、昨夜、ビデオを見ながら、リカバリー(OSの再インストール)をした。その
間、時間を、2時間ほど、ムダにした。

 とにかく、余計なことはしない。それはパソコンとつきあうときの、大鉄則。

 そうそう最近、子どもたちに漢字を教えるとき、ふと、困るときがある。思うように、漢字が書
けないことがある。このことは、すでに15年ほど前から経験していることなので、今さら問題に
するほうが、おかしいかもしれない。

 ワープロの影響である。

 一番、よく記憶しているのは、デパートで、届け物を注文したときのこと。そのとき、私は、「札
幌(さっぽろ)」という漢字が書けなかった。「エート、どんな字でしたけ?」と、店員さんに聞い
て、恥をかいてしまった。

 ところで、今、岐阜県の。「岐阜」という字を書けない人が多いと聞く。私にとっては、何でもな
い字だが、そうでない人には、そうでないようだ。私は、その岐阜県生まれ。

 最後に、私は酒を一滴も飲めない。飲めないくせに、先ほど、ワイフにつられて、養M酒なる
酒を、杯(さかずき)に一杯、飲んでしまった。明日の朝は、二日酔いで頭痛が起きるかも?

 それがこわいから、今、ウーロン茶をガブガブと飲んだ。
(以上)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●掲示板への相談より

++++++++++++++++++++++

私のHPの掲示板に、つぎのような相談が寄せられた。
この方のもつ問題について、考えてみたい。

++++++++++++++++++++++

はじめまして。KYといいます。

育児のHPを巡っているうち、こちらにたどりつきました。
いろいろと大変参考になり、食い入って読んでしまいました。

我が家には3歳、1歳の息子がいます。
3歳のお兄ちゃんは、凄く父親に甘えます。
これは1歳頃からそうなのですが、父親が本当によく子供の面倒を、丁寧にみる人で、飽きず
とよく相手をしてくれ、食事の面倒も、オムツ替えも、いる時は育児のすべてをしてくれます。

小さい頃はそれで沢山の愛情を注がれて、いいことだと思っていたのですが・・・。

お兄ちゃんは3歳過ぎてからは、私と普段一緒にいる時はお利口で、頼んだことは何でもよく
やってくれるし、ワガママもほとんど言いません。

3歳過ぎてから、上の子と一緒にいても、楽になったと感じます。(それまではそれなりに大変
だったので)
でも、休日に父親がいると、変貌。

ご飯も自分で食べない、トイレも一人で行かない、どこかに出かければ「抱っこ!」、常に父親
に遊び相手を要求し、とにかく1日中父親にベッタリなのです。

私が変わりにしてあげようとしても、「お父さん!!」と、私は全く無視。
休日に父親が一人でどこかに出かけてしまうと、大泣きです。(しばらくすれば泣きやみます
が)

そして、父親もそれに、すべて応じてしまうのです。

普段、真夜中帰りの父親なので、平日は子供と会うのは、朝のほんの数十分。
下手すると、子供の起きる時間が遅いと、会えない日もたびたびあります。
私が何でもやってしまう旦那に注意をしても、「普段はちゃんと一人でやってるんだろ? 休日
の時ぐらい、甘やかしてあげないと」と言い、本当に甘いんです。

叱るなんてこともよほどでなければしないですし、子供が「〜〜買って!」と言えば、すぐに自分
のおこづかいで買ってあげてしまいます。(いつもではありませんが)

確かに私は、どちらかと言えば面倒見も良くないですし、子供の相手も上手じゃないです。
下の子が生まれて、日ごろ、いろいろと我慢している部分もあるでしょうし、それで余計にお兄
ちゃんを甘やかしてあげたいということなんでしょうが、それでもあまりにお兄ちゃんが父親に
ベッタリで、まさしく依存してしまっているので、このまままでいいのか困惑しています。

私の育て方がよほどダメなのかと悩むこともしばしばです・・。

そして、父親自身、ドラ息子なのです(笑)
長男として、家を継ぐものとして、甘やかされ育っています。(今は同居していませんが)

まず一緒にいて、自立心がないのが苦になります。
自分のことなのに、人の責任にして、人を責めたりします。
自分のことを自分でしない。

人(私)がやって、当たり前なんです。
旦那のことは諦めていますが、子供にはこう育って欲しくないんです。
でも、今のように旦那が子供に全て手を出していると、自立できないようで怖いんです。

よろしければ、アドバイスを頂けたらと思います。
よろしくお願いします。

+++++++++++++++++++++

【はやし浩司より、KYさんへ】

 掲示板への投稿、ありがとうございました。

 どこか、それでいて、ほほえましい親子関係が、頭に浮かんできます。まあ、ふつうの言い方
をすれば、あなたの夫は、子煩悩(ぼんのう)、よき家庭人であり、よきパパということになりま
す。

 ただ、それが少し、度を越している?

 原因は、ご指摘のとおり、あなたの夫自身が、甘やかしと、きびしさの同居する、どこかアン
バランスな家庭環境で、生まれ育ったことが考えられます。「長男だから……」と言って、甘や
かされ、同時に、「長男だから……」と言って、きびしく育てられた(?)。

 つまり夫の中の「父親像」が、かなり混乱していると思われます。私の印象では、あなたの夫
が育った環境は、ベタベタに甘い母親(夫の母親)が一方にいて、権威主義的で、きびしい父
親(夫の父親)が、もう一方にいるというような、そんな家庭環境ではなかったかと思います。

 (あくまでも、私の推察ですが……。)

 同時に、あなたの夫の、情緒的な未熟さも、疑われます(失礼!)。おとなになりきれていない
というか、どこかにピータパン・シンドローム的※なところがあるのかもしれません。一見、子ど
もを深く愛しているかのように見えますが、どこかでき愛的(?)。そんな感じがします。(でき愛
は、「愛」ではありませんよ。念のため。)

 で、こういうケースでは、あなたが夫を作り変えようとか、夫に改めてもらおうと考えても、意味
がありません。ムダです。あなたの夫を教育するのは(失礼)、あなたの子どもを教育するよ
り、何倍も、むずかしいということです。

 では、どうするか。あなたの夫については、現状を受け入れ、あきらめ、その上で、よりベター
な方法を考えるしかありません。たしかに、あたなにとっては、深刻な問題かもしれませんが、
全体としてみると、マイナーな問題です。多少の弊害は子どもに現れるでしょうが、しかしそれ
ほど深刻な後遺症を残すということも、ありません。

 この時期、一過性の問題として、すむはずです。ですから、「自立できなくなる」とか何とか、
そんなふうにおおげさに考えないで、夫と協調して、足りない部分については、あなたが妻とし
て、母親として、補えばよいのではないでしょうか。

 (反面、あなた自身は、どこか都会的、もしくは欧米型の合理主義的な家庭で育てられた可
能性が高いようですね……。これもあくまでも、私の推察にすぎませんが……。)

 3歳の子どもの側からみると、1歳の弟に、母親に取られたと感じているのかもしれません。
そこで父親を自分のものにしたいと思っているのかもしれません。嫉妬による赤ちゃんがえり
の、やや変形したバリエーションの一つと考えられます。

 ですから症状としては、どこか「分離不安」的な症状に似ています。(父親の姿が見えなくなっ
て、ワーッと泣きだして、父親のあとを追いかける子どもも、珍しくはありません。)しかしこれも
3歳という年齢を考えるなら、やはり一過性の問題と考えます。

 子どもの自立が問題になるのは、子どもが親離れを始める、10歳前後と考えてください。む
しろ今の時期は、親の拒否的な育児姿勢や育児放棄。冷淡、無視、暴力などが、大きな問題
となる時期です。

 幸いにも、KYさんのご家庭は、その正反対ですから、あまり神経質にならないで、夫に任す
ところは、夫に任せたらよいと思います。(先にも書いたように、問題があるといえば、あります
が、しかしこの程度の問題は、どの家庭にもあります。)

 あなたの夫が、ドラ息子的であるとしても、それはもう、どうにもなりません。いろいろ不平、
不満もあるでしょうが、あきらめて、うまく家庭をまとめるしかないでしょう。そのかわり、私が発
行している電子マガジンなどを、そのつど読んでもらうという方法は、いかがでしょうか。

 親のでき愛にせよ、親像の問題にせよ、ドラ息子論にせよ、そのつど、テーマとして、とりあ
げています。あなたの夫にも読んでもらえれば、それなりに参考になるはずです。

 これから先、まだまだ子育てはつづきます。ぜひ、私のマガジンを購読してみてください。よろ
しくお願いします。

++++++++++++++++++++

ピーターパンシンドロームについて、以前
書いた原稿を、少し手直しして、添付します。

++++++++++++++++++++ 

●ピーターパン・シンドローム

ピーターパン症候群という言葉がある。日本では、「ピーターパン・シンドローム」とも
いう。いわゆる(おとなになりきれない、おとな子ども)のことをいう。

この言葉は、シカゴの心理学・精神科学者であるダン・カイリーが書いた「ピーターパ
ン・シンドローム」から生まれた。もともとこの本は、おとなになりきれない恋人や息子、
それに夫のことで悩む女性たちのための、指導書として書かれた。

 症状としては、無責任、自信喪失、感情を外に出さない、無関心、自己中心的、無頓着
などがあげられる。体はおとなになっているが、社会的責任感が欠落し、自分勝手で、わ
がまま。就職して働いていても、給料のほとんどは、自分のために使ってしまう。

 これに似た症状をもつ若者に、「モラトリアム人間」と呼ばれるタイプの若者がいる。さ
らに親への依存性が、とくに強い若者を、「パラサイト人間」と呼ぶこともある。「パラサ
イト」というのは、「寄生」という意味。

 さらに最近の傾向としては、おもしろいことに、どのタイプであれ、居なおり型人間が
ふえているということ。ピーターパンてきであろうが、モラトリアム型であろうが、はた
またパラサイト型であろうが、「それでいい」と、居なおって生きる若者たちである。

 つまりそれだけこのタイプの若者がふえたということ。そしてむしろ、そういう若者が、
(ふつうのおとな?)になりつつあることが、その背景にある。

 概して言えば、日本の社会そのものが、ピーターパン・シンドロームの中にあるのかも
しれない。

 国際的に見れば、日本(=日本人)は、世界に対して、無責任、自信喪失、意見を言わ
ない(=感情を外に出さない)、無関心、自己中心的、無頓着。

 それはともかく、ピーターパン人間は、親のスネをかじって生きる。親に対して、無意
識であるにせよ、おおきなわだかまり(固着)をもっていることが多い。このわだかまり
が、親への経済的復讐となって表現される。

 親の財産を食いつぶす。親の家計を圧迫する。親の生活をかき乱す。そしてそれが結果
として、たとえば(給料をもらっても、一円も、家計には入れない)という症状になって
現れる。

 このタイプの子どもは、乳幼児期における基本的信頼関係の構築に失敗した子どもとみ
る。親子、とくに母子の関係において、たがいに(さらけ出し)と(受け入れ)が、うま
くできなかったことが原因で、そうなったと考えてよい。そのため子どもは、親の前では、
いつも仮面をかぶるようになる。ある父親は、こう言った。「あいつは、子どものときから、
何を考えているか、よくわからなかった」と。

 そのため親は、子どもに対して、過干渉、過関心になりやすい。こうした一方的な育児
姿勢が、子どもの症状をさらに悪化させる。

 子どもの側にすれば、「オレを、こんな人間にしたのは、テメエだろう!」ということに
なる。もっとも、それを声に出して言うようであれば、まだ症状も軽い。このタイプの子
どもは、そうした感情表現が、うまくできない。そのため内へ内へと、こもってしまう。
親から見れば、いわゆる(何を考えているかわからない子ども)といった、感じになる。
ダン・カイリーも、「感情を外に表に出さない」ことを、大きな特徴の一つとして、あげて
いる。

 こうした傾向は、中学生、高校生くらいのときから、少しずつ現れてくる。生活態度が
だらしなくなったり、未来への展望をもたなくなったりする。一見、親に対して従順なの
だが、その多くは仮面。自分勝手で、わがまま。それに自己中心的。友人との関係も希薄
で、友情も長つづきしない。

 しかしこの段階では、すでに手遅れとなっているケースが、多い。親自身にその自覚が
ないばかりか、かりにあっても、それほど深刻に考えない。が、それ以上に、この問題は、
家庭という子どもを包む環境に起因している。親子関係もそれに含まれるが、その家庭の
あり方を変えるのは、さらにむずかしい。

 現在、このタイプの若者が、本当に多い。全体としてみても、うち何割かがそうではな
いかと思えるほど、多い。そしてこのタイプの若者が、それなりにおとなになり、そして
結婚し、親になっている。

 問題は、そういう若者(圧倒的に男性が多い)と結婚した、女性たちである。ダン・カ
イリーも、そういう女性たちのために、その本を書いた。

 そこでクエスチョン。

 もしあなたの息子や、恋人や、あるいは夫が、そのピーターパン型人間だったら、どう
するか?

 親のスネをかじるだけ。かじっても、かじっているという意識さえない。それを当然の
ように考えている。そしてここにも書いたように、無責任、自信喪失、感情を外に出さな
い、無関心、自己中心的、無頓着。

 答は一つ。あきらめるしかない。

 この問題は、本当に「根」が深い。あなたが少しくらいがんばったところで、どうにも
ならない。そこであなたがとるべき方法は、一つ。

 相手に合わせて、つまり、そういう(性質)とあきらめて、対処するしかない。その上
で、あなたなりの生活を、つくりあげるしかない。しかしかろうじてだが、一つだけ、方
法がないわけではない。

 その若者自身が、自分が、そういう人間であることに気づくことである。しかしこのば
あいでも、たいていの若者は、それを指摘しても、「自分はちがう」と否定してしまう。脳
のCPU(中央演算装置)の問題だから、それに気づかせるのは、容易ではない。

 が、もしそれに気づけば、あとは時間が解決してくれる。静かに時間を待てばよい。
(040201)(はやし浩司 ピーターパン シンドローム ピータパンシンドローム モラトリアム
人間 パラサイト人間 ダン・カイリー 大人になれない若者)

+++++著作権BYはやし浩司++++++copy right by Hiroshi Hayashi++++※

最前線の子育て論byはやし浩司(613)

●ボケ兄行上記

 今日、一度、姉に、兄を返すことにした。住民票が、まだ姉のほうにあること。そのため介護
申請が、こちらではままならないことなどがある。しかし本当の理由は、ワイフに疲れが見られ
るようになったこと。血圧も、この数か月で、xxmmHgもあがってしまったという。

 ワイフは、私のように、兄に命令したり、怒鳴ったりすることができない。どこか遠慮してい
る。それがかえってよくないらしい。

 私は、兄に向って、「おい、バカ、服をかえろ」というような言い方ができるが、ワイフには、そ
れができない。いつも「兄さん」と呼んでいる。

 その兄で、一番、困るのが、基本的な誠実さが、ないこと。ウソはつく、言い訳はする、とぼけ
る、はぐらかす。約束など、するだけムダ。しても、数分も、もたない。だから、約束のようなこと
は、しない。

 「こちらの部屋には入ってはだめ」と言っても、兄には、「入れ」と聞こえるらしい。昨夜も、掃
除をしていたら、ビリビリに破った賞状が何枚か出てきた。息子たちが学校でもらってきた賞状
である。

 ワイフは、それらをたんねんにセロテープでなおしながら、下を向いて黙っていた。「どうして
破ったのか」と聞いても、どうせ「ぼくは、知らない」と答えるに決まっている。だから、もう聞か
ない。

 それにおかしな完ぺき主義もあって、たとえばカセットレコーダーでも、少しこわれると、それ
を壁にたたきつけて、さらにこわしてしまう。そしてそのあと、「ラジオが聞けなくなった」と、泣く
フリをしたりする。

 ずるいと言えば、万事にずるい。

 とはいっても、私には兄。どこか、自分の息子のような思いが、そこにある。できの悪い息子
だが、そこに、強いあわれみを感ずる。しかしワイフに、そこまで期待することは、できない。

 トイレや風呂は、よごす。風呂の中で、体を洗う。下着を洗濯しても、何枚かを、一度に着てし
まう。それにどういう理由かはわからないが、フトンの端を、破って、その中から、綿を出してし
まう。

 ボケた人がする行動には、予想がつかない。何をするか、まったく予想がつかない。その予
想がつかないところが、不気味ですらある。

 数日前から、「時計がない」と言い出した。またどこかへ捨ててしまったのだろう。あるいは私
が、勝手に時計の針をいじったのが、まずかったのかもしれない。ワイフには、「浩司が隠し
た」と、言っているという。

 とこどき、ふつうの兄に戻る。しかし長くはつづかない。心を通わせるとしても、どう、通わせ
たらよいのか。このあたりに、ボケ老人の介護の、最大の問題がある。

 心の交流ができれば、まだ救われる。苦労が、報われる。しかしその交流が、ない。できな
い。兄にしてみれば、私たちは、よき使用人でしかない。そういう意識さえないのかもしれない
が、しかし何ごとにつけても、(してもらうのが、当たり前)といった、態度を示す。

 「少しは自分で始末しろ!」と、言いながら、結局は、私とワイフが、することになる。そうそう
昨日、下駄箱をあけたら、その中から、よごれたティッシュが、どっさりと出てきた。どれにも、
大便がついていた。

 今さら理由など聞いても、始まらない。叱っても意味はない。私たちがすべきことは、黙って、
それを片づけること。

 ……と書きながら、ボケた兄の問題は、つぎの10年後、20年後には、そのまま私たちの問
題ということになる。だれにも、老いはやってくる。そしてボケ方はさまざまであるにせよ、私た
ちも、ボケる。

 それはしかたないとしても、それが人生の終着点かと思うと、生きることのわびしさすら覚え
る。それは若い女性が、やがてすぐ、花が枯れるように、その輝きを失っていくのを見るわびし
さに似ている。

 今度は、命そのものが、枯れ始める。枯れて輝きを失い始める。

 しかしそんな兄だが、私は、その兄から、多くのものを学んだ。

その第一。気がついてみたら、教室での、子どもたち(生徒たち)への接し方が、大きく変わっ
ているのを、私は知った。子どもたちのもつ、知力、体力に対して、畏敬(いけい)の念すら、感
ずるようになった。つまり(生きる力)そのものに、感動するようになった。

 それは大病を経験した人が、健康のありがたさを実感するのに似ている。子どもたちの能力
をていねいに観察しながら、「兄の○○の部分は、小1程度だな」「○○の部分は、4歳児程度
だな」と。そう思ったとき、その能力のすばらしさというか、重要さが、改めて認識できるようにな
った。

 人は、それまであったものを失ってはじめて、そのものの価値を知る。賢い人は、その価値
をなくす前に気づく。しかし私のように、愚かな人間は、なくしてから、その価値に気づく。

 兄は、兄のボケを通して、それを私に教えてくれた。

 姉はこれから先のことを、あれこれ心配していた。しかし私は、心配しない。つまりなるように
しか、ならない。それは人間が、生きる過程で、原罪的にかかえる宿命のようなものだからだ。

 かく言う私だって、そしてこの文章を読んでいるあなただって、一つの人間というワクの中で
見れば、ボケた兄と、同じなのだ。どこもちがわない。ちがうと思っているのは、私やあなただ
け。そう思いたいから、思っているだけ。

 おとといも、バリカンで、兄の散髪をしてやった。他人にすれば、兄思いの弟と思うかもしれな
いが。実は、そうではない。今では床屋へ行っても、4000〜4500円の料金がかかる。その
料金が、おしいから、そうしているだけ。

 つまり介護をされる人も、介護をする人も、いつも何かをごまかしながら、介護され、介護す
る。私の立場でいうなら、何も好きこのんで、介護をしているわけではない。見るに見かねて、
やむにやまれず、しているだけ。

 愛だとか、慈悲だとか、そんな大げさな問題ではない。介護される人は、最後には、人間的な
醜さをさらけ出す。そしてそれを受け取る私たちもまた、その醜さに操られる。つまりそれを、
私は「原罪的な宿命」と呼んでいる。人間の力では、どうしても超えることのできない、(醜さ)と
言いかえてもよい。私は、それを知った。

(MHさんへ……)

 MHさんという方から、こんな内容のメールが届きました。「林さんが、ご家族の方(=兄)につ
いて書かれるのはいいと思いますが、中には、興味本位で読んだり、林さんの内情をスパイす
るために読んでいる人もいますから、注意してください」と。

 遠い親戚にあたる人でした。親切な方です。実は、そういう人が、昔から何人かいることを知
っています。そして「林がこんなことを書いている」「あんなことを書いている」と、つげ口をしてい
ます。

 いやな人たちですね。ホント! しかし私は、そういう人を相手にしていません。もとから…
…。

+++++++++++++++++++

●韓国型「文化大革命」

 韓国で、今、反日運動が、燃え広がっている。その一つ、親日派教授たちが、学生たちによ
って、つぎつぎと名指しで、つりしあげられている。

 朝鮮日報は、つぎのように伝える(3・29)。

「KR大学総学生会は、28日に行った内部調査の結果をもとに「親日教授」10人の名簿を発
表した。……(中略)…… 学生たちに「親日派教授」という烙印(らくいん)を押されれば、それ
を乗り越えることができる教授はいないだろう。とくに、日本植民地時代について研究する教授
らは、研究と教育でも学生たちの監視の視線を意識せざるを得ないだろう」と。

 今、韓国では、とんでもないことが起き始めているとみてよい。こうした運動は、KR大学にか
ぎらず、全国に飛び火している。

 まさに日本、憎し……といったところか。

 が、もし日本が、その逆のことをしたら、韓国の人たちは、どのような反応を示すだろうか。実
に愚かな、復古主義的被害妄想である。

 韓国経済は、一部の大企業をのぞいて、大不況のまっただ中にある。そうした不満が、こうし
た反日・反米闘争に火をつけていると考えられないだろうか。私の印象では、こうした反日・反
米運動は、N大統領が政権の座にいるかぎり、さらにはげしくなると思われる。N大統領自身
が、自分の失政の責任をかわすために、反日・反米運動に、すりかえている(?)。

 では、肝心の日本は、どう対処すべきか。

 答は簡単。冷静に無視するのが、一番、よい。そうした運動を展開して、結局は、一番、損を
するのは、韓国の人たち自身だからである。こういうのを、彼らの言葉を借りるなら、『ブーメラ
ン効果』(東亜日報)という。

 韓国のGDPは、51兆円。日本の500兆円の、約10分の1。韓国の経済規模は、日本の九
州と四国を合わせた60兆円より少ない(I大・イノベーションセンター)。東京都のGDPだけで、
日本は、157兆円もある!

 ちなみにK国のGDPは、218億ドル(97年推計)。たったの約2兆円。

 「日本、憎し」の気持ちはわからないでもないが、こうまで日本人を怒らせて、韓国の人たち
は、どうするつもりなのだろう。今、ここで、本気で、日本の銀行団が、韓国から外資をひきあ
げ始めたら……?

今、大切なことは、おたがいに、前に向って、進むこと。親日派教授を糾弾(きゅうだん)して、
それが何になるというのか。韓国の未来に、どうプラスに働くというのか。

 今、韓国の学生たちがやっていることは、あの文化大革命(1966−76)のとき、紅衛兵た
ちがしたこととそっくり。あの文化大革命のときは、ヒステリックな感情論だけが先行し、結局
は、文化や伝統を破壊し、国家を衰退させてしまった。

 今年中に、K国は、核実験をするつもりらしい。(もし、本当に核兵器をもっているなら……。)
今まさに、そこに巨大な危機が迫っているのに、反日。反米運動なんか、していてよいのか。

 私は、もう知らないぞ! ご勝手に、どうぞ!

【追記】

 つい先ごろ、韓国のN大統領は、自衛隊のイラク派遣に反対を唱えた。一見、何でもないよう
な事実に見えるかもしれないが、これはアメリカに向って、「韓国を取るか、日本を取るか」の
択一を迫ったようなもの。

 結果として、アメリカは、「日本を取る」と言明し、そのため、米韓関係は、今や、崩壊の危機
に瀕している。

 その韓国は、今、躍起になって、日本の国連安保理常任理事国加入に、反対している。こう
した反日感情は、もとはといえば、日本がつくったものかもしれないが、こうまで反日色+反米
色の強いN氏が、韓国の大統領になったというのは、日本やアメリカのみならず、韓国の人た
ちにとっても、不幸なことだと思う。

 私たち日本人は、どこまでも冷静になろう。騒ぎたい国には、騒がせておけばよい。それが
日本の平和を守る、ゆいいつの方法だと、私は思う。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●自意識

 自意識というのは、自己意識、つまり「私は私」という意識をいう。しかし、その自意識を自分
で、自覚することは、むずかしい。

 自意識が過剰な人、あるいは自意識が軟弱な人を見て、つまりそういう人たちと、相対的に
自分を比較することによって、自分の自意識を知ることができる。

 自意識が過剰な人というのは、すぐわかる。あたかも自分が、世界の中心にいるかのように
振舞う。また世界中が自分に注目しているかのように振舞う。

 本当のところは、だれもその人のことなど注目していない。しかしそれを認めることは、その
人にとっては、敗北を認めるようなもの。だから、最後の最後まで、がんばる。

 自意識が過剰な人は、自分が注目されているときだけ、安心感を覚える。またそういう環境
を、自分のまわりにつくろうとする。「自分こそ、絶対ただしい」「自分は、みなに大切に思われ
るべき」というふうに考える。

 だからその行動は、どこか演技ぽくなる。言動がおおげさで、わざとらしい。そのため、反対
に無視されたりすると、猛烈にそれに反発したりする。

 もっとも子どもの世界では、この自意識をうまく利用して、その子どもの能力を伸ばすことは
珍しくない。自意識が軟弱になると、自信を喪失したり、未来に不安をいだいたりするようにな
る。ハキのない子どもになることもある。

 私は、もともと自意識過剰タイプと思う。(多分?)人の陰に隠れて静かにしているよりは、ワ
ーワーと騒いでいるほうが、楽しい。だれかがジョークを言ったりすると、すかさず、そのお返し
をしたりする。

 一方、ワイフは、私とは、どこかちがう。人の中で、目立つのを嫌う。嫌うというより、静か。最
初から、「どうでもいいや」というような雰囲気で、人とつきあう。私とは、どこか対照的。私が祭
りか何かの場で、「二人で、のど自慢に出よう」と誘っても、ワイフは、絶対に、応じない。

 ほかに、たとえば若いころテニスを始めた。そのとき私は、「ウィンババドン(=ウィンブルド
ン)に出るまでがんばれ」と励ましたが、ワイフはこう言った。「みんなと楽しくやれれば、それで
いい」と。

 みなと記念撮影などをするときも、ワイフは、いつも一番目立たない、うしろの列の端に立っ
たりする。(私は、中の列の前から見て、左側のほうに立つクセがある。)

 が、ここで誤解してはいけないのは、だからといって、ワイフは、決して軟弱な人間ではない。
強い。私より、はるかに強い。「自分」というものを、しっかりと持っている。孤独に強いし、精神
的にも安定している。昔から「芯(しん)の強い人」という言葉があるが、ワイフは、その「芯」が
強い。

 結婚してこのかた、私のワイフが、取り乱して、ワーワーと叫んでいる姿を、私は見たことが
ない。冷静で、沈着。ビデオを見ていても、ポロポロと涙を流すのは、たいてい私のほう。ワイ
フは、めったに、涙を流さない。

 となると、ここで自意識について、修正を加えねばならない。

 自意識といっても、精神的な完成度の高い人の自意識と、精神的な完成度の低い人の自意
識があるということ。

 力強いリーダーシップをとりながら、社会を指導していく人は、自意識が強く、またそれだけ精
神的な完成度の高い人ということになる。

 しかし同じ自意識でも、精神的な完成度の低い人のそれは、反対に、まわりの人との、かえ
ってトラブルの原因となりやすい。

 話がこみいってきたので、私を例にあげて考えてみよう。

 よくワイフは、こう言う。「あなたは、一生懸命、マガジンを発行しているけど、ひょっとしたら、
だれも読んでいないのかもしれないわよ。あなたは読んでもらっていると思って書いているけど
……」と。

 マガジンの読者の数は、マガジンを発行するとき、そのつどわかるしくみになっている。しかし
メールアドレスなどを変更したりして、実際には、私のマガジンを、まったく読んでいない人も多
いはず。

 私は「読んでもらっている」と信じて、マガジンを発行している。つまりそれが自意識ということ
になる。つまりその大部分は、(思い過ごし)と(思い込み)。

 が、ここで実際、本当の読者数は、その数字の100分の1とか、1000分の1とかであったと
したら、どうだろうか。読んでくれている人は、せいぜい、多くて10人とか……。

 私のことだから、かなりがっかりするだろう。つまりこのとき、私の精神力が試される。

 「それでも、私は書く」と言って書きつづければ、私は、それだけ精神力が強い、イコール、精
神の完成度が高いということになる。しかし「もう、だめだ」と、筆を折ってしまえば、精神力が弱
い、イコール、精神の完成度が低いということになる。

 私は、多分、後者だろうと思う。自分でも、それがよくわかっている。つまり自己意識は人一
倍強いくせに、(だからこんなマガジンを発行している)、精神的には強くない。毎日、自分を支
えるだけで、一苦労。今までにも、「マガジンの発行をやめよう」と思ったことは、何度かある。
一度は、廃刊のお知らせまで書いたことがある。(送信日の直前で、それを取りやめたが…
…。)

 だから私は、自意識を否定しない。しかし自意識だけでは、その人は、不完全のまま終わっ
てしまう。その自意識は自意識としながらも、同時に精神の完成をめざす。車でたとえて言うな
ら、この二つが両輪となって、車を支える。

 心理学でいう「自己意識」とは、少しちがった意見かもしれないが、私流の解釈として、ここに
書きとめておく。
(はやし浩司 自己意識 自意識)

++++++++++++++++++++

●夫婦VS育児

 どんな夫婦でも、それなりのプロセスがあって、結婚し、子どもをもうける。たいていは恋愛→
恋愛期間→結婚というプロセスを経る。それぞれの夫婦は、「私たちの恋愛だけは、ほかの人
たちのとは、ちがう」と思いがちだが、それはどうか?

 が、問題は恋愛ではない。男女が恋愛をする部分と、その男女が結婚し、子どもをもうけ、そ
してそのあと、育児をする部分は、別の問題であるということ。

 私はこれを、「夫婦の二層性」と呼んでいる。

 つまり恋愛は、純粋に感情的な問題だが、育児では、男女の思想性、哲学性、社会観、人生
観、それにそれまでにそれぞれが生まれ育ってきた過去が、真正面からぶつかりあう。

 こうした二層性は、国際結婚をしたカップルを見ていると、よくわかる。たとえば今では、ニュ
ージーランドの日本人学校の周辺にも、受験塾があるという。K式算数教室もあるという。

 「日本へ帰ってからのことが心配だ」というのがその理由だが、その夫婦が、ともに日本人な
ら、それほど大きな問題とはならない。

 たとえば夫が日本人で、妻が、ニュージーランド人であったとしたら……? あるいはその逆
でもよい。

 子どもの教育で、どう折りあいをつけるかは、そのつど、重大な問題となる。さらに、社会観、
男女観、夫婦観となると、もっと深刻な問題となる。オーストラリアでは、夫が妻に向かって、
「おい、お茶!(Hey,Tea!)」と叫んだだけで、離婚事由になるという。実際には、そういう夫
はいない。

 独特の教育観をもった夫と、親に溺愛されて育った妻。崩壊家庭に近い家庭環境で生まれ
育った夫と、両親の愛に恵まれて生まれ育った妻。高学歴の夫と、学歴とは無縁の世界で育
った妻などなど。

 組みあわせはいろいろある。そういう夫婦が、子どもを間にはさんで、対立する。……つまり
そういうケースは、多い。

 そこで夫婦は、たがいに悩む。「夫は、甘い」「妻は、冷たい」「息子を、夫のようにしたくない」
「妻は、放任すぎる」とか。

 こういう対立があっても、夫婦の間が、しっかりとした愛情で結ばれていれば、まだ救われ
る。話しあいもじゅうぶん、なされる。子育ての調整もできる。

 しかしそうでないときは、そうでない。『子は、かすがい』というが、裏を返せば、『子は三界の
足かせ』となる。

 そういうときは、どうするか?

 答は簡単。あきらめて、現状を受けいれる。ジタバタしても、始まらない。たとえば妻(=母
親)の側から見ても、夫(=父親)の教育をするのは、子を教育するより、何倍もむずかしい。

 たとえばあなたの夫が、かなりのマザコンタイプであったとしよう。しかしそうしたマザコン性
は、よほどのことがないかぎり、なおらない。あなたという妻の力くらいでは、どうにもならない。

 マザコンであることが、その夫の、哲学になっていることも多い。そんな夫に向かって、「あな
たはマザコンよ」と言えば、その先は、どうなるか? 

 育児にからんで、夫婦で対立するケースは、多い。教育の問題となると、さらに多い。だか
ら、あ・き・ら・め・る。

 料理でいえば、その場にある食材で、できるものを考えるしかない。食材がそろっていないの
に、寿司をつくろうとか、ビーフカレーをつくろうとか、そういうふうに考えるから、ムリが生まれ
る。

 あるもので、つくる。結局は、育児は、ここに行き着く。

 いろいろな問題はあるだろう。弊害や悪影響もあるだろう。しかし全体としてみると、こうした
問題は、一過性の問題で終わる。なぜなら、子どものもつ生きるエネルギーは、親が考えてい
るより、はるかに大きく、強力である。やがて子ども自身がもつ、自己意識が育ってくれば、子
ども自身が、そうした問題を乗り越える。

 親がどう願ったところで、子は、親の願いどおりには、いかない。かりに夫婦の方向性が一致
していても、だ。夫は息子をハーバード大へ。妻は息子を東大へ。しかし肝心の息子は、専門
学校を出て、職人になった……というケースは、いまどき、珍しくも、何ともない。

 ここで私は夫婦の「二層性」について書いた。

 つまり夫婦は、恋愛、結婚というプロセスを経て、さらに子どもをもうけて、この二層性を経験
する。しかしその子育ても終わると、再び、一層性にもどる。だから夫婦も、育児のことで、ム
ダにジタバタしないこと。

 だから繰りかえす。

 あきらめて、受けいれる。それよりも重要なのは、夫婦の信頼関係ということになるが、それ
については、つぎに考える。
(はやし浩司 育児 子育て 夫婦の対立 対立)


●夫婦の信頼関係

 夫婦の信頼関係も、(絶対的なさらけ出し)と、(絶対的な受け入れ)で決まる。「絶対的」とい
うのは、「疑いすら、もたない」という意味。

 しかしそれはあくまでも基盤。信頼関係をつくりあげるためには、共通の目的、共通の苦労、
共通の人生観をともにもたなければならない。しかしそれは1年や2年で、できるものではな
い。

 もし若い夫婦の中で、「私たちはたがいに信頼している」「愛しあっている」と思っている人が
いるなら、それは幻想と思ってよい。夫婦の信頼関係は、そんな生やさしいものではない。

 少し視点がかわるが、年をとると、ものの見方が少し変わってくる。たとえば小学生や中学生
の恋愛ごっこを見てみよう。「好きだ」「ふられた」「別れた」「取られた」などと、毎日のように騒
いでいる。

 しかし年をとると、やがて、中学生の恋愛ごっこも、高校生の恋愛ごっこも、それほど、ちが
わないように見えてくる。さらに、高校生の恋愛ごっこも、若い男女の恋愛ごっこも、それほどち
がわないように見えてくる。

 当の本人たちは、「私たちは、高校生とはちがう」と思っているかもしれないが、まあ、これ以
上のことを話しても、どうせ理解してもらえないだろう。

 つまり私が言いたいことは、夫婦の信頼関係をつくりあげるためには、もうひとつ、「時間」
「経験」「年輪」というファクターが、必要だということ。

 が、最終的に夫婦の信頼関係を決めるのは、実は、「命」である。

 私も、私のワイフには、たくさんの不満があった。ワイフにもあっただろう。しかし、自分で自
分の人生を生きてみてわかることは、私の人生には、いつも「限界」があった。はっきり言え
ば、「たいした人生は、送れなかった」。それに「たいしたこともできなかった」。

 「まあ、いろいろやってはみたけれど、私も、ごくふつうの平凡な男に過ぎなかった」と。そんな
私が、たとえばワイフに、今以上のものを、どうして求めることができるかということになる。

 あと、何年生きられるかということを考えると、なおさらである。10年か、20年か。私はそん
なことを考えるとき、いつも、ミレーの『落ち穂拾い』の絵を思い出す。何ともさみしい話だが、し
かし悪いばかりではない。あの絵に見られるような、そこには、深い、「味」が生まれる。

 若い女性の肌も美しいが、しかしシワでゆるんだ肌も、これまた美しい。若いときはいやだっ
たが、ワイフの腸内ガスのにおいも、これまた、悪くない。すべてを許し、すべてを受け入れて
いく。

 信頼関係は、こうして熟成されていく。

 だから私は、ふとこう思う。よく若い男女が、たがいに、「愛しているよ」「信じているよ」と言い
あっているのを聞くと、つい、「バカめ」と思ってしまう。「たがいに疑っているから、そういう言葉
を口にするのだ」と。

 絶対的に愛しあい、信じあっていたら、そんな言葉など、ぜったいに出てこない。

 ……と、書きつつ、「偉そうなことは言えない」と思ってしまう。

 私は本当に、ワイフを信じているかと聞かれると、どうも自信がない。そのことは、ワイフも同
じだろう。

 実は、まだたがいに苦労も足りないし、ここでいう「時間」「経験」「年輪」が、足りないように思
う。

 しかし最近では、あえて言わないようにしている。あの「愛しているよ」とか、「信じているよ」と
いう、どこかフワフワとした風船のような言葉だ。

 夫婦の信頼関係の問題は、これから先、私たち夫婦にとっては、じっくりと煮詰める問題とい
うことになる。

++++++++++++++

ジャン・フランソワ・ミレーの「落ち穂拾い」
で思い出したのが、つぎの
原稿です。2年前に書いたものです。

++++++++++++++

●不幸の形

 幸福というのは、なかなかやってこないが、不幸というのは、こちらの都合など、お構いなしに
やってくる。だから幸福な家庭というのは、みな、よく似ているが、不幸な家庭というのは、みな
顔が違う。

 その不幸が不幸を呼び、さらにつぎの不幸を呼ぶ。こういう例は少なくない。

 両親は離婚。兄は長い闘病生活のあと、自殺未遂。母親は、再婚をしたものの、半年でまた
離婚。そのあと、叔父の家に預けられて育てられたが、そこで性的虐待を受ける。その女性
が、17歳のときのことだった。

 そこで家出。お決まりの非行。そして風俗業。しかし悲劇はここで終わったわけではない。や
っと結婚したと思ったが、夫の暴力。生まれてきた長男は、知的障害。夫は、やがてほかの女
の家にいりびたるようになり、そして離婚。今、その女性は四五歳になるが、今度は乳がんの
疑いで、入院検査を受けることになった……。

 その人はこう言う。「どうして私だけが……?」と。

 一つのリズムが狂うと、そのリズムをたてなおそうと、無理をする。しかしその無理が、さらに
リズムを狂わす。だれしも不幸になると、そこがどん底の最悪、と思う。しかしその下には、さら
に二番底、三番底、さらには四番底がある。

 しかし人というには、皮肉なものだ。今、目の前にあるものを見ようとしない。見ても、その価
値に気づかない。仮に見ても、「まだ、何とかなる」「こんなはずではない」と、自ら、それを打ち
消してしまう。

 だから賢明な人は、そのものの価値を、なくす前に気づく。しかし愚かな人は、そのものの価
値を、なくしてから気づく。健康しかり。人生しかり。そして子どものよさ、またしかり。

 あなたは、本当に幸福か?
 それとも、あなたは本当に、不幸か?

 ある腎臓病だった人が、こんな投書を寄せている。何かの雑誌で読んだ話だが、こんな内容
だ。

 その人は、10年近く、重い腎臓病で苦しんだ。そしていよいよというときになって、運よく、腎
臓提供者が現れ、腎臓の移植手術を受けた。そしてそのあとのこと。はじめてトイレで小便をし
た。たまたま窓から、朝の陽光が差しこんでいたという。その人は、こう書いている。

 「自分の小便が黄金色にキラキラと輝いていた。私はその美しさに、感動し、思わず両手で、
自分の小便を受け止めてしまった」と。

 何気なくする小便にしても、それは黄金にまさる価値がある。その価値に気づくか気づかない
かは、ひとえに、その人の賢明さによる。言うまでもなく、賢明な人というのは、目の前にあるも
のを、そのまま見ることができる人をいう。

 その女性は、「どうして私だけが……」と言う。しかし本当にそうか? 

 だったら、冷静に、見てみろ! 「私は幸福だ」と笑っている、愚か者たちの顔を。抜けたよう
に、軽い顔を。彼らに、人生が何でえあるか、わかってたまるか! 生きるということが、どうい
うことか、わかってたまるか!

 見てみろ! 目の前にある青い空を。緑の山々を。白い雲を、その向こうにある宇宙を。もし
この世界に、神々がいるとするなら、そしてその神々に奇跡を起こす力があるとするなら、今、
私がここにいて、あなたがそこにいる。それこそが、まさに奇跡。それにまさる奇跡が、どこに
ある!

 釈迦の説話にこんな話が、残っている。あるとき、ある男が釈迦のところにやってきて、こう
言う。

 「釈迦よ、私は明日、死ぬ。死ぬのがこわい。釈迦よ、どうすればこの死の恐怖から逃れるこ
とができるか」と。

 それに答えて釈迦は、こう答える。「明日のないことを、嘆くな。今日まで生きてきたことを、喜
べ、感謝せよ」と。

 余談だが、釈迦自身は、「来世」とか、「あの世」をいっさい、認めていない。こういうあやしげ
な言葉(失礼!)を使うようになったのは、もっとあとの仏教学者たちで、しかもヒンズー教の影
響を受けた学者たちである。今の日本に残る経典のほとんどは、釈迦滅後、数百年を経て書
かれた経典ばかりである。ウソだと思うなら、釈迦の生誕地に残る原始経典(『スッタニパー
タ』、漢語で、『法句経』)を読んでみたらよい。法句経のどこにも、釈迦は、あの世については
書いてない。むしろ、釈迦自身は、あの世を否定している。(後世の学者たちが、ムリなこじつ
け解釈をしている点はいくらでもあるが……。)

 不幸だと思っている人よ、さあ、勇気を出して、目の前のものを見よう。目の前のものを見
て、それを受け入れよう。こわがることはない。恐れることはない。恥じることはない。

 不幸だと思っている人よ、さあ、そういう自分を静かに認めよう。あなたには無数の心のポケ
ットがある。奥深く、心暖かいポケットである。そのポケットを、すなおに喜ぼう。誇ろう。あなた
はすばらしい心の持ち主だ。

 不幸だと思っている人よ、さあ、ゴールは近い。あなたはほかの人たちが見ることができない
ものを見る。ほかの人たちが知らないものを知る。あなたのような人こそ、人生を生きるにふさ
わしい人だ。人の世を照らすに、ふさわしい人だ。

 あなたの夫にいかに問題があっても、あなたの子どもにいかに問題があっても、ただひたす
ら、『許して忘れる』。これを繰りかえす。それは苦しくて、けわしい道かもしれないが、その度
量の深さが、あなたの人生を、いつかやがて光り輝くものにする。

 ……いや、かく言う私だって、本当のところ、何もわかっていない。本当のところ、何一つ、実
行できない。しかしこれだけは言える。私たちが求めている、真理にせよ、究極の幸福にせ
よ、それは遠くの、空のかなたにあるのではないということ。私やあなたのすぐそばにあって、
私やあなたに見つけてもらうのを、息をひそめて、静かに待っている。

 過去がどうであれ、これからの未来がどうであれ、そんなことは、気にしてはいけない。今、こ
こにあるのは、「今という現実」だけ。私たちがなすべきことは、今というこの現実を、懸命に生
きること。ただただ、ひたすら懸命に生きること。結果は必ず、あとからついてくる。

 そう、私たちの目的は、成功することではない。私たちの目的は、失敗にめげず、前に進む
ことである。あの「宝島」をいう本を書いた、スティーブンソンもそう言っている。そういう有名な
言葉をもじるのは、許されないことかもしれない。しかしあえて、この言葉をもじると、こうなる。

 私たちの目的は、幸福になることではない。日々の不幸にめげず、前に進むことだ、と。

 もしあなたが不幸なら、ほんの少しだけ、あなたより不幸な人に、やさしくしてみればよい。あ
なたより不幸な人を、ほんの少しだけ、暖かい心で包んであげればよい。それで相手は救われ
る。と、同時に、あなたも救われる。

 あなたの子どもは、そこにいる。あなたはそこにいて、いっしょに生きている。友よ、仲間よ、
それをいっしょに、喜ぼうではないか。この100億年という宇宙の歴史の中で、そして100億
に近い人間たちの世界で、今、こうして心を通わすことができる。友よ、仲間よ、それをいっしょ
に、喜ぼうではないか。

 不安になることはない。心配することもない。さあ、あなたも勇気を出して、前に進もう。不幸
なんて、クソ食らえ! いやいや、あなたの身のまわりにも、すばらしいものが山のようにある。
それを一つずつ、数えてみよう。一つずつだ。ゆっくりと、それを数えてみよう。

 秋のこぼれ日に揺れる、栗の木の葉。
 涼しい風に、やさしく揺れる森の木々。
 窓には、友がくれたブリキの汽車の模型。
 そしてその上には、息子たちの赤ん坊のときの写真。

 やがてあなたは、心の中に、暖かいものを覚えるだろう。そしてその暖かさを感じたら、それ
をしっかりと胸にとどめておこう。それがあなたの原点なのだ。生きる力なのだ。

 つぎに、不幸と戦う必要はない。今ある状態を、それ以上悪くしないことだけを考える。あなた
は、ミレーが描いた、「落穂拾い」という絵を知っているだろうか。荒れた農地のすみで、三人
の農夫の女性が、懸命に、落穂を拾っている。どういう心境かは私には、知るよしもないが、し
かし私はあの絵に、人生の縮図を見る。

 私たちは今、懸命に、「今という時」を拾いながら生きている。手でつまむようにして拾うのだ
から、たいしたものは拾えないかもしれない。もっているものといえば、小さな袋だけ。が、それ
でも懸命に拾いながら、生きている。しかしその懸命さが、人の心を打つ。つまりそこに、人生
のすばらしさがある。無数のドラマも、そこから生まれる。

 最後に一言。あなたは決して、ひとりではない。その証拠に、今、私はこの文章を書いてい
る。そういう私がいることを信じて、前に進んでほしい。あまり力にはなれないかもしれないが、
私も努力をしてみる。
(はやし浩司 ミレー 落穂 落ち穂 落穂拾い 落ち穂拾い)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●自己開示の限界

 徹底した自己開示。それが信頼関係の基本であることは、まちがいない。しかしその自己開
示にも、限界がある。

 たとえばあなたがある男性と、不倫をしたとしよう。何度も密会し、性的関係もある。相手の
男にも、妻子がいる。

 そのときあなたは愛に溺れながらも、一方で、その罪の重さに悩む。苦しむ。あなたがまとも
な女性なら、心苦しくて、夫と顔を合わせることもできないだろう。

 しかしそれで夫との信頼関係が、崩壊するわけではない。あなたはその秘密を、心の奥深く
にしまう。そして何ごともなかったかのように、その場を切り抜けようとする。あなたには、夫も
子どももいる。

そんなやるせない女心をみごとに表現したのが、R・ウォラーの『マディソン郡の橋』である。映
画の中では、主人公のフランチェスカが、車のドアを迷いながらも、しっかりと握りしめる。あの
ワンカットが、フランチェスカの心のすべてを語る。

 そこで問題は、夫婦であるという理由だけで、妻は、夫にすべてを語る必要があるかというこ
と。仮に成りゆきで、ほかの男性と性的関係をもったとしても、だ。だまっていれば、バレない
し、夫も、それによってキズつくことはない。

 つまりここで自己開示の問題が、出てくる。そこでオーストラリアの友人(男性)に、メールで
聞くと、こう話してくれた。

 「ウソをつくのは、まずいが、聞かれるまでだまっているのは、悪いことではない」と。

 何とも微妙な言い回しだが、「聞かれてもだまっていればいい」「またそういうことは、夫や妻
に聞くべきではない」とも。

 仮に自分の夫や妻が不倫をしても、「その範囲」にあれば、それもしかたないのではというこ
とらしい。そこで私が、「君は、不倫をしたことがあるか?」と聞くと、「君と同じだ」と。ナルホ
ド!

 私は自分のワイフのことは知らない。しかし、そういうことは聞かない。信頼しているとか、い
ないかということではない。聞いても本当のことは言わないだろうし、ウソを言われるのは、不
倫より、つらい。

 一方、ワイフも、私には聞かない。反対の立場で、同じように考えているせいではないか。

 世俗的な言い方だが、結婚生活を30年もつづけていると、いろいろなことがある、というこ
と。不倫もその一つかもしれないし、そうでないかもしれない。私たちは夫や妻である前に、人
間だ。人間である前に、動物だ。夫や妻になったからといって、人間であることを捨てるわけで
はない。動物であることを捨てるわけではない。

 だからどうせ不倫をするなら、命がけでしたらよい。夫や妻である前に、人間の。人間である
前に、動物の。そんな雄たけびが聞こえるような不倫をしたらよい。恋焦がれて、苦しんで、自
分を燃やしつくすような不倫なら、したらよい。「私は人間だ」と、心底から叫べるような不倫な
ら、したらよい。が、それができないなら、不倫など、してはいけない。

 ……と話がそれたが、夫婦の間でも、自己開示には限界がある。それは「相手をキズつけな
い」という範囲での限界である。いくらさらけ出すといっても、相手がそれによってキズつくような
ら、してはいけない。またそういう限界があるからといって、信頼関係が築けないということでも
ない。

 私はこのことを、最近知った。このつづきはどうなるかわからないが、もう少し、考えて、また
報告する。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


最前線の子育て論byはやし浩司(614)

●English

 電車の中で、オハイオから来たという、若いアメリカ人に会った。横須賀のアメリカ軍基地で、
電子操作技師として働いているという。

 いろいろな話題がつづいたあと、名前が、テーマになった。

 私が、「世界で一番、おもしろい名前ということで、昔、オーストラリアの友人と話したことがあ
るんですよ。そしたら友人たちは、みな、『Dickinson』(ディキンソン)だと言うのですね。みな
はゲラゲラ笑っていましたが、私には意味がわかりませんでした」と言うと、そのアメリカ人も、
同じように笑った。

 「それは、たしかにひどい(terrible)名前だ」と。

 Dickというのは、「チンチン」の卑猥(ヒワイ)語という。つまり「ディキンソン」というのは、「息
子のチンチン」という意味になる。

 つづいて、私が「日本には、あちこちに、ターミナル・ホテルというのがあるのですが、知って
いますか」と聞くと、「本当?」と言って、またゲラゲラ笑い出した。

 日本語で考えると、「末期ホテル」ということになる。つまり死を迎えた、臨終の人が入るホテ
ルという意味になる。

 そしたら、今度は、そのアメリカ人が、「ぼくの知っている中で、最悪の名前は、マイケル・ハ
ントという名前だ」と教えてくれた。

 英語では、「Mickael Hunt」とつづる。「どうして?」と聞くと、「いいですか、マイケル・ハント
というのは、マイク・ハントと呼びますよね。少し早く読むと、マイ・カントになるんですよ」と。

 今度は私が笑った。大声で笑った。「カント」というのは、ここに書くのもはばかれるほど、ひど
い卑猥(ひわい)語である。女性器そのものを意味する。

私「しかしほかにも、ひどい英語がありますよ。数年前ですが、地元の中学校の先生が退職し
たんですね。そしたら、そのお別れ会の案内書に、メモーリアル・パーティと書いてありました。
で、私がワイフに、『あの校長、死んじゃったの?』と聞いたら、『元気だよ』とね」と。

 メモーリアル・パーティというと、「追悼式」という意味になってしまう。

 ついで、南部英語の話になった。いろいろおもしろい話をしてくれたが、ここには書けない。私
の息子が、その南部で、アメリカ人の女性と結婚して暮らしている。

 別れるとき、私が、ジョン・ウェィンの口調をまねて、「Have a nive day!」と言ったら、ま
たまたゲラゲラと笑っていた。陽気なアメリカ人だった。


●ニンニク

今朝から少し、頭痛がした。そこで昼食に、ニンニクをタレにつけて、刺身を食べることにした。

 そのニンニクの皮をむいているとき、ふと、「このニンニク、ぼくのチンチンみたい」と、もらし
た。すると横にいたワイフが、すかさず、「しなびている?」と。

私「いちいち、ひとり言に返事をするな。失礼だろ!」
ワ「だって、そうでしょう。昨日見たら、しなびていたから」
私「何が?」
ワ「ニンニクよ」

私「そういうときは、『そんなに立派』と言うべきだ」
ワ「何が?」
私「ぼくのチンチンだ」
ワ「ハハハ。それはどうかしら。あなたのは、そのニンニクみたいじゃないの?」と。

 料理をしながら、一度は聞いてみたいと思っていたことを、ワイフに聞いた。

私「あのな、男というのは、小便をしたくなって、トイレへ行くだろ。そのとき、ほとんど出そうに
なったときでも、チンチンの先を指でつまめば、少しはがまんできる。しかしそういうときって、
女っていうのは、どうするの?」
ワ「わからないわ。そういう経験はないもの」
私「もれそうになったことはないのか?」
ワ「その前に、トイレに行くから……」と。

 で、今、そのニンニクを食べたおかげで、少し頭痛がおさまったようだ。これから二人で、ビデ
オをみるつもり。前から見たかった、『アラモ』が、やっと手に入った。批評は、またあとで……。

 みなさんも、Have a nice day!

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●京都府在住の、SE氏より

 京都府にお住まいの、SE氏より、メールが届いています。
 これも大学教育の現状の一端かもしれません。
 「自分で考える教育」の大切さを、改めて考えなおしてみましょう。

+++++++++++++++++++++

はやし先生、こんにちは。

毎号のマガジンをなるほどと、うなずいたり、考えたりしながら、読ませていただいています。

先日の、"independent thinker"について、考えたことを書かせていただきます。

私は府内の大学に勤めておりますが、講義アンケートや試験の結果などを見ますと、学生の
依存性が、年々強くなっているような印象を受けます。

寄せられる意見では、「レジュメを配布してほしい(教科書はあるのですが・・・)」、「重要部分
は、それと明示した上で、最低3回以上繰り返してほしい」といったものが見られます。試験結
果を見ましても、メモをとるとか、話の重要部分をつかむといったことが苦手なようです。これを
国語力と呼んでいいのかどうかは分かりませんが。

これに関連して、最近の学生はレジュメを見ながら話しを聞かないと情報が頭に残らないよう
だ、と分析しているのですが、(日本語のセリフすら文字にする最近のテレビのせい?)、どう
思われますか。

また、自分で考えるとはどういうことなのかを感じ取ってもらうために、教科書とは異なる意見
を紹介したり、述べたりしたのですが、それに対しては、「批判するような教科書を指定しない
でほしい」という意見が寄せられ、こちらの意図は全く通じませんでした。講義でも、誰かの意
見を鵜呑みにするのではなく、自分で考えることが大切なのですよと言っているのですが、通じ
ないようです。

私が大学生だったころには、(といってもほんの10数年前です)、ワープロすら使えない先生
が大多数で、板書もほとんどなし、教科書指定すらないこともしばしばでしたが、大学は自分で
勉強するところと思って、自学に努めていたのですが、もうそういう時代ではないのでしょうか。

聞き取る能力や、メモを取る能力、考える能力を養いたいと思いつつも(それも通じていないの
ですが)、一方で最低限の知識を備えさせなければと考えると、なかなか悩ましいところです。

高校から大学までのどこかで、(あるいはもっと早く、ないしはそもそも)、「教えてもらう」姿勢か
ら「自分で学ぶ」姿勢に転換する必要があるのではと思うのですが、それがどうもうまくいかな
いままなし崩し的に大学に進学し、さらには就職している印象があるのですが、いかがでしょ
う。はやし先生の大学(とくに学部)教育についての考え方なども、マガジンでお話いただけれ
ば幸いと存じます。

なにやら取り留めなくなってまいりました。これからも頑張ってください。応援しております。

では、失礼致します。

+++++++++++++++++++++++

【SEさんへ】

 メール、ありがとうございました。

 自分で考えることの重要性は、今さら、言うまでもありません。私がオーストラリアの大学へ
渡ったのは、「戦前の日本人の法意識」の研究のためでした。もっとわかりやすく言えば、「全
体主義国家下における、法意識」の研究でした。

 で、オーストラリア人のもつ、あの自由意識に触れたとき、同時に、(自分で考えることを知ら
ない日本人)に気づかされました。私も含めて、私たちは、教えられたことだけを忠実に守る、
従順な民にすぎなかった、とです。

 このことは、当時、たまたま北京で1年間の留学生活を終えて帰ってきた、D君の話を聞い
て、さらに確信しました。「中国人は、白人を見ると、話すのさえ避ける。また意見を求めても、
みなテープレコーダーみたいに、同じことしか言わなかった」と。

 つまりどの学生と話をしても、ステレオタイプな答(=決まりきった答)しか返ってこなかったと
いうのです。

 一方、日本人は自由だ、自由だといいながら、その一方で、戦前の全体主義国家的な、統一
されたものの考え方しかできませんでした。(私も、含めて、ですが……。)

 情報(=知識)と、思考は、まったく別のものです。ほとんどの日本人は、情報を加工すること
を、思考と誤解しています。思考することには、ある種の苦痛がともないます。ですから、思考
することそのものから、逃げてしまう人も、少なくありません。よい例が、カルト教団の信者たち
です。

 彼らは、徹底した服従を誓うことで、脳ミソの中に、思想を注入してもらっているのです。

 しかし批判ばかりしていてはいけません。

 問題は、どうすれば、教育の場で、子どもたちを、その(考える子ども)にすることができる
か、ですね。

 私はそれには、親自身が、(考える人間である)という、環境が、とても重要なような気がしま
す。教育の世界でいうなら、教師自身が、自ら、考えるという姿勢を、子どもたちに見せていくと
いうことです。

 恩師のT先生は、ときどき、「考える時間」という言葉を使います。私は勝手に、「静かに考え
る時間こそが、重要である」と、解釈しました。(この原稿は、あとで、T先生に送っておきま
す。)何かの機会に、先生が、「あの人たちには、考える時間があるのでしょうかねエ……」と、
口にしたのを覚えています。たしかどこかの政治家の話になったときのことです。

 SEさんが、ご指摘のように、私も、日本人が、むしろ、ますます考えない国民になっているよ
うな気がしてなりません。もの知りで、やたらと情報量だけは多い。さらには、知能パズル的な
クイズ(リドル)を、解くのが、考えることだと誤解している人もいます。最近のバラエティ番組の
影響かと思います。

 ものごとを、身近なところから論理的に(ロジカルに)、考えることを、「思考」というわけです。
それが苦手(?)。

 で、たどりつく結論は、こうです。

 日本人は、考えない国民ではない。考えるという習慣をもたない国民である、と。そもそも静
かに考える、そういう習慣がない。万博で、シベリアで発見されたマンモスの化石を見ても、「ほ
ほう、あれがマンモスか」で終わってしまう。その先を、思考に結びつけていかない。

 これは日本人にとっては、とても不幸なことだと思います。せっかくの名画を見ながら、「この
絵は、2億円の価値がある」「あの絵は、10億円だ」と言うのに、似ています。そういう視点でし
か、自分の得た情報を処理できないのですね。

 なぜ、人間が人間であるかといえば、考えるからですよね。その(考える)ことを放棄してしま
ったら、人間は人間でなくなってしまう。それだけではありません。考えるからこそ、人間は、生
きることになるのです。

 たまたま今、頭のボケた兄を介護して、ちょうど満3か月になりました。昨日、介護申請のこと
もあって、郷里へ連れて帰りましたが、今朝、ウソのように静かになった我が家を見ながら、ワ
イフとこんな会話をしました。

 「この3か月は、何だったのだろうね。ちょうど、ハサミか何かで、切り取られたみたいだね」
と。

 3か月もいっしょにいたのに、兄の思い出という思い出が、まったくないのです。これは不思
議な経験でした。最初から最後まで、いてもいなくても、どうでもよい人間が、そこにいた。そん
な感じです。

 まさに「生きることは、考えること」という、私の持論を実感した瞬間でもありました。

 まあ、グチばかり言っていてもしかたありません。私たちだけでも、考えましょう。いろいろ考
えて、さらに考えて、また考えましょう。そのうち、考えることの重要さをわかってくれる人が、も
っともっと、あとについてきてくれるだろうと思います。それを信じて、前に進むしかありません。

 Independent Thinker ……よい言葉ですね。そうそうT先生というのは、そのIndependent 
Thinker を地でいくような人ですよ。いつか機会があったら、T先生のHPものぞいてみてやって
ください。

 では、おやすみなさい!

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●悲しき、子どもの心

 以前、「悲しき子どもの心」について、書いた。虐待されても、虐待されても、「ママのところに
帰りたい」と泣く子ども。そういう子どもの心を逆に利用して、「子どもを返してほしい」と迫る、
母親。

 児童相談所に保護された子どもは、それをバツととらえる。だからこう言う。「いい子になるか
ら、家に返して」と。

 まさに、悲しき子どもの心である。

 しかしこうした悲しき心は、何も、子どもだけの問題ではない。おとなの世界にもある。

 ふるさとへの思いを利用して、金をせびる父親がいた。母親もいた。「お前のかわりに、ふる
さとを守ってやる」「先祖を守ってやる」と。さらに息子(35歳)が、家を購入したことについて、
「親の家を建てるのが先だろ」と怒った母親さえいた。

 しかし親は、親。そういう親をもった子どもは、悲しい。切るに切れない関係の中で、さらなる
犠牲を強いられる。

 もちろん良好な関係をつづけている親子も多い。大半がそうである。しかし大半がそうである
かといって、自分たちの論理だけで、少数派の親子関係を、批判したり、否定したりしてはいけ
ない。

 ただ注意しなければならないのは、親が子どもを虐待するといっても、いつも虐待しているわ
けではない。週に1度とか、2度とか。あるいは虐待したとしても、ほんの瞬間に始まり、ほんの
瞬間に終わる。

 ある母親は、ふとしたきっかけで激怒し、息子を家から追い出していた。「あんたなんか、どこ
かへ行って、死んでしまえ!」と。

 そしてふつう、そういう母親ほど、(もちろん父親のケースもあるが)、外の世界では、別人の
ようによい母親を演ずることが多い。虐待をしている母親に会っていると、キツネにつままれた
ような気分になる。「本当に、この母親が……?」と思うこともある。

 ていねいで、おだやかで、そして私たちの前では、子どもの体をやさしくマッサージしてみせた
りする。子どもはそれに応じて、下を向いて黙っている。そういうことはあるが、とくに嫌ってみ
せるといったこともない。

 考えてみれば、これも悲しき子どもの心。どこまでも、どこまでも悲しき、子どもの心。

 親は、親であるという立場に、決して甘えてはいけない。親であることをよいことに、子どもを
追いつめてはいけない。これは子どもという子どものためではない。すべての子どもの人権を
守るためである。


●義兄の引っ越し

 今度、義兄が、今住んでいるマンションを売り払い、より小さなマンションに移り住むことにな
ったという。「今の家は、大きすぎるから」というのが、その理由らしい。

 私はその話を聞いて、「ぼくたちもそうしようか」と、ワイフに話した。私が今、住んでいる家
も、大きすぎる。ムダにあいている部屋も、いくつかある。

 老後になったら、住居も、コンパクトにする。掃除もたいへん。税金もたいへん。維持費もか
かる。

 しかしそれ以上に私の心に衝撃を与えたのは、そういうふうに、合理的にものを考える日本
人がふえてきたということ。昔の日本人のように、「家」に、こだわらなくなってきた。

 どこかで封建時代からつづいてきた、「家意識」が、崩壊し始めているのかもしれない。とても
よいことだ。今までの日本人は、心のどこかで、いつも、その「家」にしばられ、自由を犠牲にし
てきた。たった一度しかない人生を、その「家」のために犠牲にした人も、少なくない。

 どこかの皇族や、そういう人たちが、「家」に固執するというのなら、まだ話もわかる。そこら
の町民や農民、さらには平民が、「家」にこだわるから、おかしい。そして悲しい。もうやめよう、
こんなバカげた風習。

 夕食のあと、ワイフに、「兄さんたち、今のマンションを出る前に遊びに行ってやろう」と言う
と、ワイフは、うれしそうに笑った。


【補記】

 郷里のG県の田舎では、まだ、その「家意識」を、しっかりともっている人は、多い。家系図ま
で作って、床の間に飾っている人もいる。

 それが悪いと言うのではない。人、それぞれ。好きなことをすればよい。しかしあまり「家」に
こだわりすぎると、自分を見失ってしまう。大切なのは、「今」「ここ」で、生きている人間。先祖
や、家ではない。

 まあ、誇るような先祖や家であれば、それなりに趣味として、楽しめばよい。それは個人の自
由だ。しかしだからといって、自分や子どもたちの人生を、犠牲にしてはいけない。


●人工(血液)透析

 近所の知人のO氏が、理由はまだよく聞いていないが、腎臓を悪くして、今月から、人工透析
を受けることになったという。血液透析ともいう。

 その話を聞きながら、「どうして、あんな元気な人が?」と思ってしまった。ただタバコは吸い、
酒も飲んでいる。夕方になると、道路の反対側にある居酒屋に、いつも入りびたり。

 年齢は、私より1歳だけ上。陽気な人で、会うといつも、大声で話しかけてくる。もっとも今で
は、治療法も進歩し、在宅のまま、腹膜を利用して透析するという方法もあるという。多少の不
便さはあるらしいが、それさえのぞけば、ごくふつうの生活ができるという。腎不全といっても、
それほど深刻に考えなくても、よいかもしれない。

 しかし私とは年齢がほとんどちがわないだけに、その話を聞いたときは、ショックだった。「そ
う言えば、最近、顔色が悪かったかなあ」とか、「何か病気でもしたのかなあ」とか、いろいろ考
えてしまった。

 私たちの年齢層は、元気でなければならないのだ。元気であることが、つぎの世代の人たち
への、義務と考えてよい。O氏よ、あなたは、まだ若い。腎不全なんかに、負けるよな!


●勇気、10倍!

 今朝、パソコンを開いてみると、マガジン読者の方が、5人もふえていた。うれしかった。うれ
しくて、そしてがんばって、一気に、原稿を12枚も書いた。

今日(3・30)、マガジン読者になったくださった方へ。心からお礼を申しあげます。これからも、
よろしくお願いします。ありがとうございました!!

 みなさんは、私に、生きがいをくれる。私はみなさんに、役立つ情報を提供する。がんばりま
す。+これから先、いろいろなことがあると思いますが、いっしょに、がんばりましょう!


++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司
 

最前線の子育て論byはやし浩司(615)

●善なる心

 現在、日本は、国連通常予算の約20%を負担している(国連広報センター・04年度)。正確
には、19・5%。

 それだけではない。そのほかの基金への拠出金を含めると、日本は、世界最大の、国連拠
出国となっている。まだある。日本が始めたODA(政府開発援助)にしても、国連諸機関を通し
た拠出金は、ODA全体の28%を占めるまでになっている(02年)。

 これらのお金で、国連人口基金(UNFPA)、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)、世界食
糧計画(WFP)、国連開発計画(UNDP)、国連児童基金(ユニセフ)などの諸機関が運営されて
いる。

 日本が、国連安保理の理事国になるのは、当然ではないか。

 しかしその動きに対して、猛烈に反対しているのが、中国、K国、そして韓国。今度、これら3
つの国が、反日本で、連合を組んだ。K国のN大統領は、「日本人は、成熟していない」とまで
言い切った。

 またK国にしても、「国連は30日(現地時間)、新しい対K国支援寄付約束がないばあい、飢
えたK国住民数百万人に対する食糧配給が、数週間内に中断されるほかないだろうと明らか
にした」(東亜日報)という。

 「国連、国連」とは言うが、その20〜30%は、日本のお金で運営されている。もちろん、K国
への食糧援助も、である。

 日本よ、日本人よ、こんなバカげた、お金のバラまきは、もうやめよう。どうも、日本人のする
ことは、甘い。「これだけのことをしてあげているのだから、相手は、感謝しているはず」という、
『ハズ論』だけで、ものを考える傾向が強い。

 しかし世界は、そんな甘くない。そういう日本を、ただの「お人好し」とみる。拠出金を提供す
るとき、ちゃんと言うべきだった。「いくら、いくら、お金を出します。ついては、日本を理事国に
しなさい。でないというなら、お金は、出さない」と。

 中国や韓国に対しても、同様である。K国に対しても、同様である。

 ……ということで、K国の核問題を論ずる6か国協議の雲行きが、ますますわからなくなって
きた。反日、反米色をますます色濃くする、韓国、中国。ロシアもアメリカから離脱し始めた。そ
のアメリカも、NPT(核拡散防止条約※)のホゴを、とうとうにおわせるまでになってきている。

 アメリカにしてみれば、「もう、バカ臭くて、やっておられるか!」ということになる。

 では、肝心の日本は、どうすべきか?

 ここがまさに正念場。決して感情的になってはいけない。どこまでも事務的に、ただひたすら
事務的に。冷静に、ものごとを処理していく。韓国や中国が、反日の旗をあげれば、日本は、
にっこり笑って、「日韓友好」「日中友好」の旗をあげればよい。あのアジアカップ優勝戦(04・
夏)の心を忘れてはいけない。

 あのとき、中国側から「日本人、殺せ」の大合唱が始まったとき、日本人サポーターたちは、
「日中友好」の旗をあげた。それこそ、まさに日本人が、熟成したことを意味する。

 大切なことは、人間そのものがもつ、(善なる心)を信ずること。幸いなことに、情報網は、か
つてないほどに発達してきている。日本や韓国、中国で起きていることは、瞬時に、世界に伝
わる。

 日本人サポーターたちに、石やビール瓶を投げつける、中国側サポーターたち。一方、「日
中友好」と書いた旗をあげる日本人側サポーターたち。そういう姿を、今、世界の人たちが、そ
の場で見ている。見ているからこそ、日本人を支持する人たちがふえ、中国人を非難する人た
ちがふえる。

 そういう(善なる心)を、もっと信じよう。

 だからというわけでもないだろうが、オーストラリアは、日本の自衛隊を保護するために、兵
隊をイラクへ派遣してくれた。アメリカは、中国の人権問題を、さらに声をあげて追及し始め
た。

 またK国にいたっては、あわれなるかな、食糧援助を、進んで申し出る国は、もうない。

 まだ人間には、(善なる心)を、冷静に判断する能力が、残っている。仮に、その心がなくなれ
ば、そのときは、日本人だけではなく、人類全体が、滅亡するときでもある。

 数日前も、テレビ討論会を見ていた。もともとレベルの低い番組だったから、期待はしていな
かったが、「制裁」「報復」「戦争」という言葉が、ポンポンと飛び出してきたのには、驚いた。「お
前は、アホだ」「バカだ」という罵声も飛びかっていた。

 何度も書いてきたが、私たちは、韓国やK国など、本気で相手にしてはいけない。中国も、
だ。いわんや、感情的になってはいけない。とくにK国に対してはそうで、日本は、あんな国と心
中する必要はない。

 これはあくまでも、私の推察だが、韓国と中国は、水面下で、「核兵器とミサイルは、日本向
けのもの」「韓国と中国には発射しない」という密約を、K国から取りつけているにちがいない。
6か国協議に対する彼らの姿勢を見ていると、どうも、そんな感じがする。

 で、あるとするなら、K国は、韓国や中国にとっては、救世主ということになる。自分たちでは
果たせなかった、独立戦争と復讐を、K国がしてくれることになる。

 で、あるとするなら、日本は、ますます冷静にならなければならない。韓国や中国は、何かに
つけて、対日報復政策を打ち出し始めている。ならば日本も……ということになるが、ここはや
りたいように、やらせておくのが、一番、よい。回りにまわって、結局は、彼らは自分で自分のク
ビをしめることになる。

 おごり高ぶっている彼らには、まだそれがわからない。仮に、日本の銀行団が、毎年、10億
ドル(日本円で、たったの1兆円)程度、韓国から外資を引きあげたら、それだけで、韓国は、
数年以内に、破産する。(わかっていますか、N大統領?)

 今、日本が相手にすべき国は、韓国、中国、K国以外の国々である。アメリカがある。インド
がある。EUがある。ブラジルがある。オーストラリアがある。東南アジアの国々がある。そうい
う国々の(善なる心)を、もっと、信じよう! それがひいては日本の平和を守り、日本の子ども
たちの未来を守ることになる。

※……核拡散防止条約(NPT) 
 
 米国、ロシア、英国、フランス、中国の5カ国のみに核兵器の保有を認め、その他の国の保
有を禁止した条約。1970年に発効し、95年に無期限延長を決定。


++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(616)

【親が、子どもをつぶすとき】

●S君の例

 こんな話が、ある。

 S君はそのとき、中学一年生になったばかりだった。そのS君に、どこかふつうでない様子が
見られるようになったのは、そのころからだった。

 S君は、魚釣りで使う、ルア(lure小魚を模した擬餌)を集めていた。そのルアばかりを、何百
個ももっていた。こうした度を越した、しゅうしゅ癖は、子どもにとっては好ましいものではない。
(こだわり)とみる。自閉傾向のある子どもが、よく見せる症状の一つである。

 S君は、学校から帰ると、そのルアを毎日みがいて、時間を過ごしていた。が、夏休みを過ぎ
ることから、さらに様子がおかしくなった。

 ルアを箱に入れ、その箱を、自分の部屋の本箱の中に入れていたが、本箱が勝手に開けら
れないように、大きなカギをつけた。さらに自分の部屋にもカギをつけた。それまではときどき
母親が、掃除にS君の部屋に入っていたが、それができなくなった。

 それを知った、父親が激怒した。そして父親は、S君が学校へ行っていない間に、S君の部
屋に入り、本箱のカギをこわして、ルアの入った箱などを、庭先へ投げつけて、捨てた。母親の
サイフから、お金を盗んでルアを買っていたことが、わかったからである。

 S君の様子が激変したのは、その夜からだった。従順で、ヘラヘラと笑っているだけ。が、そ
うかと思うと、突発的に、自分のメガネをなげつけて割ったり、ステレオセットを、窓の外に投げ
捨てたりした。

 昼と夜が逆転し、学校へも行かなくなってしまった。S君は、心療内科に通うことになった。今
は、週4回、午前10時から午後4時ごろまで、その内科に併設された施設で、時間を過ごして
いる。

●無理をする親たち 

 こういうケースは少なくない。親の無知と無理解が、子どもの心をゆがめてしまうというケース
である。

 親の強引なやり方が、子どもの心をゆがめてしまう。「気はもちようだ」「子どものことは、私
が一番よく知っている」と。

 燃え尽きたり、荷おろし症候群などで無気力になった子どもを、「わがまま」「なまけもの」と決
めつけて、叱りつづけていた母親もいた。オーバーヒートを起こし、心身症(神経症)を、多発し
ていたにもかかわらず、「まだ、何とかなる」と、子どもを勉強で追いたてていた母親もいた。

 しかしいくら自分の子どもでも、してよいことと悪いことがある。とくに子どもがかかえる、心の
問題は、安易に考えてはいけない。無理をすれば、そのした分だけ、子どもの心は破壊され
る。そしてその後遺症は、ばあいによっては、一生、つづく。

 が、親には、それがわからない。いくら説明しても、わからない。私も、そういった子どもを教
えさせてもらう立場にいるから、「これは、あぶないぞ」と言っても、それを口にすることができな
い。

 「このままでは、あぶないから、受験競争から手を引きなさい」などと、どうして私の立場で言
えるだろうか。私の思いすごしということもあるし、みながみな、そうなるというわけでもない。
「もし、まちがっていたら……」という思いがあるから、口を閉ざす。

 もちろん親のほうから相談があれば、話は別。しかしそういう相談は、めったにない。あると
すれば、「もっと、成績を伸ばすにはどうしたらいいでしょうか」「SS中学へ入るためには、どう
したらいいでしょうか」と。

 どの親も、成功することは考えるが、失敗することは考えない。

 ……とまあ、奥歯にものをはさんだような言い方は、もうやめよう。私も57歳。この世界で、3
5年も生きてきた。だから、はっきり言う。

 せっかく子どもを伸ばしても、また勉強好きにしても、そのあと、親が無理をする。勉強癖そ
のものを、破壊する。「○○進学塾へも通わせることにしました」「家庭教師もつけました」と。

 一時的にはうまくいっても、やがてオーバーヒート。こういうバカげたドラマを、私は、いやとい
うほど、見せつけられてきた。内心では、「ご勝手に」と思いつつ、表面的には、にっこりと笑っ
て、その場を逃げるしかない。

 本当は、「そんなことしても、ムダですよ」「かえって、失敗しますよ」と言いたいが、それこそ
内政干渉。隣の席でタバコを吸っている人に向って、「タバコは、体によくありませんよ」と注意
するのに、似ている。親にしてみれば、余計なお節介ということになる。

●失敗を避けるために

 「無理をしないこと」。すべて、この一語に尽きる。

 子どもが自分で自分の道を歩み始めたら、親は、そっと、それを静かに見守る。何度も書い
てきたが、(暖かい無視)と、(ほどよい親)に、心がける。あとのことは、子ども自身の判断力
に任せる。

 そしてその前に、本当にあなたは、あなた自身を知っているかを、自問してみるとよい。あな
たの子どものことではない。あなた自身を、だ。

 たいていの人は、「私のことは、私が一番、よく知っている」と思っている。しかし「私」を知るこ
となど、一流の哲学者ですら、むずかしい。ギリシャの哲学者のキロンは、『汝自身を知れ』と
いう有名な言葉を残している。つまり「己(おのれ)を知ることが、哲学の究極の目標である」
と。

 つまり自分を知ることは、それくらいむずかしい。いわんや、あなたの子どもを、や。

 あなたは、あなたの子どもの友だちの名前を、3人、言えるだろうか。
 あなたは、あなたの子どもが、どんな趣味をもち、家の外でどんなことをしているか、知ってい
るだろうか。
 あなたの子どもは、あなたに悩みや苦しみを訴えているだろうか。

 こうした簡単なこと(本当は、簡単ではない)から始めて、一度、あなたも、あなたの子どもの
心の中をのぞいてみるとよい。とくに、子どもが小さいときから、子どもの手をぐいぐいと引きな
がら、子育てをしてきたようなタイプの親ほど、一度、子どもの心の中をのぞいてみるとよい。

 話は変わるが、私がある講演会で、「子育てで失敗しないために」という副題をつけたところ、
「失敗とは、何だ。失敬ではないか」と、怒ってきた父親がいた。

 「どんな子どもにも、その子どものよさがある。失敗した子どもというのは、いない」と。

 その父親の言っていることは、正しい。しかしその一方で、親が原因で、心をゆがめていく子
どもが多いのも事実。以前、「母因性〜〜」という言葉を使った。「母原性〜〜」という言葉を使
う人もいる。

 私は、それを「失敗」と位置づけている。どうか、誤解のないようにしてほしい。
(はやし浩司 母因性 母因性萎縮児)

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そのとき書いた原稿を添付しておきます。

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●母因性萎縮児

 小児科医院で受け付けをしている、知人の女性から、こんな話を聞いた。

 何でも、その子ども(現在は、中学男子)は、幼児のころから、ある病気で、その医院に通っ
ているという。そして、2週間ごとに、薬を受け取りにくるという。

 その子どもについて、その知人が、こんなことを話してくれた。

 「ひとりで病院へくるときは、結構、元気で、表情も、明るい。薬の数を確認したり、看護婦さ
んたちと、あいさつをしたりする。冗談を言って、笑いあうこともある。

 しかしときどき、母親がその子どもといっしょに、来ることがある。そのときの子どもは、まるで
別人のよう。

 玄関のドアを開けたときから、下を向いて、うなだれている。母親が何かを話しかけても、ほ
とんど返事をしない。

 そこで母親が、その子どもに向って、『ここに座っているのよ!』『診察券は、ちゃんと、出した
の!』『あの薬も、頼んでおいてね!』と。

 そのとたん、その子どもは、両手を前にさしだし、かがんだまま、うなだれてしまう。もちろん
だれとも、会話をしない。

 あるとき先生(医師)が、見るに見かねて、その母親に、『子どものやりたいように、させてあ
げなさい。そんなうるさいこと、言ってはだめです』と、諭(さと)したこともあるという。

 ああいう母親を見ていると、いったい、母親って何だろうと、そんなことまで考えてしまう」と。

 こういう子どもを、母因性萎縮児という。教育の世界では、よく見られるタイプの子どもであ
る。

 子どもだけのときは、結構、活発で、ジャキシャキと行動する。しかし母親がそばにいると、と
たんに、萎縮してしまう。母親の視線だけを気にする。何かあるたびに、母親のほうばかりを、
見る。あるいは反対に、うなだれてしまう。

 が、母親には、それがわからない。「どうして、うちの子は、ああなんでしょう。どうしたらいい
でしょう?」と相談してくる。

 私は、思わず、「あなたがいないほうがいいのです」と言いそうになる。しかし、それを言った
ら、お・し・ま・い。

 原因は、言わずと知れた、過干渉、過関心。そしてそれを支える、子どもへの不信感。わだ
かまり。愛情不足。

 いや、このタイプの母親ほど、「私は子どもを愛しています」と言う。しかし本当のところは、自
分の不安や心配を、子どもにぶつけているだけ。子どもを自分の支配下において、自分の思
いどおりにしたいだけ。こういうのを、心理学の世界でも、「代償的過保護」という。

 今、この母因性萎縮児は、結構、多い。10〜15人に1人はいるのではないか。おかしなこと
だが、母親自身が、子どもの成長を、はばんでしまっている。そしてここにも書いたように、「う
ちの子は、ここが悪い。どうして……?」「うちの子は、あそこが悪い。どうして……?」と、いつ
も、悩んでいる。

 そうこの話も、あのイランの笑い話に似ている(イラン映画「桜桃の味」より)。

 ある男が、病院へやってきて、ドクターにこう言った。「ドクター、私は腹を指で押さえると、腹
が痛い。頭を指で押さえると、頭が痛い。足を指で押さえると、足が痛い。私は、いったい、どこ
が悪いのでしょうか?」と。

 するとそのドクターは、こう答えた。「あなたは、どこも悪くない。ただ指の骨が折れているだけ
ですよ」と。

 そう、子どもには、どこにも、問題はない。問題は、母親のほうにある。

 しかしこの問題は、私のほうから指摘するわけには、いかない。この文章を読んだ、あなた自
身が、自分で知るしかない。
(はやし浩司 母因性萎縮児 母原性萎縮児)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【近況・あれこれ】

●春休み

 春休みになって、やっと、原稿を書く時間がふえた。おかげで、今日、3月31日に、4月29日
号(4月最終号)を、発行予約できそう。

 (マガジンは、いつも、1か月前に、発行予約を入れている。)

 で、今日、市内のS銀行へ行った。明日から、ペイオフが、実施される。預金は、1000万円
まで保護される。それ以上は、銀行がつぶれたら、パー。

 しかし1000万円が確実に保護されるわけではない。「支払いが保証される」というだけ。わ
かりますか、みなさん? この法律用語。

 つまり、「いつか、1000万円まで払う」ということ。ばあいによっては、分割にもなるし、さらに
は、数年後ということになるかもしれない。

 だからというわけでもないが、私とワイフは、S銀行へ行った。いろいろ緊急に送金しなけれ
ばならないことが重なった。

 しかし驚いた。S銀行は、満員。とくに法人関係者が多かった。入店すると、順番待ちのカー
ドをもらうのだが、800人待ちとか……。私のような個人でも、20〜30番、待ち。

 そしてどの人も、見た感じ、ドサッドサッと、現金をおろしていた。「ペイオフだからかな?」「そ
れとも、給料?」と思ったが、証拠があるわけではない。

 で、私たちはあきらめて、自分のカードで支払うことにした。今日は、3月31日。年度末で、
企業にとっても、一番忙しい日だった。

 帰りに、いつものKともで、フライを食べた。

 明日は、4月1日。フライを食べながら、「最高のウソって、どんなウソか知っているか?」と聞
くと、ワイフは、ちょっと考える様子をしてみせた。

 「いいか、最高のウソというのはね、『私は今日は、ウソをつきません』というウソだよ」と、教
えてやった。

 あまりおもしろくないウソだが、明日は、そのエイプリルフール。オーストラリアの友人が、ど
んなウソを送ってくるか、楽しみだ。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


最前線の子育て論byはやし浩司(617)

●田丸先生からの論文

 T先生こと、田丸先生の、「Independent Thinker」についての原稿について、
 田丸先生に、私のHPに掲載してよいかという許可を求めましたら、了解がい
 ただけましたので、ここに紹介します。(05年3月31日)

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林様;

  私の原稿は貴方のような筆の達人※の中に入れると見劣り
します。 それでもよかったらお使いなさい。

  これは貴方にとって余計な話ですが、今日を含めてこの5日
学会がありました。 一般の傾向として「大学法人化」といって
夫々の大学は出来るだけ自立しろということになります。 「産学
協同」というきれいごとの言葉がはやりだしました。 大学は実際
に役に立つことをする傾向が強くなりました。 ひどいのは会社か
らテーマと金を貰って、大学院生を人手に使って「研究らしいこと」
をします。 大学院生はそれが「研究」であると思って一生損をしま
す。被害者です。私は大学が学問をしなくなったら、駄目であると思
います。これも気のせいか、independent thinker の訓練がなくなっ
て安易に生きて行こうとする傾向に思えます。 本当は「研究」とい
うものは必死に頭で考え、考えてするものです。 それがなくて創造
性は生まれません。 個性的な研究も駄目です。 皆が似たことを実
験する研究は研究でも「試験研究」或いは「試験実験」でしかありま
せん。 愚痴になりそうですが。 研究は矢張り誰も考えなかったこ
とを考える苦しいけれども、楽しいものなのですが。

  田丸謙二

(※「筆の達人」というのは、先生のいつもの独特のジョークです。)

田丸先生は、この中で、いくつかの教育上の重要なことを、私たちに
教えている。少し難解な論文なので、最初に、それについて、解説し
てみたい。

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●「エデュケーション」と、「教育」のちがい

 先生は若いときから、「エデュケーション」と、「教育」はちがうと言っていた。

 エデュケーションの語源は、「educe」、つまり「引き出す」。子どもから能力を引き出すのが、
教育である、と。

 一方、日本の教育は、各宗派の総本山教育に例を見るまでもなく。「教え、育てる」が、教育
の基本になっている。日本独特の「わかったか?」「ではつぎ」式の詰めこみ教育は、こんなと
ころから生まれた。

●情報と考える力

 先生は、かねてから、「情報(=物知り)」と、「思考」は別と話している。とくに最近では、イン
ターネットに、その例を見るまでもなく、情報は、簡単に手に入るようになってきている。

 これからは、この状況は、さらに加速される。こうした状況をふまえながら、田丸先生は、重
要なのは、「ものを知っている」ことではなく、「どう考えるか」であると説いている。

●アメリカの例

 日本で「アメリカ」というと、ハリウッド映画に代表されるアメリカをいう。

 そういうアメリカを見て、「アメリカの教育レベルは低い」と考える人は、多い。しかし実際に
は、アメリカの教育レベルは、高い。そのことは、私の二男(アメリカの州立大学を卒業)も、指
摘している。

 二男が言うには、「アメリカでは、大学生がアルバイトをするなどということは、考えられな
い」、つまり、「そんなヒマはない」と。

 二男は、当時日本へ帰ってくるたびに、大学生の友人を訪問している。そうした友人たちの
(遊びほけている姿)を見ながら、さかんに「信じられない」と言っていた。

 三男も、1年間、オーストラリアの大学に通った。その三男も、まったく同じことを言っていた。

 こういう現状を、日本の親たちは、気がついているのだろうか。いつだったか、田丸先生が、
「アメリカの大学では、休み時間になると、教授室の前にズラリと学生が並ぶ。しかし日本で
は、そんな光景を見たことがない」と書いていたのを、覚えている。

●教科書改革

 この論文の中で、田丸先生は、教科書問題についても、切り込んでいる。日本の学生が使う
教科書は、アメリカの高校生が使う教科書の、3分の1程度であると書いている。

 私が調べた、プレンティス版の中学校用の数学のテキストにしても、日本の百科事典程度の
大きさと分量がある。

 アメリカでは、教科書は、学校の備品ということになっている。日本のように使い捨てではな
い。また当然のことながら、アメリカおよび欧米各国には、教科書検定制度は、ない。

 日本の文科省は、「教科書の検定制度は、世界の常識」などという、大ウソをついているが、
現在、検定制度を実施している国は、近くでは、韓国、K国、中国などの、全体主義国家の色
彩が強い国だけである。

 これについても、文科省は、「日本のそれは、外郭団体の検定であって、韓国や中国でいう
国定ではない」と、大ウソを言っている。検定も国定も、どこもちがわない。田丸先生の論文を
読むとき、そういう知識をもって読むとよい。

●考える力

 子どもに「考えろ」といっても、無理。子どもは、教師やおとなたちが、自ら考える様子を見な
がら、「考える力」を身につける。

 が、日本では、ペラペラと、調子よくしゃべることばかりが、優先される。またそういうふうにし
ゃべる人を、頭のよい人という。バラエティ番組の司会者に、その例を見るまでもない。

 そこで先生は、「考える姿勢を子どもに見せることこそ、重要である」と説いている。教えるの
ではなく、子どもに考える姿勢を見せ、その姿勢の中に、子どもを引きこんでいく。少し勝手な
解釈で、田丸先生から異議が飛んできそうだが、私は、そう解釈した。

 以上、田丸先生の論文は、一度は、目を通しておいてほしい。日本でも、超一級の科学者で
あるし、また日本の教育も、田丸先生のような人の論文をもとに、その進むべき方向を定めて
いく。

 あわせて、超一級の教育論文がどういうものであるか、この論文を通して、わかってもらえれ
ば、うれしい。

+++++++++++++++++++

●日本は本当にダメになるのか?

もっと考えるエデュケイションを

田丸謙二
現在の中高校の理科教育について何か書けという、思いがけないご依頼があった。以下に普
段思っていることを書いてみる。

はじめに: Education という言葉は辞書には、「教育」と訳してある。しかし本当は日本式の
「教え込む教育」ではなくて、生徒の(才能や知恵を)educe 引き出す作業のことである。ドイツ
語でも教育は Erziehung 、「引き出す」のである。

これまでの日本式の「知識を詰め込む」教育とは、ベクトルが180度違っている。正に逆なので
ある。わが国の教育関係者でこの辺りを本当に理解している人は、決して多くはない。むしろ
極めて少ないと言えるのではないだろうか。

新しい時代の始まり; 一昔前には電車の中で見回すと、何処かで誰かが漫画の本を見てい
たものである。近頃ではどうだろう? 何処かに携帯電話をいじくっている人がいる。これから
ニ、三十年先にはどうなっているだろうか。多分車内の何処かでポケットから出したパソコンを
開いてみているのではなかろうか。

そのような来たるべきパソコン持参のコンピュータの時代を支えるのが、今の子供たちであ
る。この時代には国際化、情報化がさらに格段に進み、ますます変化の早い時代になる。この
激動の時代に適応し、その時代をリードするにはコンピュータのできないことが出来るダイナミ
ックな知恵を持った人材である。「知識偏重」の「詰め込み教育」は到底役立たない。「知恵」は
自分で引き出し、育てるものである。我々は今の子供たちのために何をすればいいのか、日
本の将来を決めるのは現在の子供たちへの真の education なのである。

これまでの教育; 日本は元来「文化の輸入国」であった。「マナブ」ということは「マネブ」、真似
をする、から来ている言葉である。学問を自分で築いた経験が乏しいので、学問はおのずから
出来上がったものを取り入れるものとなり、「学力」は知識量をあらわし、その知識を偏重する
風土になっている。

高校の理科の時間を参観すると、殆ど会話がない、「わかったか、覚えておけ」の一方的な教
え込みである。それが限られた時間内に最も効率よく沢山のことを教えることが出来、「知識
偏重の入試」に対する最適の教え方なのである。そこには自分の個性的な知恵を育てたり、
自分の頭できびしく考えて教科書にない新しい問題を考えたり、基本を発展させる頭の働きを
磨く訓練はない。自分の言葉で話し、debateすることも殆どない。個性を伸ばすどころか、
education とは正反対のベクトルである。

こうして育った生徒は大学に来ても質問は少ない。受け取るだけで、考えながら学ぶ習慣が乏
しいからである。さらに大学院に進み、ここは独創的なことをするんだ、自分で考えろ、と言わ
れても、出来るわけがない。教授の方も問題だが、練習問題的な論文が少なくない。野依良治
教授がアメリカと日本の新しい学位授与者を比べると、相撲で言えば三役と十両の違いであ
る、と言われたのも分かる気がする。 

アメリカで教育改革: アメリカではこの時代の早い動きを先取りして、教育を大きく改革した。
理科教育について言えば、それまでは鯨の種類など理科的知識を重視して覚えさせていたの
を止めて、science inquiry つまり、探究的にものを考えるように切り替えたのである。

そうしてその探究的な考え方が、理科だけでなく歴史や社会など他の学科でも基本的な考え方
として拡げていった。この大きな教育改革は1989年頃から科学アカデミーの National 
Research Council が中心となって始まった。全国から選ばれた人達が原案を作り、1992年か
ら150回以上にわたりその内容を公開討論して、数多くの人達,学会などの意見を聞き、最後
には4万部を刷って全国1万8千人や250のグループに配って意見を求めてNational Science 
Education Standards[1]を作り上げている。地域的な色彩の強い教育を基本にしているアメリ
カにおいて正に国を挙げての作業であった。知識量を減らしても考え方に重点を移したのであ
る。

わが国ではそれを、真似て、従来の「詰め込み教育」はいけないと称して,知識の量は3割削
減、「自ら探究的に考え、生きる力をつける」ということで、「ゆとり教育」が始まった。文部科学
省の密室で原案が作られ、上意下達で始まったのである。

しかし、文部科学相が変ると、「学力(この内容が本当の問題)の低下」が起こっているから再
検討をすると言って、今年の末頃までに結論を出すと言う。現場は混乱するだけである。

アメリカでの学校教育は私の孫が学んだ経験からすると、小学校の校長先生にどのような子
供を育てようとしていますか、と言う娘の質問に答えて、「productive, team player, 
independent thinker」と言ったという(2)。

つまりproductive 社会に役立つ人間で、team player社会になじみ、そして independent 
thinker つまり自分なりに個性的に考える小学生、というのである。幼稚園の時から、show 
and tell、自分の言葉でしゃべる練習をして、小学校でも繰り返し、繰り返し、How do YOU 
think ? と自分で考える訓練をさせられる。その基本的考えは、すべての子供はそれぞれ生ま
れつき異なるということから始まる。

生徒各自が自分で考え、自分なりによい点を引き出し(educe)育てるのが教育 education な
のである。自分で独立に考えることにより、初めて個性が育つのである。Independent thinker 
が よいteam playerになるところに本当の「民主主義の基本」があるのである、 

考えさせる教育;わが国では independent thinker を育てるなど言う教育があっただろうか。学
校では知識を教え、後は勝手に考えるのである。日本では、人は皆同じ、差別はいけない、お
互いに「思いやる社会」として、「よろしく」と挨拶する社会はそれなりに素晴らしいが、その全体
の中にあって兎角「個」と言うものが埋没してしまう。

これからは、激動する時代に適応するように「探究的に考え、自分で生きる力をつけろ」と言わ
れても、教師たちは考える教育を受けたこともないし、どうしたらよいのか分からない。欧米の
ように「自分で考える」基本が子供たちにもないし、大人にも、第一、先生の方にも乏しいので
ある。

先生は余り考えたこともないし、自分の持っている「知識」を生徒に授ける方が楽である。子供
たちは先生の背を見て育つ。「自分で考えない先生」からは「考える子」は育たない。知識を得
ることと「考えること」とは基本的に別物である。これからの時代は「学びて思わざる教育」はダ
メである。「考えることの大切さ」を言うと「でも、物を知らなければ」と言う答えが返ってくる。

しかし化学の考え方を学びながら物を知ることになる。「考える」というのは、その科目の選び
抜かれた基本をしっかりと身につけて考えることである。アメリカで言う「Less is more」、つまり
数少ない大事な基本を本当に身につけて考えると、浅く広い知識をただ覚えるよりも格段にダ
イナミックな実りがあるのである。基本を基にして一を聞いて十を知り、さらに十分に考えて必
要な知識を自分で獲得し、百まで考える可能性をもつものである。

これからのエデュケイション: それではこれから我々はどうしたらいいのだろうか。コンピュー
タの時代には、それに備えた教育が求められる。基本は矢張り本当のエデュケイションの基本
を根付かせ、個性を伸ばすことである。

例えば、宿題もありうるが、授業は常に生徒と先生との communication の連続にして、教室で
きびしく考えさせることである。生徒たちが何を知らなくて、如何に考えさせたらいいのか、が分
かる。近頃では、たとえ数人を組にしてでも、コンピュータを通して一緒に討論をしながら授業
をするのである。ヒストグラムを示すことも出来る。そのやり取りの記録がそのまま成績にも繋
がる。

まず先生自身が考えながら生徒と会話をするのである。その会話を通して生徒は考え方を学
ぶのである。「ただ読んだだけでは理解度10%、聞いただけでは20%、ただけでは30%、見
たり聞いたりの両方で50%,他の人と討論して70%、実際に体験して80%、誰かに教えてみ
て95%」(William Glaser,"Schools Without Failure")と言われる。

同じ事を教えるのでも工夫次第で大幅に理解度が違うのである。「聞いたことがある」程度に頭
に残っているのと,深く理解したのとでは自分で新しいことを考え出す上では大変な違いにな
る。本当に深く身について初めて本物の「知恵」になるのである。またそのように本当の知恵を
生むように「引き出さなければ」いけないのである。
    
教育成果の評価: 新しい教育には新しい教育評価システム、試験制度、が求められる。まず
入試も知識量を重視する「知識偏重」から大きく変えないといけない。私はある新設大学での
入試に高校の教科書持参で、答えは記述式にしてやってみたことがある(3)。

この方式では、これを覚えているか式の出題はなくなる。教科書をどれだけ本当に理解してい
るか、これは何故であるか、こういう場合はどうすればいいのか、どれだけの知恵を身につけ
ているかを問うのである。少し手はかかるが、この方式では受験生一人一人の「考える力」が
実に手に取るようによく分かる。○×式などの比ではない。

ただ、慣れていないこともあり、教授たちの中には問題作成が困難なこともあって、出題者の
方の「考える力」が試されることになる。しかし近頃では中学校の入試にも前よりも「考えさせる
問題」が出されるようにもなったというし、これからは変って行くのではないだろうか。

同じ「考える」のでも、ナゾナゾのようなものでなく、基本に基づいた知恵を調べるのである。
Stanford 大学の入試では creativity と leadership を重視すると言っていたが、矢張り自分で
考える力があって、人の上に立てる人材を求めるのである。福井謙一先生は「今の大学入試
は若い人の芽を摘んでいるんです」とよく言われていた。

今年のセンター試験でも、ある金属のアンミン錯体の色を問う問題が出ていた。センター試験
に出ると言うことはそれを覚えさせろと言う命令に近い。しかしそんな色を尋ねられても多くの
受験生は見たこともなく、教科書で知るだけであり、もう一生お目にかかることのない化合物の
色を覚えても何の役にも立たないことである。こんなことをして、若い人の芽を摘んでいる出題
者の罪は重いが、残念ながら彼らには罪の意識は微塵もない。

教科書の問題: 今ある高校の化学の教科書を見てみる。まず文部科学省検定の日本の教
科書が欧米の教科書に比べて圧倒的に貧弱である。内容も三分の一以下という。必要最低限
の情報をかき集めて書くだけで精一杯に近く、考え方など到底手が届かない。

先生はその教科書さえ教えればいいということで、その情報を生徒に丸暗記させるのである。
そのような教科書の中から大学入試問題を出せといわれてもいい問題ができるはずがない。
それはそのまま高校以下の悪い教育へとつながって行く。これで理科が好きになれとか、探究
的に考えろと言う方が無理である(4)。

一般に欧米の教科書は写真も綺麗だし、化学独自の考え方を手を尽くしてきちんと解りやすく
説明されているし、各種の考えさせる例題(問題)も備えている。教科書によっては、化学の立
場からの地球のできる火成岩の話しなど、いろいろな興味ある身近な話も入っていたりしてい
る。素人でも化学に興味を抱くよう、化学の好きな子はますます好きになるし、個性を伸ばせる
ようになっている。

欧米では教科書は学校の備品であることが多いし、5年に一度教科書を変えるとするとその実
質的な費用は五分の一になる。欧米で広くやっていることを日本で出来ないことがあるのだろ
うか。日本のようにこれ以上は教えなくていいなど、文部科学省の余計な規制がなぜ必要なの
だろうか。今はもう横並びの時代ではない。現場の先生は厚い教科書の全部を教えることはも
ちろんない。場合によってはここを読んでおけ、でもいい。生徒のレベルに応じて先生が好きな
ように教えればいいのである。その方が生徒も先生も個性を生かせてもっともっと元気が出る
し、化石化してしまった現在の化学が生き返る。

「折角いい頭を・・」; 私は院生にはいつも口癖のように「折角いい頭をお持ちなのですから、
もっとよく考えなさい」と言っている。

何年か前私がある賞を頂いたお祝いの会で卒業生の一人が、先生がああ言われるのは先生
にいいアイディアがないからではないか、と冗談半分に本当のことを言っていた。頭は使うほど
よくなるものである。優れた考えが出たときはうんと褒めることである。しかしお互い様自分の
考えの足りないことは自分では解らない。考えに考え、考え抜いて、新しい発想を生んだ体験
はその学生の一生の宝になるものである。creativeな才能は自分の頭で考えることによって育
つものである。

おわりに; 先ごろ亡くなられたロンドン大学の名誉教授の森嶋通夫先生のお言葉を紹介す
る。

『現在の教育制度は単数教育〈平等教育〉で、子供の自主性を養う教育ではない。人生で一番
大切な人物のキャラクターと思想を形成するハイテイ―ンエイジを高校入試、大学入試のため
の勉強に使い果たす教育は人間を創る教育ではない。今の日本の教育に一番欠けているの
は議論から学ぶ教育である。日本の教育は世界で一番教え過ぎの教育である。自分で考え、
自分で判断する訓練が最も欠如している 自分で考え、横並びでない自己判断の出来る人間
を育てなければ、2050年の日本は本当に駄目になる』(5)

1. National Science Education Standards, National Resarch Council(1996), National 
Academy Press.  Every Child a Scientist, National Research Council,(1998), National 
Academy Press:  .

2.「アメリカの孫と日本の孫」,田丸謙二,大山秀子,化学と工業,52 (1999) 1149

3 「新しい大学入試方式の模索」,田丸謙二,化学と教育,44 (1995) 456:「理科のセンスを
問う・・山口東京理科大学の教科書持ち込み入試」、木下実,同誌、45 (1997) 146

4  「高校の化学をつまらなくする方法」、田丸謙二,化学と教育,38 (1990)、712
「高校化学での「触媒」の教え方について」,田丸謙二、化学と教育、51、35 (2003): 「高校化学
での浸透圧の教え方について」、田丸謙二、化学と教育、51、434(2003)
  「高校化学の教科書を読んでの一つの意見」、田丸謙二、化学と教育、52、764 )2004)
5 森嶋通夫、こうとうけん、No.16 (1998) p.17
参考文献;http://www6.ocn.ne.jp/~kenzitmr/    (2005年3月)

++++++++++++++++++++

追伸

林様;

  「わびしく、さみしく、うつ的です」とは何ですか。 今こそ
働き盛りで、素晴らしい奥さんと一緒で、感謝、感謝の日々ではあり
ませんか。 孤独に耐え、身体のあちこちが老化でガタガタしてきて
いる先短い私は何と言えばいいのでしょうかネ。 私は、毎日、毎日、
とにかく元気に生きて居れるのが有り難く、食事を作りながらも、そ
れこそ感謝、感謝です。 万歩計を使いながら、毎日一万歩を超える
よう努めています。 誰にも迷惑をかけずに一日でも多く元気でいよ
うと。 話しましたっけ? 先週街で「カキフライ」を買って食べて、
大当たり、大変な苦しみでした。 4日間入院して、点滴、点滴で、3
リットルもしましたかしら、やっと元気になって、学会に連日上京で
す。 今日で無事終わりました。

  お元気で。
  T・K

+++++著作権BYはやし浩司++++++copy right by Hiroshi Hayashi+++++

最前線の子育て論byはやし浩司(618)

●ソクラテスの最後

 あのソクラテスは、最後は、処刑されている。そのソクラテスを脱走させようと、クリトンという
友人が、こっそりとソクラテスに会いにくる。

 それに答えてソクラテスは、こう教える。

 「重要なことは、生き延びることではない。重要なことは、よく生きること。美しく生きること」
と。

 つまり生きることは、時間の問題ではなく、中身の問題、と。そしてソクラテスは、「私の命は、
運命にゆだねる」と言い残して、そのまま処刑される。

 よく知られた有名な話である。

 「運命にゆだねる」。

 私たちの命には、無数の「糸」がからんでいる。四方八方から、からんでいる、家族、友人、
知人、地域、国家、地球……ありとあらゆるものが、からんでいる。私が、たまたま男であると
いうことも、たまたまここにいるということも、それらの糸がからんだ、その結果でしかない。

 その糸の中で、私たちは生きている。生きる方向を知り、その方向に沿って生きている。とき
に、それらの糸は、私たちの前に、「限界」として、立ちはだかる。人は、それを「運命」という。

 人間が生きる美しさは、その運命と、最後の最後のところで戦うところから、生まれる。生き
る尊さも、そこから生まれる。

 しかしその運命が、運命として、その人の運命を定めるときがある。あのソクラテスも、最後
の最後で、それを知った。「運命にゆだねる」と。

 私やあなたにも、いつかすぐ、恐らく、つぎの瞬間には、その日がやってくる。それがわから
なければ、あなたが子どもだったころ、今のあなたの年齢の人たちが、そのあとどうなったかを
知ればよい。

 高校時代の担任、中学時代の担任、近所の知りあいに、親類の叔父や叔母たち。あなたと
ともに、この宇宙の果てで、星がほんの一瞬、まばたきするその間に、私は生まれ、そして死
ぬ。

 だれしも、自分の命を、最後には、その運命にゆだねるときがやってくる。それこそ、まさに
一瞬かもしれないが、その一瞬を、いかにすれば、よく生きることができるか。美しく生きること
ができるか。それこそが、私たちが今、こうして生きている理由、そのものかもしれない。

+++++++++++++++++++++++

 恩師のT先生が、私が、「(最近、何かにつけて)、わびしく、さみしく、うつ的です」と書いたこ
とについて、こう返事をくれました(3月31日)。生きることのヒントになると思いますので、あえ
て、そのまま転載させていただきます。

 今、無数の運命という糸にからまれて、がんばっている人には、先生のこのメールは、大きな
励みになると思います。

 Life is beautiful!(人生は、美しい。)

 みんなで、力を合わせて、よく生きましょう。美しく生きましょう!


++++++++++++++++++++++

●田丸先生のこと

 万歩計をつけて、毎日、1万歩を歩いている?
 だれにも迷惑をかけずに、1日でも多く、元気でいようと務めている?
 4日間も入院して、そのあと、また学会に出ている?
 そして毎日、「感謝、感謝」?

 いつか、100年とか200年とか、そういうあとの時代になって、T先生のこの話は、T先生に
まつわる逸話として、語りつがれることだろう。

 生きることのすばらしさを、教えてくれて、先生、ありがとう。
 生きる力と勇気を与えてくれて、先生、ありがとう。
 私は先生をとおして、生きることのすばらしさ、尊さを学んでいます。

 ぼくも、がんばれるだけ、がんばってみます。

+++++著作権BYはやし浩司++++++copy right by Hiroshi Hayashi+++++

最前線の子育て論byはやし浩司(619)

●T先生のこと

 精神力とその行動性は、当然のことながら、シンクロナイズしている。

 たとえば独立心の旺盛な人は、独立した行動を繰りかえす。依存性の強い人は、行動もま
た、万事につけ、依存的になる。

 恩師のT先生が、現在、何歳なのか、本当のところ、知らない。はじめて出会ったのは、私が
23歳のときだが、そのとき先生は、42歳だと言っていた。

 正直な先生だが、年齢だけは、本当のことを言わなかった。で、この原稿を書くにあたって、
先生の名前を検索してみたら、先生のHPが、最初に出てきた。そのHPに、先生の生年月日
がないことは、よく知っている。

 最初、先生が、自分のHPをたちあげたとき、住所から電話番号まで、(もちろん生年月日ま
で)、記載してあった。それを削除させたのは、私だからである。「この世界には、どんなワルが
いるか、わかったものではありません。削除したほうがよいです」と。

 つぎに、どこかの学会雑誌をヒットした。そこでT先生を調べてみると、1946年、T大理学部
卒とある。

 私が生まれたのは、1947年。逆算すれば、T先生が23歳のときに、私が生まれた。という
ことは、先生の年齢は、私の年齢プラス23歳ということになる。つまり今年、80〜81歳という
ことか(05年)。

 そのT先生は、今、万歩計をつけて、毎日1万歩、歩くようにこころがけているという。若いこ
ろ、奥さんをなくしているので、以来、ずっと、ひとり暮らしである。T先生の人間性もさることな
がら、私は、いつも、T先生の、その旺盛な独立心に、驚かされる。

 本当はそうでないのかもしれないが、つまりT先生はT先生なりに、どこかで孤独と戦っている
のかもしれないが、私には、そうは見えない。少なくとも私には、強靭(きょうじん)な精神力の
持ち主に見える。並外れた、スーパーマンのような精神力である。

 もう少し若いころには、国際学会だとかなんだとかで、ひとりで、世界中を、飛び回っていた。
ひとりで生活をすることさえ、たいへんなのに、その上での、こうした活動である。数年前に、日
本学士院賞を受賞しているが、その一方で、最近は、料理にこっているという。

 「料理は、化学反応のようで、おもしろい」などと、書いてきたこともある。

 私はよく、こう思う。「もし私が、T先生の立場なら、つまりひとり暮らしの立場なら、それだけ
で、めげてしまって、何もできなくなるだろうに」と。そんなわけで、T先生からメールをもらうたび
に、T先生と私は、どこが、どうちがうだろうかと考える。

 昨夜のメールによれば、「カキフライを食べて、大当たり!」とあった。そのため、4日間入院
して、点滴を3リットルも受けたという。T先生は、病院で、どんな気持ちで、寝ていたのだろう。
私は、その先生に、自分の心をのせてみたとき、ゾッとした。

 (もっとも、T先生のことだから、看護婦さんたちと、ジョークを飛ばしあって、結構、それなりに
楽しんでいただろうと思うが……。)

 私とT先生は、親しいと言えば親しいが、しかし立場が、まるでちがう。いつでも会いに行きた
い気持ちはあるが、しかし、簡単に、「会ってください」と言える関係でもない。若いときは、怖い
もの知らずというか、息子たちを連れて、平気で遊びに行くことができたが……。

 私はやはり、私とT先生とは、精神の構造そのものが、ちがうようだ。ときどきT先生は、T先
生の若いときの写真を送ってくれるが、そういう写真から推察すると、T先生の乳幼児期は、た
いへん恵まれたものであったようだ。

 T先生の父親も、やはりたいへん著名な化学者であったという。心理学でいう、「基本的信頼
関係」という点で、私の生まれ育った環境とは、大きくちがう。

 そこで今、考えることは、一方に、T先生のような見本を置きながら、果たして私のような人間
が、自分の精神力だけで、自分の精神の欠陥を乗りこえることができるかどうか、ということ。

 なおそうとは、思わない。もうなおらないことは、わかっている。あきらめている。しかしこれか
らの老後のことを考えると、今の私の精神構造では、その老後を乗り切ることは、不可能なこ
とのようにさえ思う。

 つまり、これはあくまでも相対的なものかもしれないが、私は、依存性が強い。人から見ると、
ひとりでたくましく生きている人間に見えるかもしれないが、その実、精神状態はボロボロ。

 ワイフが、そばにいない人生は考えられないし、かりに4日間も、ひとりで入院するようなこと
になれば、それだけで、自殺することを考えてしまうかもしれない。が、T先生は、そのあとす
ぐ、学会に顔を出している!

 どう理解したらよいのか。どう、T先生から学んだらよいのか。T先生のような人間がいること
自体、私には信じられない。

 今朝、ワイフに、「春休みの間に、鎌倉へ行ってみるか?」と声をかけると、「私が行ってもい
いの?」と返事をした。

 ワイフにしても、畏(おそ)れおおい先生であることは、事実のようだ。あとでT先生に、つごう
を聞いてみよう。

(追記)

 つごうを聞いたら、「X日以後ならいい」とあった。私は「それまで生きていてください」と返事を
書いた。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●自意識(2)

 少し前、自意識について書いた。

 ふつう「自意識」というときは、「私は私」という意識をいう。この自意識には、強弱がある。

 自意識が強すぎるのも困るが、反対に、自意識が欠落しているのも困る。そこで私は、その
自意識を、(強・普通・弱)という視点で考えてみることにした。

 今日、ハナと散歩をしながら、そんなことを考えた。

(1)自意識が強い……いつも自分は他人から注目されていると思いこむ。また注目されていな
いと、落ちつかない。そのため、集団の中では、わざと目立つように、振る舞うことが多い。

(2)自意識が普通……自意識が、他人との関係で、バランスがとれている。人間関係も、バラ
ンスがとれている。自分の限界をわきまえ、節度を保った行動ができる。が、さりとて、特異な
行動もしない。

(3)自意識が弱い……「私」という概念が希薄で、外から見ると、何を考えているかわからな
い。何ごとにつけても、優柔不断で、他人の目を気にしない。生活態度や習慣も、だらしない。

 要するに、自意識は、ふつうの人間として、ふつうの生活を営むためには、ほどほどであるの
がよいということになる。

 一般論として言えば、自意識の強い人ほど、他人の目を気にする。そのため見栄やメンツに
こだわりやすい。「世間体」という言葉もよく使う。

 が、この自意識が、よい方向に作用することもある。

 たとえば幼児期に何かと問題のあった子どもでも、自意識が育ってくると、自分で自分をコン
トロールするようになる。「こんなことをすれば、人に嫌われる」「こうすれば、もっと友だちが喜
んでくれる」と。

 こうして自分で、自分の問題点を、改善していくことがある。たとえばADHD児にしても、その
自意識が急速に発達し始める小学3、4年生を境に、症状が、外からはわかりにくくなる。

 一方、自意識が弱すぎるのも、困る。ボサボサの頭で、フケだらけ。汚れた衣服を着ていて
も、平気。他人がそれを批判しても、まったく気にする様子でもなし。競争心や向上心がないの
は、まだしかたないとしても、他人の問題については、「我、関せず」と無官関係を決めこんでし
まう。

 そんなわけで、繰りかえしになるが、「要は、バランスの問題」ということになる。

++++++++++++++++++はやし浩司

この自意識について、以前、書いた原稿を
2作、再度、掲載しておきます。
どうか参考にしてください。
自分をより知るための手がかりになると
思います。

++++++++++++++++++はやし浩司

●自己概念

 「自分は、人にどう思われているか」「他人から見たら、自分は、どう見えるか」「どんな人間に
思われているか」。そういった自分自身の輪郭(りんかく)が、自己概念ということになる。

 この自己概念は、正確であればあるほどよい。

 しかし人間というのは、身勝手なもの。自分では、自分のよい面しか、見ようとしない。悪い面
については、目を閉じる。あるいは人のせいにする。

 一方、他人というのは、その人の悪い面を見ながら、その人を判断する。そのため(自分が
そうであると思っている)姿と、(他人がそうであると思っている)姿とは、大きくズレることがあ
る。

 こんなことがあった。

 ワイフの父親(私の義父)の法事でのこと。ワイフの兄弟たちが、私にこう言った。

 「浩司(私)さん、晃子(私のワイフ)だから、あんたの妻が務まったのよ」と。

 つまり私のワイフのような、辛抱(しんぼう)強い女性だったから、私のような短気な夫の妻と
して、いることができた。ほかの女性だったら、とっくの昔に離婚していた、と。

 事実、その通りだから、反論のしようがない。

 で、そのあとのこと。私はすかさず、こう言った。「どんな女性でも、ぼくの妻になれば、すばら
しい女性になりますよ」と。

 ここで自己概念という言葉が、出てくる。

 私は、私のことを「すばらしい男性」と思っている。(当然だ!)だから「私のそばにいれば、ど
んな女性でも、すばらしい女性になる」と。そういう思いで、そう言った。

 しかしワイフの兄弟たちは、そうではなかった。私のそばで苦労をしているワイフの姿しか、
知らない。だから「苦労をさせられたから、すばらしい女性になった」と。だから、笑った。そして
その意識の違いがわかったから、私も笑った。

 みんないい人たちだ。だからみんな、大声で、笑った。

 ……という話からもわかるように、自己概念ほど、いいかげんなものはない。そこで、私たち
はいつも、その自己概念を、他人の目の中で、修正しなければならない。「他人の目を気にせ
よ」というのではない。「他人から見たら、自分はどう見えるか」、それをいつも正確にとらえて
いく必要があるということ。

 その自己概念が、狂えば狂うほど、その人は、他人の世界から、遊離してしまう。

 その遊離する原因としては、つぎのようなものがある。

(1)自己過大評価……だれかに親切にしてやったとすると、それを過大に評価する。
(2)責任転嫁……失敗したりすると、自分の責任というよりは、他人のせいにする。
(3)自己盲目化……自分の欠点には、目を閉じる。自分のよい面だけを見ようとする。
(4)自己孤立化……居心地のよい世界だけで住もうとする。そのため孤立化しやすい。
(5)脳の老化……他者に対する関心度や繊細度が弱くなってくる。ボケも含まれる。

 しかしこの自己概念を正確にもつ方法がある。それは他人の心の中に一度、自分を置き、そ
の他人の目を通して、自分の姿を見るという方法である。

 たとえばある人と対峙してすわったようなとき、その人の心の中に一度、自分を置いてみる。
そして「今、どんなふうに見えるだろうか」と、頭の中で想像してみる。意外と簡単なので、少し
訓練すれば、だれにでもできるようになる。

 もちろん家庭という場でも、この自己概念は、たいへん重要である。

 あなたは夫(妻)から見て、どんな妻(夫)だろうか。さらに、あなたは、子どもから見て、どん
な母親(父親)だろうか。それを正確に知るのは、夫婦断絶、親子断絶を防ぐためにも、重要な
ことである。

 ひょっとしたら、あなたは「よき妻(夫)であり、よき母親(父親)である」と、思いこんでいるだけ
かもしれない。どうか、ご注意!
(はやし浩司 自己概念)


++++++++++++++++はやし浩司

●自分を知る

 自分の中には、(自分で知っている部分)と、(自分では気がつかない部分)がある。

 同じように、自分の中には、(他人が知っている部分)と、(他人が知らない部分)がある。

 この中で、(自分でも気がつかない部分)と、(他人が知らない部分)が、「自分の盲点」という
ことになる(「ジョー・ハリー・ウインドウ」理論)。

 (他人が知っていて、自分では知らない部分)については、その他人と親しくなることによっ
て、知ることができる。そのため、つまり自分をより深く知るためには、いろいろな人と、広く交
際するのがよい。その人が、いろいろ教えてくれる。※)

 問題は、ここでいう(盲点)である。

 しかし広く心理学の世界では、自分をよりよく知れば知るほど、この(盲点)は、小さくなると考
えられている。言いかえると、人格の完成度の高い人ほど、この(盲点)が小さいということにな
る。(必ずしも、そうとは言えない面があるかもしれないが……。)

 このことは、そのまま、子どもの能力についても言える。

 幼児をもつほとんどの親は、「子どもは、その環境の中で、ふさわしい教育を受ければ、みん
な、勉強ができるようになる」と考えている。

 しかし、はっきり言おう。子どもの能力は、決して、平等ではない。中に平等論を説く人もいる
が、それは、「いろいろな分野で、さまざまな能力について、平等」という意味である。

 が、こと学習的な能力ということになると、決して、平等ではない。

 その(差)は、学年を追うごとに、顕著になってくる。ほとんど何も教えなくても、こちらが教え
たいことを、スイスイと理解していく子どももいれば、何度教えても、ザルで水をすくうような感じ
の子どももいる。

 そういう子どもの能力について、(子ども自身が知らない部分)と、(親自身が気がついていな
い部分)が、ここでいう(盲点)ということになる。

 子どもの学習能力が、ふつうの子どもよりも劣っているということを、親自身が気がついてい
れば、まだ教え方もある。指導のし方もある。しかし、親自身がそれに気がついていないとき
は、指導のし方そのものが、ない。

 親は、「やればできるはず」「うちの子は、まだ伸びるはず」と、子どもをせきたてる。そして私
に向っては、「もっとしぼってほしい」「もっとやらせてほしい」と迫る。そして子どもが逆立ちして
もできないような難解なワークブックを子どもに与え、「しなさい!」と言う。私に向っては、「でき
るようにしてほしい」と言う。

 こうした無理が、ますます子どもを勉強から、遠ざける。もちろん成績は、ますますさがる。

 言いかえると、賢い親ほど、その(盲点)が小さく、そうでない親ほど、その(盲点)が大きいと
いうことになる。そして(盲点)が大きければ大きいほど、家庭教育が、ちぐはぐになりやすいと
いうことになる。子育てで失敗しやすいということになる。

 自分のことを正しく知るのも難しいが、自分の子どものことを正しく知るのは、さらにむずかし
い。……というようなことを考えながら、あなたの子どもを、一度、見つめなおしてみてはどうだ
ろうか。

(注※)

 (自分では気がつかない部分)で、(他人が知っている部分)については、その人と親しくなる
ことで、それを知ることができる。

 そこで登場するのが、「自己開示」。わかりやすく言えば、「心を開く」ということ。もっと言え
ば、「自分をさらけ出す」ということ。しかし実際には、これはむずかしい。それができる人は、
ごく自然な形で、それができる。そうでない人は、そうでない。

 が、とりあえず(失礼!)は、あなたの夫(妻)、もしくは、子どもに対して、それをしてみる。コ
ツは、何を言われても、それを聞くだけの寛容の精神をもつこと。批判されるたびに、カリカリし
ていたのでは、相手も、それについて、話せなくなる。

 一般論として、自己愛者ほど、自己中心性が強く、他人の批判を受けいれない。批判された
だけで、狂乱状態になることが多い。
(はやし浩司 自分を知る ジョン・ハリ理論 ジョン・ハリー・ウィンドウ理論)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司
+++++著作権BYはやし浩司+++++copy right by Hiroshi Hayashi+++++※

最前線の子育て論byはやし浩司(620)

【近況・あれこれ】

●高校の同窓会

 久しぶりに、高校の同窓会の案内。残念ながら、日程が合わず、キャンセル。ふるさとは、ま
すます遠ざかっていく。

 ところでアメリカやオーストラリアには、同窓会なるものは、ない。日本の学校のような、担任
システム(クラスが担任ごとに分かれている)がないため。学校全体のパーティのようなものは
あるらしい。

 「学校時代の友人には会わないのか?」と聞くと、オーストラリア人の友人は、こう言った。
「会いたいときに会っている」と。そういうものか?

 みんな元気なら、何より。

 大学時代の同窓会(法学科単位)は、ほぼ毎年、ある。しかしこちらは、男ばかりで、つまら
ない。飲んで、騒いで、歌を歌って、それでおしまい。

 しかしなぜ、同窓会など、するのだろうか? 会いたい友だちとは、そのつど、会えばよい。そ
うでないと、同窓会が、ただ単なる、詮索(せんさく)の場で終わってしまう。「あの人は、何をし
ているの?」「この人は、何をしているの?」と。もっとも、そのルーツは、日本の学歴制度にあ
る。さらに昔にさかのぼれば、身分制度にある。

 昔は、出身校で、身分を差別した。「学閥」という弊害も、そこから生まれた。もっとも、悪いこ
とばかりではない。同窓会に出るたびに、その時代に、そのままタイムスリップする。自分を再
発見するには、よい機会だ。

 まあ、同窓会を楽しみにしている人もいるから、これ以上、批評するのは、やめよう。いつ
か、もう少し、時間的に余裕ができたら、出てみたい。

(まさか、高校時代の知人で、私のマガジンを読んでいる人はいないと思う。年齢的にも、そん
な歳ではないし……。このマガジンは、子育ての最前線でがんばっている人のためのマガジ
ン。孫育てをしている人が、読んでも意味がない(?)。が、万が一、読んでいる人がいたら、ご
めん!)

 しかし私がいたころのM高校は、G県でも、有数とまではいかないにしても、結構な名門校だ
った。しかしもう20年前には、G県の中でも、ボトム校になってしまったという。たまたま同窓会
にやってきた、当時の教師が、「残念ながら今は……」と、会の冒頭で、どこか苦笑いをしなが
ら、そうあいさつをしていたのを覚えている。

 まあ、いいじゃないですか。ボトム校でも、何でも。人間の価値まで、それで決まるわけではな
いし……。


●劣等意識

 学校に対する劣等意識が、そのままその子どもの劣等意識に、転化することがある。自ら
に、ダメ人間のレッテルを張ってしまう。

 ところで人間の行動を律するものには、大きく分けて、二つある。(1)内的規範と、(2)外的
規範である。

 内的規範というのは、その人の倫理観や道徳観、哲学や宗教観をいう。

 外的規範というのは、その人の社会的地位や名誉、経歴などをいう。

 こうしたものが、いつも総合的にからみあいながら、その人の行動を律する。

 たとえばこんな例を考えてみよう。

 通りを歩いていたら、車が一台、窓をあけたまま、そこにあった。周囲には人影がまったくな
い。遠くに家があるが、そこにも、人の気配はない。

 車の窓の中を見ると、手さげバッグが無造作においてあり、そのバッグからは、札束の一部
が見えている。窓の中に手をのばせば、容易に、手が届く距離である。

 もしあなたがそういう状況に置かれたら、あなたはどうするだろうか。「もらっちゃえ」と思っ
て、バッグごと、持ち去る人もいるかもしれない。しかしほとんどの人は、この段階で、自分の
行動にブレーキをかける。そのブレーキをかける力が、ここでいう内部規範と、外部規範という
ことになる。

 「自分に恥じることはしたくない」というのが、内部規範。「私には、私の立場がある。もしバレ
たら、私は名誉のすべて失うから、しない」というのが、外部規範。しかし実際には、外部規範
の力は、それほど、強いものではない。たいていは、「バレたらたいへん……」という程度の力
でしかない。

 ともかくも、ほとんどの人は、そういったお金には、手をつけない。しかし、だ。その内部規範
を、その人の内部から破壊するものがある。

 それが劣等意識である。この劣等意識は、いわば心の中のがん細胞のようなもので、その
人の倫理観や道徳観、哲学や宗教観を、少しずつ、むしばんでいく。最終的には、心そのもの
を破壊することもある。自暴自棄になり、善悪の判断すら、しなくなる。

 ところがこの劣等意識というのは、そのほとんどは、自分以外の人によって、植えつけられて
いくものである。友人とか、教師とか、あるいは親によるばあいもある。「君は、何をやっても、
ダメな人間だ」と言われることによって、劣等意識をもつようになる。 

 もう少し詳しく説明すると、こうなる。

 劣等意識は、長い時間をかけて、その人の中で、欲求不満として蓄積される。しかしさらにそ
れが慢性的につづくと、その劣等意識は、記憶のすみにおいやられ、人は無意識のうちにも、
自我の崩壊を防ごうとする。

 そこで多くのばあい、人は、その劣等意識を克服するため、つまり自我の崩壊を防ぐため、さ
まざまな行動に出ることが知られている。これを心理学の世界では、「防衛機制」という。

 たとえば、勉強面で劣等意識をもった子どもが、スポーツ面でがんばる(=補償)、「勉強なん
て、どうせくだらない」と言って、勉強ができないことを、合理化する(=合理化)、有名人のマネ
をして、自分がその有名人になったような気分になる(=同一視)、空想や非現実的な世界に
いりびたりになり、現実を忘れる(=逃避)、まったく別人となるよう、別人格を自分の中につく
る(=反動形成)などがある。

 しかしこれらも一定の範囲に収まっている間は、問題ない。むしろよい方向に作用することが
多い。

 が、その範囲を超えて、度を越すと、問題行動を起こすようになる。社会的に不適応症状とな
って現れることもある。異常行動となって、犯罪に走るケースも、少なくない。

 つまり、人間がもつ、劣等意識を、決して軽く考えてはいけない。

 そこで最初の話にもどるが、こうした劣等意識は、子どもであればあるほど、鮮明にもちやす
い。そしていくつかの過程を、一足飛びに飛び越えて、問題行動へとつながっていく。

 「ボトム校」の問題と、劣等意識の問題は、こうして密接につながっていく。飛躍した意見に聞
こえるかもしれないが、現在の日本の教育には、こうした問題が隠されている。

 もう少し、かみくだいて説明してみよう。

 たとえば受験競争。勝ち組はともかくも、勝ち組が生まれる一方、当然、そこには負け組み
が生まれる。この負け組みは、毎日の学校生活を通して、「どうせ私は、ダメな人間なのだ」と
いう意識を、無意識のうちにも植えつけられていく。「少しくらいがんばっても、どうにもならな
い」というあきらめも、そこから生まれる。

 つまり日本の教育制度の中では、一部のエリートを生み出す一方、同時に、無気力で、従順
で、もの言わぬ民(たみ)を生み出す。そういうしくみになっている。この後者の子どもたちが、
回りにまわって、勝ち組がリードする社会に対して、ブレーキとして、働くようになる。

 つまり勝ち組のつくりあげる社会を、負け組みがそれを打ち消すことで、相殺してしまう。

 たとえば一方に、東大を出て、上級甲種の国家公務員試験に合格して、警察庁のエリートに
なる子どもがいる。が、もう一方に、受験競争から早い段階で脱落し、働いても働いても、夢も
希望ももてず、その日暮らしの労務者がいる。犯罪を取り締まるのが前者で、犯罪を犯すのが
後者ということになれば、では、そもそも受験競争とは何かということになってしまう。

 少し極端な書き方をしてしまったが、おおまかな図式としては、それほど、まちがってはいな
いと思う。つまりは、教育の世界では、「子どもを伸ばす」ことだけが最優先されるが、しかしそ
れよりも大切なことは、「子どもに劣等意識をもたせないこと」も、重要であるということ。

 そのためには、教育は、多様化されなければならない。自由化されなければならない。学校
以外に道はなく、学校を離れて道はないという世界のほうが、異常なのである。

 たとえば同じ学校にしても、アメリカやオーストラリアでは、学校単位で、自由にカリキュラム
を組むことができる。入学年度すら、自由に設定できる(アメリカの公立小学校)。あるいは生
徒一人ひとりに合わせて、カリキュラムを組むこともできる(オーストラリア・グラマースクー
ル)。

 世界の学校は、すでに、そこまでしている!

 私の過ごした高校が、「ボトム校」と言われるようになって、もう20年になる。M高校と、アル
ファベットで書かねばならないほどである。そうするのは、私が自分の母校を卑下しているから
ではなく、現在、その高校に通っている子どもたちの心にキズをつけないためである。

 しかしバカげている。本当にバカげている。こうした序列ができていること自体、バカげてい
る。

 そこでこれは私からの希望ではあるが、世の中には、反対にエリート校というのもある。そう
いう学校は学校で、どうか、おかしなエリート意識を助長するような活動は、さしひかえてほし
い。

 H市でもナンバーワンの進学校とも言われているSS高校ともなると、部活の総会というだけ
でも、壇上には、OBたちがズラリと顔を並べる。気持ちはよく理解できるが、そういうおかしな
エリート意識が、回りまわって、どこかで、これまたおかしな劣等意識をつくる。そしてそれが、
日本人のみならず、社会のあり方そのものをゆがめてしまう。

 あえて言うなら、外的規範に頼らず、みながみな、内的規範によって、自分を律することがで
きるような、そういう子どもを育てるのが、これからの課題と考えてよい。そのためには、学校
教育はどうあるべきか。それを考えていかないと、日本は、ますます国際社会から、取り残され
てしまうことになる。

 「ボトム校」という言葉から感じたことを、書いてみた。
(はやし浩司 劣等感 劣等意識 防衛機制 補償 合理化)


●HPの移動

 4年前に買ったパソコンから、今度買ったパソコンへ、HPのファイルを移動した。

 N社のHPソフトを使っているが、親切なのか、不親切なのか、(多分、親切心からだろうが)、
HPを開く前に、かならず、バックアップをとってくれる。(バックアップしない方法もあるが…
…。)

 そのため、そのつど、ファイルが、ゴミの山のように、パソコンの中に残る。で、このゴミの処
理が、結構、たいへん。おっかな、びっくりで、ともかくも、引っ越し、完了!

 よかった。うれしかった。疲れが、どっと、出た。+楽しかった。

 この緊張感と、そのあとやってくる満足感が、何とも言えない。ハハハ。


●国際情勢分析(今日は、わかりやすく……)

 ますますわかりにくくなってきましたね、ホント! この先、日本は、どうなるのでしょうね? 
きっとみなさんも、ご心配のことと思います。(私も心配していますが、すべてが、日本にとって
は、悪いほうへ、悪いほうへと進んでいるような気がしませんか?)

 まず、わからないのが、韓国のN大統領。反日が転じて、ますますK国寄り。アメリカと中国
の関係も、ギクシャクしてきましたね。おまけに、アメリカとロシアの関係も……!

 そこでK国の金XXは、今度、ロシアを訪問することになりました。そしてその前に、中国のK
国家主席が、K国を訪問することにもなりました。

 アメリカは、「もう知ったことか!」と、サジをなげそうな雰囲気。「K国が、核兵器をもっている
かどうか、もう、知らないヨ〜」とまで言い出しましたよね。

 こういうときは、まず、どうなれば、日本にとってよいのか、それを考えます。すると、当然、中
国や韓国も、同じように考え、それを読んでいますから、日本にとっては、不利になるように行
動してくるはずです。

 国際外交では、相手が日本に対して、不利になるような行動をする可能性があるときには、
その前に、それができないように、手を打っていきます。将棋と同じです。どこかに待ち駒を置
きながら、相手の動きを誘います。

 日本にとって一番よいシナリオは、K国の金XX体制が自然崩壊すること。あるいは韓国と、
K国が、さらに反目しあうこと。そしてK国が、中国からも見離され、ロシアからも見放され、K
国の核兵器問題が、国連の安保理に付託されること。

 そこで、韓国や中国は、その反対の行動を始めます。日本のこうした(思い)を、ちゃんと、読
んでいますからね。まず金XX体制を崩壊させないこと。韓国は、K国と仲よくする。K国は、中
国やロシアと親交を深める。今のところ、こうした流れの中で、国際情勢が進んでいるようで
す。

 つまり日本はますます孤立化する! ああ、日本、危うし!

 では、どうするか、ですよね。

 ここまできたら、韓国とは、袂(たもと)を分かつしかないでしょうね。「まあ、そこまでおっしゃ
るなら、経済関係も、ここまでですね」と。けんかまですることはないにしても、無理に仲よくしよ
うと思わないこと。

 ゆいいつの友だちは、アメリカ。幸いにも、韓国のN大統領が、先日、R国務長官に、「韓国
を選ぶか、日本を選ぶか、はっきりさせろ」「日本を捨てろ」と迫ったとき、R国務長官は、それ
を無視してくれましたよね。ありがたいことです。N大統領は、自分の立場が、まったく、わかっ
ていない。かわりに、韓国のほうが、アメリカから捨てられそうな雰囲気になってきました。

 つまり米韓同盟は、もう崩壊寸前。あるいは、すでに崩壊状態。イラク情勢がもう少し落ちつ
けば、アメリカは、韓国に絶縁状を手渡すはずです。

 そうなれば、いっせいに、外資が、韓国から逃げ出しますよ。つまりまたまた韓国は、破綻
(デフォルト)。そのスキをついて、南北関係は、緊張状態に! そのときN大統領は、どうする
のでしょうか?

 そういう状態にさせてはならじと、今度は、中国が登場してくるはずです。

 まず中国は、日本とK国の間に立って、日本に、戦後補償を迫ってくるはずです。(すでにそ
の打診を何度も、日本側にしてきています。)そのお金で、K国は、中国から大量の武器を購
入する。そういう約束は、たがいの間で、もうできているはずですよ。

 韓国は、自分でも、「将来的には、中国の経済圏に入る」と、言っています。まあ、日本として
は、「どうぞ、ご勝手に」と言うしかありませんが……。

 ただ心配なのは、日本とK国の間の、戦後補償問題になったときには、もうアメリカは、日本
を助けてはくれないということ。だって、この問題は、アメリカには、関係ない問題でしょ。「日本
は、日本で、勝手にやりなさい」となるわけです。

 だから日本は、K国のおどしにビクビクしながら、その交渉に応ずるしかない。その額、4兆
円とも、10兆円とも言われています。もう、メチャメチャな金額です。「払うのがいやなら、戦
争!」と、K国は、そのとき言うでしょうね。

 そこで日本としては、先手を打つためにも、できるかぎりはやく、K国に金XX体制を崩壊させ
なければなりません。早ければ、早いほどよいのです。が、韓国は、そういう日本の内心をよく
知っていますから、ますますK国を助ける。

 そこで日本は、アメリカを動かして、韓国のそうした動きをけん制しようとします。現にしていま
す。だからN大統領は、ますます反日に……。それを中国やロシアは、またまた知っているか
ら、アメリカの動きをけん制する。

 今は、何というか、国際情勢が、もう、ごちゃごちゃの状態なんですね。6か国協議どころで
は、ないというのが、各国の本音ではないでしょうか。

 まあ、アメリカとしては、米韓同盟を解約したあと、K国を経済封鎖するつもりなんでしょうが、
中国やロシアが、うんと言わなければ、これまたどうしようもない。あとはK国の出方一つという
ことになりますが、ことこの日本に関して言えば、戦争は近いということ。このままでは、確実に
戦争になりますよ。ウソじゃ、ないですよ。

 K国、韓国、中国は、たとえば島の領有権問題にかこつけて、日本にあれこれちょっかいを
出してくるはずです。それに日本が反応すると、即、過剰反応。この繰りかえしをしながら、や
がて戦争になります。

 しかしね、みなさん、そういうワナにはまってはいけませんよ。日本が感情的になったりする
と、それこそ、K国の思うツボ。ただひたすら冷静に、事務的に。それがこれからの日本の外
交の基本です。

 韓国と中国は、戦争の突破口を、K国に開かせようとしていますよ。これは被害妄想でも何で
もありません。仮に日朝戦争ともなれば、韓国は、K国を支援。中国も、K国を支援。中国が介
入してくると、アメリカも、簡単には手を出せなくなります。

 そこで、日本としては、相手にしない。どこまでも、相手にしないこと。あとは国際世論に、日
本の正当性を訴えていく。ここが重要なのです。相手が日本の頬をたたいてきたら、たたかせ
てやる。その姿を、映像にして、世界中に発信すればよいのです。

 決してたたき返してはいけませんよ。韓国とK国が連合を組んで、日本を攻撃してきたら、日
本は、ひとたまりもありません。確実に負けますよ。いくら装備は近代的でも、戦意がちがいま
す。

 彼らは、心底、日本人の私たちをうらんでいます。またそういう教育を徹底して受けていま
す。しかも、彼らはみな、2〜3年の徴兵制で鍛えられています。日本の若者たちとは、ちょっと
(でき)がちがいます。

 永田町の、頭の古い政治家たちは、勇ましいことを口にしていますが、もう少し現実を見てほ
しいですね。「Y神社を参拝しないような政治家は、政治家の資格はない」とか、など。そういう
時代錯誤的なことを口にする政治家のほうこそ、政治家の資格はないと、私は思うのですが…
…。

 本当に、日本の政治家のレベルの低さには、あきれます。なさけないですね。

 バカ呼ばわりされても、卑怯者と言われても、日本は、ここで戦争の引き金を引いてはいけま
せん。わかりますか、みなさん?

 それこそ、韓国、中国、K国の、思うツボだからです。その思うツボに入らないこと。それがこ
れからの日本の進むべき道なのです。

(以上、4月3日記。マガジンに載る5月4日には、国際情勢はさらに大きく変化しているかもし
れません。)


++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(621)

【子育て・あれこれ】

●子どもの自己中心性

 子どもは、そもそも自己中心的である。ものごとを、(自分)を中心にして考える。「自分の好
きなものは、他人も好き」「自分が嫌いなものは、他人も嫌い」と。

 それがさらに進むと、すべての人やものは、自分と同じ考え方をしているはずと、思いこむ。
自然の中の、花や鳥まで、自分の分身と思うこともある。これを「アニミズム」(ピアジェ)という。
(心理学の世界では、物活論、実念論、人工論という言葉を使って説明する。)

 しかし年齢とともに、この自己中心性は薄れ、他人の視点から見た自分をとらえることができ
るようになる。いわゆる(自己概念)が、確立してくる。

 その年齢は、ピアジェによれば、9〜10歳以後ということだそうだが、私の経験では、もっと、
早い時期ではないかと思う。個人差もあるが、すでに6歳後半には、この自己概念は、かなり
はっきりしてくる。

 ところで、その自己中心性について、こんな話を聞いた。

 自分のひとり息子に、恋人ができたときのこと。その恋人について、母親が、息子に、「どうし
てあんな女がいいの?」「もっといい女は、いくらでもいるでしょう」と迫ったという。これなども、
自己中心性の表れとみてよい。

 その母親は、自分の視点だけで、息子の好みを誘導しようとしている。

 言いかえると、その人が話す、(好き・嫌い談議)で、その人の人格の完成度を知ることがで
きる。

 どんなことでも自分の好みを、相手に押しつけようとする人は、それだけ人格の完成度の低
い人と見てよい(EQ論)。自分からみて、いい人は、いい人であり、そうでない人は、そうでな
い、と。

A「あの人、かっこいいわね」
B「どこが? ぜんぜん、つまらないわよ」
A「でも、すてきよ」
B「あなた、どんな目をもっているの? あなた、おかしいわよ」と。

 この会話の中のBは、かなり自己中心性の強い人ということになる。
(はやし浩司 自己中心性 ピアジェ 物活論 実念論 人工論 自己概念 アニミズム)


●がんこ、わがまま、強引

 その自己中心性は、年齢とともに薄れるものではあるが、人によっては、姿を変えて、その
人の中に、居座ることがある。

 たとえば、がんこ(他人の話を聞かない)、わがまま(自分勝手)、強引(自分の思いどおりに
する)など。

 こうした性格の人は、それだけ人格の完成度の低い人とみてよい。反対に、人格の完成度
の高い人は、いつも、相手の中に自分の視点をおいて、ものを考えようとする。そういうものの
考え方が、極限にまで昇華された状態を、「愛」といい、「慈悲」という。

 が、この自己中心性は、そうである人には、わからない。自分が自己中心的であることにす
ら、気づかない。むしろ、そういう生きザマを、「個性的」と誤解する。

 この自己中心性は、自分が、その自己中心性から脱却したとき。あるいは、より自己中心的
な人に出会ったとき、その反射的効果として、それを知ることができる。

 そこで重要なことは、まず自分自身の中の、自己中心性に気づくこと。

 できれば、あなたの子どもの精神的な発達度を、観察してみるとよい。子どもというのは、乳
幼児期には、ものの考え方が、自己中心的である。その自己中心性を基本に、「私はどう
か?」と自問してみるのがよい。「私は、どうだったか?」でもよい。

 こうして自分の自己中心性に気づく。

 もう一つの方法は、より自己中心的な人を、観察してみるというのがある。あなたのまわりに
も、いるはずである。そういう人を観察しながら、「では、私はどうか?」と考えてみる。いろいろ
な例がある。

 ある女性(60歳くらい)は、80歳を過ぎた母親の介護をしている。要介護度2の母親だが、
「デイサービスを受けるのはいやだ」と、がんばっている。

 そこでその女性が、母親にこう言ったという。「お母さん、本当に私のことを思っているなら、
どうかデイサービスを受けてください。私も毎日、こうして、お母さんの介護をするのに疲れまし
た」と。

 しかしそれでもその母親は、デイサービスに行かなかったという。行かないばかりか、その女
性に対して、「私は、お前のような親孝行のいい娘をもって幸福だ」「お前は神様みたいだ」と言
っているという。

 その女性はこう言った。「私の母は、自分のことしか考えていないのですね」と。

 もう一つは、こんな例だ。

 ウソのような話だが、実際にあった話である。

 あるときその夫(45歳くらい)が、自分の愛人を自宅へつれてきて、自分の妻にこう叫んだと
いう。

 「今日から、この女も、この家に住むことになった。めんどうをみてやってくれ」と。

 それに妻が猛反発すると、その夫は、さらにこう言ったという。「ここは、オレの家だ。お前が
文句を言う筋あいの話ではない。文句があるなら、この家から出て行け」と。

 まだある。

 息子が30歳そこそこで、家を購入した。その家を見て、その息子の母親は、息子にこう言っ
たという。「親の家を建てなおすのが、先だろ」と。

 こうした自己中心性の強い人はいくらでもいる。そういう人を見ながら、「自分はどうか」と自
問を繰りかえす。そういう形で、自分の中の自己中心性を知る。

 さらに、こんな例がある。ごく最近、私にメールをくれた人である。

 その娘(28歳)が、親の反対を押し切って、駆け落ち同然にして、家を出ることになったとき
のこと。その母親は、その娘に、こう言ったという。

 「親を捨てて、この家を出て行くなら、裸で出て行け。お前の服も、下着も、みんな、私が買っ
てやったものだ。出してやった大学の学費も、全部、返せ!」と。

 自己中心的な人、つまり人格の完成度の低い人は、そういうものの考え方をする。そこであ
なたも、自問してみるとよい。

 あなたは、がんこではないか?
 あなたは、わがままではないか?
 あなたは、強引ではないか、と。

 自己中心性は、あなたがおとなになるために、まずあなたが克服しなければならない問題と
考えてよい。
(はやし浩司 自己中心 自己中心性 ガンコ わがまま 強引)

【付記】

●乳幼児の自己中心性

乳幼児の自己中心性は、よく知られている。

 乳幼児には、(1)物活論、(2)実念論、(3)人工論など、よく知られた心理的特徴がある。

 物活論というのは、ありとあらゆるものが、生きていると考える心理をいう。

 風にそよぐカーテン、電気、テレビなど。乳幼児は、こうしたものが、すべて生きていると考え
る。……というより、生物と、無生物の区別ができない。

 実念論というのは、心の中で、願いごとを強く念ずれば、すべて思いどおりになると考える心
理をいう。

 ほしいものがあるとき、こうなってほしいと願うときなど。乳幼児は、心の中でそれを念ずるこ
とで、実現すると考える。……というより、心の中の世界と、外の世界の区別ができない。

 そして人工論。人工論というのは、身のまわりのありとあらゆるものが、親によってつくられた
と考える心理である。

 人工論は、それだけ、親を絶対視していることを意味する。ある子どもは、母親に、月を指さ
しながら、「あのお月様を取って」と泣いたという。そういう感覚は、乳幼児の人工論によって、
説明される。

 こうした乳幼児の心理は、成長とともに、修正され、別の考え方によって、補正されていく。し
かしばあいによっては、そうした修正や補正が未発達のまま、少年期、さらには青年期を迎え
ることがある。
(はやし浩司 物活論 実念論 人工論 乳幼児の自己中心性)


++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●人間はサル?

 われわれ人間の祖先が、サルから分かれて、この地上に現れたのは、今から約60万年前
ごろと言われている。

 最初は、ヒトともサルとも、区別のつかなかった生物だったらしい。だから類人猿(オーストラ
ロピテクス)と呼ばれていた。(人類のことを、ヒト科ヒト族という。ホモサピエンスともいう。ここ
では、人類を、ヒトとする。)

 が、それから進化に進化を重ねて、類人猿、原始人となり、今の、人間になった。

 問題は、その60万年という年月。その間、ヒトは、何をしてきたかということ。60万年を、60
万センチメートルにたとえると、6キロメートルの長さということになる。

 が、人間の歴史は、新石器時代から始まって、長くてみても、6000年前後。長さにたとえる
と、60メートル。ということは、6キロから60メートルを引いた、残りの5キロ940メートルの
間、ヒトは、どこを、どのように歩いていたのだろうかということになる。

 私の想像では、ヒトは、サルに近い生活を、細々と繰りかえしていたのではないかと思う。人
口も少なかった。寿命も短かった。

 が、ある日、突然、進化の速度を速めた。今から5500年ほど、前のことである。そしてほぼ
同時期に、二つの文明が、この地上に現れた。黄河文明とメソポタミア文明である。それはま
さに突然変異というにふさわしい変化だった。

 人間は言葉を話し、ものを作り、歴史を残し始めた。しかしそのとき、人間は、本当に、5キロ
940メートルと、決別したのだろうか。あるいは、そのまま過去を、引きずっているのだろうか。

 そこで私は、最近、よくこう思う。実は、人間には、二面性がある、と。60万年もの間生きて
きた、サルとしての部分と、突然変異してできた人間としての部分である。今がそのときで、人
間は、自分の中で、たえず、その二つの衝突を繰りかえしている。

 が、それはとても人間自身の手に負えるものではない。そこで登場したのが、宗教ではない
か、とも。わかりやすく言えば、宗教が、サルと人間を、調整する役目を果たすようになった
(?)。

 放っておけばサルになるし、そうかといって、サルのままの自分を許すこともできない。つまり
宗教は、ヒトを、サルから人間へ、その橋渡しをする役目を果たした。今も果たしている。……
と、私は考える。

 しかしここが肝心な点だが、宗教は、決して儀式であってはいけない。宗教は思想に始まり、
思想で終わる。もし儀式があるとするなら、その儀式は、思想を支えるものでなければならな
い。

 そしてさらにここが重要だが、宗教は、つねに常識という純粋な水で洗われたものでなけれ
ばならない。常識から離れた宗教はないし、もしどこかでその常識からはずれていると感じた
ら、それは宗教ではない。迷信である。

 理由は簡単。

 先に書いたように、5キロ940メートルの間、人間は、常識だけを頼りに生きてきた。またそ
の常識があったからこそ、ヒトは、その長い時間を生き延びることができた。宗教といえども、
その常識の上にある。

 人間は、ヒトから人間になった。

 だからまず問うべきは、常識であり、宗教は、そのつぎと考える。仏教にせよ、キリスト教に
せよ、だ。というのも、今、仏教やキリスト教の名前を語った、おかしな宗教が、あまりにも多す
ぎる。私たちはそういう宗教を、「常識」という目で、一度フィルターにかけねばならない。
 
 信ずるのは、そのあとでよい。
 
 ……といっても、私は、宗教を否定しない。むしろ、さがしている。ヒトをサルから人間に橋渡
しをする宗教を、である。人間には、生きる力はあるかもしれないが、孤独に耐える力はない。
人間は、ヒトから人間になるとき、知恵と引きかえに、孤独を手に入れてしまった。

 そういう意味では、生きるということは、孤独との戦いということになる。それについて聖書
は、真理と自由を対比させている。真理を手に入れれば、人間は孤独から解放され、真の自
由を手に入れることができると教える※。
 
 それを教えるのが宗教であるとするなら、私は、宗教を信ずる。もし、そういう宗教があるな
ら、という話である。

 しかしそれが見つからないとするなら、自分で歩くしかない。ただ一言、願わくは、私は、サル
のまま死にたくない。つまりは、その一語に尽きる。

※注 イエス・キリストは、こう言っている。『真理を知らん。而(しこう)して真理は、汝らに、自
由を得さすべし』(新約聖書・ヨハネ伝八章三二節)と。「真理を知れば、そのときこそ、あなた
は自由になれる」と。

【補記】

●宗教と儀式

 ほとんどの宗教には、儀式がともなう。儀式化することで、宗教を、ときには絶対化し、ときに
は、習慣化する。権威化や装飾のために、用いられることもある。が、そのほとんどは、神聖
化のためと考えてよい。

 それがまちがっているとか、おかしいと言っているのではない。信仰するということは、心の拠
りどころを求めることであり、それにはそれなりの、お膳立てが必要である。

 そこらにころがっている石ころを、仏と思う人は少ない。しかしその石ころが彫刻され、仏の
像となったとき、そこには、別の価値が生まれる。信仰も、そこから始まる。

 同じように、宗教というのは、ばくぜんとした概念だけでは、宗教になりえない。教義、絶対
性、そしてここでいう儀式、これら三者がかねそなわって、宗教は宗教としての価値をもつ。

 私が最初に、その儀式に疑問をもち始めたのは、若いころ、こんな光景を目にしたからだ。

 ある仏教系の宗教団体だったが、たまたま信者たちが、祭壇の清掃をしているところだっ
た。しかしそれは傍(はた)から見ていても、こっけいなほど、ぎょうぎょうしいものだった。

 信者たちはみな、白い手袋と、マスクをかけていた。ほこりが手についたり、ほこりを口の中
に入れないためにそうしていると思ったのだが、そうではなかった。彼らにしてみれば、神聖な
る場所を、人間の手や息でけがさないためだった。

 「なるほど」と思ってみたり、「?」と思ってみたり……。

 こうした儀式がさらにエスカレートしたのが、いわゆるカルト教団である。教祖と呼ばれる指導
者の入った風呂の湯を、信者たちが、分けあって飲んだり、教祖の髪の毛を煎じて飲むという
のもある。

 つまり儀式も、どこかでブレーキをかけないと、信者は、とんでもないことをしながら、そのと
んでもないこと自体に、気がつかなくなる。その盲目性が、その宗教を危険なものにすることも
ある。

 ふつうの議論なら、議論で終わるが、そこに宗教性がからむと、信者たちは、命をかけるとこ
ろまでする。たとえば同じ戦争でも、宗教戦争となると、凄惨(せいさん)きわまりないものにな
るのは、そのためである。たがいに、相手を容赦しない。

 儀式は、その宗教を絶対化するための道具、あるいは手段として、使われることが多い。こ
れもまた極端な例かもしれないが、それこそ、生きた人間を、生け贄(いけにえ)として、神(?)
に捧げるというのもあった。

 信仰をするにしても、いつも、心のどこかで「常識」をたよりに、ブレーキをかける。おかしいも
のは、「おかしい」と思う。そういうブレーキである。これは信仰をするものの、イロハだと私は
思うのだが、私はまちがっているだろうか。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【子育て一口メモ】

●強化の原理

子どもが、何かの行動をしたとする。そのとき、その行動について、何か、よいことが起きたと
する。ほめられるとか、ほうびがもらえるとか。あるいは心地よい感覚に包まれるとか。そういう
何かよいことが起こるたびに、その行動は、ますます強化される。これを「強化の原理」という。
子どもの能力をのばすための大鉄則ということになる。


●弱化の原理

強化の原理に対して、弱化の原理がある。何か、行動をしたとき、つまずいたり、失敗したり、
叱られたりすると、子どもは、やる気をなくしたり、今度は、その行動を避けるようになる。これ
を弱化の原理という。子どもにもよるし、ケースにもよるが、一度弱化の原理が働くようになる
と、学習効果が、著しく落ちるようになる。


●内面化

子どもは成長とともに、身長がのび、体重が増加する。これを外面化というのに対して、心の
発達を、内面化という。その内面化は、(1)他者との共鳴性(自己中心性からの脱却)、(2)自
己管理能力、(3)良好な人間関係をみるとよい(EQ論)。ほかに道徳規範や倫理観の発達、
社会規範や、善悪の判断力などを、ふくめる。心理学の世界では、こうした発達を総称して、
「しつけ」という。


●子どもの意欲

子どもは、親、とくに母親の意欲を見ながら、自分の意欲を育てる。一般論として、意欲的な母
親の子どもは、意欲的になる。そうでない母親の子どもは、そうでない。ただし、母親が意欲的
過ぎるのも、よくない。昔から、『ハリキリママのションボリ息子』と言われる。とくに子どもに対し
ては、ほどよい親であることが望ましい。任すところは子どもに任せ、一歩退きながら、暖かい
無視を繰りかえす。それが子育てのコツということになる。


●ほどよい目標

過負担、過剰期待ほど、子どもを苦しめるものはない。そればかりではない。自信喪失から、
やる気をなくしてしまうこともある。仮に一時的にうまくいっても、オーバーヒート現象(燃え尽き
症候群、荷卸し症候群)に襲われることもある。子どもにとって重要なことは、達成感。ある程
度がんばったところで、「できた!」という喜びが、子どもを伸ばす。子どもには、ほどよい目標
をもたせるようにする。


●子どもの恐怖症

恐怖症といっても、内容は、さまざま。対人恐怖症、赤面恐怖症、視線恐怖症、体臭恐怖症、
醜形恐怖症、吃音恐怖症、動物恐怖症、広場恐怖症、不潔恐怖症、高所恐怖症、暗所恐怖
症、閉所恐怖症、仮面恐怖症、先端恐怖症、水恐怖症、火恐怖症、被毒恐怖症、食事恐怖症
などがある。子どもの立場になって、子どもの視線で考えること。「気のせいだ」式の強引な押
しつけは、かえって症状を悪くするので注意。


●子どもの肥満度

児童期の肥満度は、(実測体重Kg)÷(実測身長cmの3乗)×10の7乗で計算する。この計
算式で、値が160以上を、肥満児という(ローレル指数計算法)。もっと簡単に見る方法として
は、手の甲を上にして、指先を、ぐいと上にそらせてみる。そのとき、指のつけねに腱が現れる
が、この腱の部分にくぼみが現れるようになったら、肥満の初期症状とみる。この方法は、満5
歳児〜の肥満度をみるには、たいへん便利。


●チック

欲求不満など、慢性的にストレスが蓄積すると、子どもは、さまざまな神経症的症状を示す。た
とえば爪かみ、指しゃぶり、夜尿、潔癖症、手洗いグセなど。チックもその一つ。こうした症状を
総称して、神経性習癖という。このチックは、首から上に出ることが多く、「おかしな行動をす
る」と感じたら、このチックをうたがってみる。原因の多くは、神経質で、気が抜けない家庭環境
にあるとみて、猛省する。
(はやし浩司 子供の肥満 肥満度 子どもの肥満)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(622)

【雑感】

●掃除

 今朝、朝風呂に入った。入りながら、風呂をピカピカにみがいた。風呂おけも、イスも、窓も、
ピカピカにみがいた。金属製(ステンレス製)のたわしでみがくと、ウソのように、きれいになる。
それが楽しかった。

 夕方、もう一台、掃除機を買ってきた。2980円だった。掃除機について言えば、どんどん、
値段がさがっていく。このところ、ヒマさえあれば、掃除ばかりしている。

 おかしなことだが、掃除をしていると、ストレス解消になる。無我夢中で、バスタブをみがいて
いるときも、そうだった。これはどういう現象によるものなのか。


●ドライブ

 マガジン用の写真がほしくて、ワイフと、フラワーパークへ行く。このあたりでも最大規模の植
物園である。が、行ってみてびっくり! いつもは閑散としているのに、今日は、超満員! 駐
車場がぎっしりと車で埋まっていた。

 それを見て、急きょ、計画を変更。そのまま、舘山寺温泉街へ。そこで海の写真をとって、お
しまい。


●運動

 この2、3日、たいした運動をしていない。そこでワイフに、「町まで歩いてみようか」と声をか
けると、「私は、病みあがりだから……」と。ワイフは、この数日間、咳がひどい。ワイフは、風
邪だというが、ほかに症状はない。

 しかたないので、私は、ハナと散歩。

 明日は、町まで歩いてみようと思う。


●夕食

 日曜日ということで、今夜は外食をすることに。近くの和風レストランへ行ってみた。が、ここ
も満員。20分ほど待って、ようやく席に。

 外では、浜松祭りの練りをしている人たちがいた。ラッパと、笛を、けたたましく鳴らしながら、
練っていた。「練(ね)り」というのは、いわば祭りの行進のようなもの。浜松祭りでは、みなが、
独特の、どこか足を、がに股にして歩く。

 もうすぐ凧(たこ)祭り。しかしまだ1か月も先。浜松の人たちは、浜松祭りが大好き。その凧
祭は、5月3、4、5日。中田島砂丘の一角で、開かれる。例年だと、50万人もの人が出るそう
だ。


●T先生の鎌倉へ

 T先生から、「遊びにおいで」というメールが届いた。この4月x日に、ワイフと行くことにした。
「夕食をごちそうしてくれる」という。

 T先生は、少し前、カキフライを食べて、食中毒を起こしたという。返事に、「今度は、生意気
なガキが遊びに行きますから、よろしく」と書いた。

 
●ウィルス

 パソコンに入るウィルスには、いろいろな種類があるそうだ。ふつうの(?)のウィルスのほ
か、ネットワーム型ウィルス(パソコンがインターネットに接続するだけで、感染してしまう)、ネッ
トスカイワーム(メール添付のファイルを介して感染する)、スクリプト型ウィルス(Javaスクリプ
トなどのスクリプト言語で記述されたウィルス)など。

 ほかに、MSブラスト(Windowのセキュリィティホールを悪用して感染するウィルス)、スパイ
ウエアなどもある。さらに最近では、他人のパソコンを遠隔操作しながら、ウィルスをばらまくと
いうのもある。称して、「ゾンビウィルス」。

 これだけすばらしい通信手段を手にしたのに、一方に、ワルがいて、それを悪用どころか、
妨害している。

 現在のWindowの後継機は、2006年に発表されるという。来年だ。セキュリィティに力を入
れた、「ロングホーン」(MS社)というのが、それ。

 しかしいくらセキュリィティに力を入れても、ワルはなくならない。そこでパソコンを介さずに、
パソコン並みの機能をもつ、PCレス機器の時代がやってくると予想する人もいる。

 すでにデジタルカメラと、印刷機を直接つないで、プリントアウトできる装置も開発されてい
る。これからは、そういう機器が、もっとふえるはず。

 たとえばインターネットも、電話のように、素性のわかっている人だけとインターネットができ
るようになるとか。機能は制限されるかもしれないが、これは、しかたのないことかもしれない。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


●(教えやすい子ども)vs(教えにくい子ども)

 数年前だが、ある私立幼稚園の理事長が、ふと、こうもらした。「うちでは、願書を受けつける
とき、簡単ですが、子どもの面接試験をしています」と。

 理由を聞くと、「多動性のある子どもには、(入園を)遠慮してもらうためです」と。実際には、
ここには書けないような言い方で、そう言った。

 当時は、ADHD児が大きな話題になり、世間が騒がしかったこともある。ADHD児について
の、誤解と偏見も、そこから生まれた。その結果、たとえば好奇心が旺盛で、行動が活発な子
どもまで、ADHD児と誤解されるようなことが、しばしば起きた。

 ADHD児はさておき、こうした流れの中で、最近では、(教えやすい子ども)と、(教えにくい子
ども)の、色分けがさらに進んでいる。とくに私立幼稚園では、この問題は、経営上、死活問題
といってもよい。動きのはげしい子どもが、授業そのものを破壊してしまうことも少なくない。そ
のため、そういう子どもがいると、幼稚園の指導力そのものが、疑われることにもなる。

 先の理事長は、こう言った。「一度、あの幼稚園はだめだという評判がたつと、翌年、入園希
望者がガクンと減ります」と。

 で、(教えやすい子ども)というのは、それなりの落ち着きがあり、教師の指示に従順に従う子
どもをいう。もちろん知的能力も、それなりに高いことが要求される。

 一方(教えにくい子ども)というのは、ADHD児は別として、行動力が旺盛で、自己主張が強
く、教師の指導になじみにくい子どもをいう。知的能力の低い子どもも、それに含まれる。

 そこで最近では、公立、私立を問わず、小学校の入学試験では、(教えやすい子ども)が合
格しやすく、(教えにくい子ども)が、不合格になりやすいという傾向が生まれている。これはあく
までも私の個人的な実感で、根拠があるわけではない。

 つまり最近では、どこかキバを抜かれたような子どもほど、入学試験に有利で、昔風のたくま
しい子どもほど、不利ということになる。たとえばブランコを横取りされても、文句も言えず、静
かに明け渡してしまうような子どもほど、有利で、先生の不正行為対して、ワーワーと抗議の声
をあげるような子どもほど、不利ということになる。しかしこうした選抜基準は、(もし、それがあ
るならの話だが)、基本的な部分で、まちがっている!

 私は、幼児を見つづけて、35年目になる。この35年間で、子どもたちの様子は大きく変わっ
てきた。とくにこの15〜20年で変わったと言えば、小学校の低学年(1、2年生)の段階で、
(いじめられて泣くのは、たいてい男児)、(いじめて泣かすのは、たいてい女児)という図式が、
すっかり定着してしまったということがあげられる。

 こうした現象は、少なくとも、私が子どものときには、考えられなかったことである。男が女に
泣かされるというようなことは、だいたいにおいて、ありえなかった。が、今は、ちがう。男女が
平等というのではなく、男児の女児化が始まり、ついで、男児が、女児より、弱くなってしまっ
た。

 原因の第一は、父親不在、母親中心型の育児環境にあると考えられた。母親だけが、女性
の視点だけで、男児を育ててしまうと、父親による修正がなされない分だけ、男児は、女性化
する。

 たとえば35年前には、幼稚園の参観日に、父親がやってくるということは、まずなかった。私
は、幼児を教えながら、「幼稚園というのは、そういうところ」と思っていた。

 しかしそのうち、父親不在の家庭教育の弊害が指摘されるようになり、父親の子育てへの参
加が、強く求められるようになった。県単位で、育児参加の促進事業も展開されるようになっ
た。

 その結果、ここ5、6年、小学校の参観授業などでも、父親の姿が大きく目だつようになり、学
校によっては、5割を超えるところも出てきた。

 しかしそうした変化にもかかわらず、(教えやすい子ども)という意識が、教師というより、園や
学校の経営者から消えたわけではない。つまり無意識のうちにも、経営者側に、(ことなかれ
主義)がはびこるようになり、それがより定着してきたと言える。

 もちろん学校側にも、言い分がある。

 すでに10年ほど前から、どこの小学校へ行っても、校長たちは、こんなことを言った。「先生
たちが萎縮しています」と。ほんの少し子どもの体をたたいただけで、親たちは、「体罰だ」と騒
いだ。「今では、親のほうが、強いですから」と。子どもが不登校児になったりすると、「先生が
悪いからだ」と騒ぐ親もいた。

 言葉づかいにしても、そうだ。今では、その結果というわけでもないが、生徒に向って、「〜〜
しなさい」と命令する教師はいない。「〜〜してはどうですか」「〜〜してくれませんか」という言
い方が、定着している。そういう言い方になった背景には、それなりの理由があるが、しかしこ
こまで、教える側と学ぶ側が、逆転してもよいかという問題もないわけではない。

 そのため、子どもたちが、本当に、おとなしくなった。よく言えば、「できがよくなった」ということ
になる。しかし悪く言えば、「おとなのペットのようになり、ハキがなくなった」ということになる。

 そしてそれが一つの基準となって、今では、入試基準そのものを、決めるようになった。

 私の邪推と偏見で、(教えやすい子ども)イコール、(入試に有利な子ども)を、列挙すると、こ
うなる。

(1)おとなしい。
(2)従順。
(3)協調性、共鳴性がある。
(4)落ち着きがある。
(5)柔和で静か。
(6)それなりの知的能力がある。

 一方、(教えにくい子ども)イコール、(入試に不利な子ども)を、列挙すると、こうなる。

(1)自己主張が強い。
(2)反発心が強い。
(3)わがまま、自分勝手。
(4)どこか騒々しい。
(5)従順でない
(6)知的能力が劣っている。

 それぞれに一長一短がある。よい面もあれば、悪い面もある。しかし教える側にとって、つご
うのよい面ばかりが、誇張され、かつ偏重されるうちに、子どもの姿そのものが、ゆがめられて
しまったと言える。つまり本来、あるべき子ども像が否定され、おとなたちが頭の中で描く(優等
生)のイメージに合わせて、子ども像がつくられるようになってしまった。

 しかし、この問題は、実は、教育だけの問題にとどまらない。日本の将来にもかかわる、深刻
な問題といってもよい。けんかを奨励するわけではないが、しかし国際社会で生き抜いていくた
めには、かなりはげしい性格も、求められる。ブランコを横取りされたら、「どうして、そんなこと
をするのだ!」と文句をいうことも、ときと、ばあいによっては、必要なのである。

 もし学校や教師が、(教えやすい子ども)ばかり選んで、教育をしていたら、日本は、どうなる
か? そういう視点でも、一度、教育を考えてみる必要があるのではないだろうか。


++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(623)

【近況・あれこれ】

●今年の花粉は、すごい!

 今年の花粉は、すごい! 10数年ぶりに、症状が復活! 朝、起きると、毎日のようにはげ
しいくしゃみが出る。目もかゆい。体も、だるい。以前ほどはひどくないが、若いころの花粉症
を思いださせるには、じゅうぶん。

 「昔はこうだったな」と思ってみたり、「またこのまま花粉症にもどったら、いやだな」と思ったり
する。しかし症状は、今のところ、朝だけで、やがて収まっていく。

 ……予想どおり、今年の花粉は、すごい! 場所によっては、去年の20倍とか、それ以上だ
という。猛暑がつづいたその翌年には、花粉の飛散量が、多くなるという。

 しかしゆううつな季節だ。大きなマスクを顔いっぱいにかけている人を見ると、思わず、同情
してしまう。

 
●運動

 春休みに入って、毎日、運動にでかける。昨日は、ハナと、10キロ近く、自転車で走った。今
日は、市内との往復、計14キロ。私には、ほどよい距離だ。

 が、おかしなことに、運動から帰ってくると、猛烈な睡魔に襲われるようになった。それほど睡
眠不足だとも思われないが、しかし眠くなる。そこで書斎のコタツに入って、そのままうたた寝。

 しかしこのうたた寝が、楽しい。いわば私の私設映画館。いろいろな夢を見る。

 みなさんは、どうか知らないが、私のばあいは、同じ夢を見ない。いつも、奇想天外と言うか、
まったく予想もつかない夢ばかり。あとで思い出しながら、「どうしてあんな夢を見たのだろ
う?」と思うこともある。

 たとえばよく旅行の夢を見る。その旅行についても、頭の中に、夢用の地図ができている。日
本のどこかだが、日本では、ない。そんな地図である。

 長野県のむこうに栃木県があり、その下に琵琶湖がある。琵琶湖をぐるりと回ると、その向こ
うがフランス。そこには飛行場があって、オーストラリアへの直行便が、毎日、離陸している。

 長野県から栃木県へ行く途中に、山があり、その山からは海が見える。海岸線には温泉が
あって、無数の露天風呂が並んでいる。

 まあ、地図がいわば、私の夢の中のセットのようになっている。昨日の夢では、その山の中
の温泉へ行ったら、一番、奥の部屋に案内された。何とも薄暗い部屋で、どこに温泉があるか
わからないような部屋だった……。

 だからうたた寝は、楽しい。目を覚ましたあとも、目を閉じたまま、夢を思い出しながら、さら
にその余韻を楽しむこともある。

 さて、今は、ほどよい疲れが、体を包んでいる。頭は少し重いが、これは花粉症によるもの
か。このまましばらく、コタツの中でうたた寝をするつもり。どんな夢を見ることができるか? 
楽しみ。

 では、みなさん、しばらく、ごめん!

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●ひとりで考える人(Independent Thinker)

 イギリスの哲学者でもあり、文学者でもあった、バートランド・ラッセルは、「宗教論(In 
Religion)」の中でつぎのように書いている。

Passive acceptance of the teacher's wisdom is easy to most boys and girls. It involves no 
effort of independent thought, and seems rational because the teacher knows more than his 
pupils; it is moreover the way to win the favor of the teacher unless he is a very 
exceptional man. Yet the habit of passive acceptance is a disastrous one in later life. It 
causes men to seek a leader, and to accept as a leader whoever is established in that 
position... It will be said that the joy of mental adventure must be rare, that there are few 
who can appreciate it, and that ordinary education can take no account of so aristocratic a 
good. I do not believe this. The joy of mental adventure is far commoner in the young than 
in grown mean and women. Among children it is very common, and grows naturally out of 
the period of make-believe and fancy. It is rare in later life because everything is done to 
kill it during education... The wish to preserve the past rather than the hope of creating the 
future dominates the minds of those who control the teaching of the young. Education 
should not aim at passive awareness of dead facts, but at an activity directed towards the 
world that our efforts are to create
教師の知恵をそのまま、受動的に受けいれるということは、ほとんどの少年少女に対しては、
楽なことであろう。それには、ひとりで考えるindependent thoughtという努力をほとんど要しな
い。

また教師は生徒より、ものごとをよく知っているわけだから、一見、合理的に見える。それ以上
に、この方法は、その教師が、とくにおかしなexceptional人でないかぎり、生徒にとっては、教
師に気に入られるための方法でもある。

しかし受動的にものごとを受けいれていくという習慣は、そのあとのその人の人生において、大
きな災いdisastrous oneをもたらす。その人は、リーダーを求めさせるようになる。そしてそれが
だれであれ、リーダーとして、その人を受け入れることになる。

子どもには、精神的な冒険mental adventureをする喜びなどというものは、なく、それを理解す
る子どももほとんどいないし、ふつうの教育のもつ、貴族主義的なaristocratic教育のよさが、
子どもには、わからないと言う人もいるかもしれない。

しかし私は、そんなことは信じない。精神的な冒険というのは、おとなたちよりも、若い人たちの
間でのほうが、ずっとありふれたことである。幼児たちの間でさえ、ありふれたことである。

そしてその精神的な冒険は、幼児期の(ものを信じたり、空想したりする期間)the period of 
make-believe and fancyの中から、自然に成長する。むしろあとになればなるほど、すべてが
教育によって、これがつぶされてkillしまうので、よりまれになってしまう。

若い人たちを教育する教師たちは、どうしても、未来を想像したいと願うより、過去を保全した
いとい願いやすいdominates。子どもの教育は、死んだ事実を受動的に気がつかせること
passive awareness of dead facts,ではなく、私たちの努力がつくりあげる世界に向って、能動的
に向わせることを目的としなければならないthe world that our efforts are to create。

バートランド・ラッセル(1872〜1970)……イギリスの哲学者でもあり、ノーベル文学賞受賞


++++++++++++++++++++はやし浩司

●精神的な冒険(mental adventure) 

 精神的な冒険……つまり、今まで経験したことがない世界に自分自身を置いてみて、そのと
きの精神的な変化を、観察する。そしてその中から、新しいものの考え方や、新しい自分を発
見していく。

 それはとても、おもしろいことである。

 新しい発見に出あうたびに、「今まで、こんなことも知らなかったか」と驚くことがある。それが
自分に関することなら、なおさらである。

 その精神的な冒険について、バートランド・ラッセルは、「教育というのは、死んだ過去の事実
を、子どもたちに気づかせることではなく、私たちが創りあげる、未来に向かって能動的に向わ
せることを目的としなければならない」(Education should not aim at passive awareness of 
dead facts, but at an activity directed towards the world that our efforts are to create)と書
いている(「In Religion」)。

 では、それを可能にする方法は、あるのか。そこでバートランド・ラッセルは、教育論の中で、
「Independent Thought」という言葉を使っている。直訳すれば、「独立した思想」ということにな
る。もう少しわかりやすく言えば、「ひとりで、考えること」ということになる。

 少し前、恩師のT先生が指摘した、「Independent Thinker」と、同じ意味である。訳せば、「ひ
とりで考える人」ということになる。

 ……こう書くと、「ナーンダ、そんなことか」と思う人も多いかと思う。しかしそう思うのは待って
ほしい。

 「ひとりで考える」ということは、たいへんなことである。私たちは日常生活の中で、そのつど、
いろいろなことを考えているように見える。しかしその実、何も考えていない。脳の表面に飛来
する情報を、そのつど、加工しているだけ。それはまるで、手のひらで、頭をさすりながら、その
頭の形を知るようなもの。

 ほとんどの人は、その「形」を知ることで、脳ミソの中身まで知り尽くしたと錯覚する。しかしそ
の実、何もわかっていない。

 それがわからなければ、北海道のスズメと、沖縄のスズメを、見比べてみることだ。それぞれ
が、別々の行動をしているように見える。一羽のスズメとて、同じ行動をしていない。が、その
実、(スズメ)というワクを、一歩も超えていない。

 つまり私たち人間も、それぞれが自分で考えて行動しているように見えるが、その実、(人
間)というワクを、一歩も超えていない。北海道のオバチャンも、沖縄のオバチャンも、電車に
乗ると、世間話に、うつつをぬかす。大声でキャーキャーと騒ぎながら、弁当を食べる。

 つまりそれでは、いつまでも、Independent Thinker(ひとりで考える人)には、なれないというこ
と。Independent Thinker(ひとりで考える人)になるためには、人間は、自ら、そのワクを踏み超
えなければならない。

 しかしそれは、きわめて大きな苦痛をともなうものである。北海道のスズメが、スズメというワ
クを超えて、ウグイスたちと同居を始めるとか、あるいは、自分だけ、家の軒先に巣をつくらな
いで、土手の洞穴に、巣をつくるようなものである。

 人間として、それができるかどうか。それがIndependent Thinker(ひとりで考える人)の条件と
いうことにもなる。

 恩師のT先生は、科学研究の分野で、Independent Thinker(ひとりで考える人)の重要性を説
いている。しかしそれと同じことが、精神生活の分野でも言うことができる。バートランド・ラッセ
ルは、それを指摘した。

 ありふれた考え方ではない。ありふれた生き方ではない。ありふれたコースにのって、ありふ
れた人生を送ることではない。そういうワクの中で生活をすることは、とても楽なこと。しかしそ
のワクを超えることは、たいへんなことである。

 しかしそれをするから、人間が人間である、価値がある。人間が人間である、意味がある。
私も含めてだが、しかしほとんどの人は、先人たちの歩んできた過去を、そのまま繰りかえして
いるだけ。

 もちろん、その中身はちがうかもしれない。先日も、ある中学生(女子)に、「先生たちも、若
いころは、ある歌手に夢中になって、その歌手の歌を毎日、聞いていたよ」と言った。

 するとその中学生は、笑いながら、「先生の時代の歌と、今の歌は、ちがう」と言った。

 本当に、そうだろうか。私はこう言った。「歌が何であれ、歌を聞いて感動したという事実は、
私もそうだったし、君もそうだ。私の父親もそうだったし、祖父も、そうだった。やがて君も母親
になって、子どもをもつだろう。その子どもも、同じことをするだろう。つまり繰りかえしているだ
けだよ。

 もし、その繰りかえしから抜け出たいと考えるなら、そのワクから自分を解放しなければなら
ない。それが、Independent Thinker(ひとりで考える人)ということになるよ」と。

 しかしこれは私自身のテーマでもある。

 ふりかえってみると、私は、何もできなかった。これから先も、何もできないだろう。私の家の
近くには、仕事を退職した年金生活者がたくさん住んでいる。中には、懸命に、自分の人生
を、社会に還元しようとしている人もいるが、たいはんは、5年前、10年前と同じ生活を繰りか
えしているだけ。

 もし彼らの、その5年とか10年とかいう時代をハサミで切り取って、つないだとしたら、そのま
まつながってしまう。そういう人生からは、何も、創造的なものは生まれない。

 死んだ過去に固執していてはいけない。大切なことは、未来に向かって能動的に進むことで
ある。

 ついでに、バートランド・ラッセルは、「精神的な冒険」のおもしろさについて、書いている。

 私もときどきする。去年は、F市に住む女性と、精神的な不倫を実験してみた。もちろんその
女性には、会ったことはない。声を聞いたこともない。私のほうから、お願いして、そうした。

たった一度だったが、私に与えた衝撃は大きかった。結局、この実験は、相手の女性の心を
キズつけそうになったから、一度で終わったが、しかしそのあと、私は、自分をさらけ出す勇気
を、自分のものにすることができた。

 だれも考えたことがない世界、だれも足を踏み入れたことがない世界。そこを進んでいくとい
うのは、実に、スリリングなことである。毎日が、何かの発見の連続である。そしてそのつど、さ
らにその先に、目には見えないが、モヤのかかった大原野があることを知る。

 はからずも、学生時代、私の神様のように信奉した、バートランド・ラッセル。そしてそのあ
と、性懲りもなく、私のような人間を指導してくれている恩師のT先生。同時に、Independent 
Thinker(ひとりで考える人)という言葉を、再認識させてくれた。私はそこに何か、目には見えな
い糸で結ばれた、因縁のようなものを感じた。

 そう、そういう意味では、今日は、私にとっては、記念すべき日になった。
(05年4月4日)
(はやし浩司 Independent Thinker(ひとりで考える人))

++++++++++++++++++++

京都府に住んでいる、SEという方から、
こんなメールが届いています。

「考える」ことについて、最近の大学生
たちの姿勢を、このメールから読みとって
いただければ、うれしいです。

++++++++++++++++++++
 
はやし先生

先日、T先生のご論文を配信いただきましてから、自分で考える教育と
大学教育について、しばらく考えておりました。考えているうちに、いささか
愚痴めいてまいりました。限界はありながらも、その中で自分の最善を尽く
さねばと思うのですが、はやし先生はいかが、思われますでしょうか。

大学教育の現場では以前から、自分で考える力の不足と基礎概念の
理解の不足が問題とされています。

詰め込み教育の弊害と言った場合、「基礎概念は入っているが、それを操作
できない状態」を言うようなイメージがありますが、現場からは、

(1)基礎概念が入っており、その操作もできる学生
(2)基礎概念は入っているが、その操作はできない学生
(3)基礎概念の理解が不十分な学生。ひどい場合には、専門用語を単語
 として知っているだけ
(4)専門用語を全く知らない学生(学習意欲に、何がしかの問題がある)
と、いくつかの場合が、がみられます(もっと細かくできるかもしれませんが)。

(4)に関しては、「受験競争」を中心に据えられた日本の教育制度の弊害も
現れているのではないかと思われますが、

(1)から(3)に関しては、自分で考える力にも相当の段階があって、
基礎概念の定着においても、自分で考える力が大きな役割を演じている
ということが言えるように思います。(概念の論理を自分で追わないといけない
からだろうと思われます)。

大学側も、対話による授業というものを推奨するようになってきましたが、
基礎概念までも対話で教えろと言うに至っては、なにやらゆとり
教育や総合的学習を想起せざるものがあります。

そこで、大学教育において、何ができるのかですが、何より大切なのは、
T先生がお書きのように、教師が自分で考える姿勢を見せるという
ことなのだと思います。

「考える教育」への転換をゼミだけで行なうのはやはり限界があるようです。

かといって現状の大学を前提にする限り、大講義では学生との応答を主にする
のは不可能ですから、教師の見解を明確に示し、考えることの重要性を絶えず
発信するにとどまるのかもしれません。大学だけで何とかできると考えるのは
傲慢ですから、限界を認めざるを得ないのかもしれませんね。

基礎知識の重要性を軽視するわけではありませんが、基礎概念の理解にも関って
来るわけですから、「考える」ということの意義をもっと早くから教えるべきで
はないのかと、切に感じます。

いささか愚痴めいて参りました。
現在新学期の講義の準備をしているのですが、どうしたら「考えさせる」ことができるか、
考えながら準備をしております。

素直な学生たちなので、できるだけのことをしてあげたいと思います。

++++++++++++++++++++++

【SE様へ】

 実は、私も、法科の出身です。教壇に立っておられるSEさんの話を聞きながら、「私もそうだ
ったのかなあ?」と、当時を思い出しています。

 とくに法学の世界では、基礎概念の「移植」が、絶対的なテーマになっていますから、そもそも
独創的な考え方が許されないのですね。「構成要件の該当性」とか、何とか、そんな話ばかり
でしたから……。

 ですからSEさんの、悩んでおられることは、もっともなことだと思います。

 しかし、ね、私、オーストラリアにいたとき、東大から来ていたM教授(刑法の神様と言われて
しました)とずっと、いっしょに、行動していました。奥さんも、弁護士をしていました。

 たいへん人格的にも、高邁な方でしたが、私はその教授と行動をともにするうちに、法学へ
の興味を、ゼロに近いほど、なくしてしまいました。

 もともと理科系の頭脳をもっていましたから……。何となく無理をして、法学の世界へ入った
だけ……という感じでした。それで余計に早く、法学の世界を抜け出てしまったというわけで
す。

 そのM教授ですが、本当に、まじめというか、本当に、研究一筋というか、私とはまったく、タ
イプがちがっていました。そういうM教授のもとで、資料を整理したりしながら、「私はとても、M
教授のようには、なれない」と実感しました。

 で、M教授のことを、恩師のT先生も、よく知っていて、ずっとあとになって、その話をT先生に
すると、「そうでしょうねえ。あの先生は、そういう方ですから」と笑っていました。学部はちがっ
ても、教授どうしは、教授どうしで、集まることもあるのだそうです。

 話をもどしますが、SEさんが、言っていることで、興味深いと思ったのは、こうした傾向という
のは、すでに高校生、さらには、中学生にも見られるということです。

 たとえば中学生たちは、成績に応じて、進学高校を決めていきます。そして高校生の80〜9
0%前後は、「入れる大学の、入れる学部」という視点で、大学を選び、進学していきます。夢
や目標は、とうの昔に捨てているわけです。

 もちろん希望も、ない。

 だから大学へ入っても、法学の世界でいえば、法曹(検事、弁護士、裁判官)になりたいとい
う学生もいますが、大半は、ずっとランクの下の資格試験をねらう。いわんや、純粋法学をめ
ざして、研究生活に入る学生は、もっと少ない(?)。

 このあたりの事情は、SEさんのほうが、よくご存知かと思います。

 つまりですね、もともと、その意欲がないのです。「学ぶ」という意欲が、です。ただ私のばあ
いは、商社マンになって、外国へ出るという、大きな目標がありました。(当時は、外国へ出ると
いうだけでも、夢になるような時代でした。今では、考えられないと思いますが……。)

 そのための法学であり、成績だったわけです。おかげで、「優」の数だけは、学部で二番目。
行政訴訟法だけ落としてしまい、司法試験をあきらめた経緯もあります。成績はよかったか
ら、I藤忠と、M物産に入社が内定しました。そのあと、オーストラリアとインドの国費留学生試
験にも合格しました。

 (結果として、オーストラリアのM大へ留学し、そのあとM物産に入社しました。)

 まあ、自分としては、オリンピック選手まではいかないにしても、国体選手のような活躍をした
時代だったと思います。

 が、何しろ、法学を選んだのが、まちがいでした。私は、子どものころから大工になりたかっ
た。大学にしても、工学部の建築学科に進みたかった。そういう男が、法学ですから、役割混
乱もいいところです。もうメチャメチャでした。

 ですからSEさんのメールを読みながら、私はそういう意味では、器用な男でしたから、(1)の
タイプかもしれませんが、こと法学に関しては、自分で考えるという姿勢は、まったくなかったと
思います。

 私にとっては、法学というのは、方程式のようなもので、無数の定義をくっつけながら、結論
(解)を出していく……。それが私にとっての法学だったような気がします。(ご存知のように、勝
手な解釈をすること自体、法学の世界では許されませんから……。)

テレビ番組の「行列のできる法律相談所」を見ながら、今になって、「結構、おもしろい世界だっ
たんだなあ」と感心しているほどです。)

 ただSEさんが、ご指摘のように、対話形式の講義というのは、英米法の講義では、ふつうだ
ったように思います。教授が、あれこれと質問をしてきます。質問の嵐です。よく覚えているの
は、こんな質問があったことです。

 「カトリック教会の牧師たちは、小便のあと、3度までは、アレ(Dick)を振ってもよいそうだ
が、4度はダメだという。それについて、君は、どう思うか」とか、など。

 そういうところから(教条)→(ルール)→(法)へと、学生を誘導していくのですね。ハハハと笑
っている間に、講義だけはどんどんと進んでいく。

 また日本の法学の講義とはちがうなと感じたのは、それぞれの教授が、ほとんど、法学の話
などしなかったこと。(私の英語力にも限界がありましたが……。)「貧困」だとか、「公害」とか、
そんな話ばかりしていたような気がします。

 日本の短期出張(=単身赴任)が、話題になったこともあります。つまり基礎法学は、自分で
勉強しろという姿勢なのですね。学生たちは、カレッジへもどり、そこで先輩たちから講義を受
けていました。

 自分のことばかり書いてすみません。何かの参考になればと思い、書きました。

 以上のことを考えていくと、結局は、結論は、またもとにもどってしまいます。T先生は、つぎ
のように書いています。

「日本のようにこれ以上は教えなくていいなど、文部科学省の余計な規制が、なぜ必要なのだ
ろうか。今はもう横並びの時代ではない。現場の先生は厚い教科書の全部を教えることはもち
ろんない。場合によってはここを読んでおけ、でもいい。生徒のレベルに応じて先生が好きなよ
うに教えればいいのである。その方が生徒も先生も個性を生かせてもっともっと元気が出る
し、化石化してしまった現在の化学が生き返る」と。

 つまりは教育の自由化、ですね。子どもたちがおとなになるためのコースを、複線化、複々線
化する。ドイツやイタリアでしていることが、どうして、この日本では、できないのでしょうか。

このがんじがらめになったクサリを解かないかぎり、SEさんの問題も含めて、日本の教育に
は、明日はないということではないでしょうか。

 返事になったような、ならないような、おかしな返事になってしまいましたが、どうか、お許しく
ださい。

 今日はワイフが風邪気味で、ひとりで5キロ散歩+自転車で7キロを走りました。そのあと、
昼寝。夕方になって、頭が少しさえてきました。頭のコンディションを保つだけでも、たいへんで
す。ますます使い物にならなくなってきたような感じです。

 
++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(624)

●中高年族よ、たくましく生きよう!

 こんなショッキングな調査結果が、発表された。(ショックを受けたのは、私たちの世代だけか
もしれないが……。)

++++++++++++++

●中高年フリーター、2021年には200万人突破

 大手調査研究機関のUFJ総合研究所は、4月4日、35歳以上でフリーターをしている「中高
年フリーター」が、2001年の46万人から、2011年には132万人に増え、2021年には200
万人を超える見通しだとする推計を発表した。

 フリーターの多くはいずれ定職を持ちたいと考えているものの、年齢が高くなるほど正社員に
なるのが難しく、この状況は変わらないとの前提で推計した。

 推計では、フリーターは所得が比較的少ないため、2021年に200万人を超える人が正社
員にならずに、「中高年フリーター」となることで、国の税収が1兆1400億円、社会保険料が1
兆900億円減少するほか、2021年のGDP(国内総生産)成長率を1・2%押し下げる要因に
もなる。

また、所得が少ないフリーターは、結婚する割合が低いため、子供の出生率を年間1・0〜2・
1%押し下げ、少子化を加速させるなどとも指摘している。

 内閣府の国民生活白書によると、2001年に35歳以上でフリーターに相当する人は46万
人いた。フリーターは、パートやアルバイトなどのうち、主婦や学生を除いた人を指す。

++++++++++++++++

 「だったら、正社員とアルバイトを差別しないことだ」と、私は最初に、そう思った。職業にラン
クをつけたから、こういう結果になった。こうした職業に対する、差別意識は、悪しき封建時代
の遺物と考えてよい。

 (少し前まで、正社員になることを、「まともな仕事」といい、そうでない仕事を、「ロクでもない
仕事」といった。)

 仕事に上下はない。正社員もフリーターもない。働く人イコール、労働者。みな、平等。平等
に保護すればよい。(アメリカでは、そうしているぞ!)

 ……とまあ、グチを言っていてもいけない。

 あえて言うなら、私もそのフリーターだが、中高年のみなさん、もっとたくましく生きよう!

 その一言に尽きる。お金になることは、何だってする。恥も外聞も、捨てる。あとは働いて、働
いて、働きまくる。

 だいたいにおいて、日本は、公務員を優遇しすぎる。仕事も、楽。その結果として、そうでない
人たちが、損をする。そういうしくみが、できてしまっている。

 そういうしくみを一方で、放置しておいて、「何が、GDPを下げる」だ! 本当に日本のGDPを
下げているのは、だれか、ヨ〜ク考えてみることだ。

 ……こうまでバカにされたのでは、たまらない。

 そういう事実があるなら、私たちは私たちで、たくましく生きるしかない。しかしねえ、この日本
では、何をするにも、許可だの、資格だの、認可だの……。ありとあらゆるものが、がんじがら
めに規制されている。今では、地方の田舎町で、観光ガイドをするにも、資格がいる。

 お金がないから、明日から、リヤカーでも引いて……というわけには、いかない。本当に息苦
しい世界になってしまった。

 おかげで、国家、地方公務員の人件費だけで、38兆円! 日本の国家税収が、42兆円弱
だから、つまりは税収のほとんどが、公務員の人件費に消えていることになる。

 こういう事実を、一方で放置しておいて、何が、「所得が少ないフリーターは、結婚する割合が
低いため……」だ。

 これでは、あたかも、フリーターが、社会のゴミのようではないか。少し前だが、どこかの高校
の校長は、「ブリーター撲滅運動」をしていた。「撲滅」というのは、「たたきつぶす」という意味
だ。

 私がむしろ心配するのは、フリーターもさることながら、日本人から、生きる野生臭が消えて
きたことだ。いつも何かに依存しようとしている。また依存することが、生きることだと考えてい
る。そんな感じがする。

 日本を一歩出れば、そこには、海千山千の海賊たちがゴロゴロしている。そういう世界に囲
まれて、オホホ、オホホと笑いあっていて、どうしてこれからの国際社会を生き抜くことができる
というのか。

 フリーターには、フリーターの生きザマというものがある。そのたくましさを、みんなに見せつ
けてやろうではないか。中高年よ、パワーを出そう。アメリカのカウボーイのように、野宿をして
でも、生き延びてやろうではないか。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●闇(やみ)の世界

 インターネットの世界を、「闇の世界」と位置づけている人がいる。またそういうふうに考えて
いる人が多いのには、本当に、驚かされる。中には、「トイレの落書きのようなもの」と言う人さ
えいる。(ホント!)

 つまりインターネットで流される情報には、それなりの価値しかない、と。

 まあ、そういうふうに思いたい人には、思わせておけばよい。たしかに気楽に情報を発信でき
る分だけ、本や雑誌に原稿を書くような緊張感は、インターネットには、ない。私のばあいも、
文の推敲や校正などは、ほとんど、しない。

 いきなり書いて、そのまま全国に発信する。

 それは認める。

 またインターネットというのは、パソコンを介してするため、そのパソコンを扱えない人には、
どうしても、別の世界イコール、闇の世界となってしまう。とくに、50代、60代以上の人にとって
は、そうではないのか?

 実際のところ、インターネット(電子マガジン)上で、原稿を書いても、その価値は、ほとんど認
められない。もちろん論文として認められることは、まずない。それに加えて、何かの収入につ
ながるということも、まず、ない。

 読者にしても、「どうせ、ただ(=無料)の情報」(イコール、いいかげんな情報)という認識しか
ない。「トイレの落書き」という発想は、そういうところから生まれるらしい。

 ただ現実には、インターネットの影響で、書籍の販売が、どんどんと落ちている。中小の出版
社は、どんどんとつぶれている。明らかに印刷物の時代から、電子の時代へと、情報の世界
が、移動しつつある。この流れは、今後、加速することはあっても、もう、だれにも、止められな
い。

 そこでインターネットの世界を、「闇の世界」から、「表の世界」にするには、どうしたらよいか
ということになる。(でないと、私のような人間が、浮かばれない。)

 実は、ここに、今回、なぜL社のH社長が、N放送、ならびにFテレビ局の株買収に乗り出した
か、その理由の一つが隠されている。

 インターネットの最大のカベ(ネック)は、パソコンという世界を超えて、その情報が、一般社
会には伝わっていかないこと。

 これに対して、テレビやラジオをからの情報は、向こうから、茶の間に飛びこんでくる。このち
がいは、大きい。

 たとえば、(はやし浩司)という私が、いくらネット上で、子育て論を書いても、それを読んでい
る読者を越えて、その先の人には、伝わっていかない。

 しかしテレビやラジオだと、子育て論よりも先に、その人の名前が目や耳に飛びこんでくる。
わかりやすく言えば、インターネットでは、人は、有名になれない。しかしテレビやラジオでは、
有名になれる。

 そこでインターネットのカベ(ネック)を越えるためには、インターネットを、テレビやラジオなど
のマスメディアと、結びつけていく必要性が生まれてくる。

 インターネットの内容を、テレビやラジオで紹介する。一方、インターネットのほうで、ぼう大な
情報を、瞬時に提供する。この双方向性が生まれたとき、インターネットは、はじめて、そのカ
ベ(ネック)を越えることができる。

 今では、パソコンの画面上で、あるいはその一部で、テレビを見ながら、インターネットを楽し
む時代になった。が、まだ、どこか別々の世界のような感じがするが、これが一つになったら、
情報の世界はどうなるか……。考えるだけでも、少し、そら恐ろしい感じがしないでもない。が、
そういう時代は、もう、すぐそこまできている。

 そう、ひょっとしたら、とんでもない世界がやってくるかもしれない。L社のH社長は、それを知
っていて、今回の買収劇を演じているのではないだろうか。


++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司
 
●米韓関係の終焉(しゅうえん)

 日本では、ほとんど報じられていないが、米韓関係が、今まさに、崩壊の危機に立たされて
いる。

 韓国のN大統領は、「仮に米中戦争となっても、米側にはつかない」※と、言い出している。そ
してそんな中、こんな事件が起きた(4・5)。

 在韓米軍の防衛負担金をめぐり、韓国側が、約60億円(600億ウォン)の減額を提示した。
つまり「負担金を減らしてくれ」と。

 これに対してアメリカ側は、「正式な回答をしないまま」(産経新聞)、いきなり、「韓国人職員
の1000人、削減」を発表してしまった。

 わかりますか? この不協和音?

 ふつうなら、つまり同盟国なら、「負担金を減らしてほしい」と韓国側が申し出てくれば、「そう
ですね、一度検討してみましょう」となる。話しあいになる。が、アメリカは、それをせず、いきな
り、1000人の職員の削減を、発表してしまった。

 60億円を1000で割ると、1人分、ちょうど、600万円となる。アメリカ側は、申し出に答える
前に、それに見合った額の人件費を減らしたことになる。が、先にこういうことをされると、韓国
側としては、つぎの手が出せなくなる。

 韓国は、職員を削減したことを、「YES」と解釈して、60億円の防衛負担金を減らすか。それ
とも、今までどおりの防衛負担金を支払いつづけるか。勝手に韓国側が60億円を減額すれ
ば、アメリカ側は、さらに韓国からの軍を撤退させるだろう。

 米韓関係の崩壊は、すでに秒読みの段階に入ったとみるべきではないか。

 と、同時に、N大統領は、日米関係にクサビを入れようと、やっきになっている。その動きに
ついては、また別のところで報告することにして、N大統領は、自分で自分のクビをしめている
ことに気がついていない?

 ここまで反日色を濃くすれば、日本の投資が、韓国から逃げ出す。すでにそういう動きも、出
始めている。このままいけば、韓国経済そのものが、崩壊する。N大統領は、そういうことが、
まるでわかっていない。

※……「大統領がどんな修辞を用いようとも、米中が対立したとき、韓国は日米の側にはつか
ないという宣言としか読めない」(産経新聞)と。

【憶測】

 韓国のN大統領のデスクと、K国の金XXのデスクは、ホットラインでつながっている。これは
事実。で、ここから先は、私の憶測だが、(あくまでも憶測)、N大統領と、金XXは、毎日のよう
に、その電話を使って、何かを話しあっているのではないか? このところの両国の動きをみ
ていると、どうも、そんな感じがしてならない。

 韓国は、すでに原子力潜水艦の建造にとりかかっているし、N大統領の側近が、かつて、こ
んなことを不用意にもらしたことがある。「北が核兵器をもったまま、南北が平和裏に統一され
れば、南北朝鮮にとっては、有利になる」と。

 どの国に対して、どのように有利になるといっているのだろうか。

 もしそうなら、6か国協議は、何かということになる。

(補記)

 では、日本は、どうするか? どうしたらよいのか?

 ただひたすら静観するしかない。私は、N大統領が、まったく理解できない。この思いは、友
人のMK君も同じで、彼もそう言っていた。「戦後、アメリカと日本が築きあげた、自由主義貿
易体制の中で、繁栄を謳歌しながら、なぜ、今、反米、反日なのか」と。

MK君というのは、私と同期に、UNESCOの交換学生として、韓国へ渡った友人である。

 私が知るかぎりでも、N大統領は、平均的な韓国の人のものの考え方と、かなりズレているよ
うに思う。かなり左翼的というか、復古主義的というか……。

 日本は、決して感情的に対応してはいけない。今ごろ、反日運動を展開するほうが、おかし
い。1970年から始まった、日韓友好関係を、N大統領は、ゼロにしようとしている。それとも、
何が、ねらいなのか? N大統領は、日本に、今、何をしてほしいのか? それがさっぱり、わ
からない。

 日本は、冷静に。すべきことは、する。事務的に、ただひたすら事務的に。しかし絶対に感情
的になってはいけない。ここで感情的になれば、それこそ、K国、ひいては中国の思うツボ。

 日本もかつて、60年安保、70年安保と、はげしい反米闘争を繰りかえしたことがある。その
ときアメリカは、ただひたすら冷静さを保った。決して感情的にならなかった。そのアメリカを、
今、日本はここで、見習おうではないか。

 冷静さのみが、日本の平和と安全を守る。みなさん、N大統領の言動に動ずることなく、私た
ちは私たちで、マイペースで、前に向って進んでいこう!

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(625)

●夢と現実

 タイトルは忘れたが、昔、手塚治虫の描いたコミックに、こんなのがあった。

若い青年が、何かの事故に巻きこまれて、意識不明になる。意識不明になったとき、その青年
は、夢を見て、夢の中の世界に入っていく。そしてその夢の中の世界で、その青年は、今度
は、その世界を現実の世界として、生き始める。

 現実の青年は、貧しい家庭の男。しかし夢の中の青年は、金持ちの家の息子。しばらく夢の
中の世界で、生活をしているうちに、しかし今度は、その世界で、その青年は事故を起こして、
意識不明になる。意識不明になって、また夢を見る。そして夢の世界に入り、現実の世界にも
どる。

 つまり夢の世界が現実となり、その夢の中の世界で夢を見て、夢の中でまた夢の世界、つま
り現実にもどってくる。少しわかりにくい話で恐縮だが、そういうような内容のコミックだった。

こうして夢と現実の世界を行ったりきたりしているうちに、やがて、その青年は、どちらが(現実
の世界)で、どちらが(夢の世界)なのか、わからなくなる。そしてどちらの世界にいる自分が本
物の自分なのかも、わからなくなる。

 金持ちの家の息子になったときは、貧しい家庭の男が、夢の中の自分であり、貧しい家庭の
男になったときには、金持ちの家の息子が、夢の中の自分ということになる。

 が、たがいに引きあうように、その二人の青年が、どこかの街角で、出会うことになる。いくつ
かの偶然が、運命のように重なりあう。そしてとうとうその日は、やってくる。たがいにたがいを
見つめあいながら、「やっぱり、お前は、いたのだな」「お前こそ、いたのだな」と。

 そこで2人の青年は、どちらの自分が本物なのか、それを確かめるために、そこで決着をつ
けることにする……。

 が、ここで、どんでん返しが起きる。実は、その2人の青年には、ともに、1人の共通のガー
ルフレンドがいる。コミックの中では、このガールフレンドとの恋愛が、一つのテーマになってい
る。貧しい青年のほうは、貧しい青年のほうで、金持ちの青年のほうは、金持ちの青年のほう
で、それぞれが、同じガールフレンドと、恋をする。

 で、最後のところで、2人の青年がナイフをもって、決闘する。そしてたがいに刺しあうその瞬
間、そのガールフレンドが2人の間に、割って入る。「やめてエ!」と。しかし、まにあわなかっ
た。そのガールフレンドは、2人の青年に、同時に刺されて死ぬ。

 ……と同時に、2人の青年は、煙のように消える。あとの残ったのは、窓から飛びおりて自殺
した、そのガールフレンドだけ。つまり2人の青年そのものが、そのガールフレンドがつくりあげ
た、幻覚だったというわけである。

 思い出しながら書いたので、内容は、不正確。しかしこのコミックは、どういうわけか、ずっと、
私の記憶の中に残っている。

 ストーリーがおもしろい。ハリウッド映画にしたら、そのまま大ヒットしそうな内容である。が、
それだけではない。そのコミックを思い出すたびに、夢と現実は、どこがちがうのかと、よく考え
させられる。

 夢と現実。

 過去というのは、どこにも、存在しない。しかし私たちがしてきたことは、記憶として、脳ミソの
中に残る。あくまでも、記憶として、だ。脳ミソのどこかに、電気的信号として、残る。

 一方、その脳ミソは、勝手に動いて、私たちに夢を見せる。しかしそれとて、脳ミソの遊びの
ようなもの。電気的信号が、脳ミソのあちこちを、勝手に飛びまわっているだけ。原理的には、
記憶も、夢も、同じ。それがわからなければ、昨日の思い出と、少し前に見た夢を比較してみ
るとよい。

 脳ミソの中では、区別がつかないはずである。どちらも、ぼんやりとしている。頭の中におぼ
ろげな映像が浮かぶ。が、そこまで。実体はない。

 少し話は変わるが、私は若いころ、こう思った。そのころの私は、メチャメチャに、忙しかっ
た。そんなある日のことだった。

 「私は、50歳まで働いて、それからは、遊んで暮らす」と。こうも考えた。「50歳まで生きられ
れば、じゅうぶん。50歳をすぎたら、人生も残り火のようなもの。それからの人生には意味は
ない」と。

 しかしそれはまちがっていた。青い空も、緑の野原も、若いころのまま。時は今は、春だが、
その春の陽気も、若いときのまま。私は相変わらずここにいて、同じように生きている。

 恐らく……というより、まちがいなく、この状態は、私が80歳になっても、また90歳になって
も、同じだろう。

 志村武氏の書いた「釈迦の遺言」(三笠書房)の中に、こんな話が載っている。

++++++++++++++

 104歳の国文学者、物集高量(もずめ・たかかず)が、102歳の正則学院校長だった今岡
信一氏に、「あなた、長生きしたと思う……?」と聞くと、今岡氏は、「思わないですねえ」と答
え、物集氏のほうも、「私も思わない」と語っている。

 この2人によって実証されているごとく、人間は「たとえ100歳をこえてまで生きえたとして
も」、当人の実感としては、「人の世間に生まれ、白駒(はっく)の隙(げき)を過ぐるが如きの
み」(人生というものは、馬が走りすぎていくのを、もののすき間から、チラッと見るくらいに、短
くはかないものである)(「漢書」)。

+++++++++++++++

 この文章を読んでいると、現実もまた、夢の如きということになる。事実、過去に追いやられ
た記憶というのは、夢そのもの。もし人に過去というものがあるとするなら、その過去は、夢の
中で過ぎた、一瞬にすぎないということになる。

 が、現実が「主」で、夢が「副」というわけではない。ときに、「夢」が、「現実」を支配することも
ある。

 いつだったか、ある盲目の人が、私にこう話してくれたのを覚えている。「私にとっては、眠っ
てから見る夢の世界のほうが、現実です」と。「夢の中では、ふつうの人のように、ものを見るこ
とができるからです」と。

 反対に、夢の中で、過去に死に別れたボーイフレンドと会っているという話もあった。映画『タ
イタニック』(J・キャメロン監督)のテーマ音楽に合わせて、セリーヌ・ディオンは、切なくも、こう
歌う。

 「♪毎晩、夢の中で、私はあなたに会う。あなたを感ずる。そうしてあなたを思いつづけるの
よ……」(Every night in my dream I see you, I feel you,That is how I know you go on.)

 夢と現実。今は、その間には、明確な境界がある。しかしいつか、私も、その夢の中で生きる
ようになるかもしれない。そして自分の過去を振りかえりながら、「夢のようだった」と言うように
なるかもしれない。

 いや、かく言う私も、実は、その半分を、夢の中で生きているようなもの。現実の私は、みす
ぼらしい、ただの初老男。しかし夢の中では、気高い文筆家。現実の私は、だれにも相手にさ
れない、平凡なブ男。しかし夢の中では、日本の外交をとりしきり、世界の平和をコントロール
する、偉大な政治家。

 手塚治虫の描いたコミックの主人公のように、本当のところ、どちらが(現実の自分)で、どち
らが(夢の自分)なのか、わからなくなる。本当の自分は、ひょっとしたら、すべてのわずらわし
さから解放され、どこか、南の島に逃げたいのかもしれない。が、その一方で、夢の中の自分
が、いつか現実の自分になることを願っている。

 私に神のような力があるなら、いますぐ、世界中の、あらゆる武器という武器を、灰にしてみ
せる、とか。

 ……と書いたところで、ワイフが、今、台所から、こう呼んだ。「あなた、ご飯、食べるウ?」
と。

 こうして私の一日が、始まる。「現実」という一日である。やはり、こちらのほうが、現実なの
だ。私はただの夢想家。気高い文筆家でも、また偉大な政治家でもない。ただの落ちぶれた
初老のブ男。

 では、このつづきは、またあとで……。みなさん、おはようございます。
(050406)


++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司
 
●7つの大罪

 キリスト教では、つぎの7つの大罪を定めている。

(1)高慢(pride)
(2)強欲(convetousness)
(3)淫乱(lust)
(4)怒り(anger)
(5)貪欲(gluttony)
(6)ねたみ(envy)
(7)怠惰(sloth)

 中世のカトリック教会が定めたことで、イエス・キリスト自身が言ったことではない。こうした教
条的なものの書き方は、後世の学者が好んでしたもの。

 「教条」というのは、信者にものを教えるとき、その内容を、このように箇条書きにしたものを
いう。これが、さらにのちになって、たとえばマルクス主義などでは、定められた教条を絶対的
なものとして、機械的に信奉するようになった。ついでながら、こうした排他的なものの考え方
を、教条主義という。

 そこで、7つの大罪を考えてみる。一読してわかるように、私もあなたも(失礼!)、まさに大
罪のかたまり。実行不可能というか、これを守れるような人は、聖職者だけということになる。

 ところが、である。今朝、とんでもないニュースが飛びこんできた。何でも東京、山形、大阪、
岡山など12都府県に支部までもつ、キリスト教系宗教法人の創設者でもある牧師が、複数の
信者少女に性的乱暴をしたとかで、告訴されたというのだ(4月6日)。

 S神C教会のNG(61歳)というのが、その男。ヤフー・ニュースですら、「宗教団体のトップ
が、未成年の信者への性的暴力で逮捕されるのは極めて異例」とコメントを書いている。

 こういう事件に遭遇すると、信者の考え方は、まっ二つに分かれる。(1)そのまま信仰から遠
ざかる人。(2)「ありえない」「まちがい」と、事実を否定し、それでも牧師についていく人。

 実際には、後者の例が多い。「私たちが信じているのは、牧師ではなく、神だから」と。

 もしこの段階で、牧師を否定してしまうと、それまでの自分の人生は何だったのかということ
になってしまう。つまり自己否定に追いこまれる。

 だからそれこそ、死んでも、殺されても、その信仰に追従するしかない。加えて、こういうケー
スでは、信者の脳ミソはからっぽとみてよい。一応、思想らしきものはあるは、大部分は、「上」
から注入されたもの。自分で考え、自分でつかんだ思想ではない。

 それに信仰から離れたら、信者の心は、それこそ糸が切れた凧(たこ)のようになってしまう。
実際には、極度の精神不安状態となる。私は、そういう信者や元信者を、何十人とみてきた。

 このニュースを受けて、恐らくその全国の支部では、緊急集会が開かれているにちがいな
い。

 「何かのまちがいです」
 「ありえないことです」
 「警察の陰謀です」
 「女の子たちの虚言です」
 「私たちが信じているのは、神です!」と。

 多分、そんな説法が、ガヤガヤとなされているにちがいない。

 だからといって、その教団がまちがっているとか、信者がおかしいと言っているのではない。
こういうケースは、日本では珍しいが、外国では、頻繁(ひんぱん)に起きている。

 たとえば心理学の世界には、「反動形成」という言葉がある。「そうであってはいけない」という
自分を無理に自分の中で、つくりあげてしまい、本来の自分とはまったく別の自分をつくりあげ
てしまうことをいう。そしてたとえばセックスの話などになったりすると、ことさら、マユをしかめて
見せたり、「私はそういうことには興味がありません」などといったことを、言う。

 が、その裏で、少年や少女に、性的な暴力やいたずらを繰りかえす……。

 まあ、この牧師は、神を、金もうけの道具に使っただけ、ということになる。反動形成というの
は、わかりやすく言えば、「仮面」。まだ有罪が決まったわけではないので、今の段階ではここ
までしか書けないが、しかし……その牧師は、仮面をかぶっていた……。

 実におそまつな事件である。この牧師は、信者の心をもてあそんだということになる。が、そ
れほど、恐ろしい大罪はない。

 私なら、7つの大罪に、もう一つ、大罪を加える。そしてそれを筆頭に置く。

(1)宗教を利用して、他人の心をもてあそぶこと。

 あとの大罪は、まあ、大罪は大罪だが、この大罪にくらべたら、かわいいものだ。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●映画『アビエイター』

 映画『アビエイター』を見る。主演は、レオナルド・ディカプリオ、ケイト・ブランシェット。「航空
士(Aviator)」の映画である。若き日のハワード・ヒューズを描いた、伝記映画だという。

 飛行機好きの私には、たまらない。前から楽しみにしていた。

 市内の映画館へ行くと、「水曜日は、レディズ・デイ」とかで、ワイフは、1000円。……と、思
っていたら、私も1000円。「どちらかに50歳以上の年配の方がいらっしゃれば、夫婦2人で、
2000円です」と。

 思わず、「ぼく、49歳です」「それにこれは、ぼくの愛人です」と言ってしまった。するとすかさ
ずワイフが、「あなたはどう見ても、49歳には見えないわよ」と。受けつけの女の子も、「愛人
の方でも結構です」と。

 そうだった! ハハハ!

 やはり映画館で見ると、映画が、迫力がちがう。飛行機のエンジン音が、バリバリと腹にひび
く。私は、もうそれだけで、うっとり。

 まあ、映画そのものが、けた外れの金持ちの、これまたけた外れの道楽映画。しかし、よか
った。星は、★★★★プラス半分の、4・5個。

 見終わったあと、「アメリカ人のすることは、スケールが大きいわね」と、ワイフが一言。模型
飛行機を作って遊んでいる自分が、みじめになった。

 で、気になったのは、(どうでもよいことだが)、Aviatorは、「エイビエイター」を発音するので
はなかったのか。「Alien」も、「エイリアン」と発音する。

 家に帰って辞書で調べると、「エイビエイター」が正しくて、「アビエイター」と読むこともあること
がわかった。映画の中では、「エイビエイター」と発音していたが……。ほかにも、「Patriot(ペ
イトリオット)」という映画は、「パトリオット」になっていた。歌手に「エンヤ」という人がいるが、英
語人たちはみな、「イーニャ」と発音する。

 反対に、英語人たちは、「加藤(KATO)」を、「ケイトウ」と発音する。「日立(HITACHI)」を、
「ハイタッチ」と発音する。(これもまた、どうでもよいことだが……。)

 ただ映画館で映画を見ると、その大画面のせいか、そのあとぐったりと疲れる。終わりごろ、
トイレへ行くのをがまんして映画を見ていたら、脳圧があがって、頭痛が始まってしまった。

 頭痛そのものは、そのあと、2度、トイレへ行って、かなり楽になったが……。

 帰りに、「夫婦で2000円というけど、夫婦と愛人を、どうやって見分けるのかな?」と私が話
すと、「いいんじゃない? 愛人どうしでも……」とワイフ。

私「女の子の前で、キスをすれば、2000円。しなければ、ふつう料金というのはどう?」
ワ「愛人どうしのほうが、キスをするわよ。夫婦は、しないわよ」
私「(省略)」
ワ「(省略)、でも、あなた、そんなこと、マガジンに書いてはだめよ」
私「わかっている」と。

 春休みも、もうおしまい。兄の介護のこともあって、今年もオーストラリア旅行はとりやめ。介
護認定のため、今は、姉のところにいる。その後どうなったか、あとで電話で聞いてみるつも
り。

(補記)

 ハワード・ヒューズと言えば、すべての名声と富を、手に入れた人物である。彼が住んだ世界
は、私たちにとっては、夢また夢。うらやましくさえ思わないほど、はるか遠くの世界。

 そんな人物の孤独と苦悩が、この映画の一つのテーマになっていたように思う。「そういうも
のかなあ?」と思いつつ、私は、その映画を見た。アカデミー賞5部門で入賞したというだけあ
って、見ごたえのある映画だった。


++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


最前線の子育て論byはやし浩司(626)

【特集・子どもの巣立ち】

●家出をした高校生

 「親子関係は、完全に破壊されました」(相談者)というメールをもらった。そのため、高校1年
生の息子は、家出。

 たまたま家に置き忘れていった携帯電話を頼りに、息子の友人たちに電話をかけて、息子を
さがしまわる。みな、「知らない」と言っていたが、一人だけ、「連絡してみる」と。

 やがて息子から電話。「もうすぐ帰る」と。一安心したものの、その日のその時刻になっても、
息子は帰らず。心配は、つのるばかり。「どうしたらいいか?」と。

++++++++++++++++++

 子どもの巣立ちは、必ずしも、美しいものばかりとはかぎらない。たがいにののしりあいなが
ら、別れていく親子も、珍しくない。

 しかしこういうケースでは、親が、何とかしようとあせればあせるほど、逆効果。子どもは、そ
ういう(親の干渉)から、逃れたいのだ。

 それにもう一つ。家出を、三番底、四番底とするなら、さらに五番底がある。六番底もある。

 実際、S市であった話をしよう。

 両親は、その市でも、職業を言ったらその人とわかるほどの名士。その両親の1人娘が、小
学6年生のころから、外泊をするようになった。その前に、門限に遅れてきた娘を、両親が、は
げしく叱っている。

 で、あとはお決まりの非行コース。携帯電話で出会い系サイトに片っ端から電話を入れ、男
遊びをするようになった。もちろん、学校へは行かなくなった。

 両親は、娘をそのつどさがして、家に連れ帰り、はげしく説教。しかし効果はなかった。やっと
学校へ行かせても、その帰りには、もう行方不明。担任の教師と、徹夜でさがしまわる日がつ
づいた。

 何とか(?)小学校を卒業したものの、中学へ入ってからも、ほとんど、学校には行かなかっ
た。父親も、母親も、自分の仕事を優先した。つまりそれほどまでに、重い責任のある仕事をし
ていた。

 娘は、両親が家にいないことをよいことに、さらに外泊を重ねた。

 が、中学2年になった春、娘が、体の不調を訴えた。最初は、軽い風邪と思っていたが、症状
が、長くつづいた。近くの医院から、大病院へ移され、そこで精密検査。その結果、HIVに感染
していることがわかった。

 娘は、夏休みの間、ちょうど、1か月間、入院した。症状は収まったが、しかしその病気は、
治る病気ではない。

 が、そのあと、さらに大きな問題が起きた。その娘が、ことの重大さを認識できないまま、親
友(?)に、「私、エイズよ」としゃべってしまった。

 あとは、大騒動。その話は、数日のうちに、全校生徒の親が知るところになってしまった。「あ
なただいじょうぶ?」「うちの子だいじょうぶ?」と。

 その娘は、かなり多くの、不特定多数の男性、男子と遊んでいた。それでそうなった。男子ば
かりではない。女子生徒の親も、騒いだ。「トイレでうつったかもしれない」と。二次感染、三次
感染の可能性もある。

 私の聞き取り調査によっても、このH市内ですら、3〜4%の女子中学生が、性体験をしてい
ることがわかっている。しかしHIVに感染したという例は、少ない。

 その女の子は、今度は、学校へ行きたくても行けなくなってしまった。

 今、時代は、ここまできている。多くの親は、「うちの子にかぎって……」「まさか……」と考え
ている。しかしそう考えるのは、甘い。

++++++++++++++++++++

 ショッキングな話を書いたが、子どもの非行は、ある日、突然、始まる。そして一度始まると、
あとは、あっという間に、底なしの悪循環。二番底から三番底へと進んでいく。

 親は、そのときのその状態を最悪と思うかもしれないが、しかしその下には、まだつぎの底が
あるということ。

 だから子どもの非行を、どこかで感じたら、親は、手を引く。そして「今の状態を、それ以上悪
くしないこと」だけを考えて、様子を見る。具体的には、暖かく無視し、ほどよい親であることに
努める。

 説教しても意味はない。叱り方にもいろいろあるが、叱れば叱るほど、逆効果。(門限破り)
→(外泊)→(家出)と進んでいく。

 相談者のメールによれば、こうある。

 「息子が出て行くとき、学校に退学届けを出し、就職先も見つけてからにしなさい。それなら
出て行ってもいいと言いました」と。

 しかしこれほど、子どもに酷な話はない。高校に自分で退学届けを出せはないし、就職先に
ついても、そうだ。これは、子どもにしてみれば、「二度と帰ってくるな」と言うに等しい。

 つまり親は、親意識で、子どもをしばっているだけ。自分の不安や心配を、子どもにぶつけて
いるだけ。無理難題をふっかけて、子どもの家出を阻止しようとしたのだろう。その気持ちはわ
かる。

 では、どうするか?

 相談者は、今も、息子をさがしまわっているという。そしてメールには、こうあった。「いった
い、親って、何ですか」と。

++++++++++++++++++

 私は、「親意識」について、何度も書いてきた。その親意識には、善玉と悪玉がある。「親らし
く、堂々と責任をとろう」という意識を、善玉親意識という。一方、「親に向かって、何よ」と、親風
を吹かす意識を、悪玉親意識という。

 とても残念なことだが、その相談者は、後者の悪玉親意識が強いように感ずる。恐らく、……
というより、まちがいなく、その母親自身も、かなり県移住義的な家庭環境の中で、生まれ育っ
ているにちがいない。

 その悪玉親意識が強ければ強いほど、子どもにとっては、家庭は息苦しい家庭環境となる。
果たして、それを、その母親は、理解していたか。わかっていたか。もっと言えば、子どもの立
場で、子どもの苦しみや悲しみを、理解していたか。

 「携帯電話の請求書だけでも、5万円もありました」とあり、「自己管理能力がまったくありま
せん」と結んであった。

 しかし、本当に、そうだろうか。

 子ども自身が、自暴自棄的になるように、子どもを追いつめていたのではないだろうか。生活
習慣が乱れてくると、約束や目標を守れないという初期症状につづいて、生活態度そのもの
が、だらしなくなる。

 しかしそれは子ども自身の自己管理能力というよりは、いわば心の病気によるものと考え
る。過食症や拒食症と同じように、携帯電話依存症になったことも考えられる。そういう症状が
あったからといって、「自己管理能力がない」と決めつけてはいけない。

 かなりきびしいことを書いているが、母親自身が、かなり自己中心的な子育て観をもっている
のがわかる。その自己中心性がなくならないかぎり、子どもは家には帰ってこないし、また帰っ
てきても、すぐ家を出て行く。私だって、そんな(うるさい家庭)には、一日だって、いないだろ
う。

+++++++++++++++++

 では、どうするか?

 今の状況では、母親にさがしまわされること自体、苦痛であるにちがいない。私には、「もう、
放っておいてよ」と叫んでいる、子どもの声が聞こえるような気がする。

 そこで大切なことは、まず、あきらめること。現状を受けいれること。「今」の状態が現実と考
え、ジタバタしないこと。メールでは、「捜索願いを警察に出そうかと考えている」ということだ
が、事件性が感じられないなら、これもかえって逆効果。

 高校1年生といえば、親が考えているより、子どもは、はるかにおとなである。その(おとなで
ある)部分を、親がもっと、信じなければいけない。たぶん、この母親は、その子どもが乳幼児
のときから、心配先行、過干渉気味の子育てをしてきたにちがいない。もっと言えば、自分の
子どもを、まるで信じていない。あるいは自分自身も、あまり恵まれない家庭環境に育った可
能性もある。とくにその母親と母親の父親(子どもの祖父)との関係が悪かったことが疑われ
る。

 それにもう一つ気になるのは、メールの中に、父親の存在感があまり感じられないこと。それ
はともかくとして、「親として、ここで折れると、また同じことの繰りかえしになると……」と、がん
ばっている点が、たいへん気になる。

 どうして折れてはだめなのか? そう、がんばらないで、折れればよい。すなおに折れる。折
れれば、気も楽になる。

 電話がかかってきたら、すなおに自分の心を表現すればよい。「お願いだから、帰ってきてく
ださい。もう何も言いませんから」「あなたがいなくて、お母さんは、さみしいです」と。泣きたけ
れば、泣けばよい。どうしてそんなふうに、無理にがんばるのか。

 母親自身が、自己開示(心の解放)をしていない。ならば、どうして、子どもにそれができるの
か? 親としての気負いが強すぎる。私は、そう感ずる。

 ときにはバカな親になる。バカな親のフリをして、子どもの自立をうながす。それも、子育てで
は、重要な技術の一つと考える。「親だから……」「子どもだから……」という、『ダカラ論』にし
ばられてはいけない。

 親には3つの役目がある。ガイドとして、子どもの前を歩く。保護者として、子どものうしろを歩
く。そしてもう一つは、友として、子どもの横を歩く、だ。

 その母親も、勇気を出して、子どもの横を歩いてみるとよい。勇気を出して、だ。悪玉親意識
など、今、すぐ、捨てたらよい。

 そして子どもが家に帰ってきたら、暖かい無視にこころがける。相手が求めてくるまで、無
視。しかし何かを求めてきたら、それにはていねいに応じてやる。あとは、ほどよい親に努め
る。

 高校はそのまま中退することになるかもしれない。しかし心配は、無用。家出をするほどバイ
タリティのある子どもは、そういう逆境を、かえってバネとして、たくましくなっていく。

 非行をすすめるわけではないが、そうしたサブカルチャ(下位文化)を経験した子どもほど、
あとあと常識豊かなおとなになることが知られている。

 そういうふうに前向きに考えたらよい。

 子どもは、小学3、4年生を境に、急速に親離れを始める。しかし親はそれに気づかない。
「私はいい親子関係にいる」という幻想にしがみついたまま、それに気づかない。

 この日本では、親が子離れを始めるのは、子どもが、中学生から高校生にかけてから。その
相談者も、決して、好ましい方法ではないかもしれないが、今、子離れをし始めている。

 大切なことは、子どもも高校生なのだから、子離れをしっかりとして、母親は母親として、つま
り1人の人間として、自分の人生を生きることを考えること。こんな問題で、心をわずらわせて
はいけない。

 はっきり言おう。

 相談者の子どものほうが、私には、相談者より、おとなに見える。だから相談者の方は、何
かと心配かもしれないが、今は、高校1年生の息子を信ずるしかない。

 おういう話は、必ず、笑い話になる。この種の家出は、まさに日常茶飯事。「うちの子だけが
……」と思いこんではいけない。さらにそれから被害妄想をふくらませてはいけない。今、あな
たの子どもは、あなたから巣立ちをしようとしている。

 私の好きなエッセーを最後に、ここに添付します。

++++++++++++++++++++++++

●親離れ、子離れ

 子どもは小学三、四年を境に、急速に親離れを始める。しかし親はそれに気づかない。気づ
かないまま、親意識だけをもち続ける。またそれをもって、親の深い愛情だと誤解する。

つまり子離れできない。親子の悲劇はここから始まる。あの芥川龍之介も、「人生の悲劇の第
一幕は親子となつたことにはじまつてゐる」(侏儒の言葉)と書いている。

 息子が中学一年生になっても、「うちの子は、早生まれ(三月生まれ)ですから」と言っていた
母親がいた。娘(高校生)に、「うす汚い」「不潔」と嫌われながらも、娘の進学を心配していた
父親もいた。自らはほしいものも買わず、質素な生活をしながら、「あんなヤツ、大学なんか、
やるんじゃなかった」とこぼしていた父親もいた。

あるいは息子(中二)に、「クソババア! オレをこんなオレにしたのは、テメエだ」と怒鳴られな
がら、「ごめんなさい。お母さんが悪かった」と、泣いてあやまっていた母親もいた。しかし親子
の間に、細くとも一本の糸があれば、まだ救われる。親はその一本の糸に、親子の希望を託
す。

しかしその糸が切れると、親には、また別の悲劇が始まる。親は「親らしくしたい」という気持ち
と、「親らしくできない」という気持ちのはざ間で、葛藤する。これは親にとっては、身をひきちぎ
られるようなものだ。ある父親はこう言った。

「息子(一九歳)が暴走族の一人になったとき、『あいつのことは、もう構いたくない』という思い
と、『何とかしなければ』という思いの中で、心がバラバラになっていくのを感じた」と。

もう少しズルイ親だと、「縁を切る」という言い方をして、子育てから逃げてしまう。が、きまじめ
な親ほど、それができない。追いつめられ、袋小路で悩む。苦しむ。

 子どもというのは、親の期待を一枚ずつはぎ取りながら、成長する。中には、最後の一枚ま
ではぎとってしまう子どももいる。年ごとに立派になっていく子どもを見る親は、幸せな人だ。し
かしそういう幸運に恵まれる親は、一体、何割いるというのだろうか。

大半の親は、年ごとにますます落ちていく(?)子どもを見せつけられながら、重い心を引きず
って歩く。「そんな子どもにしたのは、私なんだ」と、自分を責めることもある。しかしそれとても
とをただせば、子離れできない親に、問題がある。

あの藤子F不二雄の『ドラえもん』にこんなシーンがある(一八巻)。

タンポポの種が、タンポポの母親に、「(空を飛ぶのは)やだあ。やだあ」とごねる。それを母親
は懸命に説得する。しかし一度子どもが飛び立てば、それは永遠の別れを意味する。タンポポ
の種が、どこでどのような花を咲かせるか、それはもう母親の知るところではない。しかし母親
はこう言って、子どもを送り出す。「勇気をださなきゃ、だめ! みんなにできることがどうしてで
きないの」と。

子どもの人生は子どもの人生。あなたの人生があなたの人生であるように、それはもうあなた
自身の力が及ばない世界のこと。言いかえると、親は、それにじっと耐えるしかない。たとえあ
なたの息子が、あなたの夢や希望、名誉や財産、それを食いつぶしたとしても、それに耐える
しかない。外から見ると、どこの親子もうまくいっているように見えるかもしれないが、それこそ
まさに仮面。子育てに失敗しているのは、あなただけではない。
(はやし浩司 子どもの家出 子供の家出 家出)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●生きる源流に視点を
      
 ふつうであることには、すばらしい価値がある。その価値に、賢明な人は、なくす前に気づ
き、そうでない人は、なくしてから気づく。青春時代しかり、健康しかり、そして子どものよさも、
またしかり。

 私は不注意で、あやうく二人の息子を、浜名湖でなくしかけたことがある。その二人の息子が
助かったのは、まさに奇跡中の奇跡。たまたま近くで国体の元水泳選手という人が、魚釣りを
していて、息子の一人を助けてくれた。

以来、私は、できの悪い息子を見せつけられるたびに、「生きていてくれるだけでいい」と思い
なおすようにしている。が、そう思うと、すべての問題が解決するから不思議である。特に二男
は、ひどい花粉症で、春先になると決まって毎年、不登校を繰り返した。あるいは中学三年の
ときには、受験勉強そのものを放棄してしまった。私も女房も少なからずあわてたが、そのとき
も、「生きていてくれるだけでいい」と考えることで、乗り切ることができた。

 昔の人は、いつも、『上見てきりなし、下見てきりなし』と言っている。人というのは、上を見れ
ば、いつまでたっても満足することなく、苦労や心配の種はつきないものだという意味だが、子
育てで行きづまったら、子どもは下から見る。「下を見ろ」というのではない。下から見る。「子ど
もが生きている」という原点から、子どもを見つめなおすようにする。

朝起きると、子どもがそこにいて、自分もそこにいる。子どもは子どもで勝手なことをし、自分
は自分で勝手なことをしている……。一見、何でもない生活かもしれないが、その何でもない生
活の中に、すばらしい価値が隠されている。つまりものごとは下から見る。それができたとき、
すべての問題が解決する。

 子育てというのは、つまるところ、「許して忘れる」の連続。この本のどこかに書いたように、フ
ォ・ギブ(許す)というのは、「与える・ため」とも訳せる。またフォ・ゲット(忘れる)は、「得る・た
め」とも訳せる。

つまり「許して忘れる」というのは、「子どもに愛を与えるために許し、子どもから愛を得るため
に忘れる」ということになる。仏教にも「慈悲」という言葉がある。この言葉を、「as you like」と英
語に訳したアメリカ人がいた。「あなたのよいように」という意味だが、すばらしい訳だと思う。こ
の言葉は、どこか、「許して忘れる」に通ずる。

 人は子どもを生むことで、親になるが、しかし子どもを信じ、子どもを愛することは難しい。さ
らに真の親になるのは、もっと難しい。大半の親は、長くて曲がりくねった道を歩みながら、そ
の真の親にたどりつく。楽な子育てというのはない。ほとんどの親は、苦労に苦労を重ね、山を
越え、谷を越える。そして一つ山を越えるごとに、それまでの自分が小さかったことに気づく。

が、若い親にはそれがわからない。ささいなことに悩んでは、身を焦がす。先日もこんな相談を
してきた母親がいた。東京在住の読者だが、「一歳半の息子を、リトミックに入れたのだが、授
業についていけない。この先、将来が心配でならない。どうしたらよいか」と。こういう相談を受
けるたびに、私は頭をかかえてしまう。

++++++++++++++++++++++++

●家族の真の喜び
   
 親子とは名ばかり。会話もなければ、交流もない。廊下ですれ違っても、互いに顔をそむけ
る。怒りたくても、相手は我が子。できが悪ければ悪いほど、親は深い挫折感を覚える。「私は
ダメな親だ」と思っているうちに、「私はダメな人間だ」と思ってしまうようになる。

が、近所の人には、「おかげでよい大学へ入りました」と喜んでみせる。今、そんな親子がふえ
ている。いや、そういう親はまだ幸せなほうだ。夢も希望もことごとくつぶされると、親は、「生き
ていてくれるだけでいい」とか、あるいは「人様に迷惑さえかけなければいい」とか願うようにな
る。

 「子どものころ、手をつないでピアノ教室へ通ったのが夢みたいです」と言った父親がいた。
「あのころはディズニーランドへ行くと言っただけで、私の体に抱きついてきたものです」と言っ
た父親もいた。が、どこかでその歯車が狂う。狂って、最初は小さな亀裂だが、やがてそれが
大きくなり、そして互いの間を断絶する。そうなったとき、大半の親は、「どうして?」と言ったま
ま、口をつぐんでしまう。

 法句経にこんな話がのっている。ある日釈迦のところへ一人の男がやってきて、こうたずね
る。「釈迦よ、私はもうすぐ死ぬ。死ぬのがこわい。どうすればこの死の恐怖から逃れることが
できるか」と。

それに答えて釈迦は、こう言う。「明日のないことを嘆くな。今日まで生きてきたことを喜べ、感
謝せよ」と。私も一度、脳腫瘍を疑われて死を覚悟したことがある。そのとき私は、この釈迦の
言葉で救われた。

そういう言葉を子育てにあてはめるのもどうかと思うが、そういうふうに苦しんでいる親をみる
と、私はこう言うことにしている。「今まで子育てをしながら、じゅうぶん人生を楽しんだではない
ですか。それ以上、何を望むのですか」と。

 子育てもいつか、子どもの巣立ちで終わる。しかしその巣立ちは必ずしも、美しいものばかり
ではない。憎しみあい、ののしりあいながら別れていく親子は、いくらでもいる。しかしそれでも
巣立ちは巣立ち。親は子どもの踏み台になりながらも、じっとそれに耐えるしかない。

親がせいぜいできることといえば、いつか帰ってくるかもしれない子どものために、いつもドア
をあけ、部屋を掃除しておくことでしかない。私の恩師の故松下哲子先生*は手記の中にこう
書いている。「子どもはいつか古里に帰ってくる。そのときは、親はもうこの世にいないかもしれ
ない。が、それでも子どもは古里に帰ってくる。決して帰り道を閉ざしてはいけない」と。

 今、本当に子育てそのものが混迷している。イギリスの哲学者でもあり、ノーベル文学賞受
賞者でもあるバートランド・ラッセル(一八七二〜一九七〇)は、こう書き残している。

「子どもたちに尊敬されると同時に、子どもたちを尊敬し、必要なだけの訓練は施すけれど、決
して程度をこえないことを知っている、そんな両親たちのみが、家族の真の喜びを与えられる」
と。

こういう家庭づくりに成功している親子は、この日本に、今、いったいどれほどいるだろうか。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●韓国と地球温暖化

 宮崎市で、昨日(4・6)、気温が、26度を超えたという。私の住む浜松市の近くの佐久間町
でも、28・4を記録したという。さらに山梨県の大月市では、何と、30・2度を記録したという。

 地球全体が温暖化現象で、今まさに、この地球は、危機的な状況にある。そういうときに、
「竹島は日本の領土だ」「独島は韓国の領土だ」と、言い争っている。そのおかしさ。そのバカ
らしさ。「伊豆の大島は、東京都の領土だ」、いや、「静岡県の領土だ」と言い争っているような
もの。

 かねてから日本政府は韓国政府に、「国際裁判所で話しあいましょう」と、呼びかけている。
が、韓国政府は、「そんな必要はない」と、がんとして、拒否。どうしてかな? 何か、つごうの悪
いことでも、あるのかな?

 まあ、いいでしょう。ご勝手に。日本は、冷静に、かつ事務的に、自分たちの言い分を主張す
ればよい。何度も、何度も、国際裁判所での話しあいを提起すればよい。ただひたすら冷静
に、かつ事務的に、そして執拗に!

 で、やはり気になるのが、地球の温暖化。

 私の印象では、地球の温暖化は、予想以上の速さで、進んでいる。そんな気がする。5年単
位とか、10年単位ではない。数年単位で、その変化を感ずる。ばあいによっては、1年単位と
いうこともある。「去年より、暖かくなったぞ」と。

 このまま温暖化が進めば、どうなるか? いや、温暖化よりも恐ろしいのは、温暖化に向け
て、人間の精神が破壊されること。社会秩序は崩壊し、世界は無法化する。当然、人々のもつ
道徳観や倫理観も、崩壊する。地球末期に向けて、この地上では、まさに地獄絵図が繰り広
げられることになる。

 「竹島(独島)問題どころではないだろ」と言いたいが、まあ、そういう気持ちは、彼には、通じ
ないだろう。しかしどうして、そうまで韓国の人たちは、熱くなるのか?

 ロシアの学校で使う教科書に、「クナシリ、エトロフ島は、ロシアの領土」と書いてあっても、
(多分、そう書いてあるだろうが……)、日本人は、そんなにカリカリしないぞ。韓国の教科書に
も、そう書いてあるのではないのかな? 「独島は、韓国の領土」と。

 どうして、韓国にせよ、K国にせよ、日本のすることが、こうまで気になるのかな? 日本の教
科書が、こうまで気になるのかな? 劣等感の裏返し……というふうには思いたくないのだが
……。

 K国などは、被害妄想もいいところ。「日本は、K国を再び侵略しようとしている」と。

 ウ〜ム! いまどき、そんなことを考えている日本人はいないと思うよ。頼まれても、断る。日
本人なら、みんな、そう考えている。

 で、地球温暖化は、何とかしなければならない。これは深刻な問題。いや、温暖化によって、
環境が破壊されるのは、もうしかたないとしても、人間の心を何とかしなければならない。そう
いう変化に耐えられるような、精神的な強さを養うとか、何か別の道徳観や倫理観を育てなけ
ればならない。

 「私たち人類は、やがて滅亡します。ついては、みなさん、最期の最期まで、みんな仲よく生
きていきましょう。で、そのためには、どうしたらいいでしょうか」と。

 ひょっとしたら、今回の竹島問題は、その試金石になるかもしれない。韓国の人たちにもいろ
いろ言い分はあるだろう。しかしもう少し、冷静になってほしい。私は戦後生まれで、戦争を知
らない世代だが、そんな私でも、今年、58歳になる。

 今、韓国の人たちが頭の中で描いているような日本人は、もういない。世界も変わったが、日
本人は、もっと、変わった。そうそう、この地球は、もっともっと変わりつつある。

 決して責任逃れをするわけではないが、おたがい、もっと前向きにものごとを考えたほうがよ
いのではないのかな? ……いらぬお節介かもしれないが……。

 
●ぼけ兄行上記・追伸

 頭のかなりボケた兄が、姉の家に行って、ちょうど一週間になる。電話で話すと、姉は、こう
言った。「最初の3日間は、ノイローゼになりそうだった」と。

 姉の家では、大便用と男子小便用と、トイレが二つに分かれている。最初の2日間、兄は、
男子小便用のほうで、大便をしていたという。

 私の家でも、それに似たようなことがあったので、私は驚かなかった。むしろ、兄らしいと、笑
ってしまった。つられて姉も笑った。

 で、私とワイフは、今、毎日のように、出歩いている。兄が私の家にいるときは、何時間も、家
をあけることができなかった。その反動だと思う。モヤモヤした鎖から解き放たれたような解放
感を覚える。

 ボケ老人の介護は、たいへん。それはよ〜くわかった。で、そのたいへんさがわかればわか
るほど、今度は、つぎの世代の人たちには、迷惑をかけたくないと思うようになった。今日も、
ワイフとドライブをしながら、こんな会話をした。

 「ぼくね、お前が死んだら、すぐ死ぬよ。そのほうがいいよ」と。

 するとワイフは、ケラケラと笑っていたが、実は、具体的な計画が、すでに、私にはある。

 O国には、仲のよい医者の友だちがいる。もしワイフが死んだら、私は、その友だちに頼ん
で、安楽死用の薬をもらうつもり。O国では、安楽死は、広く認められている。

 「生きるといっても、時間ばかり長く生きても意味はないし……」と。「仮にぼくが、ボケ老人に
なったら、風邪か何かの病気になっても、そのままにしておいてほしい。病院へは連れていか
なくてもいい」とも。

 いつもそうだが、私のワイフは、私のこういう話を、真剣には聞かない。冗談と思うらしい。し
かし私は、真剣だ。本気だ。(かなり……。)

 そうそう、それにもう一つ、おもしろいことに気づいた。

 この世の中には、ボケる人と、それを介護する人の二種類の人間がいるということ。ボケる
人は、かなり早い時期からバケ始める。で、そういう人を介護する人もいるわけだが、介護す
る人は、どういうわけか、なかなかボケない。少なくとも、自分は、ボケとは無縁と、信じてい
る。

 私も姉も、頭のボケた兄の話をしながら、自分たちは、兄のようにはボケないだろうと思って
いる。(本当のところは、兄と同じようにボケる確率は、高いのだが……。)

 これは恐らく、ボケた人を見ながら、いつも心のどこかで、「では自分たちは、どうすればボケ
を防ぐことができるか」を、考えているためではないか。あるいは、介護していることから生ずる
緊張感が、脳ミソの働きをよくしているのかもしれない。

 だから若いうちから、できたら、生活のどこかで頭のボケた人を、よく見ておくとよい。できれ
ば介護も経験しておくとよい。「ああは、なりたくない」という思いが、そのままボケ防止のため
の、一つの方法になる。

 ついでにもう一つ。

 表情と、ボケは、大きく関係しているということ。

 老人になると、どうしても、表情がかたくなる。こわばるというか、能面のようになる。冗談やジ
ョークが通じなくなる。思考の柔軟さが消える。しかしそうなったら、ボケは、かなり進んでいると
みてよいのでは……(?)。 

 これは私の勝手な推察だが、私は、そう思っている。つまり言いかえると、豊かな表情、とくに
笑顔は、重要。歳をとればとるほど、重要ということになる。そのためにも、老人は、よく笑わね
ばならない。また自分を、そういう環境に置かねばならない。

 (兄のばあいは、いつも笑顔を絶やさなかったが、ニコニコといった感じではなく、ニヤニヤと
いったふう。ときには、ニタニタという感じ。心の中が明るいから、笑うというよりは、意味不明
の笑いが多い。)

 そこで私は、決めた。これからは、おおいに笑うぞ。楽しい話をするぞ。ハレンチと言われよう
が、スケベと言われようが、これは私たちの脳ミソのためには、必要なことなのだ。

 さてさて、どんな話をしようか……。で、今、思い出した。

 これは本当の話。ワイフから今日、車の中で聞いた話。ある雑誌に出ていた話だそうだ。

 49歳の女性が、19歳の恋人とつきあっているそうだ。とたん、「ドライフラワーが、生きかえ
った」と。

私「ドライフラワーというのは、生きかえらないよ。死んだ花だよ」
ワ「それがね、その人のドライフラワーが、生きかえったんだって」
私「へえ、なるほどね。じゃあ、49歳の男性が、19歳の恋人とつきあったら、どうなるの?」
ワ「あなたのほうが、よく知っているでしょう」と。

 ナルホド!

 そうだ。ボケ防止のために、これからは、どんどん、スケベな話をすればよい! 教育評論家
なんて、クソ食らえ、だ! ハハハ。今夜も、こうして新しい思想を、ゲット!

 私は、若いころ、官能小説家になりたいと思ったこともある。一度、梶山何とかというスケベ
作家の講演を聞いてから、そう思うようになった。

 まあ、すごい、スケベな話ばかりだった。講演を聞いているうちに、射精してしまった男もいた
そうだ。そうだ、今度は、スケベ小説に、挑戦してみよう。私の書く、スケベ小説は、すごいぞ。

(しかし、アカデミックな私のマガジンに、そんな話を載せるわけにはいかない。

 私の書く、スケベ小説を読みたいと思う人は、どうか、手をあげてください。

 シーン。

 やっぱり、いらっしゃらないようなので、この話は、また別の機会に……。)


++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●スケベな話(おまけ)

 私が聞いた話の中で、一番、スケベな話は、こんな話だ。

 当時は、夜這いというのが、ごくふつうの習慣として、なされていた。若い男が、年頃の娘をも
つ家へ、夜中に忍びこみ、その娘とセックスをするというものだ。

 何でもそれは若い女性にとっても、(また若い妻にとっても)、名誉なことだったらしい。女性た
ちは、わざと戸をあけ、男たちが夜這いに来るのを待っていた。

 (本当は、男性よりも、女性のほうが、スケベだという説もある。そういう説が回りにまわって、
神聖さを保たなければならないような場所には、女性を入れないようにしたという説もある。必
ずしも、男尊女卑思想だけが、理由ではないそうだ。これは余談。)

 その家にも、その年17歳になったばかりの娘がいた。名前を、「かめ子」と言った。昔風な名
前だが、この話そのものが、今から、60〜80年ほど、昔の話。

 かめ子のところにも、ときどき若い男が忍びこんできた。それを知った母親が、かめ子を叱
り、その夜から、かめ子と一緒の部屋で、寝ることした。かめ子はそれをいやがった。しかし母
親も、1歩も退かなかった。

 「今夜から、あんたの部屋で寝るからね」「いやよ、お母さん」「何、言ってるの!」と、まあ、そ
んなような、口げんかくらいはあったのかもしれない。

 ともかくも、その夜から、母親も、かめ子の部屋で一緒に寝ることになった。

 が、母親には、ひどい虫歯があった。歯も半分、抜けていた。口臭もひどかった。かめ子は、
母親がいびきをかいて眠り始めると、枕を反対側に移した。そうして戸をわざと少し開け、男が
入ってくるのを待った。

 やがて、男の気配。かめ子は、眠ったフリをして、男を待った。胸を少しはだけ、白い乳房
を、月明かりにさらけ出した。

 男は部屋に入ると、そっと、かめ子の体を抱いた。かめ子は、体から力を抜き、男がするま
まに、その男に身を任せた。

 男は、反対向きに母親が眠っているのを知らなかった。知らないまま、自分のそそり立つモノ
を、そっとふとんの中にもぐらせた。しかしそこには、母親のパクリとあいた口があった。

 男は母親の、その口の中に、自分のモノを挿入した。そしてゆっくりと、上下運動を始めた。
男は、いつもの感覚とちがうのに気づいた。

男「いい……」「いい……」
かめ子「うん……」「うん……」と。

 男はかめ子の乳房を両手でつかみ、あえぎながら、かめ子にこう言った。

「かめや、かめや……」「かめや、かめや……」と。

 それを聞いたふとんの中の母親は、こう言った。何しろ、虫歯が痛い。

 「かめん……」「かめん……」と。

 こうして、いつもの平和で、のどかな一夜の一時が、過ぎていったという。

男「かめや、かめや……」
母親「かめん、かめん……」
かめ子「早く、早く……」
男「かめや、かめや……」
母親「かめん、かめん……」
かめ子「早く、早く、もう、入れてエ!」と。

++++++++++++++++++

 私はこの話を、学生時代に聞いた。当時の私は、こういう話を聞いただけで、立ちあがること
も、歩くこともできなくなってしまった。ハハハ。

 ところで江戸時代から明治にかけては、岐阜県の飛騨地方の家々では、旅人が通りかかる
と、わざとその旅人を、自分の家に泊め、自分の娘を、その旅人に抱かせるという習慣まであ
ったそうだ。

 これは、よりよい種(精子)を、自分の娘に宿させるためだったという。この話は、飛騨地方を
旅をしたとき、そこに住む郷土研究家から、直接聞いたもの。ウソじゃないぞ!

 また、集団で農作業をしているときも、たがいにしたくなったら、その場で、さっさとして、すま
せていたそうだ。

男「おい、一発、やるかア?」
女「あいよ!」と。

 これは山荘の近くに住む、K氏から聞いた話で、この静岡県ですら、50年前には、そういうこ
とが平気でなされていたという。K氏は、こう言った。

 「簡単なものさね。女の着物のすそを、パッと上へまくって、女の尻を出して、そのまま、うしろ
からやればいいんだから」と。

 ほんの一昔前までは、ことセックスに関しては、日本も、実におおらかな国だったようだ。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司
 

最前線の子育て論byはやし浩司(627)

【近ごろ・あれこれ】

●独裁者には、弱みを見せない

 昔から、「独裁者には、弱みを見せてはいけない」という。国際政治の、大鉄則にもなってい
る。

 よく知られた教訓に、ドイツがある。

 ナチス・ドイツ、つまりヒットラーは、1938年、チェコスロバキアに対して、ドイツ系住民の多
い、ズデーデン地方の割譲を申し出た。

 これに対して、時のイギリスの首相、チェンバレンは、「これ以上、領土拡大を求めない」とい
う条件付で、チェコスロバキアに対して、領土を割譲するよう説得した。チェンバレンは、戦争
回避を第一に考えた。

 しかし結果は、裏目に出た。弱みを見せたイギリスに対して、そののち、ドイツは、電撃的な
領土拡大戦争へとつき進む。

 一度味をしめた独裁者は、相手の弱みを、自分の利益と結びつける。

 そうした教訓が生かされたのが、あのキューバ危機である。

 時のソ連は、キューバにミサイル基地を建設しようとした。これに対して、アメリカの大統領、
ケネディは、海上封鎖という強攻策に出る。1962年のことである。

結果は、……というより、もしあのとき、アメリカがキューバにミサイル基地を建設させていた
ら、そのあと、アメリカは、どうなっていたかわからない。

 今回の6か国協議では、アメリカは、どこまでも強硬に見える。「対米軍縮会議にしろ」と主張
するK国。それを一蹴するアメリカ。そうしたアメリカの強攻策の背景には、過去の苦い経験
が、山積みにされている。

 なぜ、アメリカが、そうなのか。それを理解するためには、その歴史を知らなければならな
い。


●国際連合

 国際連合主義(グローバル・ガバナンス)を、口では主張しながら、実際には、アメリカの庇護
下で、アメリカに追従する日本。

 現実問題として、国際連合の力には、限界がある。そしてその一方で、全世界の軍事費の5
0%を、消費するアメリカ。軍事面では、アメリカに対抗できる国はない。

 そこでアメリカは、かねてから、「アメリカの平和と安全を守るためには、許可書を求めたりは
しない」(ブッシュ大統領)と言い切っている。つまりアメリカの軍事行動に対して、アメリカは、
いちいち外国の許可書など求めない、と。

 国際連合主義と、アメリカ・ドクトリン(主義)のはざまで、揺れ動く日本。しかしこれだけ周囲
の国々の反日感情が高まってくると、日本としては、アメリカにすがるしかない。

 危険な道ではあるが、国際政治は、どこまでも現実主義で考えなければならない。甘い妥協
論、融和論、お人好しは、通用しない。

 しかしここで重要なことは、なぜ、今になって、韓国、中国で、反日運動が高まっているか、で
ある。それを考えることである。

 私の分析では、今の中国の若い人たちの動きは、60年、70年の安保闘争の日本人のそれ
に似ていると思う。反日運動を、自由、解放運動の代用品として利用しているようなところがあ
る。つまり今まで抑圧されつづけてきた民衆が、そのエネルギーを、反日運動に転嫁させてい
る(?)。

 韓国については、N大統領の精神構造そのものに、私は疑念をいだいている。これ以上のこ
とは、ここには書けないが、私には、N大統領の考えていることが、最初から、今にいたるま
で、まったく理解できない。

 日本としては、表向きは、国際連合主義を貫き、裏では、アメリカと手を組むしかない。そして
その一方で、中国や韓国の反日感情が沈静化するのを、しんぼう強く、かつ冷静に、見守るし
かない。

 こういう状況では、先にコブシを振りあげたほうが、負け。仮に、相手がコブシを振りあげて
も、日本は、ニッコリと笑って、「日中友好」「日韓友好」の旗をあげればよい。決して感情的に
なってはいけない。

 ただ、日本は、アメリカに追従しながらも、そのアメリカと中国を、決してこれ以上、離反させ
てはならない。韓国やK国ではない。中国だ。ここで今、中国がアメリカから離反し始めると、
かつての冷戦状態が、今度は、アメリカと中国の間で、再現されることになる。

 もしそうなれば、そのときこそ、日本は、歴史上、もっとも、危機的な状況を迎えることにな
る。何としても、それだけは避けねばならない。


●子どもを信じる

 子どもを信じるというのは、口で言うほど、簡単なことではない。「信」とは、「一念の疑問もも
たないこと」を意味する。

 それを法然(浄土宗の開祖)は、「疑いがあるから、『信』という。疑いを取りのぞくことを、信と
は言わない」と説いている。

 で、よく若い恋人どうしが、こんな会話をする。「私を信じてね」「私はあなたを信じているから」
と。

 そういう言葉が出てくるということ自体、その相手を信じていないことを意味する。本当に信じ
ていたら、そういう言葉そのものが、出てこない。

 同じように、子どもに対してもそうだ。子どもを信じていたら、子どもに向かって、「信じている」
という言葉など、使わないこと。こんな例がある。

 ある母親は、就職して、遠地に住むようになった息子にこう言った。

「あなたを産んで、ここまで育てたのは、私よ、その恩を忘れないでね。お母さんは、あなたを
信じているから」と。

 この母親は、「信じている」という言葉を使いながら、自分の息子をまったく信じていない。

 しかしそう思うのは、その母親の勝手だとしても、そういう母親をもった息子は、不幸である。
乳幼児期のときから、そうした不信関係の中で、育てられたということになる。そのため子ども
自身も、心を開くことのできない人間になっている可能性が、きわめて高い。

 夫婦についても、同じ。

 いくら熱烈な恋愛の結果、結婚しても、結婚生活は、その恋愛感情だけで、乗り切れるもの
ではない。幾多の山を越え、谷を越える。その間に、ときには、その恋愛で燃えさかった炎も、
消えそうになる。

 そのとき夫婦の関係をかろうじて支えるのは、たがいの信頼関係である。「疑いすらもたない
という信頼関係」である。それがあれば、夫婦は夫婦でいられる。しかしそれが崩壊したら、も
う夫婦は、夫婦でいられなくなる。

 その信頼関係は、たがいの努力でつくるもの。しかしそれは、日常の、ほんのささいなことか
ら始まる。ほんのささいなこと、だ。

 たとえば道路を車で走っているとき、もしあなたの夫が、信号を無視するような行動をとろうと
したら、あなたは、すかさず、夫にこう言う。「信号を守りましょう」と。

 あるいは夫が、駐車場でないところに、車を駐車させようとしたら、こう言う。「どこかがあくま
で、ちゃんと待っていましょう」と。

 こういう何気ない一言が、あなたと夫(妻)との間の信頼関係を太くする。まさに一事が万事。

 そのときあなたが、ニヤニヤ笑いながら、「まだ(信号が)赤になったばかりよ。突っ切ったら」
とか、「ほら、そこがあいているから、車を止めたら」と言っていたとしたら、やがてあなたの夫
(妻)は、あなたを信頼しなくなるだろう。

 信ずるということは、むずかしい。しかしその「信ずる」という行為は、ごく日常的なところから
始まる。そしてそれが積み重なって、たがいの信頼関係をつくる。

 その信頼関係が、やがて、親子関係にせよ、夫婦関係にせよ、その関係をつくる基盤にな
る。
(はやし浩司 親子の信頼関係 夫婦の信頼関係 信頼関係 信ずるということ)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

 
最前線の子育て論byはやし浩司(628)

【私さがしの旅】

●町の中で育つ

 人は、幸福なときよりも、不幸なときのほうを、脳によく刻むものか。私の幼児期を思い浮か
べると、楽しかった思い出よりも先に、悲しかった思い出のほうが、先に、脳裏をかすめる。

 しかしそういう思い出は、一部のはず。私は私なりに、結構楽しかったはず。

 今でいう、放任状態ではなかったか。上に2人の兄と、1人の姉がいた。末っ子の私は、それ
をよいことに、よく遊んだ。したい放題のことをした。わんぱくで、活動的で、自由気ままだっ
た。

 記憶の中のどこをさがしても、家の中で静かに遊んでいる自分が、いない。そこにいる自分
は、毎日、真っ暗になるまで近くの寺の境内で遊んでいる自分。が、それでも家に戻ったわけ
ではない。真っ暗になると、今度は、街の明かりを頼りに、道路で遊んだ。親たちが、呼びにく
るまで、そこで遊んだ。

 今とちがって、子どもの多い時代だった。私の近所だけでも、10〜15人はいたのではなか
ったか。もっと多かったかもしれない。

 私の家は、町の中でも、中心の、その角地にあった。隣がパチンコ屋で、その向こうに、雑貨
屋や菓子屋が並んでいた。道の反対側には、薬屋と時計屋があった。もうひとつの反対側に
は、髪結(かみゆい)いといって、和風の髪を結う店があった。梅田さんという人が、そこに住ん
でいた。

 今から思うと、貧しい時代だったが、それでも、比較的、裕福なほうだったかもしれない。私の
ように、毎日、現金の小遣いをもらえる子どもは、そうはいなかった。

 もっとも小遣いといっても、10円とか20円。10円で、お好み焼きが一枚、買える時代だっ
た。私が、5、6歳のときのことだった。よく覚えているのは、50銭玉というのが、まだ通用する
時代だったということ。画用紙が一枚、その50銭だった。

 私は50銭玉をもらうと、近くのサクラ堂という文房具屋で画用紙を一枚買った。その画用紙
に絵を描いて遊んだ。

 私が得意だったのは、戦艦や飛行機など、戦争の絵だった。で、その遊びがひと通り終わる
と、今度は、その画用紙を切って、つないで、いろいろなものを作った。

 私は、私なりに、結構、楽しい少年時代を、送ったはず。しかし、記憶の中では、そういったも
のが、どうしても光らない。光って、私の少年時代を明るくしない。私は、いつも、ひとりぼっち
だった。

●夫婦げんか

 記憶の中に最初に、それが出てくるのは、私が5歳のときのことではなかったか。私の父は、
酒グセが悪く、数日おきには、酒を飲んで暴れた。ふだんは、学者肌の静かな父だったが、酒
を飲むと、人が変わった。

 その夜も、父は酒を飲んで暴れた。もともと小さな家だったし、二面を通りに向けていた。父と
母が怒鳴りあう声は、近所中に、聞こえた。

 私は、仲間数人を連れて、道路の外から、父と母がけんかをしているのを聞いていた。が、
恐ろしかったという思いは、あまり残っていない。今から思うと、すでにそのころから、父と母の
けんかは、日常的になっていたからではなかったか。

 が、そのけんかが、けんかを超えて、私に恐怖心をもたせるようなできごとが、あった。それ
については、別の機会に書くとして、私の記憶は、そのあたりから始まる。

●円通寺

 近所には、円通寺という、尼さんが住んでいる寺があった。その円通寺が、私たちの遊び場
だった。

 門をくぐると、そのまま境内になっていて、その境内を通りぬけると、なだらかな丘につながっ
ていた。そこには、無数の墓石が並んでいた。また寺の裏手には、池があった。私たちは、そ
の寺を、自分の家の庭のようにして遊んだ。

 「安寿さん」と呼んでいた、その尼さんは、とてもやさしい人だった。境内を入って右手にある
庫裏(くり)以外は、どこでどう遊んでも、文句一つ、言わなかった。年齢は50歳くらいだった
か。記憶の中では、それくらいの年齢に見える。

 いつだったか、子どもながらに、髪の毛のない女性は、年齢がわからないと思ったことがあ
る。

 ただ、その庫裏には、私たちを、一歩も、入れなかった。そこは安寿さんにとっては、ゆいい
つの聖域だったかもしれない。1、2度、入ったことがあるが、そのたびに、はげしく追いかえさ
れたのを覚えている。

 あの独特の墓石のにおい。燃えた線香が腐ったにおい。枯れた花や草のにおいなどなど。
墓地へ入ると、ときには、生臭いにおいが鼻をついた。とくに臭かったのは、本堂の南隣にあ
る、御堂の縁の下の中だった。

 私たちにとっては、そこはかっこうの隠れ家でもあり、遊び場だったが、いつも陰湿な霊気の
ようなものが漂っていた。ああいうのを、死んだ人の魂のにおいというのか。しばらくいると、吐
き気をもよおすようなにおいだった。

 私は、いつも、最後の最後まで、その境内で遊んだ。仲間が、1人、2人と家に帰っていく姿
が、今でも、脳裏に焼きついている。私は自分の家に帰るのがいやだったし、家に帰っても、
自分の居場所がなかった。

●私の家 

 私の家は、大きく、二棟を無理にくっつけたような形をしていた。店のあるほうは、あとから建
て増しをしたほう。裏のほうは、もともとは、倉だったという。天井は低く、窓はなかった。

 店から奥の台所までは、1本の通路でつながれていて、その途中に、みなが、食事をする居
間があった。居間といっても、4〜5畳もないような板間で、ゴロリと横になることもできないほ
ど、狭かった。そこに大きなタンスが一つ、置いてあった。

 部屋は、ほかにもいくつかあったが、どれも、子ども向きではなかった。窓という窓がなく、通
気も悪かった。町中の商家はみなそうだったが、部屋が、つぎの部屋への通り道にもなってい
た。プライバシーという考え方そのものが、まだなかった。

 そんなわけで、あっという間に過ぎた私の幼児期のはずだが、どういうわけか、思い出だけ
は、ぎっしりと詰まっている。ときどき「あの時代は、濃縮ジュースみたいだった」と思うことがあ
る。その思いはさほど、まちがっていない。

●自尊心の強かった母

 そういう私の家であったこともあって、私はどうしても、自分の家になじめなかった。父も父な
ら、母も母だった。

 異常なほどまでに自尊心の強い女性で、自転車屋のおかみさんでありながら、その自転車
屋のおかみさんという雰囲気は、まるでなかった。その上、自転車屋という職業を、心底、嫌っ
ていた。郷里の言葉で表現するなら、「どきたねえ仕事」ということになっていた。

 母は、自分の手のみならず、自分の居場所が、油で汚れることを、何よりも嫌った。しかし自
転車と油は、さしみと醤油のようなもの。切って、切れるような関係ではない。私の手が少しで
も、油で汚れたりすると、母は、何度も何度も、私の手を、石鹸をつけて洗った。

 が、ゆいいつ、私には、救いがあった。私はいつしか、母の在所のある、板取村(いたどりむ
ら)へ行くのが、何よりも楽しみになった。春休み、夏休み、そして冬休みと、長い休みになるた
びに、その板取村へ行った。

 そこは私にとっては、まさに天国だった。私は、そこで、すべてから解放された。

●板取村

 母の在所のある板取村へ行くときには、バスに乗った。駅前のバス停からバスに乗る。そこ
から一度、町の中を走り、やがて町の北に出る。そこからは長良川沿いに、山の奥へと向う。

 途中すぐ、長良川は、長良川の本流と、板取川に分かれる。板取村は、その板取川にそっ
て、さらに山奥にある。

 途中、洞戸(ほらど)というところで、一度バスを乗り換える。今でこそ、30〜40分で行ける
距離だが、当時は、板取村までは、1時間40〜50分はかかった。バスの乗り継ぎが悪いとき
には、2時間ほど、かかった。道は悪かったし、バスも、私が幼児のころは、バスのうしろで木
炭を燃やして走る木炭バスであった。

 母の実家は、かやぶきの家だった。入り口の玄関を入ると、その右側に、馬やがあり、そこ
には、いつも馬が、1、2頭いた。私自身は、馬は、あまり好きではなかった。大きくて、そのた
め、こわかった。

 が、夏の思い出となると、まるで強烈なスポットライトが当てられたかのように、そこで光り出
す。川で泳ぐ、魚をとる。山を歩く。たき火をする。スイカやとうもろこしを食べる。みんなで床に
つく。幽霊やおばけの話を聞く。

 すべてが夢の中のできごとのように、よみがえってくる。

 何しろ母方のいとこだけで、60数人もいた。父方のいとこも加えると、80数人を超えた。大
家族主義というか、家族どうしのつながりが、とくに強い地方でもある。何かにつけて親戚中が
集まった。

 その母の実家にも、夏になると、多いときは、20人前後のいとこたちが集まった。そのいとこ
たちが、年齢ごとに仲間をつくり、いっしょに遊んだ。私は昭和22年生まれ。同年齢のいとこだ
けでも、4人もいた。その前後のいとこを加えると、10人前後もいた。

 とくに仲がよかったのは、佳則君だった。彼については、いつか機会があったら、ゆっくりと書
いてみたい。

 その板取でも、私は、毎日、思う存分、遊んだ。遊んで、遊んで、遊びまくった。ただ、その板
取の母の実家では、私は、ほとんどけんかをしなかった。町の中では、毎日、だれかとけんか
ばかりしていた。けんかをしない日は、山をはさんで、となりの町内の子どもたちと、戦争ごっこ
ばかりしていた。

●家族関係

 私には、先に書いたように、2人の兄と、1人の姉がいた。しかし一番上の兄は、私が、3、4
歳のときに、死んでいる。死因は、いまだに、よくわからない。脳性マヒだったと母は言うが、日
本脳炎だったかもしれない。

 父が炎天下の夏の日、自転車に乗せて、その板取村まで行ったのが原因だったと言う人も
いる。兄は、もともと小児麻痺をわずらい、半身が不随だった。

 それにもう1人の兄。その兄とは、9歳、歳が離れている。そして姉。その姉とも、5歳、歳が
離れている。

 で、父は、数日おきに酒を飲んで暴れたが、母は、どういうわけか、離婚というものを考えな
かった。当時は、そういう時代だったかもしれない。最近になって姉に、「どうして離婚しなかっ
たのかね?」と聞いたことがある。それに答えて、姉は、「離婚なんて考える時代ではなかっ
た」と答えた。

 父と母の結婚は、親どうしが決めた結婚だったという。一度見合いをして、二度目には、もう
結婚式をあげていたという。当時は、そういう結婚形式は、珍しくなかったという。

 で、私は、父の酒グセの悪さが嫌いだった。その父を殺したいと憎んだこともある。しかしか
ろうじて、家が、「家」としてあったのは、祖父母が同居していたからである。私は子どものこ
ろ、よく祖父母の間で、川の字になって寝た。とくに、祖父は、私を、自分の子どものように、か
わいがってくれた。

 もし、これは幼児教育の常識だが、祖父母が同居していなかったら、私は、絶対に今の私で
はなかったと思う。恐ろしい犯罪者になっていたか、さもなければ、精神を病んでいただろうと
思う。事実、私の兄は、ボケも始まっているが、一方で、その精神を病んでいる。

●祖父母のこと

 父と母のことを悪く書くのは、構わないと思う。しかし祖父母となると、そうはいかない。その
祖父母を、神様のように思っている親類も少なくない。

 だからここでは詳しく書けないが、もともとは、今で言う、(できちゃった婚)で、祖父母は、いっ
しょになったらしい。

 祖父には、別に、恋人がいたという。この話は、直接、祖父から、聞いている。が、どこかで
遊んでいるうちに、祖母が、私の父を妊娠してしまった。それで祖父は、その責任をとる形で、
祖母と結婚式をあげた。

 そんな結婚だから、最初からうまくいくはずがない。ずっとあとになって叔父が、笑いながら、
こう話してくれたのを覚えている。叔父というのは、父の実弟である。

 「よく、オレは兄貴と、Y旅館の家へ石を投げに行ったことがあるよ」と。

 祖父は、結婚して父と叔父ができてからも、その元恋人の家に、入りびたりになっていたとい
う。そこでそれを怒った祖母が、父と叔父に、その家に石を投げてくるように言いつけたという。

 何ともお粗末で、それでいて、どこか、牧歌的なぬくもりがする話でもある。明治から大正に
かけての時代は、そういう時代だったらしい。社会のしくみそのものが、まだ完成していなかっ
た。

 ともかくも、それで父は父なりに、暖かい家庭とは無縁の世界で過ごしたらしい。そのせい
か、父は、子育てには、まったくといってよいほど、関与しなかった。おかしな話だが、私は、そ
の父に抱かれたという思い出がどこにもない。

 結核をわずらったこともある。当時はたいへんな重病で、結核というだけで、みなが、震えあ
がった。戦後、GHQが、ペニシリンという強力な薬をもちこんでくれたので、父の命は助かっ
た。

 「私」という人間は、こういう世界で、生まれ育った。

++++++++++++++++++++++++++

●「私」さがし

 「当時は、そういう時代だった」という言い方で、私は私なりに、自分を納得させている。戦後
のまさに、混乱期。日本中が、焼け野原になった時代である。

 負けるはずのない、「神国日本」が負けた。天皇は、現人神(あらひとがみ)と祭られていた。
その日本が負けた。

 私の父は、熱烈な天皇の信奉者だった。当時の日本人は、みなそうだった。めったに私には
怒らなかった父だが、そんな父でも、私が「天皇」と呼び捨てにしただけで、激怒したことがあ
る。「陛下と言え!」と。

 そして一度は、小学校へ、怒鳴りこんでいったこともある。「貴様ら、息子に、何を教えている
かア!」と。

 天皇は、父にとっては、まさに神だった。その神が負けた。それから受けたショックは、父にと
っては、相当なものだったらしい。傷痍(しょうい)軍人として帰国してからしばらくのち、酒に溺
れるようになったのも、そのためだったかもしれない。父は、精神のよりどころを、見失ってい
た。

 一方、私は、おかしな少年期を過ごしている。

 戦争に負けたはずなのに、遊びはいつも、戦争ごっこ。敵はアメリカ。そのアメリカを相手に、
戦争ごっこばかりをしていた。

 そして私は子どものころ、ゼロ戦のパイロットになりたかった。くる日も、くる日も、考えるのは
空を飛ぶことばかり。一度は、大きな羽(はね)をつくり、1階の屋根の上から、飛び降りようと
したこともある。

 子どもながらに、パイロットになって、敵艦に体当たりして死ぬことは、名誉なことだと考えて
いた。だれに教えられたわけではなかったが、その当時のまわりの雰囲気の中で、私は、そう
いう意識をもつようになった。そう、あの軍艦マーチを聞いただけで、胸がワクワクするほど、
興奮したのを、今でもよく覚えている。

●心のキズ

 だれしも、一つや二つ、心にキズをもっている。キズのない人はいない。……とまあ、そう考え
て自分をなぐさめることがあるが、私も、そのキズをもっている。

 最大のキズは、やはり父の酒グセの悪さが原因だったと思う。あの恐怖体験が、私の心に大
きなキズを作った。今でも、あの夜のことは忘れない。その夜、私と姉は、物干し台のスミに隠
れて、抱きあって泣いた。

 「姉ちゃん、怖いよう」「姉ちゃん、怖いよう」と。

 それについては、今までにもときどき書いてきたので、ここでは省略する。しかし私の中にあ
る、多重人格性は、そのとき生まれたのではないかと思う。

 たしかに私の中には、2人の人間がいる。ひとりは、さみしがり屋で、ひょうきんな私。もう1人
は、強くて、孤独にも平気な私。どちらの私になっても、もう一方の私がそこにいることがわか
るので、厳密な意味での、人格障害というわけではない。それに、強くて、孤独に平気な私にな
ったりすると、もう1人の私が、よくその私にブレーキをかけるために、そこに現れる。

 「浩司、よせよせ。今のお前は、本当のお前ではないぞ」と。

 ワイフとけんかするたびに、「離婚してやる!」と叫ぶのは、その孤独に強いほうの私。しかし
長つづきはしない。しばらくすると、もう1人の私にかえって、「さっきは、ごめん」となる。

 若いときは、この繰りかえしだったように思う。そのため、ワイフには、余計な迷惑をよくかけ
た。

 が、それだけではない。

 今でも、夜がこわい。夜なると、どこからともなく、恐怖感がわいてくる。それに酒臭い人間
が、嫌い。酒のにおいをかいだだけで、言いようのない不安感に襲われる。……などなど。

 こうした一連の私の心理作用の原因は、つきつめれば、あの父の酒グゼの悪さにいきつく。
私は、とくに父親との関係において、暖かい家庭を知らないまま、おとなになった。

●戦い

 こうした心のキズは消えるものなのか? 結論を先に言えば、「消えない」。いろいろ試してみ
たが、私のばあいは、結局は、消えなかった。

 そのかわり、そのうち、仲よくつきあうことを覚えた。「私はこういう人間だ」と思うことで、自分
自身を納得させた。これは体の障害のようなもの。

 恐らく健康な心をもっている人には、想像もつかないだろう。しかし自分で、自分の心のキズ
に気がつくことによって、健康な心のありがたさがわかる。それだけではない。私などは、まさ
に精神病のデパートのようなもの。ほとんどありとあらゆる精神病を、まんべんなく、広く、浅く
もっている。

 そのため、どんな心の病気の話になっても、私には、理解できる。健康な心をもっている人
は、よく、こう言う。「気なんて、もちよう」「気のせいだ」と。ワイフも、その1人。今でも、私が何
かの悩みを訴えたりすると、そう言う。「あなた、気のせいよ」と。

 しかし私は、そういう言葉を、口にしたことがない。たとえば私は、ふとしたきっかけで、よく恐
怖症になる。高所恐怖症、閉所恐怖症など。最近では、スピード恐怖症になったことがある。

 表面的には、平静さを装ってはいるが、あとで気がつくと、手のひらが汗でびっしょりになって
いたということは、よくある。そういう自分をよく知っているから、反対に、恐怖症の子どもに出
会ったりすると、その子どもの心理がよく理解できる。

 数年前も、トンネル恐怖症の子どもに出会ったことがある。学校へ行く途中にトンネルがあ
る。そのトンネルがこわくて、学校へ行くのをいやがるという。小学1年生の子どもだった。

 私が、「じゃあ、別の道を行きなさいよ」と母親に言うと、母親は、「そんなのは気のせいでし
ょ」と反発した。しかしそんな簡単なものではない。その子どもは、本当に、トンネルをこわがっ
ているのだ。

 そこで私は私の体験談を話してやった。つまりそういうふうにして、私の体験が、役に立って
いる。悪いばかりではない。

 話がそれたが、「私」を知ることは、本当にむずかしい。しかし方法がないわけではない。ここ
に書いたことが、読者のみなさんの参考になれば、こんなうれしいことはない。あなたにも、心
のキズの一つや二つは、あるはず。

 そのキズについて、もしあなたがそれに気がついたら、あなたも、今、ここで私がしているよう
に、勇気を出して、他人に話してみるとよい。いわゆる自己開示という手法である。それによっ
て、すぐというわけではないが、あなたも、その心のキズから、解放される。

 では、このつづきは、またの機会に……。長文のエッセーになってしまいましたが、最後まで
読んでくださり、ありがとうございました!

+++++著作権BYはやし浩司++++++copy right by Hiroshi Hayashi+++++

●業(ごう)

 仏教の世界には、「業(ごう)」という言葉がある。「悪業」「善業」というような使い方をする。

 この「業」について、私のような凡人が、軽々しく論ずることは、許されない。この一語につい
てだけでも、仏教学者たちは本を書くほどである。

 業……「広辞苑」には、こうある。「行為。行動。心や言語の働きを含める。善悪の業は、因
果の道理によって、のちに必ずその結果を産むというのが、仏教および、多くのインドの宗教
の説」と。

 ついでに、「日本語大辞典」のほうでは、こうなっている。「仏教で、身・口・意(しん・く・い)(身
体・言葉・心)によって成す善悪の行為。カルマ。のちの世にある結果をもたらす前世の行為」
と。

 それを「業」と言ってよいのかどうかは知らないが、最近になって、私は、その「業」らしきもの
を、よく感ずる。

 まず生命そのものが、大きな流れの中で、つながっている。それは大海原(うなばら)のうね
りのようなもの。もしその中に「私」がいるとするなら、そのうねりの中でざわめく、小波(さざな
み)程度のもの。

 いくら「私は私だ」と叫んでも、髪の毛1本、私が設計したわけではない。その大海原は、数十
万年という、気が遠くなるほどの昔からつづいているし、私が死んだあとも、何ごともなかった
かのように、さらに永遠につづいていく。

 が、その中で、私は懸命に生きている。その懸命に生きるという行為そのものが、私の前の
時代に生きた人から、そしてつぎの時代に生きる人に対して、何かの橋渡しをすることにすぎ
ない。私は、それが「業」ではないかと思う。

 仏教学者の人が、この解釈を読んだら、吹きだして笑うかもしれない。

 しかし私は残念ながら、「生命」の永遠性は認めても、「個」の永遠性は認めない。私個人に
ついて言えば、私に、前世などあるはずもないし、来世などあるはずもない。「私」が死ねば、
私もろとも、この大宇宙すら、消えてなくなる。

 しかしここで私が、何かの「善」をなしておけば、その善は、つぎの世代に伝えることができ
る。もちろん「悪」をなせば、その悪も、何らかの形で、つぎの世代に残ることになる。

 親子関係というせまい範囲の話ではない。人間全体という、もっと広い世界の話である。

 つまり「私」自身が、前の世代の人たちのなした、「悪業」や「善業」を、そのままひきついでい
ることになる。私の中には、私であって私である部分と、私であって私でない部分が、広く混在
している。

 その(私であって私でない部分)こそが、まさに、「業」のなさせるわざということになる。たとえ
て言うなら、今、韓国や中国では、反日運動が燃えさかっている。彼らが反日的であるというの
は、よくわかる。

 しかし戦後の生まれの私が、どうしてそういう反日運動を見ながら、不愉快な思いをしなけれ
ばならないのか。本来なら「私は関係ない」と逃げることだって、できるはず。が、彼らは、戦前
の植民地時代をむしかえしながら、日本を非難する。攻撃する。

 それも考えてみれば、先に述べた、「大海原のうねり」のようなものかもしれない。私を超えた
ところで、人間社会全体が、その「うねり」の中にある。

 そこで仏教ではさらに、「因果を断つ」という言葉を使う。

 そのうねりの中に、つぎの世代に伝えてはならないものを感じたら、その段階で、その流れ
を、断っておく。反日感情についていうなら、もう私たちの時代でたくさん。うんざり。だから、
今、それを解決しておく。

 先のアジアカップ杯のときもそうだ(04年)。決勝戦は、中国の北京で行われた。中国人側サ
ポーターたちは、「(日本人を)殺せ!」「殺せ!」と叫んでいた。

 しかしそのサッカーをしている選手たちは、私よりさらに戦争とは無縁の、私たちのつぎの世
代の人たちである。私は、その光景を見ながら、何とも、申し訳ない気持ちにすらなった。

 そう言えば、話は少しそれるが、私の恩師にTK氏という人がいる。もうすぐ90歳になる人だ
が、ごく最近まで、内科医をしていた。そのTK氏に、私が、こんな話をしたことがある。

 「香港や台湾へ行っても、日本人だとわかると、高額な値段を吹っかけてきます。それで私は
英語だけをしゃべり、ハワイ人だと言います。すると、値段が、すべて半額程度になります」と。

 その話を聞いて、TK氏は、こう言った。「みんな、私たちが悪いのです。そういう話を聞くと、
戦争を遂行した私たちとしては、申し訳ない気持ちになります」と。

 そういう人もいる。が、その一方で、「Y神社を参拝しないような政治家は、政治家としての資
格はない」などと、どこまでも時代錯誤的な、はっきり言えば、ノーブレインな政治家もいること
も、これまた事実。仏教的な「業」の知識が少しでもあれば、絶対に出てこない言葉である。

 で、話をもどす。

 この「業」だが、大切なことは、善業を重ねるということ。しかも「私」という世界を超えて、それ
をするということ。

 人が見ているとか、見ていないとか、そういうことは、関係ない。人に認められるとか、認めら
れないとか、そういうこととも関係ない。善業を重ねたところで、社会的に成功者になるとはか
ぎらない。「業」というのは、そういう意味で、「私」をはるかに超えている。もっと言えば、人間全
体の問題ということになる。

 何ともむずかしい話になってしまった。が、簡単に言えば、私たちは懸命に生きながらも、そ
の生きるという行為を、私だけのもので終わらせてはいけないということ。心のどこかで、人間
全体のことも考えながら、生きなければならないということ。

 それが「業」ということになる。
(はやし浩司 業 善業 悪業 カルマ 因果応報)

【付記】

 善人が必ずしも、成功するわけではない。同じように、成功している人の中には、結構、悪人
も多い。むしろ現実の世界では、反対のケースが、多い。

 まじめに、コツコツと生きている人が損をし、貧しい生活をしている。その一方で、悪いことを
し放題している人が、豪勢で、よい生活をしている。「いつか、いいこともあるだろう……」と信じ
て生きる人ほど、その結果が現れてこない。「いつか、バチが当たるぞ……」と思う人ほど、ス
イスイと、楽な生活をしている。

 こういう現象だけをとらえて、「業」を考えてはいけない。

 「業」というのは、個人を超えた、はるかに大きな生命の(うねり)のようなものをいう。個人と
いうのは、そのうねりの上ではじける、波のアワのようなもの。小さなアワだけを見て、うねりの
価値を決めてはいけない。

 中には、「私」という個人を超えて、大きなうねりのために生きている人だって、いる。貧しい
生活をし、有名でもなく、損ばかりしていても、人類全体、生命全体のことを考えて、生きている
人もいる。

 それを善業と呼び。そういう人こそ、善人と呼ぶにふさわしい。

 善業、悪業を考えるときは、そんなことも、頭のすみに置いておくとよいのでは……。


++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【近況・あれこれ】

●ゲーム

 新しいパソコンは、たしかに、スゴイ! M社のデスクトップ。PEN4の640。メモリーは、10
24MB、ハードディスクは、160GBx2=320GB、などなど。高性能のグラフィックボードも搭
載。

 そこで以前は、あきらめていた、ゲームのいくつかを、そのハソコンで走らせてみる。フライト
シムュレーターや、電車運転ゲームなど。ついでに、囲碁ゲームや将棋ゲームなども。

 そういったゲームが、ワクワクするほど、スイスイとできる!

 しかし値段は、17インチ、液晶モニターがついて、16万5000円ほど。……となると、パソコ
ンショップで売っているパソコンは、いったい、何かということになってしまう。

 ムダな機能と、ムダなソフトをつけて、やたらと外装だけ、豪華にしているだけ(?)。昨日も
チラシを見ながら、「これでは、ダメだ」と思ってしまった。

 あえて言うなら、贈答用の海苔(のり)のよう。小さな海苔を、乾燥剤とともに、5〜6枚ずつ、
包装紙に入れる。つぎにそれを、20〜30束にして、化粧缶に入れる。

 さらに今度は、その化粧缶を二つ、大きな箱に入れて、これまた美しい包装紙で、包装する。
日本のメーカーがつくるパソコンは、それに近い。少なくとも、性能と値段を見比べると、そんな
感じがする。

 「これではダメだ」と思ったのは、「これでは、この先、外国のメーカーに負けてしまう」というこ
と。ことパソコンについて言えば、OSやCPUはもちろんのこと、グラフィックボード一つにして
も、日本で開発されたものは、一つもない。

 日本のパソコンメーカーは、そういった部品を外国から買い集めて、ちょうど、海苔を中国や
韓国から買うようにして買い、あとはそれを飾りに飾って、店に並べているだけ。

 これでは、先が見えている。

 事実、パソコン販売を主体としているメーカー(大企業)は、どこも、株価を軒並みさげてい
る。

 ところで私が買ったパソコンは、純粋に、日本製。(部品は、ほとんど外国製だが……。)HP
には、こうある。そのままコピーして、紹介させてもらう。

+++++++++++++++++

★国内生産にこだわり、信頼性の高い製品作りを実現

多くのパソコンメーカーが生産拠点を海外に移す中、Mコンピュータでは信頼性の高い製品作
りのため敢えて国内生産にこだわります。

大手家電メーカーの工場に生産を依頼し、厳しい品質基準とプロセス管理により安定性と信頼
性の高い製品を工場直送の新鮮な価格で、お届けいたします。

++++++++++++++++++

 ついでにM社の「企業情報」(会社四季報)を見ると、こうある。「従業員数57人。平均年齢 
29・9歳。平均年俸450万円」と。

 たったの57人だぞ! こういう会社が、居並ぶ大会社を相手に、善戦している。

 ついでに一言。私はこの会社の株を買って、XX万円儲けた。その儲けた株で、そのパソコン
を買った。(がんばれ、M社! M社のみなさん!)


●運動不足

 それなりに心がけてはいるが、春休みに入ったとたん、運動不足。体重も、1キロ〜1・5キロ
もふえてしまった。

 毎日、運動をしていれば、健康を維持することはできる。それはそのとおりだが、そういう体
だからこそ、今度は、運動量を少なくしたとたん、その影響が、モロに出てくる。

 友人や知人に、片っ端から電話を入れて、それとなく聞く。すると、結構、それぞれ、みな、気
をつかっているようだ。

 万歩計をつけているという男もいた。毎週ゴルフコースを回っているという、リッチな男もい
た。公営のスポーツジムに通っているという男もいた。

 私も、できるだけ歩くようにしているが、やはり、メインは、自転車だ。その自転車に、この3、
4日、乗っていない! そのせいかどうか知らないが、頭の働きが鈍くなってきたように感ず
る。

 書斎のパソコンの前にすわっても、すぐ眠くなってしまう。そして本当に眠ってしまう。あれこ
れテーマを考えるが、どれも、以前、考えたようなテーマばかり。同じことを、二度考えるのは、
私のやり方ではない。

 そのつど、どんな小さな結論でもよいから、それを出しながら、先に進む。それが私のやり
方。「あのとき、ああ書いたのは、まちがっていました」などと書くのは、自分に対する敗北のよ
うなもの。

 が、頭の働きが鈍くなると、思考がループ状態に入る。同じことばかり考えるようになる。ああ
あ。どうしたらよいのだ。

 これからワイフと、山歩きにでかける。ワイフは、万歩計をつけていくと言っているので、私も
いっしょに、歩くつもり。本当は、自転車のほうが、よいのだが……。


●イギリスのHollyさんへ

 ときどき交信していたが、Hollyさん(楽天)という方から、「突然ですが、サイトを閉鎖します」
という連絡が、入った。その旨、私の掲示板に書き込みがあった。すぐ、Hollyさんのサイトを
訪れてみたが、すでに「閉鎖されました」とのこと。

 どうしたのだろう? 何があったのだろう?

 ときどき日記を読ませてもらっていたので、残念! こうしてまた、電子の向こうの世界へ、人
が1人消えていく……。何とも不思議な感覚だ。今までのHOLLYさんは、何だったのだろうとさ
え、思う。

 同じような経験は、旅先でもする。ときどき電車や旅館などでいっしょになった人と、話をす
る。しかしそれは、その場だけ。その人と別れるとき、「ああ、もうこの人とは、2度と会うことは
ないだろうな」と思う。

 しかしそれでも、その人と会ったという実感は残る。ひょっとしたら、また会えるかもしれないと
いう、淡い期待も残る。が、インターネットには、それがない。顔どころか、本当の名前すら知ら
ない。そのまま、煙どころか、煙も残さないまま、どこかへ消えてしまう。

 で、私も、ふと、「サイトを閉鎖しようか」と考える。ときどき、(いや、しょっちゅう)、「どうしてこ
んなサイトを開いているのだろう」と、自分でも、疑問に思うことがある。趣味というより、道楽に
近い。

 かりに閉鎖しても、何も残らない。本なら、まだ「本」として、形が残る。インターネットは、何も
残らない。

 何の利益があるのか。ないのか。あるとすれば、BW教室の宣伝? それならもっと、別の方
法を考えたほうがよい。労多くして、益少なし……かな?

 とにかく、マガジンは、1000号までつづける。それしかない。そのあとのことは、考えていな
い。今は、何かと苦しいときだが、がんばるしかない。

 Hollyさんへ、またどこかでサイトを開いたら、私のサイトへどうか、どうか、おいでください。
「書く」ということは、すばらしいことです。すでにあなたもお気づきかと思いますが……。もし、こ
のマガジンを読んでくださっているなら、どうか、どうか、またおいでください。

 さようなら! お元気で!


●電子の向こうの世界

 インターネットの世界は、本当に不思議な世界だ。そこに、人がいるようで、実はいない。しか
し私がこうしてものを書いている相手は、たしかに、人だ。そこに人がいる。

 どこのだれかということは、わからない。わかっている人もいるが、少ない。こうしてパソコン
の画面上に文字を打つ。そしてそれをマガジンにして、配信する。

 私は配信したつもりだが、画面からは文字は消える。電源を落せば、画面は真っ暗になる。
私の書いた文字は、そのあとどうなるのだろう。

 一度、電気の信号に変えられ、どこかのだれかのところに、それが届く。その相手は、その
信号を、再び、文字信号に変え、自分のパソコン上に、それを映す。そして読む。

 こうして私と、その相手の人とが、つながる。しかし……。本当につながっているのだろうか。

 ときどき、パソコンのモニターを見ながら、こう思う。「このモニターの向こうには、何百人とい
う人がいる」と。しかしその実感は、まったく、ない。不思議な世界だ。本当に、不思議な世界
だ。


●万歩計

 ワイフの万歩計がこわれた。しかたないので、買ったばかりの私の万歩計を、あげた。あげ
ながら、「お前は、マンx計なら、もっているだろ?」と言うと、「どうしてあなたは、そういう下品な
ことばかり言うの?」と。

 そう、たしかにこのところ、下品になった。自分でも、それがわかっている。

私「お前のマンx計は、いくつになっている? 5000回? 10000回?」
ワ「5000回もしていないわよ。1年にxx回として、10年で、xxx回でしょう……」
私「このところ(省略)だしね」
ワ「どうして、あなたは、そうまで下品なの?」と。

 ところで最近、ブラジャーの上に、乳首の模型をつけるのが、若い女性の間ではやっている
ことを知った。もちろんニセモノの乳首である。それを話題にしながら、「じゃあさあ、男も、ニセ
モノのチンxxか何かを、ズボンの下に入れたら、どうかね? 大きくて、太ったのがいい」と私。

ワ「そんなの必要なの?」
私「きっと、女性がそれを見て、ドキッとすると思うよ」
ワ「するけど、気味が悪いわ。女性は、そういうものを見て感ずるわけじゃないしね」
私「いや、今に、きっと、流行するよ」と。

 ますます話題が、下品になっていく。

 で、私のワイフだが。本当に、カタブツ。まじめ。頭が、カタイ。こういう冗談を、本気で、いや
がる。ときどき、男と女のちがいかと思うこともある。で、いつも、口ぐせは、同じ。

 「あなたは、ムードのない人ね。だからあなたは、女性にモテないのよ」と。

 いつだったか、ワイフは、私のことを、「MR・ビーンそっくり」と言った。しかしそう言われると、
そう思われたくないと思う。そこでそう思われたくないとがんばるわけだが、がんばればがんば
るほど、自分が、MR・ビーンのようになっていってしまう。それが自分でも、わかる。で、たま
に、ムードを出してものを言うと、「あなたらしくないから、やめてよ」と。

 だから下品な話をして、ワイフをからかうのが、楽しくてならない。私は、どうせ男に思われて
いないのだ。ハハハ。


●人間臭さ

 少し前、インターネットの人間関係について、書いた。「不思議な世界だ」と書いた。それにつ
いて、一言。

 文字だけの交信というのは、いわば、脳ミソから脳ミソへの、直接交信ということになる。

 たとえば相手が、異性であったとする。ふつうなら、つまり会って話をするなら、そこに「異性」
を感ずるはず。相手が女性なら、「女」を感ずるはず。

 もちろんそこは想像力が、カバーしてくれる。文章やその書き方を見ながら、そこに「異性」を
感ずることもある。HPだと、その人の雰囲気を、そこに感ずることもある。しかし、そこまで。

 つまりインターネットには、「人間臭さ」が、ない。

 息をはいたり吸ったりする音。目のまばたき。体や髪の毛のにおい。声の感じ。話しかけたと
きの反応など。そういうものが、当然のことながら、まったく、ない。

 そういう「人間臭さ」を、まったく感じない人と交信をして、脳ミソと脳ミソのつながりを、つくる。
が、それが、ある日突然、途絶える。昔の人は、『煙のように消える』と言ったが、その煙さえ、
残さない。

 私は、ここに、インターネットの不思議さを感ずる。

 ……と書いただけでは、何も、問題の解決にはならない。「では、どうすればよいのか」という
ことになる。

 「だからインターネットは、つまらない」と書くことなら、だれにだって、できる。しかしそれでは、
ものの考え方が前向きではない。

 やはり、いつかだれかが書いていたように、インターネットをしながらも、どこかで会合のよう
なものをもたなければならない。生の会話をしなければいけない。つまり、たがいに、たがいの
「人間臭さ」を感じなければならない。

 脳ミソと脳ミソの直接交信は、そのあとでよい。5月に入って、仕事が落ちついてきたら、そん
な会合を一度、考えてみたい。

 
●チャット

 チャットにしても、そうだ。最初のころは、チャットをしながら、その相手の人との会話を、それ
なりに楽しむことができた。しかしそのうち、だれがだれだか、わからなくなってしまった。

 文字だけの会話には、限界がある。

 しばらく、(うさぎさん)という人とチャットをしている。数日後には、今度は、(ヒマワリさん)とい
う人とチャットをする。3、4人なら、頭の中で区別ができるが、それが10人となると、もう、大混
乱。20人となると、ぜったいに、わからない。

 さらに(タンポポさん)(子猫さん)(ビーバーさん)とつづく。

 チャットについても、やはり、その前提として、別の形で、知りあいでなければならない。少なく
とも、顔くらいは、どこかで見ておかなければならない。知りあいなら、その人の顔を思い浮か
べながら、チャットができる。

 私は、このあたりに、インターネットの限界があるように感ずる。が、では、たがいに顔や声を
見たり、聞いたりしながら交信できれば、それでよいかというと、そうでもないような気がする。

 「だからどうなの?」という部分がないからだ。

 その点、出会い系サイトで、知りあった男女は、わかりやすい。目的は、ズバリ、交際。セック
ス。

 しかし私が開いているようなサイトでは、そういう(目的)もない。チャットをしても、たいてい
は、世間話だけで、終わってしまう。

 だから結局は、私のばあい、(今は)、チャットという機能は、家族どうし、親しい友人どうしの
連絡用としてしか、使っていない。もっと、ほかに、有効な利用方法が、あるのかもしれないが
……。


++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


最前線の子育て論byはやし浩司(629)

●介護保険制度の矛盾

+++++++++++++++++++++

兄のこともあり、少し、介護制度について、
自分で勉強してみました。

でも、調べていくと、おかしなことばかり……ホント!

介護制度というのは、医療保険制度の救済のためだったのでは?

既存の医療保険制度の中で、医療保険額をあげるわけにはいかなかった。
それで介護保険制度を別につくって、結果的に、医療保険額をあげた……?

さらにおかしなことは、重度の要介護者(たとえば寝たきり老人)などは、
かえって介護費が、大幅にふえてしまったということ。

そのかわり、さほど介護を必要としない人まで、介護申請を受けて、
介護施設を利用するようになりました。おかげで、介護保険制度は、
すでにパンク状態。

まだまだあります。

施設介護の費用が、在宅介護のそれよりも、4倍以上もかかっています。
どうしてこんなバカなことが起きているのでしょうか?

不勉強な点もあり、まちがっているところもあるかもしれませんが、
今回は、この問題について、考えてみます。

何といっても、私の年代の人間にとっては、深刻な問題ですから……。

++++++++++++++++++++++++++

 老人介護といっても、(1)在宅介護と、(2)施設介護の二つに、大きく分けられる。本来は、
在宅介護が原則であり、在宅介護がどうしても無理な人が、施設介護ということになる。

 が、介護保険制度ができてから、老人介護は、施設で……というのが、当たり前のようになっ
てしまった。その安易な考え方が、かえって、介護制度そのものに、暗い影を落としている。

 で、厚生労働省の集計によれば、00年4月以降、介護保険制度の利用者は急増していると
いう。たとえば03年度11月時には、要介護に認定された人は、全国で374万人にのぼるが、
そのうち約半数が、要支援者、要介護度1の比較的軽い要介護者だという。

 本来なら、「老人だからそんなものだ」と思われるような老人まで、介護保険制度を利用する
ようになってしまったというわけである。

 そのため04年度の予算案でも、給付総額は、5兆5000億円にもなった。(00年度は、3兆
9000億円、02年度は、5兆2000億円。)

 これに対して、現在、40歳以上の人は、約3300円(全国平均)程度の介護保険料を支払っ
ている。が、これでは、とても足りないと政府は判断したのだろう。すでに介護保険制度の見直
しに着手している(05年)。

 それによると、現在「40歳以上」となっている介護保険制度を、何と、「20歳以上」とする、本
人負担を増額する、などが、検討されているという。

 どうしてこんなに介護費用が、増大したのだろう? それほどまでに急速に、要介護者がふえ
たのだろうか?

 実は、ここにひとつのカラクリがある。

 冒頭にあげたように、介護には、在宅介護と施設介護がある。在宅介護のばあいは、1人当
たりのサービス利用額は、平均で、8万5000円程度。しかし施設介護のばあいは、ほぼ同じ
程度の介護で、35万2000円程度もかかっている(日経新聞)。

 「道理で……」と思う人も、少なくないはず。このところ、どこの介護施設も、立派な鉄筋ビル
にどんどんと建てかえられている。「ここまで豪華にする必要があるのか」と思われるほど立派
な施設も、少なくない。

 つまり在宅介護を主体にすれば、全体として、もっと安くすむはず。介護、介護と言いなが
ら、だれかが、どこかで、ムダなお金を使っている。そしてだれかが、どこかで、甘い汁を吸っ
ている。つまり介護に対する、基本的な考え方そのものが、ゆがめられている。

 が、さらに矛盾は、つづく。

 その一方で、本当に介護の必要な、つまり重度の要介護者(要介護5)のばあいは、介護限
度額が、上限が、35万8300円に設定されている。しかし実際には、月額60万円程度は必
要だという。だから今回の介護保険制度ができて、かえって、負担が増大したという家庭も、少
なくない。

 雑誌「現代」は、「それまで月額5万円程度ですんでいた介護料金が、今回の新制度になっ
て、サービス内容はほぼ同じなのに、65万7000円になった」と、ある女性の例を紹介してい
る。

 こうなると、何のための介護保険制度だったのだろうかということになる。私にはよくわからな
いが、基本的には、医療保険制度の軽減ではなかったのかと思う。つまり医療保険制度への
負担を少なくするため、別に介護保険制度をつくり、医療と介護を二つに分けた。

 「ふえつづける老人まで、めんどうはみられない。このままでは医療制度は、パンクしてしま
う。介護保険を別につくって、そちらでめんどうをみろ」と。

 実際、病気入院をしたから、介護保険が使えないとか、介護保険を使っているから、入院が
できないとか、わけのわからないことが、現場では起きている。

私の兄のばあいも、認知症だけをみれば、病気ということになるのだが、しかしそのため介護
が必要ということになれば、介護保険制度の世話にもならなければならない。が、担当の医師
は、「入院すれば、介護申請はできません」と言っているという。(このあたりは、姉から聞いた
話なので、不正確。念のため。)

 しかしこと老人介護ということになれば、どうやって、病気入院と要介護を区別するのか? と
くに、認知症といえば、当然介護が必要になる。要するに、「病院としては、頭のボケた老人
は、入院させません」ということらしい。しかし考えれば考えるほど、これはおかしなことである。

 だれの目にも、介護保険制度というより、介護制度は、必要である。06年には65歳以上の
人が、人口の20%を突破するという。2033年には、30%を突破するという(厚生労働省)。3
人に1人が老人という、とんでもない世界が、もうそこまできている。

(あなたの年齢に、28歳を加えてみればよい。それが2033年になったときの、あなたの年齢
ということになる。)

 そのとき、私やあなたは、どうやって、心配や不安のない、心豊かな老後を送ったら、よいの
か。これは切実な、というより、深刻な問題である。これからも、この問題を、追及していきた
い。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●塾カルト

++++++++++++++++++

H市内のKさんという人から、塾について
の相談がありました。それについて、返事を
書きました。

かなりはげしい意見ですが、率直に……。
事実は事実ですから。

++++++++++++++++++

 数日前、どこかのキリスト教会の牧師が、逮捕された。少女たちに性的暴行を加えていたと
いう容疑で、である。

 被害者は、中学生や小学生まで含めて、30人を超えそうだという。まあ、とんでもない牧師
がいたものだが、親たちの中には、見て見ぬフリをしていた人もいたそうである。つまり、そこ
に「信仰(カルト)」の恐ろしさがある。

 が、こうしたカルト性は、何も、宗教の世界だけの話ではない。実は、教育の世界にもある。
塾の世界にもある。

 塾の世界には、「定着率」という言葉がある。100人の生徒がいたとする。そのうちたとえば
1年間で、10人がやめたとする。すると定着率は、90%ということになる。50人がやめたとす
る。すると定着率は、50%ということになる。

 マンモス塾などでは、この定着率が、その教師を評価する一つの尺度になっている。

 そこで塾連盟などでは、塾長たちが会合を開くと、決まって、この定着率が話題になる。「どう
すれば定着率を、あげることができるか」と。

 つまり、ここからカルト性が生まれてくる。そしてその手法は、どこかのカルト教団がとる手法
と、たいへんよく似ている。

(1)まず、不安をあおる

 人間は、不安を感ずると、心にすき間ができる。そのすき間に心が入ると、合理的に、ものを
考えられなくなる。それこそ、キツネを神様だと思ったり、ヘビを神様だと思ったりするようにな
る。

(2)希望を与える

 不安と希望は、カルト教団では、いつもペアになっている。「これを信仰すれば、あなたは幸
福になれる」「天国へ入れる」と教える。そしてその一方で、「この信仰を捨てると、バチがあた
る」「地獄へ落ちる」と教える。

 塾、とくに受験塾では、この不安と希望を、たくみに使い分ける。受験そのもので、生徒や親
は、かなり不安になっている。だからあえて、不安にする必要なないのかもしれないが、それを
増長させる。

 私は一度、全国チェーンで経営している、N塾の説明会を見せてもらったことがあるが、そこ
では、最初、30分程度のビデオを、親たちに見せる。

 (受験勉強をする子ども)→(受験会場へ向う子ども)→(合格発表)→(合格して喜ぶ親子の
姿)→(不合格で、嘆き悲しむ親子の姿)、と。

 最後の(不合格で、嘆き悲しむ親子の姿)だけが、10〜15分ほど、つづく。全体で30分ほど
のビデオだから、約50%は、その場面ということになる。

 そのビデオを見終わった親たちは、パニック状態になる。そして30〜50万円もする、夏期特
訓セミナーに、我も我もと、入会してしまう。それは、まさに異様な雰囲気であった。

 (このビデオは、一般の進学塾にも販売されているので、この原稿を読んでいる人の中でも、
見たことがある人は多いと思う。あのN塾である!)

(3)依存性 

 受験塾の多くでは、いや、ほとんどでは、自前の教材を使う。教材費は、重要な収入源の一
つになっている。H市内のS塾では、何と、3年分(中学生)の教材費として、120万円も、払わ
せている! 月2回の個人レッスンと、ペアになっている。親が解約に行っても、簡単には応じ
ない。

 また県下に数100教室以上もある、大規模進学塾は別として、中規模塾では、表紙だけを、
とりかえて教材にすることが多い。そういう便利な教材会社がちゃんとあって、その塾のため
に、表紙だけを印刷して、製本してくれる。

 こうして独自の教材(?)を使うことで、(子ども)と(教科書=学校の勉強)を切り離すことがで
きる。重要なのは、「学校の勉強だけでは足りない」「学校の勉強は受験には役に多々ない」と
思わせること。つまりこうすることによって、親と子どもに、依存性をもたせることができる。「こ
の塾だけの、特別のレッスンですよ」と。

 受験塾がもっとも恐れるのは、子どもに自学自習の心が生まれること。「こんな塾で勉強する
くらいなら、自分で、教科書を見ながら勉強したほうがまし」と思うようになったら、塾の存在そ
のものが、あやうくなる。

 だから、何としても、依存性をもたせねばならない。教材は、そのために、重要な手段とな
る。「この教材をマスターすれば、合格する」「ほかのではダメだ」と。

 親も子どもも、一回の経験だけで、その期間を通り抜けるから、比較ができない。つまりはそ
ういった塾の言い分を、信じてしまう。

(4)競争社会

 受験勉強は、どこまでも利己的なもの。それはそれとして、はげしい受験競争を経験した子
どもほど、心がゆがむ。どうゆがむかについては、たびたび書いてきたので、ここでは省略す
る。

 が、こうした競争の原理を、受験塾は、たくみに利用する。塾長や教師自身が、無意識のば
あいも少なくない。「SS高校以外の生徒は、みんな、クズだ」と、教師自身が、信じこんでいる
こともある。

 成績順に生徒を並べてみたり、ハチマキをさせてみたり。犬の訓練校でもしないような、下劣
な訓練をしながら、それが教育だと思いこんでいる。そうでない良心的な進学塾もないわけで
はないが、こと「受験」がからんでくると、様相が一変する。

 もちろん月謝は、高い。

 受験塾へ子どもを入れた人なら、みな知っていると思うが、月謝だけではすまない。教材費
のほか、講習会費、模擬テスト代金などなど。毎月、銀行預金から、自動的に落とされていくシ
ステムになっている。名目は、「ガクヒ」。学校の学費なのか、塾の学費なのか、わからないよう
になっている。(ほとんどの進学塾が、そうしている!)

 しかもたいていは、3か月の先払い。中には6か月払いというのもある。途中で退会しても、
返金はない。退会届は、1か月以上前に出すのが、システムになっているところが多い。直前
になって退会届を出しても、翌月から3か月分以上、自動的に引き落される。

 さらにあくどい塾となると、補講レッスンや個人レッスンをすすめる。ハンパな額ではない。4
〜5人の少人数を歌い文句に、月2回程度で、5〜10万円の費用をとる。(H市内)には、2人
で1クラスだが、週2回のレッスンで、12万円もとっているところがある。

 地方都市のH市ですら、このありさまだから、大都会では、もっとはげしい(?)。

【BW教室】

 こういう世界にあって、1人の教師の誠意など、どれほどの意味があるというのか。値段が安
いから、かえってバカにされることもある。この世界では、月謝が高ければ高いほど、よい教育
という、おかしな偏見と誤解がある。

 あとは飾り。「東京の進学塾で使っている教材と同じです」と言うだけで、親たちは、みな、あ
りがたがる。

 で、こんなことがあった。「幼児教室で、うちは、月謝が、1万円です」と言ったときのこと。そ
の経営者は、「そんな安いのですか」と言って驚いた。「そうです」と私が言うと、「東京では、2
万円が相場です」と。

 驚いて、今度は私が、「へえ、そんな安いのですか」と聞くと、「1レッスンが、2万円」とのこ
と。「月謝になおすと、8万円です」と。月4回で、2万円x4で、8万円になる!

 私は月謝が2万円と思っていた!

 これは昨年(04年)、東京のY幼児教室の経営者と、実際に私がした会話である。

 以上、塾の世界の、ハラワタを書いてしまったが、すべて事実である。この世界、もともとそ
の底流では、ドス黒い欲望が、ウズを巻いている。ふつうの神経では、できない仕事である。

 もちろん、そうでない塾も多い。……多かった。しかし、今、そのほとんどが、大手の進学塾
に駆逐(くちく)されてしまった。宣伝力ではかなわない。しかも生徒集めに、大手の進学塾は、
カラフルで、豪華な案内書を用意する。ある塾教師は、こう言った。

 「今どき、1色や2色のパンフレットで入ってくる子どもはいませんよ。3色、あるいは4色刷り
にしないといけません」「そのため、パンフレット1枚作るのに、何十万円もかかってしまいま
す。大手の進学塾には、かないっこありません」と。

 親や子どもたちは、その豪華さを見て、進学塾を決める。

++++++++++++++++++++

Kさんへ、

 私のBW教室は、良心的ですよ。月謝は、1万円だけですよ(ホント!)。ただね、月末の最
後の週になって、退会届を出す人については、翌月の月謝をもらうことにしています。これは私
のためというより、世の常識を守るためです。

 わかっていただけるでしょうか。

 もうこの世界に入って、35年になりますが、いまだにそういうときは、体が震えます。それは
怒りというより、自分の仕事に対する、情けなさからです。だから退会届だけは、3週目までに
出してもらうようにしています。お願いしますね。

 それ以外は、私の教室では、絶対に、絶対に、子どもに依存心をもたせたりしません。今ま
でに、勉強嫌いにした子どもは、いません。(嫌いなまま、やめていった子どもはいますが…
…。)私がすべきことは、「勉強はおもしろい」「楽しい」ということだけを、子どもの心の中に植
えつけていくことです。

 あとのことは子どもたちに任せましょう。それでよいのです。やる気のない子どもでも、半年も
すれば、自分でするようになります。それでもやる気のない子どもでも、1年もしれば、自分で
するようになります。

 それが私の指導法です。

 もう今の仕事も、あと5年もできれば御の字でしょう。最後の人生を、醜い思い出で汚したくな
いし……。

 どうか、安心して、私にお任せください。とてもうれしいことに、2人とも、とてもすばらしいお子
さんたちです。私のほうが、楽しませてもらいます。ごめん!

(Kさんへ追伸)

 (手取り、足取り教育)は、一見、親切に見えますが、子どもに服従性を強いたり、あるいは
教師に対して依存性をもたせるという意味で、危険な指導法と考えてよいです。

 もちろん子ども自身が、その前提として、「教えてほしい」と言ってくれば、話は、別です。

 しかしさらにその前提として、子どもに、「教えてほしい」という意欲をもたせること自体が、む
ずかしい。つまりそこまでもってくるのが、たいへん。それを心理学の世界でも、「動機づけ」と
呼んでいます。

 この動機づけをしっかりとしないまま、「さあ、勉強」「さあ、英語」と、子どもを追い立てても、
効果がないばかりか、かえって子どもを勉強嫌いに追いこんでしまうことにもなりかねません。

 小学校の高学年になったら、「わからないところがあったら、もっておいで」というような指導
法が、もっとも理想的ということになります。そのためには、子どもを、雰囲気で、しばります。

 そのため、私の教室では、同学年の子どもを一度、バラバラにして、中学生や上級生の間に
すわらせて、自習させるようにします。

 最初は、とまどっていた子どもも、上級生の勉強ぶりを見ながら、やがて自分の勉強のし方
をつかんでいきます。しかし一度、こうなればしめたもの。子どもは、自分の力で、どんどんと伸
びていきます。

 で、そのあとのことは、子どもに任せる、です。親として、できるのは、ここまで。

 しかし、実際には、エビでタイを釣る前に、エビを食べてしまうというか、その前の段階で、子
どもを勉強嫌いにしてしまうケースが多いのも事実です。この時期、一度、子どもを勉強嫌いに
してしまうと、あとがたいへん。そういう子どもを、再び勉強好きにするのは、容易なことではあ
りません。

 つぎからつぎへと、学校の勉強が追いかけてくるからです。

 ですから小学校の低学年(1〜3年)の間は、子どもを楽しませることだけを考えて、指導しま
す。私のところでは、そうしています。「勉強は楽しい」という思いが、やがてその子どもを伸ば
す原動力となって、働きます。

 親が、自分の子どもの勉強(=学校での学習)で、あせりを感じ始めたら、すでに家庭学習
は、空回りしているとみます。親としては、それはしかたのないことかもしれません。自分の子
どもが、より下位層(?)に入っていくのをみるのは、つらいことです。

 しかしそうした親の不安や心配を、子どもにぶつけてはいけません。それこそ、それは親のエ
ゴというものです。

 子どもというのは、不思議な存在です。私は、若いころ、こんなことを考えました。

 「もし、私とそっくりな人間を、コピーしてつくることができたら、楽しいだろうな」と。

 今では、遺伝子を操作して、コピー人間(クローン人間)をつくることも可能になりました。そこ
でもう一歩、話を進めて、そのコピーしてできたコピー人間の脳ミソに、自分の脳ミソを、コピー
したとしたら、どうなるでしょうか。

 ちょうどパソコンのハードディスクを、別のハードディスクにコピーするように、です。

 すると、姿形ばかりではなく、(もちろん年齢はちがいますが)、考え方も、あなたと同じ人間
ができあがることになります。

 そこで、クエスチョン。

 そのコピー人間は、あなたか、あなたではないかということです。

 さらにもっと、このコピー人間の考え方を、進化させたのが、『スタートレック』(映画)の中に
出てくる転送装置です。

 丸い台の上に人が乗ると、上から光のシャワーが降りてきて、そのまま、別の場所に、転送
されるという、あの転送装置です。

 あの装置について、昔、二男が私にこう教えてくれました。「パパ、あれはね、人間が一度、
死んで、また別の人間に作り変えられているのだよ」と。

 光のシャワーをあびたところで、その人は、一度、分子レベルまで(多分?)、分解されること
になります。つまりその人は、一度、そこで死ぬわけです。そしてその分子は、電気信号のよう
になって(多分?)、別の場所に転送される。そしてそこで、再び、同じ人間に、組み立てられる
……。

 つまり転送前の人間は、その瞬時に死に、転送後の人間は、その瞬時に、別の人間になる
というわけです。が、まわりの人から見れば、まったく同じ人間……。

 実は、親子の関係も、これによく似ているのですね。時間的な差は生まれますが、親は、一
生をかけて、自分のコピー(クローン)を作っているというわけです。が、そのコピー人間は、私
であって、私でない人間ということになります。

 今、私は、子育てもほとんど終わり、こう思うことが多くなりました。

 「若いころは、自分の子どもと、他人の子どもが、まったく別の人間に見えた。しかし自分の
子どもと、他人の子どもを、区別するほうがおかしい」と。

 おかしなことですが、自分の息子たちを見ながら、「別に私が親でなくてもよかったのでは」と
思い、反対に、他人の子どもたちを見ながら、「私が親でも、どこもおかしくない」と思うようにな
りました。

 私たち人間も、大きな、たとえば大海原の(うねり)の中にいます。(生命のうねり)の中です。
「私」という個人は、そのうねりの上ではじけるアワのようなものです。そしてそういう視点で見る
と、自分のアワも他人のアワも、すべて同じように見えてきます。区別するほうが、おかしい…
…。

 このあたりに、親子の限界があるように、思います。親は親であって、親でないという限界。
子どもは、子どもであって、子どもでないという限界。親子は親子であって、親子でないという限
界。さらに私は私であって、私でないという限界、です。

 くどい言い方になりましたが、その限界をわきまえている親が、賢い親ということになります。
その限界に気がつかず、いつまでも、親風を吹かし、「子どもは私のモノ」と考える親が、愚か
な親ということになります。

 親として、すべきことはする。しかしその限界をわきまえる。そのあとのことは、子ども自身に
任す。そういう親のみが、真の家族の喜びを与えられる(バートランド・ラッセル)ということです
ね。それがわかっていただきたくて、長々と書きました。

 余計な内政干渉になれば、どうか、お許しください。
(はやし浩司 浜松 浜松市 幼児教室 幼児教育 BW BW教室 BW幼児教室)
 
++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(630)

●中国の反日運動の、その背景にあるものは?

 中国各地で、現在、反日運動が燃えさかっている。北京以外の地方都市にまで、飛び火して
いるという。しかし重要なことは、その表面的な「運動」に、まどわされてはいけないということ。
まどわされて、私たち日本人は、感情的になってはいけないということ。

 冷静に、事実を見てみよう。

 急速に発展をつづける中国。しかしその「発展」は、かなり、いびつなものである。数字を並
べてみよう。

 まず、失業者の増大がある。

 中国の公式発表によれば、中国での都市部での失業者は、681万人。都市就業者は、2億
4000万人だから、失業率は、2・8%ということになる(01年)。

 しかしこれは真っ赤なウソ!

 ここで「都市」という文字を使うところが、恐ろしい。中国には、この都市労働者のほか、農村
地帯に住む、農業労働者がいる。この農業労働者(農業戸籍者という)たちが、富と繁栄を求
めて、太平洋沿岸地域の都市部に集中し始めている。

 その数、驚くなかれ、すでに3000万人以上と言われている(東洋経済新報)。

 つまりこの人たちを含めると、失業率は、一挙に、12.5%となる。が、これだけではない。

 農村部自体も、失業者をかかえる。その数は、推計だが、1億6000万人〜1億7000万人
とも言われている(中国科学院)。

 こうした農村部にいる人たちが、どんどんと都市部に押し寄せている。そして驚くほど安い賃
金の仕事にむらがり、その一方で、働けど、働けど……という生活を強いられている。

 貧富の差が、異常なまでに拡大している原因は、そこにある。こうした事実の一端は、日本
にあふれる、安い中国製品を見ればわかる。

 私も、先週、掃除機を買ってきたが、値段は、何と、2980円! 少し前までは、「安かろう、
悪かろう」と思って買っていたが、品質は立派である。一昔前には、1〜2万円はしたであろう。

 では、なぜ、中国は、元を引きあげないのかということになる。元を引きあげれば、中国人た
ちの生活も、少しは楽になるはず。

 実は、ここに中国最大のジレンマがある。つまり、現在、中国は、毎年7〜8%前後の経済成
長率をつづけている。驚くべき、成長率である。しかもその成長率を、20年にわたって、つづ
けようとしている。

 しかしそれ以上に、中国は巨大である。もしその成長率が、7%を切って、6%とか、5%とか
になったら、とたんに中国は、都市部に流入しつづける農村出身の失業者を吸収できなくなっ
てしまう。

 だから元を切りあげることもできない。せっこらせっこらと、安い製品を作って、海外へ売るし
かない。そうして今の経済成長率を、維持するしかない。中国には中国の、深刻な国内事情が
ある。

 が、その一方で、その中国でも、ごくふつうの庶民まで、携帯電話をもち。パソコンをもち、た
がいに自由に交信するようになった。まさに自由化の嵐が吹き荒れているとみてよい。

 そういう中、一党独裁の共産党国家そのものが、ギシギシと音をたてて、揺るぎ始めている。
もちろん、西洋社会におけるようなデモな禁止(だった)。国全体が、かつての東ドイツのような
状態になっている。

 貧富の差。働けど、働けど……という国内事情。あふれる失業者。一党独裁国家への不満。
自由への渇望。そう、あの天安門事件で見た中国人の、国への不満が、あの事件で消えたわ
けではない。

 つまり今回の反日運動の背景にあるのは、「反日」を利用した、中国人の民主化運動そのも
のではないかということ。もちろん、日本人に対する反日感情には、ものすごいものがある。彼
らは小学生のときから、それを叩きこまれている。

 それはそれだが、こうした特定の国に対する、デモ行動(示威行動)というのは、世界を見れ
ば、珍しくない。どこの国でもある。しかもターゲットとして選ばれるのは、その国に影響力を与
えている、近隣の先進国である。

 今回の一連の反日デモに対して、実は、神経をもっとも、いらだたせているのは、当の中国
政府ではないのか。たいした選挙もせず、内々で指導者を決めていく。そしてその指導者たち
がが、権力の座につき、国を思うがまま操っている。

 もちろん権力者には、莫大な富と、強大な権力が与えられる。日本でいえば、財務省の長官
が、国を牛耳るようなものである。

 こうした超・官僚国家に対する、国民の不満には、ものすごいものがある。その(ものすごい
もの)が、爆発したのが、今回の反日運動ということになる。

 だから、日本は、ここは冷静に、事態の推移を見なければならない。こうした運動が、一定の
組織的活動をするようになれば、それこそ、一大事! 中国政府が根底から転覆(てんぷく)す
ることだって考えられる。もっとわかりやすく言えば、こうした反日運動を放置すれば、中国政
府は、自ら墓穴を掘ることにさえなりかねない。

 で、こうした反日運動に、手を叩いて喜んでいるのが、韓国である。「これで日本の国連安保
理理事国入りは、赤信号」(C日報)と、報じている。

 バカめ! 韓国も、いつまでも日本のことを気にするのではなく、おとなになったらどうか? 
ロシアの教科書が、「クナシリ、エトロフはロシアの領土」と書いていても、日本人は、相手にし
ない。気にしない。どうしてそうまで、いちいち日本や日本人のすることが、気になるのか。

 ……ということで、ここは冷静に! 現在の中国の反日運動は、60年、70年のときの日本
の安保闘争に似ている。反米を旗印にあげながら、その実、当の学生たちは、安保の「ア」の
字も知らなかった。つもりにつもった、自分たちの心の中の鬱憤(うっぷん)を晴らしたかっただ
け。あの石川達三(当時の評論家)も、そう書いていた。

 日本は、感情的になって、決して、過剰に反応してはいけない。こうした運動を、中国の民主
化運動の第一歩ととらえるなら、(あまり楽しい話ではないことは事実だが)、今の動きを静か
に見守ることこそ、重要である。
(050411記)

(補記)

 私は金沢で学生だったとき、駅前にあったMホテルで、ときどき雇われて、通訳・ガイドのア
ルバイトをしていた。

 そのときのこと。私はアメリカ人のリッチさには、心底、驚いた。日本人の1か月分の給料で
も買えないような、九谷焼の置き物を、彼らは、3つ、4つと平気で買っていくのである。

 そういう姿を見ていたとき、私の心の中では、二つの感情が、ウズを巻いた。

 一つは、アメリカへのあこがれ。もう一つは、アメリカへの反発。しかも当時のアメリカ人は、
日本人を、かなり、軽蔑していたよう。下に見ていた(?)。

 道路に地図をはりつけ、「今、どこにいるか、示せ」と怒鳴られたこともある。

 私は当時の私の気持ちを思い出しながら、今の中国の人たちも、日本人に対して、同じよう
に感じているのではないだろうかと思う。

 こんな例もある。

 今、コンビニへ行くと、小さなおもちゃを買うことができる。私が買うのは、小さなプラモデルの
飛行機だが、これが実に、精巧にできている。値段も安い。

 315円の飛行機でも、細部にいたるまで、ていねいに塗装してある。私はその模型を見なが
ら、いったい、どのような人が、どのような工賃で作っているのかと、不思議に思うことがある。

 原価は恐らく150円以下。一個作って、手間賃は、さらにその半分〜3分の1以下。「日本人
なら、こんな仕事を、するだろうか?」と。

 そこで視点を変えて考えてみよう。

 一個の飛行機を、1時間ほどかけて、つくる。ていねいにみがいて、色を塗って、箱につめ
る。一日に、10個、しあげる。その賃金が、日本円で、やっと700円。

 そのお金を手にして家に帰る。そして新聞を読むと、「日本では、ジュース1本が、300円」と
ある。自分たちの作った飛行機が、子どものおもちゃにもならないことを知る。

 私たちが子どものころそうだったから、現在の中国人たちが、日本人に対して、どのような感
情をもっているか、それが私には、よく理解できる。「働けど、働けどなお、我が暮らし楽になら
ざり。じっと手を見る」(石川啄木)の心境が、転じて、反日運動になったとしても、私は、少し
も、おかしいとは思わない。

 つまりは中国政府の失政のとばっちりが、日本に向けられたということ。でないと、「なぜ、今
なのか?」ということが、まったく説明できない。

 あるいは、今、世界の自由化の波にのまれて、中国政府の崩壊が始まったのかもしれない。
今どき、一党独裁の共産主義国家が残っていること自体、おかしい。

 中国人よ、反日はほどほどにして、もっともっと、デモをしたらよい。君たちも、自由になった
らよい。自由になって、私たち自由主義陣営の仲間に入ったら、いい。

 (しかし、日本も、この官僚主義体制を何とかしなければなりませんね。官僚の世界だけを見
ると、中国の共産主義社会と、どこもちがわないのです。ハイ!)


++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

健康と運動

●健康は、運動するという習慣から

 老後? ずっと先の話? とんでもない! 

 子育てが終わると、どっとやってくるのが、老後。それまでは、そこに老後があることすら、わ
からない。子育てに夢中になっているあいだは、わからない。が、それだけではない。そのとき
同時に、それまでごまかしてきた、持病が、どっと表に出てくる。これが、こわい。
 そこで「健康」ということになるが、懸命な人は、その価値をなくす前に気づき、そうでない人
は、なくしてからその価値に気づく。私も先日、私の不注意で、足を骨折してしまった。2週間ほ
ど、松葉杖をついて歩いた。そのときのこと、スタスタと歩いている人を見て、「ああ、人間っ
て、こんなふうに歩けるのだ」と、へんに感心したことがある。
 が、その健康は、つくるものではない。維持するもの。そのためには、運動!、ということにな
る。しかしよく誤解されるが、運動をするから、健康になるのではない。運動をするという習慣
が、その人を健康にする。たとえば、どんなことでもよい。職場まで、毎日歩くとか、エレベータ
ーを使わないとか。さらに地域のスポーツクラブに入って、仲間との交流をするというのもよ
い。
 1年単位や2年単位では、意味がない。10年単位、20年単位での習慣が、その人を健康に
する。で、問題は、どうやって、この習慣を、自分の中につくっていくかということになる。

●子どもの体に、しみこませる

 ……と書くと、子育ての話とは関係ないと思う人がいるかもしれない。とんでもない!

 子どもというのは、そういう親の姿を見ながら、自分の健康法を学んでいく。今は、まだ子ども
だから、すぐにというわけではない。しかし子どもが、30代になれば、30代のころの親を思い
出し、40代になれば、40代のころの親を思い出し、自分の健康法の中に取り入れていく。
 世代連鎖という言葉があるが、それは何も虐待についてだけの言葉ではない。そこで大切な
ことは、親自身が、その健康法を実践し、その習慣を、子どもに見せておくということ。見せる
だけでは、足りない。子どもの中に、しみこませておく。そういう(しみこみ)があってはじめて、
子どもは、そのときがきたら、自ら健康を守るようになる。親が寝ころんでテレビを見ながら、
「お前は運動をしろ」は、ない。こんな例もある。
 ある中学生(男子)は、生まれつき、体が弱かった。それで父親は、毎朝、近くの湖(一周6キ
ロ)を、その息子と、一周することにした。苦しい運動だった。そしてそれを何と、高校へ入るま
で、3年間つづけた。その父親は、こう言った。「私のためだけなら、とっくの昔にやめていたで
しょう。しかし息子のためと思い、がんばりました」と。

●私のばあい

 私のばあいは、自転車通勤が、その「習慣」ということになる。毎日、往復14キロ。約1時間
半の運動である。それをつづけて、もう30年以上になる。おかげでいまだに成人病とは無縁。
病院のベッドで眠ったことは、一度もない。
 で、そういう習慣は、どうして身についたかって? ハハハ。実は家業が自転車屋だった。子
どものころから、祖父に特製の自転車を組んでもらい、それに乗って遊んでいた。当時は、ま
だ子ども用の自転車など、なかった。私は、得意になって、友だちたちの前を自転車に乗って
走ってみせた。そのころの私が、そのまま、今の私になっている。

 あなたは、親だ。もちろん、あなたは、自分の子どもに健康になってほしいと願っている。もし
そうなら、今すぐからでも、子どもの前で、その習慣づくりを始めたらよい。それは子どものた
めでもあるが、同時に、あなた自身のためでもある。もっと言えば、あなた自身が、その見本と
なる。
 あなた自身が自分の健康を考えないで、どうして子どもの健康を問題にすることができるの
か? 「今日から、○○店(ショッピングセンター)までは、歩いて行きましょうね」という、たった
その一言が、子どもを健康にする。あなたを健康にする。

 さあ、あとは、実行、あるのみ! がんばれ、 お父さん! お母さん! 「健康は第一の富で
ある」(エマーソン)ですよ!
(はやし浩司 子どもの健康 子供の健康 健康論 運動と健康)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(631)

●気になる話

 TK氏のHPに、こんな記事が載っていた。たいへん気になる記事なので、そのまま抜粋、引
用させてもらう。

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 東大気候システム研究センターと国立環境研究所などの合同チームが予測すると、世界が
年3%の高成長を2100年まで続け、二酸化炭素の濃度が現在のほぼ2倍になれば、世界の平
均気温は4度上昇する。そのときに日本でも真夏日が約120日になり、夏の気温は亜熱帯に
近づくという。

 大気の温度が上昇すると海面などからの蒸発速度はそれだけ増加し、その蒸発した水蒸気
が違うところで凝縮する結果として、熱の不均衡が顕著になり、台風や
竜巻などの自然災害が増す可能性があることは前からも言われていた。

 世界はいま1秒間に石油や石炭の化石燃料を255トン燃やして、762トンの二酸化炭素を吐き
出している。今では世界の20%の豊かな人たちが80%の自然資源を消費している。未だ豊か
さを手にしていない途上国は、成長する権利を主張するのは自然の勢いである。

最近でも隣の中国が巨大市場になって来つつある。従って「途上国の成長と先進国の生活水
準の向上を両立するには、文字通り大変なことである。今のままでは地球の資源はいずれ足
りなくなることは明らかである。(TK氏のHP「さらば消費社会?」より)

+++++++++++++++++++++++++

 要するに、このままでは、地球温暖化は、ますます進むということ。そしてこの日本でも、やが
てすぐ(2100年)には、真夏日が、120日もつづくことになるという。

 120日といえば、4か月!

 気象庁では、気温が25℃以上の日を、「夏日」、30℃以上の日を「真夏日」としている。さら
に、35℃以上の日を、「超真夏日」という人もいる。

 ちなみに、1961〜70年までの、超真夏日の日…… 41日、
      1995〜04年までの、超真夏日の日……143日となっている。

 が、最大の問題は、2100年で、気温の上昇が、止まるわけではないということ。仮にその時
点で、世界中の人が、いっせいに、化石燃料(石油、石炭、天然ガス)などの使用をやめたとし
ても、気温は、そのまま上昇しつづける。

 さあ、どうするか? 地球は、やはり、火星のようになってしまうのか?

 が、実は、その地球温暖化よりこわいのは、こうした絶望的な未来を前にして、自暴自棄に
なる人が、出てくること。そういう人たちを中心に、人間の精神そのものが荒廃するということ。
そのときどんな地獄絵図が展開されることやら? それを思うと、心底、ぞっとする。

 人類は、静かに滅亡するや否や?
 人類は、そのあと、何らかの救済策をさがしだすや否や?

 TK氏は、光触媒の未来に、大きな望みと期待を寄せている。水を触媒により分解して、酸素
と水素を取り出すことができたら、地球温暖化の問題は、一挙に解決する、と。事実、この分
野の研究は、現在、めざましい発展をとげている。

 さらに地球温暖化に、世界の科学者たちが、手をこまねいているわけではない。これは昔、
ある本で読んだことだが、地球そのものを冷やす方法も考えられている。地球の周辺に亜硫
酸ガスを散布して、地球全体に、傘(かさ)をかけるという方法もあるそうだ。

 だから希望をなくしてはいけない。……というより、地球温暖化は、もう既定の事実なのだか
ら、それなりの対策は、私たち1人ひとりが、始めたほうがよい。今年の夏も暑くなりそうだが、
「暑くなったら、クーラーをかければよい」という発想では、人類は、生きのびることはできない。

 私個人について言えば、できるだけ歩く、できるだけ自転車に乗るという方法のほか、暑さに
強い体力づくりに心がけている。昨年(04年)の暑さには、本当に参った。毎朝、起きあがるだ
けで、精一杯。今年は去年のような、あんなみじめな思いはしたくない。準備をするなら、今の
うちから……と思っている。

 今年の冬は、薄着で通した。身を切るような冷気の中でも、運動をした。地球温暖化は、決し
て、どこか遠くの世界の問題ではない。私たち一人ひとりの問題ということになる。
(はやし浩司 地球温暖化 真夏日)

【TK氏より】

+++++++++++++++++++

亜硫酸ガスを、大気圏外の宇宙にまくという意見に
対して、TK氏から、つぎのようなご教示を、
もらった。それを紹介します。

+++++++++++++++++++

林様

  この文はチョット待ってください。 亜硫酸ガスなど充満させたら人類は滅 
亡です。 三宅島でも分かるでしょ。 気体は容易く拡散しますから。 核融合が無 
公害の将来のエネルギー源と言って努力している人もいます。 植物が人類が消費し 
ているエネルギーの、確か2倍の炭酸ガスを、太陽エネルギーを使って固定しています。  
太陽エネルギーや核融合を使えば、エネルギーの方はどうにかなりますが、物質の方 
がどこから獲るかが問題の一つです。 植物のように空気中の微量の炭酸ガスを効率 
よく有用物質に変える

化学反応(もちろんエネルギーを使って)が、これからの深刻な要求になるでしょう。
やはり人類の生き残りには科学が必要です。 知恵を働かせればどうにかなりますよ。

※TK氏……国際触媒学会前会長


●思考停止

 多くの科学者や教育者たちが、今、口をそろえて、こんなことを言っている。「最近の日本の
若者たちは、思考が停止の状態にある」と。

 ……こう書くと、若者たちは、反発するかもしれない。「何をバカなことを!」と。しかしそう怒る
前に、まず私の意見を聞いてほしい。

 「情報」と、「思考」は、まったく別のもの。情報というのは、モノを知っていることをいう。思考と
いうのは、自分で考えることをいう。多くの若者たちは、モノを知っていることを、「知識」、その
知識の多い人を、「頭のいい人」と、誤解している。

 しかしモノをよく知っているから、頭のいい人とは、言わない。いわんや、「賢い人」とは言わな
い。

 さらに最近は、多分にバラエティ番組の影響だろうと思うが、とんちパズル的な問題を、スラ
スラと解ける人を、頭のいい人と考える傾向が強くなってきている。

 「S−M−T−W−T−Fのつぎは何?」と。
 「O−T−T−F−F−Sのつぎは何?」でもよい。

 答は、「S」と「S」である。「Saturday」の「S」と、「Seven」の「S」である。(1問目は、曜日の
頭文字。1問目は、one,two,threeの頭文字。

 これも一見、思考と関係があるように見える。しかし実際には、頭の中にある情報を、あちこ
ちさがしまわりながら、その問題にあう答をさがしているにすぎない。あえて言うなら、これは思
考の柔軟さの問題ということになるが、それ以上の意味はない。

 「思考」には、ある種の苦痛がともなう。それはたとえて言うなら、寒い日に、ジョギングに出
かけるようなもの。たいていの人は、無意識のうちにも、思考することを避けようとする。できる
なら、モノを考えないで、すませようとする。

 よい例が、カルト教団の信者たちである。彼らは、教団に対して、徹底した隷属を誓うことで、
思想を脳に注入してもらう。その結果、自分で思考することを放棄する。それは実に甘美な世
界である。思考することから解放されるというのは、それ自体、ある種の心地よさをともなう。気
も楽になる。

 そのためだろうと思うが、カルト教団では、信者どうしが、実に仲がよい。ときには、他人どう
しが、兄弟以上の兄弟、親子以上の親子になることもある。その居心地のよさが、カルトの魅
力ということになるが、しかし、頭の中は、カラッポ。

 わかりやすい例として、こんなのがある。ある子ども(年長児)が、「どうしてお月様は落ちてこ
ないの?」と聞いたとき、母親は、こう答えた。

母「神様が、そうしたからよ」
子「どうして、お星様は、光るの?」
母「神様が、そうしたからよ」
子「どうして、朝になると、お日様が出てくるの?」
母「神様が、そうしたからよ」と。

 母親の言っていることは、一見、答になっているようで、その実、まったく答になっていない。
もちろん、現実のカルト教団では、こんな単純な教え方はしない。しかしよくよく彼らの聞いてい
ると、それほどちがわないことがわかる。そしてふつうなら、つまりふつうの常識を働かせば、
「そんなバカな!」と思うようなことまで、信じてしまう。そんなケースを、私は、たくさん、知って
いる。

 では「思考」とは何か。それについては、反対に、「思考をしない人」を見ればわかる。

 それが最近の若者たちである。

 携帯電話を片時も話さず、ただひたすらメールを打ちこんでいる。「今、どこ?」「渋谷」「混ん
でる?」「まあまあね」「来る?」「3時すぎならね」「じゃあ、3時30分」「どこで?」「○○の前、ど
う?」「いいわ」と。

 こういうやりとりを、一日中、している。しかしこれは、脳に飛来する情報を、そのつど交換し
ているだけ。思考ではない。論理的な積み重ねが、まったく、ない。ないから、思考ではない。

 英語では、こういうとき、「ロジカル」という言葉を使う。日本語に訳すと、ズバリ「論理的」とな
るが、彼らがロジカルというときは、そこに「合理的」というニュアンスをこめる。「ものの道理に
かなった」という意味である。いくら論理的でも、ものの道理からはずれていたら、ロジカルとは
言わない。

 つまり思考するということは、どんなことでもよいから、思想と言えるものを、体系的にまとめ
あげていくことをいう。そしてその思想に基づいて、一貫とした、自分の意見や考えを、もつこと
をいう。
 
 テーマは無数にある。

 政治論、美術論、文学論、人生論など。しかしここで一つ注意しなければならないのは、たと
えば料理論というものを考えたとき、(料理のし方)と、(料理論)は、もともと異質のものである
ということ。

 料理のし方を知っているからといって、料理論をもっているということにはならない。同じよう
に、草花を育てるということと、自分なりの自然論をもつことは、別の次元の話ということにな
る。

 つまり最近の若者は、こうした「論」にあえて背を向け、そのため、結果として、思考停止の状
態にある、と。

 ……といっても、その状態にある若者が、自分のそういう状態に気づくということは、まず、な
い。これは脳のCPU(中央演算装置)の問題だからである。その若者が、より深く、自分で考え
るようになって、それまでの自分が、(考えなかった人間)であることに気づく。そしてそれを繰り
かえすうちに、その若者の思想はさらに深くなり、それまでの自分が、思考停止の状態であっ
たことを知る。

 で、こうした思考力というのは、年齢には関係ない。50歳になったから、思考が深くなると
か、中学生だから、思考力が浅いということにはならない。50歳をすぎても、思考停止の状態
にある人はいくらでもいる。反対に、小学生でも、ていねいに観察すると、自分で考える力を身
につけている子どももいる。

 そこで重要なことは、かなり早い時期に、子どもに、その方向性をもたせること。その方向性
さえもたせておけば、子どもは、習慣として、ものを考えるクセを身につける。そうでなければ、
そうでない。

 方法としては、子どもを「自由」にする。「自らに由(よ)らせる」。そのためには、ひとりで考え
る時間を、たっぷりと与える。1時間や2時間では、ダメ。毎日の習慣の中で、毎日、数時間
は、ひとりで考える時間をもたせる。読書がよいのは、言うまでもない。しかしそれ以上に大切
なのは、(書く)という習慣である。

 どんなテーマでもよい。いつも、書く。書くことによって、思考力を深める。が、最近の若者た
ちは、文章を、ほとんど書かない。書くという習慣そのものがない。その前に文章を書くという
訓練そのものを受けていない。

 ……と、グチばかり言っていたのでは、話が前に進まない。そのグチは、この程度にして、私
の教室(BW教室)で実践している、いくつかの方法を、紹介する。

(立て札づくり・幼児用)

 A君は、道を歩いているとき、道の中に大きな穴があることを知りました。あとからきた人が、
その穴に入ってケガをすると、たいへんです。あなたはその横に立て札を立てることにしまし
た。その立て札には、何と書きますか。

 Bさんは、自分でつくったクッキーを、おじいちゃんの家に届けることにしました。が、あいにく
と、おじいちゃんは家にいませんでした。そこでBさんは、クッキーを郵便受けに入れ、手紙を
書いておくことにしました。その手紙には、何と書けばよいですか。

 C君は、宇宙人に誘拐さて、高い塔になる部屋の中に閉じこめられてしまいました。そこでC
君は、手紙を書いて、だれかに助けにきてもらうことにしました。窓からその手紙を外に投げれ
ば、だれかが読んでくれるはずです。その手紙には、何と書けばよいですか。

(表現あそび・小学生低学年用)

 1人の子どもに、複雑な形の絵を見せる。その絵を見せながら、その形がどんな形であるか
を、文章で表現させる。つぎにその絵を隠し、べつの子どもに、その文章を読ませ、どんな形で
あったかを、絵に描かせてみる。こうして最初の絵と、べつの子どもの書いた絵をくらべさせ
て、似ているか、ちがっているかを、判断させる。ちがっているときは、どうしてちがっているか
を、話しあう。

 絵だけを見せて、話を作らせる。私がよく用いるのは、影絵。いろいろな影絵を見せながら、
その影絵は、だれが、どうして、何をしているところかを、文章にして書かせる。

 6〜7人で、グループになってする。最初の出だしだけは、私が、6〜7種類、用意する。(1)
湖のほとりに小さな家がありました。(2)白い雲が、山の上に2つありました。(3)川の中に、
二匹の魚が住んでいました、など。そのあとのつづきを、子どもたちに、書かせていく。少し書
いたら、その紙を、時計回りなら時計回りにしながら、つぎの子どもに回していく。子どもは、前
の子どもの書いた作文に、自分の作文をつなげ、ストーリーを考えていく。
(以上、はやし浩司のオリジナル指導法)

 みなさんの家庭でも応用できると思うので、ぜひ、応用してみてほしい。
(はやし浩司 思考 思考力 作文 作文指導 考える力 表現力)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


最前線の子育て論byはやし浩司(632)

●ものを破壊する子ども

 俗に言う、「八つ当たり」ともちがう。そのモノ自体に、深い憎しみを覚え、それを破壊する子
どもがいる。

 年齢は、4、5歳くらいから始まり、おとなになってからも、似たような行為を繰りかえす人がい
る。よく見かけるのは、映らなくなったテレビを、足で蹴とばすなど。

 乳幼児期には、「物活論」というよく知られた、乳幼児特有の現象がある。乳幼児は、身のま
わりのありとあらゆるものが、「生きている」と信じている。風にゆれるカーテン、時計、電池で
動くおもちゃなど。

 これを物活論というが、その乳幼児期の物活論が、そのまま残像として、子ども(おとな)の
心の中に残る。

 たとえばいろいろな子どもがいた。

 A君(10歳)はやや強度の遠視だった。そのためいつもメガネをかけていた。が、ときどき、
そのメガネをどこかへ置き忘れてしまう。で、A君はそのメガネをさがすのだが、やっと見つか
ったところで、それを喜ぶのではなく、そのメガネを引きちぎって、割ってしまうのである。

 それを数か月おきに繰りかえす。そこで母親が、A君をそのつどはげしく説教したり、しかっ
たりするのだが、効果がない。で、しばらくは、メガネを買ってきても、A君に渡さないようにして
いた。「不自由をすれば、少しは、モノを大切にするだろう」と考えた。

 A君にしてみれば、どこかへ行ってしまった(?)メガネが憎かった。つまりA君には、メガネと
生き物が区別できなかった。

 またB君(10歳)もそうだった。

 本を本でいて、読めない漢字にであったりすると、その本を破ってしまうのである。これと似た
現象だが、C氏(40歳くらい)も、ステレオセットが思うように操作できなかったりすると、(本当
は、操作のし方がまちがっているのだが)、そのセットをカベにたたきつけて壊してしまってい
た。

 ほかにCDを割ってしまったり、汚れたカーテンを、ハサミで切り刻んでしまっていた子どもも
いた。

 昔から『モノに当たる』という言葉がある。何かムシャクシャすると、モノを破壊したりする。そ
ういう行為そのものが、幼稚性の残像とみるが、先にも書いたように、ここでいうA君のような
ケースは、内容がややちがう。

 それはたとえて言うなら、幼児虐待、動物虐待と同列に置いて考えられる。またそういうふう
に考えたほうが、理解しやすい。あえて言うなら、『モノ虐待』。

 本来なら、子どもや動物に向かった、破壊的、破滅的行為が、モノに向ったと考える。またそ
う考えると、説明がしやすい。

 ある母親から、「うちの子は、すぐメガネを壊してしまいます。どうしてでしょう?」という相談を
もらったので、ここで考えてみた。
(はやし浩司 虐待 物破壊 物虐待 動物虐待 物に当たる子ども 物を破壊する子ども モ
ノを破壊する 物破壊 物活論 実念論 物 破壊 子供 子ども ピアジェ はやし浩司)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【近況・あれこれ】

●モノ、モノ、モノ

 あふれかえるモノ。家の中は、モノだらけ。押入れも、戸棚も、モノだらけ。

 「いつかまた使うだろう……」という淡い期待だけで、モノをためこむ。「もったいない」「まだ使
える」と。

 かくして、我が家は、モノだらけ。

 そこで重要なことは、捨てる。思い切って、捨てる。そして、モノを買わない。

 ここ10年ほどは、こうして、我が家も、かなりすっきりしてきた。が、人間というのは、おかしな
ものだ。三男が、私と同じことを繰りかえしている。何かあると、すぐモノを買う。モノを買って、
それでその場をしのごうとする。

そしてしばらく使ったあと、それをしまう。しまうだけならまだしも、また同じものや、同じようなモ
ノを買う。

 だから三男の周囲は、モノだらけ。足の踏み場もない。

 モノがあれば、便利だ。しかしそれにも限界がある。そのモノを置く、スペースの問題。それに
もう一つ、記憶の問題。

 買ったこと自体を忘れてしまう。どこにしまったかも忘れてしまう。しばらくすると、また同じモノ
を買ってしまう。で、気がついてみると、押入れも、戸棚も、モノ、モノ、モノ。

 要は、「また使うこともあるだろう」という、ケチな考えを、もたないこと。そしてあとは、ひたす
ら、捨てる。捨てる。捨てる。そして買わない。

 先日も、こんな女性(母親)がいた。

 今度、家族で、どこかの野外で、バーベキュー・パーティをすることにしたという。場所は、H
市内から1時間ほど行った、山の中。が、つぎの言葉を聞いて、驚いた。

 「バーベキューセットも、買いました。それに折りたたみ式のテーブルやイス。携帯コンロに、
日よけの傘も……」と。

 1、2度しか使うこともあるまいと思ったとたん、思わず、言ってしまった。「それはやめなさい」
と。

女性「どうしてですか?」
私「そのあと、そういったものは、どうするのですか?」
女性「……しまっておきます」
私「どこに?」
女性「多分、押入れかどこかに……」と。

 野外でバーベキュー・パーティをするにしても、今、家の中で使っているものを利用してする。
またそういうものを利用するところに、おもしろさがある。決して、ショッピングセンターのカタロ
グに、乗せられてはいけない。

私「家の中ですることと、同じようなことをしようと思うと、お金もかかります。どんな場所か知り
ませんが、石を積んで、コンロをつくる。まわりから焚き木を集めてきて、料理をする。あとは、
木陰で、石の上に座って食事をする。だから、楽しいのです」と。

 実は、私たちも、日常的に、この女性と同じことをしている。「あれば便利」という理由だけで、
どんどんとモノを買う。そして1、2度使ったと、あとは、せっこらせっこらと、それをしまいこむ。

 一方、それとは対照的に、私は、モノのない部屋のすばらしさを体験している。

 現在、使っている寝室には、モノが、いっさい、ない。ガランとした部屋。畳のマットに、ふとん
だけ。あとは、ライトと、空気清浄機。それに数冊の本と雑誌。本と雑誌は、眠る前に読むも
の。壁には、時計と、一枚の写真だけ。

 あとは、何もない。

 それには理由がある。

 先日、テレビを見ていたら、地震がきたときこわいのは、戸棚だそうだ。その戸棚の下敷きに
なって死ぬ人が多いということだそうだ。それを聞いて、戸棚を固定しようかとも考えたが、「な
らば、戸棚などないほうがよい」ということで、寝室から、すべてのものを、取りのぞいた。

 おかげで掃除も楽。清潔そのもの。私は改めて、モノのない世界のすばらしさを、満喫してい
る。


●若い人の死

 実家の近所の若い男の人が、祭の最中に、心筋梗塞(こうそく)で亡くなったそうだ。姉から、
そう聞いた。「まだ56歳なのに……」と。

 その話を聞いて、「へえ……」と驚いていると、姉は、「実はね、浩ちゃん、うちの村の中だけ
でも、今年に入って、もう3人も若い人が死んでいるのよ。みんな、50代よ」と。

 私が「サラリーマンの人?」と聞くと、「ううん、みんな、自営業の人よ」と。

 そう言えば、私の家の近くの人だが、先週、23歳の若さで亡くなった人がいる。その人は、く
も膜下出血ということだったそうだ。それにしても、若い。若すぎる。

 アイザック・アシモフいわく、「人生は楽しい。死は、安らか。ただ生から死への移行は、ちょっ
とめんどうなだけ(Life is pleasant. Death is peaceful. It's the transition that's troublesome. )」
と書いている。

 ……ということで、統計的にはそうではないのかもしれないが、このところ、若い人の死ばか
りが、気になる。目だつ。「若いからだいじょうぶ」という慢心が、かえって死を早めるのかもし
れない。

 とくに私たち、戦後生まれの団塊の世代は、これからは早死にすると言われている。乳幼児
期の栄養不足、高度成長期の無理、そして重なる心苦労、過労など。私たちの世代には、働
き蜂のような人が多い。「働いていないと不安」とばかり、仕事ばかりしている。

 私もその1人だが、そんなわけで、そういう話を聞くと、「つぎは、私」と思ってしまう。そしてそ
のまま落ちこんでしまう。

 いやな話だ。本当に、いやな話だ。まだやりたいことは、山のようにあるのに……。もっとも死
んでしまえば、そう思うこともなくなる。

 エピクロスは、こう書いている。「死なんて、何でもないさ。だって今、生きているということは、
まだ死んでいないということ。死んだときには、もう私たちは、この世にいないということ。
(Death is nothing to us, since we are, we are death has not come , and when death has 
come, we are not.  

 こう書いている私だって、明日あたり、ポックリと死ぬかもしれない。みんなそう思いながら、
「自分だけは……」と思いつつ、死んでしまったのだろう。

 人間には二面ある。しぶとく、どこまでも、しぶとく生きる人間。もう一つは、あっけなく死んで
いく人間。私は、どちらなのだろう?


●歩いて、1万歩!

運動不足を解消するため。
 なまった体を、しゃきっとするため。
 ほんやりとした頭を、すっきりさせるため。
 今日は、1万歩を歩いた。

 自宅から、市内の教室まで、ちょうど1万歩。
 正確には、大またで歩いて、ちょうど9911歩。

 時間は、あちこち、寄り道をして、約1時間半。
 距離は、直線距離ではかって、6・5〜7キロ弱。
 
 家を出るとき、ワイフが手を振った。
 私も手を振った。
 春のどかな、やさしい日差し。道を出るとすぐ、
 第二公園のサクラの花が目に飛びこんできた。
 
 公園には、数組の母親と赤ちゃん。
 さっそく写真をとる。バジャリ、バジャリ。

 この音がよい。C社のデジタルカメラは、好きなシャッター音を選べる。
 私は、30年くらい前のカメラの音が好き。何というか、腹に響く。

 それからN病院のそばを通り抜けて、佐鳴湖へ。
 このあたりは、住宅雑誌から飛び出したような家ばかり。
 いつも「どんな人が住んでいるのだろう」と思う。
 そう思いながら、通りすぎる。

 と、やがて佐鳴湖。
 サクラの花は、満開をすぎて、散り始めていた。
 若葉の緑がまぶしい。美しい。

 その佐鳴湖の南側に沿って歩く。
 空は水色。それを受けて、湖面も水色。
 遠くに、しゃれた家々。そして青い山々。

 そこからゆるやかな坂をのぼって、静かな住宅地。
 私はこのあたりの住宅地が気にいっている。
 本当はこのあたりに住みたかったが、当時はお金が足りなくて、
 今の家にした。当時から、このあたりは、高級住宅地。

 そこからは細い路地をいくつか通りぬける。

 途中、旧・雄踏街道へ入る。「ゆうとうかいどう」と読む。

 車が1台、やっと通れる程度のハバしかない。
 昔は、ここを乗合バスが走ったという。
 道も狭いが、バスも小さかったのだろう。
 そんなことを考えながら、大通りへ出る。

 そこには、行きつけのY書店がある。
 そこで一休止。今日は、うしろの出入り口から中へ。

 ここまでで、ちょうど、5000歩。
 心地よい汗、ほどよい足の疲れ。ここからは町まで、
 あと、5000歩。

 しばらく何冊か本を、立ち読み。
 日本では、図書館が充実しないのは、こうした書店があるからだそうだ。
 外国には、ない。
 若いころ、オーストラリアで、その書店をさがすのに苦労をした。

 一方、日本では、立ち読みは、し放題。
 書店にしても、汚れた本は、出版社へ返本すればよい。
 最近では、その立ち読みを奨励する書店まで出てきた。
 テーブルと、イスまで、置いてある。

 しかし本を書く側の気持ちとしては、うれしくない。
 ただで読まれるというのは、どうも気分が悪い。

 そう言えば、私のマガジンは、無料。ただ。
 気前のいい話だと、自分でも、そう思っている。

 まあ、読んでもらえるだけでも、感謝しなければならない。
 これだけ情報が氾濫(はんらん)してくると、
 本といっても、そこらに散らかっている広告のようなもの。

 で、その書店を出て、雄踏街道に沿って、町まで歩く。

 途中で、N高校の坂をのぼり、つづいてN中学校の坂をぼのる。
 こうしてそのまま旧市街地に入る。

 いつもは自転車で走りぬけるが、ダラダラ坂になっていてい、
 けっこう、きつい。体の調子のよくないときは、歩いてのぼる。
 
 そして坂を登りきると、こんどは、ゆるいくだり坂。
 途中に、鴨江の旅館街、そして鴨江観音。

 実は、今日はここまでがたいへんだった。途中で小便をしたくなった。
 が、コンビニはなし、店はなし……。
 その鴨江観音を出たところに、公共のトイレがある。
 何も考えず、そのトイレへかけこむ。

 そこから教室までは、もうすぐ。数百メートル歩いて、左折。
 教育文化会館があり、その前が公園。
 ここまでくると、私の教室が見えてくる。

 汗がじんわりと体を濡らす。疲れがどっと出る。
 
 写真は、HPのほうで、紹介。30〜40枚は、とった。


++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(633)

【鎌倉旅行】

●八幡宮

 前から予定していたように、4月16日(土)、私とワイフは、鎌倉へ向った。田丸謙二先生に
会うためである。

 車は、教室の駐車場にとめた。そしてそのあと駅まで。でかけるとき、服装のことで、ワイフと
もめた。ワイフは、「セーターを着ていけ」とがんばった。私は「薄着で行く」とがんばった。

 私「ほら、みろ、この暖かさだ!」
 ワ「帰りは、寒いわよ」と。

 どこまでもがんばるのが、ワイフの悪いクセ。

 私はどこへ行くにも、2リットル入りのペットボトルをもっていく。水分を多量に補給しないと、
体の調子がすぐ悪くなる。血圧が低いせいだと、自分では、そう思っている。

 浜松からは、新幹線。小田原まで行って、そこで在来線に。40分ほどで、藤沢に着いた。
昔、仕事で世話になった、G社のTさんが長く住んでいた町である。そのTさんが住んでいたマ
ンションの方角を指でさしながら、「Tさんは、あちらに住んでいたよ」と。

 藤沢からは、江ノ電という電車に乗って、鎌倉へ。35分ほどで、着いた。とたん、ものすごい
人ごみ。春の行楽季節を重なった。構内のアナウンスが、さかんに、「スリに注意してください」
を繰りかえしていた。

 私とワイフは、カバンをもちなおした。

ワ「約束の時間まで、ちょうど2時間、あるわね」
私「鶴岡八幡宮まで行こう」
ワ「そうね」と。

 途中、以前泊まったことがあるホテルがある。そのホテルを見たとたん、どっと、なつかさしさ
がこみあげてきた。

 二男はそのとき、3歳。その二男が、そのあたりで、迷子になった。さがしまわったあげく、警
察へ行くと、二男は、警察のイスに座っていた。そして私たちを見ると、とたんに大声をあげ
て、泣いた。

 おかしなもので、そういう思い出のほうが、強烈に印象に残る。私たちはそのホテルを見なが
ら、八幡宮へ。

●扇が谷

 地元の人たちは、「泉(いずみ)やつ」とか何とかと呼んでいる。八幡宮からは、何度も行った
ことがある道なので、田丸先生の家までは、迷わず、行くことができた。が、まだ、時間は、1時
間ほど、あった。

 私とワイフは、近くを散策した。

 そのあたりは、昔から、著名な文豪がたくさん住んでいたところである。先生の家の前には、
中村光夫が住んでいた。1度だけ、通りを歩いているとき、すれちがったことがある。もう1人
は、里見ク(さとみとん)。有島武郎の実の弟にあたる。

 その里見クは、明治43年に、「白樺」の創刊に加わり、武者小路実篤、志賀直哉とともに、
そののちの文学界で活躍した人物である。

 最後は、その扇が谷で過ごしている。1983年に、94歳でなくなったということだから、私が
田丸先生の家に遊びに行き始めたころには、まだ生きていたことになる。

 が、今は、白い工事用の幕に囲まれて、中が見えなかった。

私「今とちがって、昔の文豪たちは、豪勢な生活ができたみたいだね。この家も、もとは、愛人
との密会の場所として使っていた家だったそうだ」
ワ「どうして?」
私「昔は、ほかに、娯楽がなかっただろ。映画もないし、テレビもない。だからすべての娯楽
が、小説に集中したというわけさ。ちょっと本が売れただけでも、大金持ちになったそうだ」と。

 田丸先生の家は、その里見クの家から、歩いて1分足らずのところにある。

●田丸先生

 私は「先生」と、畏敬の念をこめてそう呼んでいるが、先生は、私のことを、弟子とも、学生と
も思っていない。またそういう関係でもない。

 私がオーストラリアのメルボルンで学生だったとき、3か月間、寝食をともにした。先生は、東
大紛争の余波を受け、メルボルン大学へ、半ば避難するような形でやってきた。先生のいた研
究室は、あの安田講堂のすぐ裏手にあった。

 私は私で、先生と、「師」としてではなく、「長年の友」として、尊敬している。もともと実力でも、
立場でも、田丸先生には、かなわない。肩書きを並べただけでも、何十にもなる。

 二度目に先生の家の前の門の前に立つと、ワイフがこう言った。「先生、帰ってきているわ
よ」と。「洗濯物が、片づけてあるから……」と。

 鋳物でできた門を開け始めていると、家の玄関があいて、そこに田丸先生が立っていた。時
刻は約束きっかり、2時15分。先生は、近くのテニスクラブの会長をしているということだった。
天皇陛下も、ときどき、テニスを楽しむためにそのクラブへやってくるという。そのクラブの会合
が、2時に終わるということで、2時15分にした。

 門を入って、すぐ、左手の畑が、目に入った。おかしなもので、それまでにも、何度か来たこと
があるが、畑には気がつかなかった。先生も、私の視線を見て、畑へ案内してくれた。

 毎日1万歩を歩いているとかで、先生の体が、少しスリムになっているのを感じた。

●戦前からの家

 先生の家は、トトロに出てくる、サツキとメイの家と、色は、ちがうが、そっくりの家である。サ
ツキとメイの家は、屋根は赤、壁はシロだが、田丸先生の家は、壁は、タール色。「色を白にし
たら、そのまま、サツキとメイの家だ」と内心で、そう思った。

 その田丸先生の家の前にある、中村光夫が住んでいた家は、さらによく似ている。私は、何
枚かの写真を、デジタルカメラに収めた。

 裏庭から、表庭へ。以前来たときは、雑草におおわれていたが、意外と、きれいだった。「よく
ここでパーティをします」とのこと。野外用のバーベキューコンロも、つくってあった。

 のどかかな陽(ひ)だまり。新緑が美しかった。足元には、よく見ると、小さな野草が無数の花
を咲かせていた。私とワイフは、それを踏みつけないように、慎重に歩いた。

 「ここが、ハーバー博士と写真をとったところですね」と私が言うと、先生は、うれしそうに笑っ
た。アンモニアの合成化学で、ノーベル賞をとった博士である。

 「当時は窓でしたが、今は、下まで吐き出しになっています」と。

 先生のHPには、そのときの写真が載っている。先生は、まだ1歳前後。母親の腕に抱かれ
ていた。
  
 先生の家系は、まさに科学者の家系。先生の父親も、著名な化学者。2人のお嬢さんたち
も、その道を進んでいる。先生は、孫の話になると、とたんに目を輝かせる。その話もしてくれ
た。

●部屋で……

 学生のころは、毎晩のように徹夜で、話をした。静かな語り口だが、先生は、一度話しだす
と、とまらない。

 話を聞いているうちに、そのまま35年前に、タイムスリップ。ふと途中で、「35年前みたいで
すね」ともらす。

 政治の話、教育の話、日本人論や民族論まで。「日本人も、自分で考える民族にならないと、
これからの未来は、ないでしょう」とのこと。「何かにつけて、横並び意識が強すぎます」とも。

 アインシュタイン博士からの手紙も、見せてもらった。その中に「誇張された民族主義こそ
が、世界の平和にとって危険である」と書いてあった。

 「自分の国がすばらしいと思うのは、その人の勝手でも、その返す刀で、相手に向って、君
は、劣っていると考えるのは、危険」と。私はアインシュタイン博士の手紙を、そう解釈したと話
すと、先生も、「そうです」と言って笑ってくれた。

 あとは、介護の問題。

 「親子の問題は、それぞれの家庭でみなちがいます」とのこと。私も、まったく同感であった。
「見た目には同じに見える親子でも、その関係は、それぞれによって、みな、ちがう。だから介
護という一つのワクの中で、ものを考えることはできない」と。これは先生の意見。

 予定では、30分〜1時間ほどで、帰る予定だった。何しろ、いまだに(?)多忙な先生であ
る。もともと私のような人間が、会うことすら許されない先生である。若いころは、怖いもの知ら
ずで、生意気なことばかり言っていたが、今は、そうではない。

 その「怖いもの」がどういうものであるか、それがじゅうぶん、理解できる年齢になった。

 時計を見ると、5時を回っていた。そこで別れるつもりだったが、先生は、私とワイフまで、駅
まで見送ってくれるという。何度も固辞したが、「今日は、1万歩も歩いていないから」と。

 鎌倉駅までは、歩いて、15分くらいか。せっかくの申し出だったが、夕食も、遠慮した。先生
が入ろうとした割烹(かっぽう)は、一食、9000〜1万3000円もするような割烹だった。戸口
の品書きを見て、びっくり。そんな割烹へ入るわけには、いかない。

 先生には言わなかったが、値段を見て、おじけついてしまった。そんな料理など、ここ10年、
食べたことがない!

 駅で、Hサブレーをみやげに買ってもらった。とたん、大粒の涙が、ホロリと落ちてしまった。

 「先生、35年前と同じですね」と。また同じセリフをもらしてしまった。

 時の流れは、風のようなもの。どこからともなくやってきて、またどこかへと去っていく。

 家に帰ってインターネットを開くと、さっそく先生から、メール。掲載の許可は、もらっていない
が、そのまま、ここに転載。

++++++++++++++++

林様:

メールを打ってお礼を書いていましたら。丁度ご帰宅のお電話を頂き
いろいろとお喋りしましたので、書き直しになります。 何か大変な頂き物
をしてしまい、こちらは折角用意していたもの(大したものではなかったの
ですが)お持ちしていただくことをすっかり忘れてしまい、本当に申し訳な
く、恐縮しております。

後で考えれば、もっといろいろと教えて頂ければよかったと、悔いが
残ります。 

これからもメール通してでもよろしくお願いします。

でもとても楽しい一時でした。 遠いところを有難うございました。
取り敢えず厚く御礼申し上げます。

くれぐれもお元気で。
田丸謙二

++++++++++++++++++++

 そうそう、その電話では、私の白髪のことを言っていた。「林君も白髪がふえましたね」と。そ
のとき、私も「先生だって、真っ白けのくせに」と思ったが、それは言わなかった。学生時代の
私なら、そう言っていただろうが……。

 帰りの電車の中で、ワイフは、さっそくHサブレーを食べていた。それを食べながら、ワイフ
は、こう言った。「あなたは、いい友だちをもっていて、幸せね」と。
(050416記)

++++++++++++++++++++++++

鎌倉旅行記を田丸先生に送りましたら、
こんな返事が届きました。

先生、ありがとう!!!

+++++++++++++++++++++++++

林様:

  昨日の日記拝見しました。 夕食をご馳走しようというのに、
半ば暴力的に拒絶されましたが、もしかして初めから「夕飯なしで帰
る」と言っておられたので、何処かで素晴らしいものを予定しておら
れるのではないか、と勘ぐりました。 そうしたら何とメニュウの値
段を見て頑張ったとは、思わず噴き出してしまいました。 何と言う
他人行儀なことだったのでしょうか。 あのレストランでもピンから
キリまでありますし、もしも口に合いそうになかったら、「もっと一
般的なところに行きましょうよ」で何がおかしいことがあったのでし
ょうか。可愛そうに奥さん途中お腹がすいたのでしょうが、本当に申
し訳ない気がしてなりません。折角来ていただいた珍客を遠くまで帰
るのを空腹のままで帰すなど何とお詫びしたらよいのか、本当にすみ
ませんでした。 あの素晴らしい奥さんにクレグレモ謝って下さい。

  田丸謙二

(このメールも、先生に無断で転載します。お許しください。)
+++++著作権BYはやし浩司++++++copy right by Hiroshi Hayashi+++++

●反日運動の裏にあるもの

 中国での反日運動は、週を追うごとに、はげしくなっている。しかしこの反日運動には、目的
がない。「だからどうしてほしいのか?」という部分が、ない。

 そういう意味で、60年安保、70年安保のときの、日本の学生運動に似ている。

 日本が嫌いなのは、わかる。しかし大使館や領事館を襲って、どうする? どうなる?

 実は、今回の一連の反日運動は、反日に名を借りた、中国の民主化運動とみてよい。「反
日」を大義名分にすれば、中国政府も、おいそれとは手を出せない。自分たちこそが、その反
日運動を助長してきた、超本人だからである。

 今、中国の民衆たちの不満には、ものすごいものがある。それもそうだろ。貧富の差が、あ
まりにもはげしい。

 その貧富の「富」の側にいるのが、実は、日本人ということ。それを忘れてはいけない。こう書
くと、誤解があるといけないので、最初に書いておくが、自動車会社の社員だから、そういう生
活をしてはいけないと言っているのではない。

 で、今、地元のS自動車会社の社員たちが、多数、中国の上海に駐在している。私の友人の
息子夫婦(35歳)もその1人である。

 その息子氏。日本では、課長程度の役職だが、上海では、超高級住宅地に住み、メイドを1
人、車の運転手を1人つけた生活をしている。日本では、とうてい考えられない生活である。

 そういう日本人を、彼らは、日常的に見ている。そこに彼らがもつ反日感情の原点がある。

 しかしそれは、S自動車会社の社員の責任ではない。元と円の交換レートに原因がある。現
在、中国政府は、元を、不当に安い価値に抑えている。「不当」であることは、中国からなだれ
込んでくる、中国製品を見ればわかる。

 中国製品は、メチャメチャ、安い。なぜ安いかと言えば、元の価値を、不当に安く抑えている
からである。

 では、その元の価値をあげればよいということになる。今の2倍とか、3倍でよい。

 しかしそうなると今度は、中国は、失業者を吸収できなくなってしまう。都市部だけで、3000
万人の失業者がいる。農村部では、2〜3億人もの失業者がいる。

 そういう失業者に仕事を回すためには、元の価値を不当に低く抑えてでも、雇用の機会をつ
くらねばならない。つまりここに中国経済、最大のジレンマがある。

 もし仮に、ここで成長率を現在の8〜9%から、数%さげただけで、中国各地では、失業者に
よる大暴動が起きる。失業者を吸収できなくなるからだ。もしそうなったら、それこそ中国政府
は、崩壊の危機に立たされる。

 表では反日を叫ぶ、中国の若者たち。しかしその矛先は、必ず、中国の民主化運動に向う。

 わかっているのか! 胡さん! こんな私でもわかる論理が、あなたには、わからないの
か!

 リッチになった。生活にもゆとりができてきた。こんな時代に、共産主義などという、時代錯誤
的な政治体制が、いつまでも、つづくはずがない。旧ソ連を見ろ! 旧東ドイツを見ろ! 今、
ロクな選挙もしないで、一党独裁という政治体制の中で、人権を抑圧しつづけている国が、ほ
かにどこにある? あるとすれば、K国だが、あの国は、論外。

 日本としては、とんだ災難。とばっちり!

 まあ、日本の代議士の石頭にも、問題はある。「Y神社の参拝しないような政治家は、政治家
としての資格はない」とか、「天皇を元首にする」とか。どこからそういう発想が、わいてくるの
か? 彼らが問題にしている、教科書にしても、しかり。欧米先進国の中で、いまだに教科書
の検定制度なるものをしているのは、この日本だけ! どうしてそのおかしさが、わからないの
か?

 で、私も以前、自分で調べてみた。

 アメリカには、検定制度など、まったくない。テキストは、学校ごとに、PTAが選定している。
(テキストだぞ! 教科書とは、異質のものだぞ!)

 ただオーストラリアには、ある。しかし検定制度といっても、民間団体による自主的なもの。し
かも検定する内容は、暴力とセックスについてのみ。とくに「歴史については、検定してはなら
ない」と、制約がついている(南オーストラリア州)。

 ヨーロッパにいたっては、なおさらだ。

 で、一言。

 中国の学生たちは、とうとうパンドラの箱※をあけてしまった。「自由」という箱である。たまた
まそれが今は、反日運動に名を借りてはいるものの、この運動が、はげしくなればなるほど、
中国共産党は、崩壊の危機に立たされる。むしろ台湾のほうが、中国本土を吸収するような事
態になるかもしれない。

 そこで日本としては、ただひたすら静観するのがよい。冷静に、事務的に……。ここであれこ
れちょっかいを出すと、日本は、大ヤケドをすることになる。(今日、すでにM外相が、中国へ
飛んだが、自らヤケドをするために、出かけたようなもの。あああ!)

 今、世界は、日本や中国の動きを、リアルタイムで見ている。つまりは、世界が、サッカーの
試合で言えば、ジャッジとして機能している。私たち日本人がすべきことは、そういうジャッジの
判断を信頼して、フェアプレイをすること。

 あとの判断は、世界に任せればよい。
(この原稿は、05年4月17日に書いたものです。発表時には、国際情勢は大きく変化してい
るかもしれません。)

※パンドラの箱……ゼウスがパンドラに渡した箱。この世のあらゆる禍(わざわい)をその箱に
封じ込めたが、パンドラがそれをあけてしまう。あわてて箱をしめたときには、「希望」だけが、
その箱の中に閉じこめられてしまったという。ギリシャ神話。

 
++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司
 
●親子問題

 最初、男と女は、セックスをして、子どもをもうける。結婚して夫婦になるかどうかは別として、
そこで、親子関係が生まれる。

 しかしその親子関係は、年とともに変質し、変節する。そしてその結果として、100組の親子
がいれえば、100種類の親子関係が生まれ、1000組の親子がいれば、1000種類の親子
関係が生まれる。
 
 1つとて、同じものは、ない。言いかえると、親子関係ほど、複雑で、それゆえに、どんな推理
力をもったとしても、他人の親子関係を、正確に理解できる人はいない。……絶対に、いな
い!

 だからこと親子の問題については、他人であるあなたは、絶対に介入してはいけない。表面
的な部分だけを見て、安易な考えを添えたり、解釈を加えてはいけない。もちろん相手がそれ
を求めてくれば、話は別。しかしそれまでは、何も言ってはいけない。何も聞いてはいけない。
何も話してはいけない。

 たとえ親戚の問題でも、だ。たとえあなたの実の兄弟の問題でも、だ。

 これは人生を生きるものの大鉄則。つまり親子の問題は、それくらい奥が深い。関係も太
い。しがらみやわだかまりが、無数に、あたかもクモの巣のようにからんでいる。

 いわんや『親だから……』『子だから……』という、『ダカラ論』だけで、相手を決めつけてはい
けない。あるいはあなたが、たまたま良好な親子関係を築いているからといって、それを基準
にして、ものを考えてはいけない。

 が、世の中には、不用意な人間がいるもの。まるで土足で家の中に入ってくるようにして、そ
の相手に何かと干渉してくる。ズケズケとものを言う。そういう行為そのものが、失敬というも
の。が、それがわからない。

 人によっては、毎日、毎晩、身を切られるほど、つらい思いをしている。そのつらさは、そのつ
らさを経験したものでないとわからない。そっと暖かく見守ってあげることこそ、重要である。

 ある女性(58歳)はこう言った。

「私は、人に、あなたは親孝行の、いい娘さんですねと言われることくらい、不愉快な言葉はな
い。私は、見るに見かねて、親の世話をしているだけ。いつになったら、この重圧から解放され
るかと、そればかりを願っている。親孝行の娘だなんて、ほめられると、かえって請求されてい
るみたいで、不愉快」と。

 こうした複雑な心理というのは、そうでない人には理解できないだろう。

 その女性の母親は、その女性の夫から、貯金通帳と印鑑を預かったとき、その通帳から勝
手にお金を引き出し、使ってしまったこともあるという。何度、縁を切ろうと思ったかしれないと
いう。

 そういう背景が、その女性には、ある。

 ……と書いて、介護についての問題の、本当のむずかしさは、ここにある。「介護」と一口で
言うことはできても、それぞれの家庭によって、事情はまったくちがう。家族がもつ、それぞれ
の思いも、これまたちがう。

 最後にこんな話も聞いた。ワイフが、どこからか仕入れてきた話である。

 最近、その女性の母親が死んだという。一応、葬式はしたという。しかしその女性は、うれしく
てたまらなかったという。うれしくて、うれしくて、たまらなかったという。毎日、「早く死んでほし
い」と、心の中で、そればかりを願っていたという。

 だから、葬式のとき、一応、悲しそうな顔をしてみせるのに、苦労をしたという。そして他人
が、「いいお母さんでしたね」「さぞかし、気を落とされていることでしょう」と、なぐさめられる
(?)たびに、「このアホタレ!」と、心の中で叫んでいたという。

 そういうケースもある。

 葬式の席でも、安易なことは言わないほうがよい。これも、大鉄則の一つか?

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●別に私が正しいわけではないが……

 このところの国際情勢を見ていると、うんざり。

 別に私が正しいというわけではないだろうが、私が心配したとおり、そして予想したとおり、日
本を取り巻く国際情勢は、日本の思惑とは、別の方向にどんどんと進んでいる。

 中国の人たちがもつ感情などというものは、すでに30年前から、今の感情になることは、わ
かっていた。当時、日本へやってきた中国の留学生たちは、みな、「二度と、日本なんかへ来
るものか」「日本、大嫌い」と言って、日本を去っていった。

 そのときの学生たちが、今の中国を指導している。リーダーになっている。

 そういう事実を、日本人は知らない。知らないまま、今の情勢に右往左往している。

 一方、私は、もう10年以上も前から、ものに書いて、首相たちのY神社参拝を警告してきた。
「首相が自国の神社を参拝するのは、私たちの自由」と言うのは、その首相の勝手だが、中国
や韓国の人たちにとっては、そうではない。

 ドイツのシュレーダー首相がヒットラーの墓参りをするようなことを平気でしながら、「反戦の
誓い」はない。少なくとも、彼らはそう見ている。つまり彼らの神経を逆なでするようなことを、一
方で、平気でしながら、「日本は平和を守ります」は、ない。

 昨日、私は、ここは冷静に、事務的にと、書いた。そして今、騒げば、かえって大ヤケドをす
ると書いた。

 が、M外相は、その大ヤケドをするために、わざわざ中国へ! この国際性のなさというか、
外交の稚拙(ちせつ)さというか、私は、あきれて、ものも言えない。もう、ご勝手にどうぞ!、と
いう心境である。

 もりあがる反日感情。それに呼応する、短絡的な、反中国感情。週間P誌などは、「なめられ
た日本」などという記事を書いている(新聞の見出ししか読んでいないが……)。

 こうなれば、日本よ、日本人よ、戦争を覚悟しよう。あなたの夫や、子どもが、戦場に行くのを
覚悟しよう。だれかが何とか、してくれるだろうと考えるのは、あまりにも、甘い。

 今は、日本が静観すべきときである。今の、中国の反日運動は、中国における、自由民主化
運動の、おおきなうねりの中にある。そういううねりを感じたら、日本は、それをうまく利用して、
日本への矛先をかわさなければならない。

 にもかかわらず、あえて、日本の外務省は、火中のクリを拾うような、アホなことをしている。
中国政府は、それを利用して、自分たちへの不満を、日本に向けさせ、身の保全を図ろうとし
てしている。

 どうしてこんな簡単な論理がわからないのか?

 もう、知らない! 私の知ったことではない!

(追記)

 日本が今すべきことは、国際世論を味方につけること。中国の行動は、リアルタイムで世界
に報道されている。あとの判断は、世界に任せればよい。「中国って、やっぱり、おかしな国だ」
と、世界の人に知らせることこそ、重要である。

 日本は、絶対に、戦争をしてはいけない。そのためにも、ここは、冷静に、事務的に。決して
報復を考えてはいけない。それをしたとたん、それこそ、中国政府の思うツボ。韓国政府やK
国の金XXの思うツボ。

 この冷静さが、彼らに伝わったとき、ふりあげた自分たちのコブシを見ながら、バツの悪い思
いをするのは、彼ら自身である。そういう状態にもっていくのが、今の日本の外務省の仕事で
はないのか。
(050418記)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●仮面とシャドウ

 だれしも、いろいろな仮面(ペルソナ)をかぶる。親としての仮面、隣人としての仮面、夫として
の仮面など。もちろん、商売には、仮面はつきもの。いくら客に怒鳴られても、にこやかな顔を
して、頭をさげる。

 しかし仮面をかぶれば、かぶるほど、その向こうには、もうひとりの自分が生まれる。これを
「シャドウ(影)」という。本来の自分というよりは、邪悪な自分と考えたほうがよい。ねたみ、うら
み、怒り、不満、悲しみ……そういったものが、そのシャドウの部分で、ウズを巻く。

 世間をさわがすような大事件が起きる。陰湿きわまりない、殺人事件など。そういう事件を起
こす子どもの生まれ育った環境を調べてみると、それほど、劣悪な環境ではないことがわか
る。むしろ、ふつうの家庭よりも、よい家庭であることが多い。

 夫は、大企業に勤める中堅サラリーマン。妻は、大卒のエリート。都会の立派なマンションに
住み、それなりにリッチな生活を営んでいる。知的レベルも高い。子どもの教育にも熱心。

 が、そういう家庭環境に育った子どもが、大事件を引き起こす。

 実は、ここに仮面とシャドウの問題が隠されている。

 たとえば親が、子どもに向かって、「勉強しなさい」「いい大学へ入りなさい」と言ったとする。
「この世の中は、何といっても、学歴よ。学歴があれば、苦労もなく、一生、安泰よ」と。

 そのとき、親は、仮面をかぶる。いや、本心からそう思って、つまり子どものことを思って、そ
う言うなら、まだ話がわかる。しかしたいていのばあい、そこには、シャドウがつきまとう。

 親のメンツ、見栄、体裁、世間体など。日ごろ、他人の価値を、その職業や学歴で判断して
いる人ほど、そうだ。このH市でも、その人の価値を、出身高校でみるようなところがある。「あ
の人はSS高校ですってねえ」「あの人は、CC高校しか出てないんですってねえ」と。

 悪しき、封建時代の身分制度の亡霊が、いまだに、のさばっている。身分制度が、そのまま
学歴制度になり、さらに出身高校へと結びついていった。街道筋の宿場町であったがために、
余計に、そういう風潮が生まれたのかもしれない。

 この学歴で人を判断するという部分が、シャドウになる。

 そして子どもは、親の仮面を見破り、その向こうにあるシャドウを、そのまま引きついでしま
う。実は、これがこわい。「親は、自分のメンツのために、オレをSS高校へ入れようとしている」
と。そしてそうした思いは、そのまま、ドロドロとした人間関係をつくる基盤となってしまう。

 よくシャドウで話題になるのが、今村昌平が監督した映画、『復讐するは我にあり』である。佐
木隆三の同名フィクション小説を映画化したものである。名優、緒方拳が、みごとな演技をして
いる。

 あの映画の主人公の榎津厳は、5人を殺し、全国を逃げ歩く。が、その榎津厳もさることなが
ら、この小説の中には、もう1本の柱がある。それが三國連太郎が演ずる、父親、榎津鎮雄と
の、葛藤(かっとう)である。榎津厳自身が、「あいつ(妻)は、おやじにほれとるけん」と言う。そ
んなセリフさえ出てくる。

 父親の榎津鎮雄は、倍賞美津子が演ずる、榎津厳の嫁と、不倫関係に陥る。映画を見た人
なら知っていると思うが、風呂場でのあのなまめかしいシーンは、見る人に、強烈な印象を与
える。嫁は、義理の父親の背中を洗いながら、その手をもって、自分の乳房を握らせる。

 つまり父親の榎津鎮雄は、厳格なクリスチャンで、それを仮面とするなら、息子の嫁と不倫関
係になる部分が、シャドウということになる。主人公の榎津厳は、そのシャドウを、そっくりその
まま引き継いでしまった。そしてそれが榎津厳をして、犯罪者に仕立てあげた原動力になった
とも言える。

 子育てをしていて、こわいところは、実は、ここにある。

 親は仮面をかぶり、子どもをだましきったつもりでいるかもしれないが、子どもは、その仮面
を通して、そのうしろにあるシャドウまで見抜いてしまうということ。見抜くだけならまだしも、そ
のシャドウをそのまま受けついでしまう。

 だからどうしたらよいかということまでは、ここには書けない。しかしこれだけは言える。

 子どもの前では、仮面をかぶらない。ついでにシャドウもつくらない。いつもありのままの自分
を見せる。シャドウのある人間関係よりは、未熟で未完成な人間関係のほうが、まし。もっと言
えば、シャドウのある親よりは、バカで、アホで、ドジな親のほうが、子どもにとっては、好ましい
ということになる。
(はやし浩司 シャドウ 仮面 ペルソナ 参考文献 河出書房新社「精神分析がわかる本」)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


最前線の子育て論byはやし浩司(634)

●親の気負いの陰にあるもの

 不幸にして不幸な家庭に生まれ育った親ほど、「いい家庭をつくろう」「いい親でいよう」という
気負いばかりが先行し、結果的に、よい家庭づくり、よい親子づくりに失敗しやすい。

 それを心理学の世界では、「シャドウ」という言葉を使って説明している。(知らなかった!)

 つまり子どもたちは、親のそのうしろにあるシャドウ(影)を見ながら、自分たちの心理を形成
してしまうというわけである。

 ひとつの例として、こんな例を考えてみよう。(例として、正しいかどうかは、まだよくわからな
いが……。)

 ある母親は、自分が、大学を出ていなかったことを、いつも、心のわだかまりとしていた。そこ
でその母親なりに、努力した。大学の公開セミナーなどがあると、積極的に参加していた。資
格もいくつか、取った。

 しかし心のわだかまりは消えなかった。学校の父母会の席などで、学歴が話題になったりす
ると、その母親は、いつも小さくなっていた。

 そこでその母親は、子どもの勉強にのめりこむようになった。俗にいう、「教育ママ」になっ
た。テストの点数が少しでも悪いと、子どもを叱った。そして睡眠時間を削ってでも、そのテスト
のやりなおしを、させた。

 こういうケースのばあい、母親は、子どものためを思って、そうしているのではない。自分自
身の中にある、不安や心配を解消するための道具として、子どもを利用しているだけである。

 だから、子どもは、やがてすぐ、そういう親の下心を見抜いてしまう。見抜くだけならまだしも、
そのシャドウの部分だけを、引きついでしまう。

 で、たとえばその努力(?)のかいもなく、その子どもが、親の希望どころか、自分の希望とも
ほど遠い、CC中学に入ったとしよう。ふつうなら、「どこの中学でも同じ」「またがんばればい
い」というような、合理的な割りきりをしながら、親や子どもは、それを乗りきっていく。が、シャド
ウを引きついだ子どもは、そうではない。

 自分はダメな人間だというレッテルを、自らに張ってしまう。

 「どうせ、私はダメ人間だ」「失敗者だ」「失格者だ」と。さらにそういう思いが肥大化して、自己
否定にまで進んでしまうかもしれない。さらに自ら、自暴自棄になってしまい、二番底、三番底
へと落ちていくかもしれない。

 要するに、親が子どもにきびしい学習を強いたとしても、子どもがそれを、「自分のために、
親は、がんばってくれている」と感ずれば、子どもは仮に失敗しても、そこを原点として、また前
向きに歩きだす。

 しかしそのシャドウを子どもが感じたとき、(たいていのケースでは、親自身も、そのシャドウ
に気づいていないことも多いが)、そのシャドウのもつ、邪悪な部分を、子どもは引きついでしま
う。

 先のケースでいうなら、学歴や肩書きだけで人を判断したり、反対に、それがない自分を、異
常なまでに、卑下したりするようになる。

 たしかに親の気負いが強ければ強いほど、その親は、よい家庭づくり、よい親子づくりに失
敗しやすい。それは、教育の世界でも常識である。しかしなぜ失敗しやすいのか。その一つの
ヒントが、このシャドウにある。

 まだよくわからない点もあるので、ここに書いたことは、まちがっているかもしれない。専門家
の先生が読んだら、「おいおい、シャドウの意味がちがうよ」と言われるかもしれない。

 しかし一つのヒントの一口はつかんだように思う。これから先、このシャドウの問題を、もう少
し、掘りさげて考えてみたい。

 とっかかりとして、私やあなたには、どんなシャドウがあるか? それを考えてみると、おもし
ろいのでは……。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●超自我の世界

 フロイトの理論によれば、(自我)の向こうに、その(自我)をコントロールする、もう一つの自
我、つまり(超自我)があるという。

 この超自我が、どうやら、シャドウの役目をするらしい(?)。

 たとえば(自我)の世界で、「店に飾ってあるバッグがほしい」と思ったとする。しかしあいにく
と、お金がない。それを手に入れるためには、盗むしかない。

 そこでその人は、そのバッグに手をかけようとするが、そのとき、その人を、もう1人の自分
が、「待った」をかける。「そんなことをすれば、警察につかまるぞ」「刑務所に入れられるぞ」
と。そのブレーキをかける自我が、超自我ということになる。

 このことは、たとえばボケ老人を観察していると、わかる。ボケ方にもいろいろあるようだが、
ボケが進むと、この超自我による働きが鈍くなる。つまりその老人は、気が向くまま、思いつく
まま、行動するようになる。

 ほかにたとえば、子どもの教育に熱心な母親の例で考えてみよう。

 もしその母親にとって、「教育とは、子どもを、いい学校へ入れること」ということであれば、そ
れが超自我となって、その母親に作用するようになる。母親は無意識のまま、それがよいこと
だと信じて、子どもの勉強に、きびしくなる。

 そのとき、子どもは、教育熱心な母親を見ながら、そのまま従うというケースもないわけでは
ないが、たいていのばあい、その向こうにある母親のもつ超自我まで、見抜いてしまう。そして
それが親のエゴにすぎないと知ったとき、子どもの心は、その母親から、離れていく。「何だ、お
母さんは、ぼくを自分のメンツのために利用しているだけだ」と。

 だからよくあるケースとしては、教育熱心で、きびしいしつけをしている母親の子どもが、かえ
って、学業面でひどい成績をとるようになったり、あるいは行動がかえって粗放化したりするこ
となどがある。非行に走るケースも珍しくない。

 それは子ども自身が、親の下心を見抜いてしまうためと考えられる。が、それだけでは、しか
しではなぜ、子どもが非行化するかというところまでは、説明がつかない。

 そこで考えられるのが、超自我の引きつぎである。

 子どもは親と生活をしながら、その密着性ゆえに、そのまま親のもつ超自我を自分のものに
してしまう。もちろんそれが、道徳や倫理、さらには深い宗教観に根ざしたものであれば問題は
ない。

 子どもは、親の超自我を引きつぎながら、すばらしい子どもになる。しかしたいていのばあ
い、この超自我には、ドロドロとした醜い親のエゴがからんでいる。その醜い部分だけを、子ど
もが引きついでしまう。

 それがシャドウということか。

 話がこみいってきたが、わかりやすく言えば、こういうこと。

つまり、私たち人間には、表の顔となる(私)のほか、その(私)をいつも裏で操っている、もう1
人の(私)がいるということ。簡単に考えれば、そういうことになる。

 そしていくら親が仮面をかぶり、自分をごまかしたとしても、子どもには、それは通用しない。
つまりは親子もつ密着度は、それほどまでに濃密であるということ。

 そんなわけで、よく(子どものしつけ)が問題になるが、実はしつけるべきは、子どもではなく、
親自身の(超自我)ということになる。昔から日本では、『子は親の背中を見て育つ』というが、
それをもじると、こうなる。

 『子は、親のシャドウをみながら、それを自分のものとする』と。親が自分をしつけないで、どう
して子どもをしつけることができるのかということにもなる。

 話が脱線しようになってきたので、この問題は、もう少し、この先、掘りさげて考えてみたい。

(私の書いていることは、まちがっているかもしれないが、まちがっていれば、そのつど訂正す
ることにして、今は、このまま原稿にしておく。)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(635)

●親の心を見ぬく、子どもたち

 『子は親の背中を見て育つ』とは言うが、同時に、子は、親の背中の奥まで、見ぬいてしま
う。これがこわい。

 たとえばあなたが子どもに向かって、「勉強しなさい」「いい大学へ入りなさい」と言ったとす
る。そのとき、あなたは、子ども自身のためを思って、そう言っているだろうか。それとも、自分
のメンツや、見栄、世間体のためにそう言っているだろうか。それを子どもは、あっという間に、
見ぬいてしまう。

 フロイトは、「超自我」という言葉を使って、それを説明した。子どもは、親をその背後から操
っている超自我を見ぬいてしまうと。日本語で言えば、「下心」ということになるが、そんな簡単
なものではない。奥は、もっと深い。親の人間性そのものまで、見ぬいてしまう。

 見ぬくというよりは、感性として、それを判断するといったほうが正しいかもしれない。親は無
意識のまま、仮面(ペルソナ)をかぶる。その仮面を、子どもは、無意識のまま、身ぬく。親は、
「子どももには、そんなことはできない」と思っているかもしれないが、子どもは、親が考えてい
るより、はるかに敏感である。私の例で考えてみよう。

 私が高校生のときのこと。進路指導の個別面接があった。その教師は、あれこれと私の成
績をながめながら、「君なら、できる」「がんばれる」「やればできる」と励ましてくれたが、どこか
おかしい(?)。へん(?)。その教師は、本当に私のことを思って、そう言っていたのではない。
進学率を高めるためにそう言っていた。それに私はそのとき、気づいた。と、同時に、その教
師への信頼感は、こなごなに消えた。

 その教師にしてみれば、有名大学へ何人、生徒を送りこむかが重要であった。学校の「実
績」をあげるためである。そのため私のばあい、高校2年から3年にかけて、無理やり、理科系
から文科系へ、転向させられてしまった! 「君なら、K大の工学部は無理だが、K大の文学部
になら、入れる」と。今から思うと、悲劇としか言いようがない。

 これは教師と私との話だが、親子の間では、関係が一度こじれると、ことは深刻。親子である
がゆえに、問題は、底なしにこじれる。が、それだけではすまない。子ども自身が、親のシャド
ウ(影)に苦しむことになる。

 具体的に、あれこれということではない。しかしもっと抽象的、観念的な生きザマまで、親から
子どもへと、すべてが伝わってしまう。「学習」というなまやさしいものではない。子どもの心に、
親の超自我が、そっくりそのまま、しみこんでしまう。

 たとえば善悪の感覚、判断能力、倫理観や道徳観など。親がたとえば、小ずるい人間であっ
たとすると、子どもも、小ずるくなる。親を反面教師として、別の人格をつくりあげる例もないわ
けではない。しかしそのばあいでも、その子どもは、ほかの子どもたちよりも、何倍も苦労をし
なければならない。たとえばほかの子どもなら、自然な形で身につける善悪感についても、不
要な葛藤を繰りかえすことになる。

 たとえば親が、駐車場でもないところに平気で車を止めたり、あるいは赤信号でも無視して、
車を走らせていたとする。そういった善悪感は、そっくりそのまま子どもに伝わってしまう。

 そういう親をもった子どもは、不幸である。生活のあらゆる場面で、その小ずるさが顔を出
す。そのため、一事が万事。長い時間をかけて、その子どもは、善良な世界から、遠ざかって
しまう。気がついたときには、まわりは、悪人だらけということにも、なりかねない。

 そこでフロイトは、人間がもつ良識や良心は、その「超自我」の中で、つくられると考えた。そ
の中で作られた良識や良心が、その人の生きザマを基本的な部分で、決定づける、と。

 このことは、自分の経験に照らしあわせてみると、よくわかる。

 たとえば道路に、1000円札が落ちていたとする。そのとき、「私」、つまり、「私としての自
我」は、そのお金をほしいと思う。「拾ってもっていこう」と思う。

 しかしそれにブレーキをかける「私」もいる。「お金がほしい」というのが、自然な「私」であると
するなら、「もらってはだめ」とブレーキをかけるのは、「私」を超えた「私」ということになる。

 その「私を超えた私」は、自分自身でつくっていくものというよりは、生まれ育った環境の中
で、つくられていくものということになる。もちろんそれをつくっていくのは、親だけではない。し
かし実際には、乳幼児期までには、その方向性が決まってしまう。そのことを考えるなら、親の
責任は、きわめて重大ということになる。

 よく誤解されるが、こうした倫理観や道徳観は、学校での勉強などによって、身につくもので
はない。道徳のテストで、すばらしい点数を取ったからといって、その子どもが、善人というわけ
ではない。

 こんなテスト問題があった。小学1年生の問題である。

Q……お母さんが、台所で料理をしていました。それを見たあなたは、どうしますか。

(1)手伝う。
(2)そのまま遊んでいる。
(3)どこかへ遊びに行く。

 正解は(1)ということになるが、実際に、料理を手伝うかどうかは、別問題である。つまりこう
いうテストで、よい点をとったからといって、その子どもの人格がすぐれているということにはな
らない。要領のよい子どもなら、よい点を取るため、(1)に丸をつけるだろう。

 こんな例もある。

 私の知人に、K氏という人がいる。当時、32歳。

 ある日、K氏のところに、K氏の母親から電話がかかってきた。「Z氏がもっている、山林を買
ってやってほしい」と。

 Z氏というのは、母親の実兄、つまりK氏の伯父である。値段を聞くと、800万円だという。さ
らに話を聞くと、「本当は、2000万円くらいの価値がある」と。

 K氏は、お金を集めて、その山林を、800万円で買った。しかし、その山林は、それから30
年近くたった現在ですら、200万円にもならない山林だった。

 母親は、伯父と結託して、息子のK氏をだました。だまして、当時、80万円でもよい値段の山
林(地元の森林協同組合の職員)を、K氏に800万円で売りつけた。

 世の中には、親をだます子どもは、いくらでもういる。しかし子どもをだます親も、珍しくない。
しかもそのあとも、伯父なる人物は、毎年、K氏に、8〜10万円の管理費を請求してきたとい
う。

 K氏は、こう言う。「おそらく、母は、伯父から、いくらかのペイバック(謝礼)を受け取っている
はずです。母も、伯父も、昔から、そういう人間です」と。

 が、問題は、そのことではない。

 そういう母親をもったK氏自身も、母親から、そういう人間性を引きついでいた。K氏はこう言
う。

 「私の体質の中に、実は、母や伯父の体質がしみこんでいるのですね。私は、母と伯父に80
0万円、だまし取られましたが、私も、ひょっとしたら、そういうことが平気でできる人間なので
す。ときどき、そういう自分が、こわくなります」と。

 K氏は、今も、自分自身のシャドウ(影)に苦しんでいる。

 以上、私は、超自我について書いてきた。シャドウについても書いてきた。その前には、(私
であって私でない部分)について書いてきた。さらに仏教で教える、末那識(自分の奥底に潜ん
で、自分を操るエゴ)についても、書いてきた。もちろん心理学でいう、潜在意識という考え方も
ある。

これらは結局は、すべて、(私)を知る手がかりということになる。

 「私のことは、私が一番よく知っている」と言う人は多い。しかし本当のところ、(私)を知るの
は、簡単なことではない。そのことだけでも、わかってもらえれば、うれしい。
(はやし浩司 超自我 末那識 シャドウ 仮面 ペルソナ)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司
 
●日本人のアイデンティティ
 
 日本人は、日本がどうあるべきだと思っているのか。どうあったらよいと考えているのか。

 日本人が、日本人としてしたいことと、日本が今、進んでいるべき道が、一致していればよ
い。問題は、ない。心理学の世界にも、アイデンティティ(自己同一性)という言葉がある。

 (自分のしたいこと)と、(自分のしていること)が一致していれば、その子どもは、落ちついて
いる。安定している。これを、アイデンティティという。が、ときとして、その両者がかみあわなく
なるときがある。

 A君(小学3年生)は、「おとなになったら、サッカー選手になりたい」と思っていた。地元のサ
ッカークラブでも、そこそこに、よい成績を出していた。が、そこへ進学問題がからんできた。ま
わりの子どもたちが、進学塾に通うようになった。

 A君は、それでもサッカー選手になりたいと思っていた。が、現実は、そうは甘くなかった。4
年生になったとき、さらに優秀な子どもたちが、そのサッカークラブに入ってきた。A君は、相対
的に、目だたなくなってしまった。

 ここでA君は、(自分の進みたい道)と、現実とのギャップを、思い知らされることになる。が、
こうした不一致は、ただの不一致では、すまない。

 A君は、心理的に、たいへん不安定な状態に置かれることになる。いわゆる「同一性の危機」
というのが、それである。が、さらに進学の問題が、A君に深くからんできた。母親が、A君にこ
う言った。

 「成績がさがったら、サッカーはやめて、勉強しなさい」「サッカーなんかやっていても、プロの
サッカー選手になるのは、東大へ入ることより、むずかしいのよ」と。

 子どもというのは、自我に目覚めるころから、自分のまわりに、(自分らしさ)をつくっていく。
これを役割形成という。が、その(自分らしさ)がこわされ始めると、そこで役割混乱が起きる。

 それは、心理的にも、たいへんな不安定な状態である。

 たとえて言うなら、好きでもない男と、妥協して結婚した、女性の心理に近いのではないか。
そんな男に、毎夜、毎夜、体を求められたら、その女性は、どうなる?

 こうしてアイデンティティの崩壊が始まる。

 一度、こういう状態になると、程度の差もあるが、子どもは、自分を見失ってしまう。いわゆる
(だれでもない自分)になってしまう。自分の看板、顔、立場をなくしてしまう。が、そこで悲劇が
止まったわけではない。

 A君は、進学塾に通うことになった。母親が、「いい中学へ入りなさい」と、A君を攻めたてた。
A君は、ますます、自分を見失っていった。

 こういう状態になると、子どもは、つぎの二つのうちの、一つを選択することに迫られる。

 (だれでもない自分)イコール、無気力になった自分のままで、そのときを、やりすごすか、代
償的な方法で、自分のつぎの道をさがし求めるか。

 代償的な方法としては、攻撃的方法(非行など暴力的行為に走る)、服従的方法(集団を組
み、だれかに盲目的に服従する)、依存的方法(幼児ぽくなり、だれかにベタベタと依存する)、
同情的方法(弱々しい自分を演じて、いつもだれかに同情を求める)などがある。

 ふつうこの時期、多くの子どもたちは、攻撃的方法、つまり非行に走るようになる。(だれでも
ない、つまり顔のない人間)になるよりは、(害はあっても、顔のある人間になる)ことを望むよう
になる。

 この時期の子どもの非行化は、こうして説明される。

 で、自分の存在感をアピールするために、学校でわざと暴れたりするなど。このタイプの子ど
もに、「そんなことをすれば、みんなに嫌われるだけだよ」と諭(さと)しても意味はない。みなに
恐れられること自体が、その子どもとっては、ステータスなのだ。

 これは子どもの世界の話である。

 で、日本人も、今、私の印象では、その「同一性の危機」の状態にあるとみてよい。(日本人
として、したい道)と、(進んでいる道)が、一致していない。そのため日本人全体が、今、たい
へん不安定な心理状態にある。

 民主主義国家として、平和と自由を愛する国民になるのか、それとも、復古主義的な流れの
中で、武士道に代表される過去の日本にもどるのか。Y神社を参拝して、戦前の軍神たちに頭
をさげるのか。つまりはわけのわからない状態の中で、混沌(こんとん)としている。

 だから中国や韓国で、反日運動が起きても、「どうしたらいい……」と、ただ右往左往するだ
け。自分の主張すら、ない。ないから、声をあげることもできない。

 では、どうするか。

 私は、もう過去の日本とは決別をして、自由と、平和と、平等の三つを旗印にかかげ、国際
化のうねりの中で、まっしぐらに前に進むしかないと思う。その向こうにあるのは、かつて200
年前にカントが提唱した、世界国家である。コスモポリタンである。

 はからずも今朝(4・21)、オーストラリアのハワード首相が、日本との間で、FTA(自由貿易)
協定を結ぼうと提唱したというニュースが、飛びこんできた。オーストラリアは、イラクの自衛隊
を保護するために、オーストラリア軍を派遣してくれた。

 そういう国もある。(Advance Australia!)

 そういう国の存在を信じて、前に進む。それこそが、まさに日本のアイデンティティの確立に
つながる。

 ついでに一言。よく「アイデンティティ」という言葉を使って、「武士道こそが、日本人が誇るべ
き、アイデンティティだ」と説く人がいる。

 しかしそもそも言葉の使い方が、まちがっている。そういう人は、アイデンティティというのは、
個性のことだと思っている。さらに言えば、武士道など、日本人が誇らなければならない精神で
も、なんでもない。

 わずか数%の、為政者たちが、刀を振り回して、大半の民衆を虐(しいた)げてきた。その中
で生まれた、自分勝手な論理と精神訓、それが武士道である。あえて言うなら、官僚道、役人
道ということになる。

 自分たちの先祖は、その大半が、武士とは無縁の、町民や農民であった。そういう立場を忘
れて、150年たった今、自分が武士にでもなったつもりで、武士道をたたえるのは、どうかと思
う。少なくとも、私はついていけない。

 もちろん文化は文化だし、歴史は歴史。だからそれなりに尊重はしなければならない。が、そ
れを今、もちだす必要は、どこにもない。改めて日本の「柱」にしなければならない理由など、ど
こにもない。

 私たちが進むべき道は、前にある。うしろではない。

 日本人の心を、発達心理学にからめて、考えてみた。
(はやし浩司 日本人 アイデンティティ 自己同一性)

(追記)

 農業問題もあるが、オーストラリア、シンガポールと、自由貿易協定を結べば、それ自体が、
韓国、中国にとっては、たいへんな脅威になる。

 日本には、ほかに、ブラジルがある。インドがある。アメリカも、カナダもある。EUもある。

 日本は、決して孤立していない。

 去年、オーストラリアの友人(国防省勤務)が、メールで私にこう書いてきた。(このことは、当
時のマガジンに原稿として書いた。)

 「ヒロシ、日本が、K国に攻撃されたら、オーストラリアは、自動的にK国を攻撃することになっ
ている。安心しろ」と。日本とK国の間の緊張感が、極度に高まっていたときでもある。

 私はそのメールをもらったとき、どういうわけか、涙が出るほど、うれしかった。そういう心が、
今回の、オーストラリア軍のイラク派遣へと、具体的につながっている。日本の自衛隊を守るた
めに、だ。

 韓国のN大統領よ、日本は、決して世界から、孤立なんかしていないぞ! バカめ! 孤立さ
せたいのは、N大統領、実は、あなた自身ではないのか! 中国で反日運動が起きたとき、イ
の一番に、「これで日本の安保理入りは、流れた」と喜んだのは、どこのどなたでしたか? 私
たち、日本人は、それを忘れないぞ!

 ……とまあ、たがいに、敵意を育てていてもしかたないですよね。しかしね、N大統領、日本
人も変わりましたよ。どうか戦前の日本人のイメージのままで、今の日本人を見ないでくださ
い。くれぐれも、よろしくお願いします。

 やがていつかすぐ、日本と韓国が、FTA協定を結ぶことになると思います。そういう時代は、
すぐそこまできています。そういう共通の目標に向って、いっしょに、前に進もうではありません
か。
(050421)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司
 
最前線の子育て論byはやし浩司(636)

【近況・あれこれ】

●フィルタリング

 OE(アウトルック・エクスプレス)には、フィルタリング機能という、便利な機能がついている。

 これによって、不愉快なスパムメールの大半は、シャットアウトできる。が、である。それでも、
つぎからつぎへと、同じようなメールが、飛びこんでくる。

 私のアドレスが、どこかで売買されているらしい。こうしてアドレスを公開している以上、しかた
のないことかもしれない。あるいは、最初のころ、こうしたスパムメールに、ていねいに(?)、断
りの返事を書いていたのが、まずかったのかも?

 そこでさらにフィルタリングを重ねているわけだが、敵もさるもの。たとえば「VIAGRA」という
文字でフィルターをかけていても、どんどんと飛びこんでくる。

 「?」と思って、よく見ると、文字を少しずつ、変えてある。

 VIAGRRA
 VIAGARA
 VIAGGRAなど。

 しかし私には、バイアグラは、必要ない。足腰は、ちゃんと、鍛えてある。ハハハ。しかし笑っ
てばかりは、おられない。

 こうなったら、アドレスを変えるしかない。……しかし私のアドレスは、HPのあちこちと、有機
的につながっている。変えるとなっても、簡単ではない。さあ、どうしようか?

 要するに、あやしげなメールには、返事を書かないこと。以前、といっても、数年前だが、
「M・IE電機産業」という大手の電機会社の名前を語ったところから、メールが届いた。

 読むと、「Mパソコン・友の会うんぬん」とあった。それでそれに申し込むと、IDとパスワードを
決めてくれ、と。私は一台だが、そのM社製のパソコンを使っている。

 言われるまま、適当にIDと、パスワードを決めて、送信した。

 ところが、である。そのあと、雨アラレのように、準スケベ通信が、毎日のように届いた。

 そこで送信を停止させたいと思って、指示どおりに、M・IE電機産業のHPをたどってみたが、
どこにも、そんな項目はない。で、さがしにさがしまわったあげく、やっとそれを見つけた。

 が、そこでも、「IDとパスワードを打ち込まないと、解約はできません」とのこと。しかし、だ。そ
んなのは、もう、とっくの昔に忘れてしまった。

 ということで、最終的には、その会社に直接電話をかけ、送信を止めてもらったが、ひょっとし
たら、そのとき、私のアドレスが、悪徳業者の手に渡ったのかもしれない。

 みなさんも、くれぐれも、ご用心のほどを!

 そういうワルが平気でできる人間というのは、不幸にして不幸な乳幼児期を過ごした人間と
みてよい。超自我の中に、良心というものが、育っていない(フロイト学説)。かわいそうで、あ
われな連中である。

 いつか、そういう自分に、そういう人たちが、気がつくときがくるのだろうか。いらぬ心配かもし
れないが、そういうワルを平気でしていると、今度は、自分の息子や娘も、そういうワルを平気
でするようになる。今から、覚悟しておいたほうがよい。


●Mxx

 去年、Mxxという人物から、かなりしつこい、いやがらせのメールが届いた。低劣な文と、お
かしなこだわり。一言、返事を書くと、二言も、三言も、からんできた。が、そのうち私がメール
を開かないとわかると、件名だけをつなげて、文章を書いてきた。

件名:ちゃんと私のメールを読んでるの?
件名:返事くらい書きなよ。
件名:偉そうに、何を、お高くとまっているのよ。
件名:私がだれだか、知らないの。テレビくらい、見ろよ!、と。

(そういうメールの出し方も、あるのですね。そのとき、はじめて、それを知りました。)

当初は、それがだれかわからず、不愉快な思いをしたが、「私がだれだか、知らないの」と書い
てあったことから、それがだれだか、わかった。

 ワイフに「Mxxって、知っている?」と聞くと、「タレントのMじゃない?」と。

 テレビのバラエティ番組に、よく出てくる女性である。一度、どんな女性かと思って見てみた
が、本当に、それらしい顔をしていた。ペラペラとよくしゃべるが、話す内容はゼロ。

 で、それから、ちょうど、1年。詳しくは書けないが、そのMxxが、何かしらハレンチ事件を起
こして、今、問題というより、話題になっている。インターネットのニュースでそれを知って、ワイ
フに、「あのときのMxxね、バカなことをしでかして、謹慎処分を受けているよ」と話すと、ワイフ
も、笑っていた。

 テレビ局のみなさんへ、

 もう少し人選をしっかりしてから、出演者を選んではいかがでしょうか? ただおもしろいか
ら、ただよくしゃべるから、ただ少し風変わりだから、というような理由だけで、人を選んではい
けないと思います。

 恩師のTK先生に言わせると、「そういう人は、虫のような脳ミソしかもっていない」とのこと。
同感! 無視(虫)するのが、一番、よい……、ということか。

+++++++++++++++++++++++

●仮面(ペルソナ)とシャドウ

 仮面(ペルソナ)をかぶると、その反作用として、心の奥にもう1人の、別の人格が生まれる。
それをシャドウという(ユング)。たいていは、無意識のまま生まれる。そしてそのシャドウ(影)
に気づく人は、少ない。

 たとえば牧師、僧侶、そして教職者。それほど善人でもない人間が、無理をして善人ぶると、
その反作用として、その人の心の向こうに、シャドウができる。そのシャドウに、自分の中のイ
ヤな部分を押しこめることによって、表面的には、善人を装うことができる。

 そのためたいていのばあい、そのシャドウは、邪悪で、薄汚い。その奥では、ドロドロとした人
間の欲望が、ウズを巻いている。

 反対に、善人でも仮面をかぶれば、理屈の上では、シャドウができることになる。しかし善人
が、仮面をかぶるということは、あまりない。そのため善人の心の奥に、シャドウができるという
ことは、少ない。ふつう仮面(ペルソナ)というのは、悪人が、自分の心を隠すために、かぶる。

 そこでそのシャドウを、いくつかに分類してみる。

(1)仮面とは正反対の、本性としてのシャドウ。
(2)劣等感を補償するためのシャドウ。
(3)優越感を保護するためのシャドウ。

 たとえば、牧師。もちろん大半の牧師は、善良な人である。しかし中には、いつも自分の心を
ごまかしている人もいる。邪悪な心を押し隠しながら、人前では、あたかも神の僕(しもべ)のよ
うなフリをして、説法をする。

 このタイプの人は、正反対のシャドウを、自分の中につくりやすい。(本当は、そちらのほうが
本性ということになるのだが……。)

つい先ごろ(05年4月)、大阪に住む、あるキリスト教会の牧師が、少女たちにワイセツ行為を
繰りかえしていたという事件が発覚した。被害者は、30数名以上とも言われる。体を清めると
か何とか言って、少女たちを裸にして、そのあと好き勝手なことをしていた。とんでもない牧師
がいたものだが、牧師であるがゆえに、かえって邪悪なジャドウが、増幅されてしまったとも考
えられなくはない。

 その牧師のばあい、牧師という顔そのものが、仮面(ペルソナ)ということになる。ふつう、シャ
ドウはシャドウとして、その人の陰に隠れて姿を現さないものだが、その牧師のばあいは、反
対に、シャドウのほうに、自分が操られてしまったことになる。

 ほかに、手鏡で若い女性のスカートの中をのぞいていた大学教授もいた。マスコミの世界で
も著名な教授であった。こうした人たちは、世間的にもちあげられればあげられるほど、善人と
いう仮面をかぶりながら、その裏で、仮面とは正反対のシャドウをつくりやすい。

 また「劣等感を補償するためのシャドウ」というのもある。

 たとえば学歴コンプレックスをもっている人が、表の世界では、「学歴不要論」を唱えたり、容
姿に恵まれなかった女性が、ウーマンリブ闘争の旗手になったりするのが、それ。

たとえば「私は息子たちには、『勉強しろ』と言ったことはありません。子どもは、自由で、伸び
やかなのが一番です」などと言う親ほど、実は、教育ママであったりする。

 あるいは、ある会社の社員は、ことあるごとに、同僚のX氏を、いじめていた。「あいつは、4
年生の大学を出ているくせに、オレより、仕事ができない」と。

 こうしたいじめをする原動力になっているのが、ここでいう劣等感を補償するシャドウというこ
とになる。

 さらに優越感を保護するためのシャドウもある。たとえば超の上に、超がつくような金持ち
が、ことさら自分を卑下してみせたり、貧乏人を装うなどが、それ。

 少し前だが、有名なニュースキャスターが、やや顔をしかめながら、こう言った。「この不況
で、ますます生活がきびしくなりますね」と。

 そのキャスターは、年俸が、2億〜3億円もあったという。1回の講演料が、300〜400万
円。そんなキャスターが、「生活がきびしくなる」などということは、ありえない。いくら演技でも、
限度がある。私はそのしかめた顔を見ながら、思わずつぶやいてしまった。「何、言ってるん
だ!」と。

 彼のばあいは、一応、庶民の味方であるかのようなフリをしながら、コメントを述べていた。
が、内心では、庶民を、軽蔑していた。あるいは庶民に対して、ある種の優越感を感じていた
のかもしれない。

 よく似た例としては、他人の不幸話を、喜んで聞く人がいる。さも同情したようなフリをして、
「それは、かわいそうに」などと言うが、実際には、何も、同情などしていない。このタイプの人
は、他人が不幸であればあるほど、自分が幸福になったように感ずる。

 こうした仮面は、教師には、つきもの。世間一般では、教職者は、それなりに人徳者と考えら
れている。しかし実際には、私も含めてだが、むしろそうでないケースが多い。

 その人の人徳というのは、いくたの苦難の中でもまれて、はじめて身につく。むしろそういう意
味では、教職というのは、意外と楽な仕事といえる。少なくとも、大学を卒業する時点におい
て、とくにすぐれた人格者が、教師になるというわけではない。

 だから……というわけでもないが、牧師にせよ、僧侶にせよ、はたまた教師にせよ、大切なこ
とは、シャドウをつくるような仮面をかぶらないこと。ありのままの自分を、まずさらけ出し、その
中から、自分をつかんでいく。それが私は、重要だと思う。

【追記】

 このことをワイフに話すと、ワイフは、こう言った。「要するに、自分に正直に生きればいいと
いうことね」と。

 いつも核心部分を、ズバリというところが、ワイフの恐ろしいところ。私が何日もかけて知った
ことを、いつも一言で、まとめてしまう。

 しかしあえて言うなら、ワイフは、少し、まちがっている。(ごめん!)

 「自分に正直に生きる」とはいうが、それは口で言うほど、簡単なことではない。

 たとえば隣人を殺したいと思うほど、憎んでいたとする。しかしそのとき、自分に正直に生き
たら、どうなるか? 

 あなたは台所から包丁をもちだし、その人を殺しに行くかもしれない。しかしそれは、困る。

 「自分に正直に生きる」ためには、その前に、大前提として、(善良な自分)がなければならな
い。その(善良な自分)がないまま、正直に生きたら、それこそ、たいへんなことになる。

私「だからさ、学校の先生もさ、無理をしないで、自分に、正直に生きればいいのさ。へたに聖
職者意識をもつから、疲れる。それだけではない。シャドウをつくってしまい、今度は、そのシャ
ドウに苦しむことになる」
ワ「ありのままの自分で生きるということね」
私「そうだよ。オレは、給料がほしいから、教えているだけ。本当は、お前たちのようなバカは
相手にしたくねえが、がまんしてつきあっているだけとか何とか、そう思っているなら、そう言え
ばいい。すべては、そこから始まる」と。

 ここまで書いて、新しいことに、私は気づいた。「嫉妬(しっと)」である。その嫉妬も、シャドウ
理論で説明がつくことがある。つぎに、それを考えてみたい。


●嫉妬(しっと)

 もう20年近くも前のことだが、こんな話を聞いた。

 ある出版社に、部下の面倒みはよいが、たいへん厳格な上司がいた。しかしたいへんダサイ
男で、女性社員に、ほとんどといってよいほど、相手にされなかった。

 その中でも、つまり女性社員の中でも、その上司は、とくにA子さんに好意を抱いていたらし
い。ところが、そのA子さんが、同じ部にいる若いB男と不倫関係になった。とたんその上司
は、A子さんに、無理な仕事ばかり押しつけて、A子さんに対して、意地悪をするようになったと
いう。

 ふつうの意地悪ではない。執拗(しつよう)かつ陰湿。最終的には、A子さんをして、その会社
をやめる寸前まで、追いつめたという。

 簡単に言えば、その上司は、A子さんに嫉妬したということになる。しかし嫉妬するなら、その
相手の男、つまりB男に対して、である。どうしてその上司は、B男に対してではなく、A子さん
に、意地悪をしたのか?

 こうしたケースでも、シャドウ理論を使えば、説明ができる。

 その上司は、職場の先輩として、つまり人格者としての仮面(ペルソナ)をかぶっていた。職
場での不倫関係を強く戒(いまし)めていた。部下の面倒をよくみる、できた上司としての仮面
である。しかしその本性は、まったく、別のところにあった。女性社員に相手にされなくて、悶々
としていた。

 その悶々としていた部分が、その上司のシャドウを肥大化させた。邪悪で陰険なシャドウであ
る。そのシャドウが、その上司を裏から操(あやつ)って、A子さんを、いじめつづけた(?)。

つまりこのケースでは、その上司は、嫉妬が原因で、A子さんに意地悪をしたのではない。自
分のシャドウに操られて、そうした。そう考えると、話の内容が、すっきりする。

+++++++++++++++++++++

(補足)

 仮面(ペルソナ)をかぶることが悪いというのではない。だれしも、ある程度の仮面をかぶる。
かぶらなければ、仕事ができないことだって、ありえる。たとえばショッピングセンターの店員
や、レストランの店員など。ブスッとした顔をしていたのでは、売りあげものびない。

 しかしそこで重要なことは、仮面をかぶっているときは、いつも、その仮面をかぶっていること
を、心のどこかで、自覚すること。その仮面をかぶっていることを忘れてしまったり、あるいは
仮面をとりはずし忘れると、たいへんなことになる。

 たとえば教師が、聖職者としての仮面をかぶったとする。子どもを指導するためには、そうい
う仮面をかぶることは、ある程度は必要かもしれない。しかしそれが本当の自分とは、思って
はいけない。さらに一歩進んで、「私は、人格的にすぐれた人間だ」と思いこんではいけない。

 こうした状態が、さらに進むと、それこそ、自分がだれだか、わからなくなってしまうことがあ
る。仮面人間といってもよい。仮面をずっとかぶりつづけていたため、仮面をはずせなくなって
しまう。

DSM―IV(第4版)の診断基準の中には、「演技性人格障害」というのもある。つまりは、「自
分がだれであるかもわからなくなってしまい、他人と良好な人間関係を結べなくなってしまった
人」と、考えると、わかりやすい。

ここでいうシャドウとは、少し話がそれるが、参考までに、それをあげておく。 

++++++++++++++++

【演技性人格障害】 

過度の情緒性と人の注意を引こうとする広範な様式で、成人期早期までに始まり、種々の状
況で明らかになる。以下の5つ(またはそれ以上)によって示される。

(1)自分が注目の的になっていない状況では楽しくない。
(2)他人との交流は、しばしば不適切なほどに性的に誘惑的な、または挑発的な行動によって
特徴づけられる。
(3)浅薄で、すばやく変化する感情表出を示す。
(4)自分への関心を示すために絶えず身体的外見を用いる。
(5)過度に印象派的な、内容の詳細がない話し方をする。
(6)自己演劇化、芝居がかった態度、誇張した情緒表現を示す。
(7)被暗示的、つまり他人または環境の影響を受けやすい。
(8)対人関係を実際以上に親密なものとみなす。

++++++++++++++++

 仮にここでいうような、人格障害というレベルまで進んでしまうと、それこそ、「私」が何なの
か、その人自身も、わからなくなってしまう。中には、自分の悪性を隠しながら、「私は絶対的な
善人だ」と信じきっている人もいる。先にあげた、ハレンチ牧師なども、その1人かもしれない。

 仮面をかぶるとしても、その仮面は、必ずどこかで、はずすこと。くれぐれも、ご用心!
(はやし浩司 仮面 ペルソナ シャドウ ユング 演技性人格障害)


●私は善人か?

 仮面をかぶるということは、それ自体、とても疲れる。とくに私のように、もともと性があまりよ
くない人間にとっては、そうだ。

 そういう人間が、人の前で、さも人格者ですというような顔をして、話をする。これはとんでもな
いまちがいである!

 事実、私は、20代から30代のはじめのころまで、職場から帰ってくると、いつも言いようのな
い疲労感に襲われた。瀬一杯、虚勢を張って生きていたこともある。子どもを教えながら、その
向こうに、いつも、親たちの鋭い視線を感じていた。

 が、あるときから、自分をさらけ出すことにした。子どもたちの前ではもちろんのこと、親たち
の前でも、言いたいことを言い、したいことをするようにした。

 とたん、気分が晴れ晴れとしたのを覚えている。

 で、昔から、『泥棒の家は、戸締まりが厳重』という。

 これは自分が泥棒だから、他人も自分と同じように考えていると思うことによる。心理学で
も、そういうのを、「投影」という。自分の心を、相手の心に投影してものを考えるから、そうい
う。しかしもう少し踏みこんで考えてみると、泥棒は、自分自身のシャドウ(影)におびえていると
いうことにもなる。

 「自分の家は、いつも泥棒にねらわれている」とおびえるのは、泥棒に入られることを恐れて
いるのでもなければ、また他人が、泥棒に見えることでもない。実は、自分自身の中のシャドウ
におびえているため、と。

 同じように、仮面をかぶるとなぜ疲れるかと言えば、演技をするからではなく、そのシャドウを
見透かされないように、あれこれ気を使うためではないかということにもなる。

 今から、あの当時の自分を思い出すと、そう考えられなくもない。ある時期などは、さも「お金
(月謝)には、興味はありません」などという顔をして、教えたこともある。しかし私のシャドウ
は、熱心に、そのお金(月謝)を、追い求めていた!

 お金(月謝)がほしかったら、「ほしい」と言えばよい。無理をしてはいけない。つまりは、自分
に正直に生きるということになるが、これがまた、たいへん。

 正直に生きるためには、その前に、自分の中の邪悪な部分を、踏みつぶしておかねばならな
い。冒頭にも書いたように、私はもともと、性があまりよくない。「よくない」というのは、小ずるい
人間であることをいう。

 気は小さいので、たいしたワルはできない。しかし陰に隠れて、コソコソと悪いことばかりして
いた。そういう人間である。

 そういう自分に正直に生きたら、それこそ、たいへんなことになる。

 そこで私は、まず、身のまわりのルールから守ることにした。はっきりとそれを自覚したの
は、自分が、ドン底に落ちたと感じたときだった。それについて書いたエッセーが、つぎのエッ
セーである。

+++++++++++++++++++++

そのときのことを書いた、エッセーをそのまま添付
します。文章が、うまくありませんが、そのまま、で。

+++++++++++++++++++++

●善人と悪人

 人間もどん底に叩き落とされると、そこで二種類に分かれる。善人と悪人だ。

そういう意味で善人も悪人も紙一重。大きく違うようで、それほど違わない。

私のばあいも、幼稚園で講師になったとき、すべてをなくした。母にさえ、「あんたは道を誤った
ア〜」と泣きつかれるしまつ。

私は毎晩、自分のアパートへ帰るとき、「浩司、死んではダメだ」と自分に言ってきかせねばな
らなかった。ただ私のばあいは、そのときから、自分でもおかしいと思うほど、クソまじめな生き
方をするようになった。酒もタバコもやめた。女遊びもやめた。

 もし運命というものがあるなら、私はあると思う。しかしその運命は、いかに自分と正直に立
ち向かうかで決まる。さらに最後の最後で、その運命と立ち向かうのは、運命ではない。自分
自身だ。それを決めるのは自分の意思だ。

だから今、そういった自分を振り返ってみると、自分にはたしかに運命はあった。しかしその運
命というのは、あらかじめ決められたものではなく、そのつど運命は、私自身で決めてきた。自
分で決めながら、自分の運命をつくってきた。が、しかし本当にそう言いきってよいものか。

 もしあのとき、私がもうひとつ別の、つまり悪人の道を歩んでいたとしたら……。今もその運
命の中に自分はいることになる。多分私のことだから、かなりの悪人になっていたことだろう。
自分ではコントロールできないもっと大きな流れの中で、今ごろの私は悪事に悪事を重ねてい
るに違いない。

が、そのときですら、やはり今と同じことを言うかもしれない。「そのつど私は私の運命を、自分
で決めてきた」と。……となると、またわからなくなる。果たして今の私は、本当に私なのか、
と。

 今も、世間をにぎわすような偉人もいれば、悪人もいる。しかしそういう人とて、自分で偉人に
なったとか、悪人になったとかいうことではなく、もっと別の大きな力に動かされるまま、偉人は
偉人になり、悪人は悪人になったのではないか。

たとえば私は今、こうして懸命に考え、懸命にものを書いている。しかしそれとて考えてみれ
ば、結局は自分の中にあるもうひとつの運命と戦うためではないのか。ふと油断すれば、その
ままスーッと、悪人の道に入ってしまいそうな、そんな自分がそこにいる。つまりそういう運命に
吸い込まれていくのがいやだからこそ、こうしてものを書きながら、自分と戦う。……戦ってい
る。

 私はときどき、善人も悪人もわからなくなる。どこかどう違うのかさえわからなくなる。みな、ち
ょっとした運命のいたずらで、善人は善人になり、悪人は悪人になる。

今、善人ぶっているあなただって、悪人でないとは言い切れないし、また明日になると、あなた
もその悪人になっているかもしれない。そういうのを運命というのなら、たしかに運命というのは
ある。

何ともわかりにくい話をしたが、「?」と思う人は、どうかこのエッセイは無視してほしい。このつ
づきは、別のところで考えてみることにする。

++++++++++++++++++++++

この原稿につづいて書いたのが、つぎの原稿です。
55歳のときに書いたので、もうそれから2年以上
になります。

内容が少しダブりますが、お許しください。

++++++++++++++++++++++

【自分のこと】

●ある読者からのメール

 一人のマガジン読者から、こんなメールが届いた。「乳がんです。進行しています。診断され
たあと、地獄のような数日を過ごしました」と。

 ショックだった。会ったことも、声を聞いたこともない人だったが、ショックだった。その日はた
またま休みだったが、そのため、遊びに行こうという気持ちが消えた。消えて、私は一日書斎
に座って、猛烈に原稿を書いた。

●五五歳という節目

 私はもうすぐ五五歳になる。昔で言えば、定年退職の年齢である。実際、近隣に住む人たち
のほとんどは、その五五歳で退職している。

私はそういう人たちを若いときから見ているので、五五歳という年齢を、ひとつの節目のように
考えてきた。だから……というわけではないが、何となく、私の人生がもうすぐ終わるような気
がしてならない。

この一年間、「あと一年」「あと半年」「あと数か月……」と思いながら、生きてきた。が、本当に
来月、一〇月に、いよいよ私は、その五五歳になる。もちろん私には定年退職はない。引退も
ない。死ぬまで働くしかない。しかしその誕生日が、私にとっては大きな節目になるような気が
する。

●私は愚かな人間だった

 私は愚かだった。愚かな人間だった。若いころ、あまりにも好き勝手なことをしすぎた。時間
というのが、かくも貴重なものだとは思ってもみなかった。その日、その日を、ただ楽しく過ごせ
ればよいと考えたこともある。

今でこそ、偉そうに、多くの人の前に立ち、講演したりしているが、もともと私はそんな器(うつ
わ)ではない。もしみなさんが、若いころの私を知ったら、おそらくあきれて、私から去っていくだ
ろう。そんな私が、大きく変わったのは、こんな事件があったからだ。

●母の一言で、どん底に!

 私はそのとき、幼稚園の講師をしていた。要するにモグリの講師だった。給料は二万円。大
卒の初任給が六〜七万円の時代だった。

そこで私は園長に相談して、午後は自由にしてもらった。自由にしてもらって、好き勝手なこと
をした。家庭教師、塾の講師、翻訳、通訳、貿易の代行などなど。全体で、一五〜二〇万円く
らいは稼いでいただろうか。しかしそうして稼ぐ一方、郷里から母がときどきやってきて、私から
毎回、二〇万円単位で、お金をもって帰った。私は子どもとして、それは当然のことと考えてい
た。が、そんなある夜。私はその母に電話をした。

 私は母にはずっと、幼稚園の講師をしている話は隠していた。今と違って、当時は、幼稚園
の教師でも、その社会的地位は、恐ろしく低かった。

おかしな序列があって、大学の教授を頂点に、その下に高校の教師、中学校の教師、そして
小学校の教師と並んでいた。幼稚園の教師など、番外だった。私はそのまた番外の講師だっ
た。幼稚園の職員会議にも出させてもらえないような身分だった。

 「すばらしい」と思って入った幼児教育の世界だったが、しばらく働いてみると、そうでないこと
がわかった。苦しかった。つらかった。そこで私は母だけは私をなぐさめてくれるだろうと思っ
て、母に電話をした。

が、母の答は意外なものだった。私が「幼稚園で働いている」と告げると、母は、おおげさな泣
き声をあげて、「浩ちゃん、あんたは道を誤ったア、誤ったア!」と、何度も繰り返し言った。と
たん、私は、どん底にたたきつけられた。最後の最後のところで私を支えていた、そのつっか
い棒が、ガラガラと粉々になって飛び散っていくのを感じた。

●目が涙でうるんで……

 その夜、どうやって自分の部屋に帰ったか覚えていない。寒い冬の夜だったと思うが、カンカ
ンとカベにぶつかってこだまする自分の足音を聞きながら、「浩司、死んではだめだ。死んでは
だめだ」と、自分に言ってきかせて歩いた。

 部屋へ帰ると、つくりかけのプラモデルが、床に散乱していた。私はそのプラモデルをつくっ
て、気を紛らわそうとしたが、目が涙でうるんで、それができなかった。私は床に正座したまま、
何時間もそのまま時が流れるのを待った。いや、そのあとのことはよく覚えていない。一晩中
起きていたような気もするし、そのまま眠ってしまったような気もする。ただどういうわけか、あ
のプラモデルだけは、はっきりと脳裏に焼きついている。

●その夜を契機(けいき)に……

 振り返ってみると、その夜から、私は大きく変わったと思う。その夜をさかいに、タバコをやめ
た。酒もやめた。そして女遊びもやめた。もともとタバコや酒は好きではなかったから、「やめ
た」というほどのことではないかもしれない。

しかしガールフレンドは、何人かいた。学生時代に、大きな失恋を経験していたから、女性に
対しては、どこかヤケッパチなところはあった。とっかえ、ひっかえというほどではなかったかも
しれないが、しかしそれに近い状態だった。一、二度だけセックスをして別れた女性は、何人か
いる。それにその夜以前の私は、小ずるい男だった。もともと気が小さい人間なので、大きな
悪(わる)はできなかったが、多少のごまかしをすることは、何でもなかった。平気だった。

 が、その夜を境に、私は自分でもおかしいと思うほど、クソまじめになった。どうして自分がそ
うなったかということはよくわからないが、事実、そうなった。私は、それ以後の自分について、
いくつか断言できることがある。

たとえば、人からお金やモノを借りたことはない。一度だけ一〇円を借りたことがあるが、それ
は緊急の電話代がなかったからだ。もちろん借金など、したことがない。どんな支払いでも、一
週間以上、のばしたことはない。たとえ相手が月末でもよいと言っても、私は、その支払いを一
週間以内にすました。

ゴミをそうでないところに、捨てたことはない。ツバを道路にはいたこともない。あるいはどこか
で結果として、ひょっとしたらどこかで人をだましているかもしれないが、少なくとも、意識にある
かぎり、人をだましたことはない。聞かれても黙っていることはあるが、ウソをついたことはな
い。ただひたすら、まじめに、どこまでもまじめに生きるようになった。

●もっと早く自分を知るべきだった

 が、にもかかわらず、この後悔の念は、どこから生まれるのか。私はその夜を境に、自分が
大きく変わった。それはわかる。しかしその夜に、自分の中の自分がすべて清算されたわけで
はない。邪悪な醜い自分は、そのまま残った。今も残っている。

かろうじてそういう自分が顔を出さないのは、別の私が懸命にそれを抑えているからにほかな
らない。しかしふと油断すると、それがすぐ顔を出す。そこで自分の過去を振り返ってみると、
自分の中のいやな自分というのは、子どものころから、その夜までにできたということがわか
る。

私はそれほど恵まれた環境で育っていない。戦後の混乱期ということもあった。その時代とい
うのは、まじめな人間が、どこかバカに見えるような時代だった。だから後悔する。私はもっと、
はやい時期に、自分の邪悪な醜い自分に気づくべきだった。

●猛烈に原稿を書いた

 私は頭の中で、懸命にその乳がんの女性のことを考えた。何という無力感。何という虚脱
感。それまでにもらったメールによると、上の子どもはまだ小学一年生だという。下の子ども
は、幼稚園児だという。

子育てには心労はつきものだが、乳がんというのは、その心労の範囲を超えている。「地獄の
ような……」という彼女の言い方に、すべてが集約されている。五五歳になった私が、その人生
の結末として、地獄を味わったとしても、それはそれとして納得できる。仮に地獄だとしても、そ
の地獄をつくったのは、私自身にほかならない。しかしそんな若い母親が……!

 もっとも今は、医療も発達しているから、乳がんといっても、少しがんこな「できもの」程度のも
のかもしれない。深刻は深刻な病気だが、しかしそれほど深刻にならなくてもよいのかもしれな
い。私はそう思ったが、しかしその読者には、そういう安易なはげましをすることができなかっ
た。

今、私がなすべきことは、少しでもその深刻さを共有し、自分の苦しみとして分けもつことだ。だ
から私は遊びに行くのをやめた。やめて、一日中、書斎にこもって、猛烈に原稿を書いた。そう
することが、私にとって、その読者の気持ちを共有する、唯一の方法と思ったからだ。

++++++++++++++++++++++

 私は善人かと聞かれれば、「?」と思ってしまう。自分の中に、確固たる「柱」がない。それは
自分でも、よく感ずる。

 私は、だれにでもヘラヘラとシッポを振るような人間だったし、今も、基本的には、そうであ
る。たまたま今は、善の世界に生きているから、悪人でないだけである。もし近くに悪人がい
て、「おい、林、お前も仲間に入らないか」と声をかけられたら、そのままスーッと入ってしまうか
もしれない。

 事実、M物産という会社に勤め始めたころ、ヤクザ映画を見て、妙にそのヤクザの世界に魅
力を感じたこともある。魅力というより、あこがれた(?)。

 しかしあの夜を境に、私は、自分でもバカだと思うほど、クソまじめ人間になった。BW教室と
いう、小さな教室をもっているが、その教室ですら、過去35年近く、ズル休みをしたことは、た
だの一度もない。(本当に、ない! 休んだのは、起きあがれないほどの病気になったときだ
け。) 

 電話代の10円を借りたことはあるが、それ以外に、借金をしたことも、ただの一度もない。も
ちろんお金のことで、他人に迷惑をかけたことは一度もない。

 しかしそれらは、自分が善人だからではなく、自分自身のシャドウにおびえていたからそうし
ただけとも言えなくもない。自分が、(泥棒)だから、自分の家の(戸締まりを、厳重)にしている
だけということか。

 その証拠に、お金にルーズな人を見ると、必要以上に腹をたてたりする。しかしそれはその
相手に対して腹をたてるというよりは、自分自身のシャドウを、忌み嫌ってのことではないの
か。そういうふうにも、解釈できる。

 シャドウ(ユング)の考え方を、自分に当てはめてみると、そんな感じがする。

 以上、浅学を恥じず、自分勝手な解釈で、「仮面(ペルソナ)とシャドウ(影)」について、あれこ
れ考えてみた。

 もちろん私は、この道のプロではない。学者でもない。だからそういう意味では、どこか無責
任。書きたいことを書き、こうして書くことを楽しんでいる。ときどき、その道の専門家の先生か
ら、「ここがまちがっている」「ここがおかしい」という意見をもらうが、どうか、そのあたりのこと
は、勘弁してほしい。

 大切なことは、いろいろな意見を踏み台にして、その上で、自分なりの考えを、前向きに発展
させることではないだろうか。(……どこか、弁解がましいが……。)

 しかし今回、「シャドウ」という考え方には、今までになかった、新鮮さを感じた。さすが、ユン
グ先生! あなたはすばらしい!

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


●メチャメチャな株価

 日本の会社だが、Fxxxxという会社がある。

 少し前、新型パソコンを買うとき、Mouse社のパソコンにしようか、それともFxxxx社のパソコ
ンにしようかと、迷った。(結局、Mouse社のパソコンにしたが……。)

 そういういきさつもあって、私は、Fxxxx社の株を、X株ずつ、3回に分けて買った。

 が、まちがいだった。

 Fxxxx社というのは、音楽の配信を専門にする会社だった。つまり私は、パソコン・メーカー
のFxxxx社だと思って、その株を買ったが、私が株を買ったFxxxx社は、別の会社だった。

 で、そのあと、ジリジリと株価は、低下。1株26〜27万円前後で買ったが、一時は、24万円
ギリギリまでさがってしまった。

 それだけでxx万円の損! こういう話は、ワイフにはできない。「まあ、そのうち、あがるだろ
う……」と思って、黙っていた。まさか、「会社をまちがえて株を買った」とも、言えないし……。

 しかし、である。

 その株が、突如として、値上がりし始めた。驚いた。この数日間だけで、ナ、何と、約5万円
以上の値上がり! (5万円ですぞ!)

 ギョッ!

 株価が上がり始めると、下がるときより、狼狽(ろうばい)するものか。うろたえる。

 あわてて、数株ずつ、同じく3回に分けて売る。おかげで、この数日間だけで、xx万円のもう
け!

 ……それはそれでうれしいのだが、こんな株価の上昇のし方は、異常。おかしい。狂ってい
る。つまり、今、日本の経済は、バブル化している。マネーゲーム化している。もっとはっきり言
えば、バクチ化している!

 で、ネットで株の売買をしているが、そのネットで取り引きをしていると、昔の私がバカに見え
てくる。昔の私は、朝、新聞の株価欄を見たあと、証券会社にそのつど電話を入れ、株の売買
を楽しんでいた。

 が、それでは、10分きざみ、あるいは数分きざみで変化する株価の変動には、対処できな
い。だから買いどきや、売りどきを、のがしてしまう。が、これでは、利益など、出るはずがな
い。

 しかしネット取り引きのばあいは、瞬時、瞬時に、取り引きができる。これはすごい。すごいの
はわかるが、これでよいのかという疑問も、残る。

 今の今も、日本政府は、猛烈な勢いで、市中にお金をバラまいている。そういうお金が、証券
市場に集中している。今、外の世界では、あまり目だたないが、株の売買に血眼(ちまなこ)を
あげている人も、少なくないはず。

 しかし、株の売買は、ほどほどに。あまりいい気になると、ヤケドをする。私は、いつも投資額
を、最高xx万円と決めて、株の売買をしている。そしてもうけたお金で、パソコンの周辺機器を
買うことにしている。私にとって、株の売買は、あくまでも小づかい稼ぎの遊び。

 それ以上の欲は、出さない。さてさて、今度は、何を買おうか? 新しいデジタルカメラか、も
う少しふんばって、携帯端末期くらいは、買えそうな雰囲気になってきた。


●おけさ踊り

 佐渡には、おけさ踊りという、よく知られた踊りがある。そのおけさ踊りについて、あの手塚治
虫が、こんな物語を書き残している。もちろん、フィクション(だと思う。)

 手塚治虫短編集(1)、講談社漫画文庫より。「とんと昔、佐渡の相川の庄ちゅうところに…
…」という出だしで、その物語は、始まる。

 昔、ひょう六という、一匹のネコと暮らす、踊り好きな若い小作人がいたそうだ。

 ひょう六が踊った踊りは、どこか風刺的な踊りだった。それが佐渡を統治する大名の耳に届
いた。そしてひょう六は、大名の前で、その踊りをしてみせることになった。
 
が、どこか風刺的なその踊りは、大名の怒りをかうことになった。大名をどこか、小バカにした
ような踊りだった。そこでその大名は、ひょう六に大量の酒を飲ませて、ひょう六を殺そうとし
た。が、そのときネコが、大杯(さかずき)を払って、ひょう六の命を救う。

 もちろん、踊りは禁止。……ということになったが、ひょう六は、相変わらず、踊りつづけた。

 毎日、毎晩、踊りを踊ってばかりいたという。その踊り方が、うまかった。それを聞いた近くの
村に住む、「おけさ」という女性が、弟子入りをした。おけさはやがて、その若者と結婚し、いっ
しょに住むことになった。

そんなある日、ひょう六は、襲ってきた侍たちに、片目を切られてしまう。

 しかしひょう六は、踊ることをやめなかった。

 怒った大名は、家来に命じて、ひょう六のもう一方の目も切ってしまう。ひょう六は、盲目とな
ってしまう。

 そこで今度は、おけさが、ひょう六のかわりに踊りを踊るようになったが、そのおけさも、大名
の怒りをかった。犯された上、その大名の手によって、都へ遊女として売り飛ばされてしまう。

 ひょう六が、おけさを求めてさがし回っていると、そこへ、おけさが大名の屋敷からもどってき
た。そしていつものように、ひょう六の世話をはじめたという。

 それからというもの、田んぼや畑で、ひょう六のネコが、踊っている姿がよく見られたという。
そしてそれは、「おけさネコ踊り」として、佐渡の島中に知れ渡るようになった。が、やがてひょう
六は、病に倒れ、そのまま死んでしまう。

 それからしばらくのこと。村人が、ひょう六の家に行ってみると、年老いたネコが、縁の下で、
笠をかぶったまま、死んでいるのが、見つかったという。

 手塚治虫のコミックを、かいつまんでまとめたので、ストーリーとして読みづらいところがある
かもしれないが、許してほしい。

 で、この話には、フィクションとはいえ(多分?)、どこか、胸にジーンとくる。私がハリウッドの
映画会社なら、すぐ映画化するだろう。ひょう六のところへもどって、おけさに代わって、ひょう
六の世話したのは、そのネコということになる。

 しかしこの話は、冒頭にも書いたように、手塚治虫のフィクション、……だと思う。佐渡に伝わ
る「佐渡おけさ」は、九州の「ハイヤ節」が北上し、佐渡に渡ったのが由来だと言われている。
また「おけさ」という語源については、女性名という説も多いが、定かではない。

 今度、佐渡へ行く機会があったら、調べてみたいと思っている。しかしどこか胸にジーンとくる
話! ホント!

 (ワイフは、一度は行きたいと、がんばっている。)
(はやし浩司 佐渡 おけさ 佐渡おけさ 手塚治虫)

+++++++++++++++++++

●Uィルス・Bスターズめ!

 あえて名指しで! 今朝は、もう、何というか、神経をすり減らしたぞ! ホント!

 私は、主に土日、HPの更新をしている。とくに、メインHPは、土曜日にすることにしている。
更新そのものには、それほど時間はかからないが、何しろ、ぼう大なHPである。

 ファイルの読み出しだけで、20〜30分。それを更新して、FTP送信するまでに、20分前後。
そのあと保存をかけると、PEN4の3・2GHzマシンでしても、2時間と40分もかかる。

 簡単には、ファイルを開けない。

 そんなとき、つまりファイルを開きつつあるとき、突然、Uィルス・Bスターズが、自動更新を始
めた。いつものことなので、ふと手を休めたが、そのあと、パソコンがフリーズしてしまった!

 これにはあわてた。本当にあわてた。

 数回、再起動をかけるが、状態は同じ。パソコンがフリーズするのは、しかたない。しかしHP
のファイルを破損したら、どうする!

 外づけのハードディスクで、そのつどコピーはとってはいるが、しかし毎週ではない。月に1回
くらい……。

 で、そのあと、あちこちが狂い始めた。ゾーッ、ゾーッの繰りかえし。OSはXP2だが、そのXP
2でも、復元ができなくなってしまった。おまけにインターネットもつながらない!

 1、2時間、悪戦苦闘。パソコン会社に電話をすると、「リカバリー(リセット)しかありません」と
のこと。「OS(Windows)が、破壊されていますね」と。

 またまた、ゾーッ。本当にキモを冷やした。が、今度は、パソコン会社にすら、電話がつなが
らなくなってしまった。

 リカバリーはしたものの、OSが、二つ入ってしまい、たがいにバッチング! 一方に入れたソ
フトが、他方では、消えてしまう。

 その上、パソコンに電源を入れると、英語で「原因不明のエラー※」と表示される!

 ああああ!

 午後になって、しかも1時間くらい電話をかけつづけたあと、やっと、コンピュータ会社と電話
でつながった。

 理由を聞くと、「原因は、Uィルス・Bスターズのようです。昼のNHKニュースで、それを言って
いました」と。

 まさかのまさか! ウィルスソフトで、パソコンが破壊された!

 そのあと、一度、パソコンを、すべて白紙にする方法から、教えてもらい、リカバリー。そのあ
と、必要最小限のソフトを組み込み、ファイルをもどして、作業が終了したのが、少し前。現在、
午後7時少し前だから、約10時間以上、時間をムダにしたことになる。

 10時間だぞ!

 笑うに笑えない。泣くに泣けない。途中、ムシャクシャしたから、ワイフと散歩。

 夕方、夕刊を見たら、「Uィルス・Bスターズが原因らしい」とのこと。あちこちで、かなりの被害
がでたらしい。

 もう二度と、Uィルス・Bスターズは買わないぞ!
 
 損害を弁償してくれ! 10時間という貴重な時間を、どうしてくれる!

 そんなわけで、今夜は、外食。パソコンを見るのも、いやになった。

※……通称、「死のエラー」と呼ばれる「STOP c000021a」というブルー画面。あちこちで調
べたが、私のような素人では、どうにもならないエラーらしい。ハードディスクそのものの物理的
故障によることもあるとか。

 ここで「作業が終了した」と書いたが、実は、今も、その作業中。翌日の今日(24日)、もう一
度、リカバリー(リセット)をしているところ。


●シャドウにおびえる

 『泥棒の家は、戸締りが厳重』という。しかし泥棒は、ほかの泥棒を恐れるのではない。自分
の醜いシャドウ(影)におびえる。そのシャドウにおびえるから、戸締まりを厳重にする。

 あまりよい例ではないかもしれないが、たとえば殺人者がいたとする。これはあくまでも、私
の想像によるものだが、その殺人者は、自分の罪の犯した罪を恐れるのではない。殺した相
手の亡霊を心のどこかに感じて、それを恐れる。

 ほかにたとえば、子どもの成績に狂奔する親がいる。そういう親は、いくらでもいる。そういう
親は、もちろん子どものために狂奔しているのではない。自分の不安や心配を解消するため
の道具として、子どもを利用しているだけ。

 で、なぜ不安や心配になるかといえば、その原因は、シャドウである。自分のシャドウにおび
えて、そうする。今まで、学歴でしか人を判断してこなかったという、自分自身のシャドウであ
る。

 たとえば書店へ行く。子どものワークブックを選ぶ。そういうとき、どこかの有名大学の有名
教授の監修したワークブックなら、安心する。そうでないと、不安になる。

 子どもの目で、ワークブックを選ぶという「眼(め)」そのものが、ない。さらに他人を、学歴で
判断する。「あいつは、BB私立大学だから、よくて課長どまりだな」とか、など。そういうゆがん
だものの見方が、そのウラで、シャドウを、増幅させる。

 そういう部分が、自分の心のウラに、シャドウをつくる。そのシャドウが、今度は、その親自身
を操(あやつ)るようになる。そして子どもに向っては、こう叫ぶ。「勉強しなさい!」と。

 こうしたシャドウは、私にも、あなたにも、ある。みんな、ある。

 あるときまでは、そのシャドウを、心の箱の中にしまって、閉じこめることができる。しかしそ
のシャドウが大きくなると、そうはいかない。そのシャドウが箱から出て、好き勝手なことをし始
める。

 それがこわい。

 だから、シャドウがあるにしても、今以上に、そのシャドウをを肥大化させてはいけない。

 方法は簡単。いつもサラサラと、飾りなく、常識を信じて生きる。ごくふつうの人間として、ふつ
うの生活を送る。あるがままの自分を、すなおにさらけ出して、生きる。それでよい。


●山荘に泊まる

 昨夜(4・23)は、山荘に泊まった、ほぼ、4、5か月ぶりである。兄の介護などもあった。

 朝、起きてみると、近くの山々が、刺繍(ししゅう)で描いたような、若葉でおおわれていた。そ
れが朝日をあびて、キラキラと輝いていた。

 美しかった。

 さっそく、CDをかける。もちろんベートーベンの「田園交響曲」。こういう景色には、その曲が
一番、似あう。

 ただし、昨夜、ふとん1枚で寝たため、どうやら風邪をひいたよう。夜中に、急速に気温がさ
がったらしい。

 そうそう、ここ2日間で、2本のビデオをみた。

 「ビレッジ」と、「隣のヒットマン2」。「ビレッジ」は、最初からほとんど最後まで、(思わせぶり)
なシーンばかり。

 まあ、何というか、お粗末な内容。★は1つ。また「隣のヒットマン2」は、初作ほど、おもしろく
なかった。いわゆるコメディだが、(殺し)と(コメディ)の接続に、無理を感じた。ヒマつぶしに
は、よいビデオだが、作品としては、★は2つ。

 そんなわけで、ここ2日は、時間を、かなりムダにした。パソコンの修理もあった。

 そのため、原稿は、ほとんど、書いていない。

(補記)

 今朝は、そんなわけで、悪夢で目がさめた。よく覚えていないが、いやな夢だった。気分も悪
かった。

 それで起きて、居間に行くと、ワイフがそこにいて、こう言った。

 「あなた、見て、夢みたいな景色よ」と。

 私は、こう言った。「あのな、ぼくにとっては、エクソシストに出てくるような恐ろしい景色を、夢
のような景色って、言うの。残念だけれど、夢の中では、こんなすばらしい景色は見ないよ」と。

 そこで改めて、その美しい景色を見ながら、こう言った。

 「現実みたいな、きれいな景色だね」と。


++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●痴呆と、幼稚性

 頭がボケた兄を介護していたときのこと。私は、こんなことに気がついた。

 兄は、CDプレーヤーの使い方がのみこめず、四苦八苦していたときのこと。そのときの兄の
様子が、ワイフが、パソコンの使い方がわからず、四苦八苦している姿に似ていた。

 そこで私は、「ボケというのは、相対的なもの」という考え方をもつようになった。より利口な人
から見れば、その人は、よりボケた人に見える。(反対に、ボケた人からは、利口な人はわか
らないが……。)

 さらにその利口な人でも、より利口な人から見れば、ボケた人に見える。つまり利口かそうで
ないかは、相対的なちがいでしかない、と。

 が、ここで大きな問題にぶつかる。

 その話をする前に、私はあるとき、今度は、幼児を教えているときに感じたことだが、こんな
ことにも気がついた。ボケた兄と、幼児のしていることは同じようだが、同じではない、と。

 たとえば幼児に、何かの電子機器を与えてみる。その幼児は、興味深そうにそれをながめた
あと、あれこれそれをいじり始める。様子としては、CDプレーヤーをもって四苦八苦している兄
と、それほど、ちがわない。しかし、ちがう。どこかが、ちがう。

 同じ四苦八苦をしながらも、ボケた兄のほうは、どこか投げやり的。考える前に、めちゃめち
ゃ、操作しているだけといったふう。しかし幼児のばあいは、一つずつの動作の中に、自分の
考えを織りこんでいる。「こうすれば、こうなるのか」「ああすれば、ああなるのか」と。

 ここが痴呆と、幼稚性のちがいということになる。もう少しくわしく考えてみよう。

 思考力は、(1)集中的思考と、(2)拡散的思考の二つに分類される。

 集中的思考というのは、すでに頭の中にある情報や知識を組み立てながら、一つの理論か
ら、別の理論へと、思考力を発展させていくことをいう。論理の世界が、それにあたる。

 一方、拡散的思考というのは、いわゆる「ひらめき」をいう。それまでになかった考え方や、作
り方を、発展的に発見していくことをいう。芸術家の世界が、それにあたる。

 その拡散的思考は、(1)思考の柔軟性、(2)独創性、(3)創造性、(4)応用性、(5)敏感
性、(6)感受性、(7)斬新性などによって判断される。

 痴呆性の老人を見ていると、これらの要素がないことがわかる。あっても少ないか、その積
み重ねに、時間がかかる。かかるというよりは、残らない。

 たとえば私は兄に、クレヨンと髪を渡して、絵を描かせてみた。しかし単純な絵で、しかも同じ
絵ばかりを描く。

 つぎにハナ(犬)との接触を試みた。何度か、いっしょに散歩させてみようと思ったが、その意
欲そのものがない。自分ができること、したことがあることについては、それなりの行動ができ
る。が、新しいことについては、まったくといってよいほど、興味を示さない。

 こういうことから、痴呆については、とくに拡散的思考能力が、欠けているということがわか
る。脳細胞レベルで考えるなら、その脳細胞から伸びていくはずのシナプスが、たがいにから
んでいかないといった様子になる。

 この違いが、痴呆と、幼稚性の違いということか?

 で、こと教育ということになると、幼児のばあいは、集中的思考にせよ、拡散的思考にせよ、
そこに「伸びていく」というおもしろさがある。しかし痴呆のばあいは、現状維持が精一杯(?)。
かりに伸びる要素があったとしても、それは一時的に、痴呆を食い止めるだけの効果しかない
のでは……?

 が、ここでまたまた大きな問題にぶつかる。

 では、痴呆のばあい、教育はムダかどうかという問題である。それはたとえて言うなら、すで
に植物的な状態になった人に対して、延命処置は、ムダかどうかという問題に似ている。

 そこで登場するのが、人間性の問題ということになる。

 痴呆か、痴呆でないかは、あくまでも、相対的なものにすぎない。しかも、人間は、だれしも老
いる。老いれば、脳の活動は、鈍くなる。もし「痴呆になったから、生きる価値もない」と、だれ
かが判断したら、それこそ、たいへんなことになる。最初に書いたように、痴呆的であるかない
かということは、あくまでも、相対的な違いでしかない。

 それにこんなことにも気づいた。

 今朝、朝食のとき、ワイフが、こう言った。

 EXPO'05(愛・地球博)を見にいったときのこと、イタリア館の中に、2000年ほど前に彫刻
された男性像が陳列してあった。最近、海の中から発見されたものだという。

 その話をしながら、ワイフが、「昔の人でも、結構、頭がよかったのね」と。

 私はそれを聞きながら、頭の中で、こう考えた。

 2000年前には、そういう像を彫刻できる人ような頭のよい人は、たとえば全体の2%にすぎ
なかった。それが1000年前には、10%になり、現代は、30%になった、と。

 つまり頭のよさという点では、2000年前も、5000年前も、それほど、大きな違いはない。た
だ、頭のよい人が、どんどんとふえてきた。

私「それが進化ではないかと思う」
ワイフ「どういうことよ?」
私「いいか、人間は、全体が少しずつ、利口になってきたというわけではない。昔も、今の現代
人のように、頭のいい人はいた。が、数が少なかった。それが昔と、現代のちがいではないか」
と。

 この考え方によると、いわゆるミッシング・リンク(人間とサルをつなぐ、進化の過程)の謎も
説明できる。つまり、ある日、ごく小数の人間だけが、(あるいは1人だけだったかもしれない)、
何らかの突然変異で、利口になった。

 その人間が、タネとなり、つまり優性遺伝する形で、時代を追うごとに、どんどんと利口な人
間がふえていった。

 話が脱線したが、もし先の考え方をおし進めると、人間にかぎらず、人間以外の動物たちも、
みな、生きる価値はないということにもなってしまう。しかし、現実に、人間は、下等動物であっ
た時代から、生きてきたし、今も生きている。

 おそらく2000年後とか3000年後には、利口な人は、今よりはるかにずっと多くなるにちが
いない。だから今、愚かだからといって、またそういうことを理由にして、人間の生きる価値ま
で、判断してはいけない。

 やはり、人間は、痴呆であろうが、幼稚であろうが、今を生きる権利がある。生きなければな
らない。

 しかしあえて言うなら、私は、痴呆性のある老人の教育は、したくない。同じだけの時間とエ
ネルギーを使うなら、幼児のために使った方が、ずっと楽しい。生きがいもある。頭のボケたじ
いさんや、ばあさんを前にして、「粘土と棒で、三角形を作ってみよう」などという指導は、したく
ない。私には、できない。(ごめん!)
(はやし浩司 進化 痴呆 幼稚性)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●市町村合併

 今日(05・4月24日)、あちこちで、市町村合併にともなう、新首長の選挙が行われている。
地域住民の投票率は、あまりよくないようだ。

 で、行政改革はだれの目にも必要だし、それにともなう行政のスリム化は、これまた当然と言
える。今の行政には、ムダが多すぎる。それに公務員の数も、多すぎる。

 仮に10の市町村を、1つにすれば、市長は1人ですむ。議会に議員数も減らせるし、職員の
数も減らせる。……ということで、いわゆる「平成の大合併」が始まった。

 当初は、3200以上もあった市町村を、1000近くにまでスルム化する予定だったが、いざ
始めてみると、あれこれ問題だらけ。各自治体が、名称にこだわったり、それまでの既得権に
こだわったりする、など。中には、水道料金や国民保険の納入額が、かえってふえてしまったと
ころもあるという。

 で、結局、05年3月末までの段階で、3200あった市町村が、約2000市町村に、という程
度で終わった。(これからも合併するところもあるが……。)

 が、その合併にともなう移行的措置として、地域によっては、巨大議会まで登場。合併特例
法により、旧市町村議員は、新設合併のばあいは、最長2年間。編入合併のばあいは、編入
先の市町村議員の任期満了まで、新しい自治体の議員として、在籍することができる。そのた
めに巨大化した。

 もちろんそのあとは、スリム化される。

 で、これまた問題もふえてくる。行政サービスの低下を恐れる声が、一番大きい。医療サービ
スや、交通網など。バスの路線が減らされるのではという心配の声も聞かれる(テレビ報道)。

 しかし全体としてみると、つまり日本の外から日本をみると、日本の住民たちは、いわゆる過
保護状態にある。長くつづいた官僚制度の中で、日本人独特の依存性まで、身についてしまっ
た。「何でも、かんでも、お上に……」という発想である。

 もちろんそういう姿勢は、教育の世界にも、反映されている「何でもかんでも、子どものこと
は、学校で……」という、学校万能主義というのが、それである。教育はもちろんのこと、家庭
でのしつけまで。そのため、現場の先生たちは、今、悲鳴をあげている。

 実は同じようなことが、行政の世界でも起きている。

 ……で、これ以上のことを書くと、また反発してくる人も多いと思うので、ここまでにしておく
が、どうであるにせよ、少子化の波の中で、日本人の人口はどんどんと減っている。それに合
わせて、行政のスリム化は、避けられない。現に今、国家公務員と地方公務員の人件費だけ
で、38兆円前後。日本の国家収入(42兆円前後)のほとんどを、その人件費に費やしている
ことになる。

 こんなバカなことをつづけていたら、この先、日本は、どうなるか? ……ということで、合併
から生まれる多少の不便は、がまんするしかない、ということになる。

 今日も、山荘からの帰り道、ほとんど人が通らない山道をドライブしてみた。道路はどこも、ピ
カピカに整備されている。が、整備されているほうが、おかしい。またその必要はない。そのた
めの行政であるなら、これからもどんどんとスリム化すればよい。

 それにしても、投票率でみるかぎり、国民のこの問題についての関心は、きわめて低いよう
だ。夜になれば、もう少しきちんとした数字が出てくることと思う。


++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

TK先生へ

拝復

今回は、ひどいめにあいました。インフルエンザか、さもなくば肺炎という状態でした。2日つづ
けて、38〜40度という熱にうなされました。感冒薬(熱さまし)をのんだら、寒気(悪寒)で、体
が、けいれんしたように震え、そのあと、シャツ数枚、パジャマ数枚を着た上、布団を2、3枚か
ぶりましたが、いっこうに体は温まりませんでした。

で、1時間30分程度、その状態だと思っていたら、今度は急激に発熱。荒い呼吸を3時間ほ
ど。「死ぬ」とは思いませんでしたが、しかし苦しかったです。ホント!

 で、思考力について、子どもの思考力は、世代連鎖(世代伝播ともいう)します。何も虐待だ
けが、世代連鎖するわけではないのです。親、とくに母親が、日常的に思考能力(思考習慣)
があれば、それがそのまま子どもに伝わります。ですから、とくに0歳〜2歳児までの、親の育
児姿勢が、子どもに大きな影響を与えます。

最近の研究では、人間にも、鳥類(卵からかえってすぐ2足歩行する鳥類)のようなインプリティ
ングがあることがわかってきました。0歳から数か月という期間をかけて、刷り込まれるのだそ
うです。

この期間を、「密着期」と呼んでいる発達心理学者もいます。

こうした現象は、たとえば、つぎのような事実からも証明されます。

たとえば4、5歳児に、「山を描いてごらん」「こんどは川を書いてごらん」「つぎに遠くに家が見
えます。家を描いてごらん」と順に指示して、絵を描かせます。(ほかに、「道があります。道を
描いてね」「木が2本立っています。木を2本描いてね」……と、指示していきます。つぎに何を
描くかを教えないで、描かせます。子どもによっては、「どこに描こうか」「どうしたらいいか」など
と迷ったりしますが、助けてはいけません。)

論理的思考能力の高い子どもは、無意識のうちにも、山の下に川を描き、家は小さく描きま
す。

で、べつの場所で、まったく同じ問題を母親にやってもらいます。すると、母子間の密着性の強
い母子ほど、その両者は、ほとんど、同じ絵を描きます。つまりこうした無意識の論理性は、母
親から子どもへと伝えられるわけです。

私の経験でも、20〜30組に1組の母子は、不思議なことに、まったく同じ絵を描くことがわか
っています。(とくに山の形などは、そうです。)

つまり子どもの論理性は、母親からの影響が、きわめて強いということです。子どもからの働き
かけに対して、そのような育児姿勢を見せるかが、その子どもの論理性の発育に大きな影響
を与えるということです。

たとえば子どもが何かを質問したとき、あるいは質問だけにかぎらないことですが、何かの問
題にぶつかったとき、母親が、(もちろん父親も)、その瞬間に見せる、思考習慣が、子どもの
論理性の発育に大きな影響を与えるということです。

で、私が想像するところ、先生の論理性は、実は、小学校のころの教育によるものではなく(先
生は、そう書いておられますが)、先生の父親、母親からの影響というか、それから受け継いだ
基盤があったからだと考えられます。

もし先生が言われるようなら、その小学校の生徒は、すべて、TK先生になっていたはずです。

さらにアメリカでは、子どもに問いかけながら、会話をしますが、それと論理性は、直接的には
結びつかないのではないかと思います。この問題には、日本人独得の子ども観、育児観の問
題がからんでいます。

日本では、旧来より、親に甘える子ども(依存性の強い子ども)イコール、かわいい子イコー
ル、よい子と考える傾向があります。

さらに昔から、「女、子ども」という言い方に代表されるように、女性や子どもは、人間ではない
……という考え方もあります。さらにまた言えば、キリスト教国では、子どもは神の授かりモノと
いう考え方をしますが、日本では、家のモノ、親のモノというように、私物化する傾向が強いで
す。

そのためその家に障害をもった子どもが生まれたりすると、欧米では、みんなが助け合って育
てるという傾向が強いですが、日本では、「家の恥」として隠す傾向が、今でも残っています。
(彼らの教会を中心とする、互助精神には、いつも驚かされるものがあります。)

この問題は、そういう問題にからんでくるということです。つまり子どもの人権を尊重するという
ことと、子どもの論理性とは、直接的には結びつかないということです。

で、問題は、母親の育児姿勢です。

一般的には、父親と母親は、同等に考えられていますが、これはまちがいです。(最近は、出
産時に父親を立ち会わせるラマーズ法などが一般化してきていて、母性愛、父性愛というわけ
方をしないようですが)、実際には母親が子どもに与える影響は絶対的なものです。

父親は、母子の関係を是正する役目しかありません。母子関係を調整し、社会性を教えるの
が、父親の役目というのが、一般的な通説です。(わかりやすく言えば、母子関係にクサビを入
れ、狩のし方を教えるのが、父親の役目ということになります。それを是正しないままにしておく
と、子どもは、総じて、マザコン化します。)

その一例として、母子分離不安はありますが、父子分離不安というのは、ほとんど聞いたこと
がありません。(たまにはありますが、例外的です。)それは生後直後から、子どもは、母親か
ら、乳を受ける、つまり母親が命の源泉だからにほかなりません。

父親がいなくても、子どもは育ちますが、母親がいなければ、子どもは育ちません。このちがい
を乗り越えてまで、父親は母親の代用をするわけにはいかないのです。

さて、では、こう書くと、教育とは何かということになってしまいます。

こうした論理性というか、思考習慣は、かなり早い時期に、子どもの身につくものです。これが
基盤になって、子どもは、その上で、ものを考える子どもになっていきます。たとえば、先生の
お嬢様を考えてみましょう。

お嬢様は、先生を見ながら、幼児期を過ごしています。この時点で、すでに世代連鎖は始まっ
ているのです。(だからお嬢様も、先生と、同じような道を歩んでおられます。)

「おや?」と思われるかもしれませんが、この時期を逸した子どもの例としては、1920年前後
に見つかった、インドのオオカミ姉妹、フランスのビクトール(少年)などの例があります。

いわゆる野生児の問題です。

インドで見つかったオオカミ少女にしても、下の妹は、たしか推定年齢、1歳半でしたが、その
あと感情表現をとりもどすことはなかったそうです。フランスのビクトールにしても、推定年齢1
1歳でしたが、その後、手厚い教育によっても、言葉を覚えることはなかったそうです。(自分で
つくった単語を、50個前後、使ったというような記録はありますが、フランス語は、最後まで話
さなかったそうです。)

こうして考えていくと、0歳〜3歳児というのは、教育的な意味においても、きわめて特異、かつ
重要な時期だということがわかっていただけると思います。

事実、私は4歳児からの指導にあたっていますが、この時期までに、その子どものもつ、方向
性というのは、ほとんど決まっています。とくに重要なのは、満4・5歳から5・5歳の、いわゆる
幼児期から、少年少女期への移行期です。

この時期は、「なぜ?」「どうして?」の質問がとくに多くなります。それはそれまでに形成される
乳幼児の心理形成の修正期にもあたるからです。

ご存知かどうか知りませんが、乳幼児は、たとえば物活論(すべてのものは生きている)、人工
論(すべてのものは、親がつくったもの)、実念論(心で念ずれば、ずべて実現すると考える)な
どという考え方をします(ピアジェ)。(ほかにもう一つ、乳幼児特有の自己中心性をあげる学者
もいます。)

よく赤ん坊が、風に揺れるカーテンを見て、生きていると思ったり(物活論)、「お月様を取って」
と泣く(人工論)のはそのためです。死んだモルモットを手にして、「乾電池を入れ替えて」と言っ
た子どもの例などが、報告されています。

結論を言えば、子どもの教育もさることながら、もっと重要なのは、母親自身ということになりま
す。たとえば母親が迷信を信じ、占いやまじなばかりをしていたのでは、子どもに論理性は育
たないということになりますね。

子どもというのは、何か疑問をぶつけたとき、あるいはそうでないときでも、親の考える姿勢
を、そのまま身につけていくものです。姿勢だけではない。人間的な誠実さなど、無意識の意
識までです。ユングが説いた、シャドウ論も、その延長線上にあるのではないでしょうか。その
母親をさておいて、子どもにだけ、「考える人になれ」と言っても、無理な話です。

子「どうしてお月様はあるの」
母「神様が作ったからよ」
子「どうしてお日様は暖かいの」
母「神様がそうしたからよ」では、そもそも子どもに論理性など育つわけがないのです。

その子どもの思考力は、その子どもがどれだけ思考する習慣があるかで決まります。手段や
方法ではありません。習慣です。

その習慣のないまま、メダカを育てても、球根を育てても、それでその子どもに思考力が育つと
は、とても考えられません。それはあくまでも各論だからです。

で、日本人論ということになりますが、日本人というのは、代々、自ら考える力に乏しい民族と
いうことになります。長くつづいた封建制度なども、その理由の一つかもしれません。あのマー
ク・トウェインがかつて言ったように、「皆と同じことをしていると感じたときは、自分が、変わると
き」という考え方が苦手なのですね。

反対に「長いものには巻かれろ」「出るクギは叩かれる」「みんなで渡ればこわくない」と。

こうした意識を代々、まさに世代連鎖として、大半の母親たちは、受けついでいますから、これ
を変えていくのは、容易なことではありません。さらに「情報の量」「知識の量」をもって、「思考」
と誤解する、日本人独得の考え方もあります。いわゆる(もの知り)を(頭のいい子)と誤解して
いるわけです。

(これについては、先生があちこちで、すでに指摘されていますので、省略します。)

つまりこの問題は、これから先、2代目、3代目を考えた、先の長い話になるということです。

そこでとりあえず、こうした問題を解決するためには、一つの方法としては、いわゆるエリート
教育があります。全国一律の教育改革ではなく、(また日本人全体が、そうなるのを待つので
はなく)、一部でもよいから、こうした「考える教育」を始めるということです。が、この教育にも、
問題があります。現場では、いわゆる「飛び級」と言っているものですが、そこに受験戦争がか
らんでくると、わけがわからなくなってしまいます。(反対に、いくら考える教育でも、受験に不利
とわかれば、親にソッポを向かれてしまいます。)

私も、数年に1、2人と、飛びぬけて、頭のよい子どもに出会います。「おっ、こいつはTK先生
級だな」と思うわけですが、悲しいかな、そういう子どもを育てる環境が、まだないですね。また
さらに悲劇的なことに、そういう子どもを理解できる教師も少ないということです。

2年前、O君という少年を、8年間、教えました。小6のときには、中3生といっしょに教えていま
したが、東京の麻布中などは、不合格でした。社会が苦手だったことと、国語が得意ではなか
ったからです。(現在は、HKラサール中学に在籍しています。)

しかし小4のときには、方程式を使わないで、方程式の問題をスラスラと解いていました。が、
学校では、問題児(?)。先生(女性)には、「生意気だ」とばかり、言われつづけたそうです。
(たしかに生意気そうな様子を見せる子どもでしたが……。)

こういう現実が、あるのですね。

先生がおっしゃった、GIFTED CHILDの問題もあります。それについては、私も、何度か、エ
ッセーにしてきました。

またメールを書きます。やはりまだ風邪の後遺症が残っているようです。

先生も、どうか、お体を大切に! 病気のときというのは、健康のありがたさが、しみじみと、わ
かりますね。今回がそうでした。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


●子どもの思考力について

TK先生へ、

子どもの合理尾的判断力についての資料を送ります。

http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page117.html

↑をクリックしてみてください。

++++++++++++++++++++++

重要なポイントは、

(乳幼児期)の独特の、しかし共通した論理思考性が
(少年少女期)にかける段階で、どのような環境下で、
修正され、脳のシナプスが、構成されていくかという
ところではないかと思います。

これが私の35年間の幼児教育の体験から得た結論
ということになります。

年齢的には、満4・5歳から5・5歳にかけての時期です。
この時期を逸すると、非論理的な子どもがそのあと、
論理的なものの考えたかたをするということは、まず
ありません。

私がいう(基盤)というのは、それをいいます。

つまり満4・5歳以前は、アメリカ人の子どもも、チベットの
子どもも、同じような発達経過をたどります。

北海道のスズメも、九州のスズメも同じような行動を
するのに似ています。

しかしこの時期を境に、環境、教育で、指導を受けた
子どもは、急速に大きなちがいを見せるようになり
ます。

しかし誤解してはいけないことは、だからこの時期の
教育が重要ということではありません。

たとえば言葉の発達でも、満2歳になると、急速に
子どもは言葉を話すようになります。だからといって、
2歳から言葉の教育をすればよいかというと、
それはまちがっています。

それまでの積み重ねが、ちょうど、つぼみが開花するように
変化として現れるわけです。

ですからそれまでに親(とくに母親)が、どのような接し方
をしてきたか、どのような習慣づけをしてきたかが重要
です。

よく医者の子どもは頭がいいと言われるのは、遺伝的な
要素もありますが、それだけ子どもの環境が、生まれな
がらにして、知的であったからです。

その部分をしっかりと見なければいけません。

私たちの世界から見ると、小学1年生ですら、
花が散って、とうが立ったような子どもに見えます。

中学生や高校生となると、もうどうしようもない
枯れ草です。ホント!

このあたりの、つまりは幼児教育の重要性が
まだ重要視されていないのが、私には残念でなりません。

何かの参考になれば、うれしいです。

はやし浩司

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【近況・あれこれ】

●K国など、相手にするな!

 K国の非道、非人権的な悪行については、抗議の声をあげなければいけない。それは当然
である。しかしそれでもって、制裁するかどうかということは、別問題である。

 国家経済は、破綻状態。この4月からは、食糧、燃料は、さらに窮しているという(東亜日
報)。

 そんな国を相手にして、どうする? 拉致家族の人たちの気持ちはわかるが、(K国の金XX
ではなく)、K国の民衆にしてみれば、私たち日本人が、毎日、腹いっぱい、食事をしていること
そのものが、矛盾に見えるのだ。

 親父は、暴力団員。借金だらけの上、殺傷事件まで起こして、服役。母親は、毎日ものごい。
その日に食べるものもなく、弟や妹は、やせ細っている。

 それについて、相手の人たちが、さらに「どうしてくれる!」「金返せ!」「制裁だ!」と叫んだ
ら、どうする。あなたなら、どうする。親父の罪をわびて、小さくなっているだろうか?

 今、K国は、たいへん、危険な状態にある。残された道は、もう核実験しかない。私たちの常
識からみれば、狂っているが、しかしその姿は、戦前の日本そっくり。今のK国は、戦前の日本
以上に日本的。外から見ていると、そんな感じがする。

 ここは刺激しないで、静かに、国際世論のうしろについていくのがよい。

●弱者の立場で考えよう

 悲しいかな、日本人は、弱者の立場でものを考えるということができない。数年前だが、私
が、「私の叔父は、満州で、中国兵と戦った」と書いたことについて、C新聞社の記者から、抗
議を受けた。(これは事実だぞ!)

 いわく、「当時、満州には、人は住んでいなかった。また中国の領土でもなかった。だから中
国兵はいなかった。満州兵というのも、いなかった。だから日本は、満州を侵略したのではな
い。あなたの意見はまちがっている」と。

 彼はそのあと、中国兵が組織された経緯を年表にして見せてくれた。つまり日本が満州へ出
兵した当時には、中国兵はいなかった、と。ナルホド! それにこうも言った。

 「日本のおかげで、満州は、開拓されたのだ」と。

 しかし伯父が満州兵と戦ったのは事実だし、当時、満州に、人が住んでいたのも事実であ
る。満州の人たちは、劣悪な武器を片手に、日本軍と戦った。軍ともいえないような軍を率い
て、だ。

 もしその記者のいうような論理が成りたつなら、日本が、逆に、外国に同じことをされても、文
句は言えないことになる。とんでもない意見だと私は思うが、しかし現実には、そういう考え方を
している人も多い。

●Y神社問題

 さらに私の実姉の義父は、戦後、A級戦犯で処刑されている。Y神社に、遺骨(?)が祭られ
ているというが、姉も義兄も、戦後、ただの一度も、Y神社には参っていない! 「どうして?」と
私が聞くと、「だって、お墓は、こちらにあるから」と。

 さらに「君が代」の問題。

 国歌を歌ったから、愛国心があるとか、歌わないから、愛国心がないとか、そういうことで、愛
国心を判断されても、困る。「歌え」と迫る、文科省。「歌わない」とがんばる、教師たち。

 たかが「歌」ではないか。なぜ、たがいに、そうまでこだわるのか? そういう決まりになって
いるなら、歌えばよいし、問題があるなら、公的な職場の外で、もっと、オープンに、議論すれ
ばよい。私は、「君が代」には、かなり問題があるとは思っているが、そういう場所では、ちゃん
と、「君が代」を歌っている。そうすること、つまりみんなで一度決めたことは、みんなで守る。そ
れが民主主義だと思う。

 もっとわかりやすく愛国心を試したいというのなら、K国のように、バッジ制にしたらどうか。
(これについては、前にも書いた。)

 年、12回、Y神社を参拝して、90度直角儀礼を、計120回以上した人は、金縁バッジ。年、
1回程度なら、銀縁バッジ。銅バッジすらつけないような日本人は、非国民。即、投獄!

 しかしそれが愛国心なのだろうか? 愛国心といってよいのだろうか?

 少しまだ風邪の後遺症が残っていて、頭の中が、ぼんやりしている。こういう状態で、ものを
書くのは、たいへん危険なことでもある。

 だから、この話は、ここまで。ただ誤解しないでほしいのは、私は、戦うぞ! もしK国の兵隊
が、この日本へやってきて、私の家族を襲うようなことがあれば、容赦しないぞ。絶対に戦う
ぞ!

(……と少し力んでみた。が、本当のところは、自信がない。今夜は風邪のせいか、気力が弱く
なっているせいだと思う。)


●親が育てる、子どもの思考力

 卵からかえって、すぐ2足歩行を始める鳥類には、刷り込み(インプリンティング)という、特殊
な習性があることは、以前から知られていた。このタイプの鳥類は、卵からかえったとき、最初
に見たもの、あるいは最初に聞いた音を、「親」と思いこむという。

 で、それと同じような現象が、実は、人間の子どもにもあることが、最近の研究でわかってき
た。鳥類のように、短期間ではないらしが、生後直後から、数か月にかけて、子どもの脳の中
に、その刷り込みがなされるという。その期間のことを、「敏感期」という。

 私たちが、「親子の縁」と呼んでいるようなものは、その時期に形成されるということになる。
本能に近い部分にまで刷り込みがなされるから、ふつうの人間関係ではない。親子というの
は、そういうもの。

 「親子の縁」は、親子が良好な人間関係にあるときは、それなりにうまく作用する。しかしひと
たびその良好な関係が崩れると、今度は、反対に、親子、とくに子どもを苦しめる、元凶とな
る。

 心理学でいう「家族自我群」という考え方は、ここから生まれる。いわゆる親子という関係から
生まれる、束縛感をいう。ふつうの束縛感ではない。家族であるがゆえに、その幻惑に、悶々
と苦しむ。これを「幻惑」と呼ぶ。

 そこで重要なことは、仮に良好な親子関係であっても、こうした幻惑から、そのつど、子どもを
解放していかねばならないということ。親といえども、その幻惑に甘えて、好き勝手なことをして
はいけない。

 が、中には、親であるということを利用して、つまり子どもの脳に刻まれたインプリンティング
まで利用して、子どもを自分の思うままに操(あやつ)る親がいる。さらに「産んでやった」「育て
てやった」「大学まで出してやった」と、子どもに恩を着せ、それでもって、子どもを束縛する親
もいる。

 こうした子育て観がいかにおかしいものであるかは、子どもの立場で考えてみればわかる。
あるいは、あなたが子どものときは、どうであったか。もっとも、親から子へと、代々、そういうも
のの考え方が、連鎖しているときは、このばあいも、それなりにうまくいく。子どもは、子どもで、
こう言い出す。

 「私は産んでいただきました」「育てていただきました」「言葉を教えていただきました」「その
上、大学まで出していただきました」と。

 ただここで注意しなければいけないことは、そうであるなら、そうであると、それなりに尊重し
てやるということ。決して、「あなたの考え方は、まちがっている」と言ってはいけない。

 この問題だけは、本能的であると同時に、その人の人生観と深くからんでいる。今でも、「忠
孝」を説く、団体や教育者は多い。その人たちがそれでよいと言うのなら、それはそれとして、
そっとしておいてやる。

 ただこうしたものの考え方は、決して、世界の標準でもなければ、基準でもない。そういう前
提で、考えると、その先に、自ずと、一つの結論が見えてくると思う。


++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(637)

●夫婦げんかでキズつく子どもの心

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岩手県にお住まいの母親(UK君の母親)から、
夫婦げんかと、子どもの心の問題について相談
がありました。

今回は、それについて、考えてみましょう。

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【 お子さんの年齢(現在の満年齢) 】:8歳
【 お子さんの性別(男・女) 】:男(UK男)
【 家族構成・具体的に…… 】:
   息子1人
   父43歳
   母38歳(私本人です)
近所によく行き来をする、私の祖母が在住

【 お問い合せ内容(1000字以内で……) 】:

はじめてご連絡をさしあげます。

子どもの神経症についてインターネットで調べていて、はやし先生のHPにたどりつきました。ま
た、それ以前にも「ポケモン・カルト」という本を拝読したことがあり、先生のお話や子どもに対
するまなざしに、とても感銘を受けておりました。

今回、このようなぶしつけなメールを送らせていただいたのは、現在小学校3年になる、一人
息子について、ご相談にのっていただける方を探していてのことです。

お忙しいところを誠に恐縮ですが、よろしければお読みいただけますでしょうか。どうぞよろしく
お願いいたします。

現在8歳になる息子は、いつも不安やおびえを訴えています。
6歳くらいまでは、しょっちゅう怖い夢をみていました。
今では夢はときどきですが、「なんとなく不安な嫌な感じになる」と、しばしば訴えています。

最近は、なにか新たなことに取り組むときに不安が高じるあまりか、「お腹がいたい」と訴える
ようになり、新学期やクラス替えのときなどは嘔吐もしました。かといって、学校生活に問題が
あるかというとそういうこともなく、学習態度や成績や休み時間の活動量なども、むしろ良好な
ほどだと思っています。

けれど、本人は自分にまったく自信がなく、すぐに卑下するような言葉を言うかと思うと、少しで
もうまくいかないことがあると、「だからUK(自分のこと)はダメなんだ」と怒って、自分を激しく
叩き続けたり、髪の毛をむしったりしてしまいます。「そんなことはしちゃだめよ」とそのたびに
叱ったり、話をしたりして、そのときは本人も「こういうことはいけない」と納得をするのですが、
またすぐに同じ行動をとってしまいます。

こうした息子の不安感や自責感についてずっと気になっていたのですが、先日、とても気がか
りなことが起こりました。

きっかけは私と夫がささいな口論をしたことでした。

おはずかしい話ですが、私と夫は口げんかが絶えません。夫は気に入らないこと---たとえば
その時は「ママの"おいしい"って言うときの顔は、すっごくまずそうにみえるよ」と、冗談なかん
じではなく、ひどく傷つくように言ったのがきっかけでした……を皮肉のようにぶつけてくること
がわりとあり、私もそれを我慢できなくなって、言い返してしまうことが多いのです。

そんな時、息子はいつもだまってうつむいてしまったり、「ケンカはやめてよ」と泣きながら抵抗
したりするのですが、これまではそれがちょっと過剰だな、と思うこともしばしばありました。

たとえば、ケンカではなくちょっとした意見の食い違いとか、大きな声で話しているだけだったり
とか、冗談を言いあっているだけで、ちょっとジェスチャーが大きい時とか、そんな時でもいや
がることがあって、「ちがうよ、勘違いしないで」と言うこともあったのです。

けれど先日ケンカになったとき、息子が「パパとママはケンカをしすぎだ。UKが生まれてから
数え切れないくらいしている」と言いました。そして、「ケンカをしているところにいると、こわくな
ってお腹がいたくなっちゃうんだ」と言ったのです。

私も夫もただ平謝りに謝るしかできず、なにも言い返すことができませんでした。そのとき、「こ
れまで一番こわかったのはどれか覚えている?」と聞いたところ、言い渋っていたのですが、
「パパとママがキッチンでプロレスみたいになったときのこと」と、ようやく言いました。

これは、息子が2歳半〜3歳くらいの時のことで、なにかのきっかけで言い争いになった時、夫
が私に「てめえ」と言い、頭をはり倒したことがあったのです。

不意のことでバランスを崩した私は、よろめいて、そこで倒れてしまいました。背後からそれを
みていた息子は火がついたように泣き出してしまいました。

私は「とにかくこの場を取り繕わなくては」と思うあまりに、その場で息子を抱いて謝り、夫にも
「UKに謝って」と言うのが精一杯でした。

そしてこのことはなんとか収束させた気になっていたのですが、先日の息子の告白を聞き、「も
しかしたらあの時のことが息子のトラウマのようになっているのではないか」と思うようになりま
した。それで、ちょっとした言い合いや大きな声も、もしかしたら私たちが思う以上に息子にとっ
ては「とても恐ろしい」と思うことなのかもしれない、という気がしたのです。

そう考えると、私たちがしてしまった浅はかな行いに、悔やんでも悔やみきれない気持ちで、い
てもたってもいられないのです。

幼い息子に、トラウマになるほどの心の傷を負わせてしまったとは、なんとひどいことをしたの
だろうと、申し訳ない気持ちでいっぱいになります。

はやし先生に教えていただきたいのですが、息子の心は、やはりトラウマを抱えているのでしょ
うか。

またそうだとしたならば、どのようにすればその体験を乗り越えさせてやることができるのでしょ
うか。

ご指導いただけましたなら、本当に幸いです。

誰にも相談できずに悩むあまり、独りよがりな話の押しつけのようなメールで、本当に失礼い
たしました。

どうか、よろしくお願いいたします。

+++++++++++++++++++++++++++++++

【UK君のお母さんへ……】

●心のキズ(トラウマ)は消えない

 心のキズは、顔についたキズのようなもの。一度、ついたキズは、消えない。

 また夫婦げんかを安易に考えてはいけない。夫婦げんかは、子どもに、深刻な不安感を与え
るのみならず、けんかのし方によっては、生涯にわたって、深いキズを残す。子どもにとって
は、親というのは、そういう存在。

 まず、そのことを、しっかりと認識する。逃げてもいけない。ごまかしてもいけない。いわん
や、子どもに謝ったくらいで、どうにかなる問題ではない。謝って、それですむと考えたら、とん
でもないまちがい。それこそ親の身勝手というもの。

●忘れることこそ、最善

 トラウマは、それから遠ざかることこそ、最善。子ども自身に、想起させないこと。こういうケー
スのばあい、夫婦げんかが一度だったら、それほど、深刻な後遺症を残さなかったかもしれな
い。

 しかしキズがついたあと、そのキズがいやされる前に、つぎのキズを再び、つけてしまう。これ
を繰りかえしているうちに、そのキズがどんどんと深くなっていく。たとえ二度目、三度目が、軽
い夫婦げんかであっても、だ。

 UK君の両親は、とても残念なことに、そのキズを、くりかえしUK君に与えた上、あえてさら
に、そのキズ口をえぐるようなことをしている。一方、子どものほうは、子どものほうで、たとえ
それほどはげしくない夫婦げんかでも、必要以上に、おびえるようになる。UK君の心は、い
ま、そういう状態にある。

●基本的信頼関係

 子どもというのは、絶対的な安心感のある家庭で、心をはぐくむ。絶対的というのは、「疑い
すらいだかない」という意味。親子の信頼関係も、そこから生まれる。

 その信頼関係を、つくれなかった子どもは、不幸である。家庭に、やすらぎを覚えないばかり
か、今度は、おとなになってから、暖かい家庭づくりに失敗しやすい。ひょっとしたら、(その可
能性はきわめて高いが)、同じような夫婦げんかを繰りかえし、妻を殴ったり、蹴ったりするよう
になるかもしれない。

 これを世代連鎖という。子どもは暴力を嫌いながら、その暴力から、自分を解放することがで
きなくなる。つまりは自分自身の邪悪なシャドウに苦しむ。

●やがて親からも離反

 夫婦げんかは、父母と子どもの間に、「三角関係」をつくる。心理学用語にもなっている。

 一度、この三角関係ができると、やがて子どもは、親の指導から、離れるようになる。わかり
やすく言えば、親の言うことを聞かなくなる。今は、まだ8歳だから、親の庇護下にあるが、小
学3、4年生を境に、急速に親離れをし、同時に、親を否定するようになる。その可能性は高
い。

 こうした深刻さを、UK君の母親は、どこまで理解しているかということ。

 あえて言うなら、UK君は、どちらか一方の親を、選ぶ。(UK君からみて、弱者のほうの母親
に味方する可能性が高く、父親を完全否定する可能性が高い。)が、母親としては、それを喜
んではならない。

 UK君は、マザコン化し、同時に、自分自身の中に、父親像をつくるのに失敗する可能性も高
い。

●夫婦げんかは、見せない

 以前、「夫婦げんかは見せろ。子どもに意見の対立を教えるよい機会になる」という本を書い
た、バカな教授がいた。(バカだ!)日本でも、1、2を争う、有名な幼児教育家である。

 私はその本を手にしたとき、体が震えるほどの怒りを感じた。しかし同時に、それが私をし
て、幼児教育の本を書かせる動機になった。

 当時は、(と言っても、今からほんの20年ほど前のことだが……)、おかしな権威主義がはび
こっていた。幼児を直接教えたことがない教授でも、そういった本を書くことができた。(今で
も、基本的には、この構図は変わっていないが……。)

 夫婦で、哲学論争でもするなら話は別。しかしそんな夫婦が、どこにいる? 見せるべきこと
は、仲がよいところ。助け合うところ。いたわり合うところ。抱き合うところ。

 そういった姿を子どもは見ながら、夫婦はどうあるべきか、家族はどうあるべきかを学んでい
く。ついでに、子育てのし方を、学んでいく。身につけていく。

●夫婦げんかの(わだかまり)をさぐる

 夫婦げんかが繰りかえされるなら、その原因、つまり心の奥底に潜む、わだかまりをさぐる。
望まない結婚であったとか、望まない子どもであったとか、「できちゃった婚」であったとかな
ど。

 出産時や育児期の不安や心配が、わだかまりに変身することもある。

 そのわだかまりに気がつかないと、この種の夫婦げんかは、繰りかえされる。が、気がつけ
ば、すぐというわけではないが、あとは時間が解決してくれる。

 わだかまりは、心に固着し、人間をそのウラから操る。

 UK君の母親のばあい、父親に原因のすべてがあるように思うかもしれないが、母親自身に
も、何か、わだかまりがあるのかもしれない。さらに父親自身も、不幸にして、不幸な家庭に育
っている可能性も高い。つまり父親自身も、何らかのトラウマをもっている(?)。

 こうした親から子へと、代々とつながる、(因果)は、それに気がついた段階で切っておかない
と、つぎの世代へとつながってしまう。

●神経症

 当然のことながら、トラウマが残るような状態になると、その副作用として、無数の神経症(心
身症)による症状をともなうことが多い。UK君が見せる不安感は、「基底不安」と呼ばれる、ま
さに典型的な不安症状である。

 夫婦げんかのはげしさにもよるが、たった一度、母親にはげしく叱られたのが原因で、一人
二役のひとり言を言うようになった例(2歳女児)や、やはりはげしく祖父に叱られたため、自閉
傾向を示すようになった子ども(4歳男児)の例を、私は知っている。

 夫婦げんかであれば、それが直接子どもにおよぶものではないにしても、それと同等、ある
いはそれ以上のトラウマを子どもに残す。

 ここに書いた「不安感」にしても、一般には、「心配性」「不安性」「不安神経症」などと言われ
る。私のようなタイプの人間は、いつどこで、何をしていても、ふと不安になったり、心配になっ
たりする。ものごとを、悪いほうに、悪いほうに解釈するためである。

 たとえば旅行に行って、楽しんでよいはずなのに、そこでもふと、不安になる。もちろんそんな
ふうに思う必要はないのだが……。

 さらに深刻なことと言えば、その原因というか、さらにその奥では、「人を信じられない」という
問題もある。だれにでも、愛想よく、シッポを振るくせに、その実、その人に心を許せない。開け
ない。そういった状態になる。

 基底不安というのは、そういうもの。だから子どもには、……というより、育児には、絶対的に
安心できる家庭が、重要である。とくに子どもが、0歳〜5、6歳の時期にはそうである。それ以
後は、子ども自身にも抵抗力がつくし、子どもの心が、それで大きくゆがむというこおてゃな
い。

 しかし、こんなことは、当然のことである。それがいやなら、つまり、子どもの心にキズをつけ
たくなかったら、夫婦げんかなど、してはいけない。少なくとも、子どもの前では、してはいけな
い。

●対処法

 夫婦げんかをしない。すべては、ここに行きつく。とくにこれからの1〜2年が、勝負。……と
いっても、UK君には、すでにキズがついてしまっている。

 これからは、その罪に恥じるなら、夫婦で、結婚当初の愛情を、たがいに確認しあうこと。言
葉で謝るくらいのことで、キズが消せるくらいなら、心理学など、必要ない。

 重要なことは、前にも書いたように、そのキズを忘れさせるような、つまり遠ざかるような方法
で、UK君に接すること。

 が、仮に数か月に1度でも、また夫婦げんかをしてしまえば、元の木阿弥。この問題には、そ
ういった問題がつきまとう。

 あとは子ども自身の生命力と、判断力に期待するしかない。UK君が、いつか自分の中のトラ
ウマに気づき、それと戦う方法を身につけることを、期待する。

 ただたいへん、幸いなことに、この母親が、私に相談してきたこと。UK君の母親は、問題の
所在に気がついている。この賢明さが、UK君を救う力になる。

 たいていのケースでは、親が、自分たちのしたいることの愚かさに気がつかないまま、夫婦
げんかを繰りかえす。子どもの心のどんな影響を与えているかさえ、気がつかない。しかしUK
君の母親は、それに気がついている。

 あとは、UK君の父親が、どこまでそれに気がつき、反省するか、である。私の印象では、UK
君の父親自身も、先に書いたように、何らかのトラウマをもっている可能性があるのでは? 
父親が自分の背負っている「業(ごう)」に気がつけばよいのだが……。

●私の経験から

 私自身も、親たちのはげしい夫婦げんかを見て育っている。その私は、今も、つまり57歳に
なった今も、そのトラウマに苦しんでいる。

 UK君の不安症状に似た、不安感は今でも、感ずる。悪夢については、悪夢でない夢を見る
ことのほうが、少ない。

 そのあと、つまり成人してからは、毎日が、(本当に毎日が)、そのトラウマとの闘いであった
と言っても過言ではない。が、やはり今でも、それは残っている。しっかりと、残っている。心の
キズというのは、そういうもの。忘れることはわっても、消えることは、ない。ぜったいにない。

 ただ幸いなことに、私は、早い時期に、それに気づいたということ。これは私のしていた職業
のおかげでもある。心に問題をかかえた子どもを扱っているうちに、「私と同じだ」と思うことで、
私自身の心のキズに気がつくことができた。

 だから結論は、ただ一つ。

 子どもをなおそうなどと、考えないこと。なおすべきは、夫婦の関係である。自分たちがなお
せないで、どうして、子どもだけをなおすことができるのか。子どもの立場で、もっとものを考え
るべきではないのか。

 UK君のお母さんには、たいへん申し訳ないが、これが私の結論ということになる。

 世のお父さん、お母さん、子どもに恐怖感を覚えさせるような夫婦げんかなど、子どもの前で
は、ぜったいに、ぜったいに、してはいけない!!!

 これは子育てのイロハ。大原則。
(はやし浩司 夫婦げんか 夫婦喧嘩 トラウマ 心のキズ 心身症 神経症 子どもへの影響
 子供の心 影響 基底不安 不安神経症 はやし浩司)

【UK君のお母さんへ……】

 たいへんきびしいことを書いてしまいましたが、私自身も、UK君と同じようなトラウマを背負っ
ています。

 そういう意味で、きびしく書きました。

 夫婦げんかは、子どもに対する、いわば間接虐待です。どうかそういう視点でも、考えてくだ
さい。決して、安易に考えてはいけません。あなたが安易に謝れば謝るほど、かえって子ども
の古キズをえぐることになります。

 だったら、あなたが先に気がついて、夫婦げんかをしないこと。夫にさせないように、努力す
ることです。

 この世界には、『負けるが勝ち』という大鉄則があります。負ければよいのです。あなたが意
地を張ったところで、問題は、何も解決しません。夫に負けて、あなたが下に出れば、それでよ
いのです。

 しかし、夫婦げんかをそれほどまでにしながらも、今でも、夫婦であるということは、たがい
に、相手を必要としているからなのでしょう。「愛し合う」という状態ではないにせよ、「別れられ
ない」という状態です。

 しかし大半の夫婦が、そんなものです。(私たち夫婦も、そんなものです。)夫には、あまり期
待しないこと。あなたはあなたで、あなた自身の生きがいを求めていく。そういう流れの中で、
夫婦関係が正常化するということはよくあります。つまりは、「こだわりは捨てる」ということ。

 私には、UK君の悲しみや苦しみが、よく理解できます。学校でがんばっているのは、そうでも
しなければ、自分を支えることができないからです。さぞかし、つらいだろうと思います。UK君
が、です。

 だから言葉で謝る前に、それを態度や、姿勢の中で、見せることです。何度も書きますが、こ
の問題だけは、謝ってすむ問題ではありません。(私は、言葉で謝ること自体、卑怯だと思いま
すよ。)

 そしてこれから先、何年も、何年もかかって、UK君の心を、溶かしていきます。10年単位。2
0年単位の大仕事です。

 ここにも書きましたが、あなたの夫も、同じようなトラウマを背負っていると思います。一度、
冷静なときに、夫の過去や、幼児期を聞いてみるとよいですよ。この問題は、そういう問題で
す。

 が、みんな同じような問題をかかえていますよ。問題のない家庭で、問題なく育った人の方が
少ないのです。ですから希望は捨てないように!

 みんな、十字架を背負って生きているのです。みんな、です。私もあなたも、あなたの夫も、U
K君も、です。一つや、二つ、何でもないことです。つまり、そういう十字架と戦って生きるのが、
人生であり、人間なんですね。奥深い、ドラマも、そこから生まれます。

 人間、ばんざい! そんな気持ちで、どうか、この問題を乗り切ってください。あなたはUK君
を愛しています。その愛が通じたとき、UK君は、この問題からかならず、解放されます。『愛
は、まさしくオールマイティ』ですよ。不思議な力がありますよ。

(追記)

 なおそのあと、相談内容にありました件について。

 心のキズを、語らせることによって、心のキズから解放されることはないかとのことですね。

 こういうのをカタルシス効果といいます。これも、私のHPのどこかに書いてありますので、参
考にしてください。

 実のところ、私も、20代、30代のころは、原因不明の不安発作に苦しんでいました。しかし3
0歳をすぎたころ、その原因が、子どものころ体験した、はげしい夫婦げんかであったことを知
りました。

 で、それをワイフに話すことで、以後、発作は、収まりました。そういうことはあります。しかし
それを今の段階で、どうこうというのは、少し性急すぎるのではないかと思います。いかがでし
ょうか。

 しばらく時間をおいて、たとえば5年とか、10年とか……。楽しい思い出をしっかりと充電して
おいてから、そういった方法も試みられるとよいかと思います。

 なお、私はこうしてみなさんから見れば平気で(?)、自分のことを書いているように見えるか
もしれませんが、これは自己開示法による、対処法です。

 自分のことを、オープンにして話すことで、心のキズをいやすという方法ですね。これをするよ
うになってから、ずいぶんと気が楽になりました。「バカだ」と思いたい人には、思わせておけば
よいのです。どうせ人生は一回しかありません。恥だの外聞だのと考えて、小さく生きる必要は
ありません。……ね。


 がんばりましょう!


++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(638)

●真・善・美(2)

 ドライブをしながら、ワイフと、「真・善・美」について、話す。

 しかしそのとき、「真・美……」と言葉をつなげてしまったため、「善」という言葉が、思い浮か
んでこない。思い出せない。重要な言葉なのに……。

私「真・美……何だったかな?」
ワイフ「人生?」
私「ちがうよ。人間はね、最終的には、生きる目的を、そこに求めるようになるよ。真と、美と…
…。もう一つ、どうしても思い出せない」
ワイフ「ド忘れね」と。

 真理……科学者や研究者が探求する。
 美……芸術家が探究する。

 もう一つ……?

私「ああ、思い出した! 善だ! 善だよ!」と。

 善……宗教家が探求する。

私「お前は、何を探求するのかな?」
ワイフ「三つよ」
私「バカめ。そんな無茶苦茶な。一つだけでも、たいへんだよ。三つだなんて……! 欲張ると
ね、三兎(と)を追うものは、一兎も得られずになるよ。二兎でも、むずかしい……」と。

ワイフ「お金や財産ではないということよね」
私「そう、名誉でもない。真・善・美だ」
ワイフ「あなたは、何よ?」
私「ぼくは、お金もほしいし、名誉も地位もほしいし……。まあ、とっくの昔に、あきらめたけれど
ね。真と善の中間くらいかな?」
ワイフ「あら、中間って、あるの?」
私「つまりね、中途半端ってこと。中途半端でも、しかたないということ。みんな、そうだもの…
…」と。

 生活や精神状態にゆとりが生まれるようになると、人間は、この真・善・美の追求を始める。
……とまあ、こう決めてかかるのは、危険なことかもしれないが、古今東西、多くの哲学者や芸
術家、それに宗教家がそう言っている。だから、私、ひとりくらいが反発しても、意味がない。

 で、ある程度までは、努力すれば、何とかなる。真・善・美のハシクレ程度までは、つかむこと
ができる。……と思う。先日も、ある公的な会館へ行ったら、その地域の老人たちが彫刻した
像が並んでいた。

 どれも、見るに耐えない、ヘタクソなものばかりだった。バランスの崩れた鳥、やたらと体の
一部だけが大きい仏像、笑っているか、泣いているかわからない能面など。

 しかし時間だけは、たっぷりとかけてあるのだろう。ていねいの上に、バカ(失礼!)がつくほ
ど、ていねいに、仕上げてあった。しかしそういう彫像を、だれが笑うことができるのか?

 私が書いていることだって、それほど、ちがわない。あるいは、それ以下。しかしその老人た
ちは、たしかに「美」を追求していた。「中には、1点くらいは、いいのがあるかも……?」と思っ
てみたが、なかった。

 私は、なぜだろうと考えた。

 指導者が悪い? NO!
 老人だから? NO!

 実は、きびしさがない。どれも年金生活者が、戯(たわむ)れで、作ったようなものばかり。や
がて私は、それに気がついた。

 追い込まれて、追い込まれて、さらに追い込まれて、絶壁に立たされて作ったようなきびしさ
がない。たとえて言うなら、ぬるま湯につかって、鼻歌でも歌いながら、像を作っている感じ。し
かし、それでは、もともと、真・善・美の追求など、土台、無理。

 それをワイフに話すと、ワイフは、「趣味ではだめなのね」と。

私「趣味程度では、ダメだろうね。たとえば善の追求にしても、釈迦は、『精進』(しょうじん)とい
う言葉を使っているよ。絶え間ない研鑽(けんさん)こそが、重要だ」と。

 健康と同じで、立ち止まった瞬間から、その人は、後退する。病気に向う。

ワイフ「真・善・美を手に入れたからといって、何か、いいことがあるの?」
私「さあてね、どうかな? キリストは、そのとき、真の自由を手に入れることができると説いて
いるよ」
ワイフ「それは、すばらしいものかしら?」
私「多分ね。ぼくには、わからないけど……」と。

 私の人生も、どうやら、その中途半端で終わりそうな雰囲気になってきた。知力も、体力も、
そして気力も鈍り始めてきている。人間性も、精神状態も、ボロボロ。性格はゆがんでいる。ま
さに、よいところ、なし。

私「あと一歩で指先が届きそうな気もするが、どうしてもその指先が届かない。そんな歯がゆさ
は、あるけれどね……」と。しかしこれは私の負け惜しみ。
(はやし浩司 真 善 美)

【補記】

 今回、体調を崩してみて気がついたが、健康と気力は、たしかに関係がある。知力とも関係
がある。

 体がどこか熱っぽいと、考えることすら、おっくうになる。実際には、原稿を書けなくなる。めん
どうというか、ものの考え方が、投げやり的になる。

 健康、つまり肉体的健康は、精神的健康の源泉ということにもなる。あのバーナード・ショー
も、こう書いている。

 『健全な肉体は、健全な精神の生産物である』(革命主義者たちのための格言)と。


●5月23日号

 朝起きると、まずメールを読んで、インターネットでニュースを読んで、それから二男の曲を、
バンバンと聞いて、それからワードを開く。

 ワイフは、毎日、ヒマさえあれば、二男や三男のHPをのぞいている。

 昨夜は、早く床についたので、今朝(4・28)は、ナント、午前5時、起き。8時ごろまで原稿を
書いて、長男といっしょに食事。それからいろいろな話をして、またふとんの中に。

 起きたのが、9時30分ごろ。これで睡眠時間は、合計で7時間30分になった。

 このところ、原稿をあまり書いてない。

 だからこの原稿は、5月23日号のマガジン用ということになる。遅れること、1週間。本来な
ら、27日号か、30日号を発行していなければならない。

 頭の中の編集長の林が、こう叫ぶ。

「おい、浩司君、原稿が遅れているぞ!」と。

 それに答えて、編集部員の浩司君は、こう答える。「すみません。これから電話をかけて、原
稿を催促してきます!」と。

 ところが肝心の、作家の(はやし浩司)君は、このところ、何かとやる気をなくしている。どうや
ら、風邪だけではないようだ。

 スランプ?

 過剰な負担が慢性的につのってくると、それがストレスとなって、その人を襲う。しかし同じ作
業なのに、このところ、その負担感が強い。今までは、なんともなかったのに……。

 こうした変化は、「コーピング」という理論によって説明される。同じ環境でも、人が、それを有
害かつ危険であると判断すると、その環境をストレッサーにして、ストレスが倍化する。

 しかし、それでもない?

 ともかくも、(はやし浩司)君は、ヒマがあると、コミックを読んだり、雑誌を読んだり、奥さんと
バカ話ばかりしている。

はやし浩司の奥さん「最近、Mさんね、あのMさん。ダンナさんに相手にしてもらえないいんだ
ってエ」
はやし浩司「……うむ……。そりゃ、努力が足りないよ。努力が……。ミニスカートをはいて、ピ
ンクのネグリジェにしなって、言ってやりなよ」
奥さん「Mさんが、ミニスカート? 無理よ」
はやし浩司「Mさんて、何歳だったけ?」

奥さん「今年、63歳よ」
はやし浩司「なんだ、あのMさんかア……。無理だよ、無理。ダンナだって、いい歳だろ?」
奥さん「そうね、Mさんより、2つか3つ、年上よ」
はやし浩司「ぼくも、朝起きると、髪の毛は、みんな立っているけど、あっちは、もうだめだな」

 そこへ編集部の浩司から電話。

浩司「原稿は、どうなっていますか?」
はやし浩司「どうしようか?」
浩司「どうしようって、どうしますか?」
はやし浩司「そのうち、また気が向いたら、書きますよ」と。

 頭の中で、分裂した自分が、たがいに会話をとりかわす。

 とりあえず、このまま、5月23日号を発行することに。いつも私のマガジンを、読んでくださ
り、感謝しています。とくに、この最後まで、読んでくださった方には、感謝しています。

 ありがとうございます。

 とりあえず報告ですが、4月中、賛助会の方の募集をさせていただきましたが、今年は、ゼロ
人でした。ハイ。これもきびしい現実です。また次回、よろしくお願いします。


++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


最前線の子育て論byはやし浩司(639)

●シュメール人

 古代メソポタミアに、不思議な民族が住んでいた。高度に知的で、周囲文化とは、かけ離れ
た文明を築いていた。

 それがシュメール人である。

 彼らが書き残した、「アッシリア物語」は、そののち、旧約聖書の母体となったことは、よく知ら
れている。

 そのシュメール人に興味をもつようになったのは、東洋医学を勉強していたときのことだっ
た。シュメール人が使っていた楔型(くさびがた)文字と、黄河文明を築いたヤンシャオ人(?)
の使っていた甲骨文字は、恐ろしくよく似ている。

 ただしメソポタミア文明を築いたのは、シュメール人だが、黄河文明を築いたのが、ヤンシャ
オ人であったかどうかについては、確かではない。私が、勝手にそう思っているだけである。

 しかしシュメール人がいう「神」と、甲骨文字で書く「神」は、文字の形、発音、意味が、同じで
あるということ。形は(米)に似ている。発音は、「ディンガー」と「ディン」、意味は「星から来た
神」。「米」は、「星」を表す。

 ……という話は、若いころ、「目で見る漢方診断」(飛鳥新社)という、私の本の中で書いた。
なぜ、東洋医学の中で……と思われる人も多いかと思うが、その東洋医学のバイブルとも言
われている本が、『黄帝内経(こうていだいけい)・素問・霊枢』という本である。この中の素問
は、本当に不思議な本である。

 私は、その本を読みながら、「この本は、本当に新石器時代の人によって書かれたものだろ
うか」という疑問をもった。(もちろん現存する黄帝内経は、ずっとあとの後漢の時代以後に写
本されたものである。そして最古の黄帝内経の写本らしきものは、何と、京都の仁和寺にある
という。)

 それがきっかけである。

 で、このところ、再び、そのシュメール人が、宇宙人との関係でクローズアップされている。な
ぜか?

 やはりシュメールの古文書に、この太陽系が生まれる過程が書いてあったからである。年代
的には、5500年前ごろということになる。仮に百歩譲って、2000年前でもよい。

 しかしそんな時代に、どうして、そんなことが、シュメール人たちには、わかっていたのか。そ
ういう議論はさておき、まず、シュメール人たちが考えていたことを、ここに紹介しよう。

 出典は、「謎の惑星『ニビル』と火星超文明(上)(下)・ゼガリア・シッチン・ムーブックス」(学
研)。

 この本によれば、

(1)最初、この太陽系には、太陽と、ティアトマと水星しかなかった。
(2)そのあと、金星と火星が誕生する。
(3)(中略)
(4)木星、土星、冥王星、天王星、海王星と誕生する。
(5)そこへある日、ニビルという惑星が太陽系にやってくる。
(6)ニビルは、太陽系の重力圏の突入。
(7)ニビルの衛星と、ディアトマが、衝突。地球と月が生まれた。(残りは、小惑星帯に)
(8)ニビルは、太陽系の圏内にとどまり、3600年の楕円周期を描くようになった、と。

 シュメール人の説によれば、地球と月は、太陽系ができてから、ずっとあとになってから、ティ
アトマという惑星が、太陽系の外からやってきた、ニビルという惑星の衛星と衝突してできたと
いうことになる。にわかには信じがたい話だが、東洋や西洋に伝わる天動説よりは、ずっと、ど
こか科学的である。それに現代でも、望遠鏡でさえ見ることができない天王星や海王星、さら
には冥王星の話まで書いてあるところが恐ろしい。ホント。

 どうしてシュメールの人たちは、そんなことを知っていたのだろうか。

 ここから先のことを書くと、かなり宗教的な色彩が濃くなる。実際、こうした話をベースに、宗
教団体化している団体も、少なくない。だからこの話は、ここまで。

 しかしロマンに満ちた話であることには、ちがいない。何でも、そのニビルには、これまたとん
でもないほど進化した生物が住んでいたという。わかりやすく言えば、宇宙人! それがシュメ
ール人や、ヤンシャオ人の神になった?

 こうした話は、人間を、宇宙規模で考えるには、よい。その地域の経済を、日本規模で考え
たり、日本経済を、世界規模で考えるのに似ている。視野が広くなるというか、ものの見方が、
変わってくる。

 そう言えば、宇宙へ飛び出したことのある、ある宇宙飛行士は、だれだったか忘れたが、こう
言った。「人間の姿は、宇宙からはまったく見えない。人間は、地上をおおう、カビみたいなも
のだ」と。

 宇宙から見れば、私たち人間は、カビのようなものらしい。頭の中で想像できなくはない。た
だし、カビはカビでも、地球をむしばむ、カビ? が、そう考えていくと、日本人だの、中国人だ
のと言っていることが、おかしく見えてくる。

 それにしても、周期が、3600年。旧約聖書の時代を、紀元前3500年ごろとするなら、一
度、そのころ、ニビルは、地球に接近した。

 つぎにやってきたのが、キリストが誕生したころということになる。

 で、今は、西暦2005年だから、この説に従えば、つぎにニビルがやってくるのは、西暦360
0年ごろ、つまり1600年後。

 本当にニビルには、高度な知能をもった生物がいるのだろうか。考えれば考えるほど、ロマ
ンがふくらむ。若いころ、生徒たちを連れて、『スターウォーズ』を見に行ったとき感じたようなロ
マンだ。「遠い、遠い、昔、銀河系の果てで……」というオープニングで始まる、あの映画であ
る。

 ワイフも、この話には、たいへん興味をもったようだ。昨日もいっしょに書店の中を歩いてい
ると、「シュメール人について書いた本はないかしら」と言っていた。今日、仕事の帰りにでも、
またさがしてみよう!

 待っててよ、カアーチャン!(4・29)

【付記】

 しかし空想するだけで、ワクワクしてくるではないか。

 遠い昔、別の天体から、ニビルという惑星がやってきて、その惑星の衛星が、太陽系の別の
惑星と衝突。

 地球と月が生まれた。

 そのニビルという惑星には、知的生物、つまり私たちから見れば、宇宙人が住んでいた。ひ
ょっとしたら、今も、住んでいるかもしれない。

 そのニビルは、3600年周期で、地球に近づいてきて、地球人の私たちに、何かをしてい
る? 地球人を改造したのも、ひょっとしたら、彼らかもしれない? つぎにやってくるのは、多
分、1600年後。今は、太陽系のはるかかなたを航行中!

 しかしそう考えると、いろいろな、つまりSF的(科学空想小説的)な、謎が解消できるのも事
実。たとえば月の年代が、なぜ、この地球よりも古いのかという謎や、月の組成構造が、地球
とはなぜ異なっているかという謎など。

 また月が、巨大な宇宙船であるという説も、否定しがたい。「月の中は空洞で、そこには宇宙
人たちの宇宙基地がある」と説く、ロシアの科学者もいる。

 考えれば、考えるほど、楽しくなってくる。しかしこの話は、ここまで。あとは夜、月を見なが
ら、考えよう。ワイフは、こういう話が大好き。ほかの話になると眠そうな表情をしてみせるが、
こういう話になると、どんどんと乗ってくる。


++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●謎のシュメール

 『謎の惑星(ニビル)と火星超文明』(セガリア・シッチン著)(北周一郎訳・学研)の中で、「ウ
ム〜」と、考えさせられたところを、いくつかあげてみる。

 メソポタミアの遺跡から、こんな粘土板が見つかっているという。粘土板の多くには、数字が
並び、その計算式が書いてある。

+++++++++++++

1296万の3分の2は、864万
1296万の2分の1は、648万
1296万の3分の1は、432万
1296万の4分の1は、324万
……
1296万の21万6000分の1は、60

++++++++++++

 問題は、この「1296万」という数字である。この数字は、何か?

 その本は、つぎのように説明する(下・78P)

++++++++++++

 ペンシルバニア大学のH・V・ヒルプレヒトは、ニップルとシッパルの寺院図書館や、ニネヴェ
のアッシュールバニバル王の図書館から発掘された、数千枚の粘土板を詳細に調査した結
果、この1296万という天文学的数字は、地球の歳差(さいさ)運動の周期に関するものである
と結論づけた。

 天文学的数字は、文字どおり、天文学に関する数字であったのである。

 歳差とは、地球の地軸が太陽の公転面に対してゆらいでいるために発生する、春分点(およ
び秋分点)の移動のことである。

 春分点は、黄道上を年々、一定の周期で、西へと逆行していく。このため、春分の日に太陽
のうしろにくる宮(ハウス)は、一定の周期で、移り変わることになる。

 ひとつの宮に入ってから出るまでにかかる時間は、2160年。したがって、春分点が1周して
もとの位置に帰ってくるには、2160年x12宮=2万5920年かかるのである。

 そして1296万とは、2万5920x500、つまり春分点が、黄道上を500回転するのに要する
時間のことなのだ。

 紀元前4000年前後に、歳差の存在が知られていたということ自体、すでに驚異的である
が、(従来は、紀元前2世紀にギリシアのヒッパルコスが発見したとされていた)、その移動周
期まで求められていたいうのだから、まさに驚嘆(きょうたん)に値する。

 しかも、2万5920年という値は、現代科学によっても証明されているのだ。

 さらに、春分点が、黄道上を500回転するのに要する時間、1296万年にいたっては、現
在、これほど長いビジョンでものごとを考えるのできる天文学者は、何人いることだろう。

+++++++++++++++

 シュメールの粘土板の言い方を少しまねて書いてみると、こうなる。

3153万6000の12分の1は、262万8000
3153万6000の720分の1は、4万3800
3153万6000の4万3200分の1は、730
3153万6000の8万6400分の1は、365……

 これは私が、1分は60秒、1時間は60分、1日は24時間、1年は365日として、計算したも
の。これらの数字を掛け合わせると、3153万6000となる。つまりまったく意味のない数字。

 しかしシュメールの粘土板に書かれた数字は、そうではない。1年が365日余りと私たちが
知っているように、地球そのものの春分点の移動周期が、2160年x12宮=2万5920年と、
計算しているのである。

 もう少しわかりやすく説明しよう。

地球という惑星に住んで、春分の日の、たとえば午前0時JUSTに、夜空を見あげてみよう。そ
こには、満天の夜空。そして星々が織りなす星座が散らばっている。

 しかしその星座も、毎年、同じ春分の日の、午前0時JUSTに観測すると、ほんの少しずつ、
西へ移動していくのがわかる。もちろんその移動範囲は、ここにも書いてあるように、1年に、2
万5920分の1。

 しかしこんな移動など、10年単位の観測を繰りかえしても、わかるものではない。第一、その
時刻を知るための、そんな正確な時計が、どこにある。さらにその程度の微妙な移動など、ど
うすれば観測結果に、とどめることができるのか。

 たとえていうなら、ハバ、2万5920ミリ=約30メートルの体育館の、中央に置いてある跳び
箱が、1年に1ミリ移動するようなもの。100年で、やっと1メートルだ。

 それが歳差(さいさ)運動である。が、しかしシュメール人たちは、それを、ナント、500回転
周期(1296万年単位)で考えていたというのだ。

 さらにもう一つ。こんなことも書いてある。

 シュメール人たちは、楔形文字を使っていた。それは中学生が使う教科書にも、書いてあ
る。

 その楔形文字が、ただの文字ではないという。

●謎の楔形文字

 たとえば、今、あなたは、白い紙に、点を描いてみてほしい。点が1個では、線は描けない。し
かし2個なら、描ける。それを線でつないでみてほしい。

 点と点を結んで、1本の線が描ける。漢字の「一」に似た文字になる。

 つぎに今度は、3個の点にしてみる。いろいろなふうに、線でつないでみてほしい。図形として
は、(△)(<)(−・−)ができる。

 今度は、4個で……、今度は、5個で……、そして最後は、8個で……。

 それが楔形文字の原型になっているという。同書から、それについて書いてある部分を拾っ
てみる(92P)。

++++++++++++++

従来、楔形文字は、絵文字から発達した不規則な記号と考えられているが、実は、楔形文字
の構成には、一定の理論が存在する。

 「ラムジーのグラフ理論」というものを、ご存知だろうか?

 1928年、イギリスの数学者、フランク・ラムジーは、複数の点を線で結ぶ方法の個数と、点
を線で結んだ結果生ずる図形を求める方法に関する論文を発表した。

 たとえば6個の点を線で結ぶことを考えてみよう。点が線で結ばれる、あるいは結ばれない
可能性は、93ページの図(35)に例示したような図形で表現することができる。

 これらの図形の基礎をなしている要素を、ラムジー数と呼ぶが、ラムジー数は一定数の点を
線で結んだ単純な図形で表される。

 私は、このラムジー数を何気なくながめていて、ふと気がついた。これは楔形文字ではない
か!

+++++++++++++

 その93ページの図をそのまま紹介するわけにはいかないので、興味のある人は、本書を買
って読んでみたらよい。

(たとえば白い紙に、4つの点を、いろいろなふうに描いてみてほしい。どんな位置でもよい。そ
の点を、いろいろなふうに、結んでみてほしい。そうしてできた図形が、楔形文字と一致すると
いう。

 たとえば楔形文字で「神」を表す文字は、漢字の「米」に似ている。4本の線が中心で交わっ
ている。この「米」に似た文字は、8個の点をつないでできた文字ということになる。)

 つまり、楔形文字というのは、もともと、いくつかの点を基準にして、それらの点を結んででき
た文字だというのだ。そういう意味では、きわめて幾何学的。きわめて数学的。

 しかしそう考えると、数学などが生まれたあとに、文字が生まれたことになる。これは順序が
逆ではないのか。

 まず(言葉)が生まれ、つぎにその言葉に応じて、(文字)が生まれる。その(文字)が集合さ
れて、文化や科学になる。

 しかしシュメールでは……?

 考えれば考えるほど、謎に満ちている。興味深い。となると、やはりシュメール人たちは、文
字を、ニビル(星)に住んでいた知的生命体たち(エロヒム)に教わったということになるのだろ
うか。

 いやいや、その知的生命体たちも、同じ文字を使っているのかもしれない。点と、それを結ぶ
線だけで文字が書けるとしたら、コンピュータにしても、人間が使うような複雑なキーボードは
必要ない。

 仮に彼らの指の数が6本なら、両手で12本の指をキーボードに置いたまま、指を動かすこと
なく、ただ押したり力を抜いたりすることで、すべての文字を書くことができる。想像するだけで
も、楽しい! 本当に、楽しい!

 ……ということで、今、再び、私は、シュメールに興味をもち始めた。30年前に覚えた感動が
もどってきた。しかしこの30年間のブランクは大きい。(チクショー!)

 これから朝食だから、食事をしながら、ワイフに、ここに書いた二つのことを説明してやるつも
り。果たしてワイフに、それが理解できるかな?

 うちのワイフは、負けず嫌いだから、わからなくても、わかったようなフリをして、「そうねえ」と
感心するぞ! ハハハ。
(はやし浩司 楔形文字 ラムジー グラフ理論 ニビル エロヒム 地球の歳差運動 運動周
期)

【付記】

 食事のとき、ワイフに、ここに書いたことを説明した。が、途中で、ワイフは、あくびを始めた。
(ヤッパリ!)

私「ちゃんと、聞けよ。すごい謎だろ?」
ワ「でもね、あまり、そういうこと、書かないほうがいいわよ」
私「どうして?」
ワ「頭のおかしい人に思われるわよ、きっと……」
私「どうしてだよ。おかしいものは、おかしい。謎は、謎だよ」
ワ「どこかの頭のおかしい、カルト教団の信者みたいよ」
私「ちがうよ、これは数学だよ。科学だよ」
ワ「でも、適当にしておいたほうがいいわよ」と。

 以上が、ワイフの意見。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【被害妄想】

●被害妄想

 妄想性の強い女性がいた。年齢は、40歳くらいか。その女性と話していたときのこと。私は、
なぜその女性がそうなのかを、自分なりにさぐってみた。

 妄想……ありもしないことを勝手に頭の中で想像して、それをふくらませてしまう。「あの人
は、こうしたハズだ」「このときは、こうだったハズだ」と。そしてそれを基準にして、ものを考え
始める。

 こうした妄想性を、段階的に区分してみると、こうなる。

【1期】固執期(こだわり期)

 ひとつの事がらに、固執し始める。明けても暮れても、考えることは、そのことばかり。頭から
離れなくなる。悶々と悩んだり、苦にしたりする。

【2期】拡散期(不安、肥大期)

 そのひとつの事がらを核に、それを補強するため、周囲のこと、今まであったことを、それに
つけ加え始める。「あのときも、そうだった」「このときも、そうだった」と。そしてその不安や心配
を、将来へと結びつけていく。「また、そうなるのではないか」「また、ああなるのではないか」と。

【3期】否定期

 一度こうなると、すべてを悪いほうへ、悪いほうへと考えていく。ものの考え方が、自己中心
的で、相手の善意や誠意なども、理解できなくなる。自分のまわりのすべての人が、悪人に見
えてくる。

【4期】混乱・パニック期

 妄想が、一定の思考パターンに入ると、(たいていは、そのパターンができているものだが…
…)、そのパターンに沿って、妄想が妄想を呼び、頭の中は、パニック状態になる。突発的な行
動に出ることが多い。相手の家に押しかけていって、怒鳴り散らしてみる、など。暴力ザタにな
ることもある。

【5期】煩悶(はんもん)期

 妄想が終わったからといって、すぐ、頭の中がスッキリするわけではない。個人差もあるのだ
ろうが、妄想が頭のどこかに張りついたような状態に、なる。また問題が解決しないかぎり、
悶々とした状態がつづく。あるいは、せっかく、落ちつきかけても、同じ問題が起きたりすると、
逆戻りしたりする。

【6期】冷静・反省期

 しばらく考えたり、冷却期間を置くことによって、妄想に振りまわされていたときの自分を、客
観的に見ることができるようになる。しかし妄想を繰りかえす人には、この冷静、反省期がない
ことが多い。つまりそれがないから、何度も何度も、同じ、失敗を繰りかえす。

●ある学校の先生(小2担当)のメモから

 埼玉県に住んでいる、Sさん(女性教師・30歳前後)から、こんなメモが届いた。「ぜったいに
私とわからないように……」ということなので、かなり話を、デフォルメする。

 「私の生徒の親に、日本人の父親と、フィリッピン人(中国系)の母親をもつ子どもがいます。
その子どもを、X君(男)としておきます。

 X君には、1人、とても仲のよい友だちがいました。いつもいっしょに、遊んでいました。その
友だちの名前を、Y君としておきます。

 小学1年生の間は、毎日のように、いっしょに遊んでいました。ところが、何かの拍子に、Y君
がX君に、「お前は中国人だ」と言ったというのです。言い忘れましたが、母親が、中国系なの
で、外見からは、日本人と区別できません。

 これを聞いたX君の母親が、激怒。学校へおしかけてきて、Y君を叱ってくれるように言いまし
た。そのあと、言葉のやり取りの中で、校長と、大騒動になってしまったのです」と。

が、これはもともと問題になるような問題ではない。というのも、その教師の住む地域には、日
本でも有数のバイクメーカーの主要工場がある。外国人労働者も多い。もちろん外国人の子
ども多い。以前のように外国人の子どもが少ないときならまだしも、現在のように多くなってくる
と、むしろ、日本人の子どものほうが、小さくなっていることも少なくない。白人系の子どもたち
は、体格も大きい。

が、X君の母親のばあいは、日ごろの劣等感や、不満が、それに追いうちをかけた。X君の母
親自身も、自分が日本語をうまく話せないこともあって、差別されていると感じていたのだろう。

 で、ここで登場するのが、被害妄想である。

 この段階で、賢明な母親なら、それぞれの問題を区別して、ちょうど棚にものを整理してしま
うように、考え方を整理することができる。

 が、X君の母親は、それができなかった。すべての問題を、「中国人だから……」というところ
に結びつけてしまった。

 「うちの子が勉強ができないのは、日本人の教師が中国人を嫌っているからだ」
 「○○クラブに入れてもらえなかったのは、私が中国人だからだ」
 「親たちの会話の中に入れてもらえないのは、私が中国人だからだ」と。

 しかし実際には、そうではないようだ。そのSさん(女性教師)は、こう言う。

 「電話で話しても、意味が通じないのです。しかたないので、家庭訪問をして、その場で、いろ
いろ説明することにしています。何か行事があるたびに、きちんと口頭で説明しないと、理解し
てくれません。

 それだけならまだしも、自分で勝手に誤解し、(もちろん連絡用のプリント類は読みません)、
あとでいつも怒って電話をかけてきます。

 その少し前も、『横浜の中国人学校では、小1で掛け算を教えている。どうしてこの小学校で
は、掛け算を教えてくれないのか』と怒ってきたこともあります。

 が、そのX君が2年生になりました。私もいそがしくなり、家庭訪問までは、できなくなりまし
た。とたん、また抗議。『どうしてうちだけ、来てくれないのか』と、です。Y君とのトラブルは、そ
んなときに起きました。

 それほど深刻な雰囲気で、Y君は、そう言ったのではないと思います。が、X君の母親は、ど
うしてか激怒。校長にまで、ああでもない、こうでもないと食ってかかっていました。最後は、『ほ
かの日本人の親たちは、あなたにお金(=ワイロ)を渡しているようだが、私は渡さない』『あな
たは、いくらもらっているのか』『うちの息子だけ、体罰を受けている』などなど。

 そのうち校長も本気で怒り出してしまい、収拾がつかなくなってしまいました」と。

 よくある話である。

 学校と親と、一定の信頼関係で結ばれていれば、こうした問題は起きない。冗談は冗談です
む。しかしその信頼関係が切れると、そうはいかない。

 まさにX君の母親の被害妄想が生んだ、妄想劇ということになるが、実際には「劇」と言うほ
ど、生やさしいものではない。当事者たちは、トコトン、神経をすり減らす。そのSさん(教師)
も、数日間、食事も、ノドを通らなかったという。

 しかし、だ。悲劇は、それで終わったわけではない。

 X君とY君は、仲がよかった。しかしこの話を聞いたY君の母親が、今度は、激怒した。「何か
問題があるなら、どうして直接、私に言ってくれなかったのか」と。こうしてX君は、Y君とも、遊
べなくなってしまった。と、同時に、X君は、かえって、クラスの中でも、孤立するようになってし
まった。

 何か、こまかいことを、クヨクヨと気にするようになったら、要注意。だれしも、ときとばあいに
よっては、そういう状態になるものだが、そういうときの鉄則は、一つ。

 じっと、穴にこもって、がまんする。それにまさる対処方法は、ない。
(はやし浩司 被害妄想 妄想)

(注)「ある人、またはある組織から、迫害を受けていると信じこんだり、だれかが悪意をもっ
て、自分をキズつけようとしていると思いこむことを、被害妄想という」(心理学用語辞典)とあ
る。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●もし、K国が、核実験をしたら……

 6月にK国が核実験をするかもしれないという情報が、アメリカの国防省筋から流れている
(4月30日、共同通信※ほか)。

 それはそれとして、つまりK国の核実験は別として、もし、それが強行されたら、韓国のN大
統領よ、あなたが責任を取れ!

 ことあるごとに、超ノー天気な楽観論を繰りかえし、国際世論に背を向けて、金XXの擁護(よ
うご)ばかり! 「K国が核兵器を開発することについては、一理ある」などという、とんでもない
発言までしている。

 国内では、反日運動を展開するばかりか、親日派の知識人まで弾圧し、おまけに日本の国
連安保理入りには、猛然と反対運動。日本のA新聞社が、竹島上空に、軽飛行機を飛ばした
だけで、ジェット戦闘機を2度にわたって発進させた。

 さらに、YMさんの遺骨鑑定問題についても、「日本側の鑑定には疑問がある」とまで発言し
たという。さらに「戦後補償は、足りない」「もっと金、よこせ」と。

 N大統領、あなたが日本が大嫌いなのはわかるが、K国が、核実験をしたら、それはあなた
の責任だぞ。今までさんざん、「そんなものは、ただのブラフ(脅し)で、K国にはない」と言って
きたのは、どこのどなたか?

 選挙運動中には、アメリカの国旗を破ってみせ、「K国の核問題は、ワレワレが解決してみせ
る」と、大見得を切った。が、結果は、どうだ。

 言っておくが、K国が核兵器をもてば、東京もあぶないが、それ以上にあぶないのが、ソウル
だぞ! わかっているのか? 地下トンネルでこっそりと運ばれて、ソウルの地下から、ドカ
ン! 1発で、ソウルはこなごな。50〜100万人以上の死傷者が出る。

 そのあと一気に、100万人のK国軍が、なだれのように南下する。金XXは、「1週間以内に、
プサンまで進攻できる」と言っている。

 韓国の国防省は、「そのとき、在日米軍など、65万のアメリカ軍が、韓国を防衛する」と白書
の中で書いているが、肝心のアメリカは、「そんな約束をした覚えはない」と。

 大統領になったとたん、アメリカに特使を送り、「アメリカ軍の撤退」を申し出た。が、予想に
反して、アメリカ側高官が、「はい、わかりました。そうします」と言ったとたん、大あわて。

 「撤退を延期してほしい」の大懇願。しかも撤退し始めたアメリカ軍が、ヘリや戦車などの重
火器を持ち出そうとすると、今度は、「撤退は、兵隊(人)だけではなかったのか」と、抗議まで
するしまつ。さらに先日、アメリカのR国務大臣が韓国を訪れると、「イラクに、日本の自衛隊を
派遣させるな」「竹島問題では、韓国に協力してほしい」と。つまり、日本を取るか、韓国を取る
かの選択まで迫った。

 日本人は、怒っているぞ! ついでにアメリカ人も怒っているぞ! あなたにとっては、国際
公約など、ただのチラシのようなものかもしれない。しかしもう少し、国際政治は、現実的に、か
つ前向きに考えたら、どうか?

 一番近いところでは、中国で反日デモが起きたとき、「これで日本の安保理入りは流れた(赤
信号)」と、一番、喜んだのが、ほかならぬ、あなただったとか。いろいろ、週刊誌情報だが、伝
わってきている。

 この原稿は、4月30日のもの。これから先、どうなるか、予断を許さないが、しかしまあ、韓
国の人たちも、かわいそうだと思う。あなたのような大統領に、まだ、2年近くも、ついていかね
ばならない。

 仮にこのまま平和のままだったとしても、米韓関係、日韓関係は、消滅。へたをすれば、2年
後には、韓国はK国にのみこまれてしまっているかもしれない。頼みのツナは、中国だが、しか
しあんな中国を、信用していてよいのか? その前に、韓国も、今は、自由主義経済の中で、
生きているはず。それを、忘れてはならない。

※……今年2月に核保有を公式宣言した北朝鮮が、3月から地下核実験の準備に着手してお
り、早ければ6月にも実験を強行する可能性があるとの情報を、米国が、国際原子力機関(IA
EA)や日本など関係国政府に非公式に伝達していたことが30日、わかった。ウィーンの複数
の外交筋が明らかにした。


++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(640)

●新しい文字

 今日は、ソファに座りながら、新しい文字を考えた。シュメールの楔形文字に習って、点と線
だけの文字である。

 そこで私が考えた文字は、4つの点と線だけで構成する文字。

 ・ ・
 ・ ・

 これが基本形。この4つの点のつなぎ方だけで、

(うち2点だけを結んでできるパターン)…… 6個
(うち3点だけを結んでできるパターン)……16個
(うち4点だけを結んでできるパターン)……50個以上(?)

 これだけで、ひらがなすべてを、カバーできる。「?」と思う人は、点を4つ描いてみて、いろい
ろなふうに線でつないでみてほしい。きっとそのバリエーションの多さに、驚くと思う。

 たとえば、(「」(」)(L)などは、3個とする。(N)も、4つの点をつないでできる文字だが、回転
させると、4個になる。(コ)も、回転させることで、4個にすることができる。

 文字を簡単にすれば、表示も簡単になる。あるいはタイプライターのようなものでも、今のよう
な複雑なキーボードは、いらなくなる。(……と思う。)少なくとも、わずらわしい指の移動は、い
らなくなるかも(?)。

 ……で、今思い出したが、私が若いころには、エスペラント語というのが、あった。世界の共
通言語になるとか何とかおだてられて、少し、かじったことがある。あのエスペラント語は、その
のち、どうなったのだろう?

 つまり私がここで考えたようなことは、だれしも一度は考えるものか。しかし結局は、定着しな
い。

 文字や言葉というのは、大衆が決めるものだから、だ。一部のハネあがった人が、「こうしま
しょう」と決めても、意味はない。大衆が、NOと言えば、それまで。

 まあ、これは遊びのようなもの。

 ところで、これはおもしろい教材になりそうだ。4つの点だけを、50組くらいかいておき、「点
をつないで、いろいろな模様を作ってごらん」「ただし同じ模様は、描かないこと」と、一度、子ど
もたちにやらせてみよう。

 新しい教材、ゲット!(新案だぞ!)

+++++++++++++++++++

あなたなら、いくつ描けますか?

+++++++++++++++++++

・ ・     ・ ・     ・ ・     ・ ・    ・ ・
・ ・     ・ ・     ・ ・     ・ ・    ・ ・


・ ・     ・ ・     ・ ・     ・ ・    ・ ・
・ ・     ・ ・     ・ ・     ・ ・    ・ ・


・ ・     ・ ・     ・ ・     ・ ・    ・ ・
・ ・     ・ ・     ・ ・     ・ ・    ・ ・

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


●悪性自己中心

 自己中心性は、その人の人格の完成度を知るためのバロメーターになる。自己中心的であ
れば、あるほど、その人の人格の完成度は、低いということになる。

 これについては、何度も書いてきた。

 そしてこの自己中心性には、2つの方向性と、2つの二層性がある。

 ひとつは、自分のことしか考えないという自己中心性。もう一つは、他人の心まで、自分勝手
に判断し、決めてしまうという自己中心性。

 「自分さえよければ」というのが、一般的な自己中心性だが、もう一つは、「私はこうだから、
あなたも、そうでなければならない」という自己中心性もある。

 それについては、こんな経験がある。

 ある女の子(中2)が、最近つきあうようになった、ボーイフレンドのプリクラ写真を、別の女の
子(中2)に見せた。するとその女の子は、その写真を見ながら、こう言った。「どこが、こんな
男、いいのよサア? 性格悪そう……。やめときな、こんな男!」と。

 写真を見せたほうの女の子は、おとなしいタイプの子どもだったので、だまっていた。が、そ
の会話を横で聞いたとき、「この女の子は、かなり自己中心的な子どもだな」と思った。自分の
好みまで、相手に押しつけようとしていた。

 もう一つの自己中心性は、他人の心まで、自分勝手に決めてしまうという自己中心性。これ
についても、こんなことがあった。

 A子さん(小6)は、何かにつけて、カッとなりやすいタイプの子どもだった。その場の感情に振
りまわされて、相手に怒鳴りちらしたりしていた。

 そのA子さんが、ある日、しおらしい顔をして、私にこう言った。

 「先生、B子が私を許してくれない。私、ちゃんと、謝ったのに……」と。

 そこで私が、「謝ったからといって、相手が許してくれるとはかぎらないよ。相手には、相手の
気持ちがあるのだから……」と言うと、A子は、「私が大切にしていた、○○を、B子にあげたの
よ。それでも許してくれないのよ」と。

 そのA子は、B子の心の状態まで、自分で決めてしまおうとしていた。

 で、こうした自己中心性には、それぞれ、二層性がある。意識的に自己中心的になる部分
と、無意識のまま自己中心的になる部分である。

 もっとも、自己中心的でありながら、自分で、それに気づく人は、まず、いない。自己中心的で
あるとさえ思っていない。

 他人の自己中心性に触れたとき、そして自分の中の自己中心性に気がついたとき、人は、
自己中心的であるということが、どういうことものであるかということに気がつく。つまり自分の
自己中心性に気がつくためには、ある程度の指導と、ある程度の訓練が必要である。

 というのも、人間は、その幼児期において、だれしも、自己中心的なものの考え方をする。自
己中心性が、幼児期の特徴の一つでもある。

 この幼児期を抜けて、少年少女期へ移行するとき、人は、精神の発達を、その成長にからめ
る。これを「内面化」という。

 この内面化が遅れると、幼児期の自己中心性が、そのまま残ることがある。そしてそれが原
型となって、さまざまな性格をつくりあげる。そんなわけで、ほとんどの人は、無意識のまま、自
己中心的な言動を繰りかえす。

 が、その中でも、さらに無意識の自己中心性がある。

 わかりやすく言えば、一見すると、自己中心的ではないのだが、結局は自己中心的というの
が、それ。私はこれを、「悪性自己中心」と呼んでいる。無意識のエゴというか、意識下のエゴ
というか……。仏教でも「末那識(まなしき)」という言葉を使って、それを説明する。一見、善人
のフリをしながら、その実、自分のことしか考えていない人をいう。

 わかりやすい例では、信者獲得のことしか考えていない、宗教指導者がいる。先ごろハレン
チ罪で逮捕された大阪の牧師などは、10年間で、10万人信者の獲得を、教会の目標にかか
げていたという。

 信者がふえるかふえないかは、それは信仰の中身によるものであって、しかも結果でしかな
い。さらにどんな宗教にも、100年単位の熟成・自然淘汰期間※が必要である。信者獲得の
ために血眼(ちまなこ)をあげているような、そこらの新興宗教は、その原点からして、インチキ
と断定してよい。

 「他人を救うような顔をしながら、結局は、無意識のまま、自分のことしか考えていない」……
それが悪性自己中心である。

 同じことは、個人についても、言える。さらに親子についても、言える。

 ずいぶん前だが、こんな母親がいた。

 子ども(中3女子)は、いつも口グセのように、「看護婦になりたい」と言っていた。そんなある
日、道路で、その子どもの母親に出会った。

 私が、「○○さんは、心のやさしい子ですね。看護婦になりたいと言っています。きっといい看
護婦さんになりますよ」と声をかけると、その母親は、私の話を聞き終わらないうちに、はき捨
てるようにして、こう言った。

 「うちの子は、看護婦なんかにはしません。医者になってもらいます!」と。

 その母親は、一見、子どものことを考えているようで、実は、子どもの心など、何も考えていな
かった。

 さらにわかりやすい例としては、進学塾のパンフレットがある。「君の夢をかなえよう」と、そこ
には、ある。しかしその下には、「SS高校、124人、合格。AA高校、88人合格……」とつづ
く。

 子どものことを考えているようで、その実、子どものことなど、何も考えていない。

 自分の中の自己中心性と戦うためには、心の奥の奥まで、踏みこまねばならない。その一つ
が、ここでいう悪性自己中心ということになる。
(はやし浩司 自己中心 自己中心性 悪性自己中心性)

※……宗教の熟成期間と自然淘汰期間

 宗教が宗教として熟成するためには、100年単位の熟成期間が必要である。その間に、宗
教は自然淘汰され、本物だけが、生き残る。

 それがない宗教は、まず、インチキと断定してよい。たとえばこの日本には、宗教法人だけで
も、20万団体以上もある。宗教団体となるともっと、多い。

 20万団体といえば、毎日、2つずつ検証しても、274年もかかる。

 そこで信仰宗教団体は、キリストや釈迦の権威を借りたり、既存宗教団体の権威を借りたり
して、活動を始める。「私こそが、ぜったいに、正しい」と。

 こうした宗教団体は、組織としての、ここでいう悪性自己中心性に気がついていない。つまり
は、目的は、権力とマネー。信者は、そのための道具でしかない。

 
++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●謎の惑星「フォボス」 

 火星には、「フォボス」と「ダイモス」という2つの衛星がある。火星に近い軌道を飛んでいるの
が、フォボス。

 直径22・2km、火星から、9378kmの上空を飛んでいる。自転周期は、約7時間36分。1
877年に、発見された衛星である(ホール)。

 このフォボスの最大の特徴は、先端部にある、直径が、フォボス自体の直径の3分の1にも
なる、ほぼ真円形のクレーターである。写真などは、NASAなどが公表しているから、興味の
ある人は、見たらよい。

 こうした真円形のクレーターは、月の表面でもいくつか見つかっている。しかし写真でみると、
クレーターといっても、きれいなすり鉢状のようにもなっている。

 となると、このクレーターは、何かということになる。

 一つの可能性としては、何らかの推進装置とも考えられる。このすり鉢の中心部で、何らか
の爆発を起こせば、そのエネルギーは、そのままフォボスを動かす推進力にもなる。一見、原
始的な推進装置に見えるが、もっとも効率のよい推進装置とも言える。ムダなものが、何もな
い。

 このフォボスが、実は、宇宙人たちの中継基地ではないかという説がある。根拠は、いろいろ
あるようだ。

(1)中が空洞になっているらしいということ。
(2)旧ソ連の探査機が、交信を断つ前に送ってきた画像に、巨大なUFOが写っていたこと(探
査機「フォボス2号」)。
(3)表面の縞模様が、自然にできたものとは考えにくいこと。さらにその縞模様が、観測ごと
に、ふえていることなど。

 映画『スタートレック』などを見ると、宇宙船というと、金属製の、複雑な飛行機のようなものば
かりだが、実際には、宇宙を航行するときは、フォボス型の宇宙船のほうが、ずっと、効率がよ
いことがわかっている。

 大きな隕石をもってきて、中をくりぬく。そしてその中に住空間をつくり、そこに人が住む。危
険な放射線や、こまかい隕石との衝突もシャットアウトできる。適当な重力も、手に入れること
ができる。工法も簡単。

 たとえばフォボスは、時速24〜5キロ前後で走れば、その重力圏から脱出できるという。人
間で言えば、全力疾走程度で、宇宙空間へ飛び出すことができる。

 ……と考えていくと、ロマンは尽きない。

 ジャガイモ型のフォボス。その後方(前方かもしれない)に、巨大な真円形のクレーター。そん
なものが、今も、この宇宙空間をただよっている。

 そこでクエスチョン!

 フォボス自体は、巨大な隕石だから、重力をもっている。そのフォボスをくりぬいて、その中に
人が住んだとしたら、その重力は、その人に、どのように作用するだろうか。つまり人は、その
穴の中で、どのような生活をしているだろうか?

 月を例にとって考えてみてもよい。あの月も、中が空洞であるという説がある。仮に空洞であ
るとするなら、その中では、人は、どのように生活をしているだろうか。
(はやし浩司 フォボス 火星)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(641)

●拡大する貧富の差とこれからの受験勉強

 この日本の社会では、静かに、密かに、しかし確実に、ジワジワと、貧富の差が拡大しつつ
ある。

 このことは、工場労働者の構成を見ればわかる。

 近くのX自動車の下請けメーカーの中堅社員が、こんなことを話してくれた。

「社員といっても、何種類もいる。正社員のほか、パート社員、期間社員、アルバイト、人材派
遣会社からの派遣社員などなど。

 さらに最近では、一応社員なのだが、独立した仕事だけをして帰る社員もいる」と。

 「どういう仕事ですか?」と聞くと、「たとえば会社で出す、人材募集のチラシを作ったり、社内
報を作ったりする社員です。しかしこの社員は、社員というよりは、独立したアルバイトといった
感じです。社会保険にも入れず、もちろんいっさいの保証はありません」と。

 手厚く保護される正社員。しかしその一方で、冷遇されるそれ以外の社員(?)たち。年俸に
しても、数百万円以上もの差がある。が、「安い」だけではない。労働条件は、かえってきびし
い。少しでもヘマをすると、即、クビという状態だそうだ。

 この日本では、今、確実に、貧富の差が、広がりつつある。やがてそのうち、社会問題化す
るのも時間の問題といってよい。数字を見てみよう。

 厚生労働省が04年6月に発表した、ジニ指数(世帯ごとの所得格差を示す)は、調査を始め
た84年から、7年連続で、拡大をつづけている。

 昨年(04年)は、そのジニ指数が、0・498と、かぎりなく0・5に近づきつつある。

 0・5という数字は、高所得者の4分の1の世帯が、全所得の4分の3を占めることを意味す
る。残りの4分の3の人たちは、残った4分の1の所得を分けあうことになる。

 しかしこの数字を、深刻に考えている政治家は、少ない。……いない。経済界にいたっては、
なおさらで、むしろ、こうした格差を歓迎しているふうですら、ある。理由がある。

 「こうした差こそが、やる気のある人にやる気を出させ、経済を活性化させる」と。

 つまり力があり、やる気のある人がいい生活をして、そうでない人が、そうでない生活をする
のは、当然ではないか、と。そういう冷徹な論理である。が、どうもそれだけではないようだ。

 「この世の中では、支配階級と、だまってそれに従う階級がなければ、そもそもマネー社会
(=マネー資本主義)は成りたたない」という論理がある。みなが平等になり、中産階級になっ
てしまえば、社会の活力そのものが、停止してしまうという。例がないわけではない。

 かつて私が留学していたころのオーストラリアが、そうだった(1960〜70年代)。

 当時のオーストラリアでは、年俸が、確か2万ドル(この数字は正確ではない)を超えると、と
たんに、所得税率が極端にあがるしくみになっていた。だから、みな、2万ドル分までは働くが、
それ以上に働いても意味がないというように考えるようになった。

 こうして「レイジー・オージー(怠け者のオーストラリア人)」が生まれたわけだが、この制度
は、オーストラリアの活力そのものまで奪ってしまった。(もともと、土地を掘れば、鉱物資源が
無尽蔵に出てくるという、ラッキーな国であったことも事実である。)

 だから経済界あたりでは、むしろ、貧富の差を助長することこそ、重要であるというような考え
方をする。はっきり言えば、マスター(ご主人様)がいて、それに従順に従う、スレイブ(奴隷)が
いたほうが、経済の活性化のためには、つごうがよいということになる。

 だから、官僚たちは、恥ずかしげもなく、こう言う。「林さん、労働者には、金(マネー)をもた
せてはいけないのですよ。金をもったとたん、働かなくなりますから。万博でも何でもいい。そう
いうのを開いて、労働者に金を使わせる。貯金させてはいけないのですよ」と。

 これはある官僚から、私が直接聞いた言葉である。だから万博に反対というわけではない。
経済界の論理というのは、そういうもの。

 それを知ってか、知らずか、地方の貧しい人たちが、バスに乗って、万博を見にくる。マンモ
スの像を見て、「マンモスだ」「マンモスだ」と、喜んでみせる。そこにある種の悲しさを覚えるの
は、はたして私だけであろうか。

 話がそれたが、この貧富の差が大きくなればなるほど、またまた受験競争が燃えあがる。だ
れしも勝ち組に入りたいと願っている。「せめて、自分の子どもだけは……」と願っている。それ
が子どもの受験競争に拍車をかける。

 1995年〜2000年にかけて下火になってきた、いわゆる受験産業が、このところまた息を
吹きかえしつつ。そんな事情の背景には、こんな事実が隠されている。

 悲しいかな、今、この日本で、「受験」に背を向けて生きられる人(子ども)は、ほとんど、いな
い。そしてその傾向は、これから10年、さらにはげしくなる。貧富の差がはげしくなればなるほ
ど、なおさらである。
(はやし浩司 ジニ指数 貧富の差 受験競争)


++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


【思いつくまま……】

●虐待ママ

 子どもを虐待する親(とくに母親)を見ていて、「?」と思うことがある。どこに問題があるとも、
見えない。ごくふつうのおだやかな母親であることが、多い。むしろ柔和な笑みを絶やさず、や
さしい母親といった感じがする。話し方もていねい。

 (虐待ママにも、いろいろなタイプがあるが……。)

 また子どもは、子どもで、そういう母親であるからといって、とくに嫌っているといったふうでも
ない。「ママ、ママ……」と、ベタベタと甘える様子さえ見せる。

 が、よく観察すると、母親は、どこかつかみどころがない。言動が、どこか不自然。演技ぽ
い。

 子どもは、甘えてはいるが、本当に母親を慕っているというよりは、依存性からそうしていると
いったふう。その年齢にしては、どこか幼稚ぽく、自立心がない。母親に甘えるといっても、ネ
チネチした甘え方をする。

 で、一度だけ、たまたまその母親が、子どもを虐待する現場を見てしまったことがある。それ
は突発的だった。何かの拍子に、子どもが自分の思いどおりにならなかったのだろう。突然、
表情から血の気が引いたと思うと、その母親は、無表情のまま、子どもを投げるようにして、障
子戸に、体ごとぶつけていた。

 その力には、容赦がなかった。言葉もなかった。バシン、バシンと、2度。そのあと、子どもが
倒れると、そばにあったカップを、子どものほうというよりは、廊下のほうをめがけて投げた。子
どもがワッと泣き出したのは、そのあとのことだった。

 このタイプの虐待ママは、しばらくすると、正気にかえる。正気にかえって、今度は、必要以上
に、子どもの機嫌をとったり、子どもにわびたりする。そして「ママは、あなたを愛しているのよ」
とか、何とか言う。

 ほかの特徴としては、何を考えているか、その心がつかめない。その母親の向こうに、もう一
人の別の母親がいて、その母親がこちらをニンマリと観察しているといった感じになる。母親自
身も、何らかの心のキズをもっていることが多い。あるいは自分でも、どうすることもできないの
かもしれない。

 カッとなると、見境なく、行動に出てしまう。脳の抑制命令がきかなくなってしまう。精神そのも
のが、ノーコン(制御不能)状態になる。だからたいていの虐待ママは、こう言う。

 「つい、カッとなってしまうのです」と。

 だから虐待の問題を、理性の範囲で説いても、あまり意味がない。だから、子どもは、保護さ
れねばならない。そういった母親から切り離して、施設へ入れなければならない。

重要なことは、そのときどきの母親の様子に、だまされないこと。先にも書いたように、見た感
じは、むしろやさしい母親であることが多い。だから「もう、虐待しません」などと言われたりする
と、つい、その気になって、心を許してしまう。しかしそれでは、この問題(子どもの保護)は、解
決しない。


●ミッシング・リンク

 人間の祖先は、どこでどのようにして生まれたのか。いろいろな説がある。ネアンデルタール
人、クロマニオン人、さらには、北京原人、ジャワ原人などなど。

 最近の研究では、人間の祖先の祖先は、どうやらアフリカ大陸で生まれたらしいということま
でわかってきた。それはそれとして、そのあたりを原点として、人間は、進化に進化を重ねて、
現在の人間になった。

 が、それでいわゆる、(ミッシング・リンク)の問題が解決されたわけではない。人間は、ある
時期から、突然、現在の人間になった。ふつう、進化というときは、少しずつの変化が、そのつ
ど、歴史の中に残っている。

 しかし人間には、それがない。つまり、それを(ミッシング・リンク)(切れた連鎖)という。

 それには、これまたいろいろな説がある。一番、ロマンチックなのは、どこかの宇宙人が、地
球へやってきて、自分の姿形に似せて、そこらにいた猿人を、人間に改造したという説。今で
いう、遺伝子操作をすれば、それほど、むずかしいことではないらしい。

 で、それを頭の中で思い浮かべながら、しかしその説はおかしいのではないかと思う。反対
の立場で考えてみよう。

 そこにチンパンジーがいたとする。あなたは遺伝子操作の技術者だ。そのときあなたは、そ
のチンパンジーを、自分の姿形に似せて、改造しようなどと思うだろうか。

 こうした「思い」には、強いブレーキが働く。道徳的、倫理的なブレーキである。仮に人間の知
能に関する遺伝子を、移植するについても、そこらの犬やサルに移植したら、どうなるか。

 そんなことは少し、想像力を働かせてみれば、だれにもわかること。結果は、……たいへん
なことになる!

 だからこの話は、あくまでも、ロマン。空想。SF(科学空想小説)。

 このところ、手塚治虫のコミックをよく読む。そのせいか、突飛もないことばかり、考えるにな
った。気をつけよう。

+++++++++++++++++++++++

(補記)

 ミッシング・リンクについて……

 人類の歴史は、「霊長目(もく)」と呼ばれる、一群の哺乳類から始まる。

 この猿、つまり類人猿およびヒトの共通の祖先が、アフリカに姿を現したのは、今から4500
〜4000万年ほど前のことだと言われている(「謎の惑星(ニビル)と火星超文明」より)。

 しかし現在の人間は、徐々に、なだらかに進化して今の人間になったのではない。ところどこ
ろ、100万年単位、ばあいによっては、1000万年程度の空白期間をおいて、進化している。

 これをミッシング・リンクという。

 が、最近の研究では、細胞の中のミトコンドリアDNAの追跡から、すべての人間は、30万年
前の、1人の母親を起源としていることがわかってきた。

 「ミシガン大学のウェスリー・ブラウンは、このミトコンドリアの自然変異の度合から、(最初の
母親)の存命時期を算定することを試みた。また彼は、ミトコンドリアDNAの提供者として、そ
れぞれ人種と出身地の異なる21人の女性を選び出し、(最初の母親)の居住地を特定しようと
した。

 その結果、今から30万年〜18万年前に、アフリカに住んでいたいう(ミトコンドリアのイブ)の
姿が、おぼろげながらに、浮かびあがってきたのだ」(同書)と。

 カルフォニア大学バークレー校のレベッカ・カーンも、同じような追跡調査をしている。彼も、
(ミトコンドリアのイブ)の存命時期は、30〜15万年前と算出している。こうした数字のハバ
は、DNAの変化率を、100万年あたり、2〜4%と、ハバをもたせているためである。


●道徳的未熟児(?)

 アメリカのブッシュ大統領が、K国の金XXを、「暴君」「危険な人物」と評した。それに対して、
K国が、反対に、ブッシュ大統領を、「人間のクズ」「道徳的未熟児」と、酷評した。

 「暴君」という英単語は、それほど悪い意味ではない。またブッシュ大統領が、「危険な人物」
と評したことについても、事実、そうであるから、しかたない。

 しかし「人間のクズ」「道徳的未熟児」とは!

 とくに「未熟児」というのは、失礼ではないか。いや、ブッシュ大統領に対してではない。世界
中の、未熟状態で生まれた子どもたちに対して、である。今では、医学も進歩しているから、
「未熟」の定義もあいまいになってきている。私の孫のSGも、予定より2週間早く、生まれてい
る。未熟児といえば未熟児ということになるが、今では、何ら、問題はない。

 むしろ問題は、そういう言葉を平気で、国際外交の場で使う、K国の感覚のほうにある。少し
前、国連という公式の場で、日本を、「ジャップ」と呼んだのに、似ている。

 もっともあの国では、ふつうの常識は通じない。だからこうした議論も、あまり意味はない。し
かしこうした口汚い言葉を使えば使うほど、品を落とすことになる。その愚かさに、K国は、まだ
気がついていない。


●トラブル・メーカー

 ある県のある小学校に、「キング・トラブル・メーカー」と呼ばれる母親がいるそうだ。現在は、
長男の時代から、その小学校に、もう8年もいるという。その妹が、今年、5年生になった。

 その母親は、ささいなことでからんで、学校へ怒鳴りこんでくるという。40歳を過ぎたベテラン
教師(男性)ですら、その母親から電話がかかってくると、顔が青ざめてしまうという。

 とにかく、しつこい、ということらしい。

 あるとき、担任の教師が、その妹の頭を、プリントを丸めてたたいた。たたいたというより、ト
ントンとたたいたというほうが正しい。

 が、その3日後のこと。その母親がいきなり、校長室へ飛び込んできた。そして、「(担任の)
○○を呼んでこい!」と。

 校長が「どうしましたか」と聞くと、「うちの子をたたいたそうだが、許せない。うちの子になんて
ことをするのだ!」と。

 あわててやってきた担任には、その意識がない。たたいたという意識がないから、覚えていな
い。そこで「たたいた覚えはありません」と答えると、「相手が子どもだと思って、いいかげんな
ことを言うな!」「うちの子(娘)は、私には、ウソをつかない!」と。

 そうして1時間ほど、ねばったという。

 で、こういうことが、1、2か月おき。あるいは3、4か月おきにつづいた。電話を受け取っただ
けで、顔が青ざめるようになるのは、当然である。

 その男性教師(40歳)から、「そういうときは、どうしたらいいでしょうか?」と。

 私の経験では、(1)こちら側からは、いっさい、アクションをしない。その場だけのことですま
して、あとは、ただひたすら無視するのがよいと思う。そう返事を書いた。

 何かアクションを起こすと、それがとんでもない方向の飛び火することがある。そしてときとし
て、収拾がつかなくなってしまう。

 メールの内容からして、相手の母親は、まともではない。このタイプの母親は、全体の5%は
いるとみる。育児ノイローゼ、過関心、過保護、過干渉。その母親自身が、どこかに心の病気
をもっていることもある。あるいは、アルツハイマーの初期の、そのまた初期症状というのもあ
るそうだ。

 異常なまでの自己中心性、傲慢、強引などなど。妄想性も強く、対処のし方をまちがえると、
烈火のごとく怒りだす。詳しくは書けないが、私も若いころ、そのタイプの母親に、さんざんいび
られた。当時は、そのため、母親恐怖症にさえなってしまった。「お母さん」と相手を呼んだとた
ん、ツンとした緊張感が、背中を走ったのを覚えている。

 しかしここに書いた鉄則を守るようになってから、トラブルは、ほとんどなくなった。要するに、
その場だけ相手にして、あとは、忘れる。この世界には、『負けるが勝ち』という、大原則があ
る。意地を張ったり、反論しても、意味がない。まず、頭をさげて、「すみませんでした」と言えば
よい。あちこちで問題にすると、かえってこじれてしまう。

 ささいな言葉尻をつかまえて、「言った」「言わない」の、大騒動になることもある。だから、無
視。ただひたすら、無視。あとは、時間が解決してくれるのを待つ。

 で、その母親は、校長室で、「隣の席にすわっている女の子を呼んでこい」と息巻いたという。
「その子どもが、証人になってくれる」と。

 校長が「そこまでは、できません。相手の子どもにショックを与えることになりますから」「これ
からは気をつけますから、許してください」と、再三再四、頭をさげたという。

 こういうトラブルは、学校という世界では、まさに日常茶飯事。しかし一番の犠牲者は、その
母親の子どもということになる。

 そのメールをくれた教師は、こう書いている。

「その子が、たたかれたとウソを言ったのは、宿題をやっていなかったからです。それで学校へ
行きたくないと言った。が、母親には、それを言うことができなかった。それで、その子は、母親
に、ウソを言ったのだと思います。ああいう母親ですから、子どもも、ウソをつくしかなかったの
ですね」と。
 
 あなた周囲にも、1人や2人、必ず、このタイプの母親がいるはず。つきあうにしても、じゅう
ぶん注意したほうがよい。とくに、口がうまく、ヘラヘラと、どこか不自然なほどまでに、親しげに
近寄ってくる母親には要注意。これは、ある幼稚園の理事長がこっそりと私に話してくれたこと
である。 

(付記)

 それでもトラブルが起きてしまったら……。学校での活動は、必要最小限にして、学校そのも
のから遠ざかること。

 時間には、不思議な力がある。その時間が解決してくれる。

 またこうしたトラブル・メーカーは、あなたに対してだけではなく、別のところでも、トラブルを起
こすようになる。あとの判断は、周囲の人たちに任せればよい。性急に、自分の正しさを主張
したりすると、かえって問題が、こじれる。

 ほかの世界でのことなら、ともかくも、間に子どもがいることを、決して忘れてはならない。


●道徳的未熟児(2)

 「道徳的未熟児」……私は、どうも、この言葉に、ひかかりを覚える。「道徳的未熟児」とは、
いったい、何? そんな子ども(人)が、いるの?

 精神の発達は、自己管理能力、他人との共鳴性、非自己中心性、他者との良好な人間関係
をみて、判断する(参考、EQ論)。

 これら4つの完成度の高い人を、人格の完成度の高い人という。学歴や経歴、肩書きにだま
されてはいけない。むしろ、過酷なまでの競争社会を生き抜いてきた人ほど、完成度が低い。
……ということは、よくある。他人の犠牲など、平気、と。だから、社会的には、成功者となりや
すい。

 そこであのK国について、考えてみる。

 前にも書いたが、アメリカのR国務大臣が、K国の金xxを、評して、「暴君」と言った。英語で
は、多分、「タイアラント(tyrant)」という単語を使ったのだっただろうと思う。「専制君主」という
意味である。中学生が使うような辞書にも載っているような、ごくふつうの単語である。

 それほど、目くじらを立てて怒らなければならないような言葉ではない。専制君主であるかな
いかということになれば、金xxは、100%、その専制君主である。

 それに対して、K国側は、いつもの、超過剰反応! そこででてきた言葉が、「ブッシュは、道
徳的未熟児」である。

 少し前も、アメリカの国務長官のRも、同じ言葉を使った。それについては、「謝罪しなけれ
ば、6か国協議には出ない」と、金xxは、がんばった。もともと協議などに出るつもりはなかっ
た。だからそれを口実にした。

 それに対して、R長官は、「私たちは、言葉の遊びをするつもりはない」と。「言葉の遊び」とい
うのは、日本的に言えば、「言いがかり」ということになる。

 そこで再び、「道徳的未熟児」だが、この言葉ほど、失敬な言葉はない。「未熟児」と呼ばれる
段階で生まれて、そのあと、懸命にがんばって生きている子どもは、何万人といる。そういう子
どもたちに対して、失敬だ。

 それとも、K国には、未熟児は、いないとでもいうのだろうか? もしそうなら、K国は、すばら
しい国だ。本当にすばらしい国だ。


●無視は、最悪の刺激

 人間関係をうまく結べない子どもというのは、たしかにいる。集団の中に溶けこめず、いつも
一定の距離を置いて、そのワクの外にいる。

 原因は、心を開けない。「開けない」ということは、(1)自分をさらけ出せない。(2)相手を受
け入れられない。この2つを意味する。

 このタイプの子どもは、自分では集団に溶けこめない反面、「無視」については、異常なまで
に敏感に反応する。

 このことは、頭のボケた兄を介護していて気がついた。

 どこかヌボーッとしているから、それだけ性格も鈍感かというと、そうではない。ある特殊な部
分についてだけは、きわめて敏感。とくに、人に無視されると、パニック状態になる。

 こんなことがあった。

 入れ歯展着剤が切れたときのこと。1、2度、兄は、それを私たちに訴えてきた。が、そのと
き、私たちはテレビか何を見ていて、無視したわけではないが、無視した。

 とたん兄はキレて、わざとその場で、ズデンとおおげさにころんで見せた。

 子どもたちの世界には、「シカト」という言葉がある。無視することを意味する。このシカトが、
なぜ、これほどまでに問題になるかといえば、そこに何らかの特殊な心理作用が働くためと考
えてよい。

 たとえば人間関係をうまく結べない子どもは、その分だけ、人間関係について、強烈なコンプ
レックスを感じている。いつも、他人の視線を鋭く、気にしている。視線ばかりではない。その奥
にある、「感情」まで、気にしている。

 そこで自分が無視されたと感ずると、その瞬間、過剰に反応する。あるいは、いじめの世界
では、ことさら、自分がのけ者にされたと誤解する。

 だから私たちも、そういう兄の性質が少しずつわかってきたので、それ以後は、何か話しか
けてきたようなときは、ていねいに答えるようにしてやるようにした。無視したとたん、パニック
状態になり、何をしでかすかわからない。そういう恐怖心もあった。

 「無視」には、こんな問題も隠されている。決して、軽く考えてはいけない。
(はやし浩司 シカト 無視 人間関係を結べない子ども 人間関係)


●ヘラヘラしてくる人間には、要注意!

 少し前、「とくに、口がうまく、ヘラヘラと、どこか不自然なほどまでに、親しげに近寄ってくる母
親には要注意」(ある幼稚園の理事長)と書いた。

 それについて、「そのとおり」という意見をもらった(楽天。K様)。

 少し補足しておくと、こういうことになる。

 このタイプの人は、たいてい、不幸にして不幸な乳幼児期を過ごしたとみてよい。母子間の間
の、基本的な信頼関係を結ぶことができないまま、おとなになった。

 基本的な信頼関係は、(絶対的なさらけ出し)と、(絶対的な受け入れ)をいう。「絶対的」とい
うのは、「疑わない」という意味。

 その基本的な信頼関係が構築できないと、その子ども(人)は、攻撃的になったり、同情的に
なったり、依存的、あるいは服従的になったりする。

 ヘラヘラとしたへつらうような姿勢は、そういうところから生まれる。

 このタイプの子ども(人)は、相手の歓心を買うことがうまく、口もうまい。しかしその実、心を
開くことができないから、忠誠心が弱く、約束や目標が守れない。当然のことばがら、自己中心
性も強くなる。犬にたとえるなら、だれにでもシッポを振るタイプということになる。

 それなりに良好な人間関係であれば、問題は起きないが、ひとたび問題が起きると、(たいて
いは、向こう側から起こしてくるが……)、問題は、必要以上にこじれる。過去の問題をもちだし
て、ネチネチと迫ってくることもある。

 幼稚園の理事長が、「要注意」と言ったのは、このタイプの人は、平気で人を裏切るというこ
と。自分の利益を何よりも優先させる。ヘラヘラと愛想よく近寄ってくるのは、その前哨戦という
ことになる。

(注)そういえば、街角で、あやしげな物品を売りつけてくる人たちも、不気味なほど、ヘラヘラ
していますね。ああいうタイプを思い浮かべればよいと思います。


+++++著作権BYはやし浩司++++++copy right by Hiroshi Hayashi+++++

最前線の子育て論byはやし浩司(642)

●スパムメール

 毎日、毎日、よくもまあ、こういうスケベメールが、くるものだ!

 件名:「ちょっと話を聞いてください」
 件名:「少し、お時間、いただけません?」
 件名:「近くに住む、○○です」と。

 1日に、30〜50件は、届く。

 事務所にある古いノートパソコンで、一度、そのメールを開いてみたことがある。そのパソコ
ンなら、ウィルスが入っても、どうということはない。

 で、中身は、ホームページの紹介。アドレスが、いくつか、並んでいた。しかしそういうものは、
絶対に、クリックしてはいけない。無視して、削除。それにまさる対処方法は、ない。

 こうしたスパムメールが届くということは、こちらのアドレスが、どこかで漏れているということ。
調べ方は、簡単。

 ヤフーかグーグルの検索窓に、自分のアドレスを打ち込んで、検索してみればよい。それで
わかる。

 検索結果がゼロであれば、心配ない。しかしアドレスが漏れているときは、そこにズラリと、検
索結果が並ぶ。

 ちなみに私のアドレスを検索してみたら、……ナ、何と、ズラリと、22項目も出てきた! 自
分では気がつかなかったが、いつの間にか、知らず知らずのうちに、アドレスを、あちこちに、
書き込んでしまっていた。

 これから先、ゆっくりと、一つずつ削除していくしかない。

 それにしても、ホント! 毎日、毎日、よくもまあ、こういうスケベメールが、くるものだ!

【補足】

 私のばあい、スケベは嫌いではない。スケベであることは、生きる原動力にもなっている(フ
ロイト)。だからスケベを否定してはいけない。スケベであることは、それ自体、すばらしいこと
なのだ。

 しかしスケベというのは、与えられて、そうなるものではない。あくまでも、自分の心の中の、
炎(ほのお)のようなもの。その炎が燃えて、生きる原動力となる。

 ただその方向は、何も、セックスだけに向いているわけではない。「真」「善」「美」を追求しな
がら、そこにかぎりないエクスタシー(恍惚感)を覚えることだって、ありえる。

 そんなわけで、年齢がかさむと、「スケベ」の意味が、かなり変わってくる。その証拠に、セッ
クスだけの人間関係に、むなしさすら覚えるようになる。このむなしさが、行動に対して、大きな
ブレーキとなって働くようになる。

 本能に翻弄(ほんろう)される、バカらしさというか、そういう自分が、いやになることもある。だ
から、50歳をすぎても、若い女性を追い求めて、がんばっている男たちを見ると、「ごくろうさ
ま」と思うよりも先に、あわれみすら覚える。

 が、私だって「男」。それなりの性欲を感ずることはいくらでもある。たとえば教室へ参観にくる
母親たちは、例外なく、みな、若くて、美しい。

 しかしそういった母親たちは、レストランの陳列台に並んだ、料理の見本のようなもの。間に
は、分厚いガラスがあって、手をのばすこともできない。しかしそのとき感ずる、「切なさ」こそ
が、これまた、オツなもの。どこか自虐的な快感だが、決して、悪いものではない。

 その切なさを、チビチビと感じながら、毎日を、それなりに楽しく生きていく……。とまあ、私に
とってのスケベというのは、そういうもの。それをいきなり、「若い子を紹介します」とは!

 興味を通りこして、嫌悪感すら覚える。何かしら、人間の愚かさを見せつけられたかのような
嫌悪感である。「やめろ」と言ったところで、どうせやめるような連中ではないだろうから、やめ
ろとは言わない。

 どうぞ、語勝手に! おおいに自分の時間をムダにして、人生をムダにすればよい。いつ
か、悔恨のウズの中で、もがき苦しむことになる。私の知ったことではない!

 まあ、やはり無視して、こまめに、フィルターをかけていくしかないようだ。今のところは……。

【読者の方へ】

 そんなわけで、読者の方からも、多くのメールをいただきますが、

(1)相談ごとは、掲示板のほうへお願いします。返事を書くにしても、私にとっては、転載の許
可を求めなくてすみ、楽です。

(2)メールをくださるについても、件名のところに、必ず、ご住所、お名前をお書きください。「先
日、返事をいただきました鈴木です」などというメールは、即、削除させていただいています。

(3)これは私のパソコンのみならず、みなさんのパソコンの健康を守るためです。よろしくご協
力ください。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●マザコン女性

 心理学の本をパラパラとめくっていたら、こんな記事があった。

 「女性にもマザコンはいる。しかもそのマザコン性は、男性のそれより、強烈」と。

 どの本だったかは、忘れたが、マザコンになるのは、何も、男性ばかりではないということだ。
知らなかった! ……というより、考えたことがなかった。

 私は、「男」だから、いつもその男を基準にして、ものを考える。そういう意味で、どうしても女
性の心理にうとくなる。ここに書いたマザコンにしても、男だけが、そうなるものとばかり思って
いた。

 しかし考えてみれば、つまりそのメカニズムを考えてみれば、マザコンになる女性がいても、
何らおかしくはない※。少し前だが、ファザコンの若い女性に出会ったことがある。その女性
は、「父親の悪口はぜったいに許さない」と、がんばっていた。

 しかしそこは、同性。男性がマザコンになるのと、少し内容がちがうようだ。特徴としては、つ
ぎのようなものが考えられる。

(1)母親の絶対化……母親を絶対視する。
(2)母親の偶像化……母親に幻想を抱く。
(3)濃密な自我群……濃密な親子関係。
(4)異常な孝行性……母親に献身的に尽くす、など。

 この(3)の「濃密な自我群」というのは、親子という(ワク)から生まれる束縛感をいう。親子関
係が正常なときは、むしろよいほうに作用するが、ひとたび親子関係にヒビが入ると、今度は、
その反対に、子どもは、そのワクに縛られ、そのワクの中で、もがき苦しむことになる。「親子と
いっても、ただの人間関係」という割り切りができない。親のできが悪ければ悪いほどそうだ
が、そのできの悪ささえ認めることができない。

 頭が半分ボケた母親(80歳くらい)に対して、「母だから、わかってくれるはず」「こんなはず
はない」と、がんばっていた娘(55歳くらい)がいた。

 が、問題は、ここで終わらない。

 マザコン男が、恋愛や結婚に失敗しやすいということは、よく知られている。理想の女性(マド
ンナ)を追い求めすぎるためである。つまりマザコン男は、いつも無意識のうちにも、母親の代
用としての女性を求める。

 自分を絶対的な愛で包んでくれる女性、である。

 しかしそんな女性など、いるわけがない。そこでマザコン男は、浮気という、女性遍歴(へんれ
き)を始める。実際、マザコン男ほど、浮気しやすい。このことも、この世界では、常識。

 一方、マザコン女性は、マザコン的でありながら、今度は反対に、自分を理想の母親と、偶
像化しやすくなる。自分をまさに、聖母(マドンナ)化するわけである。

 しかし、そこには、自ずと無理がある。反動形成によって、別人格をつくることもあるし、自分
自身のシャドウ(ユング)に苦しむこともある。そのためどこか不自然な母親になりやすい。そ
れこそ夫が浮気でもしようものなら、狂乱状態になる。

 「どうして、私のようなすばらしい妻がいるのに!」と。

 そして自分の子どもに対しては、無意識のまま、男児であれ、女児であれ、マザコン的である
ことを求めるようになる。またそういう子どもほど、いい子というレッテルを張りやすい。あるい
は自分の息子や娘が、マザコン的になっても、それに気がつかない。

 こうしてマザコン性が、代々と、受けつがれていく。

 少し前だが、こんな例があった。

 妻が、勝手に実家の母親と、新居を買う話を進めてしまった。妻は、母を引き取って、いっし
ょに同居するつもりでいたらしい。

 しかし毎月の返済額を計算してみたところ、その夫の給料では、とてもまかないないことがわ
かった。そこで夫が、「そんな家は買えない」「母とも同居しない」と言った。とたん、その妻と、
妻の母親は、その夫を、責め始めたという。

 「恥をかかせた!」と。

 ふつうの責め方ではなかった。まさに狂乱に近い、責め方だったという。毎晩、電話で、1時
間以上、母と妻(=その母の娘)が、ギャンギャンと、夫を責めたてたという。「恥をかかせた」と
いうのは、近所や親戚の人たちに、今度家を建てると宣言してしまったことをいう。

 結局、妻は、実家のあるM県に帰ってしまい、その夫婦は、離婚してしまった。

 つまりその妻にしてみれば、夫など、ただの(飾り)だったということになる。女性のマザコン
性を、決して、軽くみてはいけない。

 そこであなた(女性)のマザコン度テスト

( )何かにつけて、母親に相談している。母親と行動をともにしている。
( )夫よりも、母親優先の生活。どちらを選ぶかと聞かれれば、迷わず「母」と答える。
( )母親の批判、悪口は許さない。たとえ相手が兄や弟でも、許さない。
( )母親に対して、観音様であるかのような幻想をいだいている。
( )年老いていく母親のめんどうをみるのは、娘の絶対的な義務だと思っている。
( )母といっしょに風呂に入ったりすることが多い。背中を洗ってあげたりする。
( )自分は母親とすばらしい人間関係を築いていると確信することが多い。
( )私はすばらしい母親であると同時に、すばらしい妻であると思うことがある。
( )夫は、私のことをすばらしい妻と思っている。子どもはすばらしい母と思っている。
( )いつも自分の母親を理想像として、その理想像に合わせて、行動を決める。

 以上のような症状がみれれたら、あなた(女性)は、マザコン女性と考えてよいのでは……。
どうか、注意してほしい。
(はやし浩司 女性のマザコン マザコン女性 マザコンタイプの女性 マザコン)

【注※】
 ふつう「マザー・コンプレックス」というときは、母親と男子間の、特殊な心理状態をさす。

 濃密な母子関係が、本来あるべき男子の母親からの独立を阻害し、それでもって、特徴的な
症状を示すことをいう。

 こうした濃密な母子関係を、調整するのが。父親の役目ということになる。が、この父親自身
の「力」が弱いとき、父親自身がマザコンであるときなどには、このマゾコン性は、代々と、世代
連鎖しやすい。

 しかし男児と女児を分けて考えることのほうが、おかしい。女性だって、その環境で育てば、
男のそれとは形こそちがうが、マザコン性をもったところで、おかしくない。またそういう視点で
も、この問題を考えてみる必要がある。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●親に命令をする子ども(本末転倒)

 とくに盗み聞きしたというわけではない。バス停でバスをもっていると、小学5、6年生とおぼし
き女の子が、母親と思われる人に携帯電話をかけていた。

 どうやらどこかの塾へ行く途中なのだが、何かの忘れ物をしたらしい。

子「何、言ってのよ! もってこいよ!」
子「いいじゃない、そんな仕事。少し休めばア!」
子「だから、もってこいって、言っているのよ」
子「いつものところよ。階段の下のところだよ」
子「サッサともってこい。外で待っているから」
子「あのさ、玄関の横に、自転車置き場があるだろがさ。そこだよ」
子「……うるせえなあ……。うるせえのは、テメエのほうだろがさ」と。

 電話の内容からすると、その女の子が、母親に、忘れ物を届けろと言っているらしい。が、母
親は、何らかの仕事中。こうして文字で書くと、その場の雰囲気はわからないかもしれないが、
かなり、……というより、ヤクザ風の男が怒鳴り散らしているといった感じ。

 しかも、まわりに私のような人間がいることなど、まったくの、お構いなし。平気。傍若無人(ぼ
うじゃくぶじん)。

 親子の立場が転倒する……今では、何も珍しくない。よくある。ざっとみても、15〜20組に1
組はそうではないか。しかも母親と娘の関係が、転倒するケースが多い(?)。目だつ(?)。

 こういうケースでは、たいてい親のほうが、そういう状況を受け入れてしまっている。あるいは
「親子というのは、そういうもの」といったように考えている(?)。そこにいたるまでには、長い
歴史と積み重ねがある。だからそういう状況を見て、あれこれ説教しても、意味はない。

 もちろん親のほうから、相談があれば、話は別だが、親自身も、「どこの親子も、そんなもの」
と考えているフシがある。そうでない親から見れば、「何というドラ娘!」ということになるのだが
……。

 子どもの歓心を買うことだけを考えていない親。
 結局は、子どもの言いなりになってしまう親。
 子どもがこわくて、何も言えない親、などなど。

 こうした親子関係は、ある時期をすぎると、悪循環状態に入る。そしてあとは、ズルズルとそ
のまま……。気がついたときには、冒頭のような会話になる。

 電話の向こうの様子はわからないが、多分、その母親は、娘のその子どもの機嫌をそこねな
いように、ペコペコしているのだろう。オドオドしているのかもしれない。

 携帯電話を、憮然(ぶぜん)とした様子で切りおわったとき、私は、その子どもに、よほど言っ
てやろうかと思った。「あなたねえ……」と。しかし、それはやめた。先にも書いたように、それ
ぞれの家には、それぞれの家の事情というものがある。その事情は、外部のものからは、は
かり知れない。たまたまその日だけ、そうだったのかもしれない。

 しかしこうした芽は、実は、子どもが4、5歳のころには、はっきりしてくる。もう少し詳しく観察
すれば、3、4歳でもわかる。

 子育ては、そういう意味では、リズム。一度、このリズムができると、それを変えることは容易
なことではない。だから、大切なことは、今、親子の関係が、どのようなリズムで流れているか
を知ること。

 それがよいリズムであれば、問題はない。しかしここに書いたような本末転倒になっているよ
うなら、できるだけ早い時期に、それを改める。でないと、結局は、損をするのは、その子ども
自身ということになる。

+++++++++++++++++++++

以前、書いた原稿を添付します。

+++++++++++++++++++++

●「親のために、大学へ行ってやる」

本末転倒の世界

 「老人のような役立たずは、はやく死んでしまえばいい」と言った、高校生がいた。

そこで私が、「君だって、老人になるんだよ」と言うと、「ぼくは、人に迷惑をかけない。それにそ
れまでにうんと、お金を稼いでおくからいい」と。

そこでさらに私が、「君は、親のめんどうをみないのか」と聞くと、こう言った。「それだけのお金
を残してくれるなら、めんどうをみる」と。親の恩も遺産次第というわけだが、今、こういう若者
がふえている。

 97年、総理府が成人式を迎えた青年を対象に、こんな意識調査をした。「親の老後のめん
どうを、あなたはみるか」と。それに対して、「どんなことをしてでも、みる」と答えた若者は、たっ
たの19%! 

この数字がいかに低いかは、たとえばアメリカ人の若者の、60数%。さらに東南アジアの若者
たちの、80〜90%という数字と比較してみるとわかる。しかもこの数字は、その3年前(94
年)の数字より、4ポイントもさがっている。このことからもわかるように、若者たちのドラ息子化
は、ますます進行している。

 一方、日本では少子化の波を受けて、親たちはますます子どもに手をかけるようになった。
金もかける。今、東京などの都会へ大学生を一人、出すと、毎月の仕送り額だけでも、平均2
7万円。この額は、平均的サラリーマンの年収(1005万円)の、3割強。

だからどこの家でも、子どもが大学へ行くようになると、母親はパートに出て働く。それこそ爪に
灯をともすような生活を強いられる。が、肝心の大学生は、大学生とは名ばかり。大学という巨
大な遊園地で、遊びまくっている! 先日も京都に住む自分の息子の生活を、見て驚いた母
親がいた。春先だったというが、一日中、電気ストーブはつけっぱなし。毎月の電話代だけで
も、数万円も使っていたという。

 もちろん子どもたちにも言い分は、ある。「幼児のときから、勉強、勉強と言われてきた。何を
いまさら」ということになる。「親のために、大学へ行ってやる」と豪語する子どもすらいる。今、
行きたい大学で、したい勉強のできる高校生は、10%もいないのではないか。大半の高校生
は、「行ける大学」の「行ける学部」という視点で、大学を選ぶ。あるいはブランドだけで、大学
を選ぶ。だからますます遊ぶ。年に数日、講義に出ただけで卒業できたという学生もいる(新
聞の投書)。

 こういう話を、幼児をもつ親たちに懇談会の席でしたら、ある母親はこう言った。

「先生、私たち夫婦が、そのドラ息子ドラ娘なんです。どうしたらよいでしょうか」と。私の話は、
すでに一世代前の話、というわけである。私があきれていると、その母親は、さらにこう言っ
た。

「今でも、毎月実家から、生活費の援助を受けています。子どものおけいこ塾の費用だけで
も、月に四万円もかかります」と。しかし……。今、こういう親を、誰が笑うことができるだろう
か。

(補記)(親から大学生への支出額は、平均で年、319万円。月平均になおすと、約27万円。
毎月の仕送り額が、平均約12万円。そのうち生活費が6万5000円。大学生をかかえる親の
平均年収は1005万円。自宅外通学のばあい、親の27%が借金をし、平均借金額は、182
万円。99年、東京地区私立大学教職員組合連合調査。)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●「皆さん、気をつけてくださいよ」

悪徳化する学習産業

 ある教材会社の主催する説明会。予定では九時三〇分から始まるはずだったが、黒板に
は、「一〇時から」と書いてある。

しばらく待っていると、席についた母親(?)の間からヒソヒソと会話が聞こえてくる。「お宅のお
子さんは、どこを受験なさいますの」「ご主人の出身大学はどこですか」と。サクラである。主催
者がもぐりこませたサクラである。こういう女性が、さかんに受験の話を始める。母親は受験や
学歴の話になると、とたんにヒステリックになる。しかしそれこそが、その教材会社のねらいな
のだ。

 また別の進学塾の説明会。豪華なホテルの集会ルーム。深々としたジュータン。漂うコーヒー
の香り。そこでは説明会に先だって、三〇分間以上もビデオを見せる。内容は、(勉強している
子ども)→(受験シーン)→(合否発表の日)→(合格して喜ぶ子どもと、不合格で泣き崩れる母
子の姿)。しかも(不合格で泣き崩れる母子の姿)が、延々と一〇分間近くも続く! ビデオを
見ている母親の雰囲気が、異様なものになる。しかしそれこそが、その進学塾のねらいなの
だ。

 話は変わるがカルト教団と呼ばれる宗教団体がある。どこのどの団体だとは書けないが、あ
やしげな「教え」や「力」を売りものにして、結局は信者から金品を巻きあげる。このカルト教団
が、同じような手法を使う。

まず「地球が滅ぶ」「人類が滅亡する」「悪魔がおりてくる」などと言って信者を不安にする。「あ
なたはやがて大病になる」と脅すこともある。そしてそのあと、「ここで信仰をすれば救われま
す」などと教えたりする。人間は不安になると、正常な判断力をなくす。そしてあとは教団の言
いなりになってしまう。

 その教材会社では、中学生で、年間一二〇万円の教材を親に売りつけていたし、その進学
塾では、「入試直前特訓コース」と称して、二〇日間の講習会料として五〇万円をとっていた。
特にこの進学塾には、不愉快な思い出がある。

知人から「教育研修会に来ないか」という誘いを受けたので行ってみたら、研修会ではなく、父
母を対象にした説明会だった。しかも私たちのために来賓席まで用意してあった。私は会の途
中で、「用事があるから」と言って席を立ったが、あのとき感じた胸クソの悪さは、いまだに消え
ない。

 教育には表の顔と、裏の顔がある。それはそれとして、裏の顔の元凶は何かと言えば、それ
は「不安」ではないか。「子どもの将来が心配だ」「子どもはこの社会でちゃんとやっていけるか
しら」「人並みの生活ができるかしら」「何だかんだといって日本では、人は学歴によって判断さ
れる」など。

こうした不安がある以上、裏の顔はハバをきかすし、一方親は、年間一二〇万円の教材費を
払ったり、五〇円の講習料を払ったりする。しかしこういう親にしても日本の教育そのものがも
つ矛盾の、その犠牲者にすぎない。一体、だれがそういう親を笑うことができるだろうか。

 ただ私がここで言えることは、「皆さん、気をつけてくださいよ」という程度のことでしかない。こ
うした教材会社や進学塾は、決して例外ではないし、あなたの周囲にもいくらでもある。それだ
けのことだ。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


【近況・アレコレ】

●5月30日号

 やっと先ほど、5月27日号の配信予約を入れた。遅れること、やく1週間。このところ、風邪
をひいたりと、どうも調子がよくなかった。

 今日(5月3日)は、予定ゼロ。仕事ゼロ。来客ゼロ。すべてゼロ。あえて、連休中は、ゼロに
した。しかし、朝から頭が重い。偏頭痛の前ぶれ(?)。

 この偏頭痛のいやな点は、休みになって、ホッと息が抜けたとたん、出てくるところ。チカチカ
と、目の上を閃光(せんこう)が走る。やはり偏頭痛である。

 が、今は、すばらしい薬がある。本当によくきく。それをのんで、しばらく横になる。それでなお
る。

 ……で、今は、ほとんど、偏頭痛が消えた。が、ワイフとの買い物は、キャンセル。だれもい
ないこの家で、こうしてパソコンのキーボードをたたく。しかし家の中にいてもしかたないので、
これからハナと散歩。

 偏頭痛というのは、頭の血管が 弛緩して(=ゆるんで)、それで血管の周囲の神経を圧迫し
て、起きるのだそうだ。若いころは、そのメカニズムもわからず、したがって、もちろん薬もなく、
かなり苦しんだ。

 そうそう偏頭痛の薬だけでは、偏頭痛は、うまくなおらない。精神安定剤を併用するとよい。
私のばあいは、精神安定剤を、2分の1ほどに割って、口の中で溶かしてのんでいる。本当
は、1日3回、3錠をのむのだそうだが、そんなにのんだら、気がヘンになってしまう。(そんな
にのんだことがないので、よくわからないが……。)1日、2分の1錠で、じゅうぶん。

 こうした精神薬は、偏頭痛薬も含めてだが、処方されたとおりには、のまないほうがよい。最
初は、少量で試してみて、それできかなかったら、少しずつ量をふやしていく。自分の体に合っ
た量が、それでわかる。

 これは、私の勝手な判断なので、私のマネをしないように! みなさんは、医師の指示にした
がって、くすりをのんでほしい。


●K国の核実験

アメリカの情報当局は、北朝鮮国内における建設重機などの大がかりな動きを捕捉、地下核
実験の準備が行われている可能性があると通告した(3日)。

これに対して、韓国のI国防相は3日の閣議前、記者団に対して、北朝鮮国内に通常と異なる
動きは見られないとコメントした(同日)。

 韓国は、どこまでも、K国をかばう姿勢らしい。

 数日前も、K国は、日本海に向けてミサイルの発射実験をした。どうやら核ミサイル運搬用の
巡航ミサイルの実験だったようだが、それについても、韓国の軍当局は、「北朝鮮地上軍(陸
軍)が通常の訓練を行う過程で短距離誘導ミサイル(射程120キロメートル以下は誘導ミサイ
ルとして分類) を発射した見ている」(C日報)とのこと。

 つまりふつうの短距離ミサイルだから、問題は、ない、と。

 何か、におうぞ! 何か、臭いぞ!

 ひょっとしたら、ひょっとして、K国の核開発に、韓国がからんでいる可能性すら、ある(?)。

 「いくらなんでも、そこまでは……」と思いたいが、何があってもおかしくないのが、今の朝鮮
半島情勢。以前、N大統領の側近が、「K国の核開発は、統一後の韓国にとっても有利」という
ような発言をしている。またN大統領の側近の中に、元K国労働党の党員だった人もいると
か。

 私が外務省の情報部の調査官なら、このあたりに徹底的にメスを入れる。

 ひょっとしたら、ひょっとして、N大統領は、こんなふうに考えているのかもしれない。

 南北で共和制を敷いたあと、南北合同で、日本に対して戦後補償を迫る。そしてそれで受け
取ったマネーで、両国を立てなおす。

 N大統領は、口先では、K国の核兵器開発に反対し、「大規模援助はむずかしくなった」と言
っているが、開城工業団地の開発は、さらに続行している。04年度の南北の貿易高は、7〜8
億ドル程度(KOTRA=大韓貿易投資振興公社)ということになっているが、だれも、こんな数
字など、信用していない。

 ムラムラとわき起こってくる、韓国への不信感。恐らく日本の小泉首相や、アメリカのブッシュ
大統領も、同じように感じているのではないか。
(05年5月3日記、発表時には、国際情勢が大きく変わっているかもしれません。)

(補記)

K国の昨年の貿易額は、2003年より19・5%増加して、28億5700万ドルだったそうだ(KO
TRA)。これは輸出入総額。これに対して日本の、貿易額は、111兆5000億円(輸出、約61
兆円、輸入、約50兆円、04年度、JFTC調べ)。つまり約1兆ドル。

 つまりK国の貿易高は、30億ドルで計算しても、日本の約370分の1。K国では、このところ
のハイパーインフレで、通常レートでも、1ドルが、2800ウォンになってしまったという。(闇レ
ートでは、もっと低いはず。)

 つまり平均的労働者の1か月の給料が、とうとう、1ドル(=105円)を切ってしまった。たった
の1ドルだぞ! 

 崩壊するのは、時間の問題だと思うのだが、あの国は、どうして崩壊しないのだろう? 

 (偏頭痛が消えて、少し、調子が出てきたようだ。よかった!)


++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(643)

【散歩しながら……】

●現状維持

 今の状態を保つ……それだけで、精一杯。何とも消極的な人生観だが、今の私には、それし
かない。

 昨日(5月3日)も、ワイフと二人で、夕食の買い物にでかけたとき、そんな話をした。犬のハ
ナもいた。「現状が維持できるだけでも、感謝しなければ……」と。

 生活だけではない。健康だって、そうだ。「お前は、見た感じでは、ぼくより病気ぽいけど、本
当は、ぼくより健康だね」と言うと、「私は、子どものころから、健康よ」と。

 ワイフは、子どものころ、熱を出して学校を休んだようなことは、一度もなかったそうだ。だか
らズル休みをすることさえ、できなかった、と。

 「ぼくはね、よく熱を出したよ。扁桃腺が、すぐ腫れてね」と。

 歩いていると、佐鳴湖から流れている川のほとりに出た。見ると、大きなカメが、ポチャンと、
顔を水の中に隠すところだった。

「あら、大きな、カメ!」とワイフ。

 さすが、水質汚染、ワーストワン! ワースト・ツーだったかな。水は、にごっていた。にごって
いるというより、トイレの汚水そのものといった感じ。そんな川の中に、カメが生きている。

 「カメにせよ、それにワニにせよ、何億年も生き抜いてきただろ。何でも血液の中に、そういう
メカニズムがあって、めったに病気にはならないそうだ。その血液を研究して、新薬も開発され
ているそうだ」と私。

 「じゃあ、ワニを食べれば、いいってこと? オーストラリアでは、ワニの肉を食べさせてくれる
そうよ。今度、オーストラリアへ行ったら、ワニの肉を食べてみるわ」とワイフ。

 そんな単純なものでもないだろう。しかし考えてみれば、人間は、病気に弱い。すぐ病気にな
る。寿命だって、江戸時代には、45歳前後だったという。私の年齢の人間などは、とっくの昔
に、死んでいたことになる。もっとも、当時は、乳幼児の死亡率が高く、それが全体として、平
均寿命を短くしていたらしい。

 歩きながら、そんな話をした。

●夕食の材料

 私たちは、いつも、店に入ってから、その日の献立を考える。前もって決めて、店に入ること
は、めったにない。

 最初は、パックに入った寿司が目にとまった。つぎに、焼きそばが目にとまった。さらにその
つぎには、刺身や、焼き魚が目にとまった。

 結局、うなぎを焼いて食べることにした。肉の薄い、やせ細ったうなぎだったが、二匹で、98
0円だった。「ぼくが庭で焼いてあげるよ」と言うと、「そうね」と。ワイフは、すぐ同意してくれた。

 今年、はじめてのうなぎではないか。ここ数年、うなぎの値段が、急に高くなった。それだけ、
うなぎがとれなくなったということらしい。ほとんどが中国や台湾からの輸入もの。昔は、「浜名
湖のうなぎ」などと、学校で習ったものだが、浜名湖のうなぎは、もう、いない。そのほとんど
が、姿を消した。

 5月3日ということで、店内は、ガランとしていた。みな、祭にでかけているらしい。遠くで、群
集が、ラッパを吹きながら、練(ね)っている音が聞こえた。このあたりでは、祭り独特の行進
を、「練(ね)り」と呼ぶ。

 独特の掛け声に、独特の歩き方。手にはちょうちん。「ワッセ、ワッセ」とか、「ウッセ、ウッセ」
と掛け声をかけあいながら、歩く。ラッパのメロディは、戦時中、浜松の航空基地で使われてい
た、起床ラッパのそれだそうだ。そのラッパの音にあわせて、練る。

 「ぼくたちは、祭には、縁がなかったね」と私。
 「よそものだから、しかたないわよ」とワイフ。

 浜松の祭は、参加型の祭。見ているだけでは、さほど、おもしろくない。自分で参加しなけれ
ば、そのおもしろさがわからない。実際、いっしょに練ってみると、おもしろい。

 こういう私だが、浜松に移り住むようになった当時は、よく友だちと、通りを、練った。あるとき
は、10〜20人くらいのグループで、浜松の北部から中心部まで、練ったことがある。当時は、
ゲリラ隊と呼んでいた。今は、禁止になったそうだ。

 「また孫とでも近くに住むようになったら、祭に出るようになるわよ」とワイフ。「そうなるといい
ね」と私。

●南米人

 この浜松には、多くの外国人が住んでいる。数年前、2万人を超えたということだったが、今
では、ブラジル人だけで、3万人を超えたという。テレビのニュースでそう言っていた。

 そこで今年から、外国人のグループも、祭に参加するようになったという。

 人口60万人の浜松市に、3万人。20人に1人が、ブラジル人ということになる。そのせいだ
ろうが、このところ、浜松に住む人たちの意識が、かなり変わってきたように、思う。外国人と
の同居を、自然な形で、受け入れるようになってきた。

 通りで出会う外国人たちも、以前よりは、堂々としているように見える。きっと、自分たちに自
信をもち始めたせいではないか。大きな声で、あたりかまわず、ポルトガル語で話している。

 そう言えば、今度、ブラジルの領事館が、この浜松にも、できるようになったそうだ。それにブ
ラジルの大統領が、この浜松を訪問することにもなったそうだ。

 今では、ブラジル人の学校もあるし、銀行もある。町の一角が、すべてブラジル一色というと
ころもある。こと国際化ということになれば、大都市は別として、この浜松が、一番進んでいる
のではないか。ただ英語が通じないのだけが、残念。

 ブラジル人は、英語を、ほとんど、話さない。そのほか、ペルーやコロンビアからの人たちも
いるが、彼らもやはり、英語を話さない。国際化といいながら、どこかに限界を感じるのは、そ
のためか。日本人で、ポルトガル語を話せる人は、ほとんど、いない。

 「しかし、ね。あと30〜50年もすると、ブラジルも経済力をつけてくるよ。今の中国のようにな
ると言う人もいる。21世紀の後半は、インド、ブラジルの時代になるだろうね」と、私。

 そのためにも、今、ブラジルと仲よくしておくことは、日本の将来のためにも、とてもよいこと
だ。いつか今の日本の子どもたちが大きくなって、ブラジルへ行く。そしてこんな会話をする。

 「あら、なつかしい!」
 「ホント! 20年ぶりかしら……」と。

●マガジン

 店を出ると、犬のハナが、体をはねあげて、喜んだ。ほんの少しの時間なのに、いつも10年
ぶりに再開したような喜び方をする。犬というのは、おおげさな動物だ。

 そのハナの紐(ひも)をほどいて、大通りに出る。もう夕方で、あたりは、どこか薄暗かった。
話題は、私が出している電子マガジンになった。

 「読んでくれている人はいるだろうか?」と声をかけると、「私は、読んでいるわ」と。「でも、み
んな、ぼくのマガジンなんか、読んで、どうするのだろう」と言うと、「ためになるところもあるから
……」と。

 このところ、読者からの反応は、ほとんどない。読者数も、頭打ち。何度も廃刊を考えたが、
「1000号まで」という目標がある。そのあとのことは、考えていないが、「いまさら、やめます」
とも、言えない。「とにかく、1000号までつづけてみたら」とワイフ。「そうだね」と私。

 このところ、出版界は、大不況。数日前も、町の小さな書店が、どんどんと姿を消していると
いう報道番組を見た。しかし書店だけではない。中小の出版社も、どんどんと姿を消している。
さらに今、ものを書いて生活できる著者など、ほとんどいない。

 たとえ本を出しても、印税(=収入)は、売れた分だけの印税しか、手に入らない。しかも早く
て、3か月先の支払いか、ばあいによっては、1年先の支払いになる。

 具体的に話すと、こうだ。

 たとえば1600円の本を、5000部、出したとする。今、印税は、5%前後がよいところ。以前
は、8〜10%というのが相場だったが、今は5〜8%。イラストや写真が多く入ると、イラスト家
と印税を分けあうということもある。

 で、ざっと計算して、以前だと、出版と同時に、1冊につき、80円の印税が入る。5000部だ
から、40万円ということになる。

 これが最近では、売れた分の冊数しか、印税が入らない。売れたかどうかは、最低でも3か
月は待たねばならないので、支払いは、それ以後ということになる。その3か月で、1000部し
か売れなかったとすると、手にするのは、8万円。10万部とか、20万部も売れれば、話は別
だが、この出版界、決して、もうかる世界ではない。

 ……ということで、ここ数年、私は1冊も本を出していない。多いときは、1年で、10冊近く出
したこともあるのに!

 そのエネルギーを、今、電子マガジンに向けている。が、この世界も、きびしい。「情報はた
だ」という世界である。それを知っていて、マガジンを発行しているのだから、文句は言えない。
しかし何よりもつらいのは、「ただだから、それなりの価値しかないだろう」と思われること。いく
ら心の中で、「私の書いている文章は、一級のものだぞ」と叫んでみても、そういう声は、読者
の心には、届かない。

 このところ、そのむなしさを、しみじみと感ずるようになった。

 「私だけは、ちゃんと読んであげるから、これからも書きなさいよ。きっと、そのうち、いいこと
もあるから……」とワイフ。何度も聞いたセリフだが、このところ、ワイフのその声にも、元気が
なくなってきた。

●焼く

 庭で、うなぎを焼いた。その間中、犬のハナが、私にじゃれてきた。もう1匹の犬のクッキーが
死んでから、急に、さみしがり屋になったような気がする。しかたないので、陶器でできた、犬の
置き物を買ってきてやった。それをハナの小屋の近くに、置いてやった。

 そうそう、はじめてその置き物を置いた夜のこと。ハナは、それを本物の犬と思ったらしい。
ウーウー、ワンワンと、その置き物に向かって、何度も、ほえていた。

 で、私は、自称、たき火の達人。おとといの雨で、庭は、どこか湿っぽい。しかし10分もする
と、ほどよい炎が、立ち始めた。私はその上に、網を置き、うなぎを焼き始めた。

 「本当にやせ細ったうなぎだな、これは」と私。「だから安かったのよ」とワイフ。肉厚がほとん
ど、ない。そのせいか、あっという間に、焼けてしまった。時間にすれば、10分も焼いていなか
った。

 しかたないので、タレだけは、たっぷりとつけた。「これはうなぎというより、うなぎの皮焼きだ
ね」「タレントの研N子みたい」と言うと、ワイフは、笑った。薄い肉が、皮にへばりついていると
いった、感じだった。「うなぎでも、ダイエットすることがあるのかもね」と。

 まあ、それでも、一応、うな丼はうな丼。3人前完成。たまたま庭で、何かを作っていた長男に
声をかけると、すぐ台所へやってきた。においだけは、一人前。そのにおいにつられて、やって
きた。

●感謝

 T先生は、私に、「今の生活に、感謝しなさい」と言う。私も、心のどこかで、そう思う。思うが、
どうも、その実感が、わいてこない。

 感謝しろということは、「あきらめろ」ということか。「よかった」と、自分を納得させることか。私
が何かの宗教の信仰者なら、その神や仏に、「ありがとうございます」と言うかもしれない。

 しかし、感謝とは何か?

 どういう感情を言うのか? ……と、うな丼を食べながら、そんなことを考え始める。

 人は、そのものの価値を、それをなくしたとき、はじめて、気づく。そういう愚かさを、みな、も
っている。数か月前、私は足の骨を折った。そのときのこと。私はスイスイと歩いている人を見
ながら、「ああ、人間って、ああいうふうに歩けるんだ」と思ったことがある。

 その私は今、スイスイと歩いている。だから本来なら、それに感謝しなければならないはず。
「ありがたいことだ。私は、スイスイと歩けるではないか」と。

 となると、感謝するということは、今の状態に満足し、それを実感し、それを大切にするという
ことになる。だれかに向かって、「thank you」と言うことではない。今の状態を自覚して、それ
を維持することをいう。

 だいたい、「感謝する」ということには、いつも、反動として、不満をともなう。わかりやすい例と
しては、こんなことがある。

 たとえば親が、子どもに向かって、「五体満足に、産んでやった。感謝しろ」と言ったとする。
それはそうかもしれないが、もし、そうでなかったら、どうする?

 たとえば体に障害をもって生まれた子どもは、どうする? まさか、そういう子どもに向かっ
て、「親をうらめ」とも言えないだろう。

 どんな状態であっても、そのときの状態を受け入れながら、生きていく。それが現状維持とい
うこと。そしてその状態に満足し、それを大切にする。

 「よくね、政治家が落選したりすると、マスコミなんかは、『これからはただの庶民です』などと
言う。庶民であることを、どこかバカにしたような言い方をする。あるいは、反対に、政治家が、
何か、汚職のようなことをすると、その庶民たちが、『あんな政治家は許せない。落選させろ』と
か言うよね。

 ぼくは、そういう言葉を聞くと、『では、ぼくは、どうなんだろう?』と思うよ。ぼくだって、その一
庶民にすぎない。最初から、最後まで、ただの庶民だよ。

 わかるかな? 『感謝しろ』と言われると、まず、だれに感謝すればいいのかという問題が起
きてくる。つぎに、実は、ぼくには、もっといい人生があるのだが、それをあきらめろというふう
にも聞こえてくる。ぼくはぼくの人生を、自分で生きてきた。今も、生きている。これからも生き
ていく。

 精一杯、自分の人生を懸命に生きている。不完全で不満足なものかもしれないが、これがぼ
くの人生だよ。だから今のぼくにできることは、現状を維持すること。それだけだよ。

 いつか病気になって、体が不自由になっても、ぼくは、だれも、うらまない。後悔もしない。だ
からね、今、だれにも、感謝なんか、しないよ。だって、だれかの力で生きているわけではない
もの。そうだろ?」と。

 「キリスト教の人だったら、神に感謝しろと言うかもしれないわよ」

 「だったら、神も、私のような人間を助ける力があったら、ほら、あの原爆の少女の『サダコ
(偵子)』のような子どもを、助ければいい。そういう子どもは、今の今でも、いくらでもいる。な
ぜ、そういう子どもを助けないのかということになる。あのサダコにしても、ぼくよりも、何千倍も
生きることを願い、何千倍も、神に祈ったよ。

 ぼくなんか、助けてほしくない。ぼくはぼくで、もう、じゅうぶん、楽しい人生を送ってきた。で、
そんな力があるなら、その力でもっと必要としている人を助けたらいい」と私。

●夕食

 そんな私でも、ふとこう思う。「こういう平和で、のどかな時(とき)は、それほど長くはつづかな
いだろうな」と。

 結局は、うな丼だけでは足りず、いっしょに買ったイカの塩辛で、ごはんを食べなおす。それ
にキムチもあった。

 市販のキムチに、干しえびや、花かつおをまぜて、2、3日置くと、味がまろやかになる。日本
人向きになる。私の好物のひとつである。

 ……それはわかっている。つまり、こういう時のもつ、はかなさというか、それは、わかってい
る。つい先日までは、この台所には、息子たちの騒がしい声があふれていた。が、つぎの瞬間
の、今、それは消えた。

 長男は、夕食を終えると、そそくさと、自分の部屋に消えた。残された私とワイフは、ポツポツ
と夕食を口に運ぶ。しかしこんな時は、いつまでつづくのだろうか。

 「時よ止まれ」と何度、心の中で叫んでも、その時は、手ですくいあげた砂のように、指の間
から、容赦なく漏れ落ちていく。つまりこうして私の人生は、流れていく。やがていつか、私たち
のどちらかが先に死に、どちらか一方が、あとに残される。

 健康だって、いつまでつづくかわからない。頭も、そのうちボケ始めるだろう。兄がボケたか
ら、私だってあぶない。姉も自分では気がついていないようだが、どこかボケ始めている。つぎ
は、私の番だ。

 そんな気持ちを、以前、オーストラリアの友人の父親に手紙で伝えたことがある。が、それに
対して、その父親は、こう書いてくれた。

 「ヒロシ、子どもが去っていくことを悲しんではいけないよ。今度はね、みんなが孫を連れて遊
びにきてくれるよ」と。

 実は、ワイフもそう言っている。私が、「これからは、もっとさみしくなるね」と話しかけると、こう
言った。

 「あなたは、どうしてものの考え方が、そうも、ジジ臭いのよ。若いときから、ジジイみたいなこ
とばかり言っている。今度、S(二男)が、政司(孫)をつれて、日本へ帰ってくるのよ。私、楽し
みだわ。いっしょに、ディズニーランドへ行ってあげるわ」と。

 どうせ、ワイフなどに、人生の真理が何であるかについて話しても、わかるはずもない。昔か
ら平凡を地でいくような、生き方をしてきた。50歳を過ぎているのに、まだ小娘のようなつもり
でいる。しかし結局は、それが正解ということになるのか?

 どこかに大きな迷いを感じながら、私は自分の書斎にもどった。
(050503)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(644)

●どうにも、よく理解できない

 飛行機やヘリコプターが墜落したというニュースを聞くたびに、ドキッとする。三男が、航空大
学にいることもある。

 しかしどうも、それだけではないようだ。つい最近は、どこかの県に所属するヘリコプターが、
墜落した。その事故の模様が、昼の定時ニュースで流された。私は、その場面を見て、唖(あ)
然とした!

 少し話は昔にもどるが、5、6年前に、こんな事故があった。

 川の中瀬で取り残された人たちが、やがて濁流にのまれて死亡するという事故だった。その
とき、かけつけた救助隊がとった手段は、川の上流に、川を横断するようにロープをかけ、い
わばロープウェイ方式で、中瀬に取り残された人たちを救助するという方法だった。

 いろいろ事情はあったのだろう。しかしそのとき、なぜ、まず命綱をその人たちに投げておか
なかった……という疑問が、どうしても頭から離れない。

 テレビでその模様を見ていたとき、先頭に立った男性が、手を大きく伸ばし、頭の上でクルク
ルと円を描いていた。

 それを見て、だれだったか、解説者が、「ヘリコプターを求めているようです」と言っていた。し
かし私はその光景を見たとき、私には、「とりあえず、ロープを投げてくれ」と言っているように
見えた。

 ロープを投げろと合図するときも、同じようなジャスチャをする。

 さらに1週間ほど前、大阪で、列車の脱線事故があった。この事故では、100人以上の人が
死んだ。

 その事故のとき、何でもその電車の中に、JRの職員が2人もいたという。しかしこれら2人の
職員は、何ら救助活動を手伝うこともなく、そのまま自分たちの職場に行ってしまったという。

 これら三つの話は、どこかで、つながっている。

 私は、ヘリコプターの墜落現場の映像を見たとき、唖然とした。それについては、すでに書い
た。理由がある。

 携帯電話か、それともデジタルカメラかは知らないが、映像をとる前にすべきことがあったの
ではないか、と。

 同じ映像には、別の人たちが、携帯電話で写真をとっている姿まで、映しだされていた!

 さらにショッキングだったのは、最初は、小さな火だったこと。横転したヘリコプターのエンジ
ン部から、チョロチョロと火が出ていたにすぎなかった。しかしやがてその火は大きくなり、つぎ
の場面では、ヘリコプター全体をおおうようになっていた。

 その間中、まわりの人たちは、いったい、何をしていたというのだろうか? ずっと何もしない
で、写真をとりつづけていたとでもいうのだろうか。

 そばにはマンションがあった。そのヘリコプターは、一度、そのマンションのそばの民家の屋
根をかすめている。アパートには、消火器があるはず。なぜまわりの人たちは、消火器を持ち
出さなかったのだろうか。

 終わりごろの写真には、ヘリコプターがはげしく燃えあがるところまで映しだされていた。が、
消火剤をかけた様子は、まったく、なかった。

 だからといって、映像をとっていた人を責めているわけではない。ヘリコプターは、爆発する
可能性もあった。テレビではよくわからなかったが、現場は、かなり危険な状態だったのかもし
れない。そう考えて、その人たちは近づかなかったのかもしれない。しかし消火器で消化剤を
噴霧すれば、かなりの距離まで届くはず。

 報道を見た感じでは、カメラの位置からなら、ヘリコプターまで、消化剤はじゅうぶん、届いた
ものと思われる。最初の段階で、まだヘリコプターの中の人たちは、生きていたかもしれない。
その可能性まで考えると、ゾッと、背筋が冷たくなる。

 なぜカメラで映像をとる前に、ヘリコプターの中の人たちを助けることを考えなかったのか。プ
ロの戦場カメラマンならいざ知らず、写真をとったのは、そのあたりに住んでいる住民たちであ
ったはず。

 で、今度は、救助隊の話。

 あの事故のときは、ロープ1本でも渡しておけば、何人かの人たちは、助かったはず。何本も
投げておけば、ひょっとしたら全員、助かったかもしれない。しかし肝心の、そうした初動措置
はとらないで、ロープウェイ方式とは?

 で、救助する段階になって、そのロープが切れてしまったという。そこで再度やりなおしている
最中に、ダムがより多くの水を放水してしまった。それで、中瀬に取り残された人たちは、その
まま流されてしまった。

 で、最後に、電車の脱線事故。

 JRの職員たちは、その場を離れて、歩いて、職場へ。理由を聞かれると、「気が動転してし
まった」とか。けがをしなかった乗客の中には、そのまま救助活動に参加した人もいる。にもか
かわらず、歩いて、現場を離れてしまった!

 こうして三つの話を並べてみると、何かが、おかしいことに気づく。何かが、おかしい。

 私は、それを「野生臭の欠落」と、断言する。

 どんな動物でも、緊急の場になれば、その緊急に応じて、臨機応変の行動をとる。もちろん
人間も、そうだと思う。しかしこれら三つの話には、そうした野生臭が感じられない。写真でいえ
ば、どこかピントがボケている(失礼!)。

 「ぼくなら、何も考えず、消火器を取りに走るけどな」とワイフに言うと、ワイフも、「そうねえ」
と。

 さらに中瀬に取り残された人たちの話をしながら、「ぼくなら、まずロープを投げておくけどな。
救助の段取りを考えるのは、そのあとだ」と。

 さらに脱線事故の現場から離れたJRの職員については、言語道断。あいた口が、ふさがら
ない。まさに、お役人根性そのもの! 「必要なことはします。しかしそれ以外のことは、何もし
ません」と。「気が動転した」というのは、まったく理由になっていない。責任感の欠如などとい
う、甘いものではない。

 どれもこれも、日本人の精神構造の問題か。長くつづいた平和と安定のおかげで、(それ自
体はすばらしいことだが)、日本人全体が、どこかがボケてしまった。そんな感じがする。

 これでいいのか、日本! ……と、カツを入れたところで、この話は、おしまい。「お前ならで
きるのか」と聞かれると、実のところ、私にも自信がない。

(付記)

 ここに書いた、ヘリコプター事故について、ワイフは、別の人がとったカメラには、消火器で救
助している姿が写っていたと言った。川をはさんで、反対側から、写真をとっていた人がいたそ
うだ。(残念ながら、私は、その報道を見ていない。)

 だから私が見たのは、その一部にすぎなかったことになる。だからここに書いた批判は、正
確ではないということになる。その救助した人に、申し訳ないので、ここに書いたことを、以上の
ように、訂正することにした。
 
++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【夫婦の危機】

 茨城県T町にお住まいの、ASさんから、
夫婦の会話についての相談がありました。
それについて、今回は、考えてみたいと思い
ます。

+++++++++++++++++++++++++++

●4歳1か月の長女、1歳になったばかりの二女がいます。

最近、父親(=私の夫)は、私が再三再四のメールを出しても、まったく返事をくれません。で
も、顔を見ると普通に会話をします。

そのままを受け入れようと思ってはみたのですが、なかなか難しくて。。。長女はこの4月から
保育園に通い始め、父親不在の生活に疑問を抱いている様子です。そろそろはっきりさせた
方が良いのか、(私の母ははっきりさせろと言っていますが)、彼からのアクションを待つ方が
良いのか、悩んでいます。

私のほうから、父子の関係を絶つようなことをしていいのだろうか、という思いがあるのです。
が、今のまま、こちらからの問いかけに一切応えてくれない人を、「父親」として、こだわり続け
なければいけないのだろうか、という思いもあります。

できることならば、「幸せな家庭」をしっかりと感じて成長していって欲しいと願っているのです
が。。。私は彼と、幸せな家族を築きたいと今でも思います。

でも、彼がそうでないのなら、もう諦めた方がみんなのためなのでしょうか。。。。母には「捨て
られたんだ」と、言われました。彼が、「もう嫌だ」と直接言ってくれれば、諦めもつくのですが、
(彼にもそう言ったのですが)、それでも返事はありません。

どう思われますか?

+++++++++++++++++++++++++

●押してダメなら、引いて、もう一度、引く

 間に、子どもがいる。こういうときは、『負けるが勝ち』です。つまり、引き下がります。それで
だめなら、もう一度、引き下がります。その度量の深さが、結局は、夫婦の愛情の深さというこ
とになります。

 再三、再四、メールを出して返事がないなら、もう一度、メールを出す。それでも返事がなけ
れば、さらにもう一度、出す。

 コツは、決して、相手を責めないこと。幸いなことに、会っているときは、ふつうの会話ができ
るということですので、「破局」と考えるのは、少し、早いのでは?

 (愛してはいない)、しかし(別れるほどではない)という夫婦は、今、いくらでもいます。大半が
そうではないでしょうか。いっしょに生活をしていて、10に一つ、100に一つ、チラリと光るもの
があれば、それで、もうけもの。あとは、それを信じて、それぞれが、自分の幸福を充実させれ
ばよいのです。

 で、こういうケースのばあい、決して、つっぱってはいけません。負けて、負けて、それでもだ
めなら、もう一度、負けます。負けることを知らない人には、つらい体験かもしれませんが、負
ければよいのです。

 「あなたがいいように、しますから、どうすればいいか、教えてください」
 「私は、あなたと仲よくしたいのですが、どうすればいいでしょうか」
 「私のまちがっているところを、どうか、話してください」と。

 あなたのお母さんが言っているように、この問題を、(捨てる)とか、(捨てられた)とかいう、次
元の低い話にしてはいけません(失礼!)。あまりにも低次元な話なので、コメントできないほど
です。

 そうではなく、あなた自身を、昇華させるのです。これには、理由があります。

●未練の完全燃焼

 仮にいつか離婚するにしても、あなたの中に残っている(未練)は、完全に燃焼させておかね
ばなりません。さわやかに、すがすがしい気持ちで別れるために、です。

 やるべきことは、すべてした。心残りは、何も、ない。そういう状態にしておかねばなりませ
ん。そのためにも、今、あなたは、自分を高めておきます。方法は、簡単。

 ただひたすら、許して忘れる。あなたの夫に対しては、夫を、慈悲深い愛情で包んであげる。
「あなたは、がんばっています。感謝しています」「あなたは苦しんでいます。私もいっしょに苦し
みます」「あなたは孤独です。いっしょに、孤独と戦いましょう」と。

 最初は、ウソでもよいのです。どこかぎこちなくて、当然。

 しかしそれを繰りかえします。

 あとは時間が解決してくれます。万が一、夫の不倫相手がいても、気にしない。男というの
は、やがて、より心の安らぐ場所を求めて、そこへもどってきます。肉体の魅力など、一時的な
ものです。

 こうして、(未練)をその一方で、(完全燃焼)させておきます。これはあなたのためであると同
時に、2人のお子さんのためでもあります。

 夫婦の離婚が、子どもに影響を与えるとしたら、離婚そのものではなく、離婚にいたる、ドタ
バタです。それが子どもに、悪影響を与えます。そのドタバタだけは、見せてはいけません。

 しかしあなたの高潔な姿……それはたいへんむずかしいテーマですが、それを見て、子ども
たちは、また別の、夫婦観、家族観をもちます。離婚イコール、悪と決めてかかる必要はあり
ません。

●過剰な期待は、しない。あとは、淡々と……

 時期が熟してくると、自然と、その道が見えてきます。それまでは、ジタバタしないこと。それ
が夫婦、家族の問題を考えるときの、大鉄則です。

 離婚にしても、そのときがくれば、ごく自然な形で、離婚の話が進みます。「離婚すべきかどう
か」と悩んでいるときというのは、まだ離婚の時期ではない。離婚は、先ということ。少なくとも、
こちらから追い求めるような問題では、ないということです。

 ここは、どっしりと構えてみてください。

 「あなたは、あなたで、がんばってください。私は、とりあえずは、2人の子どもの世話を懸命
にします」と。

 あとは、その日、その日を、懸命に生きていきます。クヨクヨ考えてもしかたないし、悩んだと
ころで、どうにもならない。離婚するかどうかは、「形」の問題。あなたは、あなたで、すべきこと
をすればよいのです。

 それで、つまり、そのあなたのすばらしさを理解できず、それで夫が別れると言うなら、じゅう
ぶん、責任をとってもらい、そのときはそのときで、あとは、運命に身を任せればよい。子ども
の問題は、そのあと、自然な形で解決します。

●やさしい言葉

 メールが短いので、事情がよくわかりませんが、ひょっとしたら、あなたの夫は、あなたのやさ
しい言葉を待っているのではないでしょうか。

 男の身勝手かもしれませんが、男には、そんな面があります。

 ですからここは、思い切って、引いてみてください。攻撃的に出るのではなく、あなたが下にな
ればよいのです。日ごろの、何気ないやさしさが、あなたの夫の心を溶かすということは、よく
あります。(それが、ここでいう『負けるが、勝ち』にもつながります。)

 「そんなことできない!」と思っているなら、なおさら。あなたの心を、押しつぶしてでも、してみ
てください。苦しいかもしれませんが、それでも、です。一度は、愛しあって結婚をした。肌をさ
らけだしあって、セックスをした。そういう仲です。それを思い出して、今度は、心をさらけ出す。

 離婚の危機などというのは、そのつど、繰りかえしやってきます。そのつど、本当に離婚して
いたら、夫婦などというものは、そもそも、存在しないことになります。

 大切なのは、離婚問題を考えることではなく、そういう問題は夫婦には、つきものという前提
で、夫婦の問題を考えるということです。外から見ると、みんなうまくいっているように見えます
が、そんな夫婦は、ごく少数ですよ。

 みんな。何らの問題をかかえて、がんばっている。ほら、よく、離婚の三原因として、浮気、借
金、暴力をあげますね。私は、逆に、こう考えます。「こうした問題のない家庭というのは、いっ
たい、何%あるのか」と。

 あなたも書いているように、ここはあまり夫婦、家族にこだわらないで、あなたはあなたで、何
か、自分を燃焼させるような、別のことを考えたらよいのではないでしょうか。

 が、それでも、離婚の問題が進行してしまったら……。

 そのときは、離婚すればよいのです。サバサバと、明るく、さわやかに、です。運命というの
は、そういうもの。そのときがくれば、道は、自然と見えてきます。

【補足】

 このところ、私はワイフにときどき、こう言います。

 「お前には、お前の人生があっただろうと思う。ぼくは、その人生を、お前から奪ってしまった
ような気がする。

 申し訳ないと思う。

 で、もし、お前が離婚を望むなら、離婚してあげてもいい。毎日、じっと、何かに耐えながら生
活をしているお前を見ていると、かわいそうに思う。好きでもない男のために、いつも何かを犠
牲にしているようだ。

 どうする?」と。

 するとワイフは、いつも、「そんなことないわよ。あなたの考えすぎよ」と答えます。

 でもね、私には、わかっています。

 ワイフが、本当は、私のことを愛していないことも、本当は、今の生活に満足していないこと
も。

 だから昨夜、眠る前に、こう言いました。

 「これからは、お前のしたいことがあれば、何でも、してみたらいい。応援する。今まで、ひど
い夫だったから、これからは、お前を幸福にすることだけを、考えて生活をするよ」と。

 私自身は、今まで、私のような男に耐えてくれたワイフに、感謝しています。だから今、ワイフ
が、「私の人生をやりなおしたい」と言えば、それに応ずる覚悟もできつつあります。いつまで
も、(=死ぬまで)、ワイフを、(=私の妻)としてしばっておくのは、あまりにも、かわいそうで
す。

 ひょっとしたら、そんなわけで、私たちも離婚するかもしれません。しかしそういう離婚の形も
あるのかもしれませんね。まあ、今のところは、何となく、平凡に、何ごともなく、日々は過ぎて
はいますが……。

 最後になりますが、あれこれ、反対に励ましてくださって、ありがとうございます。ASさんのよ
うな読者の方が、いらっしゃると思うだけで、本当に励みになります。これからも、がんばれる
だけ、がんばってみます。これからも、よろしくお願いします。

 (本当のところ、毎日が苦しいです。たいへんなムダなことをしているような気がしてならない
からです。マガジンについても、6月号から、どうしようかと、ずっと思い悩んでいます。とりあえ
ずは、1000号ですが、それまで気力がつづくかどうか……。先が長すぎます!)
(はやし浩司 離婚 離婚の危機)離婚問題 夫婦の危機 夫婦の問題)

++++著作権BYはやし浩司++++++copy right by Hiroshi Hayashi+++++※

最前線の子育て論byはやし浩司(645)

●浜松祭り

 昨日(5・5)、ワイフと浜松祭りを見に行った。祭りの最終日。好天に恵まれた3日間で、凧
(たこ)もよくあがったことだろう。

 少し早めに街に着いたので、私たちは、いつものカレーライスを食べた。Eデパートの地下に
ある。で、出ると、予想どおり、あたりは、ほどよく暗くなっていた。私は、デジタルカメラのバッ
テリーを、再度、確かめた。

 大通りへ出ると、すでに何台かの御殿屋台が、並んでいた。いつもの、ごく、いつもの見慣れ
た風景である。私は、こうして33年近く、ワイフは、子どものころから、この祭りを見つづけてき
た。

私「血が騒ぐか?」
ワ「もう、騒がないわよ」と。

 この30年間だけでも、浜松祭りは、すっかり様変わりしてしまった。おとなしくなってしまった。
静かになった。紳士的になった。ただみなが、並んでパレードをしているだけ。

 昔は、ちがった。

 私がはじめて浜松祭りを見たときには、その異様な雰囲気に圧倒された。御殿屋台ととも
に、「練り隊」と呼ばれる一群が、支離滅裂なジグザグ行進を繰りかえす。そしてそのまま別の
町内の練り隊と、衝突する。

 怒号と罵声。そしてけんか。太い竹ザをを正面に構え、そのまま相手の練り隊につっこんで
いく。その足音が、ドドーッ、ドドーッと聞こえた。

 当然、けが人は続出。そのたびに、救急車が、行ったり来たり……。

 それが浜松祭りだった。しかし今は、女性が、5割を占めるようになった。みな、きれいな祭り
ファッションに身を包んでいる。そういう練り隊が、御殿屋台の前やうしろを、整然と並んで行進
する。

 浜松祭りは、まさに参加型の祭りである。参加している人には、おもしろい。が、見ている人
には、さほど、おもしろくない。それはたとえて言うなら、村祭りの屋台に似ている。

 山荘のあるI町でも、秋に、似たような祭りを開く。スケールは、ずっと小さい。屋台といって
も、リヤカーを改造したもの。そのうえに電灯で飾りつけをして、そのあとを、男や子どもたち
が、(おはやし)を奏でながら、つづいて歩く。

 浜松の祭りは、それが進化したもの。スケールだけが、そのまま大きくなった。だから祭りを
している人には、おもしろい。そこには、その人の、子どものころからの過去が凝縮されてい
る。

 しかし見る人には、そうでない。とくに私のような(よそ者)に対しては、そうである。

 私は御殿屋台を追いかけながら、30分ほど、写真をとった。しかしそれが限度。「帰ろうか」
とワイフに声をかけると、ワイフも、「うん」と。

 毎年、ますます管理が、きびしくなっていくように感ずる。祭りに出る人たちは、参加証をもら
わねばならない。手には、ちょうちんを持たねばならない。ほかにもいろいろある。

 おとなたちは、組長、監督、副組長などなど。それぞれが、それを書いたタスキを胸にかけて
いる。一度、ワイフが、「これでは、おもしろくない」とこぼしたが、そう、その通り。おもしろくな
い。階級が、ピラミッドのように、上から下まで、しっかりと決まっている。

 歩き方はもちろん、行進する方向、時間まで、制限、管理されている。恐らく、分単位で決ま
っているのだろう。先頭の男たちが、時計をさかんに見ながら、御殿屋台の速度を調整してい
るのが、よくわかった。

 ……それはともかくも、その祭りを楽しみにしてきた人も多いはず。胸をはずませている人も
多いはず。屋台の中で、太鼓をたたいたり、笛を吹いたりする子どもたちにとっては、すばらし
い思い出ができたはず。

 マイナス面ばかり指摘してはいけない。「安全」「無難」ということを考えるなら、今のやり方が
よいのに決まっている。ただほめてばかりいたのではいけない。

 30年前も、そして今年も同じ……という祭りでは、つまらないのではないか? 過去を踏襲し
ながらも、そこに新しい試みがあってもよいのではないか? そんな思いをもって、帰りの道を
急いだ。

 そうそう、横道へ入ると、K町の御殿屋台に出会った。見ると、義兄が、「監督」のタスキをか
けて、交通整理をしていた。

 「こんばんは!」と声をかけると、「ヤーヤー」と声をかけてきた。義兄は、昔から、祭り人間。
祭り大好き人間。そういう人たちは、今の浜松祭りをどう考えているのか、今度また会ったら、
聞いてみよう。

 そのときとった、写真は、HPの、「浜松案内」に収録しておいた。ぜひ、見てほしい。

(訂正)

さっそく、浜松祭りについて、意見をいただきました。
練り隊は、御殿屋台が終了してから、時刻的には、午後8:30〜
ごろから、全員集合の形で、猛烈な練りを繰り返したそうです。

それは「ものすごかった」「一見の価値あり」(見物人の意見)とのこと。

来年からは、その時刻あたりに見にいくことにしました。

以上、記事の訂正です。


++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●ベッドを運ぶ

 今日は、長男の車を借りて、ベッドを運んだ。今度、オーストラリアの友人夫婦が、南アフリカ
の友人たちをつれて、浜松へやってくる。

 オーストラリアの友人たちは、もう何度も、我が家に泊まったことがある。勝手がわかってい
る。しかし南アフリカの友人は、どうか? それでベッドを運ぶことにした。

 しかしこれがたいへんな作業! まあ、何とかやり終えたが、もうクタクタ。ヘトヘト。

 床にふとんを敷いて寝る、日本の習慣のほうが、ずっといい。楽。それに、利便性に富んでい
る。たためば、別の部屋として、使える。どうして白人たちは、ベッドにしたのだろう? 中国人
たちも、そうだ。

 日本の家屋は、床自体が、高床式。だからあえて、寝床をあげる必要はない。しかし彼らの
家屋は、地面の上に、直接足を置いて生活する。だから、ベッドを高くする必要がある(?)。

 言いかえると、ベッドの高さで、その国の居住環境がわかるのではないか。ヘビやサソリが、
うじゃうじゃいるような国では、ベッドは、当然、高くなる。

 そう言えば、総じて言えば、アメリカ北部のベッドは低く、南部のベッドは、高い。背が高いせ
いもあるのかもしれない。オーストラリアでも、田舎へ行けば行くほど、高くなっていくように思
う。日本のベッドは、もともと高くする必要がないのだから、当然、低い。

 あとは、湿気の問題か?

 よくわからないが、ベッドを運ぶのは、重労働。それがよくわかった。

 おかげで山荘の雰囲気が、(その部屋だけだが……)、ガラリと変わった。「ホテルみたいに
なったね」と私が言うと、「ホテルみたい」とワイフも、喜んでくれた。「今度、誠司(孫)たちも来
るから、ちょうどよかった」と私。

 で、体というのはおもしろいものだ。ヘトヘトになっているはずなのに、動きついでというか、私
は、ついでに除草剤をまいたり、古いテーブルを破壊したり、結構、あれこれした。忙しかっ
た。

 とても気持ちのよいそよ風が、森を抜けて吹いてきた。それがにじみ出た汗を、サーッと空に
散らす。今ごろが、山荘でもベストシーズン。今月の終わりには、ビワが食べごろになる。野生
のジャスミンが、いっせいに、花を咲かせる。楽しみだ!

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●HPのテーマ音楽

 息子が、高校時代に作曲した曲。それが今、私のHPのテーマ音楽になっている。一度、「H
P用にもらうぞ」と聞いたら、「いいよ」と。

 しかし実際には、その曲を、私のHPに載せる機会がなかった。どこかのインターディスクに
保存していておいて、ファイルとして取り出す方法がないわけではない。しかし今、それを許可
している、インターディスクはない。

 スケベサイトなどに、悪用されるケースが多いからではないか。

 で、あきらめていたら、息子のほうで、収録してくれた。息子は、小さいが、自分でサーバーを
運営している。

 私のサイトのトップページから、聞いてもらえる。私は、息子が作曲した曲の中で、この曲が
一番、気に入っている。興味のある人は、どうか、聞いてほしい。

 息子は、「歌詞はない」と言っているが、私は、こんな歌詞をつけて楽しんでいる。

♪風の中に、あなたを感ずる、
 どんなに遠く離れていても、
 あなたは、やさしい風で、
 私をいつも、包んでくれる……。

 息子の感性が光る曲だと思う。こういう曲をサラリと作曲してみせる息子を、私は、誇らしく思
う。と、同時に、そういう息子の才能を伸ばしきれなかった自分を、つまり親として、恥じる。申
しわけないことをしたと思う。

 そんな思いをもって、今夜も、何度も、その曲を聞く。さわやかな風をイメージしながら聞くとよ
いのでは……。こんな勝手な解釈を加えると、息子に叱られるかな?


++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●K国の金XX

 私には、K国の金XXが、ますます理解できなくなってしまった。金XXは、これまでの独裁者と
は、まったく異質の独裁者と考えたほうがよいかもしれない。つまり、どう考えても、金XXは、ま
ともではない。

 今夜あたりも、P市の地下深くに作られた一室で、酒を飲みながら、大暴れしているにちがい
ない。手がつけられない。本来なら、中に賢い側近がいて、世界の情勢を正確に伝えなければ
ならないのだが、そういう側近すらいない。そんな感じさえする。

 そういえば、私は、昔、若いころ、その金XXに似たような男とつきあったことがある。その男
は、当時、ある中堅会社の社長をしていた。

 頭はキレる。行動もすばやい。判断力も知識もある。しかし、どこか「?」。傲慢(ごうまん)
で、どん欲。わがままで、ワンマン。コロコロと気が変わるため、そばにいる人は、いつも、ハラ
ハラのしどうし。機嫌をそこねたら最後、そのままクビになってしまう。

 私も、夜中の2時、3時に呼び出されたことがある。「いい仕事があるから、来い」と。で、行く
と、仕事の話は、そっちのけで、遊びの話ばかり。が、そこで、「帰ります」などと言おうものな
ら、突然、「お前なあ、オレをなめる気かア!」と。

 そういう状態で、クビになった社員は、何十人もいる。

 金XXのことを考えていると、頭の中で、その社長と、どうしてもイメージが、ダブってしまう。今
夜もそのことをワイフに話すと、ワイフも、「そう言えば、そうねエ……」「あの社長は、頭が狂っ
ていたわ」と。

 かわいそうなのは、K国の民衆たち。「先軍政治」もよいが、結局は、自分たちが、人質に取
られているようなもの。へたに政府を批判しようものなら、それだけで、収容所送り。とくに政治
犯は、そのまま生きて帰ることは、ないそうだ。

 そのK国が、核実験をしそうな雰囲気になってきた。

 韓国は、相変わらず、K国の肩をもって、「見せかけにすぎない」「アメリカと有利に交渉する
ための、みせかけ」(C日報)などと、のんきなことを言っている。いまさら、「K国は核兵器をも
っていました」などとは、言えないのだろう。で、日本に向っては、「戦後補償を、目に見える形
で、もっとしろ」(N大統領)と(5・7)。

 韓国の経済状況は、かなり悪いようだ。

 で、アメリカや日本は、厳戒態勢に入った。もしここでK国が核実験でもしようものなら、6か
国協議は、どこかへ吹っ飛んでしまう。と、同時に、日本は、戦争の瀬戸際に立たされることに
なる。

 では、どうするか?

 金XXが、まともでないとするなら、(その可能性は、きわめて高いが……)、私たち日本人
は、金XXを、まともに相手にしてはいけない。あんな国を相手にしても、得るものは、何もな
い。

 事実だけを冷静に正解に発信して、あとのことは、世界の判断に任せればよい。K国を制裁
するにせよ、日本単独では、まずい。それこそ、K国の思うツボ。韓国や中国の思うツボ。

【訂正記事】

 先日、K国の貿易高は、日本のそれの、37万分の1と書きましたが、正確には、370分の1
です。これは、ドルベースの額と、円ベースの額を、読みまちがえたために起きた、単純なミス
です。読者の方々におわび緒申しあげます。

 その部分の記事を再掲載します。

++++++++++++++++++

K国の昨年の貿易額は、2003年より19・5%増加して、28億5700万ドルだったそうだ(KO
TRA)。これは輸出入総額。これに対して日本の、貿易額は、111兆5000億円(輸出、約61
兆円、輸入、約50兆円、04年度、JFTC調べ)。つまり約1兆ドル。

 つまりK国の貿易高は、30億ドルで計算しても、日本の約370分の1。K国では、このところ
のハイパーインフレで、通常レートでも、1ドルが、2800ウォンになってしまったという。(闇レ
ートでは、もっと低いはず。)

 つまり平均的労働者の1か月の給料が、とうとう、1ドル(=105円)を切ってしまったというこ
とになる。たったの1ドルだぞ! 

+++++++++++++++++++

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司
最前線の子育て論byはやし浩司(646)

●別れる(?)

 ときどき、犬のハナと散歩をしながら、こう思う。

 「お前も、愛犬家の家にもらわれていれば、今ごろは、もっと幸福な生活を送っていたかもし
れないな」と。散歩といっても、私は、気が向いたとき、ときどきつれていくだけ。私は、実に気
まぐれな飼い主。

 同じように、最近は、ワイフや息子たちに対しても、そう思うことがある。今日も、ドライブをし
ながら、ワイフにこう言った。

 「お前には、もっとふさわしい人がいただろうに……。ぼくのような男と結婚したばかりに、苦
労の連続。申しわけないことをしたと思う」と。

 私たちの結婚は、ハプニングだった。私はともかくも、ワイフは、私と結婚するつもりなど、な
かった。話せば長くなるが、簡単に言えば、そういうこと。

 息子たちについても、そうだ。私は、親として、父親として、それらしいことを、何もしてやるこ
とができなかった。そんな思いが、このところ、胸をよくふさぐようになった。

私「あのな、よく考えたのだけど、離婚してあげようか?」
ワ「どうして?」
私「お前だって、ひとりになって、何か好きなことをしてみたいだろ?」
ワ「そんなこと考えたことはないわ」

私「いや、ちがう。ぼくの分析によれば、お前は、無理をしている。仮面をかぶっている。自分を
ごまかしている」
ワ「そんなこと、していないわよ」
私「いや、ぼくには、わかる。お前は、いつも何かに耐えている。ぼくのために犠牲になってい
る」
ワ「そんなこと、思っていないわよ。勝手に解釈しないでよ」

私「でも、ぼくには、お前の心の奥底が、よく読める」
ワ「何も、読めていないわよ」
私「ちがう。お前の無意識の世界まで、ぼくには読める」
ワ「どう読めるの?」

私「お前は、日常的に、今の生活に不満をいだいている。そういう自分を、押し殺しながら、無
理に、いい妻であろうとか、いい母親であろうとか、そんなふうに考えている」
ワ「まあ、だれだって、そうじゃないの。私だけではないと思うわ」
私「だろ。なっ。やっぱりそうだ。だから、お前を、そういう苦しみから、解放してあげたい」
ワ「私は、今のままでいいわ」

私「それがよくない。人生は、短いよ。一度しかないよ。そんな人生を、ぼくのような男のため
に、犠牲にしてはいけない」
ワ「してないわよ」
私「している」
ワ「してないわよ。だいたいね、あなたね、勝手に人の心を決めてかかりすぎるのよ。そんなふ
うに決めてかからないでよ。私は私なんだから」
私「……」と。

 で、こうして離婚話は、消えてしまった。

 しかし今、犬のハナを、野原に放してやったら、どうなる? ハナはそれで幸福になれるのだ
ろうか。私だって、そうだ。

 家族の重みに耐えながら、生きている。だからといって、家族から解放され、オーストラリアか
どこかの平原にポツンと置き去りにされたら、はたして私は幸福になれるのだろうか。

 体にまとわりついているクサリを解き放したからといって、幸福になれるとは、かぎらない。そ
れぞれが、それぞれの責任を感じながら、相手のために生きる。相手のために、がまんした
り、耐えたりする。相手のために犠牲になったりすることもあるかもしれない。しかしそれが(生
きる)ということかもしれない。

 ただ大切なことは、そうではあっても、つまりたがいに犠牲にはなっていても、相手に対する
思いやりだけは、忘れてはいけないということ。相手が自分のために犠牲になるのは、当然と
か、そんなふうに考えてはいけない。

 心のどこかで、「申しわけない」と思ったとたん、たがいに心を開きあうこともできる。そのせい
かどうか知らないが、そのあとしばらくして、ワイフが、私にこう言った。

 「あなたのこと、好きよ。だから私のことは気にしないで、あなたはあなたで、好きなことをして
ね」と。

 ワイフが、私のことを「好きよ」と言ったのは、10年ぶり? 20年ぶり?

 「お前がそんなこと、言ったのは、30年ぶりかもしれないよ」と、私が言うと、ワイフは、こう言
った。「結婚したころは、よく言ったわよ」と。で、私がだまっていると、こうも言った。

 「夫婦というのはね、いちいち、好きとか、そんなことは言わないものよ。言わなくても、わかっ
ているものよ」と。

 ナルホド!

 で、私は私で、こう思った。「世の中には、私のような男でも、好きだという、もの好きな女性も
いるもんだなあ」と。しかしこのことは、ワイフには言わなかった。

(補足)

 そう言えば、こんなことにも気づいた。若いころの話だが、私より、ずっと、ヘンチクリンで、顔
やスタイルが悪い男がいた。そうであっても、その男は、自分では、「オレは、女性にモテる」と
思いこんでいた。

 内心では、「カガミでも見ろよ」と思っていたが、それは言わなかった。

 反対に、すごい美人だったのだが、「私はブスだ」「男にはモテない」と思いこんでいる女性も
いた。容姿の話になると、不平、不満ばかり。「目が細い」「鼻が低い」「唇が厚い」と。

 全然、そんなことはなかった。そこで私が、「そんなことない」「あなたは、すてきな人だ」と何
度も言ったが、私の言葉など、彼女の耳には、まったく入らなかった。

 どこでどう分かれるのだろうか。こういうのを、(自己概念)というが、その自己概念が、現実
の自分、つまり(現実自己)と大きくズレることは、珍しくない。今度、それについて、考えてみた
い。


++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●自己概念

 自分の姿、立場、位置を正確に把握することは、とても重要なことである。他人の目を意識
せよということではない。(自分)というものを、客観的に知るということ。それは(私)を知るため
の、第一歩ということにもなる。

 「私はどういう人間なのか」「社会からは、どう見られているのか」「どういう立場にあるのか」
と。

 その自己の概念を知るためには、3つの方向性がある。

(1)自分の容姿、姿、態度、姿勢(自分の姿は、他人には、どう映っているか)
(2)自分の社会的地位、立場(自分は、どういう立場にあるか)
(3)自分の義務、責任(自分は、他人に何をするように期待されているか。何をすべきか)

 こうした概念を、正確にもてばもつほど、自分というものが、よくわかってくる。で、そのばあい
でも、自己中心的な人ほど、それがわからない。私が思っている私(自己概念)と、他人の中の
私(現実自己)の間に、ズレが生じてくる。

 よい例として、定年退職したあとまで、それまでの学歴や経歴をぶらさげて、いばっている人
がいる。そういう人は多い。とくに何らかの権力の座についた人ほど、そうではないか。いつま
でたっても、その亡霊から抜け出すことができない。

 このタイプの人は、定年によって、地位や肩書きをすべて失ったにもかかわらず、それにしが
みつくことによって、自分の権威を守ろうとする。しかし実際には、何もできない、ただの老人。

 いや、老人であることが悪いというのではない。その亡霊にしがみつけば、しがみつくほど、
自分を見失うということ。周辺の人たちと、同化できなくなってしまう。

 私が、このタイプの人を知ったのは、30歳くらいのときのことではなかったか。遠い親戚にあ
たる知人の家に遊びに行ったときのこと。その男性(当時65歳くらい)は、私にこう言った。

 「君は、何をしているのかね?」と。

 そこで私が「幼稚園で働いています」と答えると、「もうすこし、まともな仕事ができんかね。学
生運動か何かをしていて、どうせロクな仕事には、つけなかったんだろう?」と。

 その男性は、定年まで、ある学校の校長をしていた。私は当時、すでに、「何、言ってるん
だ。自分は、ただの退職者のくせに」と思ったのを覚えている。

 現実の(彼)は、年金で遊ぶ、ただの退職者にすぎない。そういう現実が、まったくわかってい
ない。が、それだけではない。いつまでも過去の肩書きにぶらさがっていると、結局は、さみし
い思いをするのは、その人自身ということになる。

 こうした例は、母親たちの世界にもある。

 ずいぶんと前の話だが、つまり、まだバブル経済、まっさかりのころの話だが、こんな話を聞
いた。

 その銀行の寮(ある都市銀行のH支店・家族寮)では、夫たちの地位に応じて、妻たちの地
位も決まるという。妻たちの年齢や学歴は、関係ない。何かの女性会議の席でも、支店長の妻
が中央にすわり、つづいて、次長、部長、課長……と並ぶのだそうだ。

 廊下ですれちがうときも、相手が地位の高い夫をもつ妻だったりすると、道をあけなければな
らない、と。

 さらに上司の子どもと同じ学校は、受験しないなどという不文律もあるとか。うまく両方が、合
格すればよし。しかし上司の子どもが落ちて、自分の子どもが合格したりすると、さあ、たいへ
ん! ……ということで、そんなことにも気をつかうとか。

 そういう世界も、現実に、ある。バカげているが、当の本人たちには、そうではない。大まじ
め!

 つまりこうした悲喜劇も、つまるところ、(自己概念)と、(現実自己)のズレから生まれる。

 ……で、私のこと。

 以前、ある小さな会合で、7〜8人の男たちが、国際政治を論じていた。どの人も、商店主と
か、小さな町工場の経営者だった。

 私はその話を聞きながら、「そんなことを論じても、マスターベーションにもならない(失礼!)」
と思ってしまった。が、すぐに、それは私自身のことだと、気がついた。

 私は、こうして、子育てを論じ、人生を論じ、ついで同じように、国際政治を論じている。

 しかし、だれも、私を相手にしていない。あえて言うなら、私がしていることは、犬の遠吠え、
そのもの。社会的影響力は、かぎりなくゼロに近い。つまり私のもっている(自己概念)と、(現
実自己)は、大きく、ズレていることになる。

 ワイフだって、ときどき、こう言う。「あなた、日本の心配もいいけど、来月の家計も少しは、心
配してね」と。私が出している電子マガジンなどは、ワイフに言わせれば、まさに、道楽……と
いうことになる。

 考えてみれば、なんともさみしい世界だが、これが私にとっての現実ということになるのだが、
しかし目的がないわけではない。

 こうしてモノを書いていると、それ自体が、ボケ防止になる。それに毎日、新しい世界を知るこ
とは、実のところ、楽しい。未開の荒野をひとりで歩くようなスリルさえ感ずる。だから私にとっ
ては、決してムダではない。

 現実の自分がどうであるかをしっかりと知っていれば、あとは何をしようが、それは私の勝手
ということになる。現実の自分がそうであるからといって、必ずしも、それにこだわらなければな
らないということもない。

 自分を知るということは、本当に、むずかしい……。
(はやし浩司 自己概念 現実自己)

【補記】

 同じように、自分の子どもの(概念)を正確にとらえることは、むずかしい。問題のある子ども
を、「問題がない」と思いこむのも、反対に、問題のない子どもをを、「問題がある」と思いこむ
のも、結局は、子どもの(現実)を性格にとらえていないことになる。

 子どもの姿を、正確にとらえることも、子育てにおける、重要なテーマの一つかもしれない。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●オーストラリア料理

 昨日(5・7)、ワイフと2人で、オーストラリア料理を食べさせてくれるという、レストランへ行っ
た。「Groovyxxx」という名前のレストランだった。

 名前を遠くから見て、すぐそれとわかった。「グルービィ」というのは、70年代ごろから使われ
た英語。「かっこいい」という意味である。「キング・グルーバー」と言えば、当時は、ビートルズ
を意味した。オーストラリア人は、今でも、よく使う。

 奥さんが、オーストラリア人。ダンナが日本人だった。1人、小学2、3年生の女の子を見かけ
たが、その夫婦の子どもという感じだった。

 小さなレストランだったが、ほっとするような、居心地のよさを覚えた。私は、そのまま35年前
に、タイムスリップしてしまったかのように感じた。

 テーブルの大きさも、形もまちまち。壁には、ペインティングがしてあった。古い木造家屋を、
自分たちで手なおしてレストランにしたといったふうだった。奥さんに話しかけると、すぐ、「あ
ら、オーストラリア英語ね」と喜んでくれた。私は、オーストラリア英語しか、話せない。

 メニューは、ベジタリアンを中心に、ランチ4種。おいしかった。「写真をとっていいか?」と聞く
と、陽気にケラケラと笑いながら、「気にしないわ」と。

 オーストラリアで学生だったころは、毎晩のように、そんなタイプのレストランに、もぐりこんで
遊んでいた。当時は、一部のピザ・ハウス以外は、すべての店は、午後6時には、閉店しなけ
ればならなかった。

 そのため午後6時以後は、裏戸から出入りする、モグリのレストランへ行かねばならなかっ
た。そのモグリのレストラン、そっくりだった。

 その奥さんと、「ガーラ(鳥の名前)」の話をする。

 オーストラリアには、「ガーラ」という名前の鳥がいる。その季節になると、食べ過ぎて、飛べ
なくなってしまう鳥である。それでよく、道路で、車にはねられて死ぬ。「バカ」の代名詞にもなっ
ている。

私「友人が、『ガーラ料理のし方』という料理本を送ってくれました」
奥さん「ハハハ。それはおいしそうな名前の本ね」と。

 そのレストランは、私の若いころの生きザマ、そのものだった。

 テーブルもイスも、(多分)、リサイクルショップかどこかで、かき集めてきたものだろう。階段
も、工事現場のものをもってきて、自分たちで作ったらしい。もちろん装飾も。バラバラの装飾
だが、そこに、何というか、(生きる)というエネルギーを感じた。

 レストランの原点といっても、よい。そのレストランには、そんな楽しさが満ちあふれていた。

 興味のある人は、ぜひ、一度、行ってみたらよい。有楽街を北へ抜けて、ジョーシン・ビルの
路地を北へ、約100メートルくらい行ったところの、右手にある。

 しかし……だ。オーストラリア料理なんて、あったのかなア? 羊の肉や、ベジマイト(ジャム
の一種)などは、毎日食べたが……。しかし味は、保証する。そうそう言い忘れたが、ランチ
は、850円。
(はやし浩司 オーストラリア オーストラリア料理)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【子育て一口メモ】

●子どもの姿を正確に

あなたの子どもに、あなたはどのようなイメージをもっているだろうか。中には、問題があるの
に、「問題はない」と思いこんでいる親がいる。反対に、問題がないのに、「問題がある」と思い
こんでいる親もいる。子どもの姿を正確にとらえるのは、たいへんむずかしい。子どもの概念
と、現実の子どもの間のギャップが大きければ大きいほど、親子の関係はギクシャクしたもの
になりやすい。


●聞きじょうずになる

子どもの姿を正確にとらえるためには、聞きじょうずになること。自分の子どもでも、他人の子
どもと思い、一歩退いて見るようにする。教師でも話しにくい親というのは、子どものことになる
と、すぐカリカリするタイプ。何か言おうとすると、「うちでは問題はありません」「塾では、しかkり
とやっています」と反論する。しかしそう反論されると、「どうぞ、ご勝手に」となる。


●自己愛者はご注意

自己中心性が肥大化すると、自己愛者になる。完ぺき主義で、他人の批判を許さない。すべて
を自分(あるいは自分の子ども)中心に考えるようになる。こうなると、子育ては、独善化する。
他人の批評に耳を傾けなくなるからである。子育てじょうずな親というのは、ものごとに謙虚で
ある。その謙虚さが、心に風穴をあける。まずいのは、「自分は正しい」と思いこんで、他人の
意見を聞かないこと。


●心の一致

(したいこと)と(していること)が一致しているとき、子どもの心は、安定する。しかし(したいこ
と)と(していること)が一致していないと、子どもの心は、急速に不安定化する。非行の多くは、
こうして始まる。そこで重要なことは、いつも、(子どものしたいこと)に静かに耳を傾けて、それ
を(していること)に結びつけていく。これを心理学の世界でも、自我の同一性(アイデンテンテ
ィ)と呼ぶ。


●善行は、ささいなことから

あなたの子どもを善人にしたいなら、日常的な、ごくささいなことから、約束やルールを守る姿
を、子どもに見せておく。そういう積み重ねが、あなたの子どもを善人にする。つまり日々の積
み重ねが、月々の積み重ねとなり、それが年々、積もって、その人の人格となる。あなたが、
平気で空き缶をポイ捨てしていおいて、あなたの子どもに「いい子になれ」は、ない。


●シャドウをつくらない

あなたが仮面をかぶればかぶるほど、あなたの背後に、その正反対のシャドウ(影)ができる。
子どもというのは、そのシャドウをそのまま受けついでしまう。よく例に出されるのが、佐木隆三
の『復讐するは、我にあり』である。敬虔な牧師の息子が、殺人鬼になるという小説である。緒
方拳の主演で、映画にもなった。父親は牧師をしながら、息子の嫁と不倫関係になる。そうし
たシャドウが、その息子を殺人鬼にしたとも考えられなくはない。


●ウソはつかない

子どもには、ウソをつかない。これは親子関係を守るための、最後の砦(とりで)と考えてよい。
もしウソをつきたくなかったら、だまっていればよい。飾ったり、見栄をはったりしてもいけない。
ありのままを、すなおに見せておく。あとの判断は、子どもに任せればよい。


●ウソはていねいにつぶす

子どもは、よくウソをつく。いろいろなウソがあるが、その中でも、空想したことを、あたかも本
当のことのように話す子どもがいる。空想的虚言(妄想的虚言)というのが、それ。はげしい親
の過干渉が日常化すると、子どもは、この空想的虚言を口にするようになる。そういうとき親
は、子どもをはげしく叱ったりするが、反省すべきは、むしろ親のほうである。こうしたウソは、
ていねいに、つぶす。言うべきことは言いながら、あとは時間を待つ。


++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(647)

【近況・アレコレ】

●電動ラジコンヘリを飛ばす

 買っただけで飛ばしたことがない、電動のラジコンヘリがある。「いつか飛ばそう……」と思っ
ているうちに、1年が過ぎた。「孫の誠司が大きくなったら、あげよう」と考えていた。

 で、どういうわけか、今日(5・8)、庭で飛ばすことにした。電動だから、調整は簡単。エンジン
機のような、めんどう臭さはない。

 で、スイッチ・オン。スロットルをあげると、意外と簡単に空中に。しかしそこからの操縦法を
知らなかった。「あがれば、それでいい」と思っていた。

 さっそく、説明書を読む。前進、後進。左右の回転、左右への移動。「なるほど」と思って、再
度、挑戦。とたん、プロペラを破損。

 こういうときのために、予備のプロペラを、ちゃんと買っておいた。

 ひさびさのラジコン。おもしろかった。楽しかった。また病みつきになりそう!


●今夜の夕食は、やきそば

 ヘリを飛ばしたあと、ワイフと、ショッピングセンターへ。今夜のメニューは、やきそば。

 料理が簡単。あとはサラダをワンパック、買った。

 ワイフに声をかけるときには、コツがある。

 「何か、手伝う?」と声をかけると、あれこれしてほしいと、つぎつぎと言いだす。
 「何も、手伝うこと、ないよね?」と声をかけると、「ないわ」と答える。

 で、手伝いときは、「何か、手伝おうか?」と声をかける。しかし何もしたくないときは、「何もし
なくて、いいよね?」と声をかける。すると、たいてい、「いいわ」と言う。

 ハハハ。で、今夜は何もしたくなかったので、「手伝うことないよね」と。案の定、「いいわよ」
と。

 つまりワイフのばあい、否定疑問文で聞くと、どういうわけか、否定的な答が返ってくる。この
方法で、私は、ワイフをいつもうまく誘導する。まだ、ワイフは、それに気づいていないようだ。

 もともと勝気な性格なので、そういうふうに反応するようになったのだと思う。ラシコンのヘリを
操縦するより、ワイフを操縦するほうが、簡単。


●中学校の入試問題より

 最近では、入試問題も、かなり変わってきた。

 たとえば……。あなたなら、何分でとけるかな?(参考、数学パズル、PHP文庫)

+++++++++++++++++++

【問1】となりどうしの数を足したら、65、57、46になりました。
○の中の数字は、何ですか。(類題:ラ・サール中)

     ○
    ・・
   65   46
   ・      ・
  ○  ・ 57 ・ ○

 
【問2】1年のうち、「13日の金曜日」がある日は、一番多い年で、何回ありますか。また一番少
ない年では、何回でしょうか。(類題:麻布中学)


【問3】2、3、6、9と書いた4枚のカードがあります。この中から、2枚のカードをとって、2桁の
数をつくります。そうしてできる、整数すべての平均は、いくつですか。(類題:灘中学校)


+++++++++++++++++++

 こうした傾向は、全国的に広がりつつある。今までのように、「学校の勉強だけを、コツコツと
しっかりしていれば、できる」という問題は、ますます少なくなってきている。要するに、頭のよし
あしをみる問題といってよい。

 で、こうした問題を子どもたちに与えてみると、子どもたちの反応は、大きく分かれる。「やり
たい」「やってやる」と食いついてくるタイプと、「いやだ」「やりたくない」と逃げ腰になるタイプ。

 できる、できないは別として、ここでいう食いついてくるタイプは、いろいろな面で伸びる。子ど
もは、そういう子どもにする。

 方法は簡単。幼児期に、「考えることは楽しい」という意識を、徹底的に植えつけておく。それ
にまさる幼児教育は、ない。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●やる気

 どうすれば、子どもから、やる気を引き出すことができるか?

 実は、今、私は、この問題に直面している。

 こうしてマガジンを毎週発行している。が、このところ、とんとやる気がなくなってきたのを感ず
る。なぜだろう?

 少し疲れてきた。
 テーマが思いつかない。
 読者がふえない。
 見返りが、ほとんど、ない。
 目的があいまいになってきた。
 ほかのことに興味をもち始めた。

 しかし何よりも最大の理由は、達成感がないこと。そのつど、「ヤッター」という喜びがあれ
ば、まだ励みになる。しかしその達成感がない。ときどき、何のために書いているのかさえ、わ
からなくなるときがある。

 で、そういう私がやる気を出すためには、どうしたらよいのか。これは、そのまま、子どもの問
題でもある。

 たとえば勉強をしても、成績が思うように伸びない子どもがいたとする。しかし毎日、勉強だ
けが、うしろから追いかけてくる。宿題もたまり始めている。

 しかし一度、こういう状態になると、子どもは、(そしておとなも)、心が空回りするようになる。
最悪のばあいには、何も手につかなくなってしまう。

 そういう子どもに向かって、「勉強しなさい」「こんなことでは、○○中学には入れないわよ」と
脅すことは、病気で熱を出している子どもに、水をかけるようなもの。かえって逆効果になるこ
とが多い。

 「がんばれ」も、そうだ。

 たとえば今の状態で、だれかが、私に「がんばれ」と言ったら、とたんに、私はますますやる
気をなくすだろう。その言葉に、反発を覚えてしまうからだ。「これ以上、何をがんばればいい
のか」と。

 では、こういうときは、どうするか?

 マガジンや、原稿のことを忘れて、何か、好きなことをする。たとえば今日、私は、部屋の掃
除をした。2部屋、ピカピカにみがいた。それから、寝室を移動した。夏用に、涼しい部屋に移
した。そして夕食前には、ラジコンのヘリコプターを飛ばした。

 そして書斎に入ってからは、しばらく、パソコンを使ってゲームをした。この原稿を書き始めた
のは、そのあとのこと。やっと、少しだが、やる気が出てきた。

 要するに、気分転換ということか。それをうまく利用する。しかしその気分転換にしても、だれ
かに言われてしたのでは、意味がない。かえって、ストレスがたまってしまう。子どもについて言
うなら、「暖かい無視がよい」ということになる。

 子どもは子どもなりに、自分で自分の心を調整しようとする。そういうとき、親は一歩退いて、
暖かい愛情で包みながら、無視する。子どものやりたいように、させる。決して、親の不安や心
配をぶつけてはいけない。

 ……ということで、この問題は、別の機会に、もう一度、考えてみたい。ここに書いたことは、
あまりにも、(浅い)。読むに耐えない原稿だと思う。ごめん!


++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


●子どものやる気 

 どうすれば、子どもに、やる気を起こさせることができるか。

 方法としては、2つある。一つは、子ども自身の中に、やる気を起こさせるという方法。これ
を、「内発的動機づけ」という。

 子どものもつ好奇心をうまく引き出しながら、それを成果に結びつけていく。

 もう一つは、この内発的動機づけに対して、「外発的動機づけ」と呼んでいるもの。わかりや
すく言えば、おどしたり、あるいは賞罰を与えたりして、子どもに、何かをさせることをいう。

 この外発的動機づけについては、私には、こんな苦い失敗がある。

 子どもに英語を教え始めたころのこと。「単語書きコンテスト」というのを始めた。ノート1枚
に、単語を、ぎっしりと書いたら、1点ということにした。そしてそれを夏休みの間、一番、たくさ
ん書いた子どもに、天体望遠鏡をあげる、と。

 それを知った子どもたちが、毎日、ノートの単語を書き始めた。出だしは順調だった。が、そ
のうち、2人だけの競争になった。その2人は、毎日、ズバ抜けて、たくさんの単語を書いてき
た。

 そのグラフを見ながら、1人、2人……と、ほかの子どもたちが脱落し始めた。で、最後に残
ったのは、先の2人だけ。

 無意味な競争になった。しかし途中でやめるわけにはいかない。

 夏休みが終わり、9月になって、最終的には、K君という男の子だったが、彼が、一番、たくさ
ん書いたことがわかった。そこで約束どおり、私はK君に天体望遠鏡を、与えた。

 が、異変は、そのあと、起きた。

 再び、子どもたちに単語を書かせようとしたのだが、だれも書こうとしない。肝心のK君までも
が、「今度は、何をくれる?」と、賞品をねだる始末。結局、この方法は、失敗に終わった。

 つまり外発的動機づけには、限界があるということ。またそれでは、子どもを伸ばすことはで
きない。

 子どもを伸ばすには、内発的動機づけを、大切にする。

(1)学ぶことは、楽しいと感じさせること。
(2)学ぶことの楽しさを、教えること。
(3)子どもの好奇心や、興味を、じょうずに、引き出すこと。
(4)子ども自身のやる気を、じょうずに育てること。
(5)子どもの(したいこと)と、(していること)を、一致させること。

 これに対して、外発的動機づけというのは、たとえば、子どもを受験でおどしたり、成績で評
価したり、賞罰を与えたりして、無理にやらせることをいう。この方法では、長つづきしないばか
りか、かえって子どもの内発的動機づけを、破壊してしまう。

 そこで登場するのが、「達成動機」である。

 よく誤解されるが、有名高校へ入るとか、有名大学へ入るとかいうのは、ここでいう「達成」に
はならない。「だから、どうなの……?」という部分がないからである。

 動機づけを達成感と結びつけるためには、そこに(1)人間的な完成、(2)社会的な認知、
(3)利他的な満足がなければならない。

 これ以外の動機づけは、一時的なもので終わることが多い。あるいは、そのままその人をし
て、貪欲な世界へと、かりたててしまう。

 たとえば、ある人が、ビジネスの世界で、年商1億円を達成したとする。そのときは、その達
成感に酔いしれることになるが、今度は、それが2億になり、3億になる。気がついたときに
は、マネーの奴隷になってしまっていた。そんなことだって、ありえる。

 つまり「動機づけ」は形を追い求めるのではなく、道徳、倫理、自然観などと深く結びついたも
のでなければならない。そのことを、的確に表現したのが、アメリカの心理学者のマレーであ
る。

 彼は人間の欲求を、最終的には、思想や才能へと結びつけて考えた。東洋的に言えば、
「真・善・美」の探究にこそ、真の動機づけがあるということになる。

 で、よくあるケースとしては、子どもを、脅したり、しかったり、あるいは賞罰を与えて、勉強さ
せるという方法。子どもは、それに従うかもしれないが、効果は一時的。やがて子どもは、フリ
勉、ダラ勉、時間ツブシがうまくなるだけ。

 一度、こういう症状を見せると、立ちなおりは、ほとんど不可能と言ってよい。

 だから……。子どもにやる気を起こさせるためには、子どもを楽しませればよいということに
なる。とくに幼児期は、そうである。

 「子どもを楽しませてやろう」ということだけを考えながら、子どもを指導する。その意識が育
っていれば、それでよし。そうでなければ、そういう指導は、やめたほうがよい。この時期、一
度、伸びる芽をつんでしまうと、あとがたいへん。本当に、たいへん。

 あとは、子どもを支持し、励まし、ほめる。こうした前向きな姿勢が、子ども自身の内発的動
機づけを、さらに確固たるものにする。

 ついでながら、子どもにやる気があっても、それでその子どもが、当初の目的を達成できると
いうわけではない。プロセスは、プロセス、結果は、結果として、割り切って考えることも、子育
てには重要である。
(はやし浩司 外発的動機づけ 動機付け 内発的動機づけ 動機付け)


●結果は、結果

 東洋思想の特徴というか、日本人は、結果だけを見て、それまでのすべてを判断する傾向が
強い。

 しかし結果などというものは、いつもあとからついてくるもの。ずいぶんと前のことだが、私に
こんなことを言った母親がいた。

 その母親の子どもが、高校受験に失敗した直後のこと、私にこう言った。

 「小さいときから、いろいろやってみましたが、すべてがムダでした」と。

 つまりその子どもが幼いときから、いろいろな習いごとや、おけいこごとをさせたが、すべてム
ダだった、と。

 しかし本当にそうだろうか? そんなふうに考えてよいのだろうか?

 未来のために、いつも現在を犠牲にするという生き方をしている人にとっては、結果こそ、す
べて。しかし考えてみれば、それほど、愚かな生き方もない。今は、今。その「今」を大切にし
て、生きる。

 イギリスには、『休息を求めて疲れる』という格言がある。愚かな生き方の代名詞にもなって
いる格言である。それについて書いた原稿を、ここに掲載する。

+++++++++++++++++

『休息を求めて疲れる』について書いた
原稿です(中日新聞掲載済み)。

+++++++++++++++++

●今を生きる子育て論

 英語に、『休息を求めて疲れる』という格言がある。愚かな生き方の代名詞のようにもなって
いる格言である。

「いつか楽になろう、なろうと思ってがんばっているうちに、疲れてしまって、結局は何もできなく
なる」という意味だが、この格言は、言外で、「そういう生き方をしてはいけません」と教えてい
る。

 たとえば子どもの教育。幼稚園教育は、小学校へ入るための準備教育と考えている人がい
る。同じように、小学校は、中学校へ入るため。中学校は、高校へ入るため。高校は大学へ入
るため。そして大学は、よき社会人になるため、と。

こうした子育て観、つまり常に「現在」を「未来」のために犠牲にするという生き方は、ここでいう
愚かな生き方そのものと言ってもよい。いつまでたっても子どもたちは、自分の人生を、自分
のものにすることができない。あるいは社会へ出てからも、そういう生き方が基本になっている
から、結局は自分の人生を無駄にしてしまう。「やっと楽になったと思ったら、人生も終わってい
た……」と。

 ロビン・ウィリアムズが主演する、『今を生きる』という映画があった。

「今という時を、偽らずに生きよう」と教える教師。一方、進学指導中心の学校教育。この二つ
のはざまで、一人の高校生が自殺に追いこまれるという映画である。

この「今を生きる」という生き方が、『休息を求めて疲れる』という生き方の、正反対の位置にあ
る。これは私の勝手な解釈によるもので、異論のある人もいるかもしれない。

しかし今、あなたの周囲を見回してみてほしい。あなたの目に映るのは、「今」という現実であっ
て、過去や未来などというものは、どこにもない。あると思うのは、心の中だけ。だったら精一
杯、この「今」の中で、自分を輝かせて生きることこそ、大切ではないのか。子どもたちとて同
じ。子どもたちにはすばらしい感性がある。しかも純粋で健康だ。そういう子ども時代は子ども
時代として、精一杯その時代を、心豊かに生きることこそ、大切ではないのか。

 もちろん私は、未来に向かって努力することまで否定しているのではない。「今を生きる」とい
うことは、享楽的に生きるということではない。しかし同じように努力するといっても、そのつどな
すべきことをするという姿勢に変えれば、ものの考え方が一変する。

たとえば私は生徒たちには、いつもこう言っている。「今、やるべきことをやろうではないか。そ
れでいい。結果はあとからついてくるもの。学歴や名誉や地位などといったものを、真っ先に追
い求めたら、君たちの人生は、見苦しくなる」と。

 同じく英語には、こんな言い方がある。子どもが受験勉強などで苦しんでいると、親たちは子
どもに、こう言う。「ティク・イッツ・イージィ(気楽にしなさい)」と。

日本では「がんばれ!」と拍車をかけるのがふつうだが、反対に、「そんなにがんばらなくても
いいのよ」と。ごくふつうの日常会話だが、私はこういう会話の中に、欧米と日本の、子育て観
の基本的な違いを感ずる。その違いまで理解しないと、『休息を求めて疲れる』の本当の意味
がわからないのではないか……と、私は心配する。

++++++++++++++++++

同じような内容の原稿ですが、別のときに
書いた原稿です。

++++++++++++++++++

●子育ての「時」は急がない

 時の流れは不思議なものだ。そのときは遅々として進まないようにみえる時の流れも、過ぎ
去ってみると、あっという間のできごとのようになる。子育てはとくにそうで、大きくなった自分の
子どもをみると、乳幼児のころの子どもが本当にあったのかと思うことさえある。もちろん子育
ては苦労の連続。苦労のない子育てはないし、そのときどきにおいては、うんざりすることも多
い。しかしそういう時のほうが、思い出の中であとあと光り輝くから、これまた不思議である。

 昔、ロビン・ウィリアムズが主演した映画に、『今を生きる』というのがあった。「今という時を、
偽らずに生きよう」と教える高校教師。一方、進学指導中心の学校側。この二つのはざまで一
人の高校生が自殺に追い込まれるという映画である。この「今を生きる」という生き方が、ひょ
っとしたら日本人に、一番欠けている生き方ではないのか。

ほとんどの親は幼児期は小学校入学のため、小学校は中学校入学のため、中学や高校は大
学入試のため、と考えている。子どもも、それを受け入れてしまう。

こうしたいつも未来のために「今」を犠牲にする生き方は、一度身につくと、それがその人の一
生の生き方になってしまう。社会へ出てからも、先へ進むことばかり考えて、今をみない。結果
として、人生も終わるときになってはじめて、「私は何をしてきたのだろう」と気がつく。実際、そ
ういう人は多い。英語には『休息を求めて疲れる』という格言がある。愚かな生き方の代名詞
にもなっているような格言だが、やっと楽になったと思ったら、人生も終わっていた、と。

 大切なのは、「今」というときを、いかに前向きに、輝いて生きるか、だ。もし未来や結果という
ものがあるとするなら、それはあとからついてくるもの。地位や肩書きや名誉にしてもそうだ。
まっさきにそれを追い求めたら、生き方が見苦しくなるだけ。子どももしかり。

幼児期にはうんと幼児らしく、少年少女期には、うんと少年や少女らしく生きることのほうが重
要。親の立場でいうなら、子どもと「今」という時を、いかに共有するかということ。そのために
も、子育ての「時」は急がない。今は今で、じっくりと子育てをする。そしてそれが結局は、親子
の思い出を深くし、親子のきずなを深めることになる。

+++++++++++++++++++++

今を生きる子育て論……それについて書いた
原稿をここに掲載しておきます。

+++++++++++++++++++++

●子どもが巣立つとき

 階段でふとよろけたとき、三男がうしろから私を抱き支えてくれた。いつの間にか、私はそん
な年齢になった。腕相撲では、もうとっくの昔に、かなわない。自分の腕より太くなった息子の
腕を見ながら、うれしさとさみしさの入り交じった気持ちになる。

 男親というのは、息子たちがいつ、自分を超えるか、いつもそれを気にしているものだ。息子
が自分より大きな魚を釣ったとき。息子が自分の身長を超えたとき。息子に頼まれて、ネクタイ
をしめてやったとき。

そうそう二男のときは、こんなことがあった。二男が高校に入ったときのことだ。二男が毎晩、
ランニングに行くようになった。しばらくしてから女房に話を聞くと、こう教えてくれた。「友だちの
ために伴走しているのよ。同じ山岳部に入る予定の友だちが、体力がないため、落とされそう
だから」と。

その話を聞いたとき、二男が、私を超えたのを知った。いや、それ以後は二男を、子どもという
よりは、対等の人間として見るようになった。

 その時々は、遅々として進まない子育て。イライラすることも多い。しかしその子育ても終わっ
てみると、あっという間のできごと。「そんなこともあったのか」と思うほど、遠い昔に追いやられ
る。「もっと息子たちのそばにいてやればよかった」とか、「もっと息子たちの話に耳を傾けてや
ればよかった」と、悔やむこともある。

そう、時の流れは風のようなものだ。どこからともなく吹いてきて、またどこかへと去っていく。そ
していつの間にか子どもたちは去っていき、私の人生も終わりに近づく。

 その二男がアメリカへ旅立ってから数日後。私と女房が二男の部屋を掃除していたときのこ
と。一枚の古ぼけた、赤ん坊の写真が出てきた。私は最初、それが誰の写真かわからなかっ
た。が、しばらく見ていると、目がうるんで、その写真が見えなくなった。

うしろから女房が、「Sよ……」と声をかけたとき、同時に、大粒の涙がほおを伝って落ちた。

 何でもない子育て。朝起きると、子どもたちがそこにいて、私がそこにいる。それぞれが勝手
なことをしている。三男はいつもコタツの中で、ウンチをしていた。私はコタツのふとんを、「臭
い、臭い」と言っては、部屋の真ん中ではたく。女房は三男のオシリをふく。長男や二男は、そ
ういう三男を、横からからかう。そんな思い出が、脳裏の中を次々とかけめぐる。

そのときはわからなかった。その「何でもない」ことの中に、これほどまでの価値があろうとは!
 子育てというのは、そういうものかもしれない。街で親子連れとすれ違うと、思わず、「いいな
あ」と思ってしまう。そしてそう思った次の瞬間、「がんばってくださいよ」と声をかけたくなる。レ
ストランや新幹線の中で騒ぐ子どもを見ても、最近は、気にならなくなった。「うちの息子たち
も、ああだったなあ」と。
 問題のない子どもというのは、いない。だから楽な子育てというのも、ない。それぞれが皆、
何らかの問題を背負いながら、子育てをしている。しかしそれも終わってみると、その時代が
人生の中で、光り輝いているのを知る。もし、今、皆さんが、子育てで苦労しているなら、やが
てくる未来に視点を置いてみたらよい。心がずっと軽くなるはずだ。 

++++++++++++++++++

●生きる源流に視点を
      
 ふつうであることには、すばらしい価値がある。その価値に、賢明な人は、なくす前に気づ
き、そうでない人は、なくしてから気づく。青春時代しかり、健康しかり、そして子どものよさも、
またしかり。

 私は不注意で、あやうく二人の息子を、浜名湖でなくしかけたことがある。その二人の息子が
助かったのは、まさに奇跡中の奇跡。たまたま近くで国体の元水泳選手という人が、魚釣りを
していて、息子の一人を助けてくれた。

以来、私は、できの悪い息子を見せつけられるたびに、「生きていてくれるだけでいい」と思い
なおすようにしている。が、そう思うと、すべての問題が解決するから不思議である。

とくに二男は、ひどい花粉症で、春先になると決まって毎年、不登校を繰り返した。あるいは中
学三年のときには、受験勉強そのものを放棄してしまった。私も女房も少なからずあわてた
が、そのときも、「生きていてくれるだけでいい」と考えることで、乗り切ることができた。

 私の母は、いつも、『上見てきりなし、下見てきりなし』と言っている。人というのは、上を見れ
ば、いつまでたっても満足することなく、苦労や心配の種はつきないものだという意味だが、子
育てで行きづまったら、子どもは下から見る。「下を見ろ」というのではない。下から見る。「子ど
もが生きている」という原点から、子どもを見つめなおすようにする。

朝起きると、子どもがそこにいて、自分もそこにいる。子どもは子どもで勝手なことをし、自分
は自分で勝手なことをしている……。一見、何でもない生活かもしれないが、その何でもない生
活の中に、すばらしい価値が隠されている。つまりものごとは下から見る。それができたとき、
すべての問題が解決する。

 子育てというのは、つまるところ、「許して忘れる」の連続。この本のどこかに書いたように、フ
ォ・ギブ(許す)というのは、「与える・ため」とも訳せる。またフォ・ゲット(忘れる)は、「得る・た
め」とも訳せる。

つまり「許して忘れる」というのは、「子どもに愛を与えるために許し、子どもから愛を得るため
に忘れる」ということになる。仏教にも「慈悲」という言葉がある。この言葉を、「as you like」と英
語に訳したアメリカ人がいた。「あなたのよいように」という意味だが、すばらしい訳だと思う。こ
の言葉は、どこか、「許して忘れる」に通ずる。

 人は子どもを生むことで、親になるが、しかし子どもを信じ、子どもを愛することは難しい。さ
らに真の親になるのは、もっと難しい。大半の親は、長くて曲がりくねった道を歩みながら、そ
の真の親にたどりつく。楽な子育てというのはない。

ほとんどの親は、苦労に苦労を重ね、山を越え、谷を越える。そして一つ山を越えるごとに、そ
れまでの自分が小さかったことに気づく。が、若い親にはそれがわからない。ささいなことに悩
んでは、身を焦がす。先日もこんな相談をしてきた母親がいた。

東京在住の読者だが、「一歳半の息子を、リトミックに入れたのだが、授業についていけない。
この先、将来が心配でならない。どうしたらよいか」と。こういう相談を受けるたびに、私は頭を
かかえてしまう。

+++++++++++++++++++

●家族の真の喜び
   
 親子とは名ばかり。会話もなければ、交流もない。廊下ですれ違っても、互いに顔をそむけ
る。怒りたくても、相手は我が子。できが悪ければ悪いほど、親は深い挫折感を覚える。「私は
ダメな親だ」と思っているうちに、「私はダメな人間だ」と思ってしまうようになる。

が、近所の人には、「おかげでよい大学へ入りました」と喜んでみせる。今、そんな親子がふえ
ている。いや、そういう親はまだ幸せなほうだ。夢も希望もことごとくつぶされると、親は、「生き
ていてくれるだけでいい」とか、あるいは「人様に迷惑さえかけなければいい」とか願うようにな
る。

 「子どものころ、手をつないでピアノ教室へ通ったのが夢みたいです」と言った父親がいた。
「あのころはディズニーランドへ行くと言っただけで、私の体に抱きついてきたものです」と言っ
た父親もいた。が、どこかでその歯車が狂う。狂って、最初は小さな亀裂だが、やがてそれが
大きくなり、そして互いの間を断絶する。そうなったとき、大半の親は、「どうして?」と言ったま
ま、口をつぐんでしまう。

 法句経にこんな話がのっている。ある日釈迦のところへ一人の男がやってきて、こうたずね
る。「釈迦よ、私はもうすぐ死ぬ。死ぬのがこわい。どうすればこの死の恐怖から逃れることが
できるか」と。それに答えて釈迦は、こう言う。

「明日のないことを嘆くな。今日まで生きてきたことを喜べ、感謝せよ」と。私も一度、脳腫瘍を
疑われて死を覚悟したことがある。そのとき私は、この釈迦の言葉で救われた。そういう言葉
を子育てにあてはめるのもどうかと思うが、そういうふうに苦しんでいる親をみると、私はこう言
うことにしている。「今まで子育てをしながら、じゅうぶん人生を楽しんだではないですか。それ
以上、何を望むのですか」と。

 子育てもいつか、子どもの巣立ちで終わる。しかしその巣立ちは必ずしも、美しいものばかり
ではない。憎しみあい、ののしりあいながら別れていく親子は、いくらでもいる。しかしそれでも
巣立ちは巣立ち。親は子どもの踏み台になりながらも、じっとそれに耐えるしかない。

親がせいぜいできることといえば、いつか帰ってくるかもしれない子どものために、いつもドア
をあけ、部屋を掃除しておくことでしかない。私の恩師の故松下哲子先生*は手記の中にこう
書いている。「子どもはいつか古里に帰ってくる。そのときは、親はもうこの世にいないかもしれ
ない。が、それでも子どもは古里に帰ってくる。決して帰り道を閉ざしてはいけない」と。

 今、本当に子育てそのものが混迷している。イギリスの哲学者でもあり、ノーベル文学賞受
賞者でもあるバートランド・ラッセル(一八七二〜一九七〇)は、こう書き残している。

「子どもたちに尊敬されると同時に、子どもたちを尊敬し、必要なだけの訓練は施すけれど、決
して程度をこえないことを知っている、そんな両親たちのみが、家族の真の喜びを与えられる」
と。

こういう家庭づくりに成功している親子は、この日本に、今、いったいどれほどいるだろうか。
(*浜松A幼稚園理事長)

+++++++++++++++++++

 長い前置きになってしまったが、「結果」だけをみて生きる、その生き方の愚かさを、これで理
解してもらえただろうか。

 大切なのは、結果ではない。そこにいたるプロセスである。だいたいにおいて、人生に結果
はない。ある宗教団体では、「その人の死に際の様子を見れば、その人の人生がわかる」など
と、教えている。

 ならば、聞くが、それはその人個人の結果かもしれないが、そこですべての時計の針は止ま
るというのか。「個人の死」も、長い目で見れば、生きている人間の一つのプロセスにすぎな
い。

 今日、結果が出たからといって、すれがすべてではない。その結果をもとにして、つぎの瞬間
が、また始まる。わかりやすく言えば、常に、結果は、つぎの始まりの土台にすぎない。

 高校受験に失敗したからといって、それは結果ではない。もしそれを結果だとするなら、その
母親が言うように、その過去を、すべて否定しなければならなくなる。しかし、そんな愚かな子
育てはない。

 私は、あるとき、こう思った。

 3人の息子たちが、それぞれ自分勝手な方法で巣立ってしまったのを感じたときのことだ。ふ
と、「今まで、人生を楽しませてくれて、ありがとう」と。私は息子たちのおかげで、自分の人生
を、楽しむことができた。親として、それ以上、何を望むことができるのか。

 繰りかえすが、大切なことは、「今」というときを、懸命に生きること。結果は、必ず、あとから
ついてくる。子育ても、また同じ。
(はやし浩司 今を生きる育児論)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(648)

【近ごろ、あれこれ】

●緊迫する、K国情勢

 K国が、いよいよ核実験をすかもしれない。……という雰囲気になってきた。

 アメリカは、今さら頭をさげないだろうし、中国も、サジを投げた感じ。が、韓国は、「こういう
状況になったのは、アメリカのせい」という論陣を張り始めている。

 「K国は、核兵器をもっていると宣言したではないか。それを本気にしなかった、アメリカが悪
い」(T日報)と。

 しかし「同胞」「同胞」と、K国にすりよっていたのは、韓国ではなかったのか。「同胞だから、
まさか韓国には、ひどいことはしないだろう」と。そして米韓同盟にかかわる、条約の根幹部分
について、韓国は、突然、一方的に破棄を申し出た※(5月)。

 国家間の条約を、一方的に破棄するところが、恐ろしい。……と、同時に、実にN大統領らし
い。こんなことがまかりとおるようなら、これから先、韓国と条約を結ぶ国など、なくなるだろう。

 このマガジンが、配信されるころには、K国は、すでに核実験をしているかもしれない。つい
最近まで、韓国政府は、「核実験は、見せかけ(アピール)だ」「おどし(ブラフ)だ」と言ってい
た。「だから、開城工業団地開発も、金剛山観光も今までどおりつづける」と言っていた。

 韓国としては、韓国の安定化のために、何としても、K国の機嫌をそこねたくないのだろう。し
かしそれは、甘い。K国の金XXは、そういう(ふつうの論理)が、通ずるような相手ではない。し
たたかであるとか、賢いとか言うのではない。明らかに、頭がxxxx。

 ここは、日本は、ただひたすら冷静に。事務的にことを運ぶのがよい。

 ところで昨日、自民党のY拓(首相補佐官)が、何ら成果なく、中国から帰ってきた。今どき、
あのタイプの政治家が、世界で通用すると考えるほうが、おかしい。またあんな政治家(?)
を、中国へ特使として送るK首相も、K首相だと思う。

 日本の国際外交の稚拙(ちせつ)さは、こんなところにも現われている。

注※……「5029」は03年の米韓安保協議会(SCM)で両軍事首脳部が合意した。だが、05
年1月、韓国政府の外交安保最高意思決定機関である国家安全保障会議(NSC)が、「韓国
の主権侵害にかかわる政治的な内容を含むため、軍事作戦としては適切でない」として、韓国
国防省に作戦中断だけでなく事実上の破棄を目指す方針を命じた。

+++++++++++++++++

●K国が核実験をしたら……

 K国が、核実験に成功したら、そのあと、K国は、日本に向っては、こう言うだろう。

 「戦後補償交渉に応じろ。さもなくば、東京を火の海にするぞ」と。

 K国が、米朝の2国間協議にこだわる理由は、そこにある。「日朝交渉に、アメリカは口を出
すな」と。

 日本にとっては、国連安保理どころではなくなる。経済制裁どころでも、なくなる。それがわか
らなければ、東京で、核兵器が爆発したときのことを想像してみればよい。そのあと、日本は、
どうなるか……?

 しかし最後のチャンスがないわけではない。

 K国が核実験をしたら、機をのがさず、一気に、K国を攻めあげる。国際世論を、もちあげ、
一方的に、K国を孤立化させる。金XX体制を崩壊させる。韓国と中国は、(とくに韓国は)、そ
れを望まないだろうから、猛烈に反発するかもしれない。が、ここまできたら、もう韓国に遠慮
する必要はない。

 この段階で、韓国に遠慮していたら、日本は、何もできなくなってしまう。これは純粋に、日本
の平和と安全の問題である。ただ、日本側から、けんかする必要はない。韓国側は、あれこれ
言ってくるだろうが、言えば言うほど、窮地に立たされるのは、韓国側であって、日本側ではな
い。

 韓国がなくても、日本は、今の経済的地位を保つことができるが、日本なくして、韓国の経済
は、成りたたない。(N大統領には、こうした現実が、まったくわかっていない。)だから、ここ
は、冷静に。日本は、韓国抜きで、国際世論に、K国の現状を訴えていけばよい。

 しかしこの機をのがし、金XXを生き残らせてしまったら……。

 そのときは、日本は、K国との戦争を覚悟するしかない。こちらからしかけなくても、相手のほ
うからしかけてくる。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(649)

●わがままな子ども

 わがままな人は、それだけ、人や、ものごとに対して、心の許容範囲がせまいということにな
る。が、どうもそれだけではないようだ。

 わがままの基本には、未熟な人間性と依存性。自立できない、不完全な自我がある。が、私
はこのうち、とくに、「依存性」こそが、わがままの主因ではないかと思う。私は、このことを、わ
がままな子どもを見ていたとき、発見した。

 自分の思いどおりにならないと、怒る、ふてくされる、いじける、つっぱる、すねる……。子ど
もがこうした行動をするとき、その前提として、相手への依存性がある。

 「こうしてほしい」「ああしてほしい」という思いが、まずその底流にあって、それが転じて、わが
ままになる。

 ふつうこの段階で、抑制命令が働く。心にブレーキがかかる。いくら「こうであってほしい」と思
っても、ものごとは、自分の思いどおりには、進まない。そこでそうした場面に出会うと、人は、
そうした思いにブレーキをかける。あきらめる。

 先日も、バス停で、母親らしき相手に、携帯電話で怒鳴り散らしていた小学生(女児、小5、6
年生くらい)がいた。その女の子は、母親に向って、「もってこい!」と命令をしていた。どこか
の塾へ行く途中で、何かの忘れ物をしたらしい。

 その女の子は、たいへんわがままな女の子ということになる。しかしなぜ、わがままなのかと
言えば、そこに、母親への強度の依存性があるからとみる。もしそのとき、携帯電話で、相手
の母親と連絡が取れなければ、その女の子は、そうまで、わがままな振る舞いをすることはな
かったと思う。

 忘れ物をしたことを、納得し、そのままあきらめたと思う。つまり、わがままというのは、相手
があってはじめて、表面に出てくる。ひとりで生活しているときには、それは出てこない。

 私が、ここで「依存性が主因ではないかと思う」というのは、そういう意味である。

 そこでもし、あなたが自分の子どもは、わがままな子だと感じたら、わがままそのものよりも、
その子どもの依存性に着目したらよい。あなたの子どもは、わがままな子どもなのではなく、あ
なたへの依存性が強い子どもとみる。

 そこで重要なことは、わがままであることを叱ることではなく、なぜ、あなたに対して、強い依
存性をもっているかをさぐる。たいていは、自立できない、未熟な人間性がそこにあるとみる
が、未熟な状態にしたのは、結局は、親であるあなた自身にほかならない。

 つまりあなた自身が、子どもの依存性に甘い。日常的に、そういう生活をしている。その結果
として、あなたの子どもは、わがままになる。さらに一言、つけ加えるなら、子どもの依存性に
甘い親は、それだけ親自身も、精神的に未熟な人間とみてよい。

 何だかんだと言いながら、結局は、子どもの言いなりになってしまう。子どもに対して、き然と
した態度が、とれない。子どもの歓心を買ったり、機嫌をとったりする。わかりやすく言えば、精
神的に自立していない親の子どもは、それだけわがままになりやすいということになる。

 そういう意味で、(わがままな子ども)の問題は、決して、子どもだけの問題ではない。そこに
は、深く、親の問題もからんでいる。またそこまで考えないと、子どものわがままの問題は、解
決しない。
(はやし浩司 わがままな子ども わがままな子供 子供のわがまま わがまま 子どものわが
まま)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●ウソ発見器

 G社から出ている、「電子ブロック」という、おもちゃがある。今週は、それを教室に置いた。

 さっそく、小学3年生の子どもたちが、それを使って、「ウソ発見器」なるものを組み立てた。
原理は簡単なもの。

 体内の通電量を測定し、それをパルス信号に変えるというもの。通電量が多くなればなるほ
ど、パルシ信号は速くなる。たとえばウソをついて、体が汗ばんでくると、通電量がふえる。

 しかしインチキは、いくらでもできる。しっかりと端子をにぎれば、通電量はあがる。イコール、
パルス信号は、速くなる。ゆるく端子をにぎれば、通電量はさがる。イコール、パルス信号は、
遅くなる。

 そのインチキを使って、子どもたちをからかう。

私「何でも、聞きたいことを聞いてごらん? 先生がウソを言っているかどうか、わかるよ」
A君「先生は、ぼくのママが好き?」
私「あのなあ、そういう質問には答えられないよ」
みな「ああ、信号が速くなった。先生は、ウソを言っている」

B君「先生は、フリン(不倫)をしているか?」
私「あのなあ、それは、小学生のする質問じゃ、ないよ」
B君「フリンをしているか?」
私「答えられない」

みな「じゃあ、フリンをしているんだね」
私「君のパパと、同じだよ」と。

そこで強く端子をにぎりなおすと、ピッ、ピッ……と、信号音が速くなった。

子どもたち「先生は、ウソを言っているよ」
私「君のパパとは、ちがうということか?」
子どもたち「そうだ。……でも、、どっちなんだろ? おいらのパパは、フリンなんか、してない
よ。ということは、先生は、フリンをしていることになる」
私「そうとはかぎらないよ。もし君のパパが、フリンをしていたら、ぼくはしていないことになる
よ」と。

 今どきの子どもたちは、すごい言葉を知っている。これも時代か? 私が子どものころには、
そんなことは、考えもしなかった。だいたいにおいて、「不倫」などという言葉を知らなかった。

 そこで参観の母親が、1人入ってきた。C子の母親である。

C子「先生は、私のママが好き?」
私「あのなあ、そういう質問をしてはダメ。ほかの、つまり、もっと、子どもらしい質問をしなさい」
C子「たとえば……」
私「たとえば先生のパンツには、ウンチがついているかとか、何とか……」
C子「ついているの?」
私「ついてないよ」と。

 私は強く端子をにぎってやった。パルス音が、かなり速くなった。

 それを聞いて子どもたちは、大喜び。「先生のパンツには、ウンチがついているんだってエ…
…」と。

 ハハハ。これも遊びのうち。しかし結構、楽しかった。


++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司
 
最前線の子育て論byはやし浩司(650)

●ポケモンカルト

 5年ほど前に、私は「ポケモンカルト」(三一書房)という本を出した。が、その本が、ポケモン
ファンの大反発を、買った。

 ポケモンの読者は、子どもたちだけではなかった。20歳も過ぎたような、一応(おとなた
ち?)も、読んでいた。

 まず、これには驚いたが、そのあと、そのスジの世界では、「とんでも本」にあげられた。おか
げで、それなりに、話題になり、よく売れたが……。

 しかしあの本は、何も、ポケモンをたたいたのではない。ポケモンに夢中になる心理と、カル
ト教に走る心理とを対比させて書いた。つまり、主な目的は、カルト教を批判すること。そしてそ
うした心理は、ポケモンに狂う子どもたちの心理と共通していることを書いた。

 そのカルト教団からの反発も、大きかった。それで「とんでも本」になった。グーグルの検索サ
イトなどで、「はやし浩司」を検索すると、そうして私を批判しているグループをヒットできるは
ず。

 しかしどういう団体の、どういうレベルの人たちが、私を批判しているか、そこまで読んでほし
い。なぜそういう人たちが、「とんでも本」と位置づけているか、その理由が、それでわかると思
う。

 が、あの事件で、つまりテレビのポケモンを見ていて、全国で、数百人もの子どもたちが倒れ
たわけだが、あの事件で、最大のナゾは、そのあと、だれも、テレビ局を訴えなかったというこ
と。

 恐らく、私の印象では、各地のテレビ会社が、一軒、一軒、しらみつぶしに被害者の家庭を
回り、事件そのものを、もみ消してしまったのではないかということ。全国で数百人といっても、
県単位で見れば、5〜8人となる。それほど、多い数ではない。

 もっとも、私自身は、子どもの夢(?)をつぶす意図は、毛頭なかった。その本は、おとなたち
に向けて書いたもの。ポケモン大好きという、子どもたちに向かって書いたものではない。

 (実際、当時、あれこれ私を攻撃してきたのは、ここにも書いたように、大のおとなたちであ
る。「お前は、子どもたちの夢をつぶすのか!」という抗議まで、あった。)

 今でも、この問題は、尾を引いている。しかしものごとは、冷静に考えてみてほしい。

 ポケットモンスターを飼育し、それを戦わせて、冒険するというアニメ(コミック)が、本当に中
身のあるアニメ(コミック)なのか、と。ピカチューの絵を見ただけで、興奮状態になる子どもた
ちの姿を見て、本当にそれでよいのか、と。「ポケモンカルト」は、それについて、書いた。

 こういう仕事(評論)には、攻撃はつきもの。いちいち気にしていたら、何も書けない。みなさ
ん、どうぞ、ご勝手に!


●二人目の孫

 どうやら孫の誠司に、弟か、妹か、どちらかが生まれそうな気配になってきた。昨日、ワイフ
が、うれしそうに、それを報告してくれた。「誠司(孫)も、3歳になったから、ちょうど、いいころ
ね」と。

 ……こうして私の世界は、ますます、スミ(隅)へと、追いやられる。つまり、私の時代は終わ
り、私の住む世界は、小さくなる。

 これからは、息子たちや、孫たちの世界である。また、そうでなければならない。

 かつてアミエルは、日記にこう書いている。

 「いかにして、老年に成長するかを知ることは、英知の傑作であり、生活の偉大な技術にお
けるもっとも、むずかしい章の一つである」(世界名言辞典・梶山)と。

 私も、ときどき、原語(英語)から、格言を翻訳して使うが、こうした格言の翻訳ほど、むずか
しいものはない。どうしても、訳が、ぎこちなくなる。

 で、このアミエルについても、同じ。翻訳文を読むときは、文そのものにとらわれてはいけな
い。そこから感ずる、フィーリングを大切にする。

 アミエルの言葉を、勝手に解釈すると、こうなる。

 「いかにすれば、老年になってからも成長することができるか。その方法を知ることは、たい
へんむずかしいことだ。老年というのは、それまでの英知が、まさに結集されるとき」と。

 実際、老年になって、愚かになっていく人は、いくらでもいる。大半の人たちが、そうではない
か。愚かになるだけではなく、その人の醜い部分が、どっと表に出てくる。それまでは、ごまか
してきたような、醜い部分だ。

 実は、それがこわい。

 若いときは、自分の気力で、そうした醜い部分をごまかして生きることができ。しかし老年に
なると、その気力そのものが弱くなる。だから、自分の中の「地=本性」が、表に出てくる。老年
になるにつれて、そういう自分とも戦わねばならない。

 話がそれたが、これから生まれてくる人たちは、私たちより、より心豊かで、美しい人生を送
ってほしいと思う。そのために、私たちは、何ができるか?

 私たちは一歩退いて、どこかに隠れながら、息子たちや孫たちのために何かできることを考
えるしかない。

 いろいろなことを言う人がいるが、私は、こう思う。「私たちの時代は、終わったのだ」と。無理
に抵抗するから、話がおかしくなる。がんばれるところまでは、がんばってみるが、それをどう
評価するかは、私の問題ではなく、これからの世代の人たちの問題なのだ。

【若い人たちへ】

 善人も悪人も、紙一重。日々のささいな行いから、善人は善人になり、悪人は悪人になる。

 だからあなたも、(いらぬお節介かもしれないが)、今日の今から、ルールや約束を守ったら
よい。

 簡単な例では、交通ルールを守る。ウソをつかない。飾らない。虚栄を張らない。その積み重
ねが、長い時間をかけて、(あなた)をつくる。

 が、それだけではない。そういうあなたの姿を見て、子どもは、今度は、子ども自身の人格を
つくる。あなたへの評価も、それで決まる。

 あなたが、駐車場でもないところに車を平気で止め、タバコの吸い殻を窓の外に捨てたりして
いて、どうして、子どもに向って、「いい子になれ」と言うことができるだろうか。

 さてワイフに、私は、こう言った。

 「地球号の座席を、2つ、あけなければならないね。地球号の定員には、かぎりがあるから
ね」と。

 ワイフは、「孫たちのためなら、私の席をあげるわ」と言って、笑った。

***************以上、650*****************


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児の心理 幼児心理 幼児心理学 子供の心理 子育て問題 はやし浩司 子育ての悩み 子供の心 育児相談 育児問題 はやし浩司
 幼児の心 幼児の心理 育児 はやし浩司 育児疲れ 子育てポイント はやし浩司 静岡県 浜松市 幼児教育 岐阜県美濃市 金沢
大学法文学部卒 はやし浩司 教育評論家 幼児教育評論家 林浩司 静岡県 浜松市 幼児教育 岐阜県美濃市生まれ 金沢大学法
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 はやし浩司・林浩二(司) 林浩司 静岡県 浜松市 幼児教育 岐阜県美濃市生まれ 金沢大学法文学部卒 教育評論家 Hiroshi
Hayashi / 1970 IH student/International House / Melbourne Univ. writer/essayist/law student/Japan/born in 1947/武義高校 林
こうじ はやしこうじ 静岡県 浜松市 幼児教育 岐阜県美濃市生まれ 金沢大学法文学部卒 教育評論家 ハローワールド(雑誌)・よ
くできました(教材) スモッカの知恵の木 ジャックと英語の木 (CAI) 教材研究  はやし浩司 教材作成 教材制作 総合目録 はやし
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し浩司 幼児の問題 幼児 相談 随筆家 育児 随筆家 育児エッセー 育児エッセイ 母親の心理 母親の問題 育児全般 はやし浩
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読解力 子どもの心 子離れ はやし浩司 タイプ別育児論 子供の才能とこだわり 自慰 自意識 自己嫌悪 自殺 自然教育 自尊心 
叱り方 しつけ 自閉症 受験ノイローゼ 小食 心的外傷後ストレス障害 情緒不安 自立心 集中力 就眠のしつけ 神経質な子ども 
神経症 スキンシップ 巣立ち はやし浩司 タイプ別育児論 すなおな子ども 性教育 先生とのトラブル 善悪 祖父母との同居 大学
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行 敏捷(びんしょう)性 ファーバー方式 父性と母性 不登校 ぶりっ子(優等生?) 分離不安 平和教育 勉強が苦手 勉強部屋 ホ
ームスクール はやし浩司 タイプ別育児論 本嫌いの子ども マザーコンプレックス夢想する子ども 燃え尽き 問題児 子供のやる気 
やる気のない子ども 遊離(子どもの仮面) 指しゃぶり 欲求不満 よく泣く子ども 横を見る子ども わがままな子ども ワークブック 忘
れ物が多い子ども 乱舞する子ども 赤ちゃんがえり 赤ちゃん帰り 赤ちゃん返り 家庭内暴力 子供の虚言癖 はやし浩司 タイプ別
育児論はじめての登園 ADHD・アメリカの資料より 学校拒否症(不登校)・アメリカ医学会の報告(以上 はやし浩司のタイプ別育児論
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